錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

「内田吐夢回顧上映」

2010-05-23 08:42:48 | 錦之助ファン、雑記
 ずっと忙しかった。先月の終わり頃から、「内田吐夢没後40年回顧上映」の企画に携わってしまい、実現に向けて根回しやらいろんなことをやっていたら、あっという間に一ヶ月経ってしまった。今年の8月7日が吐夢さんの命日で、亡くなったのは1970年。40年前のことだ。同じ年の8月30日には名優月形龍之介が亡くなっている。月形の没後40年の回顧上映については、前々から円尾敏郎さんが企画を進めていた。それもあって、映画好きな仲間と飲み会などで雑談しているうちに、内田吐夢の特集もやろうよという話になり、私が一役買うことになった。錦之助と月形龍之介、錦之助と内田吐夢は、切っても切れない関係であるし、私は、月形はもちろん、吐夢監督の映画も熱愛しているので、こういうことになったわけである。まあ、人に頼まれたというのではなく、自分から進んでやっている。月形特集は円尾さんが中心になって私が協力する形をとり、吐夢特集は私が中心となり円尾さんに協力をあおぎ、目下着々と進めている。ぼぼ決定した事項は以下の通り。

 8月初旬に1週間、池袋の新文芸坐にて「吐夢特集」。上映作品約15本。戦前作品も含む。何本かフィルムセンターから借りたいと思い、交渉中。トークショーに多彩なゲストをお招きする予定。
 10月中旬、京都映画祭の後、その一環として「吐夢・月形特集」を京都シネマにて一週間開催する。京都文博でも夏以降に特集を組む予定。
 
 そこで、「吐夢没後40年回顧上映」を支援してくれる皆さんを集めようと思い立ち、関係者各位に声をかけている。ゴールデンウィークの前に、吐夢さんのご子息(次男)の内田有作さんにもお目にかかり、快諾を得た。今のところ(5月22日現在)支援してくださる方は以下の面々(アイウエオ順)。

 有馬稲子さん、井川徳道さん(美術監督)、石森史郎さん(脚本家)、入江若葉さん、内田有作さん、江原真二郎さん、遠藤努さん(キャメラマン)、丘さとみさん、尾形伸之介さん、神谷雅子さん(京都シネマ代表)、澤登翠さん(弁士)、白井佳夫さん(映画評論家・「キネマ旬報」元編集長)、鈴木朝さん(鈴木尚之氏夫人)、鈴木則文さん、鈴木美潮さん(読売新聞文化部記者)、高岡正昭さん(馬の世話係・スタントマン)、高千穂ひづるさん、中島貞夫さん、永田稔さん(新文芸座顧問)、中原ひとみさん、韓昌祐さん(マルハン会長)、平山亨さん(プロデューサー)、松田豊さん(マツダ映画社社長)、宮坂健二さん(キャメラマン)、村枝賢一さん(漫画家)、森脇清隆さん(京都文化博物館映像情報室長)、矢田庸一郎さん(新文芸坐チーフ)、渡部保子さん(映画評論家)

 ところで、内田有作さんという方は、いかにも活動屋らしく、映画に対し大変な熱情を持っている方で、門前仲町の小料理屋でお会いしたのだが、飲んで話し始めたら、もう止まらない。その時は、円尾さん、杉山さん、渡辺さん(仮面ライダーの大ファン)も同席していたが、三人とも終電に間に合うように帰ってしまった。それから、有作さんと私が、深夜営業のファミリーレストランに場所を替えて、延々朝の9時まで話した。有作さんはもう75歳なのに、元気この上なく、この日は初対面なのに、なんだが昔からの知り合いのような関係になってしまった。その後また二人だけでお会いし、朝まで飲んで話し、さらに五、六度電話で話しているので、有作さんから伺った話(吐夢さんの話のほかに東映時代の苦労話、裏話など)は膨大な量に上る。有作さんは、父親の吐夢さんが中国から帰国した時、法政大学の学生だった。その頃は全共闘に加わり学生運動をしていたそうだ。卒業後、東映京都に入り、『大菩薩峠』(1957年)で吐夢監督の仕事を手伝う。助監督のフォース(四番目で一番下)だった。しばらく松田組(松田定次監督のスタッフ)にいて、その後東映東京に移り、進行主任を務めた。『五番町夕霧楼』『無法松の一生』『ジャコ万と鉄』などに携わり、吐夢監督の『飢餓海峡』では父親を助け、獅子奮迅の働きをしたそうだ。上映プリントのカット事件では東映に単身乗り込み(出刃包丁を懐に入れていた)、掛け合ったという。それから新宿東映、丸の内東映パラスの支配人をやって、また東映大泉撮影所に戻り、「柔道一直線」を製作し、その後東映生田スタジオの所長になって「仮面ライダー」を製作した。ざっと略歴を書くとこんな感じだが、そのそれぞれに関していろいろな話があるので、数時間聞いても聞き尽くせないほどである。
 有作さんから、吐夢さんが中国残留時代に書いた自伝、手紙などをお借りした。貴重な写真もたくさんお預かりしている。そこで目下、これらの資料を編集しながら、没後40年回顧上映に向けて「内田吐夢」の記念本を制作している。吐夢さんがこれまで映画雑誌に書いた文章や対談などもできる限り集めて、掲載しようと思うので、大変なことになった。