「錦之助よ、永遠なれ!」の上映会が終わって、翌日26日(火)は、疲労困憊で、抜け殻のようになっていた。
昼、有馬稲子さんから電話。きのうは、帰り道、いっしょに来てくれた友人に夕食をご馳走し、無事帰られたとのこと。新文芸坐での有馬稲子特集は、3月、暖かくなってからにしようということで合意。
入江若葉さんから慰労の電話。
午後、ハガキ、手紙、小包、宅急便が届く。
「錦之助伝」を送った方々からの返礼。近代映画社の小杉社長と元大映女優山崎照子さんからお褒めの言葉。山内鉄也監督夫人から『祇園祭』上映とトークショーのお礼。ファンの会の会員から、リンゴの詰め合わせと羊羹の差し入れ。
岸田ますみさんから本2冊。岸田さんの絵が表紙になった句集「能因の風」(駒志津子著)と村上春樹氏のエッセイ集(岸田さんのご主人の安西水丸さんの挿絵がたくさん載っている)。
三宅弘之さんという方から「スクリーンの向う側」(風詠社)という本。映画俳優たちの似顔絵と紹介文(手書き)が載ったユニークな本で、三宅さんは大の錦ちゃんファンだそうで、錦之助に6ページも費やしている。私はこの方と面識がないが、私が錦之助映画ファンの会の代表をしていることをご存知で、編集者(桧山さん)を通じて、この本を送ってくださったのだ。ペラペラめくっただけだが、素晴らしい本なので、今度詳しく紹介したいと思う。
先日は売り出し中の時代小説作者の飯島一次さんから新刊の「四十七人の盗賊」という文庫本も送っていただいた。あっという間に読む本がたまってしまった。
夜、車で新文芸坐へポスターと売れ残った本を引き取りに行く。運転しながら眠気を催し、途中で何度か停車する。
事務室でチーフの矢田さんから上映会の結果報告。
10日間の総入場者数は、3,559人。近頃にない上々の入りで、新文芸坐としては大変満足の行く成績だったようだ。私は10日間で4,000人を目標にしていたが、残念ながら届かなかった。4000人を超えたら報奨金を、という矢田さんとの約束もおじゃん。
初日が413名、2日目が405名、3日目が395名で、初めの3日間は好調だった。しかし、19日の火曜から21日の木曜までの3日間の入りが悪かった。300人切った日もあった。10日間毎日、400名を超えるのは、至難である。22日の金曜からまた増え始め、土日で盛り返し、最終日が最高の入りで438名。やはり、トークゲストの丘さとみさんと有馬稲子さんの人気が高く、上映作品では『祇園祭』と『笛吹童子』と『親鸞』二部作が、錦ちゃんファン以外のお客さんを呼んだのだと思う。
本の売れ行きは、まずまずだっが、予想を上回るほどでもなかった。「錦之助伝」は、112冊。前もって200冊納品しておいたが、10冊残して、78冊は持ち帰ることに。「一心錦之助」が43冊で、結構売れた。「青春二十一」は、1巻が14冊、2巻が20冊、3巻が20冊で、すべて完売。「錦之助伝」がそれほど売れない分、ほかの本が予想以上に売れたのでよしとしよう。
27日(水)は、何もせずに一日中寝ていた。
28日(木)になって少し元気が出てきたので、仕事を始める。
午前中、新文芸坐への請求書(書籍の売上分)を作成し、お世話になった関係者へ「錦之助伝」を郵送する。脚本家の石森史郎さん、中島貞夫監督、林家木久扇師匠(先代木久蔵さん)、佐々木康監督の息子さん夫婦、資料提供の竹内重弘さんへ。
小川陽子(獅童さんの母)さんへ電話。先月の「三銃士」の時も、今月の「瞼の母」の時も、私が来るのを待っていたそうで、「錦ちゃんに似てきた獅童をあなたに見せたかったのに!」と叱られる。「すいません。本を作ったり、上映会のことでめちゃくちゃ忙しくて…」と弁解。
でも、錦之助の上映会が盛況だったことは誰かから聞いたらしくご存知で、喜んでくださった。これから「錦之助伝」を届けに伺うと言うと、出かけるから事務所の大島君に渡しといてとのこと。
午後2時、車で出発。まず、方南町の小川陽子さんの家(獅童事務所と陽子さん主催の寺子屋も兼ねている)へ寄り、「錦之助伝」を3冊(獅童さんへ1冊)、大島君に渡し、新宿方面へ向かう。南町にある取次店の地方小出版流通センターへ行き、本の補充をする。社長の川上さんは「錦之助伝」を配本する時、病気で休んでいたが、3日間、40度近い高熱が続き、死にかけたそうだ。検査をしたら腎盂炎だったとのこと。川上社長は、全国の弱小出版社の本を流通ルートに乗せる元締めのような重責にあり、私が10年前に出版社を作ってからずっと世話になっている大事な人である。口が悪くズバズバものを言う人なのだが、彼が死んだら、出版界は大打撃を蒙ったことだろう。「川上さん、僕より早く死なないで、これからもガンバッテくださいよ」と励ます。
神楽坂上の喫茶店で「週刊読書人」の田中編集長と三年ぶりに会う。「錦之助伝」の紹介記事を依頼するためだ。田中さんというのは久里洋二を小型にしたような風貌で、出版界に40年以上いるベテラン編集者なのだが、彼が作っている新聞の名前の通りの読書人でもあり、類稀な変人でもある。「錦之助伝」を見せると、二つ返事でオーケー。ただし、紹介文は私自身が書くようにとの指示。1400字だという。来年の正月の第二週に掲載する予定。田中さんとホットココアを飲みながら、1時間半ほど歓談。話題は、日本の文化の衰退から、編集アシスタントの可愛い女の子のことまで。今度、彼女(安藤奈々さん)を紹介してくれるという。
市ヶ谷で麗文堂書店の小林店長と会う。「錦之助伝」を進呈し、二人で販売作戦を練る。小林さんは、全共闘世代のインテリで、彼もまた大変な読書人である。お客さんがほとんど来ない穴倉のような古本屋で一日中インターネットをやったり、本を読んだりしている人。彼とも1時間半ほど歓談。
夜8時半、新宿荒木町の喫茶店「私の隠れ家」へ行く。「錦之助伝」の装丁をしてくれたデザイナーの末吉君に会い、本を渡す。イメージ通りの出来ばえに末吉君も喜ぶ。5万円のお礼を払う。「私の隠れ家」というのは末吉君の新妻が経営している小さな喫茶店で、SPレコードを蓄音機にかけて聴かせてくれるレトロな店である。新妻は純子ちゃんといい、私の教え子の親友で、彼女とは末吉君より前からの知り合いなのだ。実は、純子ちゃんがデザイナーの末吉君と結婚して、彼を紹介され、人柄も良く才能もある男なので、彼に仕事を頼むようになった次第。
純子ちゃんの喫茶店に1時間半いて、カウンターの隣りに座ったお客さん(一人は葬儀屋の若者、一人は猫好きの男)と会話する。SPレコードで、ビング・クロスビーを聴く。
11時帰宅。いろんな人と会い、調子が出て来た。
29日(金)。昼過ぎ、永福町の銀行へ行き、たまっていた支払いを済ます。
午後、「錦之助伝」を小川甲子夫人と沢島忠監督へ送る。お二人へは一筆添える。
「錦之助伝」を新聞の書評に取り上げてもらうことを願い(多分ダメだと思うが)、新聞社の文化部へ送ることにする。
読売新聞文化部の芸能担当チーフの近藤さんへ電話。11月1日の記事のお礼と上映会の報告。本を贈呈するので、書評担当の方へ推薦してほしいとプッシュしておく。
朝日新聞文化部の映画担当チーフの石飛さんへも電話。彼は、入江若葉さんと親しくしているので、若葉さんのトークの日に新文芸坐へわざわざ来てくれた。私は忙しくて、簡単な挨拶しか出来なかったが、その時のお礼と、上映会のことなどを話す。石飛さんにも書評の件をお願いしておく。東京新聞へも電話をして、書評担当の方と話す。「錦之助伝」の売り込みをする。
三社へ「錦之助伝」を郵送する。
夕方、内田千鶴子さんから電話。12月7日は内田有作さんの三周忌なので、1日(日曜)にお墓参りと内輪の法事を行なうので、私も出席してほしいとのこと。
夜、スイス在住のファンの会の山口さんから国際電話。本を贈ったお礼。40分ほど話す。
「錦之助よ、永遠なれ!」の上映会が終って、4日。疲れも取れてきたので、やるべき仕事をこなしていこうと思う。
昼、有馬稲子さんから電話。きのうは、帰り道、いっしょに来てくれた友人に夕食をご馳走し、無事帰られたとのこと。新文芸坐での有馬稲子特集は、3月、暖かくなってからにしようということで合意。
入江若葉さんから慰労の電話。
午後、ハガキ、手紙、小包、宅急便が届く。
「錦之助伝」を送った方々からの返礼。近代映画社の小杉社長と元大映女優山崎照子さんからお褒めの言葉。山内鉄也監督夫人から『祇園祭』上映とトークショーのお礼。ファンの会の会員から、リンゴの詰め合わせと羊羹の差し入れ。
岸田ますみさんから本2冊。岸田さんの絵が表紙になった句集「能因の風」(駒志津子著)と村上春樹氏のエッセイ集(岸田さんのご主人の安西水丸さんの挿絵がたくさん載っている)。
三宅弘之さんという方から「スクリーンの向う側」(風詠社)という本。映画俳優たちの似顔絵と紹介文(手書き)が載ったユニークな本で、三宅さんは大の錦ちゃんファンだそうで、錦之助に6ページも費やしている。私はこの方と面識がないが、私が錦之助映画ファンの会の代表をしていることをご存知で、編集者(桧山さん)を通じて、この本を送ってくださったのだ。ペラペラめくっただけだが、素晴らしい本なので、今度詳しく紹介したいと思う。
先日は売り出し中の時代小説作者の飯島一次さんから新刊の「四十七人の盗賊」という文庫本も送っていただいた。あっという間に読む本がたまってしまった。
夜、車で新文芸坐へポスターと売れ残った本を引き取りに行く。運転しながら眠気を催し、途中で何度か停車する。
事務室でチーフの矢田さんから上映会の結果報告。
10日間の総入場者数は、3,559人。近頃にない上々の入りで、新文芸坐としては大変満足の行く成績だったようだ。私は10日間で4,000人を目標にしていたが、残念ながら届かなかった。4000人を超えたら報奨金を、という矢田さんとの約束もおじゃん。
初日が413名、2日目が405名、3日目が395名で、初めの3日間は好調だった。しかし、19日の火曜から21日の木曜までの3日間の入りが悪かった。300人切った日もあった。10日間毎日、400名を超えるのは、至難である。22日の金曜からまた増え始め、土日で盛り返し、最終日が最高の入りで438名。やはり、トークゲストの丘さとみさんと有馬稲子さんの人気が高く、上映作品では『祇園祭』と『笛吹童子』と『親鸞』二部作が、錦ちゃんファン以外のお客さんを呼んだのだと思う。
本の売れ行きは、まずまずだっが、予想を上回るほどでもなかった。「錦之助伝」は、112冊。前もって200冊納品しておいたが、10冊残して、78冊は持ち帰ることに。「一心錦之助」が43冊で、結構売れた。「青春二十一」は、1巻が14冊、2巻が20冊、3巻が20冊で、すべて完売。「錦之助伝」がそれほど売れない分、ほかの本が予想以上に売れたのでよしとしよう。
27日(水)は、何もせずに一日中寝ていた。
28日(木)になって少し元気が出てきたので、仕事を始める。
午前中、新文芸坐への請求書(書籍の売上分)を作成し、お世話になった関係者へ「錦之助伝」を郵送する。脚本家の石森史郎さん、中島貞夫監督、林家木久扇師匠(先代木久蔵さん)、佐々木康監督の息子さん夫婦、資料提供の竹内重弘さんへ。
小川陽子(獅童さんの母)さんへ電話。先月の「三銃士」の時も、今月の「瞼の母」の時も、私が来るのを待っていたそうで、「錦ちゃんに似てきた獅童をあなたに見せたかったのに!」と叱られる。「すいません。本を作ったり、上映会のことでめちゃくちゃ忙しくて…」と弁解。
でも、錦之助の上映会が盛況だったことは誰かから聞いたらしくご存知で、喜んでくださった。これから「錦之助伝」を届けに伺うと言うと、出かけるから事務所の大島君に渡しといてとのこと。
午後2時、車で出発。まず、方南町の小川陽子さんの家(獅童事務所と陽子さん主催の寺子屋も兼ねている)へ寄り、「錦之助伝」を3冊(獅童さんへ1冊)、大島君に渡し、新宿方面へ向かう。南町にある取次店の地方小出版流通センターへ行き、本の補充をする。社長の川上さんは「錦之助伝」を配本する時、病気で休んでいたが、3日間、40度近い高熱が続き、死にかけたそうだ。検査をしたら腎盂炎だったとのこと。川上社長は、全国の弱小出版社の本を流通ルートに乗せる元締めのような重責にあり、私が10年前に出版社を作ってからずっと世話になっている大事な人である。口が悪くズバズバものを言う人なのだが、彼が死んだら、出版界は大打撃を蒙ったことだろう。「川上さん、僕より早く死なないで、これからもガンバッテくださいよ」と励ます。
神楽坂上の喫茶店で「週刊読書人」の田中編集長と三年ぶりに会う。「錦之助伝」の紹介記事を依頼するためだ。田中さんというのは久里洋二を小型にしたような風貌で、出版界に40年以上いるベテラン編集者なのだが、彼が作っている新聞の名前の通りの読書人でもあり、類稀な変人でもある。「錦之助伝」を見せると、二つ返事でオーケー。ただし、紹介文は私自身が書くようにとの指示。1400字だという。来年の正月の第二週に掲載する予定。田中さんとホットココアを飲みながら、1時間半ほど歓談。話題は、日本の文化の衰退から、編集アシスタントの可愛い女の子のことまで。今度、彼女(安藤奈々さん)を紹介してくれるという。
市ヶ谷で麗文堂書店の小林店長と会う。「錦之助伝」を進呈し、二人で販売作戦を練る。小林さんは、全共闘世代のインテリで、彼もまた大変な読書人である。お客さんがほとんど来ない穴倉のような古本屋で一日中インターネットをやったり、本を読んだりしている人。彼とも1時間半ほど歓談。
夜8時半、新宿荒木町の喫茶店「私の隠れ家」へ行く。「錦之助伝」の装丁をしてくれたデザイナーの末吉君に会い、本を渡す。イメージ通りの出来ばえに末吉君も喜ぶ。5万円のお礼を払う。「私の隠れ家」というのは末吉君の新妻が経営している小さな喫茶店で、SPレコードを蓄音機にかけて聴かせてくれるレトロな店である。新妻は純子ちゃんといい、私の教え子の親友で、彼女とは末吉君より前からの知り合いなのだ。実は、純子ちゃんがデザイナーの末吉君と結婚して、彼を紹介され、人柄も良く才能もある男なので、彼に仕事を頼むようになった次第。
純子ちゃんの喫茶店に1時間半いて、カウンターの隣りに座ったお客さん(一人は葬儀屋の若者、一人は猫好きの男)と会話する。SPレコードで、ビング・クロスビーを聴く。
11時帰宅。いろんな人と会い、調子が出て来た。
29日(金)。昼過ぎ、永福町の銀行へ行き、たまっていた支払いを済ます。
午後、「錦之助伝」を小川甲子夫人と沢島忠監督へ送る。お二人へは一筆添える。
「錦之助伝」を新聞の書評に取り上げてもらうことを願い(多分ダメだと思うが)、新聞社の文化部へ送ることにする。
読売新聞文化部の芸能担当チーフの近藤さんへ電話。11月1日の記事のお礼と上映会の報告。本を贈呈するので、書評担当の方へ推薦してほしいとプッシュしておく。
朝日新聞文化部の映画担当チーフの石飛さんへも電話。彼は、入江若葉さんと親しくしているので、若葉さんのトークの日に新文芸坐へわざわざ来てくれた。私は忙しくて、簡単な挨拶しか出来なかったが、その時のお礼と、上映会のことなどを話す。石飛さんにも書評の件をお願いしておく。東京新聞へも電話をして、書評担当の方と話す。「錦之助伝」の売り込みをする。
三社へ「錦之助伝」を郵送する。
夕方、内田千鶴子さんから電話。12月7日は内田有作さんの三周忌なので、1日(日曜)にお墓参りと内輪の法事を行なうので、私も出席してほしいとのこと。
夜、スイス在住のファンの会の山口さんから国際電話。本を贈ったお礼。40分ほど話す。
「錦之助よ、永遠なれ!」の上映会が終って、4日。疲れも取れてきたので、やるべき仕事をこなしていこうと思う。