錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~転機(その6)

2012-11-14 13:50:20 | 【錦之助伝】~若手歌舞伎役者時代
 九月、夏の暑さがまだ残る頃、歌舞伎座で訥升と源平の親子ダブル襲名の披露公演が行われた。澤村訥升が八代目澤村宗十郎を、長男の澤村源平が五代目訥升を継ぐことになった。この年は襲名ラッシュだった。4月は錦之助の兄二人が歌昇と芝雀を襲名、6月は八代目市川中車と九代目市川八百蔵の襲名、そして九月がこの二人の襲名と続いた。歌昇と芝雀が名跡からいえば小さいが、歌昇はいずれ時蔵を、芝雀は雀右衛門を継ぐ前段階であった。思えば、錦之助の兄二人を含め子供の頃の仲間が、次々とそれなりの名前を襲名して新たなスタートを切っていた。橋蔵、松蔦、岩井半四郎、そして今度が自分より一つ年下の源平が訥升を継ぐ。関西では親友の雷蔵もそうだ。錦之助の新たなスタートはいつのことか。名前なんかどうでもいい、伯父の吉右衛門だって、一代で名を大きくしたではないか。自分も錦之助という名前を大切にしようと思った。
 九月の公演で錦之助は二役当てられた。吉右衛門の「幡随長兵衛」に出るのは久しぶりだった。長兵衛の子分である。勘三郎の「お祭り」では若衆の一人。この二役だけだが、そのほかに公演中の一日だけだが大役が回ってきた。子供かぶき教室で錦之助が主役になって踊るのだ。叔父の勘三郎が錦之助を推薦してくれ、本興行と同じ「お祭り」で鳶の頭を錦之助がやるのだった。本興行の「お祭り」には錦之助も出ていた。舞台で勘三郎の踊りの一挙手一投足を、目を皿のようにして見た。終ると、楽屋で勘三郎の踊りを反芻しながら一人で稽古した。
 子供かぶき教室は二十日の日曜の朝からだった。数日前に錦之助は勘三郎に見てもらおうと思って、夜遅く半蔵門にある彼の家を訪ねた。勘三郎にはそれまでも何度となく錦之助は教わりに彼の家を訪ねていた。勘三郎は「見てるから、わかってるだろう」と言うと、「それより飲もうよ」と錦之助に酒を勧めた。夜中までいろいろな話をした。そのまま帰れなくなり仕方なくその日は勘三郎の家に泊まった。翌朝錦之助は勘三郎の家から歌舞伎座へ向かった。子供かぶき教室の前の日に勘三郎が稽古場に錦之助の踊りの仕上げを見に来た。ギョロッとした目をむきだすようにして真剣に見てくれた。勘三郎はずっと黙って見つめていたが一言だけこう言った。「いいかい、こんな頭(カシラ)みたいな粋にする役は、キザに踊るんだよ
 当日、錦之助は夢中で踊った。伯父のあの一言が効いた。ちっとキザに踊ってみたら、案外うまく行った。好評だった。

 ちょうどその頃、街では「君の名は」の噂で持ちきりだった。NHKの人気ラジオドラマが今度映画化され、いよいよ公開されるというのだ。主演は佐田啓二、岸惠子。映画は九月十五日に公開されるや爆発的にヒットした。松竹大船作品「君の名は」は、この年の正月に公開された東映映画「ひめゆりの塔」を配給収入で抜いた。数寄屋橋にも見物客が大勢集っていた。
 あんなメロドラマのどこがいいのか。『哀愁』の真似ではないか。映画なんかに見向きもせず、自分は歌舞伎に精進しよう。そう錦之助は思った。そして、これからは女形ではなく立役でいきたいと錦之助は決心した。父時蔵にもそれは何度も言ってあったし、勘三郎も分かってくれ、自分のやった役をこれからやらせていくとまで言ってくれた。
 吉右衛門もそんな錦之助を察してか、錦之助に立役を多くして役をつけた。錦之助は十月、吉右衛門一座に入って名古屋の御園座へ行った。宗十郎と訥升の名古屋での襲名披露公演だった。吉右衛門も悪い身体をいたわりながら、加わった。錦之助は、四役プラスもう一役。四役は立役で、もう一役のほうだけ娘役だった。もう一役とは一演目で二役だったからだ。
浮舟」の右近という役と「高杯」の次郎冠者は良い役だった。とくに「高杯」は、勘三郎の太郎冠者、それに勘弥(高足売)と団之助(大名某)の三人の踊り手に錦之助が加わっての舞台だった。吉右衛門の「加賀鳶」では若衆と娘役の二役をやった。あとはもう一つは奴の役だった。

 十月二十六日に御園座公演を終えて帰京すると、十一月一日からまた歌舞伎座。芸術祭参加公演だった。歌舞伎座公演でも役がたくさんついた。五役である。名古屋から帰るとすぐ稽古に入った。役が多いので大変だった。昼の部「娘道成寺」の坊主はいつもの通り、吉右衛門の「盛綱陣屋」で四天王の一人。
 夜の部の新作「明治零年」の稽古が大変だった。「明治零年」は高橋丈雄という人が書いた芸術祭入選脚本で、三幕四場の幕末物の大作だった。久保田万太郎が演出した。ただ、ここでやる新撰組隊士の一人島田魁というのは良い役だった。ほかに「鬼一法眼三略巻」の「菊畑」の侍女と「ゆかりの紫頭巾」の新造は女形だった。が、この公演中の子供かぶき教室でも、勘三郎が「菊畑」で自分のやる虎蔵実は牛若丸という大役を錦之助にやらせてくれた。子供かぶき教室は中日十五日だった。錦之助は気が抜けなかった。
 
 歌舞伎座公演は一日に初日を迎えた。そのおよそ十日後のこと。錦之助のところに思いがけない話が持ち上がったのである。




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