錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『続清水港』と『森の石松鬼より恐い』(その2)

2007-02-23 17:46:20 | 森の石松・若き日の次郎長
 『続清水港』も『森の石松鬼より恐い』もプロットはまったく同じだった。「森の石松」を舞台にかける新進の演出家(千恵蔵は石田、錦之助は石井という名前だった)が、夢の中で主役の石松になって金毘羅代参の珍道中を繰り広げ、奇抜なアイデアを得るという話である。タイム・スリップして現実から過去の世界に投げ込まれた主人公が戸惑い、あたふたするところが面白いわけである。
 ただし、リメイク版ではストーリーを部分的変更し、新たに場面を付け加えたり、登場人物を何人か増やしたりしていた。たとえば、最初の現代劇の部分では、演出家の石井が繁華街に出て、バーで酒を飲んだり、暴走族のようにオートバイに乗ったりする場面がある。この辺は日活の映画を観ているようだったが、多分裕次郎の映画でも意識して、そのパロディのつもりで作ったのだろう。それと石井(錦之助)の格好は、沢島監督をモデルにしたらしい。映画で錦之助が現代人を演じるのは、1955年制作の『海の若人』以来五年ぶりで、その意味では非常に珍しかった。(錦之助が『武士道残酷物語』の第一話と第七話で現代人を演じるのは、さらにその三年後の1963年である。)
 時代劇の部分で、オリジナル版と違うところは、千両箱を持って旅をする盗人(田中春男)と彼の相棒(板東簑助)を登場させ、石松とおふみの道中に加えたことである。ここは、三十石船の場面がないため、その差し替えのようになっていた。が、石松が千両箱を運ぶ部分は話をごちゃごちゃさせるだけで、あまり効果があるとは思えなかった。その点、オリジナル版の方がずっとすっきりしていたと思う。
 最後になるが、ご参考までに主な配役について触れておこう。前者が『続清水港』、後者が『森の石松鬼より恐い』である。
 演出助手と石松の恋人おふみは、前者が轟夕起子で、後者が丘さとみ。どちらもふっくらした女優であるが、轟夕起子(当時マキノ監督夫人だったと思う)は、しっかり者で気の強いオバタリアンといった感じ。丘さとみの方が可愛かったと思う。劇場支配人と小松村の七五郎は、前者は志村喬だった。志村喬の七五郎は、大変滑稽で面白かった。後者では、劇場支配人と都鳥の吉兵衛が進藤英太郎、すし屋の主人と七五郎が鶴田浩二だった。以前にも書いたが、鶴田の七五郎はわざとらしくて、志村喬の方が数段良かったと思う。七五郎の女房は、前者は美ち奴(当時人気のあった芸者の歌手)、後者は大川恵子だった。劇中劇の石松役者と石松の親友・六助は、沢村国太郎と千秋実。次郎長は、小川隆と山形勲(山形のもう一役は照明係だったが、前者ではこれを広澤虎造がやっていた)。それと、道中を共にする子供が、前者では長門裕之(沢村アキヲという名前で出演。ご存知のように、沢村国太郎とマキノ雅弘の姉との間の子で、津川雅彦は弟)だったが、映画初出演にしては、抜群にうまかったことを付け加えておく。




『続清水港』と『森の石松鬼より恐い』(その1)

2007-02-23 17:41:56 | 森の石松・若き日の次郎長
 マキノ作品『次郎長三国志』九部作では、ところどころで浪曲師の広澤虎造が張子の虎三という役で出演していて、これが狂言回しのような役割で面白く、映画にアクセントを加えていた。虎造は時には浪曲をうなり、また時には劇中人物になって次郎長一家との連絡役になったりする。森繁の石松が登場するシーンでは、虎造が浪曲で石松を紹介するといった具合で、自慢ののどを聞かせていた。もちろん、「馬鹿は死ななきゃ、なおらない」の名文句も出てきた。
 『続清水港』でも広澤虎造が出演していた。この映画には、あの有名な三十石船の場面があった。千恵蔵の石松と虎造の江戸っ子とが例のやり取りをするのだが、ここは見せ場だった。「江戸子だってねえ」「神田の生まれよ」「飲みねえ、すし食いねえ」から始まる、虎造の浪曲でも人気のあるくだりである。江戸っ子が次郎長の有名な子分たちの名前をスラスラと挙げる。が、石松の名前がなかなか出て来ない。石松がじりじりしながら聞いているこのシーンは、虎造と千恵蔵の息がぴったり合ってケッサクだった。千恵蔵の石松がのっそりした感じなので、歯切れの良い虎造とのコントラストが愉快なのだった。
 この三十石船の場面は、藤田進の『森の石松』でも描かれていて、こちらもなかなかユーモラスだったが、千恵蔵と虎造のやり取りの方がおかしさが溢れていた。マキノ監督の『次郎長三国志』にはこの三十石船の場面はない。また、錦之助が石松を演じた三作品にもこの場面はないが、錦之助の石松そのものが江戸っ子っぽいので、たとえこの場面を演じたとしても滑稽さが出なかったのではないかと私は思っている。ただし、『遠州森の石松』には、形を変えて似たような部分を挿入していた。石松が鎌太郎の娘に浜辺で出会うシーンである。娘役の中原ひとみが次郎長の子分の名前をスラスラと挙げるのだが、石松の名前をわざと言わずに、錦之助をやきもきさせていた。中原ひとみが可愛いので、このアレンジも良かったと思う。
 さて、千恵蔵の『続清水港』(1940年)と錦之助のリメイク版『森の石松鬼より恐い』(1960年)を簡単に比較しておきたい。
 オリジナル版の脚本は小国英雄、監督はマキノ雅弘だが、リメイク版は、小国の脚本を沢島忠監督と彼の奥さん(鷹沢和善という共同のペンネームを使っている)が手を加えている。このリメイク版を、なぜマキノ雅弘が監督しないで沢島忠が監督したのか、その経緯は知らない。『続清水港』が面白い映画だったので、きっと錦之助と沢島監督がマキノ御大に頼んで、リメイクさせてもらったのだろう。それはともかく、『森の石松鬼より恐い』は、いかにも沢島タッチに作り変えていたと思う。とくに前半では喜劇的な面白さをあちこちに盛り込み、夢の中で石松に変身した錦之助の混乱ぶりを十二分に描いていた。私は以前、この『森の石松鬼より恐い』をブログで取り上げ記事を書いたことがあるが、その時はオリジナル版があることも知らなかったし、またその『続清水港』も観ていなかった。別にオリジナル版を観たからといって、リメイク版の『森の石松鬼より恐い』についての私の感想が変わるわけではないが……。
 『続清水港』には、三十石船の名場面があることはすでに述べた。また、千恵蔵の石松のイメージについても前に触れた。最初、私はこの映画を観ていて、どうしても千恵蔵の次郎長のイメージが抜け切れなかった。が、だんだん千恵蔵の石松にも慣れてきて、面白く感じた。東映時代の千恵蔵は、貫禄たっぷりの演技と口ごもったセリフ回し(途中で息を吸い込むのが特徴)で知られているが、私はどちらかと言うと人の良い「おっつぁん」みたいな千恵蔵が好きである。『血槍富士』(1957年、内田吐夢監督)で槍持ちを演じた千恵蔵は最高だったと思っている。東映時代の千恵蔵は、意識的に低音でセリフを言っていたが、昔の千恵蔵はかなり声のトーンが高く、その顔つきと声がアンバランスであった。喜劇的な役を演じるとそれが引き立って、妙なおかしさを感じるのだ。戦前に作られた『続清水港』でも、そうしたユーモラスな千恵蔵の良さがうまく発揮されていたと思う。(つづく)



石松役者たちと『遠州森の石松』

2007-02-22 01:17:36 | 森の石松・若き日の次郎長
 錦之助は、石松の演じ方について片岡千恵蔵からアドバイスをもらった可能性が高いと思う。(後年錦之助が次郎長を演じる時には千恵蔵の自宅に通っていろいろ教えてもらったそうだ。)先日私はまだ30歳代の千恵蔵が石松を演じた『続清水港』(1940年)を観たが、千恵蔵の石松と錦之助の石松もずいぶん違う印象を受けた。錦之助は、千恵蔵の教えを受けた上で、自分の個性に合わせ、役柄を工夫したのだと思う。千恵蔵の石松は、鈍(どん)で頑固さがあり、明るいと言ってもユーモラスな感じで、ストレートな明るさはない。ついでに、藤田進の石松は、体型もがっちりしていて百姓っぽい。いかにも泥臭さが漂う愚直な石松だった。ただ、喧嘩は一番強そうに見えた。藤田進が石松を演じた吉村公三郎監督の『森の石松』(1949年)は、新藤兼人が脚本を書いただけあって、やくざの愚かさや見栄をリアリズムで描いていたので、森の石松がすごく卑俗で野暮な人間に見えてしまった。それはそれで面白いのだが、錦之助の石松とは180度違う石松だった。私は、勝新太郎の石松も観ているが、猪突猛進型で、いちばんバカ正直で単純な石松だった。しかし、勝新の石松もなかなか良かったと思う。錦之助の『若き日の次郎長』シリーズでは、錦之助が次郎長になったため、石松はジェリー藤尾が演じることになったが、この石松は軽薄で観ていられない。
 
 さて、『次郎長三国志 第八部』と東映のリメイク版『遠州森の石松』の比較に話を戻そう。マキノ監督は、錦之助の石松と丘さとみの夕顔がお似合いのカップルだと思ったにちがいない。石松が金毘羅参りを終えた後のこの二人の出会いから、別れの場面までは実に丁寧に演出し、また思い入れたっぷりに描いていた。夕顔を演じた丘さとみは、遊女なのに天然のおぼこ娘といった感じで、実に良かった。私の最愛の女優である丘さんには申し訳ないが、この夕顔はいささかおつむが弱いのではないかと思わせるところがあって、それがまた何とも可愛いのである。
 オリジナル版の『次郎長三国志』の方の夕顔は、川合玉江という東宝女優で、この女優について私はよく知らない。画面を見る限り現代的な顔立ちの美人なのだが、まだ新人だったためか、セリフも少なく、役柄的にはそれほどたいしたことがなかった。この夕顔役は、初め有馬稲子が候補に上がっていたそうだが、宝塚出身の女優は処女の役でなくてはダメということで所長に断られたらしい。それで東宝のほかの新人女優の中から、瞳の奇麗なこの女優を選んだそうだ。この辺のいきさつはマキノ雅弘の自伝『映画渡世 地の巻』に面白く書かれているのでお読みいただきたい。
 ところで、身受け山の鎌太郎は、オリジナル版も東映のリメイク版も志村喬で、セリフも演技もそっくりそのままのような気がしたが、どちらも味のある名演だった。鎌太郎の娘は、前作は青山京子、東映版は中原ひとみ。青山京子は控え目で可愛らしく、中原ひとみはお茶目で可愛らしかった。この二人はどちらも良かった。志村喬と同じく両方の映画で同じ役で出演している俳優は、初めの部分だけだが、法印大五郎の田中春男と桶屋の鬼吉の田崎潤だった。小松村の七五郎と女房のおそのは、オリジナル版では山本廉と越路吹雪、東映版では、岩井半四郎と長谷川裕見子だった。『次郎長三国志』に出演した越路吹雪にはどうも違和感を覚えるのだが、私の好みだけで言えば、長谷川裕見子の方があでやかで良かった。
 石松にのろけ話を聞かせ、藤の花を刀で切って差し出す小政の役は、オリジナル版は水島道太郎、東映版は東千代之介だった。水島道太郎は渋く、苦みばしった感じで、それなりに良かったが、森繁と水島のツーショットより、錦・千代のツーショットの方が魅力的だったことは言うまでもない。



『任侠清水港』

2007-02-22 00:30:55 | 任侠清水港


 錦之助の石松は、底抜けに明るく威勢が良い、江戸っ子的な石松である。片目はつぶれているが、イイ男でもある。女にぞっこん惚れられても無理はない可愛い石松なのだ。森繁の石松は、ちょっと陰気で、見るからに女にもてそうにない。また、心の内に劣等感を持っていて、そこがまた悲哀を感じさせて味わい深いのだろうが、錦之助の石松にはそうした翳はない。「五月の鯉の吹流し」でハラワタがなく、さっぱりとしている。私はこの二人の石松にはまったく違う印象を持つ。
 錦之助は映画で三度石松を演じているが、それぞれ微妙に役作りを変えていたと思う。『任侠清水港』(1957年正月公開、松田定次監督)の石松は、やんちゃ坊主で、へらず口を叩き、親父のような千恵蔵の次郎長に叱られては「へえ」と謝るものの、後ろで舌を出しているような石松である。『遠州森の石松』の石松は、女にはからっきしウブで純情なのだが、なかなか気が利き、察しも早い。また、情に厚く、素直な石松。『森の石松鬼より恐い』の石松は、がらっぱちで、喜怒哀楽が激しく、好き嫌いがはっきりしている。侠気があって、いちばん男っぽい石松だろう。
 ところで、私は子供の頃東映のオールスター映画『任侠清水港』を観て、錦之助の石松に鮮烈な印象を持った覚えがある。だから、石松と言えば、この映画の錦之助でイメージが出来上がってしまったのかもしれない。石松は錦之助という先入観が今でも抜けない。
 『任侠清水港』で初めて石松を演じた錦之助は、荒削りだが、若さと気迫がみなぎり、二枚目半というかむしろ三枚目的な性格もうまく出していた。こうした役柄は、それまでの錦之助にはなかったと思う。錦之助は、従来の美男役から抜け出し、歴代の石松役者に自らの名を連ねるべく意欲的に挑戦したのだ。
 この映画はオールスター映画と言っても錦之助が主役に近い重要な役で、この石松は一際目立っていたと言える。この時錦之助は24歳だった。ちなみに森繁が石松を演じたときはすでに40歳を過ぎていた。錦之助が石松を演じる前に東宝の『次郎長三国志』九部作を観たかどうかは知らないが、たとえ観たとしても、森繁の石松は参考にならなかったと思う。全然タイプが違うからである。それに、『任侠清水港』は、村上元三の『次郎長三国志』を下敷きにした映画ではなく、脚本家の比佐芳武が古くからある講談・浪曲の「次郎長伝」をもとにオーソドックスな次郎長物を目指してシナリオを書いた作品なので、趣がマキノ監督の東宝映画『次郎長三国志』とはまったく違っていた。
 『任侠清水港』は、千恵蔵の次郎長と錦之助の石松の親子のような愛情の交流をしっかり描いていたし、石松の仇討ちをクライマックスに持ってきたので、騙し討ちにあって殺された石松が憐れで、とくに心に残る構成になっていた。私は、東映のオールスター映画の「次郎長物」の中では、この『任侠清水港』がいちばん好きである。
 石松がめった斬りされる場面はリアルで凄惨だった。『遠州森の石松』と『森の石松鬼より恐い』よりもずっとすさまじかった。あとの二作品は石松が死ぬところまで撮っていなかったし、また、小松村の七五郎夫婦の扱い方も常道ではなかった。普通は、石松が都鳥兄弟(または都田兄弟)の騙し討ちにあい傷を負ってから小松村の七五郎の家へ逃げ込む。七五郎夫婦に手当てをしてもらった後、石松は迷惑がかかるのを気にして、無理を押して彼らに別れを告げる。そして、石松は、閻魔堂で休んでいる時に、都鳥の子分たちが話している悪口を立ち聞きし、いたたまれなくなって外に飛び出し、めった斬りにされる。『任侠清水港』は、その辺を忠実に描いていた。七五郎は東千代之介、その女房は千原しのぶだった。私はこの場面を観るといつも、七五郎がなぜもっと強く石松を引き止めなかったのか悔やまれてならない。石松が殺されてから、七五郎はそのことを次郎長のもとへ知らせに行く。石松の死を知らせるこの場面の千代之介の演技は素晴らしい。悔しさと無念さと切なさが顔の表情だけでなく体いっぱいに表れていたと思う。(2019年2月8日一部改稿)



『次郎長三国志』の森の石松

2007-02-21 16:47:57 | 森の石松・若き日の次郎長
 森繁久弥の石松は、『次郎長三国志』の第二部から登場するが、のそっとしていて、落語の「与太郎」タイプの石松とでも言おうか。バカ正直で、女に惚れっぽく、また友達思いで、義理堅い。石松は、旅の途中、美男子で女にもてる追分の三五郎(小泉博)と仲良くなる。石松は極度のどもりで、言いたいことの半分も言えないのに対し、三五郎は、口から出まかせ、調子に乗ってベラベラ喋る。石松は、朴訥で純情だが、三五郎は、嘘つきでスレている。この二人の対照性の中で、森繁の石松の個性は生かされていたと思う。
 石松と三五郎の二人が、美しくて色っぽい久慈あさみの投げ節お仲に惚れて、あっさり振られる話が『次郎長三国志』第三部である。シリーズ中で私が好きな一編だ。ところで、森繁の石松は、第五部までは両目を開いている。殴り込みで顔を斬られ、片目がふさがってしまうのだが、奇妙なことに片目になった途端、どもりが治ってしまう。これはあくまでも私の感想であるが、森繁の石松は、それまでのどもりまくる石松の方が面白かったと思う。つっかえながら話していたかと思うと急にスラスラ言葉が出たり、唄を歌い始めると名調子になったり……、観ていて思わず笑ってしまった。石松が話し出そうとすると、周りにいる共演者と同じく観客のわれわれも何を言い出すのかとハラハラし、言葉に詰まると、もどかしさを感じる。石松の通訳である三五郎のように、われわれも石松の言いたいことを代わりに横で言ってやりたい気持ちになるのだ。森繁のどもったセリフ回しが巧みで、その間(ま)が絶妙だったからだろう。
 第六部からは、のろいが普通に話せる石松が登場するのだが、第六部と第七部では脇に回っていた。第八部の金毘羅代参の話になって石松が、第三部以来再び主役になるわけだ。前回も触れたが、この第八部は、錦之助の『遠州森の石松』(1958年)のオリジナル版である。石松の金毘羅代参の話をマキノ流に潤色し、石松と讃岐の遊女の夕顔とのラブ・ストーリーに仕立てたもので、村上元三の原作には書かれていない筋書きだった。
 あらすじはこうだ。豚松と女房お蝶を失い、葬式の後喧嘩に懲りた次郎長(小堀明男)が刀を金毘羅様に奉納するため石松を使いにやる。仲間たちから讃岐の女は情が厚くて惚れっぽいと冷やかし半分に吹き込まれ、餞別までもらって、バカ正直な石松はいそいそと旅に出る。途中で小政(水島道太郎)に出会い、彼からお藤という女ののろけ話を聞いて、石松は目の潤んだ女に憧れを抱く。奉納を済ませ、遊郭を探し回った末にやっと理想のタイプの夕顔(川合玉江)を見つける。二人は相思相愛になってしまう。別れ際に夕顔からラブレターをもらい、帰途、それを身受け山の鎌太郎親分(志村喬)のところで読んでもらい、鎌太郎が夕顔を石松の嫁さんに身受けしてやろうという話になる。石松は幸せいっぱい胸いっぱいで、清水へと帰ろうとするが、友達の小松村の七五郎の家へ寄ったのが運のつき。都田兄弟のだまし討ちにあい、無残にも殺されてしまう。
 『次郎長三国志 第八部』の副題は、「海道一の暴れん坊」になっているが、映画の内容にはまったく即していなかった。マキノ雅弘は「石松開眼」にするつもりだったらしい。東宝が勝手に副題を変えてしまったのだという。最後に石松が都田兄弟たちにめった斬りにされて、死ぬ間際、なんと片目が開くというのが話のオチだった。
 錦之助の『遠州森の石松』(1958年)は、ストーリー展開はオリジナル版とほとんど同じだったが、マキノ監督が東映で撮った映画だけあって、ずっと明るく娯楽性も豊かだった。白黒とカラーの違い、スタンダードサイズとシネスコの違いも大きく、東宝の低予算映画に対し全盛期の東映が金をかけた作った映画なので、セットも大掛かりで手が込んでいた。それより何より、森繁の石松と錦之助の石松との個性の違いが非常に大きかったと思う。今回は、森繁の石松のことばかり書いてしまったが、錦之助の石松については次回にお話したい。(つづく)