2008年8月31日(日) 2008年8月最後の日曜日は快晴。 この週末は、土曜日に妻と映画『20世紀少年』を見に行く事になっていたので、空いているのは日曜日のみ。 久し振りに、地元の日帰りツーリングコースに行ってみることにしよう。
***
『旅するシーカヤック』では、キャンプ泊や民宿泊などを含む”泊付きツーリング”を基本としているのだが、天候や家の予定により、一日しか出られない週末ももちろんある。 そのような時は、地元にあるお気に入りの日帰りツーリングコースに出掛ける事にしている。
日帰りツーリングコースは、約16年前にカヤックを始めた頃に漕ぎに行っていた場所がほとんど。
漕げる距離も限られており、キャンプするにも適した浜は無いが(無理にテントを張れなくはないがあまり快適ではない)、海もきれいで景色がよく、のんびりまったり過ごすには良いコース。
また子供達がある程度大きくなった後は、タンデム艇2艇を出してのツーリングや、誰も居ない浜に上陸して銛で魚を突き、家族でプライベートビーチっぽい海水浴を楽しんだ場所でもある。
そんな場所だから、年に何度かの日帰りツーリングの時には、懐かしさを楽しみながら初心に戻って『海を歩く』楽しさを満喫することができるのである。
***
家を出てから1時間弱。 出艇地点に到着。
シーカヤックを浜に降ろし、少ない荷物を運んで準備していると、散歩していた地元のおじさん達3人が立ち止まって見ている。
『おはようございます』 『おはよう。 これはシーカヤックか。 今日はどこまで行くん』
『ええ、シーカヤックです。 いつもはテントや寝袋も積んで島に渡ってキャンプするんですが、今日は日帰りなんでそこら辺をちょっと散歩してくるだけです』
『ほお、こりゃあなんぼぐらいするもんかいね』 『意外と高いんですよー! 50万くらい』
『でもええのお、こりゃあ油も要らんし。 人間が漕ぐだけじゃ』 『そう。 でもね、燃料はビールなんです。 油より高いかもしれんですよ』と、笑いながら私。
するとおじさんも、『ホホー。 そうか、ビールが燃料か! ハッハッハ』と笑い。 『でも、残念ながら今日は日帰りなんで、ビールは積んどらんのですけどね。 キャンプなら漕いで飲んで、ほんまに楽しいですよ』
***
『じゃあ、行ってきます!』 『気をつけての』 おじさんたちに見送られながら、沖へと向かう。
今日は晴れてはいるが、少し風が強い。 久し振りにラダーを降ろし、沖へと向かう。
16年前と変わらぬ景色を楽しみつつ、ゆっくりとシーカヤックで海を歩いて行く。
かつては、フジタカヌーの『SG-1』や、アクアテラの『スペクトラム』で漕いでいたことを懐かしく思い出す。 あの頃は、少し離れた島に独りで行くのは不安ではあったが、慎重に少しずつ距離を伸ばし、時々怖い目にも遭いながら経験を積んで行った。
未熟な経験と長距離を漕ぐには適していないカヤックで島に渡り、帰りには荒れてきて後悔しながら漕ぐ事もあったが、それでも海に出る事が楽しくて楽しくて仕方がなかったなあ。
大回りをして1時間ほどのパドリングを楽しみ、お気に入りの浜に上陸した。
***
今日の楽しみの一つは、久し振りに持ち出して来たガソリンストーブ、『スベア123』
最近は、手軽なアルコール燃料が使え風にも強い、トランギアの『ストームクッカー』を使う事が多いのだが、日帰りツーリングの楽しみを増すため、懐かしいガソリンストーブを持参した。
スベア123に点火するには儀式が必要だ。 プレヒートの仕方には人それぞれの流儀があるそうだが、私の場合は簡単なスポイト派。
風防を外し、タンクの蓋を開け、プレヒート用に購入した小さなスポイトで極少量のホワイトガソリンを吸い出す。
タンクを絞め、風防を取り付け、ノズルの付け根の凹みを満たすようにスポイトのホワイトガソリンを垂らす。
そのホワイトガソリンにマッチで点火し、ノズルとタンクが加熱され、タンク内のガソリンが加圧されたころを見計らってコックを少し空けて点火する。
『シュッシュッ』 『ボッボッボッ』 はじめは弱々しかった音と炎が次第に強くなり、『ボーッ、ボーッ』から『バーッ、ゴーッ』 これでOKである。
これまた20年近く使って来た、薄いアルミ製のボコボコになったコッフェルでお湯を沸かし、紅茶を入れる。
***
きれいな海を眺めながら、シェラカップの紅茶を飲む。 背中には、夏の日差しがジンジン、ジリジリと照りつける。
風はあるが次第に暑くなって来た。 Tシャツを脱ぎ、海に浸かる。 海水温はちょうど良い。
昨日までの雨で少し濁ってはいるが、ここはクラゲも少なく、海水浴を楽しむには好い場所である。
***
昼前。 『そろそろ帰るとするか』
このあたりは、私が知っている瀬戸内の景色の中でも、もっとも好きな海岸線の一つである。
まるで箱庭のような、島が多くて自然海岸が続く、いわゆる瀬戸内らしい景色が堪能できる場所。 スケールこそ小さいものの、海蝕洞まであるのだ。
出発してから約3時間。 無事、浜に戻って来た。 懐かしい日帰りコースをたっぷりと楽しみ、なかなか良い週末であった。
こんな景色の良い場所でシーカヤックを始めたから、のめり込んでしまったのかも知れないなあ。
明日から9月。 海水浴シーズンも終わり、ようやく本格的なシーカヤックシーズンが戻ってきた!
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『旅するシーカヤック』では、キャンプ泊や民宿泊などを含む”泊付きツーリング”を基本としているのだが、天候や家の予定により、一日しか出られない週末ももちろんある。 そのような時は、地元にあるお気に入りの日帰りツーリングコースに出掛ける事にしている。
日帰りツーリングコースは、約16年前にカヤックを始めた頃に漕ぎに行っていた場所がほとんど。
漕げる距離も限られており、キャンプするにも適した浜は無いが(無理にテントを張れなくはないがあまり快適ではない)、海もきれいで景色がよく、のんびりまったり過ごすには良いコース。
また子供達がある程度大きくなった後は、タンデム艇2艇を出してのツーリングや、誰も居ない浜に上陸して銛で魚を突き、家族でプライベートビーチっぽい海水浴を楽しんだ場所でもある。
そんな場所だから、年に何度かの日帰りツーリングの時には、懐かしさを楽しみながら初心に戻って『海を歩く』楽しさを満喫することができるのである。
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家を出てから1時間弱。 出艇地点に到着。
シーカヤックを浜に降ろし、少ない荷物を運んで準備していると、散歩していた地元のおじさん達3人が立ち止まって見ている。
『おはようございます』 『おはよう。 これはシーカヤックか。 今日はどこまで行くん』
『ええ、シーカヤックです。 いつもはテントや寝袋も積んで島に渡ってキャンプするんですが、今日は日帰りなんでそこら辺をちょっと散歩してくるだけです』
『ほお、こりゃあなんぼぐらいするもんかいね』 『意外と高いんですよー! 50万くらい』
『でもええのお、こりゃあ油も要らんし。 人間が漕ぐだけじゃ』 『そう。 でもね、燃料はビールなんです。 油より高いかもしれんですよ』と、笑いながら私。
するとおじさんも、『ホホー。 そうか、ビールが燃料か! ハッハッハ』と笑い。 『でも、残念ながら今日は日帰りなんで、ビールは積んどらんのですけどね。 キャンプなら漕いで飲んで、ほんまに楽しいですよ』
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『じゃあ、行ってきます!』 『気をつけての』 おじさんたちに見送られながら、沖へと向かう。
今日は晴れてはいるが、少し風が強い。 久し振りにラダーを降ろし、沖へと向かう。
16年前と変わらぬ景色を楽しみつつ、ゆっくりとシーカヤックで海を歩いて行く。
かつては、フジタカヌーの『SG-1』や、アクアテラの『スペクトラム』で漕いでいたことを懐かしく思い出す。 あの頃は、少し離れた島に独りで行くのは不安ではあったが、慎重に少しずつ距離を伸ばし、時々怖い目にも遭いながら経験を積んで行った。
未熟な経験と長距離を漕ぐには適していないカヤックで島に渡り、帰りには荒れてきて後悔しながら漕ぐ事もあったが、それでも海に出る事が楽しくて楽しくて仕方がなかったなあ。
大回りをして1時間ほどのパドリングを楽しみ、お気に入りの浜に上陸した。
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今日の楽しみの一つは、久し振りに持ち出して来たガソリンストーブ、『スベア123』
最近は、手軽なアルコール燃料が使え風にも強い、トランギアの『ストームクッカー』を使う事が多いのだが、日帰りツーリングの楽しみを増すため、懐かしいガソリンストーブを持参した。
スベア123に点火するには儀式が必要だ。 プレヒートの仕方には人それぞれの流儀があるそうだが、私の場合は簡単なスポイト派。
風防を外し、タンクの蓋を開け、プレヒート用に購入した小さなスポイトで極少量のホワイトガソリンを吸い出す。
タンクを絞め、風防を取り付け、ノズルの付け根の凹みを満たすようにスポイトのホワイトガソリンを垂らす。
そのホワイトガソリンにマッチで点火し、ノズルとタンクが加熱され、タンク内のガソリンが加圧されたころを見計らってコックを少し空けて点火する。
『シュッシュッ』 『ボッボッボッ』 はじめは弱々しかった音と炎が次第に強くなり、『ボーッ、ボーッ』から『バーッ、ゴーッ』 これでOKである。
これまた20年近く使って来た、薄いアルミ製のボコボコになったコッフェルでお湯を沸かし、紅茶を入れる。
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きれいな海を眺めながら、シェラカップの紅茶を飲む。 背中には、夏の日差しがジンジン、ジリジリと照りつける。
風はあるが次第に暑くなって来た。 Tシャツを脱ぎ、海に浸かる。 海水温はちょうど良い。
昨日までの雨で少し濁ってはいるが、ここはクラゲも少なく、海水浴を楽しむには好い場所である。
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昼前。 『そろそろ帰るとするか』
このあたりは、私が知っている瀬戸内の景色の中でも、もっとも好きな海岸線の一つである。
まるで箱庭のような、島が多くて自然海岸が続く、いわゆる瀬戸内らしい景色が堪能できる場所。 スケールこそ小さいものの、海蝕洞まであるのだ。
出発してから約3時間。 無事、浜に戻って来た。 懐かしい日帰りコースをたっぷりと楽しみ、なかなか良い週末であった。
こんな景色の良い場所でシーカヤックを始めたから、のめり込んでしまったのかも知れないなあ。
明日から9月。 海水浴シーズンも終わり、ようやく本格的なシーカヤックシーズンが戻ってきた!
2008年8月23日(土) 明け方。 まだ暗いなか目をさますと、外では『ザーッ』『ゴロゴロゴロ』『ザザザーッ』と、雷と強い雨の音。 『今日は中止かな。。。 残念だ』 再び目を閉じて眠りにつく。
6時半。 今度はしっかりと目を覚まし、起き上がる。 外はまだ少し暗いが、雨は上がったようである。
『うん、よかった。 今日を楽しみにしていたんだ』
***
シーカヤックをカートップし、パドルとPDFを3組、そしてレスキュー用のロープやカラビナなどもパッキング。
浜から漕ぎ出し、島へと向かった。
約束の時間より少し早めに到着。 今日は、『先月の”海の日”に実施した、カヌー教室』の第二回目である。
***
浜にはすでに2艇のカヌーが運んであり、しばらくすると寮長さんが来られた。 挨拶を交わし、しばし歓談。
『それにしてもここは静かで景色が良いですねえ』と私。 すると寮長さんは、『私らはいつも見ているから、なかなか良さが分からないんですよね』
『そうですよねえ。 私も十年前は、沖縄の海の方が瀬戸内より良いと感じられて、毎年のように沖縄に漕ぎに通っていた時期がありました』 『そして2000年頃、横浜に単身赴任で行って、三浦半島や伊豆、外房などで漕いで遊び、広島に戻って来たんです』 『その時ですね、瀬戸内ってなんてシーカヤッカーにとって恵まれた場所なんだろうと実感し、島を巡るようになったんです』
地元にずっといると、何もかもが当たり前に感じられるのである。 例えば、因島や生名島の『おせったい』も、地元の人にとっては珍しくもない行事だというが、私から見ると貴重な瀬戸内の文化である。
一度外に出てみることで、初めて見えてくる地元の良さというのは、実際にあるのだ。
***
しばらく話をしていると、残りのカヌーと子供達を積んだクルマがやって来た!
カヌーを浜に降ろし、道具を準備し、みんなで挨拶をして、カヌー教室をスタート。 明け方までの雨が嘘のように空は晴れ、風もなく穏やかな絶好のカヌー教室日和である。
最初に、シーカヤックの構造や、旅の道具、レスキュー道具について話す。
旅の途中でパドルが折れた経験を話し、スペアパドルの大切さを説明する。 『警察は110番、消防は119番、じゃあ、海では何番かな?』 『そう、良く知っているねえ。 海では118番』
『これは何か分かる人?』と、パドルフロートを持って聞いてみるが、誰も知らないようだ。 『じゃあ、ちょっとやってみよう。 海でカヌーがひっくり返ったらどうやって起き上がって乗り込めばいい?』
海に入り、パドルフロートを使ったリエントリーのデモンストレーション。 『こうやって、こうやればカヌーに乗り込めます』 『海を旅するには、こんな風に、いろんな道具が必要なんだよ』
***
『じゃあ、漕いでみようか!』 『私が前回のように沖で安全を確保しますから、先生方は交代でタンデム艇の後ろに乗って、陸の先生は海側をよく見ていて下さい。 何かあったら声を出して下さいね』
これまで漕いだ事がある子供達も多く、慣れた様子でパドリングを楽しんでいる。 小さい子供の中には、パドルの裏表が逆で漕いでいる子も居るが、それでも一生懸命漕いでしっかりと進んでいる。
『みんな上手いなあ』 『うん、いいね。 もう少し低めで漕いでみようか』
子供が、『どうやったら曲がるんですか?』 『どっちに曲がりたいの? そう、なら右だけを漕いでごらん。 そうそう』
子供も先生も交代でカヌーに乗り、島のきれいな海を楽しんでいる。 その嬉しそうな姿を見ていると、私も幸せになってくるのである。
『そのパドルってどんなん?』 私のアークティックウインドに興味津々。 『これか、これは漕ぐのが難しいぞお。 使ってみるか?』 『うん』
しばらく漕いでいたが、『やっぱり前のがいい』 『そうじゃろお。 これは大人のパドルじゃけん』
子供達は漕ぎ、浜に戻って交代して休憩し、海で遊び、再び漕ぐ。 私は沖に出たまま子供達を見守り、話し、そして一緒に笑う。
1時間半後、『そろそろ終わりにしましょう』と寮長さん。 『ようし、みんな浜に戻るぞー!』
***
そのまま帰ろうとしたのだが、先生からお昼ご飯を一緒にと勧められ、お言葉に甘えることに。
子供達と一緒にシャワーを浴び、食堂へ。 一緒に食事をしながら子供達と話しをする。
『きょうはどうやった?』 『うん、楽しかったよ』 良かった! 来た甲斐があったなあ。
あと、子供達に人気があったのが、私のトレードマークとも言える『黄色いペリケース』
『これ何?』 『こんなか、何が入っとるん?』 『このボタンみたいなん何?』 『これ、どうやって開けるん?』などなど。
このペリケースは、韓国でも同じエレベータに乗った韓国のお姉さんにも『好いバッグねえ』と言われたし、島で買い物する時、よくレジのおばちゃんに『その黄色い箱から何が出てくるん』と話しかけられる。 このペリケースは、結構話しの切っ掛けになるのだ。
話しをしていると、私の前に座った子供が、鼻の穴を動かして見せてくれた。 すると私は、『これ見て』と、耳と鼻の穴を同時にピクピクと同時に動かしてみせる。
『おー、すげえ。 おい、見てみ。 耳と鼻が動きよる』 そう、この芸は、小さな子供には意外と受けるのである。
子供達よりも真っ黒に日焼けした、坊主頭のおやじが耳と鼻をピクピクと動かし見せる。 隣に座った女の子も、下を向いて笑いをこらえている。
***
楽しい食事が終わり、『ごちそうさまでした』
食後は、先生や寮長さんと、しばし四方山話。 シーカヤックの話や、これまでの島旅の話などなど。
『今度は、子供達に旅の話しをしてくれませんか。 プロジェクターもありますし』 『私でよければぜひ』
静かで美しい地元の海で、知り合いになった子供達との、楽しいカヌー体験教室。 しみじみと良い一日であった。
みんな、ありがとう。
6時半。 今度はしっかりと目を覚まし、起き上がる。 外はまだ少し暗いが、雨は上がったようである。
『うん、よかった。 今日を楽しみにしていたんだ』
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シーカヤックをカートップし、パドルとPDFを3組、そしてレスキュー用のロープやカラビナなどもパッキング。
浜から漕ぎ出し、島へと向かった。
約束の時間より少し早めに到着。 今日は、『先月の”海の日”に実施した、カヌー教室』の第二回目である。
***
浜にはすでに2艇のカヌーが運んであり、しばらくすると寮長さんが来られた。 挨拶を交わし、しばし歓談。
『それにしてもここは静かで景色が良いですねえ』と私。 すると寮長さんは、『私らはいつも見ているから、なかなか良さが分からないんですよね』
『そうですよねえ。 私も十年前は、沖縄の海の方が瀬戸内より良いと感じられて、毎年のように沖縄に漕ぎに通っていた時期がありました』 『そして2000年頃、横浜に単身赴任で行って、三浦半島や伊豆、外房などで漕いで遊び、広島に戻って来たんです』 『その時ですね、瀬戸内ってなんてシーカヤッカーにとって恵まれた場所なんだろうと実感し、島を巡るようになったんです』
地元にずっといると、何もかもが当たり前に感じられるのである。 例えば、因島や生名島の『おせったい』も、地元の人にとっては珍しくもない行事だというが、私から見ると貴重な瀬戸内の文化である。
一度外に出てみることで、初めて見えてくる地元の良さというのは、実際にあるのだ。
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しばらく話をしていると、残りのカヌーと子供達を積んだクルマがやって来た!
カヌーを浜に降ろし、道具を準備し、みんなで挨拶をして、カヌー教室をスタート。 明け方までの雨が嘘のように空は晴れ、風もなく穏やかな絶好のカヌー教室日和である。
最初に、シーカヤックの構造や、旅の道具、レスキュー道具について話す。
旅の途中でパドルが折れた経験を話し、スペアパドルの大切さを説明する。 『警察は110番、消防は119番、じゃあ、海では何番かな?』 『そう、良く知っているねえ。 海では118番』
『これは何か分かる人?』と、パドルフロートを持って聞いてみるが、誰も知らないようだ。 『じゃあ、ちょっとやってみよう。 海でカヌーがひっくり返ったらどうやって起き上がって乗り込めばいい?』
海に入り、パドルフロートを使ったリエントリーのデモンストレーション。 『こうやって、こうやればカヌーに乗り込めます』 『海を旅するには、こんな風に、いろんな道具が必要なんだよ』
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『じゃあ、漕いでみようか!』 『私が前回のように沖で安全を確保しますから、先生方は交代でタンデム艇の後ろに乗って、陸の先生は海側をよく見ていて下さい。 何かあったら声を出して下さいね』
これまで漕いだ事がある子供達も多く、慣れた様子でパドリングを楽しんでいる。 小さい子供の中には、パドルの裏表が逆で漕いでいる子も居るが、それでも一生懸命漕いでしっかりと進んでいる。
『みんな上手いなあ』 『うん、いいね。 もう少し低めで漕いでみようか』
子供が、『どうやったら曲がるんですか?』 『どっちに曲がりたいの? そう、なら右だけを漕いでごらん。 そうそう』
子供も先生も交代でカヌーに乗り、島のきれいな海を楽しんでいる。 その嬉しそうな姿を見ていると、私も幸せになってくるのである。
『そのパドルってどんなん?』 私のアークティックウインドに興味津々。 『これか、これは漕ぐのが難しいぞお。 使ってみるか?』 『うん』
しばらく漕いでいたが、『やっぱり前のがいい』 『そうじゃろお。 これは大人のパドルじゃけん』
子供達は漕ぎ、浜に戻って交代して休憩し、海で遊び、再び漕ぐ。 私は沖に出たまま子供達を見守り、話し、そして一緒に笑う。
1時間半後、『そろそろ終わりにしましょう』と寮長さん。 『ようし、みんな浜に戻るぞー!』
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そのまま帰ろうとしたのだが、先生からお昼ご飯を一緒にと勧められ、お言葉に甘えることに。
子供達と一緒にシャワーを浴び、食堂へ。 一緒に食事をしながら子供達と話しをする。
『きょうはどうやった?』 『うん、楽しかったよ』 良かった! 来た甲斐があったなあ。
あと、子供達に人気があったのが、私のトレードマークとも言える『黄色いペリケース』
『これ何?』 『こんなか、何が入っとるん?』 『このボタンみたいなん何?』 『これ、どうやって開けるん?』などなど。
このペリケースは、韓国でも同じエレベータに乗った韓国のお姉さんにも『好いバッグねえ』と言われたし、島で買い物する時、よくレジのおばちゃんに『その黄色い箱から何が出てくるん』と話しかけられる。 このペリケースは、結構話しの切っ掛けになるのだ。
話しをしていると、私の前に座った子供が、鼻の穴を動かして見せてくれた。 すると私は、『これ見て』と、耳と鼻の穴を同時にピクピクと同時に動かしてみせる。
『おー、すげえ。 おい、見てみ。 耳と鼻が動きよる』 そう、この芸は、小さな子供には意外と受けるのである。
子供達よりも真っ黒に日焼けした、坊主頭のおやじが耳と鼻をピクピクと動かし見せる。 隣に座った女の子も、下を向いて笑いをこらえている。
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楽しい食事が終わり、『ごちそうさまでした』
食後は、先生や寮長さんと、しばし四方山話。 シーカヤックの話や、これまでの島旅の話などなど。
『今度は、子供達に旅の話しをしてくれませんか。 プロジェクターもありますし』 『私でよければぜひ』
静かで美しい地元の海で、知り合いになった子供達との、楽しいカヌー体験教室。 しみじみと良い一日であった。
みんな、ありがとう。
2008年8月20日(水) 夜中の3時前に起床。 ロードスターに乗り込むといつものようにラッチを外して幌を降ろし、エンジンをかける。
サイドブレーキを解除し、やさしくギアを入れ、アクセルを軽く踏み込みながらクラッチを合わせてゆっくりと走り出す。
『西へ!』 そう、今日は祝島で行われている神舞の締めである、『出船神事』が執り行われる日。
仕事の都合で残念ながら19日も21日も休みが取れなかったので、有給休暇は今日一日のみ。 朝6時に室津港を出航する始発便で祝島に渡り、最終便で戻る予定。
タイトなスケジュールだが、神舞に参加させていただき、その上櫂伝馬を漕がせていただけるという喜びで、日帰りの長距離移動も苦にならない。
***
室津港6時発の始発便には、今回も多くの知り合いが乗り込んでいた。
一日に3便しか定期船が無いため、祝島に着いてもまだたっぷりと時間がある。 カヤック仲間達と神舞小屋の下に陣取り、四方山話をしながら朝食を摂る。
その後も、次々と出会う知人達と、のんびりまったり島時間に浸っていると、『神楽』の時間がやってきた。
再び、神舞小屋へ。
↑ 今日は西寄りの風が強く、大きな吹き流しが真横になってなびいている。
↑ 神舞の由来である、助けた遭難者からもらった貴重な五穀の種を象徴し、五穀で作られた額。
この神舞に奉納される神楽は、大分の伊美の特定の家で代々伝えられているのだそうだ。 毎年地元で舞う機会があるとはいえ、主な目的はこの祝島で4年に一度行われるこの神舞の舞台で舞う事だという。
千年以上前に受けた恩に報いるために、代々一つの家で神楽を伝え、4年に一度祝島まで渡って来て4日間の間神楽を奉納する。 また祝島の人々は、この神舞の準備に数ヶ月を掛け、伊美から渡って来られた方々を、島に滞在する数日間歓待する。
なんとすばらしい伝統文化であろうか。 このような貴重なお祭りに、ほんの僅かでも関わることができた事を、本当にうれしく思う。
***
神楽が終わると、漕ぎ手は櫂伝馬へ。
強風の中旗を立て、出発の準備。
櫂伝馬が初めてという漕ぎ手も少なからず居り、強風の中の出発は、なかなかスリリングであった。 が、無事港の周囲を何度か巡り、慣らしは完了。
***
多くの見送りの人々が待ち受ける港の雁木に櫂伝馬を着ける。 私のお気に入りとなった『シャギリ隊』も、太鼓と笛、そして三味線で賑やかにお見送り。 いいなあ、シャギリ隊!
入船の時のように櫂伝馬を二艘並べ、そこの歩み板を渡して漕ぎ手が支える。 その歩み板を通り、神職の方々や里楽師の方々が、神様船に乗り込んで行かれる。
『ご苦労様でした』、『ありがとうございました』、『またよろしくお願いします』といった声が、あちらこちらからあがる。 16日に到着してから数日間続いた祭りも終わりの時がきた。
櫂伝馬を漕ぎ出し、神様船を曵いて港の周りを漕ぎ進む。 岸壁、防波堤の上で見送る大勢の人の歓声とお別れの挨拶が飛び交う。
海上パレードが終わると、伊美に帰る方々を乗せた、大分からのチャーター船が出航。
櫂伝馬も、これを追うように漕ぎ、お別れの挨拶。 最後は櫂伝馬からも手を振り、『ありがとう』で締めくくった。
千年前から続き、今でも4年ごとに受け入れる側は手間ひま掛けて準備をし、訪問する側も神楽を代々受け継いで、祭りの時には5日間滞在して神楽を奉納する。 これはいったい。。。
なんとすばらしいお祭りなのだろうか。 感無量である。
***
櫂伝馬を着け、舟を後にする。
神舞小屋の下でお弁当とお茶を受け取り、遅めの昼ご飯。
ビールを飲まず、お茶を飲んでいる私を見て地元の方が、『うん? 今日はクルマ?』
なによりビールが好きな私は、『はい、ビールすごく飲みたいんですけどねえ。 明日仕事なんで帰らないといかんのです』 『そう、またゆっくりきんさい』
『ありがとうございます。 またゆっくり来させてもらいます。 それにしても本当に好いお祭りですね。 入船神事で漕がせてもらった時は、感激して泣きそうになりましたよ』 『そうか。 また飲ろうや』
今まで知らなかった島の方々とも顔見知りになり、受け入れていただけたようである。 ありがとうございました!
『あるくみるきく_旅するシーカヤック』 神舞に参加させていただき、今年の夏はすばらしいお盆休みとなった。
サイドブレーキを解除し、やさしくギアを入れ、アクセルを軽く踏み込みながらクラッチを合わせてゆっくりと走り出す。
『西へ!』 そう、今日は祝島で行われている神舞の締めである、『出船神事』が執り行われる日。
仕事の都合で残念ながら19日も21日も休みが取れなかったので、有給休暇は今日一日のみ。 朝6時に室津港を出航する始発便で祝島に渡り、最終便で戻る予定。
タイトなスケジュールだが、神舞に参加させていただき、その上櫂伝馬を漕がせていただけるという喜びで、日帰りの長距離移動も苦にならない。
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室津港6時発の始発便には、今回も多くの知り合いが乗り込んでいた。
一日に3便しか定期船が無いため、祝島に着いてもまだたっぷりと時間がある。 カヤック仲間達と神舞小屋の下に陣取り、四方山話をしながら朝食を摂る。
その後も、次々と出会う知人達と、のんびりまったり島時間に浸っていると、『神楽』の時間がやってきた。
再び、神舞小屋へ。
↑ 今日は西寄りの風が強く、大きな吹き流しが真横になってなびいている。
↑ 神舞の由来である、助けた遭難者からもらった貴重な五穀の種を象徴し、五穀で作られた額。
この神舞に奉納される神楽は、大分の伊美の特定の家で代々伝えられているのだそうだ。 毎年地元で舞う機会があるとはいえ、主な目的はこの祝島で4年に一度行われるこの神舞の舞台で舞う事だという。
千年以上前に受けた恩に報いるために、代々一つの家で神楽を伝え、4年に一度祝島まで渡って来て4日間の間神楽を奉納する。 また祝島の人々は、この神舞の準備に数ヶ月を掛け、伊美から渡って来られた方々を、島に滞在する数日間歓待する。
なんとすばらしい伝統文化であろうか。 このような貴重なお祭りに、ほんの僅かでも関わることができた事を、本当にうれしく思う。
***
神楽が終わると、漕ぎ手は櫂伝馬へ。
強風の中旗を立て、出発の準備。
櫂伝馬が初めてという漕ぎ手も少なからず居り、強風の中の出発は、なかなかスリリングであった。 が、無事港の周囲を何度か巡り、慣らしは完了。
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多くの見送りの人々が待ち受ける港の雁木に櫂伝馬を着ける。 私のお気に入りとなった『シャギリ隊』も、太鼓と笛、そして三味線で賑やかにお見送り。 いいなあ、シャギリ隊!
入船の時のように櫂伝馬を二艘並べ、そこの歩み板を渡して漕ぎ手が支える。 その歩み板を通り、神職の方々や里楽師の方々が、神様船に乗り込んで行かれる。
『ご苦労様でした』、『ありがとうございました』、『またよろしくお願いします』といった声が、あちらこちらからあがる。 16日に到着してから数日間続いた祭りも終わりの時がきた。
櫂伝馬を漕ぎ出し、神様船を曵いて港の周りを漕ぎ進む。 岸壁、防波堤の上で見送る大勢の人の歓声とお別れの挨拶が飛び交う。
海上パレードが終わると、伊美に帰る方々を乗せた、大分からのチャーター船が出航。
櫂伝馬も、これを追うように漕ぎ、お別れの挨拶。 最後は櫂伝馬からも手を振り、『ありがとう』で締めくくった。
千年前から続き、今でも4年ごとに受け入れる側は手間ひま掛けて準備をし、訪問する側も神楽を代々受け継いで、祭りの時には5日間滞在して神楽を奉納する。 これはいったい。。。
なんとすばらしいお祭りなのだろうか。 感無量である。
***
櫂伝馬を着け、舟を後にする。
神舞小屋の下でお弁当とお茶を受け取り、遅めの昼ご飯。
ビールを飲まず、お茶を飲んでいる私を見て地元の方が、『うん? 今日はクルマ?』
なによりビールが好きな私は、『はい、ビールすごく飲みたいんですけどねえ。 明日仕事なんで帰らないといかんのです』 『そう、またゆっくりきんさい』
『ありがとうございます。 またゆっくり来させてもらいます。 それにしても本当に好いお祭りですね。 入船神事で漕がせてもらった時は、感激して泣きそうになりましたよ』 『そうか。 また飲ろうや』
今まで知らなかった島の方々とも顔見知りになり、受け入れていただけたようである。 ありがとうございました!
『あるくみるきく_旅するシーカヤック』 神舞に参加させていただき、今年の夏はすばらしいお盆休みとなった。
2008年8月16日(土) 朝、テントの中で目を覚ました。 今日は、待ちに待った『入船神事』の日である。
***
以下、祝島神舞奉賛会パンフレットを参考に記載:
伝承によれば、仁和二年(886年)八月、豊後国伊美郷の人々が、海路下向中に嵐にあい祝島の三浦湾に漂着した。 当時の三浦湾には三軒の民家があり、当時の島民は、厳しい自然環境の中苦しい生活ではあったが、その一行を心からもてなしたのだとか。そして一行はそのお礼に神霊を祀って平安を祈願し、貴重な五穀の種を分与して、農業技術も伝えたとの事。
そして四年に一度、別宮社から二十数名の神職、里楽師を迎え、祝島を斎場に神恩感謝の合同祭事を行うようになり、現在に至っている。
***
そう、この祝島に代々伝わる『神舞』のお祭りは、1100年近くに渡って受け継がれている、とても貴重で興味深いお祭りなのだ。
朝9時半過ぎ、地元の方々とともに、今回応援に駆けつけた『瀬戸内カヤック横断隊』の一部メンバーや、その他の応援者が集まって来た。
漕ぎ手は、配られたおそろいのTシャツに、真っ白な鉢巻きを締める。
歴史のあるお祭りに参加させていただくということで、気分は高揚しつつも、大事なお祭りをしっかりと勤め上げようという気持ちもあり、引き締まった気分である。
今日はカメラを妻に預け、漕ぐ事、そしてお祭りを楽しむ事に専念する事にした。
***
地元の方が先に乗り込み、島外からの応援者が次に乗り込む。
内田さん、ダイドック原さん、そして私は二隻ある内の、年期の入った方の櫂伝馬に乗り込んだ。 『じゃあよお、カヤッカー3人で並ぼうぜ』と内田親分。
とういことで、私の後ろが内田親分、そして前がダイドックという、なんとも贅沢な並び。 これは漕ぎやすそうだ!
準備が完了すると、艫櫂の方が『ようし、出発じゃあ!』 『おー!』
艫櫂が『エーサーエー』 すると漕ぎ手が『エーサーエー、 ヨヤーサーノサー、 エーサホラエー 、ヨヤーサーノサー』と、高くそして低く、そしてゆっくりと、だが大きな声で、掛け声を出しながら櫂を漕ぐ。
20人の漕ぎ手は最初こそ上手くリズムや動きが合わないが、漕いでいるうちにリズムも次第に合ってくる。 そして、そうなると漕ぐのが気持ち良くなってくるのだ。
『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』 『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』
まだ朝が早いので一般の観客の方は少ないが、大勢の島の方々が、岸壁や防波堤の上から手を振って応援/見送りしていただけるのがとても嬉しい。
『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』
一漕ぎ、一漕ぎ、この伝統あるお祭りに参加させていただく栄誉を噛みしめながら漕いで行く。
***
島の西側であり、かつての遭難者が漂着したという三浦湾へ。
ここでは海の上で、早朝から大分に神職や里楽師の方々を迎えに行った船が戻ってくるのを待つのである。
待つ事1時間ほど。 船が戻って来た。
大漁旗を飾った多くの漁船が待ち受けている三浦湾の中で、『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』と櫂伝馬を漕いで、歓迎の意を心から表す。
湾内を何度か回ると、神職さんや里楽師の方々が乗った船は岸壁に着き、上陸。
その後、引き続いて私たちも上陸し、昼食を摂る。
その昔は、ここ三浦湾から少し入った山の中で一泊してから、翌日集落に移動したそうだ。
当時は虫除けや蚊取り線香も無く、厳しい夏の夜を過ごしたとの事。 それも、昔の人の苦労を感じるという意味もあったのだそうだ。
***
再び櫂伝馬に乗り込み、港に向けて出発した。
大漁旗で飾り立てた何艘もの漁船を先頭に、二隻の櫂伝馬、そして3隻を横に並べた神様船。 その後ろには再び、大漁旗を立てた多くの漁船が。。。
なんとも壮観である! 『これはすごい』 『さすが、千年を超える祭りの重みを感じますねえ』 『いやあ、これはかっこええのお』
『こんなお祭りで櫂伝馬を漕がせてもらえるなんて、本当に果報者じゃ』 『ほんま、ありがたいことよ』 『それにしても、千年間忘れない恩義って、本当にすごいなあ。 今では考えられない』
港に近付くと、櫂伝馬を漕ぎ出したときとは比べ物にならないほど多くの人が集まっていた。
地元の方々。 祭りを見に来た島外の人々。 TV局のカメラや映画を撮っているチームなどなど。
港に戻ると、一列になった船団は3周するのだが、その間、船団に向かって、岸壁からは大勢の人が手を振り、そして声を掛けて応援して下さる。
漕いでいても、つい目頭が熱くなってくる。 うん、なんてすばらしいお祭りに参加させていただき、櫂伝馬を漕がせていただいているのだろうか。 本当にありがたいことである。
感激して声がだせないでいると、艫櫂から『声が小さいぞー』と叱咤激励。
ようし、それじゃあと大きな声で、『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』 『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』
島の方々に、大分からお出で頂いた神職さんや里楽師の方々に、そして声援を送っていただいている観客の方々に感謝しつつ、一漕ぎ一漕ぎ櫂を漕がせていただいた。
***
海上パレードが終わり、櫂伝馬を二隻ならべると、その上に歩み板を渡して神様船に乗った方々が祝島に上陸されるのを手伝う。
雨が降り始めた中、神職さんたちの行列につづいて、『シャギリ隊』が太鼓と三味線を持って海沿いの道を練り歩き、入船神事は無事終わった。
***
祝島のこの神舞は、本当にすばらしい。
観客として、岸壁から神様船や櫂伝馬を連ねた船団の海上パレードを見るのも壮観だとは思うが、実際に櫂伝馬に乗り込み、声を合わせて櫂を漕ぎ、三浦湾で神様船を真近でお出迎えするのは、それにも増して素晴らしい経験であることを実感した。
千年以上続いているという、祝島の神舞! なんとすばらしい海洋文化なのだろうか。
『瀬戸内海洋文化の復興、創造、そして継承』 瀬戸内カヤック横断隊のテーマに、まさにぴったりとはまる、貴重な伝統文化であった。
***
以下、祝島神舞奉賛会パンフレットを参考に記載:
伝承によれば、仁和二年(886年)八月、豊後国伊美郷の人々が、海路下向中に嵐にあい祝島の三浦湾に漂着した。 当時の三浦湾には三軒の民家があり、当時の島民は、厳しい自然環境の中苦しい生活ではあったが、その一行を心からもてなしたのだとか。そして一行はそのお礼に神霊を祀って平安を祈願し、貴重な五穀の種を分与して、農業技術も伝えたとの事。
そして四年に一度、別宮社から二十数名の神職、里楽師を迎え、祝島を斎場に神恩感謝の合同祭事を行うようになり、現在に至っている。
***
そう、この祝島に代々伝わる『神舞』のお祭りは、1100年近くに渡って受け継がれている、とても貴重で興味深いお祭りなのだ。
朝9時半過ぎ、地元の方々とともに、今回応援に駆けつけた『瀬戸内カヤック横断隊』の一部メンバーや、その他の応援者が集まって来た。
漕ぎ手は、配られたおそろいのTシャツに、真っ白な鉢巻きを締める。
歴史のあるお祭りに参加させていただくということで、気分は高揚しつつも、大事なお祭りをしっかりと勤め上げようという気持ちもあり、引き締まった気分である。
今日はカメラを妻に預け、漕ぐ事、そしてお祭りを楽しむ事に専念する事にした。
***
地元の方が先に乗り込み、島外からの応援者が次に乗り込む。
内田さん、ダイドック原さん、そして私は二隻ある内の、年期の入った方の櫂伝馬に乗り込んだ。 『じゃあよお、カヤッカー3人で並ぼうぜ』と内田親分。
とういことで、私の後ろが内田親分、そして前がダイドックという、なんとも贅沢な並び。 これは漕ぎやすそうだ!
準備が完了すると、艫櫂の方が『ようし、出発じゃあ!』 『おー!』
艫櫂が『エーサーエー』 すると漕ぎ手が『エーサーエー、 ヨヤーサーノサー、 エーサホラエー 、ヨヤーサーノサー』と、高くそして低く、そしてゆっくりと、だが大きな声で、掛け声を出しながら櫂を漕ぐ。
20人の漕ぎ手は最初こそ上手くリズムや動きが合わないが、漕いでいるうちにリズムも次第に合ってくる。 そして、そうなると漕ぐのが気持ち良くなってくるのだ。
『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』 『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』
まだ朝が早いので一般の観客の方は少ないが、大勢の島の方々が、岸壁や防波堤の上から手を振って応援/見送りしていただけるのがとても嬉しい。
『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』
一漕ぎ、一漕ぎ、この伝統あるお祭りに参加させていただく栄誉を噛みしめながら漕いで行く。
***
島の西側であり、かつての遭難者が漂着したという三浦湾へ。
ここでは海の上で、早朝から大分に神職や里楽師の方々を迎えに行った船が戻ってくるのを待つのである。
待つ事1時間ほど。 船が戻って来た。
大漁旗を飾った多くの漁船が待ち受けている三浦湾の中で、『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』と櫂伝馬を漕いで、歓迎の意を心から表す。
湾内を何度か回ると、神職さんや里楽師の方々が乗った船は岸壁に着き、上陸。
その後、引き続いて私たちも上陸し、昼食を摂る。
その昔は、ここ三浦湾から少し入った山の中で一泊してから、翌日集落に移動したそうだ。
当時は虫除けや蚊取り線香も無く、厳しい夏の夜を過ごしたとの事。 それも、昔の人の苦労を感じるという意味もあったのだそうだ。
***
再び櫂伝馬に乗り込み、港に向けて出発した。
大漁旗で飾り立てた何艘もの漁船を先頭に、二隻の櫂伝馬、そして3隻を横に並べた神様船。 その後ろには再び、大漁旗を立てた多くの漁船が。。。
なんとも壮観である! 『これはすごい』 『さすが、千年を超える祭りの重みを感じますねえ』 『いやあ、これはかっこええのお』
『こんなお祭りで櫂伝馬を漕がせてもらえるなんて、本当に果報者じゃ』 『ほんま、ありがたいことよ』 『それにしても、千年間忘れない恩義って、本当にすごいなあ。 今では考えられない』
港に近付くと、櫂伝馬を漕ぎ出したときとは比べ物にならないほど多くの人が集まっていた。
地元の方々。 祭りを見に来た島外の人々。 TV局のカメラや映画を撮っているチームなどなど。
港に戻ると、一列になった船団は3周するのだが、その間、船団に向かって、岸壁からは大勢の人が手を振り、そして声を掛けて応援して下さる。
漕いでいても、つい目頭が熱くなってくる。 うん、なんてすばらしいお祭りに参加させていただき、櫂伝馬を漕がせていただいているのだろうか。 本当にありがたいことである。
感激して声がだせないでいると、艫櫂から『声が小さいぞー』と叱咤激励。
ようし、それじゃあと大きな声で、『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』 『エーサーエー 、 ヨヤーサーノサー 、 エーサホラエー 、 ヨヤーサーノサー』
島の方々に、大分からお出で頂いた神職さんや里楽師の方々に、そして声援を送っていただいている観客の方々に感謝しつつ、一漕ぎ一漕ぎ櫂を漕がせていただいた。
***
海上パレードが終わり、櫂伝馬を二隻ならべると、その上に歩み板を渡して神様船に乗った方々が祝島に上陸されるのを手伝う。
雨が降り始めた中、神職さんたちの行列につづいて、『シャギリ隊』が太鼓と三味線を持って海沿いの道を練り歩き、入船神事は無事終わった。
***
祝島のこの神舞は、本当にすばらしい。
観客として、岸壁から神様船や櫂伝馬を連ねた船団の海上パレードを見るのも壮観だとは思うが、実際に櫂伝馬に乗り込み、声を合わせて櫂を漕ぎ、三浦湾で神様船を真近でお出迎えするのは、それにも増して素晴らしい経験であることを実感した。
千年以上続いているという、祝島の神舞! なんとすばらしい海洋文化なのだろうか。
『瀬戸内海洋文化の復興、創造、そして継承』 瀬戸内カヤック横断隊のテーマに、まさにぴったりとはまる、貴重な伝統文化であった。
2008年8月15日(金) 明日から、4年に一度の神舞が祝島で始まる。
16日に行われる入船神事で櫂伝馬を漕がせていただく予定になっており、前日となる今日から祝島入り。
***
室津港から臨時便の渡船に乗り込み、祝島へと向かう。 今回は、嬉しいことに祝島初訪問となる妻も一緒である。
***
臨時便に乗ることができたので、予定より早く祝島に到着。
室津港で偶然出会い、同じ船で祝島へ向かったカヤック仲間であるKさんと、まずはいつもお世話になっている民宿『くにひろ』に挨拶に伺う。
小屋に行ってみると、先週はまだ柱だけだったのが、屋根が葺かれ、鳥居が建てられ、飾り付けがなされてとても良い雰囲気になっている。 いやはや、なんとも。 ただただ息をのむばかりである。
神事や神楽が執り行われるこの小屋を見て、私の心は完全に、神舞モードに切り替わった。
***
特別に許可を受けた場所にテントを張り、午後からはシーカヤックで渡って来た仲間たちと合流。
夕方からは2時間ほど、地元の方の指示を受けながら、倉庫の片付けや荷物運び、テント立て、そして掃除などなど、短い時間ではあったが、神舞準備を手伝わせていただいた。
***
その日の夜。
祝島入りしたと連絡のあった、瀬戸内カヤック横断隊の隊長であるも内田親分を、ダイドックやKさんHさん達と共に訪ねる。
地元の方達も含めて酒を酌み交わし、四方山話で盛り上がっていると、外から三味線の音が聞こえて来た。
『あれは シャギリ隊 ですよ』と地元の方。 『よし、見に行ってみよう』と言う訳で、みんなして通りに出てみると。。。
お面を被り、太鼓を叩くおばさんを先頭に、三味線を抱えた女性が一列に連なって、街灯も少ない暗い通りを歩いて行く。
素人っぽく微妙にずれる三味線も、地元のお祭りらしい好い雰囲気を醸し出している。 『こりゃ、ええのう!』
みんなしてゾロゾロとついて行くと、神事や神楽が行われる苫葺きの小屋へ。 地元の方々の前で、『シャギリ隊』の練習が続く。 温かい白熱電球の下で続くシャギリ隊の太鼓と三味線。
これは。。。 うーん、これぞ日本の伝統的な祭りの雰囲気なのでは無いだろうか? 本当にこれは、すごい祭りに参加させていただいているのだと実感!
***
座敷に戻り、再び宴会モードを楽しんでいると、突然 『プツリ』 と明かりが消えた。 その瞬間から、家中が『シーン』と静まりかえる。 回りも真っ暗。 これは、全島が停電になっているようだ。
その宴会の中に居たシーカヤッカーの中で、内田親分と私、そしてもう一人がヘッドランプを持っていた。 慌てず騒がず、それを点灯。 『ほーら、こんな時でも対応できるのがシーカヤッカーやのう』と内田親分。
結局1時間を過ぎても復帰しない停電状態の中、3個のヘッドランプの明かりの下で四方山話を交わし、酒を酌み交わした。
***
全島が停電した中、歩いてテントに戻る。 この日は満月に近い月が出ており、弱いが温かい月光が、島の海岸通りの道をやさしく照らしていた。
見ると停電だと言うのに、海沿いの道のいたるところに人々が出て、停電で静まり返った祭り前夜を、柔らかい月明かりの中で会話を交わしつつ夕涼みを楽しんでいる。
『なんと自然な、夏の夜の風景なのだろう』 『千年以上前から続くという神舞だが、電気の無かったほんの百年ちょっと前の生活とは、こんな感じだったのではなかろうか』
『暑い夏の夜、親しい家族と、友人と、恋しい人と、仕事をするには暗いが遊ぶには充分に明るい月明かりの下で、こんな時間を過ごしていたのだろうなあ』 『沖縄の毛遊び(もうあしび)は、こんな感じだったのではないだろうか』
予期せぬハプニングとなった突然の停電であったが、そんな中だからこそ、昔の日本の生活の一端を感じることができた島の祭りの前夜。
これは、偶然を装った必然であるに違いない!
***
待ちに待った神舞まで、あと1日。 そう、明日は入船神事の本番である。
16日に行われる入船神事で櫂伝馬を漕がせていただく予定になっており、前日となる今日から祝島入り。
***
室津港から臨時便の渡船に乗り込み、祝島へと向かう。 今回は、嬉しいことに祝島初訪問となる妻も一緒である。
***
臨時便に乗ることができたので、予定より早く祝島に到着。
室津港で偶然出会い、同じ船で祝島へ向かったカヤック仲間であるKさんと、まずはいつもお世話になっている民宿『くにひろ』に挨拶に伺う。
小屋に行ってみると、先週はまだ柱だけだったのが、屋根が葺かれ、鳥居が建てられ、飾り付けがなされてとても良い雰囲気になっている。 いやはや、なんとも。 ただただ息をのむばかりである。
神事や神楽が執り行われるこの小屋を見て、私の心は完全に、神舞モードに切り替わった。
***
特別に許可を受けた場所にテントを張り、午後からはシーカヤックで渡って来た仲間たちと合流。
夕方からは2時間ほど、地元の方の指示を受けながら、倉庫の片付けや荷物運び、テント立て、そして掃除などなど、短い時間ではあったが、神舞準備を手伝わせていただいた。
***
その日の夜。
祝島入りしたと連絡のあった、瀬戸内カヤック横断隊の隊長であるも内田親分を、ダイドックやKさんHさん達と共に訪ねる。
地元の方達も含めて酒を酌み交わし、四方山話で盛り上がっていると、外から三味線の音が聞こえて来た。
『あれは シャギリ隊 ですよ』と地元の方。 『よし、見に行ってみよう』と言う訳で、みんなして通りに出てみると。。。
お面を被り、太鼓を叩くおばさんを先頭に、三味線を抱えた女性が一列に連なって、街灯も少ない暗い通りを歩いて行く。
素人っぽく微妙にずれる三味線も、地元のお祭りらしい好い雰囲気を醸し出している。 『こりゃ、ええのう!』
みんなしてゾロゾロとついて行くと、神事や神楽が行われる苫葺きの小屋へ。 地元の方々の前で、『シャギリ隊』の練習が続く。 温かい白熱電球の下で続くシャギリ隊の太鼓と三味線。
これは。。。 うーん、これぞ日本の伝統的な祭りの雰囲気なのでは無いだろうか? 本当にこれは、すごい祭りに参加させていただいているのだと実感!
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座敷に戻り、再び宴会モードを楽しんでいると、突然 『プツリ』 と明かりが消えた。 その瞬間から、家中が『シーン』と静まりかえる。 回りも真っ暗。 これは、全島が停電になっているようだ。
その宴会の中に居たシーカヤッカーの中で、内田親分と私、そしてもう一人がヘッドランプを持っていた。 慌てず騒がず、それを点灯。 『ほーら、こんな時でも対応できるのがシーカヤッカーやのう』と内田親分。
結局1時間を過ぎても復帰しない停電状態の中、3個のヘッドランプの明かりの下で四方山話を交わし、酒を酌み交わした。
***
全島が停電した中、歩いてテントに戻る。 この日は満月に近い月が出ており、弱いが温かい月光が、島の海岸通りの道をやさしく照らしていた。
見ると停電だと言うのに、海沿いの道のいたるところに人々が出て、停電で静まり返った祭り前夜を、柔らかい月明かりの中で会話を交わしつつ夕涼みを楽しんでいる。
『なんと自然な、夏の夜の風景なのだろう』 『千年以上前から続くという神舞だが、電気の無かったほんの百年ちょっと前の生活とは、こんな感じだったのではなかろうか』
『暑い夏の夜、親しい家族と、友人と、恋しい人と、仕事をするには暗いが遊ぶには充分に明るい月明かりの下で、こんな時間を過ごしていたのだろうなあ』 『沖縄の毛遊び(もうあしび)は、こんな感じだったのではないだろうか』
予期せぬハプニングとなった突然の停電であったが、そんな中だからこそ、昔の日本の生活の一端を感じることができた島の祭りの前夜。
これは、偶然を装った必然であるに違いない!
***
待ちに待った神舞まで、あと1日。 そう、明日は入船神事の本番である。
2008年8月12日(火) 8月に入り、連日35℃前後の猛烈な暑さが続いている。 いやあ、本当に暑い!
やはり漕ぐのに良い季節は、秋、冬、そして春から初夏。
基本的に海水浴シーズンと重なる8月はシーズンオフと思ってはいるのだが、予定が空くとついつい出掛けたくなるのは悲しいサガ?
そんなこんなで今回は、出艇場所が家から近く、漕ぐ距離も片道14kmほど、そしてこの暑い中テントが無くても泊まれる島ということで、岡村島に決定。
***
8時前、いつもの浜で出艇準備完了。 さすがにこの時間では、まだ海水浴のお客さんは一人も見えない。
ガソリンも高いことだし、それほど早起きしなくてもこの時間に出艇できる。 やっぱり地元の海って好いなあ。
このルートは片道約2時間前後。 太陽がまだ低い時間に漕ぎ渡ろうということで、8時の出発とした。
真夏の朝の瀬戸内。 穏やかな海面を、心地良い風が吹き渡る。 朝の海は、思ったより涼しいじゃないか。
漕いでいるとき、パドルを握る手に、なんだか変な感触が伝わって来た。
右を漕いでも、左を漕いでもかすかな振動が。。。 これは、もしかしてパドルが折れた?
漕ぎながら手元を見ると、クラゲがウヨウヨ。 そう、あの感触は、パドルで海中のクラゲをグイッと押した時の振動だったのだ。
この辺りで、こんなクラゲの異常繁殖は見たことが無い。 やっぱり海は変わりつつあるのだろうか。
適宜水分を補給しながら淡々とパドリング。 齋島を眺めながら豊島を超え、大崎下島を越える。
次第に暑さが増してきはじめた10時過ぎ。 予定通り、2時間ほどで岡村島に到着。
***
買い出しから戻り、ゴロリと寝転がる。
今日は畳の上! なんとも贅沢な気分。 いやはや、快適快適。
お昼になると簡単なスパゲティを作り、冷えた缶ビールをゴクリ。 もう、何も言うことは無い。
暑い太陽がギラギラと照りつける午後。 涼しい部屋に寝転がり、本を開く。 本に飽きたらiPodで音楽を聴く。
気がついたら、いつの間にか寝入っていた。 のんびりまったり、心地良い昼寝。
うん、これは最高のリゾート気分!
夕方。 少しだけ海水浴を楽しむ。
戻って来たら温いお湯で潮抜きをし、夕食を作り、良く冷えたビールで一人乾杯。
***
翌朝。 昨日同様、あまり日が高くならないうちに出艇準備を完了。
8時過ぎに漕ぎ出す。
小さな島には、蜜柑農家の作業小屋がある。 秋から冬には、ここで収穫作業が行われるのだ。
今日は少し雲が多め。 漕いでいても、いくらか涼しい。
この辺りの島には、海岸沿いに石積みの畑がある。
先日訪れた祝島の棚田とはスケールが違うが、それでも狭い土地を少しでも活用して畑にしようという、先人の心意気と毎日毎日積み上げられた努力/忍耐力は同じである。 ほんと、頭が下がる。
***
途中、ちょっとだけ島に立寄り、施設に保管してあるカヌーの手入れ。
前に行った体験試乗会の時、前後に付いているグラブループのロープが切れかかっているのを見たので、修繕するために今回ロープを持って来た。
3艇分のグラブループの交換を完了し、再び海に戻る。
***
出発した浜に戻ると、海水浴客が大勢遊びに来ていた。 誰も居ない浜の端っこに、そっとシーカヤックを揚げる。
今回は、朝の涼しい2時間だけを漕ぎ、また浜にテントを張らずに畳の部屋でゆったりまったりと過ごしたが、真夏にはこんな旅もいいなあ。 昼寝までして、良い骨休めになった。
それにしても、涼しい秋が待ち遠しい!
やはり漕ぐのに良い季節は、秋、冬、そして春から初夏。
基本的に海水浴シーズンと重なる8月はシーズンオフと思ってはいるのだが、予定が空くとついつい出掛けたくなるのは悲しいサガ?
そんなこんなで今回は、出艇場所が家から近く、漕ぐ距離も片道14kmほど、そしてこの暑い中テントが無くても泊まれる島ということで、岡村島に決定。
***
8時前、いつもの浜で出艇準備完了。 さすがにこの時間では、まだ海水浴のお客さんは一人も見えない。
ガソリンも高いことだし、それほど早起きしなくてもこの時間に出艇できる。 やっぱり地元の海って好いなあ。
このルートは片道約2時間前後。 太陽がまだ低い時間に漕ぎ渡ろうということで、8時の出発とした。
真夏の朝の瀬戸内。 穏やかな海面を、心地良い風が吹き渡る。 朝の海は、思ったより涼しいじゃないか。
漕いでいるとき、パドルを握る手に、なんだか変な感触が伝わって来た。
右を漕いでも、左を漕いでもかすかな振動が。。。 これは、もしかしてパドルが折れた?
漕ぎながら手元を見ると、クラゲがウヨウヨ。 そう、あの感触は、パドルで海中のクラゲをグイッと押した時の振動だったのだ。
この辺りで、こんなクラゲの異常繁殖は見たことが無い。 やっぱり海は変わりつつあるのだろうか。
適宜水分を補給しながら淡々とパドリング。 齋島を眺めながら豊島を超え、大崎下島を越える。
次第に暑さが増してきはじめた10時過ぎ。 予定通り、2時間ほどで岡村島に到着。
***
買い出しから戻り、ゴロリと寝転がる。
今日は畳の上! なんとも贅沢な気分。 いやはや、快適快適。
お昼になると簡単なスパゲティを作り、冷えた缶ビールをゴクリ。 もう、何も言うことは無い。
暑い太陽がギラギラと照りつける午後。 涼しい部屋に寝転がり、本を開く。 本に飽きたらiPodで音楽を聴く。
気がついたら、いつの間にか寝入っていた。 のんびりまったり、心地良い昼寝。
うん、これは最高のリゾート気分!
夕方。 少しだけ海水浴を楽しむ。
戻って来たら温いお湯で潮抜きをし、夕食を作り、良く冷えたビールで一人乾杯。
***
翌朝。 昨日同様、あまり日が高くならないうちに出艇準備を完了。
8時過ぎに漕ぎ出す。
小さな島には、蜜柑農家の作業小屋がある。 秋から冬には、ここで収穫作業が行われるのだ。
今日は少し雲が多め。 漕いでいても、いくらか涼しい。
この辺りの島には、海岸沿いに石積みの畑がある。
先日訪れた祝島の棚田とはスケールが違うが、それでも狭い土地を少しでも活用して畑にしようという、先人の心意気と毎日毎日積み上げられた努力/忍耐力は同じである。 ほんと、頭が下がる。
***
途中、ちょっとだけ島に立寄り、施設に保管してあるカヌーの手入れ。
前に行った体験試乗会の時、前後に付いているグラブループのロープが切れかかっているのを見たので、修繕するために今回ロープを持って来た。
3艇分のグラブループの交換を完了し、再び海に戻る。
***
出発した浜に戻ると、海水浴客が大勢遊びに来ていた。 誰も居ない浜の端っこに、そっとシーカヤックを揚げる。
今回は、朝の涼しい2時間だけを漕ぎ、また浜にテントを張らずに畳の部屋でゆったりまったりと過ごしたが、真夏にはこんな旅もいいなあ。 昼寝までして、良い骨休めになった。
それにしても、涼しい秋が待ち遠しい!
2008年8月10日(日) 夕方に行われた櫂伝馬の練習を終え、昨夜は祝島の民宿『くにひろ』さんにお世話になった。
くにひろのご主人と弟さんと一緒に夕食を食べながら、祝島の農業や漁業の状況、島に関係する人にとっての神舞の意味、そして神舞の準備状況や神舞当日の予定などなど、様々なお話を伺う。
旅をする楽しみには、きれいな景色を見ることや、おいしい料理を食べることももちろんあるが、私にとってなによりの楽しみは、地元の方々からそこに住んでいる人ならではのお話を伺うことである。 楽しい一時。
『明日はどうします?』 『昼便で帰ります。 時間がたっぷりあるし、せっかくなんで、これまで行けなかった”棚田”に行ってみますよ』
***
翌朝。 今日も天気は良さそうである。 民宿の窓から『朝焼け』を眺める。
朝食を食べながら、くにひろさんとの楽しい会話。 気さくで話し好き、そしてダイドックやくにひろさんの弟さんに言わせると雰囲気や容貌が似ているというくにひろさんとは、なんだか気が合うのである。
***
『じゃあ、涼しいうちに行ってきます』 『今日は、平さんが畑に行っとるんじゃないかねえ』 『そうですか。 それは楽しみです』
坂道を登り、高台に上がると、展望が開ける。 まだ低い太陽に照らされ、東側の海がキラキラと美しい。
軽トラック一台がやっと通れる狭い農道を、一人テクテクと歩いて行く。
今日も快晴。 気持ち良い汗を流しながら山道を歩き、時々立ち止まってはお茶を一口飲み、美しい景色を楽しむ。
『ほんま、ここは景色がええのう』 暑いんはちょっといけんが、ここを散歩する気分は最高じゃ。
***
民宿から歩くこと1時間弱。 狭い林道を抜けると、目の前に棚田の風景が突如開けた。
夏の森らしい深い緑、眼下には既に穂が延びた瑞々しい稲の黄緑色、そしてたっぷりと高さのある石積みの棚田。
ここが、『平さんの棚田』である。
歩いて行くと、奥の方から人がこちらに向かってくる。 平さんである。
『おお、あんたあ暑いのによう来たのお。 えらかったろう』 『こんにちは。 ここはきれいな所ですねえ。 途中から道が狭うなったし、途中で出会った人にはハミ(マムシ)がおるけん気をつけいうて言われて怖々歩いて来たんですが、こりゃあ来て良かったですよ』
『あんたあ、テレビを見てから来たんの? 前にテレビが取材に来てから、ようけ人が来るようになったんよ』
『ここはの、おじいさんが畑を開いたんじゃ。 私も途中から手伝うたけど、おじいさんはなんも無い状態から始めたんじゃ』
『昔はのお、みかんを降ろすんも山を超えて運びよったら埒があかんけえ、この下まで担いで降ろして、下の浜から舟で運びよったんよ』
『あそこに小屋があろう。 あれはおじいさんが建てたんじゃ。 大工でもないのにのう。 毎日瓦を15枚ほど背負って運んで来て、木はあの上の山から松を切って降ろして使うた』
『おじいさんは80歳でなくなったんじゃが、78歳まで畑仕事をしながらまだ新しい棚田を作りよった。 結局途中で終わってしもうたんじゃが、すごい元気で挑戦心があった人じゃったよお』
『歳取ってからは、毎日帰るんが大変じゃけん、あの小屋に住んどった。 今でも囲炉裏や竃があろう。 私もあそこで毎日お茶を沸かして休憩するんよ』
『この田圃の下には、暗渠がつくってあるんよ。 大雨が降った時に、田圃や畑が流されんように、この棚田を作る時に暗渠を作るように考えとったんじゃなあ。 まあ、知恵がある人だった』 『ほら、あそこに暗渠の入口が見えるじゃろ』
『この石をどうやって積んだか? これは下から持ち上げて積んだんじゃないんよ。 ここは、少し掘ったらこんな石がゴロゴロ出てくる。 その石を、梃子を使うて一つ一つ積んで行くんよ』
『この畑は、土は3メートルほど。 その下には、こんな石がいっぱい入っとる。 じゃけえ、何十年も崩れずに保っとるんよ』
なるほど、機械も無い時代にどうやってこんな大きな石を持ち上げていたのかと思っていたのだが、そういうことだったんだ。
それにしても、ちょっと掘ったらこんな石が次から次へと出て来たら、私だったらすぐに諦めてしまうだろう。 昔の人は、そして平さんのおじいさんは、知恵と信念、そして行動力を兼ね備えたすばらしい人だったのだ。
なんだか、宮本常一のおじいさんに通じるものを感じる。 あの時代の日本人には、こういう人が多かったのだろうか。
***
『いろいろ話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。 本当に来て良かったです』 『あんたあ、気をつけて帰りんさいよ』 『はい、じゃあまた来ます』
祝島を端から端まで歩き、櫂伝馬の練習に参加させていただき、様々な人から興味深いお話を伺った。 いいなあ、祝島。
神舞まで、残り6日。
くにひろのご主人と弟さんと一緒に夕食を食べながら、祝島の農業や漁業の状況、島に関係する人にとっての神舞の意味、そして神舞の準備状況や神舞当日の予定などなど、様々なお話を伺う。
旅をする楽しみには、きれいな景色を見ることや、おいしい料理を食べることももちろんあるが、私にとってなによりの楽しみは、地元の方々からそこに住んでいる人ならではのお話を伺うことである。 楽しい一時。
『明日はどうします?』 『昼便で帰ります。 時間がたっぷりあるし、せっかくなんで、これまで行けなかった”棚田”に行ってみますよ』
***
翌朝。 今日も天気は良さそうである。 民宿の窓から『朝焼け』を眺める。
朝食を食べながら、くにひろさんとの楽しい会話。 気さくで話し好き、そしてダイドックやくにひろさんの弟さんに言わせると雰囲気や容貌が似ているというくにひろさんとは、なんだか気が合うのである。
***
『じゃあ、涼しいうちに行ってきます』 『今日は、平さんが畑に行っとるんじゃないかねえ』 『そうですか。 それは楽しみです』
坂道を登り、高台に上がると、展望が開ける。 まだ低い太陽に照らされ、東側の海がキラキラと美しい。
軽トラック一台がやっと通れる狭い農道を、一人テクテクと歩いて行く。
今日も快晴。 気持ち良い汗を流しながら山道を歩き、時々立ち止まってはお茶を一口飲み、美しい景色を楽しむ。
『ほんま、ここは景色がええのう』 暑いんはちょっといけんが、ここを散歩する気分は最高じゃ。
***
民宿から歩くこと1時間弱。 狭い林道を抜けると、目の前に棚田の風景が突如開けた。
夏の森らしい深い緑、眼下には既に穂が延びた瑞々しい稲の黄緑色、そしてたっぷりと高さのある石積みの棚田。
ここが、『平さんの棚田』である。
歩いて行くと、奥の方から人がこちらに向かってくる。 平さんである。
『おお、あんたあ暑いのによう来たのお。 えらかったろう』 『こんにちは。 ここはきれいな所ですねえ。 途中から道が狭うなったし、途中で出会った人にはハミ(マムシ)がおるけん気をつけいうて言われて怖々歩いて来たんですが、こりゃあ来て良かったですよ』
『あんたあ、テレビを見てから来たんの? 前にテレビが取材に来てから、ようけ人が来るようになったんよ』
『ここはの、おじいさんが畑を開いたんじゃ。 私も途中から手伝うたけど、おじいさんはなんも無い状態から始めたんじゃ』
『昔はのお、みかんを降ろすんも山を超えて運びよったら埒があかんけえ、この下まで担いで降ろして、下の浜から舟で運びよったんよ』
『あそこに小屋があろう。 あれはおじいさんが建てたんじゃ。 大工でもないのにのう。 毎日瓦を15枚ほど背負って運んで来て、木はあの上の山から松を切って降ろして使うた』
『おじいさんは80歳でなくなったんじゃが、78歳まで畑仕事をしながらまだ新しい棚田を作りよった。 結局途中で終わってしもうたんじゃが、すごい元気で挑戦心があった人じゃったよお』
『歳取ってからは、毎日帰るんが大変じゃけん、あの小屋に住んどった。 今でも囲炉裏や竃があろう。 私もあそこで毎日お茶を沸かして休憩するんよ』
『この田圃の下には、暗渠がつくってあるんよ。 大雨が降った時に、田圃や畑が流されんように、この棚田を作る時に暗渠を作るように考えとったんじゃなあ。 まあ、知恵がある人だった』 『ほら、あそこに暗渠の入口が見えるじゃろ』
『この石をどうやって積んだか? これは下から持ち上げて積んだんじゃないんよ。 ここは、少し掘ったらこんな石がゴロゴロ出てくる。 その石を、梃子を使うて一つ一つ積んで行くんよ』
『この畑は、土は3メートルほど。 その下には、こんな石がいっぱい入っとる。 じゃけえ、何十年も崩れずに保っとるんよ』
なるほど、機械も無い時代にどうやってこんな大きな石を持ち上げていたのかと思っていたのだが、そういうことだったんだ。
それにしても、ちょっと掘ったらこんな石が次から次へと出て来たら、私だったらすぐに諦めてしまうだろう。 昔の人は、そして平さんのおじいさんは、知恵と信念、そして行動力を兼ね備えたすばらしい人だったのだ。
なんだか、宮本常一のおじいさんに通じるものを感じる。 あの時代の日本人には、こういう人が多かったのだろうか。
***
『いろいろ話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。 本当に来て良かったです』 『あんたあ、気をつけて帰りんさいよ』 『はい、じゃあまた来ます』
祝島を端から端まで歩き、櫂伝馬の練習に参加させていただき、様々な人から興味深いお話を伺った。 いいなあ、祝島。
神舞まで、残り6日。
8月8日(金) 仕事を終え、家に帰ると着替えてバスに乗り込む。 向かうは、私が唯一通う飲み屋さん、おでんの『あわもり』
冷えたビールを飲み、おいしいおでんを食べながら、『ようやく明日から盆休みですよ。 なんで、今日はここで一杯飲ろうと思って』と私。 するとおばちゃんは、『いつまで休み?』 『9連休です』 『いいねえ』
そう、明日から盆休み。 40代半ばになっても、やっぱり夏休みというものは、ドキドキワクワク楽しみなものである。
***
8月9日(月) JRで柳井港へ。 そこから定期船に乗り、祝島へと向かった。
これまで祝島へは3回渡っているが、いずれもシーカヤックでの島渡り。 船旅好きの私にとっては、この祝島の定期船は、乗ってみたかった航路の一つである。
今回は、櫂伝馬の練習が行われる夕方まで時間がたっぷりとある。
これまで歩いたことがない道を歩いてみるとしよう!
夏らしくギラギラと照りつける太陽の下、海沿いの静かな道を歩いて行く。
この太陽、空気の色、錆びたガードレール、そしてエメラルドブルーに輝く海。
まるで、沖縄の離島を旅している気分である。
島の西側には水田があり、もうだいぶ穂が延びていた。 海の色とは違う、美しい緑の稲、稲、稲。
すばらしい景色を眺めつつ、日陰に座り、持参したパンとお茶で簡単な昼食。
あまりの暑さに海パンに着替え、海に入る。
誰も居ないことを良いことに、独りきれいな海に浸かり、ゆらゆらプカプカと波に揺られる。 『おお、これは気持ち良い』
***
海から上がり、タオルで体を拭いて着替える。 再び徒歩で集落に戻り、民宿『くにひろ』さんへ。
似た者同士なんだか親近感の湧く、くにひろのご主人と『ビワ狩りツアー』以来の会話を交わし、シャワーを浴びさせていただいて、再び島を散策。
『練り塀』で有名な祝島。 迷路のような狭い路地を、迷いながら歩くのも、これまた楽しい一時である。
今度は東側の海岸を散策し、民宿へと戻った。
***
『4時半になったら出ますか』と、ご主人。 『ええ、そうしましょう』
いよいよ今回の目的であり、最大の楽しみである、『櫂伝馬』の練習がやってきた。
夕方、三々五々、島の人たちが集まってくる。
私を含めて今回が初めての人も数人居り、経験者との比率を考慮して2隻に別けられ、櫂伝馬に乗り込んだ。
『ようし、始めよう!』の声で漕ぎ出した。
最初は、シーカヤックの初心者のように櫂の先を見ながら周囲の人に合わせて漕いでいく。
ソロのシーカヤックと違い、掛け声を合わせながら、櫂の動きも合わせなければならないので、最初はなかなかリズムを取るのが難しい。 また、狭い舟の上では、前の人の背中に櫂を漕ぐ手が当たってしまう。
それでもしばらく漕いでいると、だんだんリズムが合って来て、掛け声も出るようになって来た。
『エーサーエー、ヨヤサーノサー、エーサホラエー、ヨヤサーノサー』
掛け声を出しながら、周りの人に合わせて櫂を漕ぐのは気持ちが良いものだ。 ソロで漕ぐシーカヤックとは、また違う楽しさがある。
休憩の時には、隣に座っておられた漁師さんと四方山話を交わし、櫂を漕ぐコツも教えていただく。 なるほど!
『エーサーエー、ヨヤサーノサー、エーサホラエー、ヨヤサーノサー』 『エーサーエー、ヨヤサーノサー、エーサホラエー、ヨヤサーノサー』
これは楽しい。 昨年沖縄でサバニを漕がせていただいた時も最高に楽しかったが、この櫂伝馬は、これまたストライクゾーンど真ん中である。
楽しい1時間の練習が終わり、民宿へと戻る。
『これは楽しいですね。 来て良かったですよ。 いやあ、掛け声を掛けながら皆で合わせて漕ぐのって良いですねえ』
この練習に参加したことで、来週の神舞に漕ぎ手として参加できる資格をいただいた。 楽しみだ!
4年に一度の『神舞』まで、あと7日。
冷えたビールを飲み、おいしいおでんを食べながら、『ようやく明日から盆休みですよ。 なんで、今日はここで一杯飲ろうと思って』と私。 するとおばちゃんは、『いつまで休み?』 『9連休です』 『いいねえ』
そう、明日から盆休み。 40代半ばになっても、やっぱり夏休みというものは、ドキドキワクワク楽しみなものである。
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8月9日(月) JRで柳井港へ。 そこから定期船に乗り、祝島へと向かった。
これまで祝島へは3回渡っているが、いずれもシーカヤックでの島渡り。 船旅好きの私にとっては、この祝島の定期船は、乗ってみたかった航路の一つである。
今回は、櫂伝馬の練習が行われる夕方まで時間がたっぷりとある。
これまで歩いたことがない道を歩いてみるとしよう!
夏らしくギラギラと照りつける太陽の下、海沿いの静かな道を歩いて行く。
この太陽、空気の色、錆びたガードレール、そしてエメラルドブルーに輝く海。
まるで、沖縄の離島を旅している気分である。
島の西側には水田があり、もうだいぶ穂が延びていた。 海の色とは違う、美しい緑の稲、稲、稲。
すばらしい景色を眺めつつ、日陰に座り、持参したパンとお茶で簡単な昼食。
あまりの暑さに海パンに着替え、海に入る。
誰も居ないことを良いことに、独りきれいな海に浸かり、ゆらゆらプカプカと波に揺られる。 『おお、これは気持ち良い』
***
海から上がり、タオルで体を拭いて着替える。 再び徒歩で集落に戻り、民宿『くにひろ』さんへ。
似た者同士なんだか親近感の湧く、くにひろのご主人と『ビワ狩りツアー』以来の会話を交わし、シャワーを浴びさせていただいて、再び島を散策。
『練り塀』で有名な祝島。 迷路のような狭い路地を、迷いながら歩くのも、これまた楽しい一時である。
今度は東側の海岸を散策し、民宿へと戻った。
***
『4時半になったら出ますか』と、ご主人。 『ええ、そうしましょう』
いよいよ今回の目的であり、最大の楽しみである、『櫂伝馬』の練習がやってきた。
夕方、三々五々、島の人たちが集まってくる。
私を含めて今回が初めての人も数人居り、経験者との比率を考慮して2隻に別けられ、櫂伝馬に乗り込んだ。
『ようし、始めよう!』の声で漕ぎ出した。
最初は、シーカヤックの初心者のように櫂の先を見ながら周囲の人に合わせて漕いでいく。
ソロのシーカヤックと違い、掛け声を合わせながら、櫂の動きも合わせなければならないので、最初はなかなかリズムを取るのが難しい。 また、狭い舟の上では、前の人の背中に櫂を漕ぐ手が当たってしまう。
それでもしばらく漕いでいると、だんだんリズムが合って来て、掛け声も出るようになって来た。
『エーサーエー、ヨヤサーノサー、エーサホラエー、ヨヤサーノサー』
掛け声を出しながら、周りの人に合わせて櫂を漕ぐのは気持ちが良いものだ。 ソロで漕ぐシーカヤックとは、また違う楽しさがある。
休憩の時には、隣に座っておられた漁師さんと四方山話を交わし、櫂を漕ぐコツも教えていただく。 なるほど!
『エーサーエー、ヨヤサーノサー、エーサホラエー、ヨヤサーノサー』 『エーサーエー、ヨヤサーノサー、エーサホラエー、ヨヤサーノサー』
これは楽しい。 昨年沖縄でサバニを漕がせていただいた時も最高に楽しかったが、この櫂伝馬は、これまたストライクゾーンど真ん中である。
楽しい1時間の練習が終わり、民宿へと戻る。
『これは楽しいですね。 来て良かったですよ。 いやあ、掛け声を掛けながら皆で合わせて漕ぐのって良いですねえ』
この練習に参加したことで、来週の神舞に漕ぎ手として参加できる資格をいただいた。 楽しみだ!
4年に一度の『神舞』まで、あと7日。
2008年8月2日(土) ニヤックを積んだステーションワゴンは、2号線を西へと向かう。
この週末は、久し振りにカヤック仲間と過ごす予定。 楽しみである。
***
下道を走ることほぼ半日。 ようやく下関へ到着。
夕方、待ち合わせ場所でピックアップしてもらい、小倉へと向かう。
車中、今日はホクレアイベントで知り合ったNさんが合流されることを聞かされる。 思いがけないサプライズ。
これは楽しみが増えたなあ。
***
おいしいイタリア料理とワインを楽しみつつ、話に華が咲く。 一年振りとは思えない、気さくな雰囲気。 楽しい会話に、あっという間に時間は過ぎて行く。
ホクレア号が日本に来てからほぼ一年が過ぎた。 懐かしい仲間と気の置けない楽しい同窓会。 最高の晩餐である。
***
翌朝。 朝から太陽がバンバン照りつけ、暑い一日の始まりである。
でも、天気予報は強風注意報! 南西の風。 これは、漕げるかなあ?
待ち合わせ場所で合流し、天気予報を踏まえて風裏となる浜へと向かう。
途中、海が見える高台に上がり、海況をチェック。 『うーん、やっぱり厳しそうですねえ』
予定の浜に行くと、さすがに風裏なので波は低い。 装備を準備し、出艇準備完了。
***
きれいな海に漕ぎ出し、浜沿いに漕ぎ進むが、沖に出るとさすがに高い”うねり”が入ってくる。 うーん、やっぱり瀬戸内とは違う!
この波の感じは、数年前の『古代人ツアー』で最初に漕いだ日の波の感じに似ているなあ。
***
結局、小一時間ほどで浜に戻り、シーカヤックを揚げ、水洗いし、道具を片付けた。
『じゃあ、潮抜きに行きますか!』
と言う訳で、『海洋文化セミナー』でお世話になった温泉旅館へ。
***
静かで良い雰囲気の湯船にゆったりと浸かると、シーカヤックで付いた潮と、日頃の疲れが抜けて行くのが実感できる。
あー、ええ気持ちや!
***
温泉から上がり、しばし休憩させていただき、昼食を食べに行く。
おいしい食事を堪能しつつ、昨日の夜の楽しい一時と、今日のショートツーリングの話に華が咲く。
食後は、近くにあるという『大楠』を見学に行った。
この近くにドライブに来た時に、看板は見たことがあったのだが、実際に訪れたのは初めてである。
森のように見えたのは、一本の大楠! これは。。。
見るものを圧倒する、樹齢千年を超えるという大木。 言葉を失い、ただただその存在感に圧倒されるのみ。
***
懐かしいホクレア仲間との再会とおいしいイタリア料理とワイン。 そして、なによりのごちそうである楽しい会話。
翌日は、厳しい海況の中で、久し振りとなる友人とのパドリング。
一年振りに訪れた雰囲気の良い温泉、地元ならではのおいしい料理、そして圧倒的な存在感を見せつける大楠。
この週末も、とても充実した週末であった。 皆さん、ありがとうございました!
この週末は、久し振りにカヤック仲間と過ごす予定。 楽しみである。
***
下道を走ることほぼ半日。 ようやく下関へ到着。
夕方、待ち合わせ場所でピックアップしてもらい、小倉へと向かう。
車中、今日はホクレアイベントで知り合ったNさんが合流されることを聞かされる。 思いがけないサプライズ。
これは楽しみが増えたなあ。
***
おいしいイタリア料理とワインを楽しみつつ、話に華が咲く。 一年振りとは思えない、気さくな雰囲気。 楽しい会話に、あっという間に時間は過ぎて行く。
ホクレア号が日本に来てからほぼ一年が過ぎた。 懐かしい仲間と気の置けない楽しい同窓会。 最高の晩餐である。
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翌朝。 朝から太陽がバンバン照りつけ、暑い一日の始まりである。
でも、天気予報は強風注意報! 南西の風。 これは、漕げるかなあ?
待ち合わせ場所で合流し、天気予報を踏まえて風裏となる浜へと向かう。
途中、海が見える高台に上がり、海況をチェック。 『うーん、やっぱり厳しそうですねえ』
予定の浜に行くと、さすがに風裏なので波は低い。 装備を準備し、出艇準備完了。
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きれいな海に漕ぎ出し、浜沿いに漕ぎ進むが、沖に出るとさすがに高い”うねり”が入ってくる。 うーん、やっぱり瀬戸内とは違う!
この波の感じは、数年前の『古代人ツアー』で最初に漕いだ日の波の感じに似ているなあ。
***
結局、小一時間ほどで浜に戻り、シーカヤックを揚げ、水洗いし、道具を片付けた。
『じゃあ、潮抜きに行きますか!』
と言う訳で、『海洋文化セミナー』でお世話になった温泉旅館へ。
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静かで良い雰囲気の湯船にゆったりと浸かると、シーカヤックで付いた潮と、日頃の疲れが抜けて行くのが実感できる。
あー、ええ気持ちや!
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温泉から上がり、しばし休憩させていただき、昼食を食べに行く。
おいしい食事を堪能しつつ、昨日の夜の楽しい一時と、今日のショートツーリングの話に華が咲く。
食後は、近くにあるという『大楠』を見学に行った。
この近くにドライブに来た時に、看板は見たことがあったのだが、実際に訪れたのは初めてである。
森のように見えたのは、一本の大楠! これは。。。
見るものを圧倒する、樹齢千年を超えるという大木。 言葉を失い、ただただその存在感に圧倒されるのみ。
***
懐かしいホクレア仲間との再会とおいしいイタリア料理とワイン。 そして、なによりのごちそうである楽しい会話。
翌日は、厳しい海況の中で、久し振りとなる友人とのパドリング。
一年振りに訪れた雰囲気の良い温泉、地元ならではのおいしい料理、そして圧倒的な存在感を見せつける大楠。
この週末も、とても充実した週末であった。 皆さん、ありがとうございました!