錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『冷飯とおさんとちゃん』(その1)

2006-04-30 21:47:23 | 冷飯とおさんとちゃん


 江戸時代のありふれた市井の人々の喜びと悲しみのドラマ。チャンバラのない時代劇だが、見ていて、心が洗われ、しみじみとした気分になる。『冷飯とおさんとちゃん』(昭和40年4月中旬公開)は、そんな映画だ。私はこの映画が好きで、ビデオでも映画館でも、もう何度も観ている。山本周五郎が書いた短編を三つ選び、鈴木尚之が脚本を書き、田坂具隆が監督したオムニバス映画で、3時間の大作である。主人公はそれぞれ、武家の四男坊(柴山大四郎)、若妻を慕う大工(参太)、貧しい火鉢職人(重吉)で、そのすべてを錦之助が演じ分けている。
 軽快なユーモアとほのぼのとした人間愛を感じる第一話『冷飯』、夫婦の性愛と離別の悲劇を内省的に描いた第二話『おさん』、貧乏暮らしの職人の意地と心暖まる家族愛をテーマにした第三話『ちゃん』。どれもが粒揃い名作に仕上がっている。「田坂監督の映画はいいなあ」とつくづく感じる。彼の映画はまさに底光りする職人芸である。もちろん、「錦之助って名優だなあ」といつもながらに感心する。主役がいいと、共演者も生きてくる。この映画は女優陣の競艶でもある。木暮実千代、入江若葉、三田佳子、新珠三千代、森光子、渡辺美佐子、みんな良い。

 山本周五郎の原作は、すべて新潮文庫に入っている。「おさん」は、短編集のタイトルにもなっていて、「ひやめし物語」と「ちゃん」は、「大炊之介始末(おおいのすけしまつ)」という短編集に収録されている。もともと私は、原作と映画を比べることにあまり関心がなく、原作は原作として、映画は映画として鑑賞する主義なのだが、『冷飯とおさんとちゃん』は原作と比べてみようという気になった。映画が素晴らしかったからだ。原作を読みながら、ところどころで映画のシーンを思い浮かべた。セリフや情景を忠実に再現しているところもあれば、映画にはあったが、原作には書かれていない部分も多々ある。そして、比べているうちに面白くなってきた。半日かけて三作とも読み終えたが、細かいところで、腑に落ちない点があり、そこでまたビデオで映画を見直してみた。結局、二日がかりで、多分15時間以上、この作品を研究(?)することになってしまった。

 第一話の『冷飯』。映画では場所の設定がなかった。江戸ではないどこか地方の城下町だと思っていたが、原作を読むと、「百万石」と「香林坊」が出てくるので、金沢だと判明。この映画はすべてセット撮影でもあり、土地柄はあまり重視していなかったのだろう。
 私の興味は、映画で印象的だった部分が、原作にあるのかないのか、またどう書いてあるのか、ということにあった。たとえば、肌襦袢の襟元に縫いこんだ一両小判の扱い。映画では重要なモチーフとして生かされているが、原作では軽く触れてあるに過ぎない。映画の初めの方で、主人公の大四郎が着替える襦袢に母親(木暮実千代)が小判を入れ替える場面があり、次に、兄三人が大四郎に一両ずつ小遣いをやるところでは次男が襟元から小判を出す場面がある。そして、大四郎が料理屋で拾った財布を中老の中川八郎兵衛(千秋実)の家へ届けに行って、金が足りないと中川に難癖をつけられ、やむなく大四郎がなけなしの小判を出すことになる。原作ではここで初めて「肌付の金一枚」が出てくる。映画ではこの一連の描写が大変面白いのだが、これらはすべて創意工夫だった。原作には兄三人が小遣いを出し合う場面もなく、これは細かいことだが、中川が足りないと言う金額も違っていた(原作では一両二分一朱、映画では三両一分で、ちゃんと金額の辻褄を合わせていた)。また、大四郎が通りで出会い、一目惚れした娘(入江若葉)を桔梗の花にたとえるところがあるが、これは原作にもある。ただ、映画では中川八郎兵衛の娘の名前が菊乃で、どちらの娘と結婚しようかと大四郎が一瞬迷うところで、桔梗の花と菊の花のフラッシュ・バックがあって、ここがラスト・シーンへなだれ込むつなぎのカットとしてものすごく効果的で、いかにも映画的な手法なのだが、もちろん原作にはなかった。その上、中川の娘の名前は、原作では八重で、菊乃ではない。さらに、気がついたのは、映画の初めに大四郎が紙屑屋とぶつかって、古書を買う場面があり、その古書の題名が「秋草庵日記」になっていたが、これも完全に映画上のアイデアで(多分こんな本は実際にはないのだろう)、桔梗と菊という秋の草花を後で登場させる布石になっているのが分かった。『冷飯』は、ストーリーは原作に忠実だが、映画の中にはかなり手の込んだ仕掛けが施してあり、それを知って私は納得し、「うまいもんだなあ」と感心したのだった。

 第二話の『おさん』。これは原作そのものが映画的で、たとえば、二つの話を同時進行させることや、回想場面の挿入の仕方がそうである。もちろん、映画はこうした原作の描写を踏襲している。とくに旅の宿での主人公参太と女中おふさ(新珠三千代)との会話はほとんど同じだった。実は若妻おさん(三田佳子)との場面より私はこちらの方が好きなのである。おさんとの関係については、この作品を映画で観たとき、どうも不自然に感じたところがあった。それは参太が、なぜ美しい若妻のおさんと離別までして、二年間に及ぶ上方への長い旅に出たのかということである。たとえ、おさんが夜の床で恍惚とし、参太の知らない男の名前を叫ぶとしても、それが離別する理由にはならないと思ったのだ。そして、風の噂に、江戸に残したおさんが次から次へと男に身をゆだねていると聞いた参太がそれでも妻への想いを捨てきれず、妻の元に帰ろうとする気持ちも分からなかった。帰途の旅で出会ったおふさとの成り行きは自然なのだが、参太があくまでも女房持ちであることにこだわって、離縁同然にした妻の、自分への変わらぬ愛を信じて疑わない。その単純さが、理解できなかった。原作を読んでも、これは同じで、どうも男女の心理描写に無理がある作品だなと思った。映画では、大磯の宿で、おふさが拾い集めた貝殻を参太に見せるシーンが印象的なのだが、これは原作にはない。おさんを昼顔に喩えるところは原作にもあるが、貝殻の場面では、原作はおふさを朝顔の花になぞらえていた。昼顔と朝顔ではコントラストが際立たないので、映画では貝殻に変えたのだろう。『おさん』は、心理描写も原作に忠実で、参太のモノローグに近い言葉(辰造=佐藤慶との会話)などは原作の記述をそのままシナリオ化していた。原作の観念的に偏りすぎた欠陥が、映画にも見られたことは、残念だが仕方がないことだったのかもしれない。この作品は、全体的に暗くて身につまされる話だが、ラスト・シーンがせめてもの救いだった。参太が墓参りをして、昼顔を活け、死んだ妻おさんと語り合う。映画では、おさんの幽霊が出てくるが、原作にはなかった。原作では、参太が心の中で、妻ならこう答えるだろうと、自問自答していた。言うまでもなく、幽霊の方が映画的で、観る者の瞼に焼き付くように思えた。(つづく)



『真田風雲録』

2006-04-29 04:53:37 | 美剣士・侍

 加藤泰(1916~1985)が亡くなって早20年余りになるが、今また彼の映画を再認識しようというムードが盛り上がっているようだ。つい最近、東映ビデオから「DVDボックス加藤泰篇」(全5作品)が発売された。そして、「渋谷シネマヴェーラ」という映画館(今年1月渋谷に開館したばかりの邦画中心の名画座)では、「激情とロマン 加藤泰映画華」というキャッチ・フレーズで、約三週間にわたり彼の監督作品を計15本上映するのだという。その中に錦之助主演の映画が3本含まれていることを知って、急に私は嬉しくなり、早速そのうちの1本『真田風雲録』を観てきた。(他の2本は『遊侠一匹 沓掛時次郎』と『瞼の母』で、両方とも私はビデオでは何度も観ている作品だが、映画館で上映するとなれば、また渋谷へ行かなければなるまい。)
 『真田風雲録』(1963年)を観るのは実は今度が三度目で、昔、封切りのとき映画館で観て、そのずっと後(十数年前)またビデオで観たことがあった。が、二度とも私の感想はまあまあだった。今度はどう感じるだろうと思い、映画館で観ると違うかもしれないと内心楽しみにして見に行ったのである。これが三度目の正直なのだが、前よりもずっと面白く感じた。また、映像的な観点で新しい発見がたくさんあった。この映画に慣れたのであろうか、それとも見方を変えたせいなのか、今ならこの異色作を客観的に評価したり批判したりすることができるような気もしている。

 この映画を初めて観た時には期待はずれで非常にガッカリした覚えがある。小学校五年か六年の頃だから、単に錦之助が主演だということと、タイトルに惹かれて見に行ったのだと思う。当時は、映画というのは監督の名前で観るのではなく、まず主演者が一番、次にタイトルや宣伝文句が面白そうだと感じたら、見に行っていたわけで、『真田風雲録』の監督が加藤泰で、原作と脚本が福田善之であることすら知らなかった。なぜ、ガッカリしたかと言えば、真田十勇士が登場するにもかかわらず、手に汗握る攻防や思いもかけない策謀のある娯楽時代劇とはまったく違っていたからだ。多分少年の夢を託した十勇士のイメージを壊されたような気持ちがしたのだろう。それに、猿飛佐助に扮した錦之助もなんだかいつもと違っていて、ぱっとしない印象を受けた。現代風のへんちくりんな衣装で(茶色の丸首シャツに黒いチョッキ、首には赤いスカーフを巻き、細い黒ズボンに短靴を履いていた!)、しかも忍術ではなく超能力を使うのだから、佐助ファンも錦之助ファンも納得がいかなかったのは当然だったと思う。
 二度目に観たときもほぼ同じ感じがしたのだが、今回もう一度観て、初めて好ましからぬ第一印象を拭うことができた。変な期待をしないで観たのが良かったのかもしれない。つまるところ、この作品は真田十勇士を格好良く描きたかったわけではなく、十勇士はただ、挫折した青春群像を描くための「だしに使った」に過ぎなかった。そう考えてみると、違和感を覚えた登場人物たちの振舞いや言葉も面白おかしく感じられるようになったから不思議である。

 『真田風雲録』は、福田善之の戯曲で、大阪冬の陣・夏の陣で豊臣家に味方した真田十勇士の闘いを1960年の安保反対闘争になぞらえて戯画的に描いた作品だった。私は彼の戯曲を読んだこともなければ、当時大ヒットしたと言われる舞台(俳優座の公演で、重鎮千田是也が演出したそうだ)も見たことがない。だから、演劇に関してではなく、あくまでも映画の感想を述べるに過ぎないことをお断りしておく。
 ところで、60年安保闘争をなぞらえたと言っても、この映画には、政治色が希薄で、左翼的な思想性もなければ、挫折に対する自己批判のようなものも込められていなかった。ただ自分を生かし、自分のために闘って、格好良く死にたい、そんな共通意識で真田幸村の下に集まった真田党が、負け戦とは知りながらも自らの意志で戦い、味方に裏切られても挫けず、最後は格好悪く散っていく。映画『真田風雲録』は、こうしたストーリーをからっと明るくコメディ風に描いていた。戦乱時代劇の装いを借りた現代劇みたいなもので、セリフも現代的、衣装も佐助に限らず人物によっては現代風であった。アピールする思想が希薄だという点では、毒にも薬にもならない映画だったが、逆に枠にとらわれないハチャメチャさが、奔放なアイデアを生み、映像的な実験を試みる自由をもたらしたとも言える。たとえば、猿飛佐助は、赤ん坊の頃、隕石の放射能にあたり、超能力を持つに至ったのだが、この超能力の発揮の仕方が面白かった。佐助の目が青くなってその視線を投げると、不思議なことが起こるのだ。ミッキー・カーチスの爪弾くギターにその青い視線があたると、その音楽に超能力が伝わり、敵の侍たちがリズムに合わせ踊り出し、そのまま水の中へ進んでみんな溺れ死んでしまう場面など、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまった。「ハーメルンの笛吹き男」から借りたアイデアなのだろう。ほかにもミュージカル風で、面白い場面があった。大阪城に立てこもった若者たちが男女入り乱れ、ポピュラーなダンス音楽に合わせて踊り狂っている。そこへ、淀君率いる合唱隊が現れ、健全な音楽とはこういうものだと言って、みんなに聴かせるところも笑ってしまった。歌声喫茶の諷刺なのだ。
 映像的な試みとしては、加藤泰独特のカメラ・ワークもふんだんに見られた。ロー・アングル、クローズ・アップ、フレーム内での焦点の前後移動など。ロング・ショットでは、瓦屋根の上で、猿飛佐助と服部半蔵(原田甲子郎)が戦うシーンが圧巻だった。このシーンの錦之助はカッコ良かった。また、スチール写真の挿入、ストップ・モーションも多く使っていた。特に、真田幸村(千秋実)がずっこけた瞬間、死んだ敵の槍に突き刺さって格好悪く死ぬ場面や、大野修理(佐藤慶)が炎上する大阪城の部屋で焼け死ぬ寸前、熱くて飛び上がる場面でのストップ・モーションは効果的だった。また、コマ落とし(ジェリー藤尾が隊列を交通整理するシーンがおかしかった)もあり、セリフの字幕を入れるところもあって、サイレント映画の手法も取り入れていた。
 この映画は、加藤泰のフィルモグラフィーの中でもひと際異色な作品だが、あの不器用なほど生真面目な監督が、柄にもなく、よくもまあこんなものを作ったなーという感じなのだ。良く言えば、自由奔放、映像でしか表現できない実験精神あふれる映画、悪く言えば、行き当たりばったりの思いつきで悪ふざけしているような映画だった。だから、非常に面白いと感じた場面もたくさんあったし、観ている方が白けてしまい苦笑いをするほかない場面もたくさんあった。
 出演者に関しては、主役の錦之助はシリアスな演技で、相手役の渡辺美佐子(お霧といい、霧隠才蔵が女で、佐助の恋人役なのだ!)もそうだったが、この二人がちょっと映画の中では浮いているような印象を受けた。ほかの十勇士(ジェリー藤尾、常田富士男、米倉斉加年など)が漫画的で深みがなく、軽い役だったから余計目立ったのかもしれない。それと、これはミーハー的な見どころだが、錦之助と渡辺美佐子のキス・シーンがあった。しかも二人の唇が接するところをクローズ・アップで撮っているのには驚いた。目立った出演者としては、本間千代子(懐かしいな!)の千姫が愛嬌満点、花柳小菊の淀君がとぼけていてユニークだった。

*『真田風雲録』の映画化は東映のプロデューサーが企画し、初めは沢島忠が監督する予定だったそうだ。それがどういうわけか流れて、加藤泰のところに話が回ってきた。加藤泰は、その前に劇場公演を見て面白く思っていたので、喜んで引き受けたという。(『世界の映画作家14 加藤泰&山田洋次』(キネマ旬報社刊)所収のインタヴュー「加藤泰・自伝と自作を語る」より)





『丹下左膳 飛燕居合斬り』

2006-04-23 20:24:33 | 丹下左膳 飛燕居合い斬り


 監督五社英雄には最初の、主演中村錦之助(萬屋錦之介ではなく)には最後の、東映作品だったからであろうか、『丹下左膳 飛燕居合斬り』(昭和41)は、両者の意気込みがぶつかり合って火花を散らすような映画である。こういうのを息もつかせぬ痛快娯楽活劇というのだろうか。よくもまあ、次から次へと見せ場を作り、これでもかこれでもかと並べたものだ。斬って斬って斬りまくる! しかも、ケレン味たっぷり。
 いやはや、この頃の五社英雄は過激だった。リアリティ、残虐な描写、スピード、徹底した娯楽性、無思想、破壊性、エロ…、何もかも作品の中にぶち込んで、観る者の度肝を抜くサディスティックな映像感覚が際立っていた。この映画には、彼の過激さが随所に盛り込まれている。その良し悪しはともかく、また好きか嫌いかは別として、こんな映画を見てしまうと、麻薬中毒みたいになってしまう。これは刺激の強いアブナイ映画だ。それ以前の東映時代劇が古き良き時代のレトロの娯楽作品のように思えてくるから不思議だ。時代の移り変わりを感じないわけにはいかない。五社英雄アンド錦之助の『丹下左膳』は、今見ても鮮烈で尖鋭的である。
 
 丹下左膳は、知っての通り、隻眼隻手(正確には左目一個左腕一本)だから、立ち回りはもちろん、演技も大変である。錦之助の丹下左膳は、この映画一本きりであったが、実にサマになっている。精魂込めて役作りに打ち込んだにちがいない。錦之助の左膳、もっと見たかったと思うが、それも叶わぬ願いか。
 私らの世代で言うと、リアル・タイムで観た左膳は大友柳太朗。左膳は大友と決まっていた。大河内伝次郎が演じた戦前の左膳は知らない。阪妻の左膳、水島道太郎の左膳はどこかで見たことがある。最近の豊川悦司、中村獅童のは見ていない。さて、大友の左膳は顔がでっかく、開いた片目も大きくて…、刀さばきはナタを振るうようで迫力満点だった。口が回らず、しゃっちょこばっていたが、ユーモラスで人間味のある無頼の浪人が大友の左膳のイメージだった。
 錦之助の左膳はどうか。大友とは全然違う。顔も目も小さく、動作はきびきびしていて、刀さばきは速くて鋭い。やくざっぽい口ぶりで、ユーモラスなところはなく、凄みがあって近寄りがたいイメージである。大友の左膳は男の色気はないが、錦之助の左膳には色気がある。櫛巻お藤の淡路恵子が本当に惚れるのも当然だという感じがする。

 ストーリーは相変わらず。登場人物も同じ。左膳が手に入れた「こけ猿の壷」をめぐって、柳生一派と公儀の隠密たちが奪い合いをするというお話。チョビ安、お藤、与吉、萩乃、柳生源三郎、柳生対馬守、蒲生泰軒、愚楽老人、そして、大岡越前、徳川吉宗までが登場。出演者では、元左膳の大友柳太朗が大岡越前に扮して最後に出てくるのも見どころ。
 ちょっと変わっていると思ったのは、左膳の過去、つまりなぜ左膳が隻眼隻手になったかを説明する場面を、映画のプロローグに置いたことだ。こうした前置きは、確かほかの丹下左膳の映画にはなかったような気がする。私は 林不忘の原作を読んだわけでもなく、左膳のすべての映画を見たわけでもないので、よく分からないが、これは五社英雄のアイディアだったのではないかと思う。この映画はケレン味たっぷりだったと前に述べたが、五社英雄という監督は、見せたいシーンを中心にプロットを組み立てていくところがある。左膳の刀を握った腕がぶった斬られて宙に飛び上がる映像。五社はきっとこの映像が見せたくて、わざとプロローグを加えたのではないのだろうか。「その一年後」となって本格的に話は始まるが、丹下左膳をどうカッコよく登場させるかにも苦心の跡が見られた。ただ、タイトル・バックで女をムチで叩いて拷問するシーンは、コケおどしで、何の意味もなかった。一発かましてやろうといった下心まる見えである。
 この映画、剣戟のすさまじさは抜群で、それだけでもスゴいと思うのだが、五社英雄のあり余るサービス精神も(ハッタリ精神ともいえ、やり過ぎのこともあるが)、うまく生かされた。前半では「こけ猿の壺」を奪い合う格闘シーンがまるでラクビーのボール回しのようで面白かったし、後半では、お藤(淡路恵子)が大勢集まった警護の者たちの注意を引き付けようと走り出し、着物を一枚一枚脱ぎ捨て、まっ裸になる(もちろん吹き替え)。時代劇にストリーキングとは驚いた。
 
 初期の五社英雄の作品が実を言うと私は好きなのである。思えば、五社が一躍脚光を浴びたテレビ時代劇「三匹の侍」(昭和38年~40年)を私は毎週欠かさず観ていた覚えがある。小学5、6年の頃だった。その後、五社は映画監督になり、映画版『三匹の侍』(昭和39年、松竹)を皮切りに、次々に斬新な時代劇を作っていったが、この『丹下左膳』もその1本である。(2019年2月5日一部改稿)



『股旅 三人やくざ』

2006-04-22 20:13:48 | 旅鴉・やくざ

 オムニバス映画というのは、厳密には、複数の監督が一定のテーマに基づき中篇ないし短編を競作し、それらを一本の映画にまとめたものである。が、広い意味では、一人の監督が一定のテーマで作った複数の中篇ないし短編を集めた映画も言うようだ。どちらにせよ、観客が複数の作品をまとめて同時に鑑賞できるという点では、お徳用とでも言おうか、それらが選りすぐりの逸品揃いの時には、おいしい料理を何皿も味わったような充足感を得ることができる。オー・ヘンリーの短編集をハリウッドの名うての監督たちが映画化した『人生模様』(1953年)、古くはジュリアン・デュビビエの『舞踏会の手帖』(1938年)は、見どころたっぷりの名作だった。しかし実際には、逸品揃いの優れたオムニバス映画というのは珍しく、たいていは、個々の作品に出来不出来の差がある場合が多い。そして、不出来な作品が余計つまらなく見えて、妙に白けた気分になってしまう。これならまともな長編映画を一本観た方がましだったと後悔の念すら感じることもある。『世にも怪奇な物語』(1967年、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェリーニが競作したエドガー・アラン・ポー原作の三部構成)はそんな映画だった。なかにはどの作品も退屈で鑑賞に耐えないオムニバス映画もある。そんな時は怒りも作品の数だけ掛け合わさって、製作者や監督に絶縁状を投げつけたくなる。

 さて、錦之助が出演したオムニバス映画は、確か全部で三本あった。今井正監督の『武士道残酷物語』(1963年)、田坂具隆監督の『冷飯とおさんとちゃん』(1965年)、沢島忠監督の『股旅 三人やくざ』(1965年)である。すべて60年代に作られ、一人の監督によるオムニバス映画であったが、幸い、いずれも期待を裏切らない素晴らしい映画であった。私が観た感想を言わせてもらえば、順番に、力作、名作、佳作といった評価であろうか。今回は、その中の一本、佳作『股旅 三人やくざ』について書いてみたいと思う。

 この映画は、三人のシナリオ・ライター(中島貞夫、笠原和夫、野上龍雄)が書いた脚本を沢島忠が監督して作り、一本にまとめたものだった。いずれも股旅物で、やくざが主人公である。第一話は、お尋ね者のやくざ(仲代達矢)と女郎(桜町弘子)との人情話、第二話は、親を失くした若いやくざ(松方弘樹)と年老いた博打打ち(志村喬)の関係に、博打打ちの娘(藤純子)を交えた親子愛の話、第三話は、村人に役人殺しを頼まれた意気地なしでお人よしのやくざ(錦之助)の話であった。どの話も、起承転結があり、しっかりとした構成で、見ごたえがあった。ただし、第一話と第二話は股旅物にはよくある古典的なドラマ、第三話はオリジナリティのある喜劇的なスートリーだった。

 第一話の主役は仲代達矢である。腕の立つ一匹狼のやくざで、お尋ね者らしいニヒルな暗さはそれなりに良いのだが、あの能面のようなマスクが人情話の男主人公にはふさわしくないようにも感じた。女郎役の桜町弘子は熱演だった。なりふりかまわぬ気性の激しさと恋した女の情愛を巧みに演じ分け、女郎の絶望感や哀感を滲み出させていた。男の腕に思い切り噛み付いたかと思えば、今度は饅頭をかじりかかって、ふと自分のはしたなさに気づき、男に分けてやるところなど、対比のある見事な描写だった。

 第二話では、松方弘樹の若いチンピラ役がなかなか良かった。ひねくれたようで、素直な面をちらつかせ、こすからそうで、無邪気な面ものぞかせていた。古漬けの長細い沢庵をぼりぼりかじりながら酒を飲む場面があったが、見ていると20センチは本当に食べていたようだ。(この映画、何かをかじるということが空腹感を表す共通のモチーフになっていた。ちなみに第三話では錦之助がナマの大根をかじる。)志村喬はちょっと老けすぎかなと思った。娘役の若い藤純子との取り合わせが、父と娘というより、祖父と孫娘といった感じに見えてしまうのだ。また、志村喬という名優には善人や人徳者といった役柄のイメージが拭い切れない。十年も妻子を置き去りにした極道者の博打打ちにはどうも見えない印象を受けた。どうせなら島帰りの罪人にでもこの役を設定すべきだったのではないか。藤純子は初々しく、まだ牡丹の花のつぼみといった感じだった。(この時藤純子は19歳で、『緋牡丹博徒』のヒロインお竜で一躍スターダムに上がるのはその三年後であった。)
 
 第三話は、沢島忠の演出が冴えわたるコメディータッチの逸品だった。これが、たまらなく面白いのだ。嘘だと思ったら、ぜひ観ていただきたい。錦之助がとんだ三枚目を演じるのだが、その表情といい、セリフ回しといい、もう笑いが止まらない。後年の寅さんを見ているようなのだ。この作品、『やくざはつらいよ』とでもいった感じなのである。
 錦之助が演じるヘナチョコやくざ、名前を風の久太郎(きゅうたろう)といい、格好だけは一丁前、粋がってはいるが、実は喧嘩の腕もおぼつかない半端者のやくざである。腰抜けだが、お人よし。村人たちから至れり尽くせりの饗応を受けた久太郎は、村人たちのたっての申し出を断りきれない。悪役人を一人殺してくれと頼まれるのだが、久太郎にはちと荷が重過ぎる。村人が去り、黙って逃げようとすると、寝間には夜伽にあてがわれた可愛いおぼこ娘(入江若葉がいい!)がいて懇願する始末。久太郎、人を殺したこともなければ、女にもウブらしい。素人娘に手を出しちゃならぬと勝手にこじつけ、再度トンズラしようと外に飛び出すが、これが大失敗。
 その前に「タヌキ汁」が出て来て、次に「タヌキ狩り」の話が出て、何かと思っていたが、それがとんだ伏線だった。ここでタヌキ狩りの仕掛けが現れ、久太郎が夜中逃げようとした途端、本当にタヌキが掛かって、鳴子が響き渡る。村人たちがあちこちから現れ、逃げ道を失った久太郎、「タヌキがつかまった!」と村人たちといっしょになって大騒ぎする体たらく。このタヌキ狩りの仕掛け、久太郎がいざ凄腕の悪役人(タヌキ顔の加藤武が演じていた)と戦うことになり(錦之助のへっぴり腰が愉快!)、絶体絶命の窮地に追い詰められた場面でも重要な役目を演じる。これは見てのお楽しみ。
 この作品には、タヌキ狩りの仕掛けだけではなく、プロット上の仕掛けもところどころに置かれて、実に手が込んでいた。久太郎のキャラクターも、いつものカッコいい錦之助とは大違い!その予想外のギャップが、錦之助ファンには格別に楽しく、受けに受けた。まさにエンターテイナー沢島忠の面目躍如、「してやったり」という顔が浮ぶよう。それに応え、沢島監督と共謀し、ファンの期待を見事に裏切った(?)錦之助のエンターテイナー精神も、見上げたものであった。参った!



『風と女と旅鴉』

2006-04-21 06:35:49 | 風と女と旅鴉


 錦之助が演じた風間の銀次という悪ガキのようなやくざが私は大好きである。
 一匹狼だが、渡世の経験の浅いチンピラ。つっぱっていて、すぐひがんで、素直になれなくて、八つ当たりして、口汚く人を罵って…。銀次は、現代の街のあちこちにもいる、へそ曲がりな不良のようである。女を見るとすぐちょっかいを出すが、女の扱いには長けていない。幼稚で、場当たり的で、心の傷に触れられると怒りをあらわにし、お膳をひっくり返したりする。本当は人々の暖かいふところに入りたい、愛情に飢えた若いアンちゃんなのだ。
 よくもまあ、こんな役を飛ぶ鳥落とす時代劇スターの錦之助が演じたものだと、私は彼の役者根性に感心し、手放しで喜んでしまう。
 相棒のやくざ、三国連太郎の苅田の仙太郎も最高である。とぼけていて、ユーモラスで、人間味があって…、が、さすがに年の功、渡世の荒波に揉まれてきただけあって、分別もあり、人情の機微にも通じている。三国は表情も豊かで、セリフに置く間(ま)が絶妙で良い。この仙太郎が偶然知り合った銀次を息子同然に可愛がり、かばい、なんとか銀次を真人間にしてやろうと苦労するのである。
 初共演の錦之助と三国連太郎、この二人のなんとも言えない駆け引きが、見ていて楽しく、ほほえましく、そして心暖まる。
 この映画、何度観てもいい。錦之助と三国だけでなく、出演者のだれもが個性的で生き生きとしている。だからどの場面も観る者を引き付ける。長谷川裕見子の出戻り女が良く、丘さとみのおぼこ娘もいい。加藤嘉の爺さん、薄田研二の村の長(おさ)、殿山泰司の岡っ引き、進藤英太郎の悪親分…。

 錦之助がやくざ者を演じた映画には優れた作品が多く、甲乙つけがたい名作が揃っているが、なかでもこの『風と女と旅鴉』という映画は異色の名作だと思う。何が異色かと言えば、錦之助の演じた銀次というやくざが人々の爪はじき者だということである。もちろん、やくざなのだから人に嫌われるのは当たり前だが、映画で描かれるヒーローのやくざは、スマートで格好良いのが普通である。義理と人情に厚く、悪いやくざを懲らしめ、たたっ斬る。堅気の人々にも信用され、好かれるのが普通である。錦之助が演じるヒーローのやくざも、ほとんどがそうだ。しかし、この映画の銀次は、母の墓参に訪れた故郷の村の人々から、最後の最後まで、冷たい目でみられ、信頼も得られないまま去っていく。最後までいわば疎外者のままだった。銀次は根っからの悪いやくざではない。本当は心根のやさしい若者なのだが、極悪な人殺しをやった父親を持ったがゆえに、故郷の村人みんなから冷たくあしらわれ、ぐれて、やくざになってしまったのだ。やくざになったこうした来歴はよくある例だが、やくざとしてまだ未完成な若者を主人公に据え、その心の揺らぎを主題にしてストーリーを展開したことがこの映画のユニークなところだった。久しぶりに帰ってきた故郷にはやっぱり自分の居場所はない。そう痛感せざるをえない切なさ。好きになった女からも結局は愛想尽かしをされてしまう。この映画には甘ったるいセンチメンタリズムなどない。やくざ者はあくまでもやくざ者なのだ。銀次は疎外感を抱いたまま、また旅に出なくてはならない。

 『風と女と旅鴉』(昭和33年4月中旬公開)は、成澤昌茂のオリジナル脚本をもとに、加藤泰が監督した映画だった。
 成澤昌茂と言えば、溝口健二の愛弟子で、溝口の遺作『赤線地帯』も手掛けたシナリオライターである。その成澤が、東映の企画部から、錦之助の主演作でこれまでの娯楽作とは違う脚本を依頼され、アメリカの西部劇を翻案して書いたという。
 監督の加藤泰はこの頃東映では不遇だったが、この映画は彼にとって画期的な作品になった。彼はこの作品に、自分の映画に対する積年の思いや、手がけてみたいと思ってきた独自の手法を込めることができたからである。それは地に足の着いたリアリズムとでも言おうか。映画を絵空事や奇麗事で終わらせず、出来る限り虚構を廃して、生活者の視点で描くことであった。加藤泰の映画に顕著な特徴は、なまなましい生活臭であり、現実的な人間の素顔である。そのために加藤泰は映画作法の上でも徹底したリアリズムを貫いた。カメラを地面に据えて撮影するローアングルのカットは、小津安二郎の映画同様、独特である。そして、同時録音にこだわった。『風と女と旅鴉』は、ロケ撮影が多くを占める映画であったが、困難な同時録音を押し通したという。
 またこの映画では、錦之助はもちろん、俳優はみなスッピンだった。ほとんどの出演者は、かつらもかぶらず、自分の髪を結って出演したと言う。女優陣もそうだった。丘さとみも長谷川裕見子もスッピンである。初めは出演者がみな戸惑ったという話だが、慣れてくると不思議にも役に成りきって、地に近い演技が出来たと言う。
 ロー・アングル、同時録音、ノー・メイクの効果のほどは、この映画を観ると十二分に発揮されていると思う。それと、バックに流れる音楽が映像を引き立て、大変良かった。気持ちが弾むような明るいコミカルなメロディーである。音楽担当は、『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』など数々の松竹映画を手がけた木下忠司(木下恵介監督の弟)だったことも付け加えておこう。(2019年2月6日一部改稿)