錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~若手のホープ(その6)

2012-10-16 15:51:39 | 【錦之助伝】~若手歌舞伎役者時代
 昭和26年、錦之助は、女形に混じって、いろいろな立役(男役)もやっている。「源氏物語」の若き日の頭中将の役は別として、3月の同じ歌舞伎座の舞台では「」(しばらく)の渡辺小金丸という役を演じている。どんな役なのか調べてみると、渡辺小金丸は善玉側の家来で、悪玉の首領(「ウケ」という)清原武衡(たけひら)の配下に間者として潜り込み、途中で「しばらく」と言って登場する勧善懲悪のヒーロー鎌倉権五郎に、奪え返した名刀雷丸(いかずちまる)を差し出すという、なかなか良い役である。この時、権五郎は松緑、武衡は海老蔵であった。

 4月・5月の歌舞伎座、七世歌右衛門襲名披露公演(50日間)では、「沓手鳥孤城落月」(ほととぎすこじょうらくげつ)の裸武者秀島新吾。これも良い役である。「孤城落月」は坪内逍遥の作品で、「桐一葉」の続編。大阪夏の陣の落城を描いたもので、主役は淀君と秀頼。これを時蔵と勘三郎がやっている。錦之助の演じる裸武者は豊臣方の家臣で、「二の丸乱戦の場」に登場し、長刀を持って獅子奮迅の活躍をする。立ち回りが見せ場だという。
 共演した中村種五郎の話によると、「『孤城落月』ではじめてながもの(長刀)を使いましたが、とても上手かったですね。裸武者でね、それで松竹の大谷社長賞を貰いましたね」とのこと(「平凡スタアグラフ」の「名題さんが語る錦ちゃんの歌舞伎時代」)。子供の頃からチャンバラ好きだった錦之助が、勇ましい武者になって刀を振り回したのだった。


「孤城落月」の錦之助(裸武者)

 7月の明治座では「勧進帳」の駿河次郎。これは義経の家来で四天王の一人。義経に随行し、弁慶ともども山伏姿に身をやつしているが、安宅の関を強行突破しようとして血気にはやる若武者である。この時、弁慶は幸四郎、義経は歌右衛門、富樫は勘三郎。吉右衛門劇団の三羽烏である。
 この興行の千秋楽の翌日、配役を代えて若手中心の試演があり、「勧進帳」が上演された。この時、弁慶は慶三、富樫は梅枝が務め、錦之助は初めて義経を演じた。大役である。「あげ羽の蝶」の中で錦之助はこう書いている。

 義経は大変難しいものでした。亡くなった六代目(菊五郎)のおじさんも、「判官おん手を……というところで義経の出す右手が、何かくれといった手にないがちだ」といわれたように、あくまでも源氏の御曹司義経の品位を内に保っての一挙手一投足は、さすがに難役といわれるだけのことはあります。

 9月の歌舞伎座(中村会、十三世仁左衛門襲名披露)では「土蜘」(つちぐも)の坂田公時(金時)。源頼光の家来で四天王の一人で、最後に土蜘の化け物との立ち回りがある。僧智寿実は土蜘の精は父時蔵、源頼光を幸四郎、平井保昌を守田勘弥がやり、四天王は渡辺綱が長兄種太郎、卜部季武が次兄梅枝、碓井貞光が坂東慶三という配役。つまり、四天王の三人を三兄弟が分け合ったわけである。しかも賀津雄も太刀持役で出演したので、時蔵一家総出演だった。
 これは、錦之助が東映に入ってからの話だが、昭和30年暮に『羅生門の妖鬼』(佐伯清監督)という映画を撮っている(封切は翌昭和31年1月3日)。歌舞伎の「戻橋」「茨木」「土蜘」の三つをまとめた異色の作品だが、錦之助は時蔵の持ち役を全部自分で演じている。娘小百合、叔母真柴、僧智寿である。実は茨木童子と土クモの変身で、珍しく錦之助が妖怪変化の悪役を演じたもので、注目すべき映画でもある。特に土グモになって闘うところは圧巻なのだが、ストーリーの都合上、その前に渡辺綱(東千代之介)に片腕を斬り落されたことになったため、片腕でクモの糸を操る羽目になり、大変苦労したと錦之助は語っている。この映画に父時蔵は源頼光役でゲスト出演。長兄の歌昇(種太郎から襲名)も平良門という役で共演している。

 10月の大阪歌舞伎座では「勧進帳」の同じく駿河次郎、「幡随長兵衛」の子分勇伝次。長兵衛はもちろん吉右衛門だが、何人もいる子分の一人で、大した役ではない。
 11月の歌舞伎座では「忠臣蔵」四段目の諸士。判官切腹の後に表門に登場する家来の一人で、これは端役だろう。それと、「女暫」の木曽三郎義光。「女暫」は「暫」の別バージョン。筋立ては「暫」とほぼ同じで、「しばらく」と言って登場するのが女傑の巴御前に代わる。これを時蔵が演じた。錦之助の木曽三郎義光というのは、善玉側の源氏の嫡男清水冠者義高の弟か何かだと思うが、大した役ではなさそうだ。
 時蔵が亡くなるのは昭和34年の夏だが、その年の春、錦之助主演、播磨屋一家総出演で東映作品『お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷』(沢島忠監督)が撮られるが、劇中劇で時蔵の「女暫」の巴御前を数分間だけ見ることができる。時蔵最晩年の舞台姿で、カラーによる貴重な映像記録である。次兄芝雀(梅枝)の美しい女形も必見と言えよう。
 12月の京都南座の顔見世興行では同じく「孤城落月」の裸武者秀島新吾と「土蜘」の坂田公時をやっている。
 
 もちろん、この年は、半々ぐらいの割合で女形も演じている。あとは六歌仙の「喜撰」や「娘道成寺」の所化(坊主)である。
 ただ、女形でも徐々に良い役を演じるようになってきている。後年、錦之助は、歌舞伎では並びの腰元か「道成寺」の坊主ばかりやっていて、嫌になったと言っているが、これは錦之助独特の冗談っぽい誇張した言い方で、実はそんなことはない。立役も含め、同年代の他の役者に比べ、相当良い役をもらっていると思う。(つづく)




最新の画像もっと見る

コメントを投稿