錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~反逆と挫折(その2)

2012-11-01 08:30:06 | 【錦之助伝】~若手歌舞伎役者時代
 昭和27年11月20日、錦之助は二十歳になった。共立講堂での第一回梨苑会公演を迎える8日前だった。二十歳になってからの一年は、錦之助とってまさに青春の反逆であった。
 梨宛会の公演は成功だった。評判も良かった。長兄の種太郎が「大名なぐさみ曽我」の大名役でやっと認められた。錦之助も嬉しかっただろう。近松門左衛門の元禄期の狂言を若い仲間みんなの力で創り上げ、復活させた。充実感も大きかったと思う。
 が、この2日間の公演が終ってみれば、いつものように25日間の長い本興行が始まり、錦之助はまた大して面白くもない役を演じ続ければならない。やりがいのある役は回ってこなかった。
 梨苑会の公演は若手役者たちの決起集会であり、祭典であった。そして、祭りの後は、変化のない日常が待っていた。自分たちが企画主催し成功した初めての大きな祭りの後だっただけに、錦之助にとって心の反動も大きかった。

 前に疑問を書いたように、「芸能生活四十周年記念版 萬屋錦之介」の巻末リストでは12月の舞台出演がブランクになっていた。が、これも判明した。
 12月2日から26日まで京都南座の顔見世興行に出演していたのだ。吉右衛門劇団に時蔵が加入した公演で、吉右衛門も京都へ出向いて、二役だけだが出演。梨苑会のメンバーでは又五郎、九蔵、梅枝、慶三も一座に加わり、種太郎も時蔵に随行して出演した。錦之助は8演目中、4演目の配役に名前が出ている。「娘道成寺」では相変わらず坊主の役である。以下、演目と配役を書いておく。( )内は錦之助の役名である。

 京鹿子娘道成寺 (所化)
 歌右衛門(花子 )、勘三郎(大館左馬五郎)、福助・高助・九蔵・種太郎・慶三・梅枝(所化)

 紅葉狩 (従者左源太)
 勘三郎(更科姫実は鬼女)、幸四郎(維茂)、慶三(従者右源太)、団之助(局望月)、梅枝(侍女早蕨)、勘弥(山神)

 芋掘長者 (召使松葉)
 勘三郎(芋掘藤五郎)、勘弥(伯父治六郎)、福助(魁兵馬)、又五郎(莵原左内)、慶三(家臣太郎吾)、訥升(松ヶ枝家後室)、梅枝(姫緑御前)
 
 弁天娘女男白浪 (浜松屋伜宗之助)
 時蔵(弁天小僧)、勘三郎(南郷力丸)、団之助(浜松屋幸兵衛)、吉之丞(番頭)、訥升(赤星)、勘弥(忠信)、団蔵(駄右衛門)

 このうち面白い出し物は「芋掘長者」で、この年11月の歌舞伎座でも勘三郎がやっている。その時、錦之助は出ていないが、今回は大家の腰元役で出演。その家の後室が訥升で、娘のお姫様が梅枝。錦之助は、お付きの腰元である。大した役ではない。
 「弁天娘女男白浪」は通称「弁天小僧」または「白浪五人男」で、時蔵の弁天小僧に勘三郎の南郷力丸というのは見ものであるが、錦之助は浜松屋の若旦那だった。南座の顔見世興行で、錦之助がもっといい役をやれるはずもなかった。雷蔵は大阪歌舞伎座での襲名公演で五人男の一人赤星重三郎に扮しているが、これは襲名のご祝儀みたいなものだった。雷蔵も錦之助同様、本興行では大した役をやっていない。が、忍耐強く芸の修業に励んでいる。
 錦之助は父時蔵の弁天小僧を同じ舞台で食い入るように見ながら、自分は一体いつになったら吉右衛門劇団で弁天小僧がやれるのだろうと思った。人の素晴らしい演技を見て、芸を盗もうにも、いつまで経っても舞台で自分がやれないのでは、意味がない。
 錦之助が共演して知り合いにもなった同じ年の嵐鯉昇は、すでにこの年の春、北上弥太郎の名で映画界に身を転じ、松竹時代劇でスターへの道を歩み始めていた。錦之助は彼の映画を見たにちがいない。新聞や雑誌で彼が話題になっている記事も読んだことであろう。そして、彼の活躍を羨ましく感じ、自分も一度映画に出てみたいと思っていた。

 師走の寒い京都での25日間の公演を終え、錦之助はむなしさと沈む気持ちを心に抱きながら、東京へ戻った。



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