錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『風雲児 織田信長』

2006-08-22 21:41:43 | 風雲児 織田信長


 『風雲児 織田信長』は、『紅顔の若武者 織田信長』の4年後、昭和34年10月に公開された。白黒スタンダードから総天然色シネマスコープの豪華版にして、『紅顔の若武者』の後半をリメイクし、さらにその続きを加えた作品だった。したがって、内容的には、重なる部分が多いとはいえ、『紅顔の若武者』が前編で、『風雲児』が後篇とも言えないことはない。『紅顔の若武者』は、信長が義父斉藤道三と対面し、不戦協定を結むまでで終わりになったが、『風雲児・織田信長』は、そこも含め、さらに桶狭間の戦いまでを描いている。

 錦之助が『紅顔の若武者』で信長を演じたのは22歳、『風雲児』で再び信長を演じたのは26歳の時であるが、信長の史料を調べてみると、面白いことが分かる。この2本の映画、どうやら錦之助の成長に合わせて製作したようなのだ。信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち破ったのがちょうど26歳で、『風雲児』を製作した時の錦之助の年齢とまったく一致している。
 ご参考までに信長の半生をかいつまんで紹介すると、まず、那古野(=名古屋)城主になったのが数え年で9歳、元服して織田三郎信長を名乗ったのが13歳、初陣が14歳、そして、斉藤道三の娘濃姫を嫁にもらったのが16歳の頃だった。前作『紅顔の若武者』は、濃姫が輿入れする場面から始まるわけだから、22歳の錦之助は16歳の信長から演じたことになる。まあ、戦国時代の話だから、元服後、初陣もすませた若武者といえば16歳でも立派な大人で、妻をめとっても不思議ではない年齢だったと言える。(この時濃姫は数え年15歳だったようだが、濃姫に関しては不明な点が多い)

 私はもちろん信長研究家でもないし、愛好者でもないので、信長を描いた小説はそれほど読んではいないが、ほとんどの小説が底本にしているのは『信長公記』(しんちょうこうき。太田牛一という信長の家来が1600年頃に著した信長の伝記)である。それによれば、「大うつけ」と呼ばれていたこの頃信長は、朝夕馬を乗り回し、夏は川で泳ぎ、また鷹狩りを好み、槍や鉄砲の稽古に励んでいたそうだが、着衣はだらしなく、髪は茶せんにかき立て、人目もはばからず、栗や柿や瓜をかぶりつき、餅を立ち食いし、傍若無人に振舞っていたという。父信秀が急死したのは信長19歳の時で、寺での盛大な葬儀に出た際の信長の粗暴な振る舞いは、『信長公記』にちゃんと書いてある。信長は、長柄の大刀と脇差をしめ縄にさし、髪は茶せんのまま、袴もはかずに、仏前で抹香を手づかみにして投げかけて帰ったという。ここは、『紅顔の若武者』にも『風雲児』にも登場するハイライト・シーンの一つで、どちらも錦之助の演技が見ものだった。『風雲児』はこの場面から始まるから、19歳の信長から演じたことになる。重臣平手政秀が信長に諫言し自害するのは、信長20歳の時で、この同じ年に、信長は斉藤道三と美濃・尾張の国境近くにある正徳寺で会見する。道三との会見で信長が正装姿になることも、『信長公記』が記している。
 政秀の自害、道三との会見は、『紅顔の若武者』では二つのクライマックスとも言えるシーンだったが、『風雲児』では、ここまでを前半にまとめたので、やや盛り上がりに欠けてしまった。私はこれまでずっと『風雲児』の方ばかり観てきて、前半のこの二つの場面がとくに印象的で、とても気に入っていたのだが、先ごろ前作の『紅顔の若武者』を観て、従来の考えを変えてしまった。前作の方が、政秀の自害にしろ、道三との会見にしろ、ずっと盛り上がる描き方をしていたのだ。正直言って、そう感じた。
 
 『風雲児・織田信長』について書こうと思っていたのだが、どうも話がそれてしまった。この映画は、前作同様、山岡荘八の原作を結束信二が脚色し、河野寿一が監督し、坪井誠が撮影した作品である。美術は同じ吉村晃だが、音楽担当が高橋半から富永三郎に代わった。共演者は、月形龍之介が平手政秀、進藤英太郎が斉藤道三を演じたのは同じで、濃姫は、東映を辞めた高千穂ひづるから香川京子に代わった。柳永二郎は両方に出演していて、前作では父信秀だったが、ここでは今川義元を演じている。また、この映画では中村賀津雄が木下藤吉郎役で共演している。
 まず、信長を演じた錦之助について言えば、前作に比べ演技力が格段の進歩を遂げている。それがありありと分かる。落ち着きと余裕が感じられ、風格すらうかがえる。26歳にしてこの演技力というのも凄いことだが、昭和30年代前半の錦之助のすさまじい進歩を知っているファンから見れば、既知の事実で、今更驚くことでもない。これは、前にも書いたことだが、信長を演じた俳優で錦之助の右に出る者はいないと私は思っている。それほど錦之助の信長は素晴らしい。ただ、私は『紅顔の若武者』の若々しい錦之助の荒削りで体当たりの演技も捨てがたいと思っている。迫力から言えば、若い頃の信長の方があったようにも感じる。まさに熱演賞に値する演技だった。それに対し、『風雲児』の信長は、堂々たる演技賞、主演男優賞に値すると言いたい。
 「人間五十年、下天のうちにくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」で始まる謡曲「敦盛」をうたい舞う錦之助の信長はどちらの映画にも出て来るが、この場面は『風雲児』の方がずっと良い。やはり、桶狭間の戦いへいざ出陣という決断の時にうたい舞うと、悲愴感が漂う。(『紅顔の若武者』では道三と会見しに行く前だった)

 ところで、公平な目で判断すると、『風雲児』は、作品全体の総合点では、『紅顔の若武者』よりやや劣っていたように思う。桶狭間の戦いをクライマックスに据えたため、前半がダイジェスト版のようになってしまい、ドラマ性がやや希薄になっていたからだ。濃姫、平手政秀、斉藤道三の描き方も、前作に比べると不満が残った。濃姫を演じた香川京子は、高千穂ひづるとはまったく違ったタイプなのだが、及第点であろう。しかし、私は高千穂ひづるの方に投票する。高千穂の濃姫は、いかにも戦国武将斉藤道三の娘といった感じがしたからだ。香川京子は美しく演技もうまいのだが、気の強さみたいなものは感じられず、上品でしとやかさが目立った。月形龍之介と進藤英太郎も前作『紅顔の若武者』の方が十分に生かされていたと思う。柳永二郎の今川義元は実にサマになっていて、適役だった。尾張へ進軍する時、義元は駕篭に揺られて行くのだが、暑苦しさに参ってしまう。駕篭の中での義元の何とも言えぬ表情など、柳永二郎のうまさが実によく現れていたと思う。中村賀津雄の木下藤吉郎も適役で、印象に残った。

 錦之助が演じた信長の映画はもう1本ある。山岡荘八原作、伊藤大輔監督の大作『徳川家康』である。この時、錦之助32歳。『徳川家康』については改めて書きたい。(2019年2月3日一部改稿)