あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

『芸予ブルー』_テーマカラー of 印象派_”瀬戸内シーカヤック日記”

瀬戸内シーカヤック日記: 『旅する櫂伝馬プロジェクト』_大崎上島、櫂伝馬競漕練習参加

2009年07月26日 | 旅するシーカヤック
2009年7月24日(金) フレックスを利用して少し早めに仕事を上がり、ロードスターでそのまま大崎上島へと向かう。

祝島の神舞で櫂伝馬を漕いだ時の私のブログを見て、大崎上島出身のFさんに声を掛けていただき、メールや電話でやりとりしている内に『瀬戸内カヤック横断隊』のように櫂伝馬で旅をしたいね、という話で盛り上がり、静かに始動した『旅する櫂伝馬プロジェクト

今日は、その一環として、8/1に行われる櫂伝馬競漕に向けた練習を体験させていただくのである。 ただし基本的に、一週間行われる練習に全て参加しないと競漕には出られないということなので、私の場合は体験参加である。
***
大崎上島は、日本の櫂伝馬の約1/3が残っていると言われるほど櫂伝馬競漕が盛んな島。 櫂伝馬の時期が近付くと血が騒ぐという人も多く、伝統行事として長く続いている。

練習は、月曜日から土曜日まで、午後7時から9時までの2時間。 今回は、22日にフネを降ろして練習を始めたと言うことで、3日目の練習参加となった。
***
午後6時過ぎ。 櫂伝馬が舫ってある港に着くと、練習の準備が始まっていた。 午後7時からの練習に向け、徐々に人が集まって来る。
次々と来られる方に、『こんにちは』と会釈したが、日に焼けた坊主頭の人や、いかつそうな人が多く、私は少々ビビり気味。
私を誘ってくれたFさんも来られ、『今日、呉から来てくれたNさんです』と紹介していただく。 『よろしくお願いします!』と私。

しばらくすると、今年船頭を勤めるというFさんと、ベテランの地元の方が櫂伝馬に乗り込み、なにやらやり取りしている。 聞いていると、櫂をロープで固定する穴の位置について議論しているようだ。 昔と今の漕ぎ方の違いや、それによって異なる漕ぎ易い穴の位置などなど、途中からはメジャーを取り出し、あと何センチこっちにとか、何番の櫂の穴の位置は云々だとか、真剣なやり取りが続く。
いやあ、大崎上島の人たちにとって、櫂伝馬はとても大切な行事なんだなあ!
***
7時になり、雨の中の練習開始。 みんな裸足になって、櫂伝馬に乗り込む。 そう、櫂伝馬は神聖な神様舟なので、履物を脱いで乗り込むことになっているのだ。
今年初めて船頭を勤めるFさんがリーダーとなり、港の周りを漕ぐ。 私は、太鼓側の3番を漕がせていただく。 ベテランの方が一緒に乗り込み、櫂の漕ぎ方や、船頭の大櫂の操作について指導して下さる。

暗くなると、舳先に取り付けた懐中電灯を点けて練習を続け、午後9時頃に練習終了。
***
練習が終わると、近くの集会所に移動してくつろぐ。 毎日、練習後にはこのように集まって軽く打ち上げをやっておられるとの事。 卓を囲み、ビールで乾杯。 ベテランの方も同席され、櫂伝馬についての話で盛り上がる。

『あの櫂は重すぎる。 少し削った方がええんじゃないか』 『もう、全体が太いわい。 あんなんじゃあ、グッと力を入れて進ませよう思うても難しい。 昔の櫂いうたら、片手で軽う持てよったもんじゃが、今の櫂は両手でしっかり持って渡すような感じじゃもんのう』 『細うて折れるのは駄目じゃが、こんな硬いと漕ぎにくいわ』
『櫂を削るいうて、自分達でやられるんですか?』と私。 『そうよ。 鉋を使うて削る』 『柿渋を塗るんも自分らでやりよった』 『そうですよね。 たしかに前は、あの何番いうて書いてある字が読めんようになるくらいまで削りよったですよね』
『柿渋は、何のために塗るんですか?』 『水が染み込まんようによ。 少しでも軽い方がええけえの』 『なるほど』

『競漕前の二日間は、櫂伝馬を陸に揚げて乾かすんよ』 『やっぱり軽うなったら違いますか?』 『そりゃあ違う。 浮き方がぜんぜん違うわ。 でも、2レースくらいしたら、水が染み込んで結局同じになるんじゃがの』
***
私はシーカヤックで瀬戸内を旅しており、この付近では生野島に良く行っている事や、竹原から出て大三島の台海水浴場でキャンプしたりしている事をお話しすると、『ええ、台まで漕ぐ! ようやるのお』 『あれですよ、竹原から岡村島まで漕ぐ事もあるんですよ』

また、シーカヤックでも硬すぎるパドルは漕ぎにくい事や、先日お話を伺った大崎下島での櫂造り職人さんの話、昔は祝島から木江まで櫂伝馬を借りに来た事があるという話などなどを交えつつ、更に櫂伝馬のお話を伺う。

『柿渋は、フネにも塗るんよ』 『ほうですか! 沖縄のサバニを造る所を見に行った時には、サバニにはサメの脂を塗る言うて聞きました』 『へえ、そうなんね』

『あの、櫂を取り付ける所の木は松を使うんよ。 毎年取り替えるんじゃが、昔は自分らで山に取りに行きよった。 ええ木ががあったら、ノコで切ってもって帰りよったもんよ。 昔はだれも文句いうもんはおらんだった』 『そうでしょうねえ、上島で櫂伝馬の人らじゃいうたら、文句は言えんかったでしょう』

『櫂伝馬でも、底の形でぜんぜん違う。 漕いだとき、舳先が浮き上がって疾走するけど、漕ぐのを止めたらすぐに停まる舟もあるし、最初の加速は悪いが漕ぐのを止めてもそのまま進む舟もある』 『シーカヤックも一緒です! ダッシュがええフネもあるし、なかなかスピードには乗らんけど巡航速度は決して遅くないフネもあるんですよ。 ちょっとした底の形や長さと幅の比率で違う』
***
その後も、昔の櫂伝馬競漕の話や、島の産業の事などなど、四方山話で盛り上がり、楽しい交流会は終了。
最初港で見た時は、いかつい人ばかりで内心ビビッていたが、熱くて濃くて良い人ばかり。 打ち解けることができて良かった!
『あんた。 また、漕ぎに来んさい』 『はい、ありがとうございます!』

一部の人は2次会に行くと言う事で、『あんたも一緒に行こうや』と誘っていただき、近くの店で再び盛り上がる。

こんな櫂伝馬好きの人たちが住む大崎上島で進める『旅する櫂伝馬プロジェクト』 これは楽しい企画になりそうだ!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内シーカヤック日記: 内田正洋著_シーカヤック教書

2009年07月20日 | 旅するシーカヤック
瀬戸内カヤック横断隊の内田隊長が書かれた『シーカヤック教書』が、今朝ようやく手元に届いた。 隊長からのメールで出版されたことを知り、ネットで注文していたのである。
 
この本は、教科書として書かれたものだという。 楽しみだ。 朝から大雨となった休日、届いた本を早速開いた。

*** 以下、引用 ***

『ところが、自然に対峙するための判断力を培うのは非常に難しい。 どれほど経験を積んでいても、失敗する可能性は消え去りません。 しかしながら経験を積まなければ判断ができないことも事実です。 つまり海という存在は、常に人を学ばせてくれるところです。 そこにシーカヤックが存在する意義があります。』

『でも人が海を真似ることはできません。 人は海から学ぶのではなく、海と人が関わってきた長い歴史、それを学ぶ。 そのための道具としてシーカヤックが存在しているのではないでしょうか。 書き方を変えると、海に生きてきた人々の歴史から何かを学ぶ。 人々が培かってきた海の文化をシーカヤックを漕ぐことで学んで行く。』

*** 引用、終わり ***

このシーカヤック教書には、瀬戸内カヤック横断隊の写真も多く掲載されており、装備やテクニカルな内容に加えて、シーカヤックを漕ぐことの意味についても、多くのページが割かれている。 まさに、『瀬戸内カヤック横断隊』の意義である、『瀬戸内海洋文化の復興、創造、そして継承』そのものだ。

1992年にシーカヤックを始めた頃に参考にしていたのは、ムック本であった。 『カヌーリバーツーリング入門』、『シーカヤッキング入門』

これらは、基本的なテクニックと道具、装備について書かれた入門書的なものであったが、当時はシーカヤックの専門ショップもほとんどなく、これらのムック本を教科書として経験を積んでいったものである。
***
一方、海外に目を向けると、そこには全く別次元の世界があった。 まずは、JOHN DOWD氏が著した『SEA KAYAKING』
 
ギネスブックにも載るほどのエクスペディションを経験したJOHN DOWD氏の書いたこの本には、経験したものだけが伝えられるリアリティが感じられ、とても興味深く、まずは英語版を、そして後に日本語版を手に入れ、むさぼるように読んだものだ。 ちなみに内田隊長は、後にこの日本語版の再出版にも関わっておられる。
***
そして、私にとってなにより衝撃的だったのは、JOHN DOWD氏が創刊した『SEA KAYAKER』

基本的なテクニックや道具/装備の情報がメインの日本のムック本とは違い、旅行記、レスキューテクニック、ナビゲーション、プランニング、科学的なシーカヤック性能評価などなど、深く高度な記事で充実していたことに驚いたものだ。 ただ当然ながら、全文英語なので、読むのは一苦労であった。

特に私が大切に保管している、表紙に鳥居が描かれた1989年のVOL.5 NO.4には日本特集も組まれており、故ローリーイネステイラー氏が書いた日本のシーカヤック事情の記事や、ポールカフィン氏による日本一周の記事も掲載されている。
この『SEA KAYAKER』を読んで、あまりに大きな日米のシーカヤック文化の差に、愕然としたことを覚えている。
***
そして今回、この『シーカヤック教書』
内田さんが1990年に出版された『SEA KAYAKING IN JAPAN』で既に言及されていた、『シーカヤックを漕ぐことの意味』、『ライフスタイルとしてのシーカヤック』が、その後20年近い月日を経て、瀬戸内横断隊の経験なども含めて咀嚼/整理され、まとめられた本だと感じた。

単にスキルやテクニック、道具や装備論だけでなく、海洋文化としてのシーカヤックも含めて論じられた、だが隊長らしく決して堅苦しくない教科書。

内田隊長は、こうも綴られている。 『僕の場合、確かに20年前とは漕ぎ方が変わっていると感じます。 体力が衰え、身体のキレも悪くなっているからです。 でも気持ちの方は、もっと漕ぎたい。 もっと旅したい。 もっと海を理解したい。 もっと人を理解したい。 そんな気持ちになっています。』
 
日本ならではの海洋文化をバックボーンとした、日本ならではのシーカヤックルネッサンスが始まっており、そしてそれを復興し、創造して伝承して行くのは、まさに私たち自身なのである。 『シーカヤック教書』、ぜひ読んでみて下さい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内シーカヤック日記: 夏の倉橋、生ちりめん丼&温泉

2009年07月19日 | 旅するロードスター/アテンザ
2009年7月19日(日)倉橋島にドライブに行く予定。 今日のねらいは、夏の倉橋と言えばなんと言っても『生ちりめん
前回冬に行った時は私ひとりだったので、まだ地元名物の『生ちりめん』を食べた事がないという家族と一緒に食べようと言う企画である。

たまたま予定が空いているという長男も一緒に行く事になったので、彼に帰りの運転を任せれば『”ベストシーズンの生ちりめん”で”生ビール”』が楽しめる! ああ、たまらんなあ。
***
妻と長男を乗せたアテンザワゴンは倉橋の桂浜温泉へ。

温泉館の周りには、『お宝_生ちりめん』の幟が。 これは楽しみだ!
 
なんと言っても、一番のおススメは、生ちりめん丼。
ちりめんのかき揚げも注文。 ボリュームたっぷりでサクサクである。
 
ビールのつまみに穴子天。 おお、ここの穴子天はいけるなあ。
ちりめんのつくね揚げは、ふわふわとした食感でなんとも美味い。
 
生ちりめん丼は、わさび醤油を垂らし、まずは載せられた卵の黄身を崩さず、あっさりした”ちりめん”そのものの味を楽しむ。
そして途中からは黄身と混ぜ合わせ、ネットリ濃厚な味わいを堪能するのがおススメ。

妻は『ちりめん定食』を注文したので、お刺身・つくね揚げ・黄味おろし和え・ちりめん丼・茶碗し・吸物・香の物と、いろいろなバリエーションが楽しめた。
***
妻と長男は初めての『生ちりめん』 どうやら気に入ってくれたようだ! 一緒に来て良かったなあ。 食後は少し休憩し、温泉へ。 1時間半ほどたっぷりと温泉を堪能し、長男の運転で家路についた。
倉橋島名物、『お宝_生ちりめん』 最高です!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内シーカヤック日記: 佐野元春 & THE COYOTE BAND

2009年07月17日 | Weblog
2009年7月16日(木)仕事を終えると、そのままロードスターで街に出た。 パルコの前で妻と待ち合わせ、『広島クラブクアトロ』へ。
今日は、待ちに待った『佐野元春 & THE COYOTE BAND』のライブハウスツアーの日である。
***
18、19歳の頃、アルバイトをして買ったステレオで、毎晩飽きることなく聴き続けていた佐野元春のLP。

あり余るエネルギーを持て余し、生きる事の意味を考え、ほんの少しのうれしい事でもHappyになり、なんでもない事で落ち込んでいた。
何の根拠もなくどんなことでもやれそうな気がしているのに、本当は自分の人生には意味がないんじゃないかと悩み、カフカやトルストイを読み、佐野元春を聴いていた。 あの青くて、暑苦しく、醜く、それでも純粋だった時期の私を支えてくれたのは、佐野元春であった。

『グッバイからはじめよう』、『情けない週末』、『SOMEDAY』 ”街の唄が聴こえてきて 真夜中に恋を抱きしめた あの頃 踊り続けていた 夜のフラッシュライト浴びながら 時の流れも感じないまま”

あの頃聞き続けていたおかげでDNAに組み込まれてしまったのか、今でも、偶然ラジオから『SOMEDAY』が流れて来ると、条件反射のようにあの頃を思い出し、目が潤んでしまう。
***
高専を卒業して大学に編入し、初めて東京に住んだ時、渋谷公会堂で佐野元春のコンサートがあると聞いた。 まだ20歳の時である。
当時はまだインターネットなどなく、予約開始日の受付開始時間に電話をしたが、もちろん何度電話しても通じる事なく、一瞬で完売してしまっていた。 とにかく当時は凄い人気だったのである。
***
それから二十数年の歳月が流れ、通勤の途中にいつものようにラジオを聞いていると、広島で佐野元春のライブがあるという。 ラジオでは何日も続けて宣伝しているから、まだまだチケットは残っているようだ。
家に帰り、妻に『佐野元春のライブがあるんだってよ。 行ってみる?』 『いいよ。 でも、曲を知らんと盛り上がれんよ』
『そうじゃなあ。 じゃあ、チケット申し込むで。 そしてCDも買おう』

それから毎日、通勤の時には、幌を下ろしたロードスターで海岸沿いの道を走りながら『COYOTE』を聴き、ライブに備えていた。
***
午後7時。 ライブが始まった。 あ、あのラジオから、そしてレコードから流れていた佐野元春の声だ!

『君が気高い孤独なら』 ”もしも君が蒼い孤独なら 人の話などどうでもいい その目で聞いて その胸で話してくれ”

『呼吸』 ”目覚めた後に訳もなく 涙に濡れてしまうとき 見知らぬ夜が降りてきて 痛みに溢れてしまう時 君のそば 君のそばにいて どんな時も 君の味方 僕は君の 味方だって思っていてくれ”

『コヨーテ、海へ』 ”毎日の猥雑なニュースに 神経もやられてしまいそうな日々 今夜も誰かが誰かにジェラシー 欲望は膨れてゆく あてのない夢 捨ててしまえ 人はやりたいことをやればいい”

うん、やっぱりその詩は佐野元春ワールドじゃないか!
***
アルバム『COYOTE』の曲が終わり、アンコールの後。 『みんな、ここから見ると大人になったねえ! うん、本当に大人になったよ』と元春。 そう、ライブ会場に集まっている人たちの多くは30代後半から50代。

そして、『どうだい、80年代に戻ってみたいかい?』と聞くと、会場には歓声が!
ここから会場の雰囲気が一変した。 みんなの熱気で温度は上がり、手拍子が高まり、拳を突き上げ、みんなノリノリだ。

『ヤングブラッズ』 ”ひとりだけの夜にさよなら 木枯らしの時も 月に凍える時も 偽りに沈むこの世界で 君だけを 固く 抱きしめていたい”

『ダウンタウン・ボーイ』 ”DOWN TOWN BOY DOWN TOWN BOY 気どってばかりの Runaway 恋を抱きしめて ここにもひとり あそこにもひとり But it's alright Yes he's a Down Town Boy”
***
最後の曲は、『アンジェリーナ』 おお! 会場は最高に盛り上がり、大合唱である。

”シャンデリアの街で眠れずに トランジスターラジオでブガルー 今晩ひとり 情熱だけほえて ジェームスディーン気取りの ティーンエイジ・ブルース”

”オー アンジェリーナ 君は バレリーナ ニューヨークから流れてきた 淋し気なエンジェル 今夜も愛をさがして 今夜も愛をさがして 今夜も愛をさがして”
***
帰りはロードスターの幌を下ろし、妻と二人で家まで夏の夜のドライブ気分。 CDのCOYOTEをかけ、ライブの興奮覚めやらない心地良い余韻を楽しみながら、オープンカーならではの開放感と涼しい風を味わう。

『いやあ、やっぱり来て良かったなあ。 SOMEDAYは聴けんかったけど、アンジェリーナは最高だったよ!!!』 『ほうじゃね。 もう、二十数年来の念願じゃったんじゃもんね。 SOMEDAY聴いたら泣くけん、アンジェリーナで盛り上がってよかったんじゃない』 『ほんまじゃあ』
***
”Happiness & Rest 約束してくれた君 だからもう一度あきらめないで まごころがつかめるその時まで SOMEDAY この胸に SOMEDAY ちかうよ SOMEDAY 信じる心いつまでも SOMEDAY”
元春。 歌い続けていてくれて、そして広島に来てくれて、本当にありがとう!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内シーカヤック日記: B級グルメ&温泉堪能、一泊二日のドライブ旅行(2)

2009年07月08日 | 旅するロードスター/アテンザ
2009年7月5日(日) 朝起きると、昨日とは打って変わって快晴。 今日は、先日漕ぎに行った『浦富海岸』での観光船での遊覧と三朝温泉を楽しむ予定。
***
朝食とは思えないほど品数豊富でおいしい朝ご飯をいただき、荷物を片付け、宿を辞す。
浦富海岸にある遊覧船の発着所に行き、始発の便に乗り込んだ。
 
遊覧船の上からではあるが、先日、ロックガーデンでの日帰りツーリングを楽しんだ海域を、妻に見せてやる事ができるのはうれしいことだ。 それに、風が強くなってきたので奥まで散策できなかったので、次回に向けての下見にもなる。
 
梅雨時期の日本海らしい、べた凪の海。 昨日の雨で濁っているとは言え、それでも透明度の高さはさすがである。

『おー、あそこ。 あの狭い洞窟をこの前はシーカヤックで抜けたんよ』 『へえ、あそこのとこ?』 『そうよ。 このあたりは、ほんまに洞窟が多て。 シーカヤックでしか通れんのも多いんで』

1時間弱の遊覧を終え、発着場に戻る。 息子から着信があったというので電話するという妻より先に待合室に行くと、そこですれ違った人は、どこかで見たような気が。。。 うーん。あれは。。。 『あ! あれは宮崎美子さんだ』

懐かしいなあと思いつつ、スルーした私。 その後、いくら待っても妻が帰ってこない。
おかしいと思い、ケータイを取り出し電話してみると、『今、宮崎美子が来てるんだって聞いたんよ。 じゃから、船着き場まで見に行っとった。 今、戻りよるところ』だとか。 いやあ、まいったなあ。
***
『ほんま、ミーハーやなあ!』とちゃかしながらクルマに乗り込み、次の目的地である三朝温泉へと向かう。
この三朝温泉も、これまで何度か来たことがある。 一泊旅行でも来たし、旅行の途中で立ち寄り湯に来たこともある。

でも今回のテーマは、身近でかつ行った事の無い場所の発掘。 今回は、三朝温泉の源泉という『株湯』へ!
 
地元の方も愛用しているという『株湯』 湯船は狭いが、良い感じの温泉である。 まだ昼過ぎと言う事で少ないお客さん。 しずかにゆっくりお湯に浸かることができた。

おどろくのは、その湯温。 なんと温度計は44℃を指している。 恐る恐る入ってみたが、なんと普通に浸かれるではないか! これはすごい。
後から入ってこられた地元の方によると、水道水をまったく混ぜていないここの温泉は湯の当たりが柔らかく、この温度では普通の家の風呂では入れないのだが、ここでは入る事が可能なのだとか。

また今は44℃の設定だが、本来は45℃くらいだったのだそうな。 観光客が増えて、温度の低い源泉の比率を高めて、低めの温度にしているらしい。 44℃と45℃は、ほんの1℃の違いだが、お湯に浸かってみると全く違うらしい。
『いやあ、1℃の差じゃけど、そりゃあしびれるよ。 ぜんぜん違う』
***
『ここへは、毎日来られるんですか?』 『ほうよ。 でも、入るんは長うて15分くらいかの。 さっと入ってさっと出る。 この温度じゃけん、長湯したら倒れるよ』 『なるほど。 湯の当たりが柔らかいからいうて、長湯しちゃあいけんのですね』
***
私たちも20分ほどで上がり、外の長椅子に座って涼みながら、地元のおじさん、おばさんから、様々なお話を伺った。 楽しい一時。 いい温泉を見つけたなあ!

なかなか止まらない汗を拭きながら、蒜山へと向かう。 今日の目的は、『蒜山やきそば』

ジンギスカンのたれで味付けし、鶏肉を使うという『蒜山焼きそば』で昼食。 ただ個人的には、昨日食べた『ホルモンうどん』が好みかな。

その後、場所を移動してソフトクリームを食べ、留守番をしてくれている息子達への土産を買い、家路についた。
いつもの旅行エリアではあるが、これまで行った事の無いディープなスポットを見つける事をテーマにした今回の一泊二日のドライブ。 なかなか良かったなあ!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内シーカヤック日記: B級グルメ&温泉堪能、一泊二日のドライブ旅行(1)

2009年07月06日 | 旅するロードスター/アテンザ
2009年7月4日(土) 昨年より大幅に減ったとは言え、ボーナスが出た週末。 かねてから計画していた山陰への一泊二日のドライブ旅行へと出かけた。
***
今回の旅行を企画する段階での妻との会話。 『おい。 どっか、これまで行った事がのうて、行きたいとこは無いんか?』 『うーん、有名なとこは結構いっとるよねえ』 『ほうよのう。 ほんまにこっちの方じゃあ、遊ぶ場所が少のうて。 うーん。。。』
そう、観光地や遊ぶ場所の少ない中国地方では、ドライブや旅行で行く場所が比較的限られており、結婚前からを含めて二十数年も夫婦や家族でドライブや旅行を続けていると、なかなかこれまで行った事が無く、それでいて新たな発見のある場所と言うのは少ないのである。 という訳で、今回の旅の目的は、身近にありながら、これまで訪ねた事の無い場所の発掘に設定。

得意のネット検索を駆使してプランを作り、土曜日の朝、アテンザワゴンで家を出た。
***
まず向かったのは、『奥津温泉』 美作三湯の中では相対的にマイナーではあり、これまで行った事が無い温泉である。
11時頃、奥津温泉に到着。 少し早いがお昼ご飯にしよう。 狙っていた道の駅では、有名な食べ放題に観光客が押し寄せており、早くも争奪戦状態。 うーん、これは。。。
混雑がきらいな私は、静かに食事ができる店を探して移動。

ようやく見つけたお店でメニューを見ると、『ホルモンうどん』という記載が。 『あのー、このホルモンうどんって何ですか?』と店のご主人に聞くと、『これはねえ、焼きそばがありますやろ。 あれのうどん版で、ホルモンが入っとるんです。 おいしいと思いますよ』との事。 『じゃあ、そのホルモンうどん、お願いします』

出てきた焼うどんには、その名の通りホルモンが入っている。
口に入れると、ホルモンから出た濃厚なエキスと脂分が、うどんの表面にまとわりついており、なんとも言えないネットリ&濃厚、そしてジュルジュルとジューシーな焼うどんになっている。 『おお、これはウマい! これは、ビールが欲しいなるなあ!』

店のご主人に、『これはおいしいです』と言うと、『そうでっしゃろ』
『ここらへんは、ホルモンが有名なんですか?』 『いやあ、そうじゃないんやけど、津山の方でホルモンうどんが有名になって、ここに来るお客さんがみんな、ホルモンうどん、ホルモンうどんいうて言うもんやからうちも出すようになったんです』と、正直な返事。

『これ、焼きそばやったらどうなんですか? ホルモン焼きそば』 『あきまへん。 うちもやってみたんやけど、うどんやないとあかん』 なるほど。 このネットリかつジュジュジュルと脂と旨味がまとわりつく感触は、焼うどんならではかもしれないなあ。

その後も、話し好きな関西系のご主人から、奥津温泉に関する様々な面白おかしいお話を伺い、店を出る。 『ごちそうさまでした。 ほんま、おいしかったです。 また来ます』 『おおきに、気をつけて』
***

午後は、予約していた奥津温泉の貸し切り風呂へ。
 
歴史のあるこの宿では、川沿いに温泉があり、露天風呂も楽しめる。 しかも、一回一組50分の貸し切りで、ゆっくりとお湯に浸かることができるのだ。
 
妻と二人、雰囲気の良い茅葺き屋根の家の前を抜け、川沿いの温泉へと下って行く。
お風呂は、小屋の中と、川沿いの小さな露天風呂。 まずは小屋の中のお風呂に浸かり、しばらくしてから露天風呂へと移動した。
今日は幸い、晴れたり曇ったり。 渓流の景色が堪能できる小さな湯船に妻と二人でゆっくりと浸かり、しずかな時間の流れに身を任せる。
『ここはいいねえ。 貸し切りで静かだし、景色も好い。 お湯もぬるめでゆっくり浸かれるね』 『ほんと。 お湯も気持ち良いし、あんた好みの温泉じゃね。 ホルモンうどんといい、ここの温泉といい、今回のスタートはバッチリじゃない』
大きくなった息子達に留守番を任せ、夫婦二人の温泉旅行。 これはこれで、なかなかいいものである。
***
50分が経過し、お湯を出て着替え、上がって行った。 『すみません。 この縁側で少し休ませてもろうてもええですか?』と、落ち葉を掃除しておられたご主人に聞くと、『ええですよ』との答え。

縁側に腰掛け、水筒を取り出してコーヒーを飲んでいると、落ち葉の掃除をしておられたご主人が来られた。
『昨日は、夕方から大雨で凄かったんですよ』 『えー、昨日はそがあに降ったんですか?』 『ええ、今朝まであの露天風呂から見える川の所も滝みたいになってました。 午前中、川の所に行ったら、増水した後の所にアマゴが残されて逃げれんようになっとったから、網で捕まえてきたんです。 見てみます?』 『はい、ぜひ!』
 
『おお、これはでかい。 こんなんが捕まえられるんですか』 『今日は一匹でしたけど、多い時は何匹も捕まえるんですよ』
***
縁側で涼ませていただきながら、宿や奥津温泉に関する様々なお話を伺う。
台風が来る時の対策。 最近多いゲリラ豪雨の影響。 川沿いの施設だから、大雨の後は片付けが大変なのだとか。
蛍を眺めながらの温泉。 アマゴやアユ獲りの楽しみ。 茅葺き屋根の手入れの大変さ。 落ち葉の掃除。 冬の寒さの厳しさなどなど。

『いやあ、温泉に入りに来る方は楽しいですけど、維持される方はご苦労が多いんですねえ』 『そうなんです。 こんなところ、住むのは大変なんですよ』
『ほんま、気持ちよかったです。 ありがとうございます。 また来ますよ』 するとご主人は笑いながら、『ええ、また来て下さい! その時は、落ち葉の掃除でも手伝ってもらおうかな』 『いやあ、ホンマですね。 では』
***
おいしいB級グルメのお昼ご飯を食べた後は、なんとも最高のロケーションで夫婦水入らずの貸し切り露天風呂にゆっくりと浸かり、湯上がりは、静かな縁側で宿のご主人から様々なお話を聞かせていただいた。 うーん、なかなか良い旅じゃないか!

その後、急に降り始めたゲリラ雷雨の中を中国山地越えし、鳥取へ。
これまた初めて訪れた、因幡の白兎伝説で有名な白兎神社に参拝し、今日の宿へ。
***
漁港の近くにある静かな宿。

晩ご飯は、もちろん魚尽くし。

ネットリと甘い、一人一杯のイカの刺身。 新鮮なアジの造り。 これまたネットリ濃厚なエビの刺身。
 
大きなメバルの煮付け。 ノドグロの焼き魚。 干物の天婦羅。 カニの法楽焼き。
 
ビールに焼酎。 鳥取名物のラッキョ。 そしてイガイで出汁をとった、磯の香りの濃厚な汁。
『あー、ごちそうさまでした!』 充実した今日一日の旅を思い出し、胃も心も満腹満腹。

さあて、明日はどんな楽しみが待っているだろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内シーカヤック日記: あるくみるきく_里ラムネ

2009年07月03日 | 旅するロードスター/アテンザ
2009年6月28日(日) 午前中から妻と一緒に広島市内に映画を観に出かけた。 『Dear Doctor』
帰りに呉で妻を降ろすと、私は一人で倉橋島へと向かう。

今日の目的は、倉橋名物の『里ラムネ』と『北吉鮮魚店』
***
島ならではの、クルマ一台がやっと通る事のできる狭い路地を抜け、『里ラムネ』へ。
クルマを停め、奥に入って行く。 するといつものご主人が居られた。
『こんにちは。 ご無沙汰してます!』 すると私を見て『おお、久し振り』
『今日は空瓶を2ケース持ってきました。 1ケース買って帰りたいんですが』 『それがのう、機械が故障しとって、今ないんよ。 今朝まであったんじゃが、イベント用に10ケース買いにきた人がおって、ないなった』
『えー、ほんまですか。。。 残念じゃのう』

『あんた、すぐに帰らんといけんのんじゃろう?』 『いやあ、今日は北吉さんに持ち帰りの刺身を頼んどって、4時にいきゃあええんです。 じゃけえ、まだ時間はありますよ』 時計を見ると、まだ1時間弱ほどある。
『ほうか! 今、鉄工所の人に部品を修理をしてもらいよるけえ、待っとったら直るかもしれんで』 『ほうですか! じゃあ、待ちますよ』
するとご主人は、ニコニコと笑いながら、店の前に置いた空のラムネケースに座り、お話モードに入った。 そう、ご主人は、私がここでラムネに関する様々なお話を伺うのが好きな事を良くご存知なのだ。
***
『あんたあ、去年はよう来たよのう』 『ほうですねえ。 今年は海にでるのが忙しゅうて来れんかったんです』
『海?』 『あれですよ、カヌーです』 『おお、ほうじゃったのう』

『ところで、バラのラムネも無いんですか?』 『あるよ』 『じゃあ、飲みたいんで一本ええですか?』 『おお、ええよ』
 
奥にある冷蔵庫から一本出して下さり、懐かしい栓抜き(?)でビー玉を押して栓を開ける。 ここのラムネは、一本なんと『60円』である。 感謝感激。 そして、感涙!

『プシュッ』 『カラカラ』 『シュワワワー』 『グビリ』 『あー、やっぱりウマいですねえ』
***
『ところで最近はどうですか? 去年は暑かったけえ良かったんじゃないですか?』 『ほうじゃの。 少しはえかったかのう。 まあ、そうは言うてもそんなにもうかりゃあせんよ』
 
『ところで、こりゃあラムネの瓶のパッキンですね』 『ほうよ。 これが去年は無いゆうてのう。 困っとった』 『なんでですかねえ?』 『多分、去年は油が高うなっとったろう。 その影響じゃ思うんよ。 今年はちゃんとあるいうて言いよる』

『少ないゆうて言いよっちゃった瓶は大丈夫ですか?』 『まあ、毎年減って行きよるよ。 割れるんもあるし、祭りやなんかで売りよる分は、回収してくれ言うて頼むんじゃが、やっぱり珍しいけえ持って帰る人もおるよ。 まあ、売る人も全部に目は配れんしのお』

『あの口がプラスチックになっとるのはどうなんですか?』 『あれはのう、わしも飲んでみたが、口のところがプラスチックじゃろう。 冷えんのんよ。 じゃけえ、飲んだ時に美味うない』 『なるほど! やっぱり口が当たる所が冷えとるんも、ラムネのおいしさの一つなんですねえ』
***
こうやって、いつものようにご主人から様々なお話を伺っていると、軽トラックのエンジンの音が聞こえてきた。
『お、帰ってきたかの』
***
鉄工所の方が帰ってこられ、ご主人と話しながら機械の方に行かれた。 もちろん私も見学。
修理したと思われる部品を取り付け、位置や角度を確かめている。
 
『こんにちは。 これはロウ付けされたんですか』 『ほうよ。 ここが曲がっとったけえ、寸法をはかって、直してきた』
『じゃあ、この機械が故障したら、いつも見られよるんですか?』 うんと頷き、『そうよ』 子供の頃からここのラムネを飲んでおられるという地元の鉄工所の職人さんが、このラムネ製造を支えておられるのだ。 素晴らしい!

『それにしても、この電動機やプーリー、革ベルトがええですね。 機械好きにはたまらんですよ』 『もう、こんな機械は作れんで。 この電動機なんか、コロ軸受けじゃのうて、メタルなんで』 『そりゃあ凄い。 ベルトじゃけえ、負荷が大きゅうなったら滑って逃げるけえ、メタルの滑り軸受けでもつんでしょうね。 ホンマ、こりゃあ、大事に直してもらわんと』

上手い具合に直ったかどうかを確かめるため、電源を入れて試運転。 空の瓶をセットして動かし、戻ってきたら外して次の瓶に入れ替える。 うん、どうやら調子は良いようだ。
***
試運転が終わると、機械に火を入れたり(炭酸ガスが冷えてドライアイスになるのを防ぐためだそうだ!)、バルブを開けたり、瓶をセットしたり。 とうとう、実際のラムネの瓶詰めが始まるのだ。 ワクワク!
奥から、奥さんも出てこられた。 『こんな壊れる言うのは、もうラムネ作るんは止めえいうとるんじゃろうねえ』 『何いうとられるんですか! こんな貴重な機械を止めてもろうちゃあ泣きますよ。 絶対、続けて下さいよ!』
 
機械が動きだし、ラムネが詰め始められた。 しばらくすると、ご主人が箱から2本取り出し、『ほい、飲んでみてくれ。 いつもの味と変わっとらんか?』
 
味の確認である。 責任重大だ! 鉄工所のおじさんと私は『出来立てホカホカ』、いやこれはおかしいな、『詰めたてシュワシュワ』のラムネを試飲し、顔を見合わせ、『ええよねえ』と頷き合い、『ええんじゃないですか!』と答えた。
***
機械は順調に動き、どんどんラムネが詰められていく。 おばちゃんは、一本一本、異物が入っていないかを目視で検査。
ここ『里ラムネ』では、瓶の洗浄も一本一本手作業だし、詰めるのも検査も人の手が掛かっている。 これで、おいしいラムネが一本『60円』 改めて感涙!

『おっちゃん。 わしのラムネも、1ケース詰めてもろうてええですか』 『おー、わかった!』
***
『おっちゃん、ありがとう。 また買いに来ますけん』と工場を後にした。 時間は、ちょうど午後4時。
北吉鮮魚店に予約している時間である。
 
今日は、両親を招いてのささやかな宴。 修学旅行中の次男を除いた5人前の刺身を持ち帰り、みんなでおいしくいただいた。
タコ、イカ、ブリ、鯛、鱧の湯引き、そして珍しい『穴子の刺身』
初めて北吉刺身に行って出された『穴子の刺身』を食べてから、こんなおいしい刺身があるのかと感動し、ぜひ親に食べさせたくて、特別にお願いして刺し盛りに加えてもらったものだ。 これがプリプリ、コリコリで、両親にも大好評であった。
***
とびしま海道を漕いだOne Wayのシーカヤック旅で、『みはらし食堂』で楽しい夜の時間を過ごし、翌日には大崎下島の大浜で『あるくみるきく_旅するシーカヤック』を堪能した週末は、倉橋名物である『里ラムネ』と『北吉鮮魚店』で〆。
いやあ、この週末も最高だったなあ! 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする