中日の15日の日曜、今日はいよいよ待ちに待った丘さとみさんの登場である。主催者たるもの、お招きするゲストに待遇の差があってはならないと思うのだが、丘さとみさんだけは私にとって別格である。いや、私だけではなく、錦ちゃんファンの大多数の意見は一致するであろう。錦ちゃんの共演女優の中でお似合いの相手の断然第1位は丘チンであると。
丘さとみさんを錦之助映画祭りのトークゲストにお呼びするに関しては、昨年の夏からご本人と粘り強い交渉を続け、今年の9月になってやっとオーケーが得られたのである。その間、約1年。丘さんには電話、ファックス、手紙と、何度ラブコールを送ったことか。
その辺の経緯については、前にも書いた気がするが、きっかけは昨年の京都映画祭であった。トークショーに丘さとみさんが出演されるという情報を得て、私は驚いた。そして小躍りして喜んだ。
円尾さんの話では、丘さんが法律関係のお堅い方と近々再婚なさるとおっしゃっていたというところまでは知っているが、今どこに住んでいるのか、連絡先も分からないとのことだった。それは、彼が「東映城のお姫様・丘さとみ」(ワイズ出版)を編集中に丘さんにインタビューした時のことだから、約10年前の情報である。それが、1年半ほど前、映画ファンの某中年女性から、丘さんが板橋の仲宿商店街という所にあるリフォームショップに出入りなさっているという情報を入手。錦之助映画祭りの企画が軌道に乗ったら、是が非でも仲宿商店街のリフォームショップを探訪して、丘さんの居所を突き止めようと思っていた。その矢先だったのである。ご当人の方から公衆の面前に姿を現すとは!それも京都。
私は胸の高鳴るのをおさえ、早速、京都映画祭のドンである中島貞夫監督に電話した。丘さんの連絡先を教えてもらおうと思ったのだった。中島監督は「オレの名前出していいから、事務局に問い合わせれば分かるよ」とおっしゃるので、すぐに事務局へ電話。丘さとみさんのご住所と電話番号を教えてもらう。やっぱり板橋にお住まいだった。
私は躊躇せず、丘さんのお宅へ電話した。こういう時、私は何も考えずに行動に移す。丘さんのお声は、映画で何百回となく聞いているから、すぐに丘さんご自身が電話に出られたことがわかる。一応確かめると、
「はい、丘さとみですけど……」と、一瞬怪訝そうなお声。
その後、ベラベラと、私自身の紹介、錦之助映画ファンの会のこと、錦之助映画祭りのことなどを話す。私が丘さんの大ファンであることも分かっていただいたようで、丘さんもすっかり打ち解け、見ず知らずの私にプライベートなことも含め、いろいろ話してくださった。その時30分以上話しただろうか。
が、話の途中で何度か、錦之助映画祭りのトークショーのゲストとしていらしてくださいませんかとお願いすると、「私、もうおばあちゃんになっちゃったし…」とか、「主人が出席するパーティに私、いっしょに出たこともないのよ」とか、「考えときます」とか、「主人に相談してみるわ」とか、おっしゃってはぐらかされてしまう。丘さんには私の押しの一手がなかかなか通じない。
この時は、快諾が得られず、電話を切ったあと、丘さんのお宅へ錦之助映画祭りの企画書をファックスして終わってしまった。
それから、ほぼ二ヶ月おきに丘さんのお宅へ電話を入れた。京都映画祭の一週間前に電話をした時など、こんな会話が交わされた。
「丘さんのトークを聴きに、ぼく、京都へ行きますけど、お会いできませんか?」
「できるだけ遠くに座って、あまり近くから私を見ないでね。楽屋にも来ないでよ。お願いだから。」
私ががっくりしたのは言うまでもない。一瞬丘さんに嫌われちゃったのかなと思ったが、ほかの話(たとえば丘さんの出演作のこと)をすると、気さくにいろんな思い出話をしてくださるから、そういうわけでもなかったようだ。多分私に直接会うと、トークゲストの件、断りきれなくなるという丘さんの判断だったのだと思う。
結局、3月の錦之助映画祭りで丘さんをトークゲストにお招きすることは断念せざるをえなかった。ただし、チラシと記念本「一心錦之助」と招待状だけは郵送しておいた。もちろん、熱い思いのこもった手紙も添えて。
3月の錦之助映画祭りに丘さんが5日間もいらしてくださったことは前にも書いた。お忍びというか、大きなマスクをなさっていたが、もうバレバレだった。だいたい円尾さんがあの大声で、「丘さん、丘さん」と呼ぶものだから、ファンの目にも留まり、丘さんもサインを頼まれて、応じたりしていた。でも、なんだか丘さんも嬉しそうだったので、ほっとする。
丘さんが、私に会いたいとおっしゃってくれたのは、その初日だったが、あいにく私はその日、午前中には行けなかった。円尾さんに紹介されて、丘さんに初めてお会いしたのは、二日目だった。電話では、おそらくトータル3時間はお話しているので、丘さんも私と初対面という感じはまったくしなかったと思う。こっちは、映画で丘さんのお姿を何百時間も見ているわけだから、親近感たっぷり。
「盛大な上映会で良かったわね。さすが錦ちゃんだわ。私も、ほんとに嬉しい。」
「はい、おかげさまで。でも、丘さん、ほとんど変わらないじゃないですか。お若いし、可愛いいですね。」
「えっ、照れちゃうわね。」
もうこの時、丘さんは11月の錦ちゃん祭りではトークショーに出演しようと決心なさっていたのではないかと思う。新文芸坐の顧問の永田さんに、「次はもっと協力するわ」とおっしゃっていたと聞く。
いやはや、前置きが長すぎた。今回の錦之助映画祭り(フィナーレ)で丘さんのトークショーの記事を書くつもりが、ついつい丘さんへの思い入れが出て、こんなことになってしまった。大晦日、あと2時間で年が替わるというのに……。
丘さとみさんを錦之助映画祭りのトークゲストにお呼びするに関しては、昨年の夏からご本人と粘り強い交渉を続け、今年の9月になってやっとオーケーが得られたのである。その間、約1年。丘さんには電話、ファックス、手紙と、何度ラブコールを送ったことか。
その辺の経緯については、前にも書いた気がするが、きっかけは昨年の京都映画祭であった。トークショーに丘さとみさんが出演されるという情報を得て、私は驚いた。そして小躍りして喜んだ。
円尾さんの話では、丘さんが法律関係のお堅い方と近々再婚なさるとおっしゃっていたというところまでは知っているが、今どこに住んでいるのか、連絡先も分からないとのことだった。それは、彼が「東映城のお姫様・丘さとみ」(ワイズ出版)を編集中に丘さんにインタビューした時のことだから、約10年前の情報である。それが、1年半ほど前、映画ファンの某中年女性から、丘さんが板橋の仲宿商店街という所にあるリフォームショップに出入りなさっているという情報を入手。錦之助映画祭りの企画が軌道に乗ったら、是が非でも仲宿商店街のリフォームショップを探訪して、丘さんの居所を突き止めようと思っていた。その矢先だったのである。ご当人の方から公衆の面前に姿を現すとは!それも京都。
私は胸の高鳴るのをおさえ、早速、京都映画祭のドンである中島貞夫監督に電話した。丘さんの連絡先を教えてもらおうと思ったのだった。中島監督は「オレの名前出していいから、事務局に問い合わせれば分かるよ」とおっしゃるので、すぐに事務局へ電話。丘さとみさんのご住所と電話番号を教えてもらう。やっぱり板橋にお住まいだった。
私は躊躇せず、丘さんのお宅へ電話した。こういう時、私は何も考えずに行動に移す。丘さんのお声は、映画で何百回となく聞いているから、すぐに丘さんご自身が電話に出られたことがわかる。一応確かめると、
「はい、丘さとみですけど……」と、一瞬怪訝そうなお声。
その後、ベラベラと、私自身の紹介、錦之助映画ファンの会のこと、錦之助映画祭りのことなどを話す。私が丘さんの大ファンであることも分かっていただいたようで、丘さんもすっかり打ち解け、見ず知らずの私にプライベートなことも含め、いろいろ話してくださった。その時30分以上話しただろうか。
が、話の途中で何度か、錦之助映画祭りのトークショーのゲストとしていらしてくださいませんかとお願いすると、「私、もうおばあちゃんになっちゃったし…」とか、「主人が出席するパーティに私、いっしょに出たこともないのよ」とか、「考えときます」とか、「主人に相談してみるわ」とか、おっしゃってはぐらかされてしまう。丘さんには私の押しの一手がなかかなか通じない。
この時は、快諾が得られず、電話を切ったあと、丘さんのお宅へ錦之助映画祭りの企画書をファックスして終わってしまった。
それから、ほぼ二ヶ月おきに丘さんのお宅へ電話を入れた。京都映画祭の一週間前に電話をした時など、こんな会話が交わされた。
「丘さんのトークを聴きに、ぼく、京都へ行きますけど、お会いできませんか?」
「できるだけ遠くに座って、あまり近くから私を見ないでね。楽屋にも来ないでよ。お願いだから。」
私ががっくりしたのは言うまでもない。一瞬丘さんに嫌われちゃったのかなと思ったが、ほかの話(たとえば丘さんの出演作のこと)をすると、気さくにいろんな思い出話をしてくださるから、そういうわけでもなかったようだ。多分私に直接会うと、トークゲストの件、断りきれなくなるという丘さんの判断だったのだと思う。
結局、3月の錦之助映画祭りで丘さんをトークゲストにお招きすることは断念せざるをえなかった。ただし、チラシと記念本「一心錦之助」と招待状だけは郵送しておいた。もちろん、熱い思いのこもった手紙も添えて。
3月の錦之助映画祭りに丘さんが5日間もいらしてくださったことは前にも書いた。お忍びというか、大きなマスクをなさっていたが、もうバレバレだった。だいたい円尾さんがあの大声で、「丘さん、丘さん」と呼ぶものだから、ファンの目にも留まり、丘さんもサインを頼まれて、応じたりしていた。でも、なんだか丘さんも嬉しそうだったので、ほっとする。
丘さんが、私に会いたいとおっしゃってくれたのは、その初日だったが、あいにく私はその日、午前中には行けなかった。円尾さんに紹介されて、丘さんに初めてお会いしたのは、二日目だった。電話では、おそらくトータル3時間はお話しているので、丘さんも私と初対面という感じはまったくしなかったと思う。こっちは、映画で丘さんのお姿を何百時間も見ているわけだから、親近感たっぷり。
「盛大な上映会で良かったわね。さすが錦ちゃんだわ。私も、ほんとに嬉しい。」
「はい、おかげさまで。でも、丘さん、ほとんど変わらないじゃないですか。お若いし、可愛いいですね。」
「えっ、照れちゃうわね。」
もうこの時、丘さんは11月の錦ちゃん祭りではトークショーに出演しようと決心なさっていたのではないかと思う。新文芸坐の顧問の永田さんに、「次はもっと協力するわ」とおっしゃっていたと聞く。
いやはや、前置きが長すぎた。今回の錦之助映画祭り(フィナーレ)で丘さんのトークショーの記事を書くつもりが、ついつい丘さんへの思い入れが出て、こんなことになってしまった。大晦日、あと2時間で年が替わるというのに……。