2008年8月16日(土) 朝、テントの中で目を覚ました。 今日は、待ちに待った『入船神事』の日である。
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以下、祝島神舞奉賛会パンフレットを参考に記載:
伝承によれば、仁和二年(886年)八月、豊後国伊美郷の人々が、海路下向中に嵐にあい祝島の三浦湾に漂着した。 当時の三浦湾には三軒の民家があり、当時の島民は、厳しい自然環境の中苦しい生活ではあったが、その一行を心からもてなしたのだとか。そして一行はそのお礼に神霊を祀って平安を祈願し、貴重な五穀の種を分与して、農業技術も伝えたとの事。
そして四年に一度、別宮社から二十数名の神職、里楽師を迎え、祝島を斎場に神恩感謝の合同祭事を行うようになり、現在に至っている。
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そう、この祝島に代々伝わる『神舞』のお祭りは、1100年近くに渡って受け継がれている、とても貴重で興味深いお祭りなのだ。
朝9時半過ぎ、地元の方々とともに、今回応援に駆けつけた『瀬戸内カヤック横断隊』の一部メンバーや、その他の応援者が集まって来た。

漕ぎ手は、配られたおそろいのTシャツに、真っ白な鉢巻きを締める。
歴史のあるお祭りに参加させていただくということで、気分は高揚しつつも、大事なお祭りをしっかりと勤め上げようという気持ちもあり、引き締まった気分である。
今日はカメラを妻に預け、漕ぐ事、そしてお祭りを楽しむ事に専念する事にした。
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地元の方が先に乗り込み、島外からの応援者が次に乗り込む。
内田さん、ダイドック原さん、そして私は二隻ある内の、年期の入った方の櫂伝馬に乗り込んだ。 『じゃあよお、カヤッカー3人で並ぼうぜ』と内田親分。
とういことで、私の後ろが内田親分、そして前がダイドックという、なんとも贅沢な並び。 これは漕ぎやすそうだ!
準備が完了すると、艫櫂の方が『ようし、出発じゃあ!』 『おー!』

艫櫂が『エーサーエー』 すると漕ぎ手が『エーサーエー、 ヨヤーサーノサー、 エーサホラエー 、ヨヤーサーノサー』と、高くそして低く、そしてゆっくりと、だが大きな声で、掛け声を出しながら櫂を漕ぐ。
20人の漕ぎ手は最初こそ上手くリズムや動きが合わないが、漕いでいるうちにリズムも次第に合ってくる。 そして、そうなると漕ぐのが気持ち良くなってくるのだ。
『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』 『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』

まだ朝が早いので一般の観客の方は少ないが、大勢の島の方々が、岸壁や防波堤の上から手を振って応援/見送りしていただけるのがとても嬉しい。
『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』
一漕ぎ、一漕ぎ、この伝統あるお祭りに参加させていただく栄誉を噛みしめながら漕いで行く。
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島の西側であり、かつての遭難者が漂着したという三浦湾へ。
ここでは海の上で、早朝から大分に神職や里楽師の方々を迎えに行った船が戻ってくるのを待つのである。
待つ事1時間ほど。 船が戻って来た。
大漁旗を飾った多くの漁船が待ち受けている三浦湾の中で、『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』と櫂伝馬を漕いで、歓迎の意を心から表す。

湾内を何度か回ると、神職さんや里楽師の方々が乗った船は岸壁に着き、上陸。

その後、引き続いて私たちも上陸し、昼食を摂る。
その昔は、ここ三浦湾から少し入った山の中で一泊してから、翌日集落に移動したそうだ。
当時は虫除けや蚊取り線香も無く、厳しい夏の夜を過ごしたとの事。 それも、昔の人の苦労を感じるという意味もあったのだそうだ。
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再び櫂伝馬に乗り込み、港に向けて出発した。
大漁旗で飾り立てた何艘もの漁船を先頭に、二隻の櫂伝馬、そして3隻を横に並べた神様船。 その後ろには再び、大漁旗を立てた多くの漁船が。。。
なんとも壮観である! 『これはすごい』 『さすが、千年を超える祭りの重みを感じますねえ』 『いやあ、これはかっこええのお』
『こんなお祭りで櫂伝馬を漕がせてもらえるなんて、本当に果報者じゃ』 『ほんま、ありがたいことよ』 『それにしても、千年間忘れない恩義って、本当にすごいなあ。 今では考えられない』

港に近付くと、櫂伝馬を漕ぎ出したときとは比べ物にならないほど多くの人が集まっていた。
地元の方々。 祭りを見に来た島外の人々。 TV局のカメラや映画を撮っているチームなどなど。
港に戻ると、一列になった船団は3周するのだが、その間、船団に向かって、岸壁からは大勢の人が手を振り、そして声を掛けて応援して下さる。
漕いでいても、つい目頭が熱くなってくる。 うん、なんてすばらしいお祭りに参加させていただき、櫂伝馬を漕がせていただいているのだろうか。 本当にありがたいことである。
感激して声がだせないでいると、艫櫂から『声が小さいぞー』と叱咤激励。
ようし、それじゃあと大きな声で、『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』 『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』

島の方々に、大分からお出で頂いた神職さんや里楽師の方々に、そして声援を送っていただいている観客の方々に感謝しつつ、一漕ぎ一漕ぎ櫂を漕がせていただいた。
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海上パレードが終わり、櫂伝馬を二隻ならべると、その上に歩み板を渡して神様船に乗った方々が祝島に上陸されるのを手伝う。

雨が降り始めた中、神職さんたちの行列につづいて、『シャギリ隊』が太鼓と三味線を持って海沿いの道を練り歩き、入船神事は無事終わった。
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祝島のこの神舞は、本当にすばらしい。
観客として、岸壁から神様船や櫂伝馬を連ねた船団の海上パレードを見るのも壮観だとは思うが、実際に櫂伝馬に乗り込み、声を合わせて櫂を漕ぎ、三浦湾で神様船を真近でお出迎えするのは、それにも増して素晴らしい経験であることを実感した。
千年以上続いているという、祝島の神舞! なんとすばらしい海洋文化なのだろうか。
『瀬戸内海洋文化の復興、創造、そして継承』 瀬戸内カヤック横断隊のテーマに、まさにぴったりとはまる、貴重な伝統文化であった。