その9日後の11月20日、午後から石松の最期の場面が撮影されることになった。20日は奇しくも錦之助の24歳の誕生日であった。たまたまスケジュールの都合でそうなったのだが、誕生日と石松役の自分が殺される日が同じ日に当たってしまったのだ。
これもなにかの因縁であるし、役者冥利に尽きることなのかもしれない。そう思うと錦之助は、石松は壮絶に死ぬが、自分は役者として生まれ変われるような気もした。
この日は午前中に『七つの誓い』のロケ撮影が予定されていた。
この一ヶ月、錦之助は2本掛け持ちをずっと続けていた。途中で風邪を引き、熱を出してダウンしそうにもなった。喉が腫れて、声がかすれ、セリフがうまく言えない時もあった。それでも錦之助は持ち前の気力で、なんとか乗り越えてきた。しかし、疲労はピークに達していた。昨日は珍しく撮影が定時の5時に終ったのだが、ぐったりして、自分の身体でないように感じ、寒気もした。錦之助はすぐに東山の自宅へ帰り、軽い夕食を済ますと、布団にもぐり込んだ。すぐに眠ったので、たっぷり睡眠をとることができた。
錦之助は、午前6時に起床し朝食を済ますと、庭へ出て、空の様子を見た。朝ぼらけの東の空に雲はあるが、雨にはなりそうにない天気模様である。ロケ撮影は大丈夫だろう。錦之助は庭に祀った狸谷の不動様に、今日一日の無事を祈願した。
迎えの車で7時に撮影所に着くと、俳優会館の自室に入り、すぐに『七つの誓い』の五郎のメークアップにかかった。カツラをつけ衣裳を着るまでの仕度に約1時間。午前8時、ロケバスに乗って、近場の梅の宮(京都市右京区)へ向かった。
午前中に数カット撮って終了するはずであったが、あいにくの曇天で1カットしか撮れず、昼休みにいったん撮影所に帰り、午後再びロケ地へ行き、撮影を続行。撮り残したカットを終えると、錦之助はまた撮影所へ戻った。
いよいよ午後3時から『任侠清水港』の閻魔堂前での石松殺しの場のセット撮影である。
錦之助は自室の鏡の前で五郎から石松へ早変わりした。メークアップをし直し、髷の崩れたカツラをかぶり、左目をつぶし、そして、傷を負った左の肩口と右足にちぎった晒(さらし)を巻き、血に染まった市松模様の単衣(ひとえ)を着た。最後に腰に長ドスを差すと、杖にしている竹の棒を持ち、第11ステージのセットへ入った。
第11ステージは10月末に完成したばかりの500坪に及ぶ最も大きなステージであるが、灌木が雑然と立ち並ぶ林道が作られ、中央にはぽつんと閻魔堂が建てられてあった。セットでは午前中から都鳥の兄弟と久六の子分たちが石松を捜し歩くカットが撮り続けられ、さきほど、閻魔堂の前で都鳥の常吉(月形哲之介)、兼吉(富田仲次郎)、金次(清川荘司)が石松の悪口を言うバストショットを済ませ、同じシーンで石松の登場しないカットはすべて撮り終えていた。
錦之助が「おはようございます」と挨拶して中へ入ると、監督の松田定次をはじめスタッフも役者も錦之助が来るのを待ち構えているところだった。みんな今日が錦之助の誕生日であることを知っていたので、口々に「おめでとう」と言って祝福した。
錦之助は松田監督のいる中央の閻魔堂の前まで来ると、
「監督、そしてみなさん、ありがとう! きょうはホントに死ぬ気でがんばりますのでよろしく!」と言った。
それを受けて松田監督が周りに集まったスタッフに向かって、
「じゃ、早速始めましょう。石松が向こうから閻魔堂の前へやって来て、追手の気配を感じ、お堂へ身を隠そうとするところから行きます」と言い、撮影が始まった。
これもなにかの因縁であるし、役者冥利に尽きることなのかもしれない。そう思うと錦之助は、石松は壮絶に死ぬが、自分は役者として生まれ変われるような気もした。
この日は午前中に『七つの誓い』のロケ撮影が予定されていた。
この一ヶ月、錦之助は2本掛け持ちをずっと続けていた。途中で風邪を引き、熱を出してダウンしそうにもなった。喉が腫れて、声がかすれ、セリフがうまく言えない時もあった。それでも錦之助は持ち前の気力で、なんとか乗り越えてきた。しかし、疲労はピークに達していた。昨日は珍しく撮影が定時の5時に終ったのだが、ぐったりして、自分の身体でないように感じ、寒気もした。錦之助はすぐに東山の自宅へ帰り、軽い夕食を済ますと、布団にもぐり込んだ。すぐに眠ったので、たっぷり睡眠をとることができた。
錦之助は、午前6時に起床し朝食を済ますと、庭へ出て、空の様子を見た。朝ぼらけの東の空に雲はあるが、雨にはなりそうにない天気模様である。ロケ撮影は大丈夫だろう。錦之助は庭に祀った狸谷の不動様に、今日一日の無事を祈願した。
迎えの車で7時に撮影所に着くと、俳優会館の自室に入り、すぐに『七つの誓い』の五郎のメークアップにかかった。カツラをつけ衣裳を着るまでの仕度に約1時間。午前8時、ロケバスに乗って、近場の梅の宮(京都市右京区)へ向かった。
午前中に数カット撮って終了するはずであったが、あいにくの曇天で1カットしか撮れず、昼休みにいったん撮影所に帰り、午後再びロケ地へ行き、撮影を続行。撮り残したカットを終えると、錦之助はまた撮影所へ戻った。
いよいよ午後3時から『任侠清水港』の閻魔堂前での石松殺しの場のセット撮影である。
錦之助は自室の鏡の前で五郎から石松へ早変わりした。メークアップをし直し、髷の崩れたカツラをかぶり、左目をつぶし、そして、傷を負った左の肩口と右足にちぎった晒(さらし)を巻き、血に染まった市松模様の単衣(ひとえ)を着た。最後に腰に長ドスを差すと、杖にしている竹の棒を持ち、第11ステージのセットへ入った。
第11ステージは10月末に完成したばかりの500坪に及ぶ最も大きなステージであるが、灌木が雑然と立ち並ぶ林道が作られ、中央にはぽつんと閻魔堂が建てられてあった。セットでは午前中から都鳥の兄弟と久六の子分たちが石松を捜し歩くカットが撮り続けられ、さきほど、閻魔堂の前で都鳥の常吉(月形哲之介)、兼吉(富田仲次郎)、金次(清川荘司)が石松の悪口を言うバストショットを済ませ、同じシーンで石松の登場しないカットはすべて撮り終えていた。
錦之助が「おはようございます」と挨拶して中へ入ると、監督の松田定次をはじめスタッフも役者も錦之助が来るのを待ち構えているところだった。みんな今日が錦之助の誕生日であることを知っていたので、口々に「おめでとう」と言って祝福した。
錦之助は松田監督のいる中央の閻魔堂の前まで来ると、
「監督、そしてみなさん、ありがとう! きょうはホントに死ぬ気でがんばりますのでよろしく!」と言った。
それを受けて松田監督が周りに集まったスタッフに向かって、
「じゃ、早速始めましょう。石松が向こうから閻魔堂の前へやって来て、追手の気配を感じ、お堂へ身を隠そうとするところから行きます」と言い、撮影が始まった。