錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『商魂一代 天下の暴れん坊』

2006-09-09 09:08:56 | 商魂一代天下の暴れん坊
  
            <岩崎弥太郎>
 浅草へ行って、『商魂一代 天下の暴れん坊』を観てきた。錦之助が三菱の創始者岩崎弥太郎を演じた映画である。この映画、データを見ると、1970年10月に東宝系の映画館で封切られたらしいが、私は封切られた時のことをまったく覚えていない。また、お恥ずかしながら、最近まで、錦之助の主演作にこんな映画があることも知らなかった。ビデオ化されていなかったことも、見逃していた理由であるが、今度、浅草新劇場で上映すると聞いて、この機を逃すまいという意気込みで観に行った。今回は、映画館で観てきたばかりの感想を書いてみたい。
 『商魂一代 天下の暴れん坊』という映画について、観る前に持っていた私の予備知識と言えば、正直、上に書いたことだけだった。岩崎弥太郎についても、私はごく初歩的な知識しか持っていなかった。坂本龍馬と同じ土佐藩の下級武士で、明治維新後、海運業で財をなし、三菱の基礎を作ったという程度である。タイトルが『商魂一代』というのだから、岩崎弥太郎の一代記を錦之助が演じるのだろうと思っていた。
 クレジットタイトルを見ると、脚本が八住利雄だったので、少し期待した。共演者には、私の好きな佐久間良子の名前がある。ほかに、北大路欣也、田村高廣、木村功、南原宏治、東野英治郎、小沢栄太郎、芥川比呂志、中谷一郎、仲代達矢など、なかなか良い俳優が出ている。きっと大作かもしれないと思い、身を乗り出して観始めた。

 さて、映画は、錦之助扮する若き日の岩崎弥太郎が江戸から郷里の土佐に帰ってくるところから始まる。薄汚れた着物を着て、髪はボサボサ、百姓姿に近い錦之助である。青雲の志を抱いて土佐藩に帰ってくるのだが、奉行所の裁きに文句をつけたため牢屋に入れられてしまう。同じ牢屋にいたのが、材木商の瀬左衛門(東野英治郎)で、牢役人に袖の下をやっているらしく、娘の面会がフリーパスなのだ。弥太郎は、鍵を開けて牢の中に入って来る「りつ」という名前のこの美しい娘(佐久間良子)に一目惚れしてしまう。弥太郎は、瀬左衛門の手腕に感心するとともに、彼の考え方にも共鳴する。脱獄後、弥太郎は、武市半平太(木村功)の門に入り、坂本龍馬(北大路欣也)と出会う。そして、同志たちと藩の重鎮吉田東洋(仲代達矢)のもとへ談判に行き、弥太郎は東洋の力説する産業振興策にすっかり感服し、弟子入りを願う。

 こんな感じで、ストーリーは展開していくが、この映画、前半はなかなか面白かった。佐久間良子は、この当時すでに三十歳を越えていたのだろう。厚塗りで容色にやや衰えを感じたが、錦之助との共演はやっぱり良い。『花と龍』以来だろう。『風林火山』にもこの二人は出演していたが、佐久間良子は三船敏郎の相手役で、錦之助とはすれ違いだった。佐久間と錦之助の初共演は『独眼竜政宗』で、山家娘と戦国武将のかなわぬ恋が私の脳裏に焼きついているのだが、その5年後に共演した『花と龍』も良かった。相思相愛から夫婦になる二人は、お似合いのカップルだった。そのまた5年後に二人が共演したのが、『商魂一代』だったというわけだが、この映画では錦之助の片思いに終わってしまう。錦之助は佐久間に求婚までしたのに、佐久間は田村高廣(武市門下の刺客)と駆け落ちしてしまうのだった。
 こんなことは映画の内容とはあまり関係ないと思うかもしれないが、映画ではやはり、主人公の相手役を務める女優の魅力というものが重要である。とくに錦之助が主演の映画では相手役の女優がどうしても気になってしまう。私が男だからかもしれない。錦之助イコール私で、その私が相手役の女優に感情移入できるかどうか、つまり、恋することができるかどうか---これが映画を観る大きなポイントの一つでもある。

 岩崎弥太郎は、恋に破れ、別の女(中村玉緒)と結婚する。そして、土佐藩の中で商才を発揮し、出世していく。数年後、長崎で外国人の接待をしていた時、弥太郎はりつに偶然再会する。金に窮し、芸者をして働いていたのだ。初恋の女のためならと、弥太郎は金をやる。りつが駆け落ちした男(田村)は、後藤象二郎の暗殺に失敗し、竜馬に斬られて死んでしまう。佐久間の出番はここまでだった。映画の後半では、なぜか弥太郎に手紙を書いて送るだけの存在になってしまい、いつの間にか死んでしまう。錦之助の相手役は、途中から女房の中村玉緒になるのだが、この女優は昔も今も私はあまり好きでない。今はテレビに出て、すっかりイメージダウンしているが、そんなこともあって、昔の映画で若い頃の中村玉緒を観ると、余計げんなりしてしまう。ただ、この映画では、地味だがなかなか好演していた。弥太郎はずっと初恋のりつのことを忘れられず、結婚後もりつの話題を平気で口にするのだが、玉緒は苦労をしながらそれにじっと耐えている女房の役だった。

 話が映画の本筋からそれてしまった。映画の後半は、明治維新後、弥太郎が大阪に出て、海運会社を経営しているところから始まる。台湾出兵の時、明治政府に船を提供したことで、政府に信用される会社になり、海運業を拡大していく。社員も増え、弥太郎は社長として活躍する。錦之助は、ここからヒゲをたくわえ、写真にあるような岩崎弥太郎の容貌になるのだが、どうも錦之助にはしっくり行かない役柄だった。英国の海運会社との間の競争が話の中心になり、映画が急に詰まらなくなってしまう。この映画、二時間近くある長い映画なのだが、後半は岩崎弥太郎の偉人伝みたいになって来て、その臭さが鼻につき始めた。錦之助が一人相撲をしているような感じもした。前半が面白かっただけに、盛り上がりのない後半にはがっかりした。観ていて、だんだん白けてしまったのだ。後半は、安っぽいテレビドラマのようにさえ感じた。
 
 観終わって帰ってから、映画のことや岩崎弥太郎のことについて少し調べてみた。まず、この映画は企画製作の段階から三菱グループが資金援助をしていたことが分かった。内容的にやはりそうかという感じがした。とくに後半の岩崎弥太郎の人間像や明治政府に対する当たり障りのない扱い方に、そのことが伺われるように思った。船賃のダンピング競争は、映画では英国の海運会社(*下記の注、参照のこと)との関係を中心に描き、弥太郎を日本の海を守る愛国者のように扱っていた。が、実際は、三井財閥など反三菱勢力が政府と結託して作った共同運輸という会社との間の国内競争の方がすさまじく、長年にわたる三井の政商との熾烈な対立関係も描くべきであった。相手を英国だけに絞り、国内の角逐を扱うことを避けたこうした脚色は、三井グループの面子を潰さない配慮なのかもしれないが、映画としてそれが良いのかどうか問題のあるところだろう。岩崎弥太郎に関しては、映画に弟の弥之助や弥太郎の息子がまったく登場しないことも気になった。
 監督の丸山誠治は、東宝の専属監督で、『日本海大海戦』や『連合艦隊司令長官山本五十六』などの戦争映画の大作でメガフォンをとっているとのこと。この監督の映画を今回私は初めて観たと思う。

*初稿では、英国の海運会社との競争が事実に反するように書きましたが、コメント欄でご指摘をいただき、調べてみたところ、明治9年、英国のペニュシュラル・オリエンタル社との間に上海航路などの船賃をめぐり6ヶ月に及ぶダンピング競争があったことが分かりました。以下3行ほど文章を書き直しましたので、ご了承ください。今後はデータなど十分調べて極力正確な記述を心がけますので、ご容赦ください。