現在見ることができる『源義経』は、東映チャンネルで放映した総集篇で、『源義経』と『続源義経』を合わせて99分に短縮して編集したものである。ビデオもDVDもなく、東映には35ミリの上映用フィルムもなく、原版のネガもない。私の知る限り、16ミリフィルムも存在しない。現存するのは、総集篇に編集されたこのテレビ放映用の映像ソフトだけである。
東映がいつ総集篇を作ったのかは不明であるが、映画館で再上映するために作ったのかもしれない。その時、原版のネガを編集して、もとの映画をマスターポジに保存しておかなかったのではなかろうか。そうだとすれば、『源義経』も『続源義経』も全長版は永久に見ることができない。どうやら、その可能性が高い。
先日、録画したこの総集篇を見ながら、時間を計り、どのくらい削除してあるのかを調べてみた。
データによると『源義経』は94分だったが、総集篇ではこれを74分に短縮している。約20分削除したわけだ。八尋不二が書いた『源義経』の脚本は「時代映画」(昭和30年7月号)に掲載されているが、それを読むと、どこが削除されたかが、だいたい分かる。
錦之助の出演場面は1箇所削除されているだけだった。多分3分くらいだろうが、牛若丸が母の常盤御前を訪ねて、留守番をしていた異父の弟(植木基晴)と妹(植木千恵)と遊ぶ場面である。あとは、メインストーリーとは関係ない部分で、弁慶が喜三太(中野雅晴)を助ける場面、常陸坊海尊(河部五郎)が登場する場面、金売吉次(龍崎一郎)の屋敷で女房のあかね(月丘千秋)が登場する場面などである。ラスト近く、盗賊伊勢の三郎(吉田義夫)の一党が牛若丸たちを付け狙い、襲撃しようとする場面も削除されている。総集篇では、あの独特な悪党顔の吉田義夫がまったく登場しないのだ。『源義経』のラストは、暴風雨の中、元服した義経が父義朝の墓に詣でる場面であるが、盗賊たちが襲撃しようとしている画面が抜けているので、風雲急を告げる緊迫感がないまま終わっている。
総集篇の最初にあるクレジットタイトルは、『源義経』のものをそのまま使っている。そのため、総集篇の後ろ4分の1に加えられた『続源義経』で新たに登場する出演者の名前はない。藤原秀衡の宇佐美諄、佐々木盛綱の清川荘司、源頼朝の南原伸二の名前が落ちているわけだ。
総集篇では、『続源義経』86分のうち、25分しか採っておらず、61分も削除している。『続源義経』はズタズタに切られたわけだ。残っているのは、奥州平泉の藤原秀衡(宇佐美諄)の館へ義経がたどり着く場面、義経が頼朝(南原伸二)敗走の報を聞いて奥州を発つ場面、奥州からから馳せ参じた義経が頼朝と対面する場面などで、ラストに富士川の戦いの場面が少しあるだけである。
『続源義経』のパンフレットにあら筋があるので、内容を簡単に書いておく。
奥州で義経は蝦夷の部族に知り合う。その娘モイヤ(山本鳥古)に恋い慕われる。また、はるばるやって来たうつぼ(三笠博子)と再会し契りを結ぶ。頼朝敗走の報を聞いて、奥州を出発、頼朝の軍に加わる。合戦後、平家の軍営で静御前(千原しのぶ)と出会う。常盤御前が一子良成(中村萬之助、現・吉右衛門)を義経に託す。ラストは義経が平家追討のため、弁慶、良成を引き連れ、勇ましく行軍していく。
ところで、『続源義経』は、『源義経』を撮影した約8ヶ月後の昭和31年2月初めにクランクインし、3月15日に公開された。その間、錦之助主演作が7本作られている。『紅顔の若武者 織田信長』、『獅子丸一平』第一部から第三部、『あばれ振袖』、『羅生門の妖鬼』、『晴姿一番纏』である。そして、東映が全精力をつぎ込んだ総天然色のオールスター映画『赤穂浪士』が作られ、記録的な大ヒットを飛ばしている。錦之助は小山田庄左衛門の役であった。
前にも書いたが、『源義経』は三部作の予定だったので、『続源義経』は、第二部にあたるはずなのだが、結局、第三部の完結篇は製作されずに終わってしまう。『続源義経』そのものも製作への志氣がトーンダウンしてしまい、大作といった感じはなくなっていた。製作者に大川博の名前はなく、企画者のマキノ光雄の名前も消えている。第一部の『源義経』が中途半端で、出来栄えも評判もあまり良くなかったことが影響したのだろう。錦之助自身、初めて『源義経』に取り組んだ時、あれほど意気込んでいたのだが、『続源義経』の時には意欲も情熱もやや薄れてしまったようだ。
東映がいつ総集篇を作ったのかは不明であるが、映画館で再上映するために作ったのかもしれない。その時、原版のネガを編集して、もとの映画をマスターポジに保存しておかなかったのではなかろうか。そうだとすれば、『源義経』も『続源義経』も全長版は永久に見ることができない。どうやら、その可能性が高い。
先日、録画したこの総集篇を見ながら、時間を計り、どのくらい削除してあるのかを調べてみた。
データによると『源義経』は94分だったが、総集篇ではこれを74分に短縮している。約20分削除したわけだ。八尋不二が書いた『源義経』の脚本は「時代映画」(昭和30年7月号)に掲載されているが、それを読むと、どこが削除されたかが、だいたい分かる。
錦之助の出演場面は1箇所削除されているだけだった。多分3分くらいだろうが、牛若丸が母の常盤御前を訪ねて、留守番をしていた異父の弟(植木基晴)と妹(植木千恵)と遊ぶ場面である。あとは、メインストーリーとは関係ない部分で、弁慶が喜三太(中野雅晴)を助ける場面、常陸坊海尊(河部五郎)が登場する場面、金売吉次(龍崎一郎)の屋敷で女房のあかね(月丘千秋)が登場する場面などである。ラスト近く、盗賊伊勢の三郎(吉田義夫)の一党が牛若丸たちを付け狙い、襲撃しようとする場面も削除されている。総集篇では、あの独特な悪党顔の吉田義夫がまったく登場しないのだ。『源義経』のラストは、暴風雨の中、元服した義経が父義朝の墓に詣でる場面であるが、盗賊たちが襲撃しようとしている画面が抜けているので、風雲急を告げる緊迫感がないまま終わっている。
総集篇の最初にあるクレジットタイトルは、『源義経』のものをそのまま使っている。そのため、総集篇の後ろ4分の1に加えられた『続源義経』で新たに登場する出演者の名前はない。藤原秀衡の宇佐美諄、佐々木盛綱の清川荘司、源頼朝の南原伸二の名前が落ちているわけだ。
総集篇では、『続源義経』86分のうち、25分しか採っておらず、61分も削除している。『続源義経』はズタズタに切られたわけだ。残っているのは、奥州平泉の藤原秀衡(宇佐美諄)の館へ義経がたどり着く場面、義経が頼朝(南原伸二)敗走の報を聞いて奥州を発つ場面、奥州からから馳せ参じた義経が頼朝と対面する場面などで、ラストに富士川の戦いの場面が少しあるだけである。
『続源義経』のパンフレットにあら筋があるので、内容を簡単に書いておく。
奥州で義経は蝦夷の部族に知り合う。その娘モイヤ(山本鳥古)に恋い慕われる。また、はるばるやって来たうつぼ(三笠博子)と再会し契りを結ぶ。頼朝敗走の報を聞いて、奥州を出発、頼朝の軍に加わる。合戦後、平家の軍営で静御前(千原しのぶ)と出会う。常盤御前が一子良成(中村萬之助、現・吉右衛門)を義経に託す。ラストは義経が平家追討のため、弁慶、良成を引き連れ、勇ましく行軍していく。
ところで、『続源義経』は、『源義経』を撮影した約8ヶ月後の昭和31年2月初めにクランクインし、3月15日に公開された。その間、錦之助主演作が7本作られている。『紅顔の若武者 織田信長』、『獅子丸一平』第一部から第三部、『あばれ振袖』、『羅生門の妖鬼』、『晴姿一番纏』である。そして、東映が全精力をつぎ込んだ総天然色のオールスター映画『赤穂浪士』が作られ、記録的な大ヒットを飛ばしている。錦之助は小山田庄左衛門の役であった。
前にも書いたが、『源義経』は三部作の予定だったので、『続源義経』は、第二部にあたるはずなのだが、結局、第三部の完結篇は製作されずに終わってしまう。『続源義経』そのものも製作への志氣がトーンダウンしてしまい、大作といった感じはなくなっていた。製作者に大川博の名前はなく、企画者のマキノ光雄の名前も消えている。第一部の『源義経』が中途半端で、出来栄えも評判もあまり良くなかったことが影響したのだろう。錦之助自身、初めて『源義経』に取り組んだ時、あれほど意気込んでいたのだが、『続源義経』の時には意欲も情熱もやや薄れてしまったようだ。