錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』(その4)ヘレン・ヒギンス

2007-11-30 20:04:39 | 源氏九郎颯爽記 白狐二刀流
 『白狐二刀流』は興行成績も上々だったそうだ。それは、何と言っても錦之助とヘレン・ヒギンスとの異色の組み合わせが話題を呼んだことにあった。
 へレン・ヒギンスは、伊東絹子(ミス・ユニバース第三位、八頭身美人)とともに戦後日本に彗星のように現れた専業モデル(今のファッションモデル)であり、若き女性たちの憧れであった。一方、錦之助は時代劇の人気スターである。外国人女性が相手役になるとは、普通は考えられないが、それが初めて実現したのだから、話題の的になった。(結局錦之助が映画で外国人女性と共演したのは、これが最初で最後だったと思う。テレビではあったかどうか、記憶が定かでない)
 加藤泰の話によれば、錦之助とヘレン・ヒギンスになんとキスをさせようとまで考えていたらしい。が、この奇抜なアイディアは、東映幹部の反対にあって流れてしまったそうな。この映画の中で、九郎(錦之助)とマリー(ヘレン・ヒギンス)は恋人同士ではなく、彼女の方が一方的に九郎に熱を上げるという設定になっているが、もしキスをするとするならば、どの場面だったのだろう。兵庫の番所で、マリーが救ってくれた九郎にお礼を言って別れる時かもしれない。映画ではマリーが手を出すが、九郎は握手をしなかったように見える。どうもこの場面はあいまいなカットだった。錦之助の女性ファンを気遣って、誤魔化したのかもしれない。この時、マリーがさりげなく九郎のほっぺにチューするくらいがあっても、今ならどうということもないが、当時は猛反発を食らったことだろう。船中の個室で、九郎とマリーが唇を合わせるなどしたら、どうだったろう。やるなら、マリーが九郎の隣に坐って、迫る場面だろうが、もしかりに、へレン・ヒギンスが錦之助の唇を奪ったとしたら、東映本社の窓ガラスが何枚も割れていたかもしれない。この映画のすぐ後に加藤泰が撮った『風と女と旅鴉』では、錦之助が長谷川裕見子に襲いかかって、彼女の唇を奪うが、このシーンはなぜかファンの非難を浴びなかったようだ。
 『白狐二刀流』のへレン・ヒギンスは美しい。大川恵子も美人だが、この映画では負けていると思う。へレン・ヒギンスは目と口元が良い。口紅がまたよく似合う。
 錦之助との場面では、何と言っても船の個室で二人っきりになるところが一番面白い。その直前に、廊下をうろうろしていた九郎に対し、「カモン」と言って(セリフはなかったか?)、目配せして個室に招くときの彼女のアップもドキッとする。九郎がテーブルにある珍しい花を観て、名前を聞くと、「ヒアシンス」と「ヒ」にアクセントを置いてマリーが言う。バックにはオルゴールが鳴っている。
 「この花は変わらぬ愛の花です」という説明があり、さあ、マリーが錦之助に迫って来る。「志津子は九郎のなに?」確か二度目の詰問だ。「幼なじみです。」マリーは俄然ファイトが湧いて「愛することは自由です」とかなんとか言って、長いすに腰掛けた錦之助の隣に来て体を寄せてくる。錦之助がちょっと移動すると、マリーがまたにじり寄って来る。この動作が三度あって、ここがコミカルで面白かった。私なんかだとこんな美しい女性と寄り添ったら肩に手をかけ、「アイラヴユー」とでも言ってやりたいが、源氏九郎は日本男児である。「据え膳食わぬは」といったわけにはいかないのだろう。錦ちゃんは、無関心を装い、美人の外国人女性を袖にした。立派だった。ファンも満足したことだろう。
 ヘレン・ヒギンスは、ハーフ(当時は混血と言った)だそうである。父親が日本人で、母親がロシア人。日本初のハーフのモデルで、草創期のテレビの音楽番組でもカバーガールをやり、網タイツ姿で中年男を悩殺したらしい。これは隠していたようだが、この頃すでに人妻だったという。夫は貿易商フレッド・ヒギンスなるアメリカ人だったとのこと。ヘレン・ヒギンスは1931年3月生まれなので錦ちゃんより、一歳半以上年上のお姉さん。『白狐二刀流』当時は27歳だった。映画には5、6本出演している。新東宝の『日本の虎』(1954年)『日米花嫁花婿取替合戦』(1957年)『ソ連脱出・女軍医と偽狂人』(1958年)など。実を言うと私は『白狐二刀流』以外のヘレン・ヒギンスをまったく知らない。聞くところによると、その後彼女はテレビにもちょくちょく出ていたという。ハーフのモデルでカバーガールと言えば、私らの世代がイカれていたのは、11PMのジューン・アダムスで、ヘレン・ヒギンスは年上過ぎて眼中に入らなかったのかもしれない。(私の高校の近くにジューン・アダムスがやっている喫茶店があって、何度も足を運んだのに、結局会えなかったことを思い出す。カメラマンの篠山紀信と別れた後、いったい彼女はどうなったのだろう?関係ない話でゴメンナサイ)(2019年2月4日一部改稿)


『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』(その3)

2007-11-23 01:12:04 | 源氏九郎颯爽記 白狐二刀流
 ファーストシーンの洞窟でのサスペンス、そして次の船着場のシーンで登場する二人の謎の美女(マリーと志津子)と源氏九郎との関係がこれからどう発展するのかといった期待感。それが、『白狐二刀流』を観ているうちに、見事にはぐらかされてしまう。
 九郎が同心の一人(里見浩太郎)の家に逗留することになったあたりから、この映画はあれよあれよという間に思いがけない方向へ進んでいく。番所の役人たちやその家族、貧乏公卿、不良浪人、悪徳商人とその愛妾など、いろいろな人物がごちゃごちゃ出てきて、話が横道にそれ、「どうなってるの、この映画?」という感じになってくる。脇役たちの身辺雑記的な場面が目立って、主役の源氏九郎の存在感が薄れてしまうのだ。あれだけカッコいい源氏九郎なのに、セリフのないまま九郎がじっと坐っている姿や後ろ姿を見せる場面が増えてくる。錦之助ファンは不満を感じたにちがいない。

 この映画には前作のように江戸の裏長屋に住む庶民は登場しないが、番所の与力・同心たちが住む官舎のような長屋が重要な場所になっていて、加藤泰は、こうした共同生活の場やそこに住む人々、女房子供を含めてそこに暮らしている人々の生活模様を前作以上に丹念に描きたかったようだ。それだけではない。豪商播州屋の裏に大部屋があって、ここに雑居している浪人たちの生活ぶりも出てくる。さらに、河野秋武が扮した貧乏公卿も奇妙なほど戯画化して描かれていたが、これも原作の登場人物を大幅に変えてまで加藤泰が描きたかったことなのだろう。原作でこの公卿は、直情径行型の尊皇攘夷派ではあるが、これほどみじめではなく、頭のおかしい感じもない。
 イギリス船での宴会のシーンは、初めて観た時にはびっくりした。佐々木康監督の映画には時代劇でも宴会の場面や歌ったり踊ったりするショーのような場面がよく出てくるが、加藤泰はこうした宴会の場面をイギリス船の中でやりたかったのかもしれない。それにしても、時代劇の常識ではありえないような場面の連続である。悪乗りに近いと思った人もいたことだろう(私も初めはそう思ったが、もう見慣れてしまった)。マリーがフラメンコまがいのダンスを踊るのは良いとして、テーブルについた番所の役人たちがナプキンをしてフォークとナイフを使って肉を食べたり、洋酒を飲んで酔っ払らい、最後は踊り出す始末。加藤泰は真面目な人だから、ドタバタ喜劇のようなつもりで面白半分に撮ったわけではないと思うのだが、彼は何を描きたかったのか、いささか理解に苦しむ。日本の役人たちの無節操ぶりを批判的に描こうとでもしたのであろうか。
 しかし、こうした加藤泰の意図が「源氏九郎颯爽記」というストーリーにうまくマッチしていたかというと、私は首をひねらざるをえない。源氏九郎というヒーローの活躍を描くなら、二人の美女との関係を含め、それにもっと重点を置いて描くべきだったし、幕末期の憂国の士や貧乏公卿や密輸商や小悪党や小役人たちを道化芝居風に描くなら、別にこの原作を借りて作る必要もなかったのではあるまいか。
 『白狐二刀流』は、料理にたとえるなら、ごった煮のようだった。高級な材料もありふれた材料も一つ鍋にぶち込んで煮た感じである。西洋の食材も使っていた。中には、舌鼓を打つようなうまい具もあったが、半煮えで消化に悪そうなものも入っていた。食べ終わって満腹にはなったが、料理そのものの出来が良いとは感じられなかった。

<追記>
 東映幹部の間では、この映画には反発があったらしい。加藤泰自身の思い出話によると、東映社内で完成試写が終わった後、彼は企画者の小川貴也(錦之助の兄)と一緒に撮影所長に呼び出され、ある大監督の一人が映画を観て激怒し、「スターの錦之助をワヤにさせるつもりか」とクレームを付けたと伝えられたそうだ。「ワヤ」とは関西弁で「ダメ」とか「メチャクチャ」の意味だとのこと。この大監督、私の推測では松田定次ではないかと思うが、加藤泰は、撮影所長に平謝りして、事なきを得たという。

 『白狐二刀流』には、後日談がある。当時松竹でまだ助監督だった山田洋次がこの映画を観て感心し、加藤泰にファンレターを書いたという話である。彼がこの映画のどこを気に入ったのか、分からないが、多分加藤泰独特の悲喜こもごもの人間模様の描き方を面白く思ったのだろう。その後、山田洋次は監督になってからも加藤泰と交友を続け、一緒に映画を作ることになる。ハナ肇主演の『馬鹿まるだし』(1964年)という松竹映画で、脚本を加藤泰と共同で書き、彼自身が監督した大変面白い現代諷刺喜劇だった。その後山田洋次はハナ肇主演の喜劇を連作し松竹の喜劇映画の旗手になって行くが、もちろんこれは『男はつらいよ』シリーズを始める以前ことである。(2019年2月4日一部改稿)



『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』(その2)

2007-11-21 01:35:45 | 源氏九郎颯爽記 白狐二刀流
 『白狐二刀流』を初めて観た人は、「なに、これ?」といった意外な驚きがたくさんあり、奇妙キテレツな映画だなあという感想を持つにちがいない。笑えない喜劇とでも言おうか、今の言葉で言えば、「引いてしまう」ところが多々あるかもしれない。が、何度か観ていうるうちに、あちこちが面白く感じられ、ほくそ笑みながら観ることができて、加藤泰の演出や俳優たちの熱演に感心するようになるかと思う。

 この映画のファーストシーンはサスペンス仕立てである。編み笠をかぶった 白装束の源氏九郎がたった一人小舟に乗って現れ、孤島にたどり着く。バックに流れる高橋半の音楽がいい。荘厳と言おうか、画面をドラマチックに盛り上げてくれる。クレジットタイトルが出て、ナレーションがあり、九郎が洞窟に入る。と、突如として両刀を抜く。秘剣揚羽蝶の構えだ。こうもりが飛び交い、洞窟の天井から差し込む光に九郎は刀を反射させる。
 ここで、九郎は両刀を掲げたまま、ゆっくりと回転する。ここがカッコいい。ぞくぞくっとする。何が始まるのか! すると、洞窟の壁に赤く輝く部分が映し出される。そこを叩いて割ると、石の壁に隙間ができる。九郎はその重くて厚い壁を押し開ける。中に棺が見える。棺の蓋を取ると、小さな金の厨子(小箱)があり、小さな観音像が入っている。それを手にして、九郎が初めて言葉を発する。
「義経公よ。あなたが後の世に残したという宝は、この心だったのですか」
 このファーストシーンはすごく印象的である。けれども、錦之助は最後まで顔を見せない。観ている方は、錦之助が編み笠をいつ取るのか、と今か今かと見守っているのに、ついに顔を出さないので少々ガッカリする。しかし、そこが加藤泰の天邪鬼なところで、そうやすやすと錦之助の顔は見せない。

 次に船着場の突堤のシーンになる。逃げまわる外国人の男と女。刀を抜いて追いかける浪人。攘夷派だろう。外国人の美しい洋装の女が浪人に追い詰められる。気味の悪い公卿と頭巾をした連れの女が来て浪人を制するが、それでも浪人が外国人女に斬りつけようとした時、どこからともなく「アッハッハッハ」という笑い声。源氏九郎だ。
 ここで初めて錦之助の九郎が顔の全面を見せる。ちょっと横向き加減だが、笑みを浮かべたこのアップ。錦之助の源氏九郎は前作『濡れ髪二刀流』でお馴染みだが、あれは白黒だった。今度は総天然色である。さすがに美しい。もちろん、色のことではなく、九郎に扮した錦之助の顔が、である。「よぉっ、いいぞ、錦ちゃん!」と思わず声を掛けたくなる。
 「なんだ、貴様は!」と浪人。「姓は源氏、名は九郎…」その時、公卿の顔のアップがあって、「九郎?」と甲高い変な声を出したのには驚く。見れば、この役に扮しているのは、河野秋武ではないか。いつもとイメージが全然違う!九郎に襲いかかる浪人(清川荘司)。目も留まらぬ居あい抜きで、浪人のもとどりが切れ、ザンバラ髪に。
 この時の源氏九郎は、なんと口に赤いバラの枝をくわえているではないか!このカットは、最初に観た時も頭に焼きついて、錦之助はこんなキザな真似をやってもサマになるんだなあと思った。今でもここはいつも注目して観ている。
 このシーンには、ヘレン・ヒギンスと大川恵子の二人が出てくるが、交互に顔のアップがあって、和洋の美人比べである。私は大川恵子のアップが忘れられない。画面に紗がかかっていて、大川恵子を思いっきり美しく撮影していて、洋画みたいなのだ。ただ、この時、自分の名前を名乗る彼女のセリフが、どうしても「シスコです」と聞こえる。初めサンフランシスコのシスコなのかと思ったが、あとで「しづこ」だと分かる。漢字を当てると「志津子」。これは原作を読んで確認した。(2019年2月4日一部改稿)


『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』(その1)

2007-11-19 18:25:32 | 源氏九郎颯爽記 白狐二刀流


 『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』(昭和33年3月初旬公開)は、錦之助の「源氏九郎」シリーズの第2作。監督は第1作『濡れ髪二刀流』(昭和32年)と同じ加藤泰である。『白狐二刀流』は、白黒の第1作と違って、総天然色の東映スコープ。加藤泰にとって初めてのカラー映画だった。当時東映内で異端扱いされていた加藤泰である。彼が一丁やってやろうという気になったことは想像に難くない。東映時代劇のお決まり路線を踏み外して、強情に自分の描きたいことを描こうとしたのではないかと思う。確かにこの映画を観ていると、そんな監督の気概が、錦之助だけでなく俳優やスタッフ全体に伝わり、みんなが意気投合し、のりにのって映画を作っているといった感じが画面にあふれている。
 加藤泰と錦之助とのコンビは前作『濡れ髪二刀流』に続いて二本目目だった。錦之助とのコミュニケーションもとれていたと思う。錦之助は、人一倍前向きで意欲的な俳優である。挑戦心が旺盛で、マンネリが嫌い。だから、加藤泰が描きたがっていることを面白がり、監督の意図に共鳴したのではないかと思う。私はそんな気がする。この映画には主役の源氏九郎とは無関係な場面が多い。ストーリーにはなくても良いような場面が多い。エゴイスティックで自己中心的なスターなら、自分の役とはあまり関係のない脇役とのからみにきっと文句のつけたにちがいない。
 加藤泰の意図は、はっきりしていた。主役の源氏九郎はあくまでも格好良く見せる。立ち回りも、決闘シーンも奇抜なアイディアを取り入れ、派手にやる。が、それだけでは詰まらない。そこで、源氏九郎の周りに、有象無象とも言えるいろいろな人物たちを配し、従来の東映時代劇のパターンを破った人間味溢れる人物に仕立てて描き出す。こうして加藤泰は自分の創作欲を満足させながら、自分の作りたいようにこの映画を作った。お手軽な娯楽映画を作れば出来たはずなのに、あえて自分らしい映画、自分の特質が出るような映画作りに果敢に挑戦したのだと思う。
 この映画を観ていると、実は、源氏九郎を中心にその活躍を描こうという意欲は、加藤泰になかったのではないかと感じる。源氏九郎の錦之助は格好良いが、ヒーローとしての行動に一貫性がなく、ドラマチックな魅力を私はどうしても感じない。単にお供え物の飾りにすぎないと思うのだ。相手役の志津子(大川恵子)もマリー(ヘレン・ヒギンス)も飾りみたいなものだ。この映画で目立つのは、頭のおかしい公卿(河野秋武)であり、憂国の志士まがいの浪人(清川荘司や上田吉二郎)であり、金の亡者の播州屋の主人(柳永二郎)であり、賄賂で骨抜きにされた奉行(明石潮)であり、人のいい小市民的な与力(杉狂児)とその女房(浦里はるみ)、次の与力を狙う役人(山口勇)たちである。脇役ばかり目だって、主人公にも相手役の女にも敵役の剣客(岡譲司)にも重点がない。これは加藤泰の脚本と演出がそうなっていたからであろう。
 この映画を観て私が驚いたのは、よくもまあ、流行作家柴田錬三郎の原作をあそこまで潤色したものだということである。いや、大部分創作したと言った方がいいだろう。この映画は、八割くらいは加藤泰のオリジナルだった。原作は、わずか二章分で、約25ページしかない。加藤泰はストーリーの骨組みだけを借りて、内容のほとんどを自己流に作り上げていた。錦之助の源氏九郎だけは原作のイメージに合致しているのだが、登場人物たちは加藤泰が独特の色づけをして、原作とはおよそ似ても似つかぬ人物に作り変えた。そして、原作には出てこない人物もたくさん登場させていた。柴田錬三郎がこの映画を観てどんな感想を漏らしたかは知らないが、きっと唖然としたにちがいない。それともあまりのアレンジの仕方に自分が書いたものだとは思えなかったかもしれない。前作『濡れ髪二刀流』の方はまだしも原作に忠実だったと言える。こちらの脚色は結束信二だった。(2019年2月4日一部改稿)



『源氏九郎颯爽記』(その八)

2007-11-19 15:35:21 | 源氏九郎颯爽記・剣は知っていた
 「地に足の着いたリアリズムと言おうか。映画を絵空事や奇麗事で終わらせず、出来る限り虚構を廃して、生活者の視点で描く。加藤泰の映画に顕著な特徴は、なまなましい生活臭であり、現実的な人間の素顔である。」
 これは私が以前『風と女と旅鴉』について書いた文の一節であるが、素材はまったく違うが『源氏九郎颯爽記』にも、加藤泰のこうした傾向ははっきり現れていたと思う。
 第一作『濡れ髪二刀流』は、加藤泰が源氏九郎を慕う女の生き方に重点を置いて描いたとはいえ、生活者の視点もずいぶん映画の中に取り入れていた。たとえば、長屋風景とその住人たちのおしゃべりがそうだ。ここは江戸下谷の長屋という設定だった。
 私は、原作にもない日常茶飯事的な風景を面白く思って観ていたが、こうした場面をなぜこれほどまで大きく扱うのか、内心少し疑問に思わなくもなかった。しかし、加藤泰はどうしてもこれを描きたかったのだろう。描きたいから描く。描かないわけにはいかない。そういうことなのだろう。
 『濡れ髪二刀流』で、源氏九郎が亡くなった大坪左源太(清川荘司)の家を訪ね、長屋のみんなが集まって、故人の思い出話をする場面がある。夫婦喧嘩を仲裁してくれたとか、かぼちゃが嫌いだったとか、そういうセリフを住人に語らせたのも加藤泰らしさと言えるだろう。映画の中ではファーストシーンにだけ登場し、斬られて死んだ左源太という浪人が実はどういう人間だったのか、あえて補おうとした。彼が真面目な善人だったとフォローしてやらなければ、あえなく果てた彼も決して浮ばれないだろうと加藤泰が思っていたかどうか。それは私には分からない。が、加藤泰の人間を見るやさしさが現れていたのではないかと思う。
 長屋のセットも凝っていた。とくに家の外の様子がきちんと描かれていた。画面では、奥の方まで丁寧すぎるほど点景を添えていた。竹馬に乗って遊んでいる子供もいた。犬もいた。わざわざ女たちの井戸端会議の場面を加えたり、雨が降って来て洗濯物をしまいこむ女たちの情景なんか、短いカットではあったが、挿入していた。
 『濡れ髪二刀流』を観ていると、源氏九郎は「掃き溜めに鶴」といった印象を受ける。九郎が全身真っ白の衣装のままで、汚い貧乏長屋に逗留するのだから、違和感があったものの、貴種流離譚にしてはかなり変わっているなと思った。そこへまた綺麗な着物を着た織江もやって来てここへ居ついてしまう。長屋の女房の一人は、赤木春恵が扮していたが、彼女を中心に二人のことが女たちの話題の的になるところも落語のようでいかにも加藤泰らしかった。
 加藤泰という映画作家には、常に市井の人々の生活を描きたいという思いが強くあって、それを何が何でも映画の中に挿入するこだわりがあったのだと思う。彼は、チャンバラも好きだが、生活感を映画に盛り込みたいという意欲も強かった。
 加藤泰は、伊藤大輔に憧れて時代劇を作るようになった監督である。後年、『王将』で伊藤大輔の助監督をやったり、一緒に本を作ったりして(『時代劇映画の詩と真実』)、その私淑ぶりは並々ならぬほどだった。が、その一方で叔父の山中貞雄の映画にも大きな影響を受けている。加藤泰の遺作ともいうべき著書が山中貞夫論だった。
 加藤泰の映画を観ていると、伊藤大輔のような過激な反逆精神や痛烈な批判性は薄く、むしろ人間愛護的なやさしさを私は感じる。悪を完膚なきまでに暴いたり、悪人に対し怒りに燃えて懲罰するような厳しさは、彼の映画には感じない。小悪党はたくさん出てくるが、結構人間的である。悪の権化みたいな大物は登場しない。彼の映画には山中貞雄的な人間観と作風が溢れているように思う。人間の暮らしぶりから等身大の人間を描こうとするわけである。だから、悪党でも性善説的な見方で描くことになる。彼は東映時代劇の勧善懲悪的なストーリーのようにパターン化した悪役は描きたくなかったのだろう。『濡れ髪二刀流』には、悪役として磐城屋という豪商(佐々木孝丸)とその番頭・狐小僧(三島雅夫)が出てくるが、それほど悪いヤツでもない。老中(小沢栄太郎)とその一派も何を企んでいるのかよく分からず、悪の中心であるはずのこの老中も何だかちっぽけな男に見えてならなかった。
 加藤泰の映画は、東映時代劇の中では異端視されていた。東映幹部の受けも悪かったようだ。が、それは、『源氏九郎颯爽記』のような貴種流離譚を映画化するにしても、定式化した単純な娯楽時代劇のようには映画を作らなかったためである。その点、加藤泰は天邪鬼であった。
 描いたいものを描くということにかけて、加藤泰は頑固一徹であった。第二作『白狐二刀流』は、第一作のそうした傾向をさらに押し進めたのだと思う。(つづく)