あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

『芸予ブルー』_テーマカラー of 印象派_”瀬戸内シーカヤック日記”

瀬戸内シーカヤック日記: カヤック事始め・1992年

2020年04月25日 | 旅するシーカヤック
時々、人に訊かれるのが、『カヤックを始めた切っ掛けは何なのですか?』という質問。

『もう20年以上も前なんで記憶は曖昧なんですけど、カヤックに乗ったこともないのに中古のカヤックを買って、いきなり乗り始めたんですよ』
『アウトドア雑誌か何かでカヤックの記事を読んで、これに乗ってみたいと思っていたんじゃあないですかね』

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1992年の冬、まだそれほどもらっていなかったはずのボーナスが、様々な支払いをしても、なぜか10万円ほど余裕ができたのだ。
『ねえ、このお金でカヤックを買ってもいいかな?』と妻に相談し、快諾してもらったことを覚えている。

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1992年の冬のある休日の朝。
当時はキャンプを中心としたアウトドアブームだったからか、なぜか呉市内にもアウトドアショプがあり、当時乗っていたスペクトロン(ボンゴワゴンのFordバッジ車)でそのお店を訪れた。
俺の記憶では、そのお店の名前は『30(サンマル)』

俺より少し年上の店長さんに相談すると、中古のフォールディングカヤックがあると言う。
広島のラジオ局のアナウンサーの方が使っていたという、フジタカヌーのSG-1。

木製パドルやパドルフロート、ビルジポンプ、ライフジャケットなどもセットで、どうやら予算に入ったので、『じゃあ、これにします』

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組み立て方、漕ぎ方を教えてもらうことになり、まずは店の前のスペースで、組み立て方を教えていただいた。
その後、近くの河口に移動。
フォールディングカヤックを水に浮かべ、乗り込み方から教えてもらう。

『こうやってパドルのこちら側でカヤックを、そして反対側で岸を支え、重心を低くして乗り込んで下さい』

緊張の一瞬ではあったが、無事にコックピットに収まった。

『じゃあ、漕いでみましょう』ということで、店長さんはポリ艇で先行しつつ、パドル捌きを教えてくださる。
今でこそ言えることだが、カヤックの漕ぎ方なんて教えることはほとんどない。
夏のシーカヤック教室でも、子供達にはパドルの持ち方や動かし方を簡単に伝えた後は、海の上で実際に漕いでもらうことが何より上達してもらうコツ。

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水の上に浮かび、しかもこんなに水面に近いという、初めての感覚。
パドルを水面に差し込み、引いてくると、『スーッ』と音もなく滑らかに進む気持ちの良さ。
センターラインも信号もない水の上を、俺が行きたい方向に思い通りに漕ぎ進める自由さと開放感。

『ああ、俺が求めていたのはこれだったんだ!』

これまで乗ったこともないのに、試乗すらせず10万円出して中古のカヤックをいきなり買ったのだが、これぞまさに『運命の出会い』を感じた瞬間であった。

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小一時間程度のレッスンを終え、カヤックから降りると、中に水が入っていた。
『ああ、これは底に穴が開きましたねえ。 戻って修理しましょう』
川底の石の角で擦ったようである。

ショップに戻り、カヤックを裏返して穴の位置を確認し、リペアの方法を実地で教わった。
初期の段階で、フォールディングカヤックには穴が開くものだし、それを自分で修理しながら使うものだということも肌で感じることができたのは、良い原体験であったと思う。

カヤックを折り畳み、スペクトロンの荷室に収納して、家に戻った。

***

お昼ご飯を食べると、妻と3歳の長男を連れて、海水浴場へ。
『狩留賀海水浴場』
当時は今のように整備される前で、冬の海水浴場はひと気もなく、静かな芸予諸島の片隅である。

俺は車から下ろしたSG-1を組み立て、ビルジポンプとパドルフロートをセットし、ライフジャケットを着けて海へ。
買った初日から、ダブルヘッダーのシーカヤックツーリングである。

家族は浜で遊んでいてもらい、俺は初めての海の上で、これ以上ない自由な時間を堪能した。

『ああ、俺が求めていたのは、本当にこれだったんだ!』

この日以降、土曜日になると出艇できる浜を探し、家族は浜で遊んでいてもらって、俺は海の散歩を楽しむという日々が始まった。
そして土曜日にカヤックで海を漕ぐと、日曜日は疲れが出てゆっくりしていたという、今では考えられない状態でもあったのを、懐かしく思い出す。
そう、俺が29歳、長男が3歳の冬である。


時には、まだ小さかった長男を前に乗せて、漕ぎだすこともあったなあ。

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あれから28年。
シーカヤック旅を通じて様々な出会いがあり、様々な経験をさせていただいた。
まさに、『人生に必要な事は、海旅が教えてくれた』と言っても過言ではなかろう。

有り余るほどの時間がある今、時々これまでのシーカヤックライフを振り返ってみようと思っている。

***


この写真は、そのようにして遊んでいた時、偶然海の上で出会ったシーカヤッカーさんが、持っておられたポラロイドカメラで撮影し、海の上でそのままいただいた、当時の貴重な写真。
当時はフリースはもちろん、パドリングウエアはそれほど普及しておらず、今では考えられないようなリスキーなウエアリングで冬の芸予諸島を漕いでいたことがわかる。

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