錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『浪花の恋の物語』(その8)

2017-01-12 14:35:38 | 浪花の恋の物語
 錦之助が沖縄公演を済ませて、東京・青山の実家へ帰って来たのは、年も押し詰まった12月29日であった。その日の夕方、錦之助は三喜雄から、内田監督が梅川役に有馬稲子を望んでいるということを聞いて、「えっ!」と大声を上げ、顔をほころばせた。錦之助自身、頭の片隅で有馬稲子の梅川を思い浮かべていたからだ。錦之助はこれまでずっと有馬との共演を望んでいた。そして、そろそろそのチャンスが巡ってくるのではないかと思っていた。最近、有馬が時代劇に出始めたこと、そして、この秋に内田吐夢監督の東映東京作品『森と湖のまつり』に有馬が出演して、東映とのつながりができたことが、錦之助に有馬との共演の予感を抱かせたのである。
 実は錦之助が有馬稲子と共演するチャンスは、これまで二度会ったが、いずれも実現しなかった。
 一度目は、錦之助初の現代劇映画『海の若人』(昭和30年)だったが、相手役の候補に上がった程度ですぐに流れてしまった。有馬は、錦之助を16歳か17歳と勘違いして、「私のほうが年上だから若いツバメみたいに見えるんじゃない」と冗談を言ったところ、それがいつのまにか「錦之助なんかと共演するのはイヤ!」ということになって報道されてしまったらしい。錦之助は京都新聞を読んでカチンと来て、「なんだ、同い年のくせに、お高くとまりやがって!」と思ったが、わざわざその記事を切り抜いてスクラップブックに貼ったのだという。第一印象は悪かったが、有馬稲子という女優に錦之助が強い関心を持ったのはこの時であろう。
 二度目は、マキノ雅弘が監督し、錦之助が若きジンギスカンを演じる予定だった東映東京作品『大成吉思汗(大ジンキスカン)』である。プロデューサーのマキノ光雄が錦之助の相手役に有馬を考えて交渉し、一度はオーケーをとったのだが、これも日程の都合で流れた。映画自体も昭和32年秋、撮影開始数日で中止になり、結局製作されないまま終わってしまったのだった。

「いいねえ。有馬さんなら申し分ないよ。兄貴、有馬さんに決めてくれよ」
 気の早い錦之助に兄の三喜雄も苦笑いしながら、
「そう簡単にはいかないよ。有馬さんがやりたがるかどうかも分からないし……」
「大丈夫だよ。叔父さんのつまんない相手役より、ずっとましさ」
 錦之助の言う叔父さんの相手役というのは、木下順二の民話劇を山本薩夫監督が映画化した時代劇『赤い陣羽織』(歌舞伎座映画製作、松竹配給)に叔父の中村勘三郎が主演して、そのマドンナ役を有馬稲子がつとめたことである。『赤い陣羽織』は以前勘三郎が芝居で主役の代官を演じて好評だったため、映画でも同じ主役を演じることになったのだが、勘三郎はこれが映画初出演であった。有馬の役は水車小屋の番人の女房で、美しい有馬に惚れた勘三郎が有馬をモノにしようとして失敗するといった一種の艶笑劇である。錦之助は、この映画の撮影後に勘三郎と会って話した時、勘三郎がしきりに有馬稲子と共演したことを自慢するので、羨ましいのを通り越して、悔しい思いを味わっていた。「ネコちゃんって、実にいい女なんだよなあ」などと、叔父が年甲斐もなく鼻の下を伸ばし、有馬稲子のことを愛称で呼ぶのを聞いて、内心「チクショー!」と思っていた。今年の9月下旬、『赤い陣羽織』が封切られると、すぐに錦之助は映画館へ見に行った。あまり笑えない映画で、芝居のほうがずっと面白かったと思った。そして、勘三郎に電話をして、手厳しい批評を浴びせて、溜飲を下げたのだった。

「早く有馬さんに連絡して、訊いてみろよ」
 三喜雄は来年早々有馬とコンタクトを取って、交渉してみようかと思っていると言うと、せっかちな錦之助は手帖を取り出し、ぺらぺらめくりながら、
「善は急げだよ。あった、あった、電話番号」と言って、にっこり笑った。
 まだ心の準備ができていない三喜雄はあわてて、
「おい、今すぐ電話するのか。仕事納めで、もう有馬さんの事務所、やってないよ」
「いや、これ自宅の電話番号なんだよ。有馬さん、いるかもしれないよ」
「えっ、なんで番号、知ってるんだよ」
「前に有馬さんと雑誌の仕事でいっしょになったことがあったじゃないか」
「ああ」
「そのあと有馬さんの家へ行ってご馳走になってさ。その時、また会いましょうって教えてくれたんだよ。結局、それっきりになっちゃったんだけど……」
(つづく)



『浪花の恋の物語』(その7)

2017-01-11 18:56:11 | 浪花の恋の物語
『森と湖のまつり』で有馬稲子が演じた鶴子という役は、内地人のアイヌ研究家との結婚に失敗し、札幌から釧路へ流れて、カバフト軒というスナックを営んでいるアイヌ女性だった。主役の高倉健はアイヌ民族運動の闘士・風森一太郎といい、鶴子は一太郎と元恋人同士だったことから、今でも腐れ縁で結びつき、カバフト軒は一太郎の隠れ家になっている。
 有馬がカバフト軒のマダムとして登場するシーンは、映画の前半の重要な部分で、香川京子、三國連太郎、高倉健が扮する主要な人物がここに集まって、後半の波瀾に満ちたドラマへと発展する契機となる場面であった。有馬は、一場面とはいえ、不幸な過去を持つ女の役を、持ち前の研究心と体当たりの演技で見事に演じ、監督の吐夢の期待に十分に応えたのだった。メークを工夫し、北海道弁を使いこなして、情熱的で気性の激しいアイヌ人の美女になりきった。
 このシーンの撮影は、東映東京撮影所のセットで行われたが、吐夢は、不器用ながら懸命に演じる有馬稲子という女優が大変気に入り、もう一度使ってみたいと思った。それで、梅川役にはまっ先に有馬を望んだのである。

 当時、有馬稲子は松竹と優先本数契約を結んでいた。一年に6本、松竹の映画に出演すれば、他社出演もオーケーという条件である。それで、東映東京の『森と湖のまつり』に出演することができたのだが、撮影に加わったのはわずか3日間であった。有馬クラスの主演級女優となるとスケジュールの調整が難しく、撮影が長期に及ぶ他社製作の大作にヒロイン役で出演するのは困難な状況にあった。有馬が所属するプロダクション「にんじんくらぶ」が製作した大作『人間の條件』6部作(小林正樹監督)に有馬はヒロイン役を切望したが、それができなかったのもこうした事情によるものだった。

 三喜雄と辻野は、吐夢の口から有馬稲子の名前が出た時、頷きもし、賛成もしたが、吐夢の家を辞去したあとになって、二人ともこれは大変なことになったと思った。今度の映画は東京ではなく京都で撮影する時代劇で、有馬の役は錦之助の相手役とはいえ、ほぼ同等の主役である。しかも、内田吐夢が監督する以上、撮影に一ヶ月以上かかることは間違いない。東京に住む有馬がオーケーするだろうか。たとえ有馬がオーケーしても、はたして松竹が承諾するだろうか。それも疑問である。
「ともかく、まずは有馬稲子に直接交渉してみるしかないだろうな。吐夢さんも意欲的だし、東映本社のほうは大川社長を説得して、オレが何とかするよ」と辻野が言った。
「じゃあ、有馬さんにはぼくがコンタクトをとってみますよ。スケジュールは来年の夏くらいでしょうかね」と三喜雄が尋ねた。
「そうだな。秋には仕上げて、できれば芸術祭参加作品にしたいけど……」
「そうなるといいですね」
 二人は映画の実現に向けて互いに頑張ろうと言って別れた。(つづく)