錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

初代中村錦之助伝 上巻

2013-10-29 20:43:43 | 2013年錦之助映画祭り


<紹介>
「初代中村錦之助伝/上巻 生い立ちから『笛吹童子』まで」
 錦之助映画ファンの会代表 藤井秀男著  エコール・セザム刊
 定価 2,400円(税抜) 四六判上製 320ページ
 平成25年11月16日(土)、「錦之助よ、永遠なれ!」特集の初日より、新文芸坐にて発売開始。全国書店(ジュンク堂、紀伊國屋など)、アマゾンなどのネット書店では11月25日頃から発売予定。
 中村錦之助=萬屋錦之介十七回忌に際し、錦之助の熱烈なファンである著者が、5年越しの念願をかなえ、膨大な資料をもとに執筆した錦之助詳伝ともいえる決定版です。
上巻の内容は、錦之助の誕生、子供の頃のことから、歌舞伎の子役・女形の修業時代を経て、21歳の時に『ひよどり草紙』で映画デビューし、『笛吹童子』でアイドルスターとして大ブレイクするまで。

 「錦之助伝」の組版を完了した。明日の夕方、印刷所へ入稿すれば、どうにか11月16日(土)の上映会初日までに間に合いそうである。ほっとした。
 カバーは、錦ちゃんの菊丸のなんとも爽やかな横顔で、ファンのみなさんも文句がないと思う。内容がいわば「青の時代」なので、デザイナーの末吉(すえよし)君と相談し、品のいい和風の薄い青色のベールをかけてもらった。顔写真がどーんと大きいし、「中村錦之助」の字もでっかくて、目立つと思う。ここに掲げた写真には帯がないが、帯には二代目錦之助の言葉が載る。叔父の錦之助を称える内容である。
 末吉君は、昔私が進学塾をやってた頃の教え子の友達の旦那である。年齢不詳。35歳くらいかな。武蔵野美術大を出て、現在自分でデザイン事務所を持って活動している有能なデザイナー。本の装丁のほか、演劇(アングラ系)のポスターやチラシの制作なんかをやっている。ちまちましたデザインでなく、彼の性格を反映してか、押し出しのいい大胆なデザインが特長なので、私の好みに合う。彼に仕事を頼んだのは今度が二度目だ。
 
 さて、前回書いた読売新聞の記事の話だが、昨日また近藤さんから電話があり、11月1日(金)の夕刊の芸能欄に出るとのこと。上映会の予告だけでなく、「錦之助映画ファンの会」の活動のことや「錦之助伝」も紹介してくれるらしい。全国版ではないかと思う。
 記事を読んで、上映会にお客さんがたくさん来ることを願っている。もちろん、本の売れ行きが良いことも。


 

錦之助よ、永遠なれ!(その13)

2013-10-28 09:51:10 | 2013年錦之助映画祭り
 先週の金曜日(25日)に読売新聞文化部の映画担当チーフの近藤さんから電話があった。チラシと案内状に一筆書き添えて送っておいたのだ。嬉しいではないか、今度の上映会のことを記事にするとの話。15分ほどインタビューを受ける。スチール写真を1枚使いたいと言うので、錦之助映画ファンの会でニュープリントにした『ゆうれい船』の写真を載せるように依頼。あとでメールで画像を送り、「中村錦之助伝」についても告知してほしいとお願いする。記事がいつ出るのか聞き忘れたが、夕刊に載せるそうだ。これで宣伝効果あり!

 入江若葉さんから電話をもらう。チラシが足りなくなりそうなので、送ってほしいとのこと。若葉さんは、80人ほどの知人に手紙を入れてチラシを送ってくださるという。「大変じゃないですか」と尋ねると、「いいえ、何人かの方にだけ送って、ほかの方に送らないのはかえって失礼ですから、みんなに送ります」と若葉さん。今月の31日に埼玉で澤登翠さんの活弁で無声映画鑑賞会があり、若葉さんがトークをなさるそうで、その時にも配りたいとの話。若葉さんにはすでにチラシを50枚送ってあったが、追加で100枚お送りする。
 10月31日(木)午後12時半開演
 会場 ユナイテッド・シネマウニクス南古谷
 上映作品 『折鶴お千』『東京行進曲』(ともに溝口健二監督作品)
 もし「錦之助伝」の原稿を印刷所に入稿していたら、私も行こうと思っている。

 昨日(27日)はラピュタ阿佐ヶ谷で有馬稲子さんのトークショーがあったので、聞き手を務めに行ってくる。朝9時40分に行くと、すでに満員札止め。今日はロビーにモニターが用意してあり、入れなかったお客さんのために、会場からナマ中継するという。初めての試みらしい。『充たされた生活』はニュープリントでラピュタ館主の才谷さんがお金を出して焼いてもらったそうで、モノクロなので44万円かかったという。有馬さんがこの映画はラッシュで見たときは良かったのに、試写で見たらがっかりするほどひどかったので頭に来て、その後まったく見なかったと言っていたが、今回見てみるとなかなか野心的で見ごたえのある作品だった。有馬さんも52年ぶり見ると、思った以上に良かったとのご感想で、上機嫌でトークにも熱が入る。私も用意していた五つの質問をぶつけたりして、トークは時間ぎりぎりまでやり、そのあとサイン会。すべてつつがなく済ませ、四階のレストラン山猫軒で有馬さんを囲みワインで乾杯。有馬さんが招待した知人7名ほどと館主の才谷さん、上映会担当の古屋さんが出席。コーヒーにケーキセットをいただく。有馬さんをお見送りし、そのあと腹が減ったので、才谷さんと知人二人とソバを食いに行く。夕方帰宅。
 一時間しか寝ていなかったの夕寝をしていると、新文芸坐のチーフの矢田さんから電話。
「お願いがあるんですが……錦之助とは別のことで」
 なんだか下手に出て来たので、いやな予感。
「来年1月下旬に10日間ほどなんですが、有馬稲子さんの特集をやりたいんですけど、協力していただけませんか?」。
「えっ、また有馬さん!」
「トークショーもやりたいんで、お願いできませんか」
 そういえば、さっきも有馬さんと話していたのだが、今回のラピュタの上映会では、『夜の鼓』も『東京暮色』も『もず』もやらなかったのが残念だった、なんて……。
 仕方がない。早速、有馬さんのご自宅へ電話。
「あら、ほんと、10日間で20作品も!」
「有馬稲子の自薦作品を集めて上映するなんてどうですか」
「いいじゃない。嬉しいわ」
「それで、またトークショーにいらしていただけますか」
「いいわよ、今度また打ち合わせしましょ」

 

錦之助よ、永遠なれ!(その12)

2013-10-24 01:03:00 | 2013年錦之助映画祭り
 忙しくて、ここに書くことをすっかり忘れていた。実は、先週の日曜に、錦之助映画ファンの会のホームページを更新した。アシスタント(若い女性)を杉並の拙宅へ呼んで、半日がかりで手直ししてもらった。謝礼は、ファミレスで和食をおごっておしまい。
 中に入って、「2013年、NEW」の見出しをクリックすると、チラシの画像が鮮やかに現れる!スケジュール、写真入り作品解説もあり。
 ホームページがあることを知らない会員もいるようなので、お知らせしておく。
 掲載してある写真は、ちゃんと東映の版権課の方に確認してもらい、許諾を得ているので、違法ではない。念のため。

錦之助映画ファンの会公式サイト(クリックしてください)

 ファンの会のKさんから昨日、青汁のパックを2ダース送っていただいた。パソコンに向かい「錦之助伝」の校正をしながら、チビチビと飲んでいる。青汁というとマズイという先入観があるが、これは甘い緑茶のようで美味。以前は黒酢を飲んでいたこともあったが、このところコーヒーばかり飲んでいた。仕事中はコーヒーと煙草のハイライト(一日30本)が欠かせないが、あまり健康的でないようだ。食べ物もレトルトカレーが多く、ナマ野菜はほとんど食べない。歯が悪いため、固い物が噛めないので、ご飯にカレーをかけて、呑み込んでいる。また、カレーは手っ取り早く食べられてよい。最近、ファンの会の何人かの方から励ましの電話をいただいた。みんな私の健康を気遣っているようだが、心配ご無用。ちょっと痩せたけど、元気でやってます。Kさんからの差し入れで、早速コーヒーから青汁に切り替えた。身体が要求するのか時々甘い物を食べたくなる。そこで、毎日コンビニで煙草を買うついでに、アンパンとメロンパンを買って来て、一日一個ずつ食べている。
 今日の午後、有馬稲子さんから電話をもらう。トークショーの打ち合わせ。日本俳優協会から電話。初代吉右衛門の写真の件。差し替える画像を送る。
 夕方、気分転換に、「錦之助伝」の校正原稿を持って、近所のロイヤルホストへ行く。3時間ほど居たであろうか。ステーキ丼と、ドリンクバーでホットコーヒー3杯、チーズケーキを1個。
 夜、錦ちゃんの舞台出演リストを仕上げる。高橋さんと円尾さんに電話して、「錦之助伝」最終校正の打ち合わせをする。


錦之助よ、永遠なれ!(その11)

2013-10-22 22:27:51 | 2013年錦之助映画祭り
 「中村錦之助伝 上巻」の最後の仕上げにかかっている。細かい所の確認やら、文章の直しやらで、大変である。
 この一週間、巻末の「舞台出演リスト」をできる限り完全なものにしようと、いろいろな資料を調べていた。早稲田の演劇博物館へ二日間行って、十時間くらい居たであろうか。それでもまだ不明な箇所がいくつかある。なにしろ昭和11年から昭和28年まで錦之助が出演した昔の歌舞伎の舞台のことなのだから、分からなくても仕方がないと思うが、調べられることはほとんど調べたと思う。錦ちゃんの本にあるリストは不備が多く、私の作ったリストが決定版になると信じている。
 本の出版は、上映会の初日までになんとか間に合わせたい。
 本文に入れる写真の著作権などの承認の手続きは、済ませた。カバーデザインは、知り合いの有能なデザイナーに依頼したが、先日、ラフが上がってきた。『笛吹童子』の錦ちゃんの美しい横顔を大きくあしらったものだ。帯に載せる言葉は、すでに二代目中村錦之助からいただいている。
 印刷所へ入稿するまであと一週間しかないので、今かなり焦っている。全力を尽くして、満足のいく本にしたいので、ギリギリまでがんばるつもりだ。

 18日(金)にNHKのテレビ番組、獅童さんのファミリーヒストリーを見た。よく調べて作っていたと思うが、いくつか首をかしげたくなる箇所もあった。
 20日(日)に澤村田之助さんのマネージャーと会う。「錦之助伝」の戦前の歌舞伎時代のところを田之助さんに目を通していただきたく、原稿を渡してお願いしたのだが、日数もないので、無理かもしれない。
 今日(22日)、林家木久扇さんからハガキをいただく。チラシを送って、また「笑点」で「錦之助祭り」の宣伝をしていただきたいとお願いしておいたのだが、11月放映の録画撮りが間に合わなくて、ダメだったというお返事。残念。



錦之助よ、永遠なれ!(その10)

2013-10-10 21:45:23 | 2013年錦之助映画祭り
 9日(水)、錦之助映画ファンの会の今年度の収支報告書を作成。
 それが終って、チラシを送る人たちの宛名を紙にプリントアウトし、カッターで切り、B5の茶封筒の真ん中にスティック糊で貼る。宛名シールは高価なので使わない。したがって非常に原始的な手作業である。次に、封筒の裏にファンの会と私の名前、住所・電話番号のゴム印を押す。2年前に仕事場と本部を自宅に移したので、住所のゴム印は二十数年前に私が個人用に作ったものである。郵便番号は三桁で、局番の頭に3がない。ゴム印を押してから、電話番号の3だけ、ボールペンで書き加える。なんだか馬鹿みたいなことをやっているようだが、私は結構、こういう職人的な手作業が好きなのだ。97通作ったら、あいにく茶封筒が切れてしまった。
 仕方がないので、仕事をやめて、ファンの会の方、三人に電話。大口の寄付金を出してくれた人たちだ。「錦之助伝」の制作費を半分、寄付金から援助してもらっていいかと相談する。私は現在、金詰りで、そうでないと出版できないからだ。錦ちゃんが世の中に広まるためなら喜んで、と快く承諾してくれた。これで少し気が楽になる。映画の本というのは出しても、ほんとうに赤字がかさむだけなのだ。
 「錦之助伝」は、2000部作る予定でいるが、発行して半年の間に300部くらいしか売れないのではないかと思っている。ファンの会のみなさんがまず100部ほど買ってくれるとして、新文芸坐の上映会でせいぜい100部、あとは新刊配本で100部売れればいい方なのだ。講談社とか新潮社とか大手の出版社で出せば、新聞に新刊案内の広告を出せるし、書評も取り上げてくれ、売れ行きが伸びる。私は名の売れた作家でもないし、私のやっている出版社は資金力がないので、宣伝費がかけられない。チラシの裏に、「錦之助伝」を出版する予告を出しただけ。
 10日(木)、朝、みなさんへの挨拶文を書く。収支報告書と挨拶文をコピー。
 午後、新文芸坐からチラシが届いたので、早速、封詰め作業に取り掛かる。
 3時間ほどで97通、終る。近くのヤマトへ出しに行く。文房具で100枚入り茶封筒を買う。昨日と同じ作業から行う。74通作成し、夜9時に完了。これは明日発送予定。
 全部で171通である。一人あたりチラシを2部から10部入れて送ったので、600部あったチラシが残り100部くらいになる。新文芸坐へ電話して、あと600部追加で送ってもらうことにする。京橋のフィルムセンターへ置く分が300部ほど必要。