あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

瀬戸内シーカヤック日記: カヤック事始め_沖縄海旅編

2020年05月06日 | 旅するシーカヤック
1992年の冬に、中古のフォールディングカヤックを購入し、独りで海を漕ぎ始めた俺。

今でこそシーカヤックはTV番組にも登場するなど一般に知られるようになっているが、当時はまだ、せいぜいカヌーを川で漕ぐというイメージの時代。
カヤックやカヌー、シーカヤックに関する情報はとても限られていて、貴重なムック本や、一般的になったばかりのインターネットを使って海外の情報などを入手して、勉強していたことを思い出す。

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芸予諸島の地元の海を、独学で、独りで漕ぎ始めていたのに加え、カヌーの里おおちのスクールやツアーへの参加により、江ノ川や錦川での川旅/リバーツーリング/キャンプツーリングの楽しさも知り、カヤック旅の幅と深さが徐々に広がりつつあった。

そんな時期、何かをきっかけに、沖縄でのシーカヤック旅に始めて参加することに。
確か、始めての沖縄シーカヤック旅は、当時のエコマリン沖縄が主催した、フェザークラフトで那覇から慶良間まで渡る、アイランドホッピングの旅だったと記憶している。

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梅雨も明けた初夏の那覇。

この沖縄本島から、途中の無人島でキャンプしながら、慶良間まで漕ぎ渡るシーカヤックの旅。

俺にとっては始めての外洋ということもあり、ドキドキワクワクの旅の始まりである。

大昔のことなので、まだ防水フィルムカメラの時代であり、パソコンに入っているデジタル化した画像は僅かしかないのだが、その時の旅の楽しさは今でも良く覚えている(今回のこの旅の数枚の写真は、ツアーに参加されていたYさんからいただいたものばかり)。
フォールディングカヤックにキャンプ道具を載せ、自力で島伝いに目的地を目指すというアイランドホッピングの楽しさを知った、俺の旅のスタイルの原点。

この時はタンデム艇だったので、Zakiさんという関西の方とペアを組むことになった。
人に運命を任せることが苦手な俺は、スターン側を漕がせていただくようにお願いし、受け入れていただいたことを覚えている。
後で知ったことだが、この方はベテランのシーカヤッカーさんだったので、他の人から『お前がバウ側を漕ぐなんてねえ』と言われたそうで、今でも申し訳なく思っている。

この方とは縁が続き、後に沖縄カヤックセンターが主催した、フェザークラフトで行く伊是名/伊平屋ツアーでもご一緒させていただくことになったのだ。

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梅雨明けの沖縄は、陽が昇ると急速に気温が上昇することに加え、刺すような厳しい日差しを避けるため、早朝から昼前まで漕ぎ、早めに上陸した島でテントを張り、その後はシュノーケリングなど海遊びや酒を楽しむという旅である。
実際旅の途中では、テントの中で寝ていても、朝に陽が昇ってくるとテントの中がいきなり暑くなり、とてもじゃないが寝ていられなくなったことで、沖縄の夏の厳しさを体で感じたことを覚えている。

外洋の大きなウネリも、フェザークラフトK2の長くてしなやかな船体が、波のエネルギーを上手く吸収していなして行くのが体で感じられる。
時には強い潮の流れの中も漕ぎ、島から島へのアイランドホッピングの旅は続く。

ある無人島で夜テントに寝ていると、ある方に起こして頂き、呼ばれるままに付いて行ってみると、ウミガメの産卵。

生まれて初めての、貴重な体験であった。

何日間の旅であったかは、記憶が定かではないが、このアイランドホッピング旅は俺に強烈な印象を残し、これ以降、毎年のように沖縄に通うようになった時期がある。

まさに、罹患すると重症化する『沖縄病』

その後は、息子とふたりで沖縄でのシーカヤックツアーに参加したり、家族4人で沖縄旅を楽しんだりもしたが、初期の頃は、家族を残して沖縄での海旅を楽しんでいた、懐かしい30代の頃。

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また、沖縄といえば忘れられないのが『ホクレア』との出会い。
その年が、たまたま5年毎に連続休暇が取得できるリフレッシュ休暇の年であったので、ホクレア号が沖縄に到着予定の時期とは外れていることは知りつつも、ゴールデンウイークとリフレッシュ休暇を連続させることで、半月以上沖縄にこもっていたのだ。

連続休暇の前半は、レンタカーを借りて浜比嘉島でキャンプをし、レンタルシーカヤックを借りて海遊びなどを楽しんでいた。
ある日の夕方、ラジオを聞いていると、『ホクレア号が糸満に到着した』とのニュースを偶然に聴き、内田隊長に電話をして、すぐに糸満に向かったことを覚えている。

糸満で、内田隊長に合流し、ナイノアトンプソン氏ともお話をさせていただいた。

また、糸満港での歓迎行事の一環として、始めてサバニを漕がせていただいたことも、良い想い出である。

貸していただいた、ミーカガンも懐かしい。


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ホクレアの後は、漕店さんの慶良間ツーリング、そして沖縄カヤックセンターさんの伊是名/伊平屋ツーリングのダブルヘッダーを満喫。

特に、伊是名/伊平屋は、あまり観光地化しておらず、手付かずの沖縄の原風景が残っている感じで、今でもとても印象に残っている旅の一つ。

フェザークラフトでの旅は、俺の旅のスタイルの原点。

誰も居ない浜で、のんびりまったり、オリオンビールを飲みながら過ごす時間ほど、贅沢な時間はないのではないか。

みんなで貝を拾って食べたり、

その貝で炊き込み御飯が作られたり、

アバサ(ハリセンボン)を堪能したり、

キャンプ地からかなり歩いて、地元の商店で買出ししたり、

とても楽しい海旅の連続。

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瀬戸内海と日本海、江ノ川と錦川しか知らなかった当時の俺にとって、沖縄でのシーカヤック旅という別世界を知ったことは、まさに目からウロコの出来事であった。
30代の頃は、毎年のように沖縄に通うことになったのだが、その後あるきっかけで、地元の瀬戸内の良さを見直すことになろうとは。

シーカヤックは、少なくとも俺にとっては、単に海でのパドリングを楽しむだけのスポーツではなく、その地域の特性や地理条件によって楽しみ方が大きく変わるものだと思っている。
そして、そうだからこそ、海旅の楽しさは奥が深いのだ。

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昔のブログへのリンク:

沖縄旅・浜比嘉島

ホクレア号がやってきた

伊是名/伊平屋ツアー
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