錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『冷飯とおさんとちゃん』――錦之助の談話

2018-12-29 19:21:28 | 冷飯とおさんとちゃん
 「東映の友」(1965年5月号)に新作『冷飯とおさんとちゃん』について、錦之助の談話が載っている。5月号は4月5日発行なので、この談話はクランク中の、おそらく3月に取材されたものだと思う。この頃はまだ、東映内での錦之助の立場も揺らいでいなかったし、時代劇に対しても錦之助は希望を持って取り組んでいたようだ。話の内容から、この作品にかける錦之助の意気込みが感じられる。また、役者としての自信も伝わってくる。
 
 聞き手から、この作品で一番表現したいと考えている点は何かと訊かれ、錦之助はこう答えている。
まったく違った三つの話なんですが、あるものから疎外された人間にスポットがあてられてるんです。第一話『ひやめし物語』では、権力社会、家族構成から疎外され、第二話『おさん』では特異な性癖をもつ女房から逃げ出す。ラストの『ちゃん』では企業という時代の流れから取り残された職人なんです。この三人の話を通じて、人間本来の素朴さ、誠実さ、人情の機微といったものが感じてもらえればと思っています
 錦之助が「疎外」という言葉を遣っているところが面白い。確かに第一話と第三話の主人公は、社会から疎外された人間であった。第二話の主人公は、愛する妻からの疎外者だと言えないこともないが、女性不信に陥った男と言った方が適切だろう。



 山本周五郎の文学についてどう思うかという質問に対しては、こう答えている。
周五郎先生独特のペーソスが、作品の隅々まで行き届いていて素晴らしいですね。『ちいさこべ』もそうでしたが、今度の場合もとても魅力を感じます。何だかジーンとしてきて、心の隅々まで洗い流されるような気がします

 監督の田坂具隆は、錦之助が師と仰いで敬愛する存在だった。『親鸞』の撮影現場で田坂監督から指導を受け、錦之助は迷いが吹っ切れて、演技に集中できたという。『鮫』の時も同じだった。
スラスラと役の中に入っていけるんですね。口ではうまく表現できませんが、先生には、うまく演技を引き出す魔力のようなものがあるんですね。それが無条件で先生を尊敬する最大の理由なんです

 共演女優の新珠三千代について。
第二話の女中おふさ役には、本を読んだ時から新珠さんのイメージがありました。新珠さんからはすごく女を感じるんですが、今度のおふさという女もそんなイメージがあるんです
 新珠三千代は東宝の専属女優(1957年に日活から移籍)だったが、田坂監督が日活で撮った『乳母車』では、石原裕次郎の姉で宇野重吉の愛人役を好演していた。東映京都での田坂監督作品に再び出演がかない、錦之助との初共演が実現した。

 森光子について。
森さんとは舞台(歌舞伎座)で御一緒したことがあるんですが、今度は貧乏人の子沢山というか、呑んだくれの亭主と四人と子供をかかえて苦労してもらうんです。そんな役がピッタリって云ったら森さんに悪いかな



 森光子は1964年春に芸術座公演「越前竹人形」で中村賀津雄と共演したことが縁で、同年7月、歌舞伎座での三世・四世時蔵追善興行に招かれ、「ちりめん飛脚」で賀津雄と再び共演したが、錦之助との本格的共演はこの映画が初めて。錦之助より一回り(12歳)年上で、姉さん女房といった感じだった。


キネ旬の映画評『冷飯とおさんとちゃん』

2018-12-22 15:03:46 | 冷飯とおさんとちゃん
 古いキネマ旬報を数冊購入して、ページをめくっていたら、昭和40年5月下旬号に『冷飯とおさんとちゃん』の映画評があった。映画評論家の大黒東洋士(おおぐろとよし)が書いたもので、とくに第一話『冷飯』を手放しで絶賛していて、わが意を得たりという気持ちになった。



 大黒は、『冷飯』について、まず「底抜けに明るい描き方で、思わずオヤッとなるくらい珍重すべき風味」があり、従来の時代喜劇とは「まるで違った新しい内容と語り口である」と指摘し、「時代劇の今後のあり方に示唆するところまことに大」であり、「『冷飯』の持つ意義は大きい」と書いている。そして、詳述できないのが残念であると断った上で、具体的には次のような点をあげている。

――四男大四郎が自分の恋を屈託なく母に打ち明ける挿話など、かつて時代劇になかった微笑ましい明るさである。冷飯の先輩の叔父貴と大四郎との冷飯談義もおもしろい。母を中心にむつみ合う兄弟四人の心暖まる快さ、初めて料亭に上った大四郎の言動のおかしさ愉快さ、その様子に隣室の中老が思わず吹き出し、そして大四郎の人柄に惚れるが、この辺の演出のうまさは絶妙である。



 第二話『おさん』は、「むずかしい題材でうまくこなされていない」「説明的なナレーションを多用」しすぎて「もどかしい」などと苦言を呈しながらも、「死んでいった女の業の悲しみには、ついホロッとさせられるものがある」と書いている。

 第三話『ちゃん』は、古くさい人情話ではあるが、「夫婦、親子のこまやかで素朴な愛情が笑わせ、そして泣かせる」と言い、「心暖まる心憎い一編である」と褒めている。

 そして、最後に出演者について触れ、こう書いている。
 
――中村錦之助の一人三役が見事である。一話の小沢昭一、二話の新珠三千代、三話の女房役森光子、長男役伊藤敏孝の好演を買う。おさん役の三田佳子は難役だけにムリだった。




*大黒東洋士(1908~1992)
 高知県出身。早稲田大学中退。昭和3年松竹蒲田撮影所脚本研究所の第一期生として池田忠雄、柳井隆雄らとシナリオを学ぶ。のち「映画時代」編集を経て、「映画之友」編集長となる。戦後、「映画世界」編集長をつとめ、昭和25年よりフリーになり、新聞、雑誌に数多くの映画評を書く。錦之助を高く評価した映画評論家の一人である。