錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

「錦之助映画祭りイン京都」当日(4月11日)その3

2009-04-27 12:01:35 | 錦之助映画祭り
 『曽我兄弟』の上映が始まり、私一人、受付に残る。開始時間に遅れてくるお客さんもいるから、主催者の誰かが受付に残って、チラシを渡したり、記念本を売ったりする役目を引き受けなければならない。
 祇園会館での錦ちゃん祭りは「錦之助映画ファンの会」の主催なので、山田支配人からも、できる限り私は受付から離れないように頼まれている。関係者がいらした時、受付に主催者が居ないと失礼にあたるし、お客さんの応接もずっとしてほしいとのこと。当然だと思う。今日私は一本も映画を観られそうにない。でも、仕方がない。『曽我兄弟』は池袋の新文芸坐のスクリーンで二度観ているし、『独眼竜政宗』も先日観ているので、今日観られなくても悔いはない。だた、『浪花の恋の物語』のニュープリントは未見なので、それが観られないのだけは残念に思う。実は、このニュープリント、3月に神保町シアターで上映していたのだが、新文芸坐で映画祭りの最中だったので暇がなく、観られなかった。(『浪花の恋の物語』をスクリーンで観たのは、二年半ほど前の東京国際映画祭で、フィルムセンター所蔵の英語の字幕付きフィルム。その時のトークゲストも有馬稲子さんだった。懐かしいなー。)11月の新文芸坐での錦ちゃん祭りでは絶対に『浪花の恋の物語』を上映しようと決意する。その時までの我慢だ。今日は、有馬さんのトークショーとサイン会がつつがなく行えるよう頑張ろう。そっちのほうがずっと大切である。
 『曽我兄弟』が始まってしばらくすると円尾さんがホールから飛び出して来る。音量をもう少し上げてほしいという。事務室へ行き、山田支配人から映写室へ内線電話で連絡してもらう。ニュープリントとはいえ、原版が古いので音声がクリアでないのかもしれない。円尾さんの耳が遠いわけではなかろうが、お客さんは圧倒的にご年配の方が多いので、音声は大きめのほうがベターかも。
 10時半すぎになってもまだお客さんがちらほらやって来るので、案内する。
なかには、ちょっと面倒なことを頼むお年寄り女性もいた。70歳すぎの方だったが、聞くところによると、知人と待ち合わせたのになかなか来ないし、ケイタイで連絡も取れず、どうしようもなく自分だけ祇園会館へ来たそうな。前売り券はその知人の分も自分が持っている。どうしたら良いかというわけだ。知人の方も70歳すぎの女性で、足が悪く杖をついているらしい。とりあえず、その人のお名前を聞き、前売り券は切符売り場の女性に預け、その方にはホールへ入って映画を観ていただくことにする。幸い、その知人、10分ほど遅れて祇園会館に現れたので、事情を説明し、中へ案内する。休み時間にはこの二人、対面するはずだ。これで一件落着。
 お客さんも途絶えたので、切符売り場の女性に断って、一階の入り口から外へ出て、タバコを一服する。昨夜飾りつけたウィンドウの中を見ながら、一人感慨にふける。(つづく)



「錦之助映画祭りイン京都」当日(4月11日)その2

2009-04-16 17:51:31 | 錦之助映画祭り
 祇園会館は、一階入り口のガラス扉を入ると右手に広い階段があり、二階に切符売り場と売店、ロビー、トイレ、そしてホールへ通じる大扉がある。大扉の横にはガラスの陳列ケースがある。その上にチラシや本を置き、その脇で私がお客さんに挨拶することにする。「錦之助映画祭り」のチラシ2種類を配り、東映ビデオのチラシ(錦之助映画のDVD特集)と、獅童さんの出演している劇のチラシ(「赤い城、黒い砂」日生劇場にて4月11日~26日上演)も欲しい方には差し上げる。
 開場後すぐ、ファンの会で京都在住の八隅さんがバラの花束と花瓶を持ってやって来る。八隅さんには今日のトークショーでテーブルの上に飾るバラの花を前の日に買っておいてほしいと頼んであった。有馬さんはバラの花がお好きなので、きっと喜んでいただけるだろう。八隅さんにもお客さんへの呼びかけを手伝ってもらう。
 京都シネマの神谷さんはさすがに慣れたもので、どんどん本を販売している。開場して20分で記念本「一心錦之助」が30冊ほど売れる。高千穂さんの「胡蝶奮戦」は、残念ながら1冊のみ。
 当日の私の格好は、新文芸坐の時同様、紺のブレザー、白いワイシャツにネクタイ着用。ワイシャツはこの日のために買った新品で下ろしたて。胸には、ファンの会の田中さんにもらった名札の花飾りを付けている。普段はきたない服ばかり着ているが、こういうハレの日には少しはまともな服を着なければならない。失礼のないようにということで……。
 開場して何人かのお客さんに話しかけられる。半数以上は、手紙やメールや電話で私と連絡を取ってここに来られた方で、これまで直接お会いしたことのない人たちだ。新聞を見て駆けつけた高松の錦ちゃんファンからお土産(讃岐うどん)をいただく。兵庫県のTさん、京都府のSさん、岡山県のKさん、山口県のNさん、香川県のKさんとは初対面。顔見知りのファンの会の皆さんには、会場で私が案内役をやっている時にはなるべく私に話しかけないよう打ち合わせしてあるので、目で合図するだけで済ます。関東からの遠征組では、東京から副代表の高橋さん、千葉県からYさん、杉山さん、神奈川県からGさん、Yさん、埼玉県からTさん。京都から比較的近い県では、愛知県から柴田さん、大阪府から佐藤さん、田中さん、鈴木さん、斎藤さんなど。昼過ぎからは、静岡県のNさん、長野県のMさん、埼玉県のHさん、東京都と神奈川県に住む姉妹など、錦ちゃんファンが来場するはず。
 10時少し前に円山榮子さんが和服でいらっしゃる。円山さんとは昨年の1月に一度お目にかかったきりだが、電話では何度もお話ししているし、ファックスやハガキで文通しているので、特別の親しさを感じる。円山さんは、きっと私の顔など覚えていらっしゃらなかったと思うが、お会いするとすぐ、親しげに接してくださった。
 ブザーが鳴り、第一回目の『曽我兄弟』が始まるので、円山さんは客席へ。私はホール内の舞台前に立ち、お客さんの入りを確かめながら、お辞儀だけする。三分の一ほどの入り。祇園会館は座席数が500名なので、今のところ150名くらいか。ちょっとがっかりする。有馬さんのトークショーの時間帯がピークだとして、第一目標は、もちろん、立ち見の出るほどの超満員、第二目標はほぼ満員、第三目標が300名ほど、最低の目標は200名ほど。これが前もって私の立てた目標だった。どうやら、最低の目標はクリアすると思うが、やはり京都での興行は、みんなから言われた通り、難しい。(つづく)



「錦之助映画祭りイン京都」当日(4月11日)

2009-04-14 05:00:51 | 錦之助映画祭り
 朝7時半起床。8時、アバヴィラホテルをチェックアウト。近くのコンビニへ寄って、黒マジックと筆ペンを二本ずつ買う。有馬さんのサイン会で使うためだ。タクシーで祇園会館へ。
 8時40分、祇園会館着。私が一番乗りと思いきや、気の早い錦ちゃんファンが3人来ている。顔見知りの親睦会の方たちとファンの会のGさんとTさんに挨拶。入り口のガラス戸を手動で開けて私だけ中に入る。一階右横の事務室には山田支配人ほかスタッフがもうお揃いで私が来るのを待っている。すぐに桟敷の関係者席、控え室、舞台袖などを案内してもらう。山田支配人を交え、切符売り場兼売店の女性二人と打ち合わせ。記念本の販売、外出券、関係者の案内など。祇園会館は、映画の途中からでもお客さんが入れる昔ながらのシステムを取っている。館内でも飲食も可。こういった映画祭の時は入れ替えなしで、外出もできる。その際は当日のみ有効の外出券を切符売り場でもらえばよい。ロビーの壁に時間割表と私が持参した雑誌のコピー(3本の映画の配役と解説など)を貼り付ける。
 9時20分、入り口前にはお客さんが30人ほど並んでいる。外に出て、知り合いの錦ちゃんファンに挨拶。京都シネマの館主の神谷さんが助っ人に駆け付けてくれたので、記念本の売り子を依頼。ファンの会の参謀の円尾さんとはツー・カーの仲なので、何も言わなくても自発的に動いてくれる。切符売り場の横でお客さんを案内をしてもらうことに。例の大声で記念本を買うように勧めてくれるはずだ。
 9時半開場。お客さんがどっと入って来る。いよいよ本番開始!(つづく)


「錦之助映画祭りイン京都」前日(4月10日)

2009-04-14 04:55:41 | 錦之助映画祭り
 先週は、映画祭りの準備・打ち合わせ以外に、いろいろな人からかかってくる電話の応対、それに私用も重なって、ほんとうに忙しかった。一日が終ると、頭がボーッとなって、ブログに日誌を書く元気も起こらず、そのまま就寝。月・火・水・木の4日間が飛ぶように過ぎ、気が付けば、京都での錦ちゃん祭りの開幕前日。
 朝8時起床。今日は京都へ行かなければならないのに、まだやることが残っている。まず出版社としての仕事を片付ける。2日分の本の注文書を整理し、取次の地方小出版流通センターと代行業者へファックス。
 9時半、自転車で神保町の一誠堂へ「一心錦之助」を3冊持っていく。先週納めた分がもう売れたらしく、追加注文があったからだ。九段下の郵便局で20万円をおろす。
 10時半、仕事場へ戻り、祇園会館で上映する錦之助映画3作品のポスター写真や宣伝用誌面などをコピーする。祇園会館のウインドウや掲示板に飾るためのものだ。あれこれ選んでいたら、小一時間かかってしまう。ホンモノの大きなポスターは3作品とも揃えてある。『曽我兄弟』と『独眼竜政宗』はファンの会の諸星さんから3月に借りて新文芸坐で展示し、そのまま借りっぱなしになっている。『浪花の恋の物語』のポスターは、高橋さんが持っているものを借りた。3枚とも超貴重品である。これをボール紙の長い筒に入れて私が運搬しなければならない。
 支度を済ませ、12時半に飯田橋駅へ。新大阪までの新幹線の切符を購入する。13時半東京駅発。新大阪16時着。京都へ行く前に、大阪の梅田で済ませなければならない用事がある。東映関西支社の営業部次長のSさんに会って、錦之助映画祭りの趣旨と経緯などを説明し協力を要請しようと思っている。東京駅のホームよりSさんへ電話。午後5時半にアポをとる。
 車中で、持参した1959年10月発行の「近代映画 浪花の恋の物語」特集号を読む。錦ちゃんと有馬さんの対談で、錦ちゃんが有馬さんのことを「ジョチュウ(女中)」と呼び、有馬さんが錦ちゃんのことを「ジイヤ」と呼んでいるのだが、明日有馬さんに会ったら本当かどうか確かめてみようと思う。錦之助に上方弁の指導をした伊東亮英(錦之助映画にはよく出演している俳優さん)の文章が面白い。共演者たちのコメント、有馬さんの文章にも目を通す。
 新大阪で地下鉄に乗換え、梅田へ。東映関西支社を訪れるのは初めて。場所はだいたいの見当がつく。一時間ほど間があるので、書店営業をする。5年ほど前に、私の処女出版本「英単語呂源」を持って大阪中の書店を回り営業した経験があるが、ふと、大変だったあの頃のことを思い出す。阪急の乗車口の近くのコインロッカーに手荷物を預け、まず、紀伊国屋書店梅田本店へ立ち寄る。日本でいちばん客の多い本屋である。映画本売り場で「一心錦之助」が2冊、「胡蝶奮戦」が1冊棚差しになっているのを確認。高校学参売り場では私の「ダジャ単」が10冊ほど面出しで、ポップも貼ってある。こちらは発売以来ずっと売れ続け、書棚の定位置をずっと確保しているようだ。その横に「英単語呂源」2巻が2冊ずつ棚差しになっている。映画の本と英語の本では売れ行きがまったく違う。1対10くらいの比率であろう。そろそろまた売れそうな英語の新しい本を出さないと出版社としての経営が成り立たないなと感じる。
 阪急電車の茶屋町口の方へ回り、紀伊国屋書店の支店で映画本の専門店である「シネマ・シネマ」へ行く。「一心錦之助」が3冊あるが、棚差し。小さな店で本の種類が多い割に書棚が少ないので仕方がないと思う。店長らしき女性がいたので話しかける。ファンの会の田中さんが折衝して「錦之助映画祭り」のチラシを何枚か置いたと聞いていたので、新しいチラシを補充しに来たことを告げる。話がすぐに通じ、回転式のラックに京都シネマのチラシを20枚ほど置いてもらう。すぐになくなりそうなので、また補充しなければなるまい。
 茶屋町口から引き返し、地下街を通って阪神百貨店の方へ向かう。ブックファーストと旭屋地下街店に立ち寄る。ブックファーストへは「一心錦之助」を2冊配本したのに見当たらず。売れたのかどうか不明。旭屋地下街店は1冊のみ。ここは女性の店長で以前から知っているので、挨拶する。
 5時半近くになってきたので、旭屋本店へ行くのは諦め、東映関西支社へと向かう。阪神百貨店裏のイーマビルという高層ビル内にある。東映系の梅田ブルグという映画館もこの中にあるらしい。初めて行くところだったが、すぐに発見。一階の花屋さん脇のエレベーターで14階に昇る。銀座の東映本社に比べ、関西支社は新しい建物できれいだ。営業部のSさんを呼び出す。電話では三度ほど話したことがあるが会うのは初めて。40歳半ばくらいの小柄な人だった。30分ほど話して、「錦之助映画祭り」のことを私からいろいろ説明する。Sさんは何年か前は東京本社の営業部にいたそうで、三百人劇場での「沢島忠監督特集」と「深作欣二監督特集」の企画に関わったとの話。三百人劇場の支配人の大矢さん(現在は神保町シアターの支配人)も新文芸坐の永田さんや矢田さんもよく知っているようだ。人というのは直接会って腹を割って話せば、親しさが生まれ、その後の付き合いがスムーズになる。中には例外的な人もいるが、情熱と真心をもってお願いをすれば、ほとんどの人は協力的になってくれる。それには、こちらから出向くことと頭を下げることが大切である。関西支社のSさんは、「錦之助映画祭り」の企画が東京の東映本社サイドだけで進められているのを、あまり良く思っていないような気配があった。そこで、私の方から積極的に修復しようと試みたわけだ。話し終わって、しこりは解けたと感じた。京都シネマへのニュープリントのフィルム貸し出し料は値下げするよう努力するとのこと。また明日の祇園会館へもSさんは映画を観に来てくれるという。これで、一仕事済んだ。今後、京都で「錦之助映画祭り」を催すための道筋がついたと思う。
 午後6時20分、阪急梅田駅より電車で京都の河原町へ向かう。ようやく祇園会館へ乗り込むことができる。
 午後7時10分、河原町に着く。山田支配人へ到着が遅れたことへの謝りの電話を入れる。祇園会館まで歩く。河原町からは結構距離がある。7時20分、祇園会館の事務室で山田支配人と明日のプログラムのことで簡単に打ち合わせをする。ポスターなど館内の展示を担当している課長を紹介してもらい、彼とポスターその他の飾り付けを行う。『曽我兄弟』と『独眼竜政宗』のポスターは、館内の中央扉の両脇に配置してあるパネルに入れてもらい、『浪花の恋の物語』のポスターは館外入り口前のガラスケースに貼ってもらう。ガラスケースをもう一つ開けてもらい、そこには「錦之助映画祭り」のチラシ三種の拡大コピーと3作品の宣伝用ポスターの縮小コピーを私がレイアウトして貼る。移動式看板にもレイアウトを変えてカラーコピーを貼る。これで明日の錦ちゃん祭りの飾り付けは完了。入り口前に幟(のぼり)を何本か立てようとも思ったが、忙しくて作れなかった。残念だが、これは次回催す時に作って立てるとしよう。
 午後9時。祇園会館を出る。念のため、明日のトークショーの聞き役をお願いしてある中島貞夫監督へ電話。代理の若い男性が出る。中島監督はヨーロッパへ旅行中で、今夜帰国する予定だった。ところが、飛行機が遅れて、明朝関西空港へ到着するとのこと。代理人の彼が中島監督から言づてを頼まれたという。大丈夫かいな?徹夜で、祇園会館へ駆けつけるのかな?
 続いて、明日打ち上げパーティをやるアジアティカ祇園店の京塚店長へ電話。インターネットのグルメナビで予約したので、今日のうちに場所の確認をしておかなければならない。それと、店内の様子を見せてもらうことになっている。お店は、祇園会館から歩いて2分ほど、四条通りの祇園ホテルの真向かいにあるファーストビルの2階。ビルは古いが、お店は新しく、店内はなかなか洒落た作り。店長はまだ30歳前の若くて感じのいい男性で、私が着くなり、明日のメニューを試食してほしいと言う。ビールを出され、次々に7品目ほど小皿に盛った料理を試食させられる。ビーフの角煮、鯛のから揚げ、野菜の炒め物など、私はフィリピン料理を食べたことがなく、どれも初めてだったが、腹が減っていたのでどれもうまいと感じる。料理長もウエイターもフィリピン人で、日本語はあまり話せない。店長と差し向えで1時間半ほど歓談。経営が苦しいそうで、相談に乗る。お昼のバイキングを提案する。
 午後11時、店の前からタクシーに乗り、京都駅近くのアバヴィラホテルへ。10分で着いて、チェックイン。シャワーを浴びて、就寝。なかなか寝付けず。夜中の3時ごろまでいろいろ考え事をする。



「錦之助映画祭り」日誌(4月2日~5日)

2009-04-05 17:46:18 | 錦之助映画祭り
4月2日(木)
 京都シネマの上映作品には、新文芸坐ではやらなかった錦之助映画が3本入っている。『怪談千鳥ヶ渕』『真田風雲録』『ちいさこべ』だ。『真田風雲録』は東京では近年も何度か上映している。『ちいさこべ』は昨年DVD化されたが、映画館ではなかなか上映しない作品である。大作で上映時間が171分と非常に長いことに問題があるのだろう。3年前、東京・千石の三百人劇場(現在は閉館)で「田坂具隆特集」があったとき上映されたが、それ以来である。が、『怪談千鳥ヶ渕』を映画館で上映するのは本当に久しぶりではなかろうか。30年ほど前に東映が怪談特集でこの映画をニュープリントしてリバイバル上映したことがあったらしい。そのときは他に『怪談 お岩の亡霊』(加藤泰監督)と『番町皿屋敷』(河野寿一監督)がいっしょに上映されたとの話だが、『怪談 お岩の亡霊』はその後何度も上映されている。『怪談千鳥ヶ渕』は何年か前にどこかで上映されたという話を聞き、東映が上映用ポジをまだ保存しているにちがいないと思い、京都シネマから東映関西支社を通じてその有無を確かめてもらった。ブッキングできたということは、『怪談千鳥ヶ渕』の上映用ポジがあるということである。
 
 午後からこの3作品スチール写真をスキャニングする。チラシに載せるためだ。
 夕方、東映本社の取締役のHさんへ電話。新文芸坐での上映会のお礼かたがた、京都シネマでの上映フィルムの貸し出し料の件を相談する。
 午後7時半、飯田橋の珈琲館で高橋さんと待ち合わせ。作品解説の原稿をもらう。一時間ほど歓談。原稿をワードで打ち、クォーク(編集ソフト)に流し込む。
 午後9時すぎよりチラシ制作。レイアウトに時間を食う。

4月3日(金)
 京都シネマのチラシを徹夜で制作し、朝7時ようやく完成する。
 朝電話が何度か鳴る。電話に出ずに寝ている。昼過ぎに起床。
 
 午後1時半、シナノのKさんへチラシの組版を入れたディスクを渡す。
 「ぴあ」関西版(4月16日号)が郵送されて届く。チケットぴあに前売り券の販売を頼んだので、無料で広告を掲載してくれたのだ。62ページの下、「今号の特集上映」の欄に、祇園会館での「錦之助映画祭りイン京都」の紹介がされている。記事は小さいが、カラー写真入り。写真は私が何枚か送ったうちの一枚だが、『独眼竜政宗』を使っている。片目がつぶれる前の錦ちゃんの横顔(アップ)。これが凛々しくて大変良い。「ぴあ」を見るのは久しぶり。何もかも若い人向けだなと思う。「時代劇の至宝・萬屋錦之介十三回忌」というサブタイトルもそうだが、「錦之助映画祭り」自体、ちょっと違和感がある。でも、編集者の女性がなかなか良い紹介文を書いている。私がチラシの前書きに書いた内容を上手にアレンジしている。
「東映黄金期の看板俳優・中村錦之助が蘇る!」というキャッチコピー。
「中村錦之助(萬屋錦之介)の十三回忌に、若き日の彼をスクリーンで蘇らせたいとファン主催で開催する本特集。選りすぐりの上映作は、親子や男女の愛など普遍的なテーマで描かれ、彼を知らない若い人でも楽しめるラインアップだ。彼の元妻で女優の有馬稲子によるトークショーも開催。ニュープリントで美しく蘇り、純粋で情熱的な演技を見せる彼の雄姿をご堪能あれ!」

 午後2時半 東映関西支社営業部のSさんと電話で打ち合わせをする。
 午後3時すぎ。京橋のフィルムセンターへ行く。一階のロビーで京都シネマの神谷さんと会い、近くの甘いもの処へ。40分ほど打ち合わせをして別れる。チラシの部数(2万部)、フィルムの貸し出し料、トークゲストの件など。祇園会館での「映画祭り」には神谷さん自らスタッフ一人を連れて助っ人に来てくれるとのこと。
 午後4時半。仕事場へ帰る。読売新聞大阪本社の満田さんより電話。4月8日の新聞に錦之助映画祭りイン京都の記事を掲載するそう。時代劇の復興運動について30分ほど話す。錦之助ファンの会の活動、京都シネマでの上映会については、後日また記事にしたいとの話。満田さんは、年齢不明(30代半ばから四十代)の女性だが、大変熱心である。
 雪代敬子さんと笠井心さんへ電話。11日のパーティにお誘いする。お二人とも出席。笠井心さんは、男優で演出家でもある。円山榮子さんの紹介で、祇園会館での錦之助映画祭りについて3月半ばに問い合わせの電話をいただいたのが縁で、知り合いになった。錦之助さんとは「子連れ狼」で一度だけ剣を合わせたことがあり、そのときは体に電気が走るほどしびれたとおっしゃっていた。現在は京都を基点に演劇活動をなさっているそう。
 前夜睡眠不足だったので、午後11時前に寝る。

4月4日(土)
 午後、アシスタントの花岡しゅくちゃんと「錦之助映画ファンの会」のホームページ更新の打ち合わせ。京都シネマの上映スケジュール、作品紹介、ファンの会のページなどを作成してもらう。夕食をとりに神保町へ。開店間もないシャレた鉄板焼き屋を発見。しゅくちゃんとステーキを食べる。美味。
夜、このブログの体裁を新たにして、カテゴリーを変更する作業を行う。これまで書いた一つ一つの記事を作品別に配置し直す。夜中までかかる。
 
4月5日(日)
 午後、ホームページの更新ページの修正を済ませ、アップする。「錦之助映画ファンの会」の案内と会報を掲載したので、だんだん充実してきたと思う。次回は、フィルモグラフィを載せる予定。夕方より読書。