あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

『芸予ブルー』_テーマカラー of 印象派_”瀬戸内シーカヤック日記”

瀬戸内シーカヤック日記: あるくみるきく_とびしま海道キャンプツーリング(3)

2009年06月27日 | 旅するシーカヤック
大浜の海水浴場にある公園で、地元のおじいさんから、大浜や御手洗の昔の生活の事を伺ったあとは、教えていただいた神社に行き、もう数十年使われていないという櫂伝馬を見せていただいた。
(今回私は、浜で偶然出会ったおじいさんに教えられて倉庫に保管されている櫂伝馬を見に行ったのだが、家に帰ってから先行事例をネットで調べてみると、この大浜に保存されている櫂伝馬の写真は、シール0000さんのブログにも記載されている様子)
 
『うーん、これは確かにかなり劣化しているなあ』 一目見れば分かるひどい朽ち方。 長期間、海に出す事もなく、手入れもされず、ここに放置されていた事が見てとれる。 これではとてもじゃないが、海に浮かべる事はできないだろう。
***
写真を撮り、神社から駐車場まで戻る途中、ふと見ると家の窓を開けて座り、外を眺めているおじいさんが居られた。
『こんにちは。 今、あそこの神社の横にある倉庫を見せていただいたんですが、櫂伝馬があるんですね』 『おお、そうよ。 もう何十年も使ってないけどなあ』

『昔は、この前の海で櫂伝馬を漕いでいたそうですね』 『祭りの時には、この前で漕ぎよったもんよ。 あの櫂伝馬はな、競漕用じゃないんよ。 どっちかというと、今で言う救助艇みたいな役割の船が元じゃ。 じゃけえ、船が大きいじゃろう。 大崎上島のような競漕用の船とは違う』  『なるほど。 競漕用じゃないんですね。 道理で、あの櫂伝馬は大きいと思いました』

『あの神社は、海の方を向いて、鳥居も海側にありますが、やっぱり海の神様なんですか?』 『いやあの、あれは氏神様よ。 海の神様は、向こうにある。 昔の祭りの時は、向こうの神社とこっちの神社の間を、櫂伝馬で行き来したんじゃ』

私とおじいちゃんが話していると、奥からおばあちゃんも出てこられた。
『昔はねえ、祭りの時にはほんとうに賑やかじゃったよお。 向こうの神社とこっちの神社の間で、櫂伝馬を漕ぎよった。 二艘の櫂伝馬を並べて、その間に木の柱を組んで繋げよったよ』

『あれはいつ頃まで使いよったんですか』 『戦後、何回か祭りに使うて、それからは若いもんも居らんようになって、もう数十年使うとらんよ。 もう、釘も錆びて、朽ちて、ぜんぜん駄目じゃね』 『ええ、私も見たら分かりました。 もったいないですねえ』
***
『ところで、この辺はみかん農家の人が多くて、漁師さんは少なかった言う事ですが、漁をやりよっちゃったんですか?』
『ほうよ。 うちは漁師じゃった』 『漁師じゃ言うても、豊島の人らが遠くに行くじゃろう。 壱岐や五島、対馬、長崎、大分』 『ええ、聞いとります。 前は、長崎や対馬、和歌山の方まで行かれよったいうことですね』
『ほうよ。 私らも主人と一緒に豊島の船に乗って行きよった。 でもあまり遠くまでじゃのうて、せいぜい壱岐までじゃったけどね』 『豊島の人らはいろいろと商売をされるが、私らは釣るだけよ。 あの人らは半年、一年いうて居られるが、私らは3ヶ月して仕事に区切りがついたら戻ってきよった。 そして、次の仕事が入ったらそこに行くんよ』

『3ヶ月言うけど、子供を残して行くんじゃけえ、そりゃあ寂しいもんよ。 早う帰りたい思いよったねえ』 『四国沖にも行きよったよ。 地名を言われてもよう分からんかったけど、あそこの方へ行ったら船があるけえ分かる、いうて、自分らの船で四国まで行って、烏賊を釣る仕事をしよったねえ』

『台風。 そりゃあ、大西が吹いたときは大変よ。 神社の所に波が上がるじゃろう。 そうしたら逃げる所がないけえ、この前の道を流れて行くんよ。 もう、川のようじゃったよ』
***
話しを聞かせて下さるおじいさんの椅子の下には、双眼鏡が置かれていた。 おそらく毎日、海を眺めながら、気になるものがあれば双眼鏡で確認しておられるのだろう。 さすが、元漁師さんである。 また、お話しを聞かせていただいたおばあちゃんも、明るくてしっかり者で、いかにも漁師の女将さんといった風情。

そうこうしているうちに、ワンボックスカーがやってきた。 『あれ、来たよう』 どうやら、デイサービスの送迎をするクルマが、おじいちゃんを迎えにきたようだ。 『すみません、お忙しいのにいろいろ話しを聞かせていただいて』 『なに、ぜんぜん忙しい事なんかないんじゃけん』
『ありがとうございました!』
***
大浜地区では少ないという、元漁師さんご夫婦に昔の漁のお話を伺うことができた。 それも、隣にある家船で有名な豊島の漁師さんと一緒に仕事をされていたという、貴重な話。 『あるくみるきく_旅するシーカヤック』 じゃあ、そろそろクルマに戻るとするか。

地元在住のお二人の方から、貴重なお話を伺うことができ、最高の気分で歩いていると、ある光景が目に入ってきた。
『えー、なんじゃこりゃあ!』
***

* 大崎下島の大浜で、櫂作りの職人さんに出会う *

***

目に入ってきた光景は、なんと『櫂』を作っておられる作業場。
 
震えるようなうれしさを感じながら、『こんにちは。 これは櫂ですよね。 ちょっと拝見していいですか?』と伺うと、『ええですよ』と快諾していただいた。

『先日、大崎上島に行って、櫂伝馬を漕がせてもろうた事があるんです。 いやあ、ここで櫂を作っておられるとは驚きました。 さっきも、あそこにある神社で、昔使っとったという櫂伝馬を見てきたんです』 『そうね。 ここらじゃあ、もう当分舟は出しよらんねえ。 大崎上島で漕いだ』 『はい。 でもあそこの櫂伝馬は競漕用なんで、ここにある櫂に比べると、幅が広かったです』

『そうよ。 場所場所によって櫂伝馬の形も大きさも違うけえ、櫂の長さも幅も違うんよ。 これは、豊島の人に頼まれて作りよる分。 大崎上島のは、これより幅は広うて短いな』 『はい、そうです』
『こっちのは大櫂ですよね』 『そう』 『大崎上島のは、もっと大きかったですね』

『この、一番、二番いうて番号が書いてありますが』 『そりゃあのう、櫂伝馬は漕ぐ場所によって舟の幅も、海面までの距離も違おう。 じゃけえ、長さが変えてあるんよ』 『なるほど、じゃけえ、あの番号には意味があるんですね』
***
あまりに興味深いので、『すみません。 上がらせてもろうてええですか?』と聞くと、『ええよ』との事。
じゃあというので、サンダルを脱ごうとすると、『ええ、ええ。 ここは作業場じゃけえ、そのまま上がりんさい』

『こりゃあ、いつからやられよるんですか?』 『わしは二代目じゃ。 わしももう、50年くらいになるかのう』
 
『昔はな、押し舟もあったし、舵もステンレスじゃなかったから忙しかったが、今はだめよ』 『押し舟ってなんですか?』
『押し舟言うたら、櫓漕ぎ舟よ。 櫂伝馬なんかは、一番後ろの大櫂が船頭みたいなもんじゃが、押し舟じゃあ、一番前の人が船頭なんで』 『え、そうなんですか! それは知らんかったです』
『前は梶も木で作りよったが、ステンレスが出てきてからは、強度も上がって錆びんようになって、もう木の梶は駄目になってしもうた。 あの頃から、どんどん仕事が減ったよの』

『これだけじゃのうて、大工仕事もしよったよ。 天井を張り替えてくれ言われたらしよったし。 でも今思うたら、宮大工の仕事を覚えりゃあ良かった思いよる』

『昔はなあ、広島県だけでもこういう仕事をしようんが、十何人おったよ。 今じゃあ、わしと尾道の人くらいじゃなかろうか』 『今でも、九州に材を買い付けに行きよるんで。 ここの櫂の注文があったけえ、3月に九州に行ってきたんよ』
『その頃はなあ、順番に当番が回ってきて、材を買い付けに行きよった。 一度行ったら、向こうに一週間くらい。 あの頃は、ええ材も入りよったし、良かったよ』

『でもなあ、最近はええ材も少ないし、材を買うても、挽いてくれる所がない。 この材も、山口で挽いてもろうたんじゃ』 『材もな、種類によって堅さや重さが違う。 樫、椎、桧。 それぞれ特徴があるんよ。』
 
『この材を見てみ。 昔はこがあな風に、断面を三角に挽いてもらいよったんよ。 こんな三角に挽いたら、材は曲がったり歪んだりせんのじゃが、最近はコンピューターで制御するけえ言うて、儲けにならん三角の挽き方はしてくれん。 じゃけえ、平たい板に挽くんじゃが、見てみい、櫂に削って置いといたら、こんなに歪むんじゃけえ』 『こんなに歪んだらよ、買うてくれいうて渡す訳にもいかんし、大損よ。 そんなけえ、最近は商売も難しいよのう』

『鉋? うん、今は電動鉋ができてだいぶ楽になったよ。 昔はこれで削り出しよったんじゃけのう。 前は、一日に二本くらい作りよったが、今は日に一本くらいかのう。』
 
『櫓ものう、修理してくれいうて、毎年くるんよ。 ここが結わえてあるじゃろう。 使いよったらここが緩んで駄目になる。 そうじゃけえ、前はボルトを通して絞めるようにしたんじゃが、そうしたら櫓を引き揚げる時に舟に引っ掛かるいうんよ。 じゃあいうて、ボルトを埋め込むように穴を空けて出っ張らんようにしたら、そこが弱くなって、折れてしもうた』 『なるほど、やっぱり紐で結わえるんが引っ掛からんし、応力も集中せんし、一番ええ言う事なんですね。』 『そうなんよ』

『またの、前はFRPがはやってから、櫓もこげにFRPを巻いた事があるんじゃが、これは駄目じゃいうて、すぐにやめた』 『これは、FRPで巻くと硬すぎるんでしょう。 私もシーカヤックを漕ぐんですが、パドルは硬すぎると漕ぎにくい。 少しひわるくらいが、長時間漕いでも疲れんですよ』 『それそれ、それと一緒よ』
『でも舵の方は、FRPで巻くのがえかったねえ』 『そうですね。 舵は、硬くても問題ないですもんね』
***
『あんたは、カヌーを漕ぎよるんか?』 『はい、カヌーにキャンプ道具を積んで、島に渡る旅をするんが好きなんです』
『昨日も、蒲刈から出て、御手洗まで漕いで行ってキャンプしたんですよ。 年に50日位は海に出よりますし、これまでも、兵庫県の家島から下関まで瀬戸内横断したり、下関から日御碕まで日本海を北上したりしとるんです』
『おー、そりゃあすごいのう。 恐ろしゅうないんか?』 『ええ、風が吹いたりしたら、泣きそうになりながら漕ぐ事もあるんですが、やっぱり海を旅するのは楽しいですよ』
『人と一緒に行くんか?』 『いやあ、ほとんど一人ですね。 一人が気楽でええです。 行きたい時にフラリと出られるし、自分が出とうない天気じゃ思うたら出んでもええ。 ええ所がありゃあ、好きに上がって休んだり、早めに切り上げてキャンプしたり。 ホンマ、一人じゃったら全部自分の思うように決められるんじゃけえ、そりゃあ楽しいですよ』
『ほうかいの。 それにしてもすごいのお。 まあ、命あってのものだねじゃけえね。 気をつけんさいよ』 『はい、ありがとうございます』

『ここは、いつもやっとられるんですか?』 『いやあ、最近はあまり開けとらんのよ。 今日はたまたま、あの頼まれとる櫂がほぼ終わって、櫓の修理が入って来る準備をしよるけえ、開けとった』 『じゃあ、ええ時に来たんですね』

『今日は、ほんまにええものを見せてもろうて、ええ話しを聞かせてもろうて、うれしかったです。 ほんまにありがとうございました』 『あんたあ、どこの人かいのお』 『はい、呉の阿賀です』 『ほうか。 まあほんま、海では気をつけんさいよ』 『ありがとうございます!』
***
櫂作りをされているおじいさんに見送られ、豊島へと向かった。 時間が余ったので、偶然立ち寄った大崎下島の大浜。
話しを聞いた方からの偶然の縁で、想いもかけぬ次の出合いが生まれ、2時間弱の間に3組/4人の方の貴重なお話を伺うことができた。
これも、いつもと違うOne Wayの旅にしたおかげだなあ。 まさに、『あるくみるきく_旅するシーカヤック』の醍醐味。 今でも心が奮えている。

家船が今でも現役の島、豊島。 弓祈祷の祭りが残る岡村島(豊島、大崎下島にも残っている)。 風待ち潮待ちの御手洗や、櫂を制作する現役の職人さんが残る大崎下島。 日本の櫂伝馬の1/3が現存するという大崎上島。
いやはや、地元『とびしま海道』はこんなにも奥が深いのか。 感涙!

さあ、豊島へおいしいお好み焼きを食べに行くか。

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瀬戸内シーカヤック日記: あるくみるきく_とびしま海道キャンプツーリング(2)

2009年06月27日 | 旅するシーカヤック
2009年6月27日(土) 初夏には珍しく、涼しい朝。 テントの中での寝起きも快適だ。
今日は豊島で『よりんさい屋』をやっておられ、いつも島ではお世話になっているKさんを久し振りに訪ね、お昼ごはんに豊島の『マリちゃん』でおいしいお好み焼きを食べて帰る予定。 ゆったりと余裕のある一日。
 
朝日が昇る頃にゆっくりとテントから這い出し、ストームクッカーでお湯を沸かしてコーヒーを飲む。 薄い長袖Tシャツでちょうどよい位の気温だ。 iPodでお気に入りの落語を聞きながらコーヒーを飲む。 静かな島の朝。
再びお湯を沸かし、スープとパンの簡単な朝食。

8時、少し早いが出発するか。 せっかく時間があるのだから、数年前に海水浴場ができた大浜に行ってみよう。
この、『大崎下島の大浜』には、2008年2月にキャンプツーリングをするつもりで蒲刈から漕いで訪れたのだが、残念ながらキャンプ禁止と言う事で断られ、急遽岡村島に変更した苦い想い出のある土地である。
ただあの時も、翌日行われるという『弓祈祷』の準備中だったということで、ここには何かありそうな気がしているのだ。
***
海水浴場の駐車場にクルマを停め、浜を歩いてみる。 シーズン前の海水浴場は、釣りをしている人が居るくらいで、静かなもの。 それにしても広くてきれいな浜である。 キャンプ禁止と言うのは残念だ。

グルリと回って駐車場に戻ると、近くのベンチにひとりのおじいさんが座って居られた。 『おはようございます』と挨拶すると、『ああ、おはよう。 あのフネはあんたのかね?』と返ってきた。
『ええ、昨日は県民の浜を出て、御手洗まで漕いだんですよ。 いつもなら漕いで戻るんですけど、橋が架かってバスが走るようになったから、昨日のうちにクルマを取りに戻って。 そして御手洗でキャンプして、今から豊島の知り合いの所に行く途中です』 『ほう、御手洗まで。 えらいもんじゃなあ。 どれくらいかかる?』 『はい、だいたい北回りで2時間くらいですかねえ』 『そりゃあ早い』と驚いた様子。

それからしばしお話を聞かせていただいた。
『このあたりは、漁師さんなんですか、それとも農家が多いんですか?』 『ここらはほとんど農家よ。 漁師はほとんどおらん』 『みかんですか?』 『そうよ。 ほれ、あそこにも見えらあ。 こっちも。 あんな高い所の急斜面で作るんじゃけえ、年寄りになったらなかなかできんようになって放っとる畑も増えとる。 (笑いながら、)なんせ、傾斜が45度もあるんじゃ』

『このあたりは遠浅で、潮が引いたら大けな干潟が出よったよ。 貝もいっぱい採れよったなあ』 『この公園ができる前は、家の目の前が海じゃったろう。 台風が来たらな、もう波がもろよ。 波のしぶきが家の屋根を越えて、そりゃあもうひどかった。 この辺りの家は、ほとんど屋根をやりかえとるよ』
『なるほど、それでそこの家の海側は、おおきな石垣にしとるんですね』

***
『ここらは、昔はどがあなかったんですか?』
『戦争が終わって、軍隊上がりがようけ帰ってきた。 気が荒いんも多いじゃろう。 そいつらは江田島の弾薬庫にダイナマイトを盗みに行って、それを爆発させて魚を獲ったりしよったよ』 『ダイナマイト漁にはわしも行ったことがある。 火を点けて海に投げ込んだら、「ほれ、逃げい」言うて一生懸命漕ぐんじゃ。 戦後すぐじゃけえ、当時はエンジン付きの船なんかありゃせん。 それじゃけえ、一生懸命漕いで逃げて、少しして戻ったら、おおけな鯛やチヌなんか、ようけ浮いとったもんよ』

『そりゃあ、命がけですね!』 『ほうよ、ダイナマイトが爆発したら、船がギシギシ、ミシミシ、いうて音をたてるんじゃ』
『浮いた魚を拾うんも、バケツよ。 タモ網なんかないんじゃけん』
***
 
『御手洗ものう、昔は賑やかじゃったんで。 わしらが22歳の頃まで遊郭があったんじゃ』 『行ったか? そりゃあ行ったよ。 べっぴんさんがようけ居ったよのう。 あの頃は旅館も食堂も何軒もあった。 九州からの機帆船も潮待ちで寄りよったし、ほんま賑やかじゃったよ』 『バスなんかない。 あの頃は船よ。 今とは違うて、定期船の便数も多かったし。 みんな船で行きよった』 『木江にも遊郭があって、それは御手洗の何倍も大きな街じゃった。 でも木江は恐あて、あまりいかだった』

『九州から石炭を積んだ機帆船が来よった頃はの、関前灘の方で、石炭を横流ししてもらうやつらも居ったよ』 『走りよる船の横に、自分らの船を横付けして、船に積んである石炭を、こがあな大けなシャベルですくって下の船にそのまま投げ下ろすんよ。 まあ、血の気の多い、怖いもん知らずの若いもんがようけおったけえの』

『あんたはどっから来た?』 『はい、呉の阿賀です』 『ほうか、阿賀か! 阿賀いうたら、「阿賀のボンクウ」いうて、わしらも言いよった(笑)』 『ボンクウってなんですか?』 『ボンクウいうたら、○○○の事よ』
『へえ、そうなんですか! あの「仁義なき戦い」で有名な阿賀です。 やっぱり、そういう方面で有名なんですねえ』
***
『前にここの浜にシーカヤック漕いできたときは、弓祈祷の準備をされよりました』 『ほうか。 今じゃあ若い人も減って大変なんじゃが、昔は賑やかじゃったよ』
『わし? わしは出よらんかったよ。 あれはなあ、変な所に飛んで見に来た人に怪我をさせてもいけんけえ、腕のええ選ばれた人が出よった。 何週間も前から練習して、冬なんじゃが海で水垢離して体を清める』 『夜に水垢離するんじゃが、その時に女の人に見られたら穢れたいうことで、もう一回水垢離して清め直しじゃあ』
***
『この前、大崎上島に行って櫂伝馬を漕がせてもろうたんですよ。 ここには櫂伝馬はないんでしょうか?』
『櫂伝馬。 今はないけど昔はあったのう。 ここの前の海でも祭りの時に出しよった』 『今でも、あそこの神社の横の倉庫に置いてあるじゃろう』
『え、そうなんですか! じゃあ、見に行ってみます。 いろいろ面白い話しを聞かせていただいて、楽しかったです。 ありがとうございました』

という訳で、長い間倉庫に仕舞ってあるという櫂伝馬を見に行く事にした。 やはり睨んだ通り、ここ大浜には何かあると思っていた。 来て良かったなあ。
 
『あるくみるきく_旅するシーカヤック』

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瀬戸内シーカヤック日記: あるくみるきく_とびしま海道キャンプツーリング(1)

2009年06月27日 | 旅するシーカヤック
2009年6月26日(金) 久し振りに、蒲刈にある県民の浜へと向かう。 蒲刈の県民の浜から岡村島や大崎下島の御手洗まで往復するキャンプツーリングは、以前の私のお気に入りコースの一つであり、年に何度も通っていた。
しかし、昨年の秋に豊島大橋が開通した後は、島の道に渋滞が発生するほど観光客が訪れるようになり、静かな島の雰囲気が好きな私は、このルートを漕ぐのを避けていた。

しかしそろそろブームも落ち着いたとの事であり、金曜日ならさすがに人も少ないだろうと言う事で、久し振りに出かけてみる事にしたのである。
***
キャンプ道具をパッキングしたシーカヤックを海に浮かべて乗り込み、スプレースカートを装着して漕ぎ出した。
今日は、途中で立ち寄る所があるので、北回りルート。 追い潮に乗って北上し、昨年開通した豊島大橋の下を漕ぎ抜ける。
 
豊島では、今でも現役の家船が残る小さな漁港に入り、しばし上陸。 昨年、豊島で知り合いになった方を通じて、夏に行っている子供達のカヌークラブの活動を、2回ほどではあるが、お手伝いさせていただくことができた。
『シーカヤックが結ぶ縁』

施設に行ってみると、ちょうどお世話になった先生が居られた。 『今日は、蒲刈から御手洗までツーリングなんで、ちょっと寄ってみました。 ご無沙汰してます。 今年もカヌークラブの活動をやられるのなら、お手伝いをさせていただければと思って来てみました』 『いやあ、今年も梅雨明けくらいからやろうと思ってるんですよ。 また手伝って下さい。 今年はショートツーリングができると良いなあと思ってるんです』
『はい。 安全確保くらいしかできませんが、ぜひお手伝いさせていただきます。 また決まったら連絡ください』 『ええ、また近くに来たら気軽に寄って下さい』 『ありがとうございます』
うん、今年も子供達と一緒に漕げると好いなあ。 楽しみだ!
***
再び漕ぎ出し、梅雨時期らしい穏やかな海を漕ぎ進み、御手洗へ。
 
雁木の所にシーカヤックを浮かべた状態で荷物を下し、空荷になったシーカヤックを揚げる。 ツルツルと滑り易い雁木での上陸では、フェルトソール仕様に改造したサンダルが大活躍。
***
荷物を片付け、テントを張り、着替えるとお昼過ぎ。 途中で買ってきたお弁当を広げる。 いつもなら、ここでプシュッと缶ビールのプルタブを開けるのだが、今日はまだ予定があるのでそうはいかない。 我慢我慢。
しばし御手洗の町を散策し、観光案内所で『みかんジュース』をゴクリ。 地元産みかん100%で一杯100円。 良く冷えていて美味い。
 
午後2時過ぎにバス停へ。
今回のツーリングは、One Way。 下関から日御碕までの日本海北上_古代人ツアーで実践してきた私の好きな旅のスタイル。 出発地点から漕ぎ進み、ゴールした浜にシーカヤックと荷物を置いたまま、バスや汽車でクルマを取りに戻るのだ。
出発地点まで漕ぎ戻る必要がない、自由気侭な『行きっぱなしの旅』

豊島大橋が開通して、大崎下島や岡村島が離島でなくなったことは、静かな島好きの私にとっては寂しい事ではあるのだが、せっかく橋が架かってバスで行き来できるようになったのだから、その便利さを旅に活かさない手はない。
変化は変化。 実際、瀬戸内の島々は、これまで北前船が行き来するようになって、また地乗り航路が沖乗り航路に変化する事によって、あるいは帆船が機帆船、そして動力船に変わる事によって、その後はクルマや列車など陸上交通が主流になる事によって、時代時代で大きく変わってきたのである。
島を取り巻く状況が変わってしまう事は、自分にはどうしようもない。 変わった状況を受け入れ、そのなかで、いかに旅を楽しむか。 そして、そこに住む人々からかつての暮らしや漁の話しを聞き、記録する事。 それに尽きる。
***

バスに乗り込み、恋が浜で降りると徒歩で県民の浜へ。 温泉にまったりと浸かって潮抜きをし、疲れを癒す。

クルマで御手洗に戻ると、今回の目的である『みはらし食堂』へ。
 
これまでは、何度かお昼に立ち寄って『中華そば』や『鍋焼きうどん』を食べていたのだが、せっかくなのでこの食堂でゆっくりとビールを飲んでみたいと思っていたのである。
『ビールください。 あと、冷や奴あります?』 『はい、あるよ』 暑かった一日。 ビールが旨い。
 
『今日は県民の浜からカヌー漕いできたんですよ。 いつもは昼に来てラーメン食べるんじゃけど、今日はゆっくりビールが飲みたい思うて』 『ほうねえ、カヌーでね』とおばあちゃん。
『ここには、カヌーやっとる人が前に来たでしょう』 『そうよ、そんときは十何人泊めてくれいうて』 『ええ、私もその人を知っとるんです。 その時には私も岡村島で手伝いよったんですよ』
『あんたも小豆島まで行くん?』 『あ、そうか、最初はあの人たちが小豆島に行く途中に寄ったんですね。 私らも、それとは別ですが、毎年小豆島の方から山口の島まで漕ぐのをやりよるんです』

残念ながら夏なので、楽しみにしていた『おでん』はなかったが、その後も四方山話をつまみにビールを飲み、飯を食い、島の食堂での夕食を堪能した。 ええ雰囲気やなあ、ストライクゾーンど真ん中。 『ごちそうさまでした』
***

夏の日は長く、テントに戻ってもまだ明るい。 蚊取り線香に火を点け、雁木に座って、夕焼けを眺めながらカップ酒。
ああ、ええ一日やった。 さて、明日は、豊島に寄ってから帰ろうか。 『おやすみなさい』

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瀬戸内シーカヤック日記: 生野島キャンプツーリング(2)

2009年06月21日 | 旅するシーカヤック
キャンプツーリングの最大の楽しみは、独り静かに瀬戸内の夕暮れを眺めつつ、おいしいつまみでビールを飲むこの時間。

夜の時間のメインは、なんといっても一番の大好物であるビールだから、食事のメニューはシンプルなものだ。
 
ミョウガとキュウリの塩揉み。 釜炊きの、ホカホカ&ツヤツヤごはん。 里山コンロを使い、炭火で炙った椎茸とピーマン、そして鶏肉。

コップに注いだビールをグビリ。 そう、いくら外で飲むとはいえ、やはりビールは缶から直接ではなく、一度コップに注いだ方が何倍も美味い。 ビールをグビリ、ミョウガをパクリ。 うーんミョウガ、こりゃあ夏らしゅうて、ええつまみや。
傘の表側だけを炭火で炙り、裏側がしっとりとなってちょうど良い火の通り加減の椎茸。 ポン酢に付けて食すと、なんともいえぬ炭火焼独特の香ばしさと食感がたまらない。 たまらずビールを、グビグビ、グビーリ!

独りの時間だから、何かを話す訳でもなく、ただただ炭火焼きと瀬戸内の夕暮れの景色をつまみに、大好きなビールを楽しむ。
ああ、ええなあ、こりゃあたまらん。 わしには、こんな時間が必要なんや。

周りは徐々に暗くなり、最後はヘッドランプを点けて焼酎で〆。 おやすみなさい。
***
翌朝、シュラフの中で目が覚めた。 テントの外はまだ暗く、そして静かである。
出発前に確認した予報天気図では、土曜日は風が強くなる可能性があるように思えた。 だが、少なくとも今の時点では、風は吹いていないようだ。 ああ、良かった。
 
*** 先船を漕ぐな! ***
今回のように島に渡ってキャンプする場合、なにより気になるのが二日目の天気、特に風である。 行きはよい良い、帰りは怖い、ではないが、初日はピーカンの晴天でも、二日目に風が上がってくる事も少なくない。

旅するシーカヤックを楽しむ上で、私が大切に心に留めている言葉に、『先船を漕ぐな』というのがある。 以前読んだ北前船に関する本で見つけた言葉。 ご存知のように北前船は帆走なのだが、もちろん風は思い通りには吹いてはくれない。 全く風が吹かずに風待ちをする日もあれば、逆に嵐のように強く吹き過ぎて出られず、風待ちをする日もある。 そんな北前船の船乗り達の間で、戒めのように伝えられた言葉が、『先船を漕ぐな』

その心は、『何日にどこそこの港に着く』と予め決めてしまうと、口に出したその予定が自分自身を縛り、危ない状況でも無理をして船を出し、遭難してしまう危険性が高まる事を、船乗り達は経験から知っていたのである。

『尺取り虫方式での瀬戸内横断』や『日本海北上:下関~日御碕_古代人ツアー』、『瀬戸内カヤック横断隊』での経験から、私も『先船を漕ぐ』こと、すなわち予め決めた予定で自分を縛る事の危険を実感しているので、先船を漕がないよう、自分自身を戒めている。
だから、友人知人と約束してある場合を除いて、予めどこそこに行くと”確定”することはなく、前日の夜か、出発日の朝の天気予報を確認した上で、最終的な目的地を確定する事にしているし、友人知人と一緒のときも、自分が出たくない海況の時には、『今日はやめましょう』とはっきり伝える事にしている。

今回も決して例外ではなく、生野島に最終決定したのは当日朝の天気予報確認後であるし、基本は金曜土曜の一泊二日のツーリングの予定だが、妻にはこう言ってある。 『土曜日に帰る予定じゃけど、風が吹いたら無理せず日曜日に延ばすかもしれん。 まあ、多少の風なら別の方法で帰って来れるような準備はしとるし、それじゃけえ、あそこを選んどるんじゃ』

北前船の時代から、本物の船乗り達の間で伝えられてきた知恵、『先船を漕ぐな』 私の、海における座右の銘である。
***
日の出の時刻には、空には雲が広がっていた。 うどんとベーコンエッグの朝食を食べ、コーヒーを飲んでいると、次第に晴れ間が広がって行く。 と同時に、東の海はギラギラと輝き出した。
うーん、これは。。。 そう、これは海上では風が吹いていることを示している。 山の上の木々の葉っぱも次第にザワザワし始めており、なんだか風が上がってくる気配が漂ってきた。

今日はだんだん風が強くなりそうだ。 早立ちすることにしよう。 荷物を片付け、シーカヤックを浜に降ろし、着替えて荷物をパッキング。
午前7時、準備完了。 今日の竹原港の満潮は、午前7時半過ぎ。 ということは、もうすこし上げ潮が残っているので、それに乗って唐島、阿波島に渡り、潮止まりから下げ潮の時間帯に、阿波島から海水浴場まで戻ればちょうど良いはず。 ようし、出発だ。

大崎上島と竹原を結ぶフェリーが居ない事を確認し、唐島に向かって漕ぎ出した。 予定通り、潮はまだ押している。
沖に出ると、やはり風が吹いて波がザワついている。 うん、これくらいなら全く問題ない。
この辺りは以前、竹原と今治を結ぶフェリーの航路だったのだが、西瀬戸自動車道や、土日の高速料金引き下げなどの影響で航路が廃止になり、そういう意味ではこのエリアを漕ぐ心理的プレッシャーは減っているのだが、船旅好きの一人としては複雑な気持ちである。

唐島を越え、阿波島へ。 阿波島から海水浴場までのルートは潮流が早くて重いので、逆潮で漕ぎ上がるのは大変なのだが、今日は予定通り潮止まり。 結局、生野島を出てからほぼ1時間で、海水浴場に戻ってきた。

シーカヤックを揚げ、荷物を運び、片付けていると、周りの木々の葉がザワザワと音を立て始めた。 やはり、風が上がってきたようだ。 家に帰り、昼過ぎにインターネットでチェックすると、竹原沖では6~7m/sの東寄りの風が吹いているとの事。
やはり、今日は早立ちして正解だったようだ。

天候にも恵まれ、初夏の瀬戸内をたっぷりと堪能した生野島キャンプツーリング。 海水浴シーズン直前の静かな海を堪能するには、ベストタイミングであった。

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瀬戸内シーカヤック日記: 生野島キャンプツーリング(1)

2009年06月20日 | 旅するシーカヤック
2009年6月19日(金) シーカヤックを浜に降ろし、キャンプ道具をパッキングしていると、『わーい、わーい。 かいすいよくに、またこれたあ!』と、かわいい声が聞こえてきた。 振り返ると、お母さんに連れられた小さい女の子が、それはそれはうれしそうに、海に向かって砂浜を歩いていく。
私の横を通る時、その子はニコリと笑い、『コンニチハ』と挨拶してくれる。 私もうれしくなり、笑顔で『こんにちは!』と返す。
***
パッキングを終え、スプレースカートを着けてPFDを装着。 出艇準備は完了だ。 先ほどのお母さんと女の子は、ひざまで海に浸かって遊んでいる。
『どう、冷たくない?』と聞くと、『うーん、すこしつめたい』と返ってきた。

『これ、乗ってみる?』 女の子は興味津々の顔でうなずいた。 お母さんに、『良いですか?』と聞くと、『はい』との事だったので、『ようし、乗ってみよう!』と、コックピットに座らせてあげる。
 
パドルを渡すとシーカヤッカー気分。 すると『いいねえ!』と、お母さん。 私はカヤックを持ち、浜に沿って少しだけ水の上を進ませてあげる。 『どう、楽しい?』 『うん、たのしい』

『ようし、じゃあ降りようか』 女の子を降ろすと、自分がカヤックに乗り込み、『おじさんは、今日はあの島に行ってキャンプするんだよ』 『そうだって、あそこの島に行くんだって』
『じゃあね、行って来るね』 すると、お母さんと女の子が手を振って見送ってくれた。
平日の静かな瀬戸内の海水浴場。 晴れた空、穏やかな海、そして小さな女の子のうれしそうな笑顔。 うん、これは良いツーリングになりそうだ。
***
今日は休業日。 不況の影響で未だに月に二日の休業取得が続いている。 収入面では厳しいが、月に最低でも2回は3連休ということなので、資金面からどうしても近場中心にはなってしまうが、カヌーライフという面ではなかなか充実しているということは言えるだろう。

気持ちのよい出発後、引き潮に乗って順調に契島を越え、臼島を経由して、箕島へ。  
 
箕島の周囲は浅瀬になっており、アマモが群生している。 ここは、まるで海の森のようだ。
***
今回は少し大回りコースだったので、約2時間でいつもの浜に到着。
昼食を済ませると、あまりの暑さにたまらず海へ! 例年よりかなり遅いが、今年初めての海水浴。
 
青い空、白い砂浜、そして澄んだ海。 さすがにまだ少し水温は低いが、なんといってもこの暑さ。 一度頭まで浸かり、泳いでしまえばなんとも快適である。
***
海水浴の後は、最高の眺望が楽しめる海辺のプライベートバーをオープン。 
 
キーンと冷えたビールをコップに注ぎ、グビリ、グビグビと飲って、東屋のベンチに寝転がる。 あー、気持ち良い。
最高の書斎で開く本は、『舟と港のある風景(日本の漁村・あるくみるきく)、森本孝』 こういう本は、海辺で読むのが私のお気に入り。

私が一番好きな章は、『家船漁師の思い出』

*** 以下、引用 ***
『兄さん、旅は面白いもんじゃった。 若い時分はどこまでも行けると思うて、九州の果てまで歩いてきた。 昭和三年じゃったね、長崎には魚が多いそうじゃから、行ってみようゆうて、亭主とその弟と、二人ばかりの漁師を雇うて出かけたんよ。 あっちこっちの港をへぐりへぐりしながらの旅じゃった。 長崎は遠いのうー、この先どこまで行ったら長崎にいけるんかと思うたが、恐ろしいことはなかった。 (後略)』

もっとも家船という呼称はその漁民自身は使っていない。 学者による造語のようである。 尾道市の吉和港を訪ねた時に、港に係留してある船を見て、あれは家船ですか? と付近に居た吉和の漁師さんに聞いたところ、『いや、あれは漁船(りょうせん)だ』という応えが返ってきたのである。
*カヤッカー追記: 私が豊島でお話を伺った時、家船は正式には『えぶね』と読むと教えられていたので、『”えぶね”について聞きたいんですが』と言ったら、『えぶね? なんじゃそりゃあ』と聞き返される事が多かった。 『あの、前に部屋がある”いえぶね”があるって聞いてきたんですが』と言うと、『ああ、いえぶねね』と納得された事を思い出す。 やはり、家船/えぶね、というのは、学者さんが付けた呼名なのだなあ。 納得。

きくのさんは、ぶらりと箱崎を訪れた風来坊のような私になんの疑念も抱かず、家にも招いてくれた。 苦労話を明るい調子で話すきくのさんの話しぶりは若い娘のように華やいで、心惹かれたものであった。 きくのさんの魅力、それは、見知らぬ土地を歩き、漁をし、時には船に住まう家なしの特異な漁民との理由だけで、心ない村人から冷たい視線や言葉をあびつつも、それに耐えて海に生きた家船漁民ならではの、人に優しい、広々とした心の醸し出す魅力だったように思える。
*** 引用、終わり ***

この章を読むと、ご主人と一緒に数年前まで家船に乗っていたというおばあちゃんにお話を伺った、地元の呉にある『豊島の家船』の話を思い出す。
あの時、偶然公園で出会った70歳だと言うおばあちゃんは、それこそ風来坊のような風貌の初対面の私に、様々な話しを聞かせて下さった。 (以下、豊島訪問のブログより)

『18で結婚した頃はねえ、そりゃあ貧しい暮らしじゃったよ。 小さい島で、兄弟も多くて。 島の廻りで鯛やタコやなんやら釣って、麦や芋や食べよったけどねえ』 『やっぱりお金を儲けるには、魚が多い所へ出て行かんとと思うて。 一生懸命働いて、船を造って、おとうちゃん、稼ぎにいこうやゆうて、それから遠くに行くようになったんよ』

『なあ、兄ちゃん。 人間言うたら十人十色じゃろう。 借金しとうない、遠くの知らん所へ行くのは嫌じゃ言うて、島の廻りで漁をする人も居るし。 大勢の人間が、この島の廻りの漁で食べていく事はできんけえ、地で漁をしたい言う人にはそこで漁をしてもらって、なにがあるかわからんけど、遠くに行って儲けちゃろう思うとるモンは遠出するようになったんよ』

『船造るいうても、エンジンとレーダーやらGPSやら、無線やらいうて付けよったら、3000万とか4000万とかかかるけねえ。 そりゃ太いけど。 かというて、安いもん付けよったら魚も獲れんよー』
***
『そりゃあ、豊島は女の人が強いわい。 男の3倍は働くよね。 男の人は、漁が済んで、風呂入って、ご飯食べて酒飲んだら寝させるけど、女はそうはいかん。 片付けやら、洗濯やら、なんやかんやいそがしいじゃろ』

『洗濯させてもらうにしても、水をもらうにしても、寄留させてもらう所を見つけて、交渉して、やりとりするんは私らじゃけん。 水をもらうにしても電話を掛けさせてもらうにしても、お金を出してもダメじゃ言う人も居るし、お金なんかいらんいうて親切に分けてくれる人もおる。 人それそれじゃ。 親切にしてくれる人には、魚も分けるし、肉や野菜や灯油なんかもたくさん置いて、何倍にもして返すし』

斜め向いに座った私の膝を叩きながら、『なあ、兄ちゃん。 人は十人十色じゃ。 堅い生活しかでけん人も居るし、もうけちゃろう思うて外に賭ける人も居る。 18でじいさんと結婚したが、この人なら間違いない。 ぜったいに私を養うてくれる思うて結婚したんよ。 ピョンピョン飛ぶほど元気じゃったし、いつもキョロキョロといろんなもんを観察しよったし。 この人なら間違いない思うたん。 人を見る目はあるんよ。 なあ、兄ちゃん』
と、またまたわたしの膝をポンポンと叩く。
***
『ケンカ? けんかはほとんどしたことないね。 またねえ、けんかしちょったら、不思議と魚が釣れんのよ』

情が深くて豪快で、明るくて気さくなおばあさん。 時にはここに書けない愉快でおもしろおかしい話しがとびだし、二人で笑い転げた。 『いやあ、そりゃあそうですよねえ。 ワッハッハ! こりゃあ面白い!』

気が付くと、1時間以上が過ぎていた。

『おばあちゃん。 本当に興味深い楽しい話しを聞かせてもらってありがとうございました。 ええ勉強になりましたよ。 また豊島に遊びに来て会えたら、また話しを聞かせて下さいね』 『じゃあね。 にいちゃん。 またね』
(豊島訪問時のブログからの引用終わり)
***
改めて森本さんの『家船漁師の思い出』を読み返してみると、因島の箱崎と、豊島という違いはあれ、家船に乗っていた女の人の気風が共通していることに驚いた。

初めて訪れる土地で、漁のベースとなる寄留先を見つける交渉をし、親切な人、そうでない人との付き合いをしながら苦労を重ね、子供と離ればなれになりながらも、日々の糧を得るため、遠い海でご主人といっしょに漁をし、生活する。

知らない土地にでも果敢に飛び込んで行く、漁民らしい冒険心と好奇心を持ち、難しい人付き合いや厳しい海況での漁も苦にしない楽観的な気風と人を見る目が養われる。 様々な苦労を重ねたからこそ、情が深くて豪快で、明るく気さくな人柄になり、そして風来坊でも受け入れ、親切に話しを聞かせていただけるのだろう。

うん、そうに違いない。 瀬戸内の美しい景色が広がる、プライベートバー付きのお気に入りの書斎で過ごす、充実したひととき。
***

今日は、ミョウガを持ってきた。 オピネルでミョウガを縦に刻む。
同じく刻んだキュウリと生姜とまぜ、伯方の塩をしてもみ、ジップロックに入れてクーラーバッグに放り込む。 食べる前に水気を絞れば、夏らしいつまみの一品の出来上がりだ。

出発した海水浴場での、ちいさな女の子の最高の笑顔。 晴れた青空の下、誰も居ない白い砂浜で今年初の海水浴。
最高の眺望が楽しめる、プライベートバー付きのお気に入りの書斎で、冷たいビールを飲りながらの読書。
これ以上、何が要る? 最高のキャンプツーリングの一日である。

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瀬戸内シーカヤック日記: しまなみ_生名島タンデム&キャンプツーリング(2)

2009年06月16日 | 旅するシーカヤック
2009年6月14日(日) しまなみの静かな島にある、お気に入りのキャンプ場で迎える朝。 だが、悲しい性で、目が覚めるのはいつもの起床時間である5時。
せっかくだから、もう少しゆっくりしよう。 シュラフカバーに潜り込み、しばしウトウトと微睡みの時間を楽しむ。

***
6時過ぎに起き出し、朝食の準備を始める。 まず最初は、小さな釜に二人分の『無洗米』を入れ、目分量で水を満たす。
iPodで落語を聞きながら、数十分待ち、コンロに火を入れてご飯を炊く。

釜から水蒸気が上がり、少し香ばしい香りが漂ってきたら、火を止め、しばし蒸らす。 ご飯を蒸らしている間に、ハムエッグを焼き、インスタントの『しじみ』のみそ汁と『納豆』、を並べると、朝食の準備は完了である。

シーカヤックツーリングの楽しみは、瀬戸内の海を眺めながら飲むビールと、おいしい料理。 そして、ゆっくりと流れる朝の時間に楽しむ、一杯のコーヒーと、ゆったり楽しむ朝食である。
そう、こういった一連のゆったり流れる時間と景色を、普段とは違う土地で泊付きで楽しむのが、私にとってのシーカヤックキャンプツーリングの醍醐味である。
***
『ごちそうさまでした!』 たっぷりの朝食を摂り、道具を片付け、着替えて出艇準備。
もう夏も近い今日は、真っ昼間の暑い時間を避けて、早い時間に近場のお散歩ツーリングを楽しむ予定。
 
昨日の肩ならしで長男にスターンを任せても問題ない事を確認したので、今日もそのポジション。 『さあ、行こうか!』
キャンプ場前の浜を出て、生名島を時計回りに半周ほど漕ぎ、小さな島の浜に上陸。
***
しばし島を散策し、お茶を飲んで休憩。 再びカヤックに乗り込み、今度は半時計回りでコースを戻る。
生名島の北岸沿いを漕いでいると、自転車に乗ったおじさんが声を掛けてこられた。

『おお! あんたら優雅な旅じゃのお。 羨ましいわい。 どっから来た?』 『はい、家は呉なんですが、今回は昨日からこの島に来て、ちょぼちょぼ漕いどるんですよ』
『ほーか。 それにしても、楽しそうじゃの』 『ええ、楽しいですよ。 前は、呉からこの辺りまで漕いできて、最後は笠岡まで3日で行ったこともあるんです。 呉からここまでなら、二日くらいですかねえ』

『まあ、気をつけての』 『はい、ありがとうございます』 そこから、因島側に渡り、箱崎漁港へ。
 
漁港に入ると、舳先に特徴のある漁船が並んでいる。 これは、おそらく全長を延ばしてスピードを稼ぎ、かつバウの浮力を稼ぐ事で波に突っ込むのを防いでいるのだろう。
荒れた海でもスピードを落とす事なく航海するための漁船だと推察する。 また、これらの船のバウ側には、箱崎の家船の特徴である、テントを張った居住スペースがあった。 もしかすると、ある程度長期の漁労旅を前提にした漁船であるのかもしれない。 機会があれば、ぜひともお話を伺いたいものである。

その後、亀島、平内島を巡り、2時間ほどのお散歩ツーリングを終えて、キャンプ場の浜に戻った。
***
シーカヤックを洗い、道具を片付け、シャワーを浴びて、帰りの準備は完了。 管理人さんと四方山話を交わし、お礼を述べ、キャンプ場を辞した。
『コンサート、成功するといいですねえ。 それでこのキャンプ場を多くの人に知ってもらって、来る人が増えるといいなあ』
***
生名島から因島に渡るフェリーに乗り込むと、じっとこちらを見ている自転車のおじさんが居た。 よく見ると、今朝のお散歩ツーリングの時に陸から声をかけて下さった方である。
にやり、と笑い、クルマに寄ってこられた。 カートップしてあるシーカヤックを指差しながら、『いやあ、ほんまに優雅でええのお』 『ほうでしょう。 ほんま、楽しいですよ!』
『よう、ここらへんに来るんか?』 『ええ、生名島から岩城に行ったり、弓削を回ったり。 さすがに弓削は大きいんで、時間が掛かりますけどねえ』 『ほうか、ほうか。 ええのお』
***
帰り道、少し早いが、因島のラーメン屋さんでお昼ご飯。
 
いつも、帰り道に通る時、お客さんが多いので気になっていたのである。
ラーメンは、尾道ラーメンの系統で背脂が浮いているものの、見た目とは裏腹にあっさり系のスープ。 面は少し腰が強い感じ。 食にうるさい長男にも、ここのあっさりスープは好評であった。
『これは、なかなかいいラーメン屋さんを見つけたなあ!』
***
お気に入りの島、しまなみの生名島のキャンプ場で、長男と楽しんだタンデムパドリング&キャンプツーリング。 いやあ、本当に景色も良く、ツーリングも楽しめ、静かで何度来ても良い場所だ。
やはり、シーカヤックはキャンプツーリングが最高だなあ!

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瀬戸内シーカヤック日記: しまなみ_生名島タンデム&キャンプツーリング(1)

2009年06月14日 | 旅するシーカヤック
金曜日のお昼休みに週末の天気予報をチェックすると、土曜日は南西の風が強いとの予報。 うーん、これでは候補にしていた○○島へ行くのはやめておいた方が良さそうだ。 じゃあ、ということで、生名島のキャンプ場に連絡。

『こんにちは。 カヤッカーです。 この週末、長男と一緒に行きたいんですがいいですか?』 『はい、お待ちしてます』

ということで、週末の予定は決定した。 年に何度も通う生名島をベースに、のんびりまったりキャンプツーリングである!
***
2009年6月13日(土) シースケープ・ポイント5を積んだアテンザワゴンは東へと向かう。 途中、海沿いの道を走っていると、予報通り強い風が吹いている。
風が無いようなら、いつものように岩城島へと漕ぎ渡り、『よし正』さんでお昼ご飯にしようと思っていたのだが、この風では難しいようだ。 なら、少し早いけど尾道の『朱華園』で尾道ラーメンを食べて行く事にしよう!

まだ時間が早いので、並ぶ事なく店内に入ることができた。 ラーメンを注文し、渡された番号札は20番と21番。
ほどなく店内はいっぱいになり、お客さんが並びはじめた様子。
 
『ごちそうさまでした』 おいしいラーメンを食べ、店を出ると、ズラリと長い行列。 やっぱ朱さんのラーメンは大人気である。
***
しまなみ海道を走り、因島を経由して、生名島へ。 ここへは年に何度も訪れる、私の一番のお気に入りのキャンプ場である。

駐車場にクルマを止め、シーカヤックを降ろし、出艇準備。 強い風は吹いているが、安定性の高いタンデム艇で、一緒に漕ぐのはカヌー歴10年を越える長男。 この周りで肩ならしする程度なら、全く不安も問題もない。

また今日は、長男にスターンをまかせ、私はバウに座る事にしている。 つまり今日の船長は長男と言う事だ。
体の大きい彼がスターンの方がバランスも取れるし、そろそろ彼にも任せて良い頃であろう。
***
というか、私が中古のフジタカヌー、シーグースを手に入れてから川や海でカヌーを漕ぎ始めた頃、彼も同じコックピットに乗せて海を漕いでいた。 だからある意味、彼のカヌー歴は、私と同じで1992年にスタートしたと言う事になるか。

彼は、小学生の低学年の時には、穏やかな日本海を2kmほどソロで漕がせたこともある。 瀬戸内では、当時まだ幼稚園だった次男をシースケープポイント5のバウに乗せて、小学生だった彼にスターンを任せ、家族四人、タンデム艇2艇でプライベートビーチに海水浴に行ったこともある。 

↑ この時はまだ小学生だった長男は、幼稚園に通っていたほとんど漕がない次男を乗せて、タンデム艇のスターンを任されていた! 懐かしい。 ちなみに、この時私たち夫婦は、Kiwi2に乗って撮影。
***
 
慣れないバウシートからの景色に戸惑いながらも、島に渡り、風裏を進み、少し波のある海域も漕ぎ、様々な状況でのラダー操作とバランス取りの感覚を体験してもらう。
鶴島の小さな浜に上がり、しばし休憩。 風はあるが晴れて暑い日和。 海水に膝まで浸かってクールダウン。 あー、気持ちイイ!

『どうよ、後ろは?』 『うーん、最初は難しかったけど慣れた』 『ほうか、やっぱりお前が後ろの方が、バランスがええわ』 すると私より”ふたまわり”は大きい彼は笑いながら、『ほうじゃね』
***
浜に戻り、道具を片付け、キャンプの手続き。 管理人さんによると、7月にここで行われる『BOOM』のコンサート準備で、生名島はいろいろと忙しいらしい。 大変そうではあるが、これはこれで、良い島起こしのイベントになっているようだ。
十数年前のキャンプブームも去った今、ぜひとも大勢の人にこの素晴らしい生名島のキャンプ場に来てもらい、楽しんでいただきたいものである。
 
シャワーを浴び、着替えると、いつものように自転車をお借りして、因島へ。 銭湯にゆっくりと浸かって潮抜きし、フェリー乗り場へ戻る。 このフェリー乗り場の一角に、なかなか良い雰囲気の飲み屋さんが集まっている。
この感じは、私のストライクゾーンど真ん中である。 次回は、ここで一杯飲ってみるか?
***
キャンプ場に戻り、少し休憩すると日も傾き始め、晩ご飯の準備を始める時間となった。
 
今日は、『里山こんろ』を使った焼肉と、最近マイブームになっている釜炊きご飯、冷や奴、そして納豆。
ビールを飲み、炭火で焼いた肉と野菜を食べ、そしてまたビールを飲む。 『ゴクゴク、ゴクリ』 『グビ、グビリ』
素晴らしい景色の中、最高の晩ご飯。

あー、いい一日だった。 明日も、のんびりまったり、しまなみお散歩ツーリングを楽しめるかな。

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瀬戸内シーカヤック日記: 日本海の舟屋について

2009年06月09日 | 旅するシーカヤック
先週末に訪れた島根半島には、舟屋が残っていた。 舟屋といえば、丹後半島の『伊根の舟屋』が有名なのだが、それに関してシーカヤック仲間であるGoさんから質問コメントを頂いていた。
ちょうど私も文献を引っ張り出して、舟屋について調べたところだったので、調査結果を簡単に記載し、Goさんへの回答とさせていただくとともに、自分の記録に残しておきたいと思う。

***
引っ張り出してきた文献は、日本観光文化研究所発行の『あるくみるきく_158(1980/4)、奥丹後の海』


*** 以下、引用 ***

『舟小屋はいまのように二階には人は泊まれませんでしたよ。 昭和のそれも戦争が終わってからです。 二階に畳を入れ、居室に使えるようにしたのは。 かつては二階は壁もなく、漁具、薪などの保管場所に使っていました。 また、雨の日の漁具の修理場にも使いました。』

舟小屋自体は、何も伊根だけのものではない。 表日本では、青森県の一部を除いて舟小屋は見かけないが、裏日本には普通に見られる。 冬、裏日本は雪や雨が多い。 漁もできず、舟や漁具の保管に舟小屋は必ず必要だった。

現在の伊根では若夫婦の部屋、あるいは老夫婦の隠居屋風に用いているし、また最近は、民宿の泊り客用にも用いている。

*** 引用、終わり ***

この『あるくみるきく』に書かれているように、日本海側では冬場に長期間漁ができない時期があり、雨や雪から大事な舟や漁具を守るため、このような舟屋が発達したようである。
これに対して、ほぼ一年中漁ができる太平洋や瀬戸内では、漁具を仕舞う小屋は必要でも、舟を長期間保管する小屋は必要性がなかったのである。

また、かつては伊根でも舟屋の二階に人が居住する事はなかったようであるが、戦後、伊根で漁業に関わる人が増えてきた事で、老夫婦や若夫婦の居室として利用されるようになった模様。

さすがに、宮本常一が監修した『あるくみるきく』 興味深い話がしっかりと記録されている。
***
今回訪れた島根半島の舟屋は、昔ながらの舟と漁具を保管するだけの構造になっている。 また、以前訪れた隠岐でも舟屋を見たが、やはり人が住む構造にはなっていなかったと記憶している。

あと、フェザークラフトで瀬戸内横断した時のゴール地点になった、関門海峡近くの下関の小さな漁港には、舟屋があった。
これは、もしかしたら表日本側の貴重な舟屋であるかもしれない。 各地の舟屋を調べてみるのも面白いのではなかろうか。
***
また日本海では、舟屋以外にも冬期に舟を保管する手段を見たことがある。

毎年夏にシーカヤックツーリングで訪問する『島根半島の猪目海岸』では、かつては猪目洞窟を舟屋代わりに利用していたようだ。
***
このように、漁労や舟に関する文化は地域によって様々である。 それは、気候や漁のやり方、獲る魚の種類などの影響を受けている。

地元、呉市の豊島では、一潮から半年近い出稼ぎ漁に対応するための『家船』が残っているのだが、その畳敷きの居室のは、今やFRPの立派な屋根となっている。
*参考: 豊島の家船

これは素人の想像であるのだが、今でも大分や長崎あたりまで出漁する船があることと、おそらく豊富な太刀魚漁の漁獲などが関係しているのではないかと推察している。
***
これに対して、同じく家船が残っているが、最近ではほとんど遠出しないと聞いている『因島の箱崎』では、昔ながらのテント張りの居室を残す舟が多い。 豊島に比べると、船自体も小さめのようである。

***
また、以前カヤック仲間のエクストリームNさんを、しまなみの岩城島に案内したとき、漁港に舫われた漁船に日よけのテントが張られた居たのを見て、驚いていたことも思い出す。
瀬戸内で生まれ育った私にとっては、日よけのテントを張った漁船はごくごく当たり前の風景だったのだが、風の強い日本海や響灘の漁船では見た事がないということで、比較的穏やかな瀬戸内ならではの特徴であるらしい。

そういえば私も、今年のゴールデンウイークに訪問した、徳島の太平洋岸の漁港では、これまで見た事のない形や装備の漁船を見て感心し、地元の漁師さんに話を伺ったものである。
*参考: 徳島の太平洋側の漁船について
*参考: 田井の浜であるくみるきく

それくらい、地域によって海洋文化に違いがあると言う事だ。 いやあ、本当に面白いなあ。
これだから、『あるくみるきく_旅するシーカヤック』はやめられない!

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瀬戸内シーカヤック日記: 島根&鳥取、日本海はしごツーリング(2)_浦富ロックガーデン天国

2009年06月06日 | 旅するシーカヤック
2009年6月5日(金) 朝6時から1時間半ほどのお散歩ツーリングを終え、島根半島の小波海水浴場を後にする。 これから、今回の日本海ツーリングの目的地である、鳥取の浦富海岸に行く予定。
シーカヤックを積んだアテンザワゴンを東へと走らせ、お昼前に浦富海岸に到着した。 うーん、結構遠かったなあ!

この浦富海岸には、冬場に家族でカニを食べにきた事が何度かある。 複雑な海岸線を眺めながら、いつかこの辺りを漕いでみたいと思っていたのだ。
少し東風があるが、海は穏やか。 これから漕ぎ出す浦富の海を眺めながら、途中で買い込んで来たお弁当を食べる。
 
すぐそばにある『荒砂神社』にお参りし、安全を祈願。 なかなか良い雰囲気の神社である。
***
お昼過ぎ、必要最低限の装備だけをセットして、海に漕ぎ出す。
海岸沿いに漕ぎ進むと、小さな島と岩が点在するエリアが見えてきた。 おお、これはなかなか良さそうじゃないか!
 
ここは、狭いエリアに島、岩、洞窟が多く存在する『ロックガーデン』 これまで、日本海でいくつかのロックガーデンを漕いだことがあるが、ここはトップクラスの雰囲気である!
無数の島と岩との間の狭い水路を漕ぎ抜け、シーカヤックだけが入る事が出来る幅の洞窟を漕ぎ抜ける。
 
『穴があったら入りたい』という感じの私の人生を体現するかの如く、ありとあらゆる穴/洞窟を見つけては潜り込み、シーカヤックで漕ぎ抜ける。
その場で漕がないと、なかなかリアルな雰囲気を伝える事は出来ないが、まさにここは『ロックガーデン天国』!
 
夏場なら、シュノーケリングをしながら丸一日楽しめそうな場所であった。
***
1時間ほどこの岩場で遊び、少し風が上がりそうな匂い、というか雰囲気がしてきたので、浜に戻る事にした。 漕ぎ進むごとに、東風が強くなり、少しうねりが出始めている。
約2時間弱のツーリングを終えて浜に戻り、道具を片付けていると、ザワザワと音がして、沖では少し白波も立ちはじめている。 うーん、これは好い時に戻ってきたなあ! まだ気象変化に対する嗅覚は衰えていないようだ。
***
道具を片付け、着替えて、最新の天気予報をチェック。 鳥取の波は、今日は50センチ後1メートル。 土日は1メートルから1.5メートルに上がる予報。
天気もあまり良くなさそうだ。 残念だが、これは。。。

まあ、島根半島の小波も漕いだし、メインの鳥取、浦富海岸ではロックガーデンを堪能した。 気分的には満足感は高い。
今日は山陰でゆっくりと車中泊して、明日家に戻る事にしよう。 妻に電話し、『明日、帰るけえ、よろしく!』

クルマを走らせ、途中の小さな温泉で潮抜きをし、疲れを癒した。 夜は海沿いの駐車場で車中泊。
***
2009年6月6日(土) 今朝も5時過ぎに車中で目覚めた。 今日は天気も良くないし、漕ぐ予定はない。 ゆっくりと朝食の準備をしようか。
今朝は、最近はまっている釜炊きご飯にすることに。 ほかほかつやつやの炊きたてご飯にふりかけ。 インスタントのシジミのみそ汁。 ごはんがおいしいから、特におかずがなくてもこれで充分。 ごちそうさまでした!
 
クルマを走らせ、少し早いお昼ご飯は、山陰からの帰りには必ずと言ってよいほど立ち寄るおそば屋さん、『一福』さんへ。 今日は、『舞茸天付きざる蕎麦の大盛り』で大満足。

車中泊2泊で、島根半島の小波と、鳥取の浦富の”はしごツーリング”を楽しんだ日本海遠征ツアー。 今年初の日本海ツアーでは、澄んだ海、人が少なく静かな雰囲気、そして瀬戸内にはない景色やロックガーデンをたっぷり楽しむことができた。
さすがの風来坊の虫も、この旅には満足したようだ!

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瀬戸内シーカヤック日記: 島根&鳥取、日本海はしごツーリング(1)

2009年06月06日 | 旅するシーカヤック
先週は”日帰りカヤック&フィッシング”で少し息抜きをしたとは言え、2週間も連続して週末を家で過ごすと、さすがに『風来坊の虫』が騒ぎ出す。
『さて、どちらへ行かう 風が吹く(山頭火)』 そっと心の風に耳を傾けてみると、どうやら北寄りの風が吹いているようだ。 そう今の時期、北へと向かう風と言えば、もちろん日本海!
***
2009年6月4日(木) フレックスを利用して、今日の仕事は午前中で切り上げた。 明日、金曜日は有給休暇である。
妻にはいつものように、『まあ、いつ帰るか分からん。 天気と気分次第じゃけん、また電話するわ』と話してある。

会社からロードスターで戻り、シーカヤックをカートップしたアテンザに乗り換えて、北へと向かう。 本命は明日の鳥取、浦富海岸なのだが、さすがに鳥取は遠いので、今日は中継地として、島根の海岸で車中泊の予定。
***
夕方、島根半島の小波海水浴場に到着した。 この『小波海水浴場』には何度も訪れているのだが、何年か前にエクストリームNさんとキャンプツーリングに来た時、88歳のおばあちゃんから話を聞いたことが、強く印象に残っている。
このように、旅先で出会った方々から伺う貴重なお話の一つ一つが私の肥やしとなり、それが次の『あるくみるきく_旅するシーカヤック』での話の切っ掛けとなって、新たなお話を伺うことができる。 まさに、すべての出合いがつながっており、すべては偶然のように見えて、実は必然の出合いであるということを実感している。 本当にありがたいことである。

まだ日没まで時間もあるので、少し集落を散策してみた。
 
狭い路地を抜けると、神社があった。 私の知り合いのシーカヤッカーは、漁師さんと同様、海の神様を敬い、地元の神社にお参りする人が多いように思う。
板子一枚下は地獄というが、まさに天気や波風の影響を大きく受けるシーカヤックの旅では、どうしても神頼みという気持ちが強くなるのである。
 
神社に上る階段から眺めると、この地方に多い赤土の屋根瓦が並んでいる。 良い町並みだなあ。
***
今日、ここを車中泊に選んだのには訳がある。 それは、『スナック日本海』

昔からここの海水浴場からは何度も出艇しており、『スナック日本海』の存在は知っていたのだが、おでん屋さんや居酒屋さんくらいしか行かない私には縁がないと思っていた。
だが、シーカヤック仲間のGoさんから、何年か前にこの浜でキャンプ&ツーリングをしたとき、このスナックに行き、地元の方もいっしょになって楽しい一時を過ごしたとの話を伺い、行ってみようと思い立ったのである。

だが、夜になっても、いつまで待っても、店には灯りが点かない。。。
残念。 もう、営業を止めてしまったのかなあ? 仕方なく、ヘッドランプを点け、夕食を摂り、ビールを飲んで車中泊。
***
2009年6月5日(金) 朝は、いつも通り5時に目が覚めた。 ケータイを取り出し、天気予報をチェック。 島根、鳥取とも、今日は東寄りの風。 天気は曇りで、それほど波は上がらない予報。

まだ朝も早い。 鳥取に行く前に、ここで少し漕いでみようか!
シーカヤックを浜に降ろし、貴重品とレスキュー用品、お茶とパンだけ持って出発した。
 
久し振りの日本海で、朝のお散歩ツーリング。 あいにく空は曇りだが、それでもさすがに透明度が高く、凪の日本海を漕ぎ進むのは気持ちが良い。 この辺りは以前、
エクストリームNさんと漕いだ場所。 あの時は、加賀の潜戸を越えて古浦海水浴場まで漕いだのだが、それまで快適なツーリングだったのが、片句あたりから西風が強烈に強くなり、山のような大きなうねりの中を、緊張しながら漕ぎ抜けたことを思い出す。
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でも今日はべた凪のお散歩ツーリング。 舟屋も残る、島根半島らしい漁村の風景を楽しみながら、のんびりと岸沿いを漕ぎ進む。
 
途中でパンの朝食を済ませ、浜に戻った。 1時間半ほどのツーリング。 ああ、気持ち良かった!

シーカヤックと道具の潮抜きを済ませ、シーカヤックをカートップ。 シートを起こして車内を片付け、車中泊モードから移動モードへ。

さあて、じゃあ浦富海岸に行きますか!

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