錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

2019秋―錦之助映画ファンの会(2)

2019-11-18 12:41:07 | 錦之助ファン、雑記
 一日がかりの錦之助映画ファンの会の集い、救急車を呼ぶこともなく、無事終了。なにしろ75歳以上の高齢者が大半の会で、東京首都圏だけでなく、東北や関西から日帰りで参加する人もいて、世話役の私も心配だったが、終わって一安心。
 新橋のTCC試写室で朝の10時半から昼食抜きで5時間、錦之助映画を見まくり、午後4時から近くの料理店で3時間、飲み放題の宴会。錦ちゃんからカンフル剤の注射をしてもらったような老人が20数名、みんな興奮して大盛り上がりだった。


2019秋―錦之助映画ファンの会(1)

2019-11-16 18:02:15 | 錦之助ファン、雑記
 明日日曜は新橋で中村錦之助の映画ファンの会の集い。私の企画で12年以上続けている上映会だ。春と秋の年2回行い、もう二十数回やっている。あちこちから熱心な錦之助ファンが30名くらい集まり、みんなで映画を見て楽しみ、その後はレストランで宴会。朝から夕方までオンリー錦之助で盛り上がる。
 ただし、会員の平均年齢は今や75歳を超えてしまった。開始当初は元気だった人が、もう何人もあの世へ行き、また高齢化して参加できなくなっている。寂しい限りだ。でも、私はできる限り続けようと思っている。昨年から今年にかけて新しい会員も数人加わった。30代半ばの若くて美しい女性も入り、今回は参加できないがパリ在住の女性(やや高齢の日本人)も入った。彼女なんか今春阿佐ヶ谷での錦之助映画祭りの期間中、2度来日したほどで、熱狂的な錦之助ファンなのだ。高級チョコレートやフォアグラの缶詰などお土産もいただいた。まあ、こういう人たちの後押しもあるし、当日は皆さんの楽しそうな笑顔が見られるから、大いにやり甲斐がある。
 下の写真は2007年10月の錦之助映画ファンの会の集い。今は亡き女優の高千穂ひづるさんの喜寿を祝う会でもあった。12年前で、最前列右側にいる私は55歳。若いなあ!




吉田義夫氏の遺品

2019-10-11 21:59:54 | 錦之助ファン、雑記
 俳優の吉田義夫氏の娘さんから宅急便が届き、錦之助関連のいろいろな物を頂戴した。錦之助が歌った『やくざ若衆』のレコード(SP盤)、雑誌「平凡」の特集号、映画のパンフなど。どれも吉田義夫さんが持っていた物だ。



 早速、お礼の電話をする。娘さんは京都市在住。女優の円山榮子さんから私のことを聞いて、家の片づけをして出てきた遺品を送ってくださったのだ。お会いしたこともなく、お話しするのも初めてだったが、電話で2時間ほどお話しして、お父様の素顔や貴重な裏話をいろいろ伺うことができた。家では錦之助さんのことをいつも親しげに「錦ちゃん」と呼んでいたこと。『笛吹童子』で初共演し、それからは「また錦ちゃんの映画に出るんや」と言って喜んでいたこと。右太衛門さんが吉田さんのあの異様な顔を好み、いつも旗本退屈男の引き立て役としてお声がかかったこと、などなど。
 吉田義夫さんは1911年京都生まれ。京都絵画専門学校(現・京都市立芸術大)の日本画科を出て、美術の先生や法隆寺の壁画の復元の仕事をしばらくやっていた。戦後、新劇に参加し、映画俳優に転じたが、映画初出演は1951年の『剣難女難』(新東宝、加藤泰監督)、40歳の時だった。妻と娘4人を養うため、東映の専属となり、以後毎日朝から晩まで馬車馬のように働いたという。亡くなったのは1986年(享年75歳)。
 なにしろ、吉田義夫と言えば、東映時代劇では悪役ばかりで、錦之助主演作では、『紅孔雀』の網の長者(元海賊)、『七つの誓い』のオンゴ将軍(山賊)の印象が強烈。今でも私は、子どもの頃見たあの大きな恐い顔が忘れられない。


『紅孔雀』の網の長者


『七つの誓い』のオンゴ将軍

 その他、悪役人、悪徳商人、女衒などが思い浮かぶ。しかし、ご本人は悪役をやることに対して割り切っていて、どんな役でも出演料をもらえれば満足していたそうだ。吉田義夫氏が悪役でない役を演じたのは『宮本武蔵 般若坂の決斗』*で、陶工の役。ロクロを回しているだけのワンカットで、下を向いているため顔がほとんど見えないのだが、吉田さん自身は、こんな楽な役で出演料をもらえたことをかえって喜んだという。
 吉田義夫氏は東映を辞めてフリーになってからも映画やテレビで活躍したので、40代50代の人でも知っている人が多いと思う。映画『男はつらいよ』シリーズではちょい役(座長や夢の中の悪役)だったがレギュラー出演だったし、NHKの朝ドラ「鳩子の海」の祖父役、そして「悪魔くん」のメフィスト役などが印象深い。昭和の個性あふれる名脇役の一人だった。


「悪魔くん」のメフィスト

近況報告と錦之助映画の上映

2016-02-22 23:35:08 | 錦之助ファン、雑記
 正月を迎え、気持ちも新たにブログを書いていこうと思っているうちに、1月が終わり、2月もあっという間に20日を過ぎ、残すところあと1週間になってしまった。
 その間、錦之助のことを考えなかったわけではない。いや、それどころか、ほとんど毎日のように錦之助のことを頭に浮かべ、いろいろなことを調べたりしていた。
 1月は、『獅子丸一平』五部作をテーマに、昨年暮れに古本屋で購入した川口松太郎の原作を読みながら、映画と比較したりしていた。原作は上中下の三巻で、新聞小説とはいえ、よくもこうダラダラ書き続けたものだと思えるような駄作で、中巻の半ばくらいまで読んで、放り投げてしまった。
 2月は、時代劇の重要なジャンルである侠客もの、とくに清水次郎長とその一家のことを調べていた。次郎長関係の本はずっと前に買い集め、本箱の奥にしまってあった。それを引っ張り出して、今も2,3冊を並行して読んでいるところだ。「考証『東海遊侠伝』」、講談本の「清水次郎長」、村松梢風「正伝清水の次郎長」、子母澤寛「游侠奇談」、そして、村上元三「次郎長三国志」など。
 次郎長もので錦之助が演じた役は、まず何と言っても森の石松である。正月のオールスター映画『任侠清水港』で、初めて二枚目半の石松を熱演し、新境地を開いた。錦之助がズタズタに斬られて殺される役も初めてだったし、しかもカラー映画だったので、衝撃的だった。
 錦之助は、次郎長ものでは、石松に続いて、『任侠東海道』で桶屋の鬼吉、『任侠中仙道』で小川の勝五郎を演じ、ついにマキノ雅弘監督作品で若き日の次郎長を演じることになる。
 森の石松をやって、さらに親分の清水次郎長をやった時代劇の大スターは、阪妻と千恵蔵の二人だったようだが、錦之助はこの二人に肩を並べた。主役でどっちもできる役者というのは、人間的な幅が必要だし、人に好かれる魅力的な個性がないとダメだろう。
 
 さて、先日、錦之助映画の上映について嬉しい知らせをもらった。3月1日から10日までの期間に池袋の新文芸坐で、錦之助出演作を11本上映するというのだ。以下に、日程と出演作を書いておくが、詳しくは新文芸坐のホームページをご覧いただきたい。


<内田吐夢特集>
 3月1日(火) 宮本武蔵 一乗寺の決斗
 3月2日(水) 大菩薩峠 第一部・第二部
 3月3日(木) 大菩薩峠 完結篇
 3月5日(土) 浪花の恋の物語
 3月6日(日) 真剣勝負


<時代劇(ちゃんばら)ぐらふぃてぃ/東映時代劇>
 3月7日(月) おしどり駕篭
 3月9日(水) 隠密七生記、暴れん坊兄弟
 3月10日(木) 一心太助 天下の一大事、江戸っ子繁昌記

 錦之助映画ファンの会の皆さんには、このチラシ二種類と手紙を入れて、きょうの夜、郵送します。今週、木曜か金曜には届くと思います。
 また、3月10日(木)は、錦之助さんの命日なので、映画を2本見終わった後、午後5時から近くの寿司屋で「錦ちゃんを偲ぶ会」を催します。

 これから池袋の新文芸坐へ行って、事務所でチラシの封詰め作業をやります。




新年を迎えて

2016-01-02 08:14:11 | 錦之助ファン、雑記
あけましておめでとうございます。
                               平成28年元旦


「寿うつぼ猿」七代目坂東三津五郎と初代中村錦之助 / 昭和12年4月、歌舞伎座

 今年は申年ですが、錦之助も昭和7年の申年生まれなので、存命だったならば今年84歳を迎えることになるはずでした。
 上に掲げた写真は、錦之助が4歳の時、歌舞伎座の舞台で演じた子猿です。この時のエピソードは、錦之助自身も自伝に書いていますし、それを参考にして私も「錦之助伝・上巻」にかなり脚色して書きました。
 後年、錦之助は『遠州森の石松』の中で猿に扮して踊ります。あれは監督のマキノ雅弘の十八番の隠し芸で、錦之助はマキノ監督に教わって踊ったとのことです。「堀川猿廻しの段」という演題だそうで、「お猿はめでたやなァ…」という義太夫の唄い出しから始まります、讃岐の金毘羅さまの近くの女郎屋で丘さとみの夕顔さんと一夜を過ごした翌朝、寝坊をした錦ちゃんの石松がやり手ババア(赤木春恵)に起され、庭にいる女郎たちからも冷やかされ、照れ隠しに猿踊りをやるわけですが、念願成就した前夜の嬉しさがよく表されていました。庭に面した二階の欄干を伝わりながら、猿真似する錦ちゃんの顔つき、手つきがケッサクでした。

 書庫に「うまれどし 相性と性格」という古い本があったので引っ張り出して、「申年」のところを読んでみると、こんなことが書いてありました。
――この年の人は、才智縦横の秀才型。口八丁手八丁の頓智型。若年は、血が溢れ、活気が溢れ、正義心が非常に強く、闘争姿勢になります。反面、すこぶる家庭的な、こまめな優しさがあって、人の真似できない親切をつくします。話好きという点では、座談の名手になり、時にこれが昂ずると、議論好きにまで発展し、開けっぴろげの天真爛漫が、時たま誤解を招くことにもなります。根はこれほど魅力的な善人はなく、感情家のことだけに、ちょっとのことですぐ怒る点があっても、善良さに変りはありません。天性気品がそなわって、高雅な人か、孤高な人か、風格のある人を見つけたら、「申年」と思って、間違いありません。内心に自己を恃すること大きく、気の弱いわりに、誇り高い面があります。また、若年、才気縦横に暴れまわっていた人が、ヒョイと宗教的に変化したり、若年と中年では性格に違いが生じるのがこの年です。多様性という変化の仕方と違って、ムードは崩さず変るのです。
――この年の男性は、話し好き、遊び好き、活発な行動力の諸要素から、一見豪放磊落のように見られがちです。ところがよく観察していくと、あんがい気の弱い面があることに気がつきます。押し切ってしまえない弱さがあります。理知で判断する人の場合にはない感情家の弱さがあるのです。こうした性格の特徴から、相性のいい女性は、感情の振幅によって主人の心を乱さない人がいちばんだという結論が出てきます。それには「申年」の男性よりも一枚も二枚も上手の女性か、反対に主人を立てていこうとする女性しかありません。

 なんだか錦之助の性格と相性にぴったりなので、感心してしまいました。

 ところで私は辰年で、性格は朴訥詩人学芸型だそうです。
 運勢占いが好きな知人に言わせると、昨年の私は運気が下がっていたけれども、今年は上昇運にあるそうです。
 確かに昨年は集中力持続力とも不調で、たいした成果も上げられませんでした。錦之助とフランス映画の間を行ったり来たりしていました。錦之助映画ファンの会のつどいも5月末に一回やっただけで、他の上映活動にも一切関与しませんでした。夏はジャン・ギャバンの研究に専念していました。秋からは、錦之助が萬屋錦之介になってからのことをずっと調べていましたが、途中でやる気をなくし、中断したままです。昨年12月に時代劇専門チャンネルの「おにわばん」に出演し、クリスマスの翌日に送ってきた録画DVDを見ましたが、1時間以上話したのが3分ほどに編集され、いささか不本意でした。(コメントを下さった町田さん、桜井さん、ありがとうございました。)

 年も変わったことですし、今年は気合いを入れて、「錦之助伝・下巻」を書き継いで、なんとか本を完成させようと思っています。
 この「錦之助ざんまい」も昨年よりもずっと充実させて、書いていくつもりなので、ご愛読のほどよろしくお願いします。