錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『源氏九郎颯爽記』(その十二)

2007-12-05 14:15:10 | 源氏九郎颯爽記・剣は知っていた
 柴田錬三郎の『源氏九郎颯爽記』には、正編と続編がある。講談社文庫にその二冊(1980年と1981年初版)があって、続編の方は、『秘剣揚羽蝶』がタイトルで「源氏九郎颯爽記」が副題になっている。が、現在は二冊とも絶版のようだ。ただ、講談社文庫には、正編の補足とも言える二章分が欠けているので、不完全である。それは、映画で言うと、加藤泰監督の第二作が下敷きにした「白狐二刀流」と「終景」という章で、内容的には、源氏九郎が福原揚羽の院のある孤島を訪ねた後の話だが、これは兵庫の町が舞台でそれまでの正編とは独立したストーリーになっている。だから、この二章は正編に欠けていても問題はない。しかし、加藤泰監督の第二作を原作と比較してみたいと思う時には、講談社文庫にはその部分がないので、不都合である。
 『源氏九郎颯爽記』の文庫本にはあと二種類、春陽堂版(1972年初版)と集英社版(1994年初版で二冊)がある。やはりどちらも絶版である。私は集英社版を持っていないが、春陽堂の文庫本は、正編と続編、それに講談社文庫では欠けている二章も入っている。ただし、二段組で活字が小さく、私のような老眼の者には読みにくい。それに全部を一冊にまとめている本なので、本文が510ページもあって大変部厚い。
 『源氏九郎颯爽記』は、月刊誌の「面白倶楽部」に1957年に連載され、一応完結して、同年光文社より単行本が発行された。その後、他の雑誌(「週刊平凡」など)に源氏九郎を主人公とする短編のシリーズが五編書き継がれたようだ。「白狐二刀流」(「終景」を含む)、「花の幻」「秘剣の宴」「夢の舞曲」「血汐櫛」である。そして、「花の幻」以降が続編となってまとめられた。

 錦之助の「源氏九郎シリーズ」の第三作『秘剣揚羽の蝶』は、『源氏九郎颯爽記』の続編の第一章「花の幻」を伊藤大輔が脚色し監督した映画であった。
 伊藤大輔と言えば、時代劇映画の巨匠として、時代小説家たちからも一目も二目も置かれる存在だった。丹下左膳が登場する『新大岡政談』の原作者林不忘は、伊藤大輔と大河内伝次郎のコンビが連作する映画を観て唖然とし、新聞の連載が書きづらくなってしまったという。あまりにも鮮烈な丹下左膳のイメージを作り上げてしまったからだそうだ。なにしろ伊藤大輔は強烈な個性の持ち主であり、反逆精神と反権威主義の塊のような映画作家である。原作を換骨奪胎し、常に自分の個性を前面に打ち出した過激な映画を作っていたので、原作者には敬遠されていたほどである。柴田錬三郎がどうだったかは知らないが、大正6年生まれの柴錬にとって伊藤大輔は時代劇の大先輩であり、きっと少年の頃彼の映画を観て感動した体験を持っていただろうから、巨匠が自分の原作を映画化してくれることを喜んだにちがいない。伊藤大輔の談話によると東映の企画者に彼は「煮て食おうが焼いて食おうが好きなように料理してよい」と言われたそうだ。これはもしかすると柴田錬三郎自身の言葉であったかもしれない。
 この映画も、伊藤大輔は原作を大幅に変更している。これは私の正直な感想であるが、原作の「花の幻」の章よりも映画の方がずっと内容が深まったと思う。ストーリーは複雑で多少難解になったことは確かである。しかし、源氏九郎のカッコ良いイメージは崩さずに、貴賎さまざまな人物を登場させ、その人間絵図を躍動的に描いていた。さすが伊藤大輔である。(つづく)