あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

『芸予ブルー』_テーマカラー of 印象派_”瀬戸内シーカヤック日記”

瀬戸内シーカヤック日記: 4年目となった夏のシーカヤック教室がスタート!

2011年07月29日 | 旅するシーカヤック
2011年7月29日(金) 夏本番。 小中学校の夏休みも始まり、夏恒例となった地元の島でのシーカヤック教室が今日スタート。


まだ橋が架かっていなかった時期に開始した、地元の島でのシーカヤック教室。

内田隊長からいただいたメールを切っ掛けに、『家船』の調査で訪れた時に知り合った方からいただいたご縁で始めたこのシーカヤック教室。

私の中では、かつて参加させていただき、本当に様々な事を学ばせていただいた瀬戸内カヤック横断隊のテーマである、『瀬戸内海洋文化の復興、創造そして継承』の一環と位置付け、純粋なボランティアとしてできるだけの事をさせていただこうと想っている。

***

今日は、夏のシーカヤック教室初日。

この夏は、木金休みという変則休日の影響もあるのだが、今日は中学生が午前中クラブ活動があるということで、小学生の女の子二人と先生三人というコンパクトなシーカヤック部の活動となった。

でも、人数が少ないならそれはそれでプランのしようがある。

今日は、ゆっくりじっくり漕ぐととともに、先生方の練習にもあてるとしよう。


***

準備運動をした後、PFDをしっかりと装着し、海へ。

最初は担当の先生が毎年変わっていたが、昨年からはシーカヤック部担当の先生も固定していただき、子供達も何年か漕いだ経験がある子が増え、次第にステップアップしていくのが実感できるようになってきたのは嬉しいことである。

今回参加してくれた女の子二人は去年も漕いだことがあるので、一人艇を漕いでもまったく問題なし! やはり子供は上達が早いなあ。

快晴の瀬戸内海。 先生達にも様々なレスキュー体験をしていただき、のんびりまったり海を楽しんだ。

***

楽しい一時は時を忘れさせる。 本当に、あっと言う間の2時間だった。

今日は4年目となる夏のシーカヤック教室のスタート。 10年は続けていきたいと、強く想っている、

さあ、今年も瀬戸内の楽しさとシーカヤックの楽しさ、海での安全確保の大切さを、子供達と先生に伝えて行きたいな! よろしくお願いします。

*** その日の夕方 ***

引き蘢り生活が終わった5月中旬以降、キャンプツーリングが続いていたせいか、体に疲れが溜まっている。 疲れた体をリセットしようと、初めて訪れるマッサージ店に電話して予約した。

『どこが疲れてますか?』 『はい、肩と首。 特に左側が』 『分かりました』

しばらくマッサージしていただいていると、『これ、何かトレーニングかなにかされてるんですか?』 『え、どうしてですか』 『いやあ、少し筋肉が付き過ぎですよ。 しっかり押しても骨まで当たらない』

『いやあ、トレーニングはしてませんよ。 ちょっと海でカヌーを漕いで遊んでるだけなんです』

すると急に、『え、シーカヤックですか!』 『ご存知ですか?』 『はい、私もシーカヤックを持ってるんですよ』

まさか、こんな所でシーカヤッカーの方にマッサージしていただくなんて。 驚きである。 『ええ、私もシーカヤックをやっているお客さんは初めてです。 真っ黒に焼けているんで、なんだか不思議な人だなあと思っていたんです』

***

マッサージしていただきながらお話を伺うと、その方はバイク乗りなのだが、約10年ほど前、そのバイクショップでシーカヤックが流行り、フジタカヌーのラダー付きFRP艇を購入されて、何度かツーリングに行かれたとの事。
そのバイク仲間も次第にシーカヤックから離れ、最近数年間はシーカヤックに乗る事もなくなり、庭で苔むしていたということで、『ちょうど先日、久し振りにシーカヤックを掃除したところなんですよ』

しばしシーカヤックの話で盛り上がり、上手いマッサージで気持ち良くなりつつ、楽しい会話を楽しんだ。

『せっかくですから、これを機会にまた是非海に出られたら良いですよ』 『そうですね』

これまで受けたマッサージの中でも最高に気持ち良く、疲れた体はしっかりリフレッシュできた。 『いやあ、最高に気持ち良かったです。 ありがとうございました』

『ストレッチが良いですよ。 張った筋肉が柔らかくなると効率的に使えるので、無駄に筋肉を付けなくても大丈夫になりますから』 『分かりました。 ストレッチ、試してみます』

4年目となったシーカヤック教室の後、初めて訪れたマッサージ店で、思いがけないシーカヤッカーとの出会い。 なかなか楽しい週末であった。

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瀬戸内シーカヤック日記: しまなみ海道_カヤック&バイクで絶景のプライベートビーチを堪能

2011年07月23日 | 旅するシーカヤック
2011年7月22日(金) この夏は変則の木金休みなのだが、昨日木曜日は講演会の聴講で仕事だったので土曜日を代休にし、この週末は金土休み。 先週末は、岡山県の牛窓まで遠出したので、この週末は近場でのんびりとキャンプツーリング。

ニンバスのニヤックとスペシャライズドのMTBを積んで、お気に入りの島、生名島へ。
いつもの浜でカヤックを降ろし、出艇準備。

ここでの定番は、岩城島一周コースなのだが、いつも同じでは芸がない。 せっかくの夏本番。 今日は無人島のプライベートビーチで、一人静かに海水浴を楽しむ事としよう。
 
生名島の西岸に沿って南下し、赤穂根島へと渡る。
赤穂根島の北岸を西進し、グルリと回り込むと右手に伯方島、左手に今日の目的地である津波島が見えてくる。
 

***

津波島の南端を回り込み、しばらく漕ぐと、静かな浜に到着。 漕ぎ出してから、約1時間半。
今日はここを独り占めだ。 なんとも贅沢な気分である。
 
朝方は雲が多かったが、ここに着く頃から晴れ始め、今は最高の天気。 絶好の海水浴日和。
 
津波島は無人島。 まるで沖縄の離島の様な美しい海を眺めながら、少し早いお昼ご飯を食べ、シュノーケリングを楽しむ。

この津波島に初めて来たのは、村上水軍商会のキャンプツアー。 その時は、村上さん、串だんごさんと私の3人で、尾道の向島から漕いでやってきた。
浜辺を散策していると、こんな所にあるはずのない不思議かつ貴重な漂流物を見つけ、串だんごさんに報告すると、うれしそうに写真を撮られていたのをよく覚えている。

***

それにしても、このあたりの海のきれいさは本当に素晴らしい。 先週漕いだ牛窓と比較すると、その透明度が高い事を再認識。
こんな恵まれたエリアが近くにあるというのは、シーカヤッカーにとってとても嬉しいことである。

かつての横浜単身赴任時代に、三浦半島で何度も漕いだことがある。
ある休日、早朝に一人長浜(なはま)を漕ぎ出し、誰もいない小さな静かな浜を見つけて喜んで上陸した。 三浦半島に来て久し振りの無人の浜、とても嬉しくなり、寝転んで自然を堪能していたのだが、そのうちにバーベキューセットを持ったグループが陸からやってくる、海からはシーカヤックやボートで人々がやって来るで、気が付けば回りは人だらけ。。。
『ああ、やっぱり三浦半島には、貧乏なシーカヤッカーが独り占めできる、静かななんちゃってプライベートビーチはないんだ』って実感した。
その後、広島に戻ってきて、瀬戸内海のシーカヤックフィールドとしての良さを見直したのである。 楽しく辛かった単身赴任生活も、やはりそれなりに意味があったのだなあ。



長い人生には、楽しい事、辛い事、泣きたい事、叫び出したい事などなど、本当に思いがけない事が沢山待ち受けているが、後になって振り返ってみると、全て意味のある経験になっているものだ。



最高の快晴の下、たっぷりと海水浴とシュノーケリングを堪能。 さて、そろそろ戻るとするか。
 
赤穂根島の南岸は、潮が流れる場所。 今日は小潮だが、それでも結構ザワついていた。
村上さん、串だんごさん達と来た時は大潮だったので、まるで3級レベルの瀬を下っている様な波の中を漕ぎ進んだ事を覚えている。
 
キャンプ場の近くまで漕ぎ戻り、ふと岩城造船を見ると、いつもと様子が違う。 『あ、今日は船がない』
そう、ここ岩城造船には、いつも2隻の船が舫ってあり、最後の仕上げ作業が行われているのだが、今日はその船がないので、景色が違うのだ。 なんだかさみしいな。

いつもと違う景色を眺めながら、無事にキャンプ場の浜に戻ってきた。

***

シーカヤックを引き揚げ、道具の潮抜きをして干し、シャワーを浴びる。 管理人さんが来られていたので、手続きを済ませ、しばし四方山話。

『じゃあ、自転車で走ってきます』
 
キャンプ場を出て、生名港を過ぎ、生名橋へ。
 
2つの橋を越え、佐島から弓削島へ。

***

弓削島では、そのままペダルを漕いで北上し、お気に入りの浜がある『高濱八幡神社』へ。

私はここの景色がお気に入り。

しまなみらしい美しい海と白い浜。 白砂青松の瀬戸内らしい景色が楽しめる。


実はこの浜に自転車で来た時、すでに高校生らしいカップルが浜辺で楽しんでいた。 後から訪問した私は笑顔で挨拶を交わし、最小限の写真を撮影すると、そそくさとお気に入りの浜を後にした。
本当は、もっとゆっくりここの絶景を楽しんでいたかったのだが、あらフィフのおじさんは、高校生カップルの邪魔をするほど野暮じゃない。
『うんうん。 今のうちにたっぷりと楽しめよ! こんなにきれいな海や浜辺の景色は、日本の中でも本当に貴重なんだ。 二人の好い想い出になるよ』

***

美しい海をたっぷりと堪能した後は、弓削のスーパーでエネルギーを補給。

このアイスクリーム、本当においしかった。 クセになりそう! 補給した糖分で、キャンプ場までもう一漕ぎ。

シーカヤックを漕いで、自転車を漕いで、しまなみを堪能し尽くした夜は、ビールも格別。
BGMは、昨日手に入れた『JUJU_YOU』 美味いビールを飲みながら、更けて行く夜を一人静かに楽しんだ。

***

2011年7月23日(土) 朝5時に起き、6時半にはいつものお散歩ツーリングを堪能。 まだ涼しさの残る、夏の朝のパドリングは気持ち良い。

しまなみらしい美しいプライベートビーチでの海水浴とシュノーケリングを楽しみ、自転車でもお気に入りの浜を訪問することができた。
ああ、なかなか良い夏じゃないか!

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瀬戸内シーカヤック日記: 牛窓、前島&犬島_カヤック&バイク堪能キャンプツーリング

2011年07月15日 | 旅するシーカヤック
2011年7月14日(木) 早朝。 シーカヤックとMTBを積んだアテンザは東へ。
今回は、岡山方面を開拓する海旅。 目指すは牛窓。

***

1992年にシーカヤックを始めてから、様々なツーリングエリアを自分のお気に入りにしてきた。 だが最近は、新たなエリアを探す活動は停滞気味。
いつも通うお気に入りのコースは快適ではあるが、やはり新たな刺激も欲しいところ。

これまで笠岡諸島以外はほとんど漕いでいなかった岡山方面を、これから開拓して行く事にしよう。 今回は、その第一弾。

***

牛窓から小さなフェリーで前島へ。
前島のフェリー乗り場でキャンプ場の使用手続きを済ませ、サンビーチへと向かう。
 
空は快晴。 湿度はそれほど高くなく、絶好のツーリング日和。

今回の相棒は、最近出撃頻度の高いケープホーンではなく、ニンバスのニヤック。
漕ぎ慣れないエリアでは、イザと言う時に頼りになるポテンシャルの高いニヤックと、これまた厳しい状況で頼りになるアークティックウインドの組み合わせが、心理的な安心感を高めてくれる。

シーカヤックを降ろし、海を眺めると、右手遠方に島が見えた。 『あ、あれは犬島では』
道路地図を取り出して距離を測ると、約9km。

ここの地形では、東風や西風が吹いていると厳しそうだが、今日の海況なら問題なく行けそうだ。 犬島は別途調査と思っていたが、せっかくなので予定変更!
 
サンビーチの浜を出発して、牛窓の海を漕ぐ。
この辺りは、『尺取り虫方式での瀬戸内横断』で通り過ぎたが、ゆっくりと漕ぐのは初めて。 残念ながら海の透明度は高くないが、初めて周遊するエリアをのんびりと楽しむ。

漕ぎ出してから約1時間。 遠くに見えていた犬島も、眼の前に迫ってきた。 工場跡の残る、独特の風景。
約1時間半後、犬島海水浴場の横の浜にニヤックを引き揚げた。
 

***

浜でお昼ご飯を食べ、島内をしばし散策。
 
古い集落と、アートな建物が混在する、なかなか面白い島である。
 
***
 
今後また、シーカヤックで一周するとともに、島内をもっとゆっくり探索してみたいものだ。

***

海水浴場から漕ぎ出し、前島へと戻る。
 
途中から、少し東風が吹き始め、ザワザワとした海に。 この辺りは潮流も複雑だし、風が吹いたら荒れそうな地形。
慣れるまでは注意が必要そうだ。

黒島のところまで戻ると、中ノ島との間に砂州が見えた。 ちょっと立ち寄ってみるか。
 
なるほど。 この島と島の間は、干潮になるとつながるんだな。
なかなか良い雰囲気じゃないか。

せっかくなので、前島をグルリと時計回りに一周し、サンビーチを目指す事にした。
 
網代崎の所まで来ると、遠くに家島群島が見えた!
ああ、懐かしいなあ。 よく、あんな所まで漕いで行ったものだ。

今日は、久々に20kmオーバーのツーリング。 なかなか良い一日だった。

まずはビールで一人乾杯! お疲れさまでした。

***

海で泳ぎ、シャワーを浴びて着替え、テントを張る。

ビールを飲んでいると、キャンプ場を管理されている会社の方が軽トラックで来られた。

『今日はシーカヤック? どこから来たの』 『はい。 広島の呉です。 さっき、犬島まで漕いで行って、前島を一周して戻ってきた所です』

それをきっかけに、しばし四方山話。

遠くに見える独特の形の島は『屋島』であること。 ここでもシーカヤックツアーをやっている人が居る事。 秋には、四国まで渡り、帰りはフェリーの中でバーベキューを楽しみながら帰ってくるツアーが開催される事。

瀬戸内の船事情や、前島のフェリー事情などなど。

『ここには何人くらい住んでおられるんですか?』 『今は200人くらい。 少ないね』

『ほとんど農業ですか?』 『そう。 この時期はカボチャが多いよ』 『そういえば、フェリー乗り場で売っていましたね』

明日、海水浴場のエリアを浮きの着いたロープで囲うとの事。 『カヤックは出入りできるよ。 これをしとかないと、ボートとかジェットスキーが入ってくるからね』

『じゃあまた明日。 ゆっくり楽しんで』 『ありがとうございます』

瀬戸内の美しい夕景を眺めながら、晩ご飯を食べ、ビールを飲む。
 

***

夜はそれほど蒸し暑くなく、メッシュテントで快適な睡眠。 朝4時起床。
 
5時過ぎに、ビーチを漕ぎ出す。
 
黄島を反時計回りに一周。 東の空が、妖しく美しい朝。

小一時間ほどでビーチに戻ると、簡単な朝食を食べ、コーヒーを楽しむ。
『さて、じゃあ出掛けようか!』

アテンザワゴンからMTBを下ろし、前島のサイクリングコースへ。
 
朝の快適な空気を切って、快適なペダリング。

距離こそ短いが、適度なアップダウンがあり、なかなか良いサイクリングコース。 ここは、カヤック&バイクを楽しむには良い島だ。

シーカヤックとMTBを片付け、出発しようとしていたとき、沖から小さなボートがやってきた。 昨日の方である。

『おはようございます。 今朝、シーカヤックを漕いで、さっき自転車で回ってきた所です』 『そう。 前島をたっぷり堪能した?』
『はい、ありがとうございました。 じゃあ、帰ります』

***

牛窓。 はじめてゆっくりと回ったが、ツーリングを楽しむには良いエリアである。 今年14&15漕ぎ目となった今回は、予定外の犬島訪問もできて、岡山方面開拓ロケハンの収穫はバッチリ。

そして、カヤック&バイク。 今年は、アテンザワゴンにサイクルラックを追加したのが大正解。 これまでほとんど使っていなかったMTBが、楽しい海旅をサポートする道具として活躍している。
その結果、最近の私のスタイルは、『(シーカヤックを)漕いで~♫ 、 (MTBを)漕いで~♩ 、 (ビールを)飲まれて、飲んで~♬』と、本当に楽しいキャンプツーリング。

50歳も近くなってきたが、遊び心と好奇心は高まるばかり。

これから、日生や犬島、牛窓、そして時々お世話になっている笠岡も含め、じっくりと開拓していく事にしよう。 楽しみだ。

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瀬戸内シーカヤック日記: 私にとっての『瀬戸内カヤック横断隊』

2011年07月14日 | 旅するシーカヤック
私にとっての瀬戸内カヤック横断隊:


***

2007年の海洋文化セミナー@下関でのプレゼ資料。

諸般の事情により数年前から残念ながら参加を見合わせているが、かつて私も参加させていただいていた初期の『瀬戸内カヤック横断隊』の記録と、私なりに咀嚼した『瀬戸内カヤック横断隊』の意義。

横浜単身赴任で中断していた、『尺取り虫方式』での瀬戸内横断再開のきっかけにもなり、私のその後のカヤックライフに大きな影響を与えた貴重な経験をさせていただいた。

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瀬戸内シーカヤック日記: 『瀬戸内横断その4、西側ゴールとなった関門海峡超え』

2011年07月13日 | 旅するシーカヤック
2000年に始めた瀬戸内横断も、東側ルートは兵庫県の家島に無事ゴールし、残すは西側ルートの関門海峡を目指す最終ステージを残すだけとなりました。 今回は、2回に分けて計5日間で漕ぎ進んだ、山口県の大畠(おおばたけ)から、念願のゴールである下関の関門海峡までの旅を報告します。

<山口県大畠町から山口県宇部市まで>

2004年4月29日の朝、大畠駅からタクシーに乗り、大畠大橋を渡って近くの漁港に向かう。
準備完了し、フネを組む時に話しかけられた釣り客や、近くの島に別荘を建てて住み着いているという人達に見送られながら、晴天の中を漕ぎ出した。 ゴールまではもう150kmほど。今回は3日間の予定なので、できるだけ距離を稼いでおきたい。

まずは上関(かみのせき)の半島に沿って一旦南下し、船の交通量が多い上関海峡を越える。 上関大橋の近く室津(むろつ)には、てんぷら(魚の練り物を揚げたものでさつま揚げに近い)のおいしい店があるので、一旦上陸して夕食の材料を仕入れる。
その後、馬島(うましま)を越えたあたりで日が傾いてきた。 今日のキャンプ地は、光市(ひかりし)の室積(むろずみ)を目標にする。

行ってみると室積半島の先端に、小さくて雰囲気の良い浜があり、そこに上陸。むろつの天ぷら入りレトルトカレーの夕食を食べ、さっさと寝る。

***

翌日の朝は、距離を稼ぐため夜明け前から起き出してヘッドランプの明かりを頼りにパッキングし、まだ暗い中、ヘッドランプを点灯したまま漕ぎ出した。

次第に明るくなって行く海を漕ぎ、笠戸(かさど)島の南端をかすめて、フグで有名な粭(すくも)島へ向かう。 この日一番の難所は、粭島から、人間魚雷回天の発射訓練基地跡で有名な大津(おおつ)島までの、わずか2km弱の横断だった。

ここは、工業地帯である徳山港に出入りする船がひっきりなしに行き交っており、その隙間を縫っての横断は疲れた。

その後、防府(ほうふ)市の向島(むこうじま)まで最短距離を渡ったあたりで疲れがピークに。
漕ぐたびに左腕の肘に鈍い痛みがあり、夕方も近かったことから、中浦の小さな浜でキャンプすることとした。 買い出しに行った小さな商店のおばちゃんが親切な人で、私の色の黒さやその風貌から、最初は東南アジアから近くの工場に来ている研修生と勘違いしたようだが、ひとしきり話した後は、近くに薬局が無いからと痛めた肘に貼るための湿布をくれたり、水も分けてくれたりと、親切にしてもらった。 おばちゃん、ありがとう。

翌日は、肘に湿布を貼って漕ぎ出す。 車エビの養殖で有名な秋穂(あいお)町を越え、昼過ぎに宇部市の床波(とこなみ)に到着。
漁港のスロープで作業しているおじさんたちに許可をもらって、そのスロープに揚げさせてもらった。 片付けてお礼を言って帰ろうとすると、漕いで来たフネはどうするのかと聞かれ、背中に背負っているのがさっきのフネですよ、と言うと驚いていた。

<山口県宇部市から下関市・関門橋まで>

2004年5月29日。これまでは一人で漕いできたが、今回は関門橋付近の海峡に詳しい地元ダイドックの原さんにサポートしてもらうこととした。

床波漁港で2艇のK-1を組み立てる。知人である地元のKさんとNさんが差し入れのビールを持って見送りにきてくれた。 うれしい。

東風が吹き、瀬戸内らしからぬうねりのある海を山口宇部空港沿いに二人で南下する。 このあたりまでくると島がほとんど無く、南側は周防灘(すおうなだ)の開けた景色で、私の地元広島辺りで見る景色とは全く違う雰囲気だ。

宇部港を越えると、今度は北上。 小野田市を越え、今日の宿泊予定地である山陽町の埴生(はぶ)漁港を目指す。
埴生漁港では、散歩していたおばちゃん2人組に、夜、襲いにくるからとからかわれ、また漁協の組合長の奥さんには、食べるものが無ければ家に来ても良いよと親切に声をかけていただいた。

***

2004年5月30日。 朝は、組合長の奥さんがわざわざみそ汁と味付けのりの差し入れに来て下さり、ありがたく頂いた。
うちの孫もいつどこの海や港で人の世話になるかもしれないから、と言っておられたが、本当に気持ちのよい漁港だった。 まだまだ瀬戸内の人情も捨てたものじゃないです。

そんなこんなで、ゴールに向けた最終日、曇り空ではあったが、気持ち良く漕ぎ出すことができた。

もうゴールは目の前。 満珠(まんじゅ)島、千珠(まんじゅ)島を越え、関見台(せきみだい)公園で一旦潮待ちの休憩と昼食。 転流時間が近づくと、なんだか落ち着かなくなり、早く出たいというそぶりを見せる私を、原さんが、まあ待ちましょうとなだめてくれる。 たしかに関門海峡の潮流は甘くない。

いよいよ出発。 小雨だが、ゴールまではわずかに4kmほど。 対岸の九州も目の前。
漕いで行くと、潮流信号は向かい潮1ノットからとうとう0になり、矢印の向きが変わった。 転流だ。

岸沿いに漕いで行くので、海沿いにあるレストランのお客さんや、道を走っている車の人たちが手を振ってくれる。 みんながゴールを祝福してくれているようでうれしい。
もう橋は目の前、雨も上がった。無言で漕ぐが、これまでの旅の思い出が蘇り感無量!

関門橋を越え、舟屋の残る良い雰囲気の小さな漁港にフネを揚げた。



家の近くの浜から期待と不安につつまれて出発し、2年弱の中断を含め、足掛け4年でゴールした瀬戸内横断。
小さな目標ではありますが、様々な人々のサポートを受けながら、一漕ぎ一漕ぎを積み重ねることでそれを達成できたことは、とても貴重な経験となりました。

また、瀬戸内海と一口に言っても、その景色や海況には多様性があり、まだまだ知らないことが多いのだということも実感しました。 これからも、次の目標に向けて漕ぎ続けていこうと思っています。

私の旅を4回に渡って掲載させていただき、また読んでいただき、本当にありがとうございました。 今度は海でお会いできるのを楽しみにしています。

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瀬戸内シーカヤック日記: 『瀬戸内横断その3・東側ゴール、家島まで』

2011年07月12日 | 旅するシーカヤック
2年近い横浜への単身赴任で、途中で中断した瀬戸内横断へのモチベーションはすっかり下がってしまい、広島帰任後も重いK-1は見てみぬ振りをして、リジッド艇でののんびりツーリングばかり。

そんなある日、ひょんな事から本誌でも紹介された第1次瀬戸内横断隊に途中から参加することに。 寒波と時化の厳しい瀬戸内海を漕ぎ進み、ようやく笠岡の白石島にゴールした時なんとも言えない充実感を感じ、中断していた瀬戸内横断を再開することを決意したのだった。 やっぱ旅が良いね!

<岡山県玉野市から兵庫県姫路市家島まで>

■2004.04.16(金)
出崎半島付け根の小さな浜でK-1を組み立て、今回は何が待っているかとワクワクしながら漕ぎ出す。

一面にツツジが咲く穏やかな海を半島沿いに南下して、井島との間との狭い海峡を抜ける。 すると、昨年の横断隊で辿り着けなかった小豆島が目に入ってきた。 今回は、その小豆島を越えて家(いえ)島まで行くのだと思うと感慨深い!

岡山と小豆島を結ぶフェリーや、児島湾に出入りする船が頻繁に出入りする幅2kmほどの狭い海峡を横断し、優雅にヨットが行き交う牛窓(うしまど)港の入り口に差し掛かる。 狭い牛窓瀬戸を挟んで黒島、前島、黄島などが点在する牛窓は、確かに瀬戸内らしい美しい景色。 などとのんびり構えていると、前方の牛窓瀬戸に中型の貨物船が見えた。

船がそのまま牛窓港に入るのか、左に転進して玉野の方に向かうのかを見極めるため、いったん待つこととした。 ある程度待ったが転進する様子が無いため、前島側に逃げようと判断して漕ぎ始めると、急に船首をこちらに向け速度を上げて近付いてくる。
全力で漕ぐが船は加速し、更にこちら向きに船首を振ってくる。いまさら止まるわけにもいかず、数分間の必死のパドリングでなんとか安全な距離で交わすことができたが、後味が悪かった。

狭い牛窓瀬戸を抜け、左に回りこむとこじんまりとした牛窓海水浴場がある。 当初はここを初日のキャンプ地に予定していたが、まだ14時過ぎ。
明日は家島までの長い島渡りをすることを考えると少しでも余裕が欲しい。 地図をチェックすると、15km先の日生町に「大多府(おおたぶ)島」という周囲5km程の島がある。
ケータイで日没をチェックすると18時30分位だったので余裕で到着できそう。 太陽を背に、微かに見える目標に向けて淡々と漕ぐ。
結局17時過ぎに大多府島に到着。今日は結局40km弱の航海だった。 昼食の残りの巻き寿司とラーメンという簡単な夕食をビール、ウイスキーとともに楽しんだ後、早々と寝る。

■2004.04.17(土)
今日は家島までの播磨灘横断。
長距離の島渡りであり、播磨灘を漕ぐのも初めてで海況が分からないため、船が少ない早朝を狙って4時半に起床。 簡単な朝食を済ませ、朝焼けの中を6時前に出艇した。

兵庫県の相生市まで岸伝いに行って最短距離を渡る手もあるけれど、今日は快晴で注意報も出ていないことから、予定通り、大多府島から直接家島まで、20kmを超える島渡りとする。 播磨灘の水温は低く、休憩の時に手を浸けておくと痺れてくるほどだが、なぜかクラゲが異常に多い。

1時間、2時間と漕ぎ進むに連れて大多府島は小さくなり、家島諸島の院下(いんげ)島、西島は、徐々にではあるが大きくなってくる。 また海面に浮かぶゴミが増え、工業地帯が近づいてきていることを感じる。
3時間位漕いだ所で院下島がほぼ真南に見えるようになってきた。 家島諸島は採石で有名だが、実際、西島に近付くと山は採石された剥き出しの荒々しい跡を見せている。もうここまで来れば、万が一天候が変化しても避難できると一安心。

夜明けの出発から4時間以上漕ぎ続けて、ようやく目的地である家島の尾崎鼻まで到達。さすがに疲れた。 尾崎鼻を回り込むと景色が一変。大きな船がたくさん停泊しており、ひっきりなしに船が行き交う港が見えて驚いた。ここは本当に島なのか?

家島神社前で釣りをしていた人にキャンプができる近くの浜を教えてもらい、11時過ぎに無事、瀬戸内横断の東側コースのゴール、家島に上陸した!
浜に船を引き揚げ、昼食とビールを求めて街へ買出しに行く。 浜に帰ってきたら、神戸から遊びに来ていた家族連れや、花見がてら遊びに来ていた地元の小学校5年生女子5人組とも仲良くなる。



島の子供たちには、「広島の名物は何や?」の質問に始まり、「オッチャンはハナワに似とるナ」、「クラゲを入れる穴掘り手伝えー!」などと言われながらクラゲ取りや、ワカメ採りを一緒に楽しむ。 また、あまりの暑さに海に飛び込むと、5年生の女の子達は、「水着を持って来れば良かったー」と悔しがった。



夕方にはビールを買出しに行くという自分を、例の5年生5人組みは5台の自転車で先導してくれた。
買い物を終えて別れ際、「オッチャン、夏にはまた絶対遊びにおいで!魚がおいしいで。」、「明日帰りの船の時間を決めろ、送りに行ったる!」などと嬉しい事を言ってくれる。
浜に帰り、子供達と一緒に取ったワカメの豆乳しゃぶしゃぶと冷えたビールで、家島到着のうれしさを味わう。 この家島を東側ゴールに選んだのは大正解だった。


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瀬戸内シーカヤック日記: 『瀬戸内横断その2・更に東へ西へ、岡山県玉野市まで&山口県大島町まで』

2011年07月11日 | 旅するシーカヤック
『瀬戸内横断その2・更に東へ西へ、岡山県玉野市まで&山口県大島町まで』

【岡山県笠岡市から岡山県玉野市まで】

2001年2月10日、JRで再び岡山県笠岡(かさおか)を訪れた。 渡船で渡った白石島の浜で船を組み立て、南東に向けて漕ぎ出す。
今回は、笠岡諸島から塩飽(しわく)諸島を回り、中間の大きな節目となる“瀬戸大橋”を越えて岡山県の玉野市まで2日で漕ぐ予定。

船を組み、冬の冷たい向かい風の中を北木(きたぎ)島を越え、小手(こて)島の南をかすめて、ようやく香川県の広島付近まで来た。 その南側は航路で大型船がひっきりなしに行き交い、複雑な引き波にカヤックが翻弄される。
日没が近づいたことと、風が強まり体が冷えてきたこともあり、広島の南岸にある海水浴場に上陸。 海水浴場の片隅にひっそりとテントを張り、震えながらウエットスーツを着替える。

夜、偶然ラジオを聞いていると、その日に起きた「えひめ丸」のハワイでの事故を伝えていた。 目の前は四国。 繰り返されるニュースに、地元の緊張が伝わってきた。

朝起きて、食事の準備をしていると、散歩している地元のおじさんに「ここで寝たのか、寒かったろう」と話し掛けられ、「朝起きたらテントの内側に薄く氷が張っていて驚きました」と答える。 これから瀬戸大橋を越え、玉野まで行くことを話し、冷たいウエットスーツに着替えて出艇。

ここからは下津井(しもつい)に向けて一旦北上し、念願の瀬戸大橋越え。 幸い船舶も少なく、潮流も思ったより弱いようだ。 中型の貨物船をやりすごし、無事に瀬戸大橋の真下に到達して記念撮影した、と思ったらいきなり進まなくなった!

前を見ると、海水が大河の如くとうとうと流れてくる。 白波が立っているわけではないのに凄いパワー。 漕いでも漕いでもじりじりと押し返され、たまらずUターンして橋脚の裏側に逃げた。

ところが、そこでは小さいながら渦ができており、スターンが引き込まれる初めての経験。 こういう時にソロは心細い。 落ち着いたところで、川で遊んでいた頃のことを思い出し、本州側にフェリーグライドで渡る。

さすがに瀬戸大橋はすんなりとは通してくれなかったが、瀬戸内横断の一つの関門であった瀬戸大橋越えを無事クリア! 玉野市に入ると向い風が強くなってきた。
直島を越え、出崎半島の付け根にある小さな浜に船を上げた。

***

【広島県倉橋町から山口県大島町まで】

今回は、山口県の屋代(やしろ)島・通称大島までの島渡りだ。
2001年5月25日、有休を取り、前回船を上げた倉橋町の桂ヶ浜(かつらがはま)までバスで移動。 舟を組み、一息ついて漕ぎ出す。

黒島を通過し、2時間ほどで柱(はしら)島に到達。 柱島は、屋代島まで渡る途中で唯一の有人島なので、ここで食料やビールを買出しする。 小さい港の隅っこに係留させてもらい、島のメインストリートを散策。民宿も多く、夏に海水浴に来たら楽しめそうだ。小さい商店で買ったパンで昼食を済ませ、再び出発する。

ここからは、小さな島が連続する。 柱島は、戦艦陸奥(むつ)が謎の沈没をした所で、その南の続島(つづきしま)は犠牲者を荼毘に付した島。
さらに南下し、長島のゴロタ石の浜でしばし休憩。 この先は島が切れ、山口県岩国市と愛媛県松山市とを結ぶ大型フェリーの航路になるので要注意。 大型船を気にして常に左右を見ながら、屋代島までの最短コースを漕ぎ渡る。

屋代島の厨子ヶ浜(ずしがはま)に到着。 まだ日は高いが、快適そうな海水浴場なので、ここでキャンプすることに。テントを張っていると、散歩をしていた地元のおじさんに話し掛けられた。
どこから来たのか?このフネはいくら位するのか?など興味津々で質問攻め。 最後は、学生かとの質問に苦笑する。
どう見ても私自身いい年をしたオヤジなのだが、平日にカヤック漕いでの一人旅で、塩にまみれてテント泊など、若い貧乏学生位しかしないだろうというのが一般的な感覚なのかも。

翌朝は、屋代島の岸沿いではなく、大島大橋に向う最短距離となる浮(うか)島に向けて直進。 浮島と頭(かしら)島の間にある狭い水路を抜け、穏やかな海を大畠瀬戸に向かう。
昼頃には大島大橋の手前の漁港に着き、そこで作業をしていた人に断ってスロープに船を上げさせてもらう。 船を畳み、背中にK-1、両手にはキャンプ道具が詰まった大きな防水バッグとパドルケースという姿でヨタヨタと歩いていたら、夫婦が乗った車が止まって声を掛けてくれた。
JR大畠駅まで行くのだと言うと、乗っていけということになり、遠慮無く乗せてもらう。 車中では、大きな荷物を持っていたので見兼ねて声を掛けていただいた事を聞き、私からは、広島県の呉市から漕いできたこと、大きな荷物はカヤックであり、これで瀬戸内横断を目指していることなどを話した。
大島大橋を越えて、JR大畠駅で降ろしていただき、礼を言って別れた。親切が身に沁みた。

その後、横浜の研究所に単身赴任することとなり、瀬戸内横断は、帰任まで一時中断となった。

次回は帰任後に再開し、様々な出会いがあった思い出の東側ゴールとなる、兵庫県家島(いえしま)までの旅を報告します。

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瀬戸内シーカヤック日記: 懐かしい記録_『瀬戸内横断その1・地元広島県呉市から東へ西へ』

2011年07月10日 | 旅するシーカヤック
PCのファイルを整理していたら、懐かしい紀行文が出てきた! せっかくなので、何回かに分けてブログに掲載してみよう。

***

『瀬戸内横断その1・地元広島県呉市から東へ西へ』

瀬戸内海。いつも遊んでいるこの海を、自分の力で、端から端まで漕いでみたいと思っていた。 不惑のサラリーマンにとって日本一周は少し遠い夢だけど、瀬戸内横断なら約450km。週末を使った旅の積み重ねで実現できる等身大の距離。

今回は、小学生時代から住んでおり、自宅のある広島県呉(くれ)市を基点に2000年4月から東西に漕ぎ進み、途中、横浜転勤による中断を挟んで2004年5月に終えた、兵庫県家島(いえしま)町から山口県下関(しものせき)市までをつなぐ旅を、4回に分けて紹介しよう。

***

【広島県呉市から東へー1_岡山県笠岡市まで】

2000年4月29日朝、妻に見送られ、自宅からタクシーで15分程の所にある海水浴場に向かう。
浜でフェザークラフト・K-1を組み立て、東に向かって一人静かに漕ぎ出した。 ソロで3日間行きっぱなしの旅は初めてで、しかも地元だがこれまで漕いだことの無い海域なので、期待と不安が交錯する。

しばらく進むと、本州と蒲刈(かまがり)島との間にある「女猫(めねこ)の瀬戸」に差し掛かる。
タイミング悪く逆潮で、安芸灘(あきなだ)大橋の下まで行くと、川の瀬のようにザワザワと白波が立っている。

漕いでも漕いでも景色が変わらない。 普段は瀬戸内でも比較的潮流の影響が少ない場所を漕ぐことが多かったので、いきなりの難所で良い経験になった。
なんとかそこを漕ぎぬけると、その後は所謂“瀬戸内らしい穏やかな海”が続く。
流れる「瀬戸」と穏やかな「灘」、このコントラストが本当の瀬戸内らしさか?

柑橘類で有名な大崎上島(おおさきかみじま)の辺りを漕いでいると、ミカンがプカプカと流れていた。
今日は、竹原市沖にある生野(いくの)島の、景色の良い静かな海水浴場でキャンプ。

ここから先は「しまなみ海道」と呼ばれ、潮流が早く複雑な事で有名な海域。 初日の反省も踏まえ、潮汐表を確認して翌朝は5時過ぎに出艇した。
「毒ガスの島」として有名な大久野島(おおくのしま)から三原市須波(すなみ)沖を経て、船の行き来が多い因島(いんのしま)と向島(むかいしま)との間の海峡、「布刈(めかり)瀬戸」を慎重に横断。
その後、百島(ももしま)の北側を抜けた頃から空が次第に暗くなり、パラパラと雨が落ち始めた。

まだ15時過ぎだが、下り坂の天気と初めての場所で少し心細くなったこともあり、少し先の内海(うつみ)町にある海水浴場に上陸。東屋の下にテントを張り、カレーとラーメン、ぬるい缶ビールの簡単な夕食を済ませて、早々に寝る。

朝起きると一面の濃霧で視界は数十メートル。
狭い水路を岸ベタで慎重に進む。 阿伏兎(あぶと)の瀬戸を越えたら、笠岡(かさおか)諸島に向けて最短ルートを取る予定だったが、霧のため急遽予定を変更。古くからの潮待ち風待ち港として有名な福山市の鞆(とも)に向けて岸沿いを漕ぎ進む。

鞆では雰囲気の良い小さな漁港に快く係留させてもらって上陸し、しばしの休憩。 港ではおばさん達に話しかけられ、呉から漕いできたことを話すと驚いていた。
再び漕ぎ出し北上。本州沿いに、今回の目標である岡山県笠岡(かさおか)市に向かう。
やっと県境を越えた。 が、そのころからなんだか体に力が入らず、気力も失せてきた。

慣れないバックパッキング旅で荷物を最小限にしたため、ろくな食事をしていないのが原因の「シャリバテ」か?
残った行動食を食べ、頻繁に休憩しながらノロノロと進む。 笠岡諸島の高島(たかしま)を越え、バウを北に向けて奥深い笠岡港に入るが、逆潮との闘いにも疲れ果ててもう限界。途中にある神社のスロープで舟を引き上げた。

***

【広島県呉市から西へー1_広島県安芸郡倉橋町まで】

夏も過ぎ、そろそろ瀬戸内横断の旅を再開するため、地元呉市から今度は西へ向かうこととした。2000年11月18日、再び地元の海水浴場から出発する。
今回は、次に予定している山口県屋代島(屋代島)への島渡りの前段階としての、勝手知ったる地元での気楽な日帰り旅だ。
良く出かける情島(なさけじま)を越え、亀カ首(かめがくび)に到着。ここは戦艦大和の主砲発射実験場として知られており、今でもコンクリート製の廃墟やスロープなどが残る独特の雰囲気。

ここでしばし休憩して、再び漕ぎ出す。
一時間ほど漕ぎ、近道となる海越(かいごし)の幅10m長さ20m程の狭く短い水路に到達。両岸の釣り人に物珍しそうな目でみられながら無事通過し、昼になったので浜に着けて買出しに行く。
地元の商店でビールとパンを購入。 PFDを着けたままのあやしい姿なので、店のおばさんには釣りに来たのかと聞かれる。
浜に戻って簡単な昼食。 ここから目的地の桂浜(かつらはま)までは数キロ。

シーズンオフの海水浴場に舟を上げ、K-1を背負ってバスを乗り継ぎ帰宅した。

次回は、東は念願の瀬戸大橋越えと、西行きは山口県の屋代島経由で大畠(おおばたけ)まで、東西それぞれにパドルを延ばした旅の経過を報告します。

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瀬戸内シーカヤック日記: ちょっぴり贅沢な尾道&しまなみ弓削島堪能ツーリング

2011年07月08日 | 旅するシーカヤック
2011年7月7日(木) この夏は変則休日になる私にとって、木金は週末である。 ボーナスも出た事だし、長くて辛い引き蘢り生活を支えてくれた妻と二人で、久し振りのドライブ旅行。
目指すは、私の大のお気に入りのエリアである、しまなみの上島町。 この5月に完成したフェスパに泊まろうという計画である。

今回は、妻には申し訳ないが、ロードスターでのオープンドライブではなくアテンザワゴン。 『ドライブじゃが、せっかく島に行くんじゃけん、わしはちょびっとシーカヤックも漕がせてもらうわ』
という訳で、ウィルダネスシステムズのケープホーンを積んだアテンザワゴンは、雨の国道を東に向けてスタートした。

***

フェスパのチェックインは15時なので、それまでたっぷり時間がある。 『時間もあるし、尾道に寄って行こうか』
久し振りに朱華園のラーメンを、というプランもあったのだが、調べてみると木曜日は定休日。 うーん、どうしよう?

『そうや、ええ店がある。 そこでランチを食べようや』
 
『あかとら』
以前、尾道に泊まった夜に飲みに来て、お気に入りになった一店。 静かできれいな、落ち着ける雰囲気のお店である。
 
俺は海鮮丼、妻は天丼を注文。 この海鮮丼が、美味いのなんのって、それは絶品であった。
天丼も揚げたてサクサクの天婦羅がたっぷりで、これまたおいしい。

うん、やっぱり『あかとら』はいいな。 最高や。 また今度、しまなみに漕ぎに来て、尾道に泊まって飲みにこよう!

***

『ごちそうさまでした』

さあて、『せっかくやから、デザートいこか』
尾道といえば、これまたお気に入りの『こもん』 ここのワッフルが久し振りに食べたくなった。
 
尾道の商店街が定休日となる木曜日で、しかも雨が降っているせいか、こもんの客は私たち二人だけ。 貸し切り状態で、ゆっくりとワッフルを食べ、コーヒーを楽しんだ。

『これで、朱華園のラーメン食べたら、尾道フルコースなんやけどなあ』 『さすがに、もうお腹一杯』 『ほな、またにしよか。 じゃあ、弓削へ行くで』

***

尾道から小さなフェリーで向島に渡り、因島から再びフェリーで生名島へ。
 
生名島行きのフェリーでは、常連の証、回数券での支払いである。

『お、なんや雨が上がってきたな。 これなら今日も漕げるんやないか。 ちょっとクルマで待っとってくれるか』
 
そそくさと着替え、シーカヤックを浜に下ろし、安全装備だけを積み込んで、海に漕ぎ出した。

弓削島から漕ぎ出すのは久し振りである。 雨も上がってきて、静かな凪の瀬戸内を快適なパドリング。
 
靄の向こうに見えるのは、豊島、高井神島、そして魚島。
弓削の南岸まで行き、Uターンして、海水浴場まで戻ってきた。 眼の前には、今日お世話になるフェスパ。

***

シーカヤックをカートップし、着替えると、すぐ上にあるフェスパへ。 さて、どんな部屋なのだろうか。 楽しみだ。

今日予約したのは、201号室。 フェスパで最も高い、スーパースィートである。
 

『ボーナスも出ることやし、ここなら高い言うても知れとる。 せっかくやから、一番ええ部屋にしようや』 ということで、予約していたのだ。
 
部屋は広く、和室も備えたオーシャンビュー。 外にはなんと専用のジャグジーもある。
『おー、ここはええなあ。 わしらじゃ高級ホテルのスィートは無理じゃけど、ここなら、普段は浜でキャンプしたり、民宿や安い温泉宿でも満足している貧乏人のスィートとしては充分じゃ。 ほんま、快適やのお』
 

***

まずは、フェスパのお風呂に入り、今日一日の疲れと、シーカヤックの潮を流す。
部屋に戻り、妻が戻ってくるまで、冷えたビールをグビリ。
 

 
テラスから夕日を眺める至福の一時。 『さて、そろそろ晩ごはんを食べに行くか』

レストランでの夕食を終え、部屋に戻る。
 
乾杯。

お酒を飲み、ジャグジーをゆっくり楽しむ。 夜の海と空を眺め、お酒を飲む。
『え、なんだって。 今日は七夕? 全く忘れとったわ』 残念ながら曇り空で星は少ししか見えないが、うん、これはなかなか良い七夕の夜じゃないか。

***

2011年7月8日(金) 朝起きると、靄の瀬戸内海。 5時半。 『ちょっと漕いでくるけん』
クルマを生名島まで走らせ、いつものキャンプ場の浜へ。
 
朝靄で幻想的な景色である。 『じゃあ、朝の散歩を楽しむか』
 
鶴島、亀島、龍神様、そして平内島。 おなじみの朝のお散歩コースをゆったりとしたペースで楽しむ。 『やっぱ海は気持ちええなあ』
 
約1時間ほどのツーリングを終え、シーカヤックと道具を洗い、着替えてフェスパに戻る。

***

風呂で潮抜きをし、朝食へ。
食後は、ゆっくりと休憩した後、再びジャグジーにお湯を満たし、部屋での朝風呂をゆっくり堪能。
体が熱くなってきたら、テラスのチェアに寝転んで体を冷やす。 なんとも快適な朝である。

9時半。 フェスパをチェックアウト。 『お世話になりました』

生名島からフェリーで因島へ。
 
因島から向島、そこからフェリーで尾道へ。

11時前には、朱華園へ到着。
 
昨日食べ損ねた中華そばをいただいて、尾道フルコースを完結した。

 

***

それにしても、フェスパの201号室は気に入った。 リーズナブルな料金で、あれだけゆったりとした優雅な気分に浸る事が出来るのだ。
妻も満足して喜んでくれたようだ。 よかったなあ。 今度はぜひ、連泊してみたいものだ。

しまなみ上島町の『なんちゃって観光大使』を自認する私にとって、また一つお気に入りのスポットが増えた。
3連ちゃんの海漕ぎで前半は空白となっていた2011年もようやく13漕ぎ目となり、海旅も良いペースになって巻き返してきたし、またまた最高の休日であった!

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瀬戸内シーカヤック日記: 情島周遊ツーリング

2011年07月06日 | 旅するシーカヤック
2011年7月6日(水) 今月から、木金休みの変則休日に変わり、曜日感覚がおかしくなった状態が続いている。
今日は、残業がたまったので調整休にして、久し振りの3連休。 だが、明日明後日と予定が入っているので、残念ながらキャンプツーリングはお預けである。

朝起きてPCを立ち上げ、天気予報をチェックすると、午後から雨マーク。
じゃあ、ってことで、そそくさと朝食を済ませ、シーカヤックをカートップして着替えると、『昼から雨じゃ言うとるけん、ちょっと散歩に行ってくるわ』


家を出てから約30分後には、出艇準備が整った。 『さて、今日の海はどうかな?』

まだ梅雨明けぬ、穏やかな瀬戸内の海。 少し雲の多い朝ということで、気温もそれほど高くなく、良い漕ぎ日和である。

20分ほどで、情島に到着。 約19年前にカヤックを始めた頃には、フジタカヌーのSG-1で、一人この情島に渡ってくる事ですら冒険のように感じていた事を懐かしく思い出す。
 
小さな浜に上陸。 この浜は、情島の西側にある他の浜と違って、ごろた石もなく、なんだか人工的な感じがする。
この浜の奥にあるのは、『伏龍特別攻撃隊』の石碑。

伏龍特別攻撃隊(wiki)
伏龍特別攻撃隊

『伏龍特別攻撃隊』 人間と言うのは、本当に恐ろしい事を考え出すものである。

***

情島を時計回りに漕ぎ進む。
 
島の東側を漕ぐのは久し振り。
 
戦争中、戦車を上陸させるために造られたという、コンクリートのスロープ。

***

穏やかな朝の瀬戸内海。
 
これまた久し振りに集落に上陸してみる。
 
時間が早いためだろうか、以前来た時よりも、さらに人の気配が少なく感じられた。 

***

 
実漕ぎ、約1時間半のお散歩ツーリング。 やっぱり漕ぐのは気持ちええなあ!

道具を片付け、買い物をして用事を済ませ、家に戻ると昼から雨が降り始めた。 うん、今日も良いタイミングで漕ぐことができた。
さて、この木金休みはどんな休みになるだろうか。 楽しみだ!

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