あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

『芸予ブルー』_テーマカラー of 印象派_”瀬戸内シーカヤック日記”

瀬戸内シーカヤック日記: レジリエンスな生き方_人生の大切な事は全て海が教えてくれた

2013年10月30日 | 旅するシーカヤック
つい最近、レジリエンスに関する研修を受ける機会があった。
普段、あまり耳にする事の無い言葉『レジリエンス』

研修で教わったのは、様々な困難に直面した時に、軸足が定まらずフラフラして倒れるのではなく、またガチガチに硬くて途中でポキリと折れてしまうのでもなく、『様々な困難や変化に”しなやかに”対応できる強さ』であるとの事。

その研修の最初に、講師の方から『じゃあ、レジリエントな人として、皆さんが思い浮かべる人は誰でしょうか?』との質問があった。
講師の方から、『では、最初にあなた。 どうですか?』 と、なぜか俺のところへ。

俺はすかさず、『皆さんは名前を知らないかもしれませんが、私のシーカヤックの師匠である内田正洋さんです。 ある時、もの凄く荒れた瀬戸内海をシーカヤックで漕いでいて、あまりの風と波の厳しさに、ある島に緊急避難で上陸したんですよ』

『俺たち参加したメンバーは、もうあまりの厳しさに心も体も打ち拉がれて、みんなこの島で一泊する事にしようって話していたんです。 でも内田さんが、”おい、島の裏側の様子を見に行こう。 あっちは風裏で漕げるかもしれないぜ”って』

『みんな顔を見合わせて、”えー、マジかよ”って思いましたが、実際に見に行ってみると、確かに風が弱かったんです。 それで、再び漕ぎ出す事になりました』

『その時俺は、”隊長はなんでそんなに強いんですか?”って聞いてみると、”俺たちは、パリダカールラリーに出るための訓練を受けたんだ。 その時に、どんな困難な状況でも、決して後ろ向きの言葉を口にしてはいけないということを、徹底的に教えられたんだよ”』

***

あの、瀬戸内シーカヤック文化に新たな歴史を刻んだ記念すべき【第1次瀬戸内カヤック横断隊】に参加させていただいたときから、俺のシーカヤッカーとしての本当の第一歩が始まったのだと感じている。

尺取り虫方式での瀬戸内横断~日本海北上編。 津軽海峡横断チャレンジ。 第1次瀬戸内カヤック横断隊。 夏のシーカヤック教室。
本当に、人生の大切な事は全て海が/シーカヤックが教えてくれたのである。

あの研修の後、内田隊長から教わった事と第1次瀬戸内カヤック横断隊の想い出が、心の奥深くから沸き出してとまらないので、2010年9月に書いたブログを読み直してみた。

『ああ、本当に、人生の大切な事は全て海が/シーカヤックが教えてくれたのだなあ!』 感謝。

*** 瀬戸内シーカヤック日記: 『第1次瀬戸内カヤック横断隊』と『観光文化研究所』 ***

先日、三原市で行われた森本孝さんの講演を聴いたときにふと感じたのが、宮本常一が所長をしていた『観光文化研究所(観文研)』と、内田正洋隊長がリーダーを勤められている『瀬戸内カヤック横断隊』との間には、共通するものがあるということ。

***

『観文研は、同じ志を持った人が集まる場であり、同じ志を持った人たちがつながった場である』
→ 第1次瀬戸内カヤック横断隊も、プロ/アマを問わず、シーカヤックの世界を極めたいという熱い志を持った個性豊かな面々が様々な縁で集まり、経験豊かな内田さんをリーダーとして隊が構成されていた。

『宮本常一は、観文研の研究員に対して、毎月一回講義を行っていた。 これを通じて、モノを見る力と視点を教えられ、研究員の育成にもなっていた。 この講義が、宮本常一が仲間を育成していくやりかたである。 そしてこの講義を受けてモノの見方を学んだ事が、観文研出身の研究者と、大学だけで学んだ研究者との最大の違い』
→ 第1次瀬戸内カヤック横断隊は、まさに実践版シーカヤックアカデミーとして企画され、初冬の厳しい瀬戸内の海を、キャンプ道具を積んだシーカヤックで実際に旅しながら、ひどく荒れた海と寒気の中、お互いに助け合い、経験や知識を教え合い学び合うという、とても貴重な実践の場であった。

『宮本常一は、古い文化を復興させ、それを地域の将来につなげていくことを考えていた』
→ これぞまさに、私が瀬戸内カヤック横断隊から学んだ、『瀬戸内海洋文化の復興、創造そして継承』そのものである。

私は、第1次から第6次まで、毎回数日間だけの部分参加をさせていただいていたのだが、その中で一番深く印象に残り、そして後のカヤックライフ/カヤックスタイルに大きな影響を受けたのが、『第1次瀬戸内カヤック横断隊』

2004年の秋にブログを書きはじめたのは、第2次横断隊の事を記録に残しておきたかった事がきっかけだったので、第1次横断隊の事はブログには書いていなかった。
もう7年も前の事なので記憶も定かではないが、せっかくなので、その時の事を想い出しながら、記録に残しておこうと思う。

***

2003年11月20日 親父のクルマにフェザークラフトK-1を積み込み、蒲刈の県民の浜へと送ってもらう。
偶然、先日知り合ったエルコヨーテさんから、この隊が企画されている事を教えていただき、隊長からメンバーに送られてきた『設立趣意書』に感動&共感して、参加させていただくこととなったのだ。
さて、これからの数日間、いったいどんな日々が待ち受けているのだろうか?

数日前に山口県を出発した、記念すべき『第1次瀬戸内カヤック横断隊』は、寒気と強風の中、小豆島を目指して東に漕ぎ進んでいる。 予定では、今日には蒲刈島へ到着するはずなのだが、厳しい風と波に難儀し、遅れているらしい。

県民の浜に到着し、ケータイ番号を教えてもらっていたハラダさんに連絡をとって合流する。 今回が、ハラダさんとの初対面。
隊の到着が遅れそうだということ、そして今日到着してもそのままここから出発せず、一泊する可能性が高いと言う事なので、『のんびり待ちますか』という事に。

まずは、フェザークラフトK-1を組み立てる。 普段の旅と違い、天候によってルートも日程もどうなるか分からないとの事なので、リジッド艇では合流や離隊後の回収が難しいと判断し、今回は、進退自由なフェザークラフトで参加してみる事にしたのである。

その後は、ハラダさん、カメラNさん達と、桟橋の岩ガキを採集してつまみの準備。

午後、ようやく隊は到着したが、連日の悪天候でみんな疲れ果てており、やはりここ蒲刈で一泊する事になった。

今でもいろいろとお世話になっている、地元のIさんの好意でB&Gの艇庫をお借りし、雨露を凌がせていただく。 ありがたいことだ。
内田さんとは、伊豆のアカデミーやジョンダウドと漕いだイベントなどで何度かお会いした事があったが、隊長以外の隊員達は、私にとっては、ほとんどが初対面のメンバー。 ビールを酌み交わしながら、ここ二日間の厳しい旅の状況を聞き、交流を深める。

今回は初日から荒れており、一日漕いだ隊員は疲れているのだが、二日目から合流したまだ元気な隊員がペースを上げて引っ張っていったのだとか。 初めてのこと故、ペース配分もよく分からず、お互い競争のようになってかなりハイペースになり、クルマでの陸上班伴走が始まってからは、みんな荷物を軽くしてなんとか付いて行こうと努力しているとの事。
うーん、そんなハイペースだと、スピードでは劣るフォールディングカヤックでついて行けるかなあ?

横断隊は5時起床&7時出発が基本とされたので、軽く飲んで、みんな早々にシュラフに潜り込んだ。

***

2003年11月21日 朝5時前に起床。 シュラフを片付け、コンロに火を点けて朝食の準備。 そそくさと食事を済ませ、荷物をパッキング。
Iさんが準備して下さっていた、『歓迎 第1次瀬戸内カヤック横断隊』の看板の前で記念撮影をして、7時に出発した。

今日も強い西風が吹いている。 岬に沿って漕ぎ進み、黒鼻を越えると。。。
そこは、瀬戸内とは思えない荒れた海が待っていた。 西から南西の強風で大きなうねりが入り、これまで経験した事がないような瀬戸内海の別の顔を見せつけられた。 それ以来、瀬戸内への見方が大きく変わった。

津軽海峡横断や、ジョンダウドと漕いだ西伊豆のイベント、沖縄でのツーリングなどでは、これよりも厳しい状況はあったが、まさか地元の瀬戸内でこんな状況に遭遇するとは。

斜め後ろから押し寄せてくるウネリと風浪に、時折ヒヤリとしながら豊島に向かって漕ぎ進む。 『おーい、ここから海峡横断だ。 みんな固まって漕げよ』と隊長からの激が飛ぶ。

上蒲刈から豊島へ、豊島から大崎下島へ。 大崎下島の南岸が厳しかった。
南西からの強風によるウネリ。 そのウネリと風浪が、岸壁にぶちあたり、その返し波と重なって複雑な三角波が押し寄せる。

荒れた海での安定性にすぐれた『フェザークラフトK-1』と、手に馴染んで強風に強い『アークティックウインド』との組み合わせなのだが、それでもまったく気が抜けないパドリング。
 
スケグ仕様のカヤックで参加していた経験豊富なメンバーが、こんな状況で漕ぐなら次回からはラダー付きにする、と言っていたのが印象的。

また、ラダーもスケグもないバイダルカは、保針に苦労しているのに加え、激しい波で浸水もあるようで、時折岸沿いに寄ってはビルジポンプで水出しをしている。
それを待つ間、沖縄で荒れた海を漕いだ時の経験から、岸壁から離れた場所で待機する。 近くに居た隊長が、『そう。 こんな時は、岸壁から離れた方が波が安定しているんだよな』

後で聞いた話では、バイダルカは潮流や風に応じて舟が行きたい方向があるのだそうだ。 それに従って漕ぎ進むには楽なのだが、今回の様に一団となって行動する場合には、必ずしも舟が行きたい方向と隊が進む方向が一致するとは限らず、操船にはかなり苦労したようである。

***

なんとか岡村島まで漕ぎ進み、観音崎を越えたあたり。 とつぜん目の前につむじ風が巻き起こり、海水のしぶきが空中に巻き上げられていく。
強風は隊員達をも襲い、風沈しそうになる。 『こりゃ、やべえ。 一旦上陸しよう』

小さな浜にシーカヤックを引き上げ、ほっと一息。 『観音崎に様子を見に行こう』ということになり、高台に登ってみると。。。
そこには一面真っ白な海が。 沖を行く大きな貨物船が向かい波に突っ込み、砕けた白波が高い船首を越えていくという恐ろしい光景。

皆一同に『こりゃあ絶対無理だな。 今日は岡村島泊じゃないか』、『いやあ、これは漕ぎたくないですねえ。 怖い怖い』とささやき合う。
でも隊長は、『ようし、じゃあ島の反対側を見に行ってみるか』 一部の隊員が同行し、小大下島との間の瀬戸をチェックしに行くことに。

歩きながら隊長は、『俺たちはダカールラリーに参加するトレーニングを受けていたんだ。 そこで教えられた事の一つが、どんな厳しい状況でも<後ろ向きの言葉は発しないこと>。 常に前向きに、どうやったらできるか考えるんだ』 なるほど!

小大下島との間の瀬戸と、島の北側は、少し荒れてはいるが、南側と比べると少しは波が低そうだ。 『どうだ、これならいけるんじゃないか』

再び漕ぎ出し、なんとか小大下島との間の瀬戸を抜け、大下島の北岸へ。 南側の海峡に比べると確かに少しはマシだが、それでも波は高い。
近くを海上保安庁の巡視艇が通る中、ヒヤヒヤしながらだが、なんとか無事に漕ぎ抜けた。

柏島を抜け、宗方の南岸まで進むと浜があり、奥には昔の学校の様な建物が。 少し早いが、今日も風と波に打ちのめされ、みなクタクタである。
シーカヤックを引き揚げ、キャンプできるかチェックする。

そう、初めてとなる第1次横断隊では、まだルートも確立しておらず、キャンプ地についての情報も不十分だったので、常に新たなルートとキャンプ地を開拓しながらの旅であったのだ。 正に、開拓者精神/パイオニアスピリッツで満ちあふれていたのである。

管理人さんに聞いてみると、ここは素泊まりもできる宿ということで、泊まらせていただく事になった。
 
着替えて濡れものを干し、風呂に入って体をほぐす。 夜はビールを飲みながら今日一日の旅を振り返る。

横断隊参加で初めて漕いだ日は、このように大変厳しい一日であったが、経験豊かで志も高く、個性的なメンバーと一緒に漕いだこの日を一生忘れる事はないだろう。 これぞ実践版シーカヤックアカデミー。

感謝、感激! そして 感動! こんな経験ができるなんて。 この日を境に、俺のシーカヤックに対する考え方や向き合い方が大きく変わった。 シーカヤッカー冥利に尽きるとは、まさにこの事である。

***

2003年11月22日 今朝も5時起床。 簡単な食事を済ませ、荷物をパッキングするとミーティング。 今日のルートを決めるのだ。

ルート案としては、大三島の南岸を漕ぎ抜け、鼻栗を抜けて生口島経由で因島に行くという案と、大三島の西岸を北上し、生口島の北岸経由で因島を目指すという案。

隊長が言う。 『みんな、自分の意見を言うんだ。 自分がどうしたいのか、なぜそうなのか。 話し合って結論を出そう』 メンバーは侃々諤々意見を述べるが、ここ数日痛めつけられてきた西風の恐怖がトラウマとなり、大三島の西岸北上案が大勢を占める。
『昨日の様な波は、もうたまりませんよ。 三原側に上がれば風も弱いかも』 『大三島の南側はエスケープできる場所もあまりなさそう。 北にいきませんか』

ほとんどのメンバーが北上ルートを主張し、その案で行く事に。 風が強い中、浜から出発して時計回り方向に漕ぎはじめた。 しばらく行くと、後ろから声が聞こえてきた。 『どうしたん?』 『一人、引き返す言うてます』
どうやら、あまりの風の強さに一人がリタイアを決めたらしい。 出発してまだ10分も経っていない。 いやはや。
浜までサポートする隊員を待ち、再び漕ぎ出した。

しばらく向い風の中を漕いでいる時、皆が気づきはじめた。 『え、今日は北西風じゃあないか!』 そう、風向きは日々変わるのだ。
宗方の南岸では、岬を回ってくる風で風向きが正しく判断できなかったのだが、北上ルートは向い風。

ここ数日の西風トラウマによって、より良い判断ができなかったのである。 今日は、大三島南岸ルートなら風裏だ。 でもこの時の『痛い経験』は、第2次横断隊以降のルート決定に活かされる事になった。

***

地図を見れば分かるように、大三島は大きな島である。 厳しい向い風の中を、一団となって時計回りに漕ぎ進む。

盛港を越え、生口島へ漕ぎ渡ろうとしたとき、斜め後方からの大きな波に、多くのメンバーのカヤックが翻弄された。 『隊長、ムリです。 戻りませんか』

一旦引き返し、盛港の中で一息いれる。 『みんな、怖かったら言えよ。 俺にはみんなが怖いと思っているかどうか、分からんからな』と隊長。 なるほど、様々な修羅場を漕ぎ抜けてきた隊長とメンバーでは、怖いと思うレベルが違うんだ。 自分が無理だ、怖いと思ったら、率直に伝える事も重要なんだなあ。

再び漕ぎ出し、井口港の方へ進む。 もし、井口港から三原行きのフェリーがあれば、それでエスケープしようという案も出たのだ。
港に近付くと、一隻の漁船が居た。 私は漁船に近付き、『こんにちは。 あの港から三原までフェリーは出ていますか?』 すると『いやあ、あそこからは高速艇しか出てないよ』との事。

『隊長。 残念ながら、あそこの港からはフェリーは出ていないそうです』 『そうか、じゃあ多々羅大橋の下を横切って生口島へ渡ろう』
『そして、漁師さんなどに話し掛けて、地元の情報を聞く事は大事だ。 これからも、そういうコミュニケーションをしっかりやって行こう』と一言。 『はい、わかりました』

***

多々羅大橋の下を漕ぎ渡り、再びバウを北に向けてサンセットビーチへ。
 
上陸して情報板を見ると、高根島との間の瀬戸は流れが厳しいらしい。 疲れきった隊は、完全に戦意を消失し、ここから因島まで、陸上班のクルマでエスケープすることになった。
ここのレストランでお昼ご飯を食べ、何回かに分けてカヤックと荷物、そして隊員を因島まで陸送。

11月の下旬である。 日没は早い。 全員がキャンプ地に揃ったのは、すでに暗くなってから。
 
テントを張り、食事の準備に取り掛かる。 数日間一緒に厳しい海を漕いできて、気心も知れた仲間である。 自然と役割分担をして、テキパキと調理を進めていく。

それを眺めながら隊長が、『ほんま、この隊のメンバーは最高やのう』とポツリと呟いた。 うん、俺も本当にそう思う。 なんて素晴らしい隊なんだ!

肉を炒めていると、『オリーブオイルは体に良いんだ』 『お、生姜を入れようぜ。 体が暖まるからのう』と隊長。 なるほど、寒い時には生姜が良いんだ。 こうして、一つ一つ知識が増えていく。 

酒を飲み、食事を摂り、今日一日を振り返りつつ、疲れた体を充電していく。 明日も5時起床である。

俺は、Oさんのテントの横にテントを張り、しばしバカ話を楽しんでからシュラフに潜り込んだ。 Oさんとは、この横断隊でお会いしたのが初めてなのだが、なんだか気が合うのである。 『おやすみなさい。 また明日5時に』

***

2003年11月23日 今日は快晴。 第1次横断隊で最高の好天となった。
 
気持ち良い朝。 もう既にルーチンワークとなった5時起床、簡単な朝食、荷物のパッキング、そして7時出発。
みんなの表情も明るい。
 
最高のコンディションの中、順調に漕ぎ進み、田島の近くを漕いでいたときの事、隊長のケータイに着信が。

それは、思いもかけず、隊長の友人の訃報であった。 このため、隊長は急遽予定を変更する事になり、この先で上陸されるとの事。
そのため今回の横断隊は、当初は小豆島を目指す予定であったのだが、残りのメンバーで白石島まで漕ぎ、そこをゴールとすることとなったのだ。
***
無事に漕ぎ進み、白石島に到着した。 私にとっては初めての白石島。

カヤックを引き揚げ、ゴールを祝ってビールで乾杯。 うーん、美味い!

夜は隊長も合流され、みんなで瀬戸内シーカヤックの歴史に新たな1ページを刻んだ画期的なこの旅を振り返りつつ、夜の宴は盛り上がった。

***

初めての試みで、ルートもキャンプ地も手探り状態だった第1次瀬戸内カヤック横断隊。 ショートカットや思いもかけぬ中断もあったが、出来るだけの事はやったという充実感の方が強かった。

経験豊富で志の高い隊員が集まり、初冬の厳しい瀬戸内の海を、助け合い、教え合いながら漕ぎ進んだ熱くて刺激的な日々。 それは、『共育』/『切磋琢磨』という言葉が正にピッタリと当てはまるような充実した旅であった。
そんなリアルな海旅の中、私は様々な局面で隊長が呟く一言を、まるで乾いたスポンジのように一滴残らず吸収し、咀嚼して、自分の心に刻み込んでいった。

『プロって言うのはなあ、お金をもらうからプロ、お金をもらわないからアマなんてもんじゃないんだよ。 シーカヤックを極めようと志し、それを通じて自分が目指すものを成し遂げようっていう意志を持って実行していくんなら、それはプロだ』

2003年の、あの最高の経験があったからこそ、シーカヤッカーとしての今の俺があると感じている。 そして昨年から、残念ながら諸般の事情により参加を見合わせているが、この画期的かつ純粋に実践版シーカヤックアカデミーとして企画&実行された第1次瀬戸内カヤック横断隊に様々な縁で参加させていただいた事、そして尊敬する隊長と個性的な隊員達との出会いには、今でも心底感謝している。

『全行程参加が基本』という横断隊では、第1次から第6次までの参加がいずれも数日間という部分参加であった俺は出来の悪い落第生ではあったが、これからも初心を忘れず、実践版シーカヤックアカデミーで学んだ『瀬戸内海洋文化の復興、創造そして継承』を実践していきたいと、強く想っている。

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瀬戸内シーカヤック日記: 芸予ブルー堪能、しまなみ海道【カヤック&バイク】キャンプツーリング

2013年10月27日 | 旅するシーカヤック
金曜日の午後は大事なプレゼンテーションが成功裏に終り、その後のディスカッションも盛り上がって、気持ち良く週末に突入した。

***

2013年10月26日(土)心配していた台風もなんとか逸れ、この週末は久し振りにキャンプツーリングが楽しめそうな感触。
ウイルダネスカヤックのケープホーンと、スペシャライズドのMTBを積んだワゴンで早朝の道を東へと走り、通い慣れたしまなみ海道へと向かう。

生名島のいつものキャンプ場に到着。
クルマを降りてみると、予報より強い風。 天気予報では、明日の中国地方は高気圧に覆われて快晴とのことなので、『今日は自転車で楽しむとするか』

クルマから自転車を降ろし、着替えて準備完了。 『さて、今日はどこを走ろう?』
いつもなら、ここから弓削島へと向かうのだが、いつも同じコースでは面白くない。 『じゃあ、佐島を開拓してみるか』

橋を渡り、

佐島へ。

お寺を拝見し、

海沿いの道を走り、山道へ。 結構アップダウンがあり、良い運動になる。

途中でアケビを発見し、自転車を降りて崖を登り、蔓を引っ張ってゲット!

久し振りに味わうアケビ。 種ばかりではあるが、白い果肉の微かな甘さが懐かしい。

アップダウンをえっちらおっちら。 ようやく、佐島の南端に到着である。

『ああ、ええ眺めや。 こりゃあ、苦労して走ってきた甲斐があるゆうもんやなあ』


***

ペットボトルのお茶を飲み、しばし休憩すると、Uターン。 再びアップダウンを、へえへえ言いながら走り抜ける。
自転車を漕ぐ筋肉が付いていない俺は、檀密が居なくても登りがあればハァハァしてしまうのだ。

集落まで戻ってきたら、俺の好きな神社を参拝。

残念ながら今日は曇りがちだが、快晴であればここの神社の眺めは素晴らしいのである。

階段を登り、本殿に参拝。

『この旅の安全を見守ってやって下さい』


秋を感じるなあ。

良い雰囲気の石垣もある。

***

佐島を出ると、弓削島へ。
11時に、しまでカフェさんに到着。

『さて、今日は何にしようかな?』

これまで、レモンポーク丼、レモンポークハンバーグは食べたことがある。
『ようし、今日はこれや』 前から気になっていた、”摘み菜ランチ”をチョイス。

雑誌を読みながら、しばし待つと、『お待たせしました』

『おお! これは好い感じじゃあないか!』 『いただきます』

ご飯には山茶花の花びらがあしらわれて美しく、また摘み菜ランチならではの、その日その日で変わるという様々な山菜も美味しいのだ。
また鯛は骨まで柔らかく、頭から尾鰭まで、残さずいただくことができた。

会計の時、『ごちそうさまでした。 これ、前から気になっていて初めて食べましたが、本当に美味しかったです!』

***

弓削島をしばらく北に走り、Uターンして佐島経由で生名島へと戻ってきた。

自転車を積み、着替えると、フェスパへ。

お風呂にゆっくりと浸かってのんびりまったり。
サウナでたっぷりと汗を流し、体が火照ると外のベンチにゴロリ。 しばし風に当たって体を冷ます。
再びサウナへ。 そして外へ。 これを何度か繰り返し、平日のストレスと今日の疲れを体の外に排出する。

最後はゆっくりとお風呂に浸かり、『ああ、気持ち良かったなあ』

風呂から上がる頃には、青空も広がり始めた。

『明日は期待できそうだ!』

キャンプ場に戻る。

ここにも秋が。

夕暮れ直前の良い雰囲気のキャンプ場。


***

2013年10月27日(日) 昨日の自転車の疲れが出たのか、キャンプの朝にしては珍しく、5時半までぐっすりと寝ていた。
『ああ、今日はよう寝たなあ』

朝食を食べ、道具一式を片付けると、モーニングコーヒーをゆっくりと楽しみ、佐島へ移動。

今日は風も穏やかでシーカヤックが楽しめそうだ! でも、いつもと同じコースでは面白くないということで、普段あまり漕いでいない佐島を久し振りに一周してみる事にしたのである。

ちょうど、山陰から日も登ってきた。

少し北寄りの風はあるものの、空は快晴で気持ち良い。

今日もドライスーツを着用。 まだグローブは嵌めていないが、漕ぎ進んでいると時折風の冷たさを感じることがあり、もう少ししたらグローブが必要となる時期が来たようである。

『あ、芸予ブルーだ!』

雲一つない秋晴れの朝。 芸予ブルーの海と空を眺めながらのパドリングは、ここ数週間台風の影響でキャンプツーリングが楽しめなかったこともあり、よりそのブルーの美しさが心を打ち奮わせる。

『いやあ、カヤックを今日にして良かったなあ!』

佐島の岸沿いを南下し、南端からは東へ。

太陽に向かって漕ぐときの、メタリックな風景も、芸予ブルーからの変化として眼を楽しませてくれる。

朝のパドリングは、こんな光や光景が楽しめるから、俺のお気に入りの時間なのだ。

遠くには、多くの漁船や遊漁船。

***

南端を越えると、こんどは北向きに。

カウンタークロックワイズで、佐島を一周である。

佐島と弓削島とを結び橋を越えると、目の前には因島の造船所。

ここからは再びバウを西に向けて、生名大橋へ。

ちょうど潮止まりの時間。 穏やかな橋の下を越えて、

再びバウを南へと向ける。

今日は、2時間弱の佐島一周ツーリング。
絶好の秋晴れの下、芸予ブルーのしまなみ海道の景色をたっぷりと堪能することができた。

『いやあ、自転車漕いで、キャンプ場で独り静かにビールを楽しみ、芸予ブルーの中をカヤック漕いで、最高の週末だった』
まさに、シーカヤッカー冥利に尽きるというものである。 幸せだなあ!

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瀬戸内シーカヤック日記: 倉橋島日帰りツーリング

2013年10月20日 | 旅するシーカヤック
秋晴れに恵まれないこの週末。
朝から雨だった昨日は、山田洋次監督の『家族』と、ひろしま美術館での『オランダ・ハーグ派展』を妻と堪能した。 今日も起きると雨の音。
MacBookProを立ち上げて天気予報をチェックすると、どうやら昼前には雨は上がるらしい。

なんちゃって『印象派シーカヤッカー(バルビゾン派)』を自称する俺は、芸予ブルーの素晴らしい多島美の景色の中を、様々な光と影の織り成すコントラストを楽しみながら、一泊二日のキャンプツーリングを楽しむのが真骨頂なのではあるが、長い1年の中には、こんな風に天気に恵まれない週末もある。

こんな日は、地元で日帰りツーリングを楽しむとしよう。

***

残念な曇天ではあるが、せっかくなので普段あまり漕がないエリアに行ってみる事に。

ここは、たまにしか出艇地として利用していない長浜海水浴場。

今日は、久し振りにここから出発して、いつもの長島方面ではなく、対岸となる倉橋島側の海岸線を散策してみようか。

ドライスーツを着用し、カヤックを浜に降ろして、お昼ご飯セットと安全装備一式を積み込む。
出艇準備が終わった頃には雨も上がった。

多島美の景色をタップリの日差しの下で楽しみたい、バルビゾン派の印象派シーカヤッカーにとっては今日の曇天は厳しい撮影コンディション。

とはいえ、やっぱり海を漕ぐのは楽しいな。

十数年来の海旅の友である、ワーナーのアークティックウインドで快調に漕ぎ進む。

***

今日は、倉橋島側の海岸線を散策。

少し漕ぎ進むと、小さな洞窟を発見。

近寄り、中に進んでみると、思ったより広い洞窟。

瀬戸内の海岸洞窟にしては珍しく、いくつもの穴が貫通している複雑な構造であった。 『へえ、こんな所があったんだ。 知らなかったなあ』


もう少し漕ぎ進み、昼ご飯を食べる浜を探す。

湾の奥に見つけた、こじんまりとした俺好みの小さな浜。

今日はここで昼飯にしよう!

ガスバーナーセットを取り出し、お湯を沸かして少し高級なカップラーメン。

ようやく秋が来て、ツーリングの時に温かいカップラーメンが嬉しい季節がやって来た。
ズルズル、ズルリ。 ラーメンを食べながら、時折、シーチキンマヨおむすびもパクリ。 『ごちそうさまでした』

***

『さあ、出発しようか』

石を運ぶ運搬船。

この辺りは、砕石が盛んな土地である。

対岸に向かって快調にパドリング。

やはり今日は、芸予ブルーには恵まれないようである。

それでも、パドリングする手を止めてみると。。。

海岸の岩に打ち寄せる波の音、遠くを早瀬大橋に向かって進んでいく船のエンジンの音、そして時折吹く風の音などなどが、静かな瀬戸内の海から俺の耳をそして体を通して感じられ/聴こえてくる。

こんな静かな海の上を独り静かに漂いながら、テルモスに詰めてきた温かい緑茶をゴクリと飲む一時も好いものだ。 至福の一時。

今日のツーリングは、約2時間半ほど。
晴天には恵まれなかったが、海を漕ぎたいとムズムズしていた筋肉の方は満足した様子。

帰りには倉橋島の温泉に立ち寄り、筋肉と心をほぐしてリフレッシュ。 『ああ、気持ち良かったなあ』

それにしても、日帰りツーリングでは書く事が少ないなあ。 来週こそは、キャンプツーリングを楽しみたいものである。

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瀬戸内シーカヤック日記: 『家族(山田洋次)』&『オランダ・ハーグ派展(ひろしま美術館)』

2013年10月20日 | 旅するシーカヤック
2013年10月19日(土) この週末は、あまり天気が良くなさそうな予報。
快晴の下での、のんびりまったり楽しいカヤック旅が好きな俺は、金曜日の時点でキャンプツーリングを諦めた。

『明日、どこへ行こうか?』 『何かある?』 『ちょっとネットで調べてみよう』

『お、これなんかどう? 広島映像文化ライブラリーで昔の映画をやりよるで』 『どんな映画なん?』

『こんなん』と、MacBookProの画面を指差しながら、『万博の頃の古い映画やけど、結構評判良いみたい』 ということで、土曜日は映画に決定。

***

雨は朝方には上がったので、ロードスターの幌を下ろして海沿いの道を広島へと向かう。

『お、この映画や』

映像文化ライブラリーでは、この10月は”家族の肖像_ホームドラマの軌跡”と称して、市川崑や小津安二郎、山田洋次などなどの映画を特集しているらしい。

撮影時には少なかったが、上映開始前には、そこそこのお客さんでホールは6-7割程度の入り。

『結構入ってるね』 『でも、年寄りばかりじゃ』 『ほんと、私たちが一番若いくらいじゃない』

***

時は1970年。
今の仕事は自分の性に合わないと、長崎の島の炭坑を離職した夫。 妻の反対を押し切り、昔からの夢であったという北海道の開拓地で働くのだと強引に決めてしまう。

『開拓は、あれの昔からの夢やったから』と理解を示すのは、父親役の笠智衆。

『失敗しても元々や。 俺一人でも行く』という夫に対し、『失敗しても元々なんて気持ちで行って、上手くいくはずが無い。 それなら自分達も一緒に付いて行って、一緒に頑張ろう!』と覚悟を決めるのは、若く美しい倍賞千恵子。

地域の人達に見送られて島をフェリーで出発する所から始まり、北海道の中標津までの当時の列車旅では気が遠くなる様な長い長い道のりと、その途中で起きる様々なドラマ。

***

九州から本州に入り、山陽本線では福山が登場する。
1970年代の福山駅とその周辺の光景。 また、日本鋼管福山(現JFE)と思われる工場やその社宅も登場し、土煙を上げてクルマが走る道路の様子も。

見送りの時に陸と船を繋ぐ紙テープ。 子供が持っている懐かしいミルキーの赤い箱。 道行く人達の髪型や服装。
『ああ、確かに俺たちが小さい頃ってこんな時代だったよなあ』

***

大都会の大阪では、食堂を探すのにも一苦労。 地下道を右往左往してやっと地上に出てみると、最初の場所に逆戻り。。。

やっと入ったレストランで夫と父がビールを飲むシーン。 父のグラスにビールを注ぎ、『さあ、冷たいうちに』
そして、笠智衆が本当に旨そうにビールを飲み、満足そうな表情を浮かべる。 『うまかあ』

このシーンでは、俺も喉がゴクリと鳴りそうなくらい、美味しそうな表情であった。 『いやあ、笠智衆。 すごいええ味出しとるなあ!』
他にも、息子が綺麗なお嫁さんを初めて連れてきたときの驚き/そしてとても嬉しそうな表情などなど、様々な場面で笠智衆の存在がこの映画の味わいを深めていた。 本当に素晴らしい。

その後も、万博の光景、東京までの新幹線からの景色。 そして、上野での悲しい出来事などなどが淡々と綴られる。

青函連絡船で北海道に渡り、函館で長靴を購入。
中標津に向かう列車からは、4月だというのに雪景色であり、列車の中では達磨ストーブも焚かれ、開拓民として移住する一家の心境が伝わってくる様な映像が続く。

***

『俺たち、大変なところに来てしまったなあ』 辺り一面雪景色に囲まれ、これから自分達が住む事になる荒ら屋を見て、夫がつぶやく。

そんななかでも、笠智衆は外で鍬を揮い、おどけてみせると家族の間には笑顔がこぼれる。

『6月になったら、緑が息吹いて辺り一面いろんな花が咲いて、今年こそ良い年になりそうだ、そんな気がするんだって。 そんな6月まであと二ヶ月。 ねえ、頑張ろう』と妻は言い、夫はだまって妻を抱きしめた。

***

その後も悲しい出来事を乗り越え、春の北海道の牧場で、生まれてきた自分達のものになる子牛の話題や、自分達の妊娠の話題で未来に一筋の光が差し込んで来る。

この映画を観終わって感じるのは、どんな悲しい事や辛いことがあったとしても、人間はそれを乗り越えて前を向いて進んでいかなければならないし、また進んでいく事ができるのだ、という事。

『いやあ、良い映画だったね』

***

映像文化ライブラリーを後にし、お昼ご飯を食べにいこうと歩いていると、ひろしま美術館が目に留まった。

『ちょっと気になるから、入口まで行ってみようか』

行ってみると、『オランダ・ハーグ派展』というのが今日から開催されるらしい。
入場料をチェックすると、一人1,200円。 『へえ、思ったより高いねえ』 『どうする?』 『せっかくやから、観てみようや』




入ってみると、結構な展示スペースと絵の数。

ミレー、ドガ、マネ。 ゴッホ、ゴーギャン、ロートレック。
ピカソ、マティス。 ユトリロ、シャガール。 俺でも知っている画家の画が多く展示されていた。

なにより、俺が好きな風景画が多かった事が嬉しく、様々な景色の光の具合を、こんなに活き活きと表現できるのかと感動しながら、ゆっくりと楽しむことができた。

『いやあ、この展示は良いねえ。 入って良かったよ』
展示してある印象派の画家達が描いた風景画の構図は、俺が海旅/山旅でこの景色を見たらこんな風に写真に収めたいなあと思う様な構図であり、とても気に入ったし参考になった。



















これからは、なんちゃって『印象派シーカヤッカー』にしようかな、なーんて。

なんでも経験してみるものだ!
昔なら、美術館のたぐいにはお金を払ってまで入る事は無かったのだが、これも齢を重ねた意味なのだろう。
今日は本当に良い目の保養をさせてもらった。 『最高の休日だねえ!』

***

お昼ご飯は、最近お気に入りの『とみや』さん。

なんとか午後2時前のランチタイム閉店間際に入店でき、俺はステーキセット、

そして妻はタンシチュー。

いつものように分け合いながら、おいしいランチを頂いた。 『ごちそうさまでした』

心に残る映画を観て、心に響く画を鑑賞して、今日は久し振りに文化の秋を満喫した。
こんな休日も良いよねえ。

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瀬戸内シーカヤック日記: YB125SP_とびしま海道&鈍川温泉、日帰りツーリング

2013年10月14日 | 旅するシーカヤック
2013年10月14日(月) 3連休の最終日は、YB125SPで今治の鈍川温泉へ。

朝8時前に家を出て、走り慣れた”とびしま海道”を走り、岡村島へ。

フェリーターミナルでチケットを買い、乗船まで時間があるので散策していると、こんなものが。

見ていると、ターミナルのおっちゃんが、『イチジク、今朝買うて食べたが美味かったで』との事。 『じゃあ、イチジク買ってみようかな。 あと、レモンも欲しいなあ』 ということで、イチジク&青いレモンで200円也。

『イチジク、あまり長う保てんから、早めに食べた方がええぞ』 『じゃあ、今食べようかな』 『せっかくじゃから、フェリーに乗ってからがええんじゃないか』 『確かに! フェリーに乗ってから食べますわ』

***

定刻にフェリーが岡村島を出航。

小大下島、大下島とアイランドホッピングしながら、今治へと向かう。

ターミナルで買ったイチジクのパックを開け、皮を剥いてパクリ。 『ああ、美味しいなあ』
今朝は早めの朝食で、少し小腹が空いていたのでちょうどよいおやつである。

今治が近付き、しまなみ海道の架橋が見えてくる。

ここからが、この航路のハイライト。

いつ来ても、晴天のここの風景は素晴らしい。


***

今治に到着すると11時。 少し早いが、お昼ご飯にしようか。

前から気になっていた、今治港から近い焼豚玉子飯のお店に。

ここのスペシャル、『うみ食風、じゃこ&干しえび入りの焼豚玉子飯』

しっかりマゼマゼして食すと、これが美味しい! 『ごちそうさまでした』

***

今治港からバイクで約20分で、鈍川温泉へ。

今日の日帰り入浴は、鈍川せせらぎ交流館。

なんと言ってもここのお湯は、俺が大好きなアルカリ性で、PH9.9。

お湯に浸かると、ぬるぬるヌルリ。 『いやあ、気持ちええなあ! 最高や』

露天風呂で、ヌルリ。

源泉風呂で、まったり。

大浴場で、ツルリ。

体が温まると、川沿いの板敷きに素っ裸でゴロリと横になる。 何も考えず、心が癒される最高の一時。

平日は、理論や目指す姿、ベンチマークなどなど様々な鎧を纏い、タフネゴシエーションの日々。
『なるほど、確かにそうですね。 でも、こう考える事はできませんか?』 『ええ、一般論ではそうなんですよ。 でもこのグラフを見て下さい。 ちょっと目線を変えて分析すると、今まで見えて来なかった別の世界が見えてくるんです』

でも休日は、海沿いの景色を楽しみながらバイクで走り、PH9.9の温泉に浸かってぬるぬるヌルリ、そして汗が噴き出してくると、すべての鎧をかなぐり捨てた素っ裸で板敷きにゴロリ。

こんな休日があるからこそ、平日も頑張れるのである。

***

たっぷり1時間ほどアルカリ温泉を楽しんだあとは、しばし渓谷沿いをツーリング。

いやあ、これはええなあ。 次回は温泉と渓谷散策を妻と楽しみたいものだ。

澄んだ水、目に優しい緑。

渓谷の水は透き通り、仁淀ブルーを彷彿とさせる。


***

帰り道では、一六本舗を見つけて妻へのお土産を購入。

また、帰りのフェリーの中でのおやつとして、新製品だと言う栗プリンもゲットした。

今治港から岡村島へ。

このツーリングコースはお気に入りとなった。 次回も楽しみだ。








この3連休もタップリ楽しみ、ストレスを洗い流し、三次&世羅高原へのタンデムツーリングで妻との楽しい想い出ももまた一つ増えた。
さて、来週はどこ行こう?

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瀬戸内シーカヤック日記: シーカヤックで蒲刈お散歩ツーリング

2013年10月13日 | 旅するシーカヤック
2013年10月13日(日) 今日は、先日のシーカヤック教室での島渡りの写真を届けにいく事にし、そのついでにちょっとだけシーカヤックでのお散歩ツーリングを楽しもうというプラン。

それにしても楽しかった、夏のシーカヤック教室恒例の島渡りツーリング

昨日から急に寒くなったが、ほんの2週間前にはあまりの暑さに海で泳いだほどであった。

そして毎年、参加してくれた子供達の写真をミニアルバムにしてあげるのが、俺の楽しみの一つ。

写真を選び、一枚一枚アルバムに挟み込みながら、楽しかった夏の一日を想い出す。
今年は、小学校4年生が二人、6年生が二人、そして高校生が一人だったので、5冊を準備。 それとは別に、先生方にはデジタル版でCDを。

朝、施設に伺い、居られた職員の方に渡しておいた。 『じゃあ、シーカヤック部の子供達と先生方に渡していただけますか』
子供達が喜んでくれるといいのだが。

***

よっしゃ、それじゃあちょっとお散歩ツーリングを楽しもうか、という事なのだが、残念ながら今日は北から東寄りの風が強く、島の北側は白波が。

では、風裏となる南側で楽しもう。

やってきたのは、蒲刈の県民の浜。

以前はここから岡村島まで漕いでいき、キャンプツーリングを楽しんだ出発地点である。

今日は日帰りの、のんびりまったりお散歩ツーリング。

昨日から冷え込んだという事で、今シーズン初めてドライスーツを引っ張り出してきた。

さすがにそこまで寒くないので、下は半袖の化繊Tシャツ一枚であるが、体感温度はそれでちょうど良い感じ。
これから本格的なドライスーツのシーズンに入るので、事前チェックも兼ねての着用である。

まずは、南東の方向へ。

久し振りに、二窓島へと漕ぎ進む。

この辺りは、潮の流れと風で少し海面がザワついている。 複雑な潮の流れの中、ラダーを下ろさず漕ぎ進む。

空は晴れて絶好のツーリング日和。 これで風さえ無ければ、絶対キャンプツーリングのプランにするところである。

ナカナカの絶景。


***

ここからは、バウを転進して西へ。

岬を回り込み、懐かしいB&Gに立ち寄ってみる事に。

浜が近付くと、B&Gに人影が。

シーカヤックを浜に引き揚げ、施設に行ってみると、シーカヤック教室のサポートでも時々お世話になっているYさんが居られた。

挨拶を交わし、『今日はシーカヤック体験があるんですか?』 『ええ、十人くらいですかね』 『ここは風裏だからちょうどいいですね』

それにしても、この風景は懐かしい。


瀬戸内シーカヤックに新たな歴史を刻んだ、あの想い出深い”第一回目の実践版シーカヤックアカデミー”の時の情景が、ありありと想い出される。



***

10時からシーカヤック体験がスタートするとの事。 『お邪魔しました。 そろそろ戻ります』

水路から見える岸壁の上から釣りをしておられる方に、『どう、釣れますか?』

と聞くと、『ぜんぜん』との事。 向こうから、『そちらは何を釣りに行くんですか?』 俺は笑いながら、『いやあ、漕いでいるだけなんです』

しばらく漕ぐと、お腹が減ってきた。

行動食として持ってきた、呉名物メロンパンの『嵯峨の小倉庵』という、おいしい小豆がタップリ入ったアンパンをパクリ。 ポットに詰めてきた暑い紅茶をゴクリ。


結局今日は1時間半ほどの、のんびりまったりお散歩ツーリング。

昨日のバイクツーリングの疲れもあってか、温泉に浸かりたくなり、やすらぎの館で潮抜きして、まったりサッパリ。

ああ、気持ち良かったなあ。 さて、3連休も残り一日、どう楽しもうか?

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瀬戸内シーカヤック日記: YB125SPでタンデム日帰りツーリング_三次のムギムギ&世羅高原ダリア祭り

2013年10月12日 | 旅するシーカヤック
2013年10月12日(土)3連休初日の土曜日。
数日前の予想天気図では風が強くなりそうな気圧配置だったので、妻に『土曜日は久し振りにバイクでツーリングに行こうか』 『どこへ行く?』
ということになり、話し合った結果、三次と世羅高原に決定。

朝、7時半過ぎに家を出て、タンデムのYB125SPは北へ。
今朝は、昨日までとは打って変わって寒い朝。 たった一日でまるっきり秋の空気に入れ替わった様な秋の一日。
少し震えながら走り、途中でバイクを停めて重ね着したほど。

『一日でこんなに気温が変わったら着いていけないなあ』

***

少し涼しいが快適なツーリングを楽しみ、三次に無事到着。

まずは住吉様にお参りし、今日の旅の安全を祈願。


ランチタイムまで少し時間があるので、この通りを一度歩いて見たかったという妻と一緒に、しばし町を散策。

風は強いが綺麗な青空。

石畳の道に空の青さが映える。

昔からの歴史の積み重ねを感じる事のできる街の一角。

明日から、辻村寿三郎の人形展が始まるらしい。

これは、また訪ねて来なければなるまい。

YB125SPでのツーリングを楽しむには、ちょうど良い距離である。

***

今日の最初の目的である、ムギムギさんへ。

11時半のランチタイムスタートからすぐにテーブルは埋まってしまった。
『さすが3連休の初日だね。 早めに到着して良かったなあ』

いつもの通り、二人で別々のメニューを注文し、シェアして楽しむ。

いずれのメニューも美味しそうだ。


『いただきます』 『お、これ旨いね』 『ほんと。 こっちも美味しいよ』 『あ、ほんまやなあ』

食後はコーヒーでのんびりまったり。 『ごちそうさまでした』

***

『じゃあ、世羅高原へ行ってみようか!』 三次からバイクで約25km。 クルマも少なく快適な道路を走って、世羅高原へ到着。

今は、ダリア祭が行われているという事だ。

ダリアが植えられているエリアに到達する前も、美しい園内がたっぷり楽しめる。

『うん、これは良いところだねえ』










***








『いやあダリア、綺麗だったねえ』

結局家に戻ったのは夕方5時前。 約200kmのタンデム日帰りツーリング。

夕食後、せっかくだからとムギムギ/mugimugiさんで購入してきた米粉パンの『銀連山』を妻と一緒にパクリ。

『これ、まずは何も付けずに食べた方がいいよ』と、一口食べてみた妻。 じゃあ、と一口パクリ、『おー、なんじゃこりゃあ! すげえ!!!』

『これって、すごく美味しいよねえ』 『あー、久し振りにパンで感動した!』

この銀連山は、ほんと絶品である。 これはまた是非、辻村寿三郎人形展と併せて、なんとしても仕入れにいかねばなるまい。

少し寒かったけれど、楽しいツーリングであった。 3連休の出だしは、なかなか好調である!

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瀬戸内シーカヤック日記: ロードスターでオープンドライブ_真賀温泉&バタフライカヤックス試乗会

2013年10月06日 | 旅するシーカヤック
この週末は、バタフライカヤックスにお願いした試乗会が日曜日に姫路で行われる。 せっかく姫路まで行くので、弾丸日帰りツアーではなく、ロードスターで中国地方を楽しもうという魂胆。

以前、フェザークラフトのK-1を使って、東行きは”呉~岡山~兵庫県の家島”まで、西行きは”呉~山口県の下関”まで、尺取り虫方式での瀬戸内横断旅を楽しんだことがある。 その後、今度は下関~島根県の島根半島”までの旅を終え(油谷から後はリジッド艇を使用)、組み立てが面倒でほとんど使わなくなったK-1は手放した。

この一連の尺取り虫方式の旅は、俺にとって、第1次実践版シーカヤックアカデミーと並ぶ非常に貴重な経験となった。 まさに、この旅を通じてシーカヤッカーとしての今の俺の基盤ができたと言っても良いだろう。

そんなこんなで、シーカヤックを始めたときからの目標であった瀬戸内横断を約10年前に終えたので、尺取り虫方式の旅/自由気侭な行きっぱなしの片道旅から離れていたのだが、最近再び、無性にそのような旅がしたくなってきたのである。

もし何らかのサポートがあればリジッド艇でも尺取り虫方式の旅は可能であろうが、それでは面白くない。
全てを自己完結で旅したい俺には、そして孤独を楽しむ事こそ/全ての責任を自分で背負う事こそ『旅するシーカヤック』の最大の魅力だと信じている俺には、フォールディングカヤック以上の選択肢は無いのだろう。

今年で齢50歳になる今が、第2のカヤッカー人生を踏み出すには良いタイミングなのかもしれない。

***

2013年10月5日(土) 朝5時半過ぎに家を出る。 『じゃあ、行ってくるよ』 『はい、気をつけて』

雨なので、ロードスターの幌はクローズのまま東へ向かう。 福山で少し遅めの朝食。 朝ご飯を食べながら、今日のプランを考える。 『夕方に、宿を取ってある牛窓に行けば良いんだからたっぷり時間はあるなあ。 どうしよう?』

あれやこれやと考えていたら、『せっかくだから、久し振りに真賀温泉ってのはどうかな?』 iphone5を取り出し、ナビアプリを立ち上げてチェックしてみると、下道経由でも余裕で温泉を楽しめそうだ。

『これで決まり!』

という訳で、まずは真賀温泉。

雨の日ということもあるのか、駐車場もそれほど混んでいない。

ここは、入るお風呂によって料金が異なる。 せっかくなので、幕湯。

深くて狭い浴槽に、俺を入れて4-5人ほどのお客さん。
俺好みの微温めでヌルリ/ツルリとする素晴らしいお湯に、40分ほどのんびりまったり。 50直前おやじの肌は、無駄にツルツルである。

『あー、気持ち良かったなあ』

***

温泉を出て勝山へ。 ちょうど、お昼時。

今日は、初めて入るお蕎麦屋さんへ。

数量限定という10割蕎麦を注文。

この蕎麦が、シコシコつやつやで、なんとも美味い。

蕎麦豆腐と茶蕎麦飯も注文。 茶蕎麦飯の香ばしい事。

『ごちそうさまでした』


食後は、しばし勝山散策。

雨の町も、風情があってなかなか良いものである。


***

下道経由で牛窓まで南下する途中、鉱山資料館というのを発見。

500円也の料金を支払って見学すると、これがこれが!
田舎の博物館は、ほとんどが期待はずれなのだが、ここの資料館は期待を越えた素晴らしさ。 『へえ、こんな穴場があったのか!』

なんでも、試してみるものである。

夕方5時前、予約していた牛窓の旅館に到着。

『お世話になります』

お風呂で汗を流し、楽しみにしていた夕食。

これが、なかなかの質とボリューム。

写真に載せたもの以外にも、テンプラやデザートも供されたのだが、この料金でこの料理とは、なかなかのヒットである。

『またまた良い宿を見つけたなあ。 これはぜひ、次回は妻と来なければ!』

***

2013年10月6日(日) 夜も結構降っていた雨も上がり、なんとか試乗会はできそうな感じである。
試乗会の時間の都合で、少し早めでお願いした朝食をおいしくいただき、『どうもお世話になりました。 晩ご飯、美味しかったです。 また来ます』

気持ちの良い朝、ロードスターの幌を下ろし、岡山ブルーライン⇒山陽自動車道⇒播但道と乗り継いで、試乗会の場所に到着。

『へえ、姫路にこんな雰囲気の良い所があったんだ』

右手には、懐かしい家島も見えている。

少し早めに着いたのだが、バタフライカヤックスのスタッフの方々は既に到着しており、浜に荷物を運ばれている途中。

『おはようございます。 今日は無理を言ってスミマセンでした』 『いいえ、ホームページで告知したら、他に2組参加される事になりました』
『そうですか。 それは良かった。 今日は天気も好いし、適度に風も吹いて試乗会にはちょうど良いですね』

9時前には、参加者の方々が集まった。
今日は、スタッフの方が2名、参加者が俺を入れて5名。
カヤックは、クルーソー415と460、そしてタンデム艇。


まずは、組み立て方のデモからスタート。



よく考えられた構造で、あっという間に組み上がって行く。

415と460。

俺は海メインなので、460しか視野にないが、415も試せるのは楽しみだ。

まずは、持参したPFDとアークティックウインドで、460に試乗。

出艇する浜の付近は風裏で穏やかなのだが、少し沖に出ると北東の風が吹き抜けてザワザワとしており、沖の防波堤を越えると、正面から結構な北東風が吹き付けてくるので、横風、向い風、追い風/追い波、様々な状況での艇の動きとコントロール性を試す事ができる。

まさに、艇のポテンシャルを試すには絶好の試乗会日和である。









防波堤を越えて漕ぎ進み、415/460とも、たっぷりと試させていただいた。

***

途中、俺のアークティックウインドの話題で盛り上がる。 『これ、せっかくだから試してみられますか』とスタッフの方や参加者の方々に。

『抜ける感じがしてとても漕げないという人もいれば、パドルが漕いでくれる感じなので、俺みたいにこのパドルじゃないと長距離を漕ぐ気がしないという人も居ますね。 まあ、試してみて下さい』

『そうそう、普通の漕ぎ方だけでなく、ぜひ途中で裏面も試してみたらいいですよ』

試してみると、『これ、漕ぎ易いですね。 知らなかった』 『え、もう売ってないんですか?』 『確かに裏面がパワーが出ますね』 などなど、総じて好評であった。


最後は、片付けのデモ。 『いやあ、本当によく考えてありますね。 楽しみにしています』

***

昼前に姫路のキャンプ場を出て家路に。 まだまだ時間があるので、途中まで下道で帰る事にした。
秋の快晴。 幌を下ろして走るロードスターは、まだまだ暑いが、気持ち良い。

結局、福山までは下道で戻ってきた。
今回は、金曜日の夜に満タンにして土曜日は中国山地経由で牛窓へ。 日曜日は牛窓から姫路へ行き、福山まで戻って走行距離は600km超。
まだ、燃料警告灯は点いてはいないが、燃料計の針はかなり減っているので高速道路に乗る前に給油することに。

今回は、約600kmの走行距離で、給油量は35L弱。
燃費を計算してみると、

なんと、ロードスターの燃費は下道8割の600km走行で17.3km/L越え。 素晴らしい!

***

俺の週末は、カヤックや自転車を積んで、あるいはオープンカーで、時にはバイクで、中国地方を西へ東へ南へ北へ。
この週末は、懐かしの真賀温泉でのんびりまったり、思いもかけず素晴らしかった鉱山資料館を発掘し、牛窓でおいしい魚料理を堪能して、バタフライカヤックスの試乗会を楽しんだ。

またまた最高の週末であったなあ!

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