錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

錦ちゃん祭りの後

2013-11-29 22:30:41 | 2013年錦之助映画祭り
 「錦之助よ、永遠なれ!」の上映会が終わって、翌日26日(火)は、疲労困憊で、抜け殻のようになっていた。
 昼、有馬稲子さんから電話。きのうは、帰り道、いっしょに来てくれた友人に夕食をご馳走し、無事帰られたとのこと。新文芸坐での有馬稲子特集は、3月、暖かくなってからにしようということで合意。
 入江若葉さんから慰労の電話。
 午後、ハガキ、手紙、小包、宅急便が届く。
「錦之助伝」を送った方々からの返礼。近代映画社の小杉社長と元大映女優山崎照子さんからお褒めの言葉。山内鉄也監督夫人から『祇園祭』上映とトークショーのお礼。ファンの会の会員から、リンゴの詰め合わせと羊羹の差し入れ。
 岸田ますみさんから本2冊。岸田さんの絵が表紙になった句集「能因の風」(駒志津子著)と村上春樹氏のエッセイ集(岸田さんのご主人の安西水丸さんの挿絵がたくさん載っている)。
 三宅弘之さんという方から「スクリーンの向う側」(風詠社)という本。映画俳優たちの似顔絵と紹介文(手書き)が載ったユニークな本で、三宅さんは大の錦ちゃんファンだそうで、錦之助に6ページも費やしている。私はこの方と面識がないが、私が錦之助映画ファンの会の代表をしていることをご存知で、編集者(桧山さん)を通じて、この本を送ってくださったのだ。ペラペラめくっただけだが、素晴らしい本なので、今度詳しく紹介したいと思う。
 先日は売り出し中の時代小説作者の飯島一次さんから新刊の「四十七人の盗賊」という文庫本も送っていただいた。あっという間に読む本がたまってしまった。

 夜、車で新文芸坐へポスターと売れ残った本を引き取りに行く。運転しながら眠気を催し、途中で何度か停車する。
 事務室でチーフの矢田さんから上映会の結果報告。
 10日間の総入場者数は、3,559人。近頃にない上々の入りで、新文芸坐としては大変満足の行く成績だったようだ。私は10日間で4,000人を目標にしていたが、残念ながら届かなかった。4000人を超えたら報奨金を、という矢田さんとの約束もおじゃん。
 初日が413名、2日目が405名、3日目が395名で、初めの3日間は好調だった。しかし、19日の火曜から21日の木曜までの3日間の入りが悪かった。300人切った日もあった。10日間毎日、400名を超えるのは、至難である。22日の金曜からまた増え始め、土日で盛り返し、最終日が最高の入りで438名。やはり、トークゲストの丘さとみさんと有馬稲子さんの人気が高く、上映作品では『祇園祭』と『笛吹童子』と『親鸞』二部作が、錦ちゃんファン以外のお客さんを呼んだのだと思う。
 本の売れ行きは、まずまずだっが、予想を上回るほどでもなかった。「錦之助伝」は、112冊。前もって200冊納品しておいたが、10冊残して、78冊は持ち帰ることに。「一心錦之助」が43冊で、結構売れた。「青春二十一」は、1巻が14冊、2巻が20冊、3巻が20冊で、すべて完売。「錦之助伝」がそれほど売れない分、ほかの本が予想以上に売れたのでよしとしよう。

 27日(水)は、何もせずに一日中寝ていた。
 28日(木)になって少し元気が出てきたので、仕事を始める。
 午前中、新文芸坐への請求書(書籍の売上分)を作成し、お世話になった関係者へ「錦之助伝」を郵送する。脚本家の石森史郎さん、中島貞夫監督、林家木久扇師匠(先代木久蔵さん)、佐々木康監督の息子さん夫婦、資料提供の竹内重弘さんへ。
 小川陽子(獅童さんの母)さんへ電話。先月の「三銃士」の時も、今月の「瞼の母」の時も、私が来るのを待っていたそうで、「錦ちゃんに似てきた獅童をあなたに見せたかったのに!」と叱られる。「すいません。本を作ったり、上映会のことでめちゃくちゃ忙しくて…」と弁解。
 でも、錦之助の上映会が盛況だったことは誰かから聞いたらしくご存知で、喜んでくださった。これから「錦之助伝」を届けに伺うと言うと、出かけるから事務所の大島君に渡しといてとのこと。
 午後2時、車で出発。まず、方南町の小川陽子さんの家(獅童事務所と陽子さん主催の寺子屋も兼ねている)へ寄り、「錦之助伝」を3冊(獅童さんへ1冊)、大島君に渡し、新宿方面へ向かう。南町にある取次店の地方小出版流通センターへ行き、本の補充をする。社長の川上さんは「錦之助伝」を配本する時、病気で休んでいたが、3日間、40度近い高熱が続き、死にかけたそうだ。検査をしたら腎盂炎だったとのこと。川上社長は、全国の弱小出版社の本を流通ルートに乗せる元締めのような重責にあり、私が10年前に出版社を作ってからずっと世話になっている大事な人である。口が悪くズバズバものを言う人なのだが、彼が死んだら、出版界は大打撃を蒙ったことだろう。「川上さん、僕より早く死なないで、これからもガンバッテくださいよ」と励ます。
 神楽坂上の喫茶店で「週刊読書人」の田中編集長と三年ぶりに会う。「錦之助伝」の紹介記事を依頼するためだ。田中さんというのは久里洋二を小型にしたような風貌で、出版界に40年以上いるベテラン編集者なのだが、彼が作っている新聞の名前の通りの読書人でもあり、類稀な変人でもある。「錦之助伝」を見せると、二つ返事でオーケー。ただし、紹介文は私自身が書くようにとの指示。1400字だという。来年の正月の第二週に掲載する予定。田中さんとホットココアを飲みながら、1時間半ほど歓談。話題は、日本の文化の衰退から、編集アシスタントの可愛い女の子のことまで。今度、彼女(安藤奈々さん)を紹介してくれるという。
 市ヶ谷で麗文堂書店の小林店長と会う。「錦之助伝」を進呈し、二人で販売作戦を練る。小林さんは、全共闘世代のインテリで、彼もまた大変な読書人である。お客さんがほとんど来ない穴倉のような古本屋で一日中インターネットをやったり、本を読んだりしている人。彼とも1時間半ほど歓談。
 夜8時半、新宿荒木町の喫茶店「私の隠れ家」へ行く。「錦之助伝」の装丁をしてくれたデザイナーの末吉君に会い、本を渡す。イメージ通りの出来ばえに末吉君も喜ぶ。5万円のお礼を払う。「私の隠れ家」というのは末吉君の新妻が経営している小さな喫茶店で、SPレコードを蓄音機にかけて聴かせてくれるレトロな店である。新妻は純子ちゃんといい、私の教え子の親友で、彼女とは末吉君より前からの知り合いなのだ。実は、純子ちゃんがデザイナーの末吉君と結婚して、彼を紹介され、人柄も良く才能もある男なので、彼に仕事を頼むようになった次第。
 純子ちゃんの喫茶店に1時間半いて、カウンターの隣りに座ったお客さん(一人は葬儀屋の若者、一人は猫好きの男)と会話する。SPレコードで、ビング・クロスビーを聴く。
 11時帰宅。いろんな人と会い、調子が出て来た。

 29日(金)。昼過ぎ、永福町の銀行へ行き、たまっていた支払いを済ます。
 午後、「錦之助伝」を小川甲子夫人と沢島忠監督へ送る。お二人へは一筆添える。
 「錦之助伝」を新聞の書評に取り上げてもらうことを願い(多分ダメだと思うが)、新聞社の文化部へ送ることにする。
 読売新聞文化部の芸能担当チーフの近藤さんへ電話。11月1日の記事のお礼と上映会の報告。本を贈呈するので、書評担当の方へ推薦してほしいとプッシュしておく。
 朝日新聞文化部の映画担当チーフの石飛さんへも電話。彼は、入江若葉さんと親しくしているので、若葉さんのトークの日に新文芸坐へわざわざ来てくれた。私は忙しくて、簡単な挨拶しか出来なかったが、その時のお礼と、上映会のことなどを話す。石飛さんにも書評の件をお願いしておく。東京新聞へも電話をして、書評担当の方と話す。「錦之助伝」の売り込みをする。
 三社へ「錦之助伝」を郵送する。
 夕方、内田千鶴子さんから電話。12月7日は内田有作さんの三周忌なので、1日(日曜)にお墓参りと内輪の法事を行なうので、私も出席してほしいとのこと。
 夜、スイス在住のファンの会の山口さんから国際電話。本を贈ったお礼。40分ほど話す。
 「錦之助よ、永遠なれ!」の上映会が終って、4日。疲れも取れてきたので、やるべき仕事をこなしていこうと思う。


 

「錦之助よ、永遠なれ!」上映会レポート(10)

2013-11-26 11:50:31 | 2013年錦之助映画祭り
 *友人からトークとサイン会の時に撮った写真を何枚かもらったので、これまでの記事に掲載しておきます。レポート(1)(2)(7)(8)をご覧ください。丘さんの可愛いお顔もありますよ。(写真は、主催者の私がここに載せる限り、問題はないと思いますが、肖像権のこともあり、転載はお控え願います)

 25日(月)、最終日。11時40分ごろ、新文芸坐へ行く。入口に、満員の掲示。朝一の『浪花の恋の物語』から満員だったようだ。「14時40分の回からお座りになれます」と書いてある。有馬さんの新文芸坐でのトークはこれまで3度とも超満員だったが、今回は平日なので少し心配していた。ほっとする一方で、混乱がないようにうまくやらなければならないと気を引き締める。
 3階へ行くと、まだ上映が始まっていなくて、ホール内で円尾さんと矢田さんがお客さんの入場整理をしている。8席取っておいた関係者席も、ゲストが来たら、立ってもらうという条件で開放する。立ち見でもいいという方も十数人いて、中に入ってもらったので、観客数は全部で280名ほど。15分遅れで、『反逆兒』の上映開始。予告篇は飛ばす。
 遅れてきたお客さんが数人いたが、もう中へ入れないので、ロビーでトークショー開始まで待ってもらう。私は映画を見ずに、お客さんにいろいろ説明したり、話し相手をして時間をつぶす。
 12時20分、有馬さんから電話。車で近くまでいらしたとのこと。階下へ下りて、お出迎えする。車を運転してきたのは高橋さんという男性で、ラピュタ阿佐ヶ谷のトークショーの時も車で有馬さんを連れていらしたので、顔なじみだ。有馬さんの住んでいるマンションの住人で、温厚で本当に親切な方である。同じマンションの女性のお友達が二人。一人の方は有馬さんのトークの時に何度かお会いしている。
 車をマルハンの駐車スペースへ停めてもらい、有馬さんご一行を4階の事務室へ案内する。
 今日の有馬さんは、色鮮やかな紅バラ色のロングドレス。舞台衣装のようで、大変引き立つ。81歳という年齢をまったく感じない。さすが大女優有馬稲子という印象。
「『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラみたいですね」と私。
「懐かしいわね」と、有馬さんがニコニコしている。
 ぜひ『反逆兒』のラストを有馬さんが見たいとおっしゃるので、3階へ。「(関係者)席に座っているお客さんに移動してもらうのは悪いわよ」と有馬さん。結局補助イスを持って行って、有馬さんたちを中へ案内し、後ろの通路に座ってもらい、見ていただく。
 1時40分、映画が終る。ドアの前で列を作っているお客さんたちに下に敷く紙を渡し、私が館内へ案内して、順番に通路に座ってもらう。
 10分遅れで、トークショー開始。聞き手は私。有馬さんとの打ち合わせはまったくなし。有馬さんのトークの聞き手を務めるのも、今度が6度目。有馬さんにはこの5年ほど親しくさせていただいているし、私も信頼されているようなので、緊張することもなく、出たとこ勝負で行く。ただ、今までと同じようなトークでは面白くないので、できるだけ有馬さんから新しいお話を引き出すように努める。有馬さんには内緒で、前もって五つほど質問を用意しておく。有馬さんに叱られるといけないので、ファンの会の方たちから聞いてほしいと言われた質問だとウソをついて、まことしやかに質問を書いた紙を出したが、これは私の演出。
 質問一。錦ちゃんからプロポーズされた時、某監督との関係を打ち明けましたか?その時の錦ちゃんの反応は?
 「ちゃんと言いましたけど、その時、錦ちゃんがどう言ったかはもう覚えていません」
 質問二。錦ちゃんと離婚した最大の原因はなんですか。
 「ある大きな事件があった時に、錦ちゃんが私の側ではなく、お母様の側についたことですね」
 質問三。今でも、錦ちゃんのことが好きですか。もう一度、結婚してもいいと思いますか。
 「好きです。あの世で、お金のこととかなければ、もう一度してもいいかも」
 質問四。有馬さんは多くの男優と共演されていますが、役者としての錦之助さんの素晴らしさはなんだと思いますか?
 「セリフが明快で、頭が良くって、感度が良いことですね」
 質問五。錦ちゃんとまた共演するとしたら、何かこういう役をやりたいというものがありますか。
 「そうね。分らないけど。亡くなる前にやった山名宗全は素晴らしかったわ」
 ほかにもいろいろな話を有馬さんはしてくださったが、錦ちゃんと二人でベルリン映画祭に行った時、ケネディ大統領のパレードをすぐ近くで観た思い出話が興味深かった。
 トークは35分ほどで終了。すぐにロビーでサイン会。有馬さんが新文芸坐でサイン会をなさるのは初めてだ。有馬さんの著書「のど元過ぎれば有馬稲子」は日経出版社から48冊仕入れてある。この本と「錦之助伝」に限定して、サインをしていただく。アシスタントは円尾さん。60人以上並んで、一人二冊のお客さんが多かったので、手際よく運ばないと終らない。有馬さんのサインは画数も多く、銀色のサインペンと黒マジックの2本を持ち替えて丁寧に書かれるので、大変だった。隣りに喫煙ルームがあり、タバコの煙が洩れてくるので、途中で有馬さんが気持ち悪くなる。しかし、我慢していただき、30分ほどでなんとか混乱なく終わる。最後に『浪花の恋の物語』のポスターの前で、無理矢理私が有馬さんにお願いして、写真撮影に応じていただき、やっと終了。
 2時50分、10分ほど遅れて二回目の『浪花の恋の物語』の上映開始。有馬さんご一行は、関係者席で鑑賞。私も最初と最後の30分だけ有馬さんの隣りの席で、映画を見る。
 4時半、有馬さんご一行がお帰りになる。外は小雨。この10日間、お天気に恵まれ、幸運だったが、最終日の午後になって、初めて雨が降り出した。まるでこの日の2本の上映作品を見て、ポロポロと泣き出したような涙の雨だ。「錦之助よ、永遠なれ!」の上映会もこれで終わり。有馬さんを乗せた車を円尾さんと見送って、ようやく責任を果たし終えた気分になる。
 今回の上映会でじっくり見られた映画は3本だけだった。最後の最後に、『反逆兒』だけはしっかり見ようと思う。
 近くの中華料理屋へ行き、一人でゆっくりと夕食を済ませ、また新文芸坐へ戻る。ロビーで錦ちゃんファンの女性としばらく話す。ホットコーヒーをおごってもらう。
 映画が終わり、鎌倉キネマ堂の店長と奥さんに出会う。鎌倉からわざわざ見に来てくれたのだ。サイン入りの「錦之助伝」を買ってもらう。
 8時45分から『反逆兒』を鑑賞。50名ほどの観客。寂しいが、最終日の最後はいつもこんなものだ。『反逆兒』を見終わって、いつもながらの、言葉に言い表せない感動を覚える。『浪花の恋の物語』の忠兵衛が錦ちゃんの「柔」の演技なら、『反逆兒』の三郎信康は「剛」の演技である。どちらもすごい。
 誰にも声を掛けず、また掛けられないように、さっと一人で外に出る。雨が降り続いている。一階のパチンコ屋の軒下でタバコを一服しながら、「錦之助よ、永遠なれ!」の看板を眺める。これですべてが終ったという実感が湧いてくる。錦之助映画をこれほどたくさん上映し、連日著名なゲストを招いてトークを行なうといったこうしたイヴェントは、二度とできないだろう。多分私が自ら進んで企画して催すこともないだろう。どこかで錦之助映画を上映している時に、私は一人の観客となって、何の気苦労もなしに、ゆったりと楽しみたい。そしてスクリーンに集中できる状態で、思う存分、観たいと、つくづく思う。
 明日の夜は、また、あと片づけをしに、車で新文芸坐へ行く予定。
 上映会レポートはこれで終わりにします。ご愛読、コメント、ありがとうございました。


「錦之助よ、永遠なれ!」上映会レポート(9)

2013-11-25 08:03:49 | 2013年錦之助映画祭り
 24日(日)。6時起床。このところずっと早起きして、ブログを書いている。書くのに1時間はかかる。上映会に来られなかったファンの会のみなさんがこれを読んで、少しでも参加した気分になってもらえればよいかと思う。それから雑用を済ませ、池袋へ向かうのだが、今日は浅草へ行ってから池袋へ回ることにする。浅草公会堂で、植木金矢さんの映画ポスター展をやっていて、これが上映会と同じく25日までなので、植木さんに久しぶりにお目にかかって、挨拶とお礼を言いに行く。
 11時に一階の展覧会場に着くと、受付にぽつんと植木金矢さんが座っている。挨拶をして、錦之助映画ファンの会の機関誌「青春二十一」の表紙に植木さんの絵を使わせていただいていることにお礼を言う。
「池袋で今、錦ちゃんの映画、やっているんでしょ。ちょうど重なっちゃって、行けなくてすいませんね。わざわざ来てくれてありがとう」
「とんでもない。でも先生のポスター展も盛況で、良かったですね」
 植木さんは、92歳。ほんとにお元気で、嬉しくなる。「青春二十一」はこれまで毎回お送りしてきたが、予備にまた1冊ずつ差し上げ、「錦之助伝」も進呈する。
「いい本、作ったじゃありませんか。字も大きくて、いいですね」
 お返しに、植木さんから映画ポスターの画集をいただく。
 植木さんに、飾ってあるポスター(100枚以上)を一枚一枚、解説をしてもらいながら、案内していただく。恐縮したが、植木さんは親切でほんとうに良い方で、嬉しそうにお話してくださるので、ご厚意に甘えることに。
 12時半、兄から電話。新宿の紀伊國屋本店で「錦之助伝」を買ったとのこと。7階の映画書籍コーナーに7冊平積みになっていたが、あまり目立たないところにあると言う。本店へは7冊配本したが、まだ1冊も売れていないようだ。
 浅草から銀座線で上野へ行き、アトレの明正堂書店へ寄る。「錦之助伝」は、タレント本コーナーの横にある時代物書籍の平台に3冊平積み。その隣りに、先日上映会にいらして、本をくださった関容子さんの「勘三郎伝説」が並んで平積みになっている。なんとも驚くやら、おかしく思うやら、縁とは不思議なものだ。
 上野駅の蕎麦屋で、昼食を済ませ、池袋へ向かう。
 2時に新文芸坐に着く。スタッフに訊くと、お客さんが結構入っているとのこと。トークゲストの北沢典子さんは、すでにいらしていて、『続親鸞』をご覧になっているという。
 チーフの矢田さんと簡単な打ち合わせ。明日の有馬稲子さんのトークとサイン会の件。
 映画が終わり、北沢さんと円尾さんが事務室に上がって来る。北沢さんは、今日はセンスの良い銀鼠色のモダンな洋服。北沢さんには、着物は大変ですから、今回は洋服でいいですと申し上げておいたのだが、北沢さんは和服も素敵だが、洋服もとても良くお似合いになる。この間、陣中見舞いにいらした時も洋服だったが、「田園調布の奥様みたいですね」と私が言うと、ニコニコ笑いながら、「わたし、小さいから、洋服だと引き立たないのよ」「いや、そんなことないですよ。ぼくは北沢さんの洋服姿も素敵で、好きです」
 3時にトーク開始。聞き手は円尾さん。私は前から二列目の客席で、ゆっくりと拝聴。円尾さんも慣れたもので、今日の北沢さんのお話はとても楽しかった。
 サイン会のあと、北沢さんは『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』を関係者席でご覧になる。今日はお嬢さん二人もごいっしょ。
 5時40分、北沢さんご一行を一階の玄関まで下りてお見送りする。
 パルコの上のレストランで、錦之助映画ファンの会の昔からの仲間と夕食。私はカツ丼とビール。あと一日だ、元気を出して頑張ろう。
 9時半、有馬さんから電話。私のケイタイを登録したので、試しに電話をしてみたとのこと。
 10時帰宅。
 


 

「錦之助よ、永遠なれ!」上映会レポート(8)

2013-11-24 07:20:32 | 2013年錦之助映画祭り
 23日(土)。朝、入江若葉さんへきのうのお礼の電話を入れる。すると、若葉さんの方から逆にお礼を言われ、恐縮する。
 11時半、車で新文芸坐へ行く。一番安い(15分200円)パーキングに駐車。12時から『親鸞』を見る。疲れていて、映画に集中できず。田坂監督の映画は、しっかり鑑賞しないとその良さが味わえない。この一週間、裏方としてあれやこれやに頭と神経を使ってきたので、相当くたびれているなと感じる。
 2時半、映画が終わり、事務室でチーフの矢田さんとトークの段取りを打ち合わせる。マルハンの専用駐車場を教えてもらう。今日はそこに停めていいと言うが、駐車スペースがあるなんて、初めて知った。なんだよ、今頃教えるのかよ!とやや気分を害する。
 トークゲストの成澤昌茂さんのお宅へ車で迎えに行く。表参道の一等地にあるマンションで、池袋から30分で玄関前に着く。成澤さんと奥様のかおりさんを乗せて、新文芸坐へ向かう。車の中で成澤さんと簡単な打ち合わせ。明治通りが新宿まで渋滞で、トーク開始の時間に間に合わなくなり、新文芸坐へ電話。10分、遅れると連絡。
 4時40分、新文芸坐に着く。マルハンの駐車スペースへ車を入れ、かおりさんに成澤さんの手を引いていただき、そのまま3階の館内へ向かう。成澤さんは現在88歳で、歩くことがやや不自由になっているが、明晰な頭脳は衰えず、お話もしっかりなさっているので、トークの方は心配なし。
 円尾さんがトークの時間つなぎをしてしゃべっていたようで、スタッフが私たちが着いたと知らせを聞いて、マイクでもう私を紹介している。ロービーから急いて壇上に上がり、遅れた事情を簡単に説明し、成澤さんを紹介する。
 すぐにイスに腰掛けていだだき、私が質問しながら、トーク開始。まず成澤さんの略歴をご自分で話していただく。上田市の生まれで、高校の頃映画監督を志し、東京に出て、溝口健二監督の家に住み込んで書生をした時代から、順々にたどっていく。



 15分ほどでやっと錦之助の映画のシナリオを書くところにたどり着く。『風と女と旅鴉』である。ここからがトークの本題で、成澤さんは錦ちゃんの作品の一つ一つに裏話を披露。みなさんも興味津々で拝聴。私は3年ほど前に成澤さんに約3時間のインタビューしたことがあるが、今日初めて伺うお話もあり、面白かった。
『美男城』『浪花の恋の物語』『親鸞』二部作『宮本武蔵 第一部』『江戸っ子繁昌記』まで来て、矢田さんが舞台の下で何度も私に合図を送り出す。40分ほど経ってしまった。『関の弥太ッペ』のことを伺う時間はなし。
 最後に私がとっておきの質問をする。
「成澤さんもたくさんの俳優さんを見て来たと思いますが、錦ちゃんという俳優はどうでしょうか。すごいと思う俳優の一番は、やっぱり錦ちゃんでしょうか?」
 成澤さん、間髪を入れず、
「錦ちゃんが断然一番ですよ。錦ちゃんくらい素晴らしい俳優はいませんね」
 お客さんから大きな拍手か起る。
 成澤さんはまだ話し足りないといったご様子で、私ももっと詳しくお聞きしたいことがあったのだが、残念ながら終了。
 舞台を下り、成澤さんにロビーで少し休憩していただく。トークを聞きにいらした映画監督内藤誠さんが、イスを出したり、机を運んだりして、成澤さんの面倒を見てくれる。内藤さんは、成澤さんの監督作品『妾二十一人 ど助平一代』と『雪夫人絵図』の助監督をしたことがあり、「昔にかえったみたいですよ」と言っていた。
 5時半、車で成澤さんのお宅までお送りする。成澤さんも奥様のかおりさんもトークが無事に終わり、ほっとなさったようで、車中いろいろなことを話す。運転手の私は道を間違え、帰りは遠回りをしてしまった。1時間ほどで到着。しかし、まだ話し足りず、かおりさんにお茶を飲んでいくようにと誘われる。成澤さんのマンションはいわゆる「億ション」と呼ばれる豪華なもので、2階の成澤邸の広いこと。100平米以上はあるかと思う。かおりさんにコーヒーを入れていただき、お礼と「錦之助伝」を差し上げ、20分ほどで帰ろうとすると、成澤さんが夕食を食べていきなさいとおっしゃる。かおりさんが表参道の寿司屋さんからお寿司を注文してくださり、私も遠慮せず、そのまま居続ける。結局、9時半ごろまで居ることに。
 10時に帰宅。円山榮子さんから留守電が入っていたので電話する。1時間ほど話す。「錦之助伝」を褒められる。円山さんは会う人ごとに本の宣伝をして、京都のジュンク堂で買うように勧めているそうだ。ありがたいことだ。「あと二日、ガンバッテ!」と励まされる。



「錦之助よ、永遠なれ!」上映会レポート(7)

2013-11-23 08:56:43 | 2013年錦之助映画祭り
 22日(金)。9時半に新文芸坐へ。『丹下左膳』を1時間ほど見る。
 事務室でチーフの矢田さんに段取りのまずさについて苦情を言う。
 11時15分、入江若葉さんを出迎えにロビーへ行くと、すでに若葉さんとお嬢さんがいらしていた。若葉さんは素敵なお着物姿。お嬢さんはモダンな赤いセーター姿。お二人とも美人で、お嬢さんはお顔もスタイルも入江たか子さんに似ている。画家をなさっていて、30歳後半の独身である。若葉さんの弟さんも見えたのでご挨拶。今日は若葉さんがお招きしたお客さんが10人以上いらっしゃるというので、受付が見えるところで、若葉さんとお客さんを出迎える。歌舞伎評論家の関容子さんが見えたので、ご挨拶してから関係者席(今日は前の方に4席、最後列に4席)へご案内する。関さんから新刊「勘三郎伝説」をいただく。若葉さんは、『冷飯とおさんとちゃん』をみなさんに見てもらいたくて、100人以上の方に手紙を添えて、上映会のチラシをお送りしたとのこと。若葉さんのお知り合いが次々と見える。みなさん、無料で入場していただこうと中へお誘いしても、入場料を買って入りますと言い張る。十五、六人の方一人一人に若葉さんがご挨拶し、2,3分話をなさっていた。映画監督の内藤誠さんが見える。内藤さんには私からチラシを送っておいたが、若葉さんのこともご存知なので、ご挨拶。内藤さんにお目にかかるのは二度目だが、若葉さんと私の二人に会いにいらしたとおっしゃっていた。明日も脚本家の成澤昌茂さんに会いに見えるそうだ。
 11時35分、『冷飯とおさんとちゃん』が始まる。若葉さん、お嬢さん、私は最後列の関係者席で見る。『冷飯』は素晴らしい作品だ。涙が滲む。
 『おさん』の途中で、矢田さんがやって来て、金子吉延さんが見えたと言う。事務室へ行く。挨拶を済ませると、金子さんが外へ出て、友人3人を連れてきたので、みんなをロビーへ案内する。『ちゃん』は見られず。
 2時55分よりトーク開始。私が簡単に挨拶してから、舞台へ入江若葉さんをお呼びする。お客さんは200名ほど。8割の入り。



 若葉さんが錦之助さんとのことを15分ほど一人でお話される。私の質問はなし。続いて、金子吉延さんを舞台へお呼びする。『宮本武蔵 第五部』で伊織役をやるようになったのは、吐夢さんの指名だったという。金子さんにはいくつか質問して、興味深い話を聞き出せたと思う。
 若葉さんと金子さんとの対話もあり、変化のあるトークになった。



 サイン会は盛況。50人以上の方が並んだと思う。若葉さんの隣りに座った金子さんもサインしたので大変だった。
 若葉さんとお嬢さんが『丹下左膳』をご覧になっている間、事務室で金子さんにお礼をし、その後、円尾さん、矢田さんとしばらく話す。
 『丹下左膳』終了後、6時から近くのすし屋で錦之助映画ファンの会の打ち上げ。31名が参加。座敷がいっぱいになり、若葉さんとお嬢さん、お招きした関容子さんと吉田さん(福島県からいらした)はカウンター席でゆっくり食事していただくことにする。
 若葉さんには乾杯の時だけ付き合っていただく。
 宴会は3時間ほど。9時半ごろ解散。諸星さん、矢島さん、野村さんと私が最後まで残って、10時半ごろまで反し続ける。
 11時半帰宅。今日は充実していたが、気ばかり遣う一日だった。自己中心で非常識な人がいたので、五度ほど叱ることになってしまったが、仕方がない。