錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『ちいさこべ』

2006-03-26 06:16:22 | ちいさこべ


 田坂具隆監督の『ちいさこべ』(昭和37年)という映画は、評価が真っ二つに分かれる作品であろう。感動してとても良い映画だったと言う人もいれば、退屈でうんざりしたと言う人もいるにちがいない。上映時間は2時間50分、一部と二部があって、とても長い映画である。しかし、私個人の感想を言えば、見ていて決して見飽きることもなく、ところどころで胸にジーンと滲みるような感激を覚え、とくに見終わったあとに心地よい余韻が残る映画であった。こうしたスロー・テンポの日本映画は、見る人が作品の世界に入り込めるかどうかが問題で、じっくりと腰を据えて見ないと作品の良さは味わえないのではないか。
 
 『ちいさこべ』は、山本周五郎の短編をもとに、田坂具隆が誠実にテーマと取り組み、いわば正攻法で映画化した作品である。環境の違う人々や階層の違う社会との関係について問題を投げかけながら、それに答える形で主人公の大工の茂次(錦之助)が人間的な成長を遂げていく過程を描いている。茂次が自分の道を進もうとすると、彼を取り巻く人々との間にさまざまな軋轢が起こる。それが人間社会の真相に目を向ける契機を与え、人間的な成長を促す。錦之助は茂次の微妙な心理の揺れ動きと推移を表現しながら、見事に変わっていく。時には苛立ち、不満を表し、時には満足し、喜びながら、頑固一徹だが徐々に周りの人々に感化され、自分の正しい生き方を自覚していく。そんな気難しいが賢明な主人公を錦之助は、力むことなく自然に演じている。これは、錦之助がこれまでの時代劇で演じたことのないような性格の主人公だった。
 
 あらすじを簡単に書いておこう。江戸で名高い大工職の家が江戸の大火事で全焼する。その時仕事で江戸を離れていた若棟梁の茂次(錦之助)は父と母を失い、無一物になるが、持ち前の自負心から他人の援助を拒み、頑なに実家の再興をめざす。だが焼け出された孤児たちのために無償の世話を続ける幼馴染のおりつ(江利チエミが良い)や、天涯孤独で寂しがり屋のやくざの利吉(中村賀津雄が熱演している)と接するうちに、世間という大きな存在を感じ、人は一人では生きられないことを悟り始める。豪商の離れを建てる仕事に打ち込んでいた茂次は、実家の再興ばかりを考えていた自分の生き方に疑問を感じ、孤児たちを引き取り、彼らのために家を建ててやる。そして、本当に家を必要としている人のために仕事をすることこそ、大工としての自分の使命であると感じ、困窮している町の人々のために長屋を建てることを決心する。

 この映画、確かに従来の東映時代劇とはかけ離れた作品で、チャンバラは一場面もない。アクションも皆無に近く、画面は全体的に暗い。そのなかでひと際明るくほほえましいシーンは、焼け跡の道端で下女のおりつが孤児たちと一緒にミュージカル仕立ての人形劇を演じるところ(この場面の江利チエミが実に良い)と、大工が建てた新しい家におりつと孤児たちが招き入れられ大喜びするところである。しかし、この二つの場面は、作品の基調が暗いだけに、人と人が寄り添いあって生きるぬくもりを感じさせ、いつまでも印象に残る。

 最後に、題名の「ちいさこべ」という言葉は、日本書紀にある話で、雄略天皇に仕えていたある家臣が、蚕の意味の「こ」と子供の「こ」を間違えて、蚕ではなくたくさんの子供を天皇に献上したため、大笑いされ、「小子部」(ちいさこべ)という姓を授けられ、集めた子供の養育を命じられたという話に由来するそうだ。映画の中でも、孤児たちのために作った部屋を「ちいさこべ」と名づけるときに、おゆう(桜町弘子が可憐だった)が茂次にその言葉の由来を説明していた。「ちいさこべ」とは今の幼稚園の起源だとも言われているらしい。(2019年2月8日一部改稿)