錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『尻啖え孫市』を観る

2010-04-07 01:04:05 | 戦国武将
 今日は、新文芸坐で錦之助主演の『尻啖え孫市』を観てきた。映画館では以前二度、ビデオでも二度観ているが、ずいぶん長い間観ていない感じがする。今やっている新文芸坐の特集は「映画の中の日本文学」というタイトルで、今日は司馬遼太郎原作の2本を上映。もう一本は篠田正浩監督の『暗殺』である。
 2時すぎに行くと、ロビーに錦之助ファンの会の方が5名ほど来ていたので、声をかける。藤沢のTさんと練馬のSさん姉妹、平塚のGさん、川越のTさん、愛知の倭錦さん。TさんとSさん姉妹は、午前中新宿のバルトで『千姫と秀頼』を観てきたとのこと。みんな、今日は錦ちゃんの映画が観られるとあって、心が弾んでいる。5月末にファンの会のつどいを催すことを伝えると、「なにがなんでも参加します」「ほんと楽しみだわ」といった返事。錦ちゃんファンは純粋で、相変わらずノリがいい。
 ロビーで新文芸坐の顧問(元支配人)の永田さんと軽くおしゃべりする。「また、錦ちゃん特集やるんだって?」「ええ、よろしく。要望が多いんですよ」「今日もファン会の人、みえてますな」「10人以上は来ると思いますよ」
 館内に入ると、いつもよりお客さんが多い。6割以上の入りである。先週金曜日に松本清張原作の『黒い画集』を2本観に来た時は、4割程度だった。今日は錦ちゃんの人気と司馬遼太郎の人気の両方であろう。
 『尻啖え孫市』が始まる。カラーなのに、相当褪色している。フィルムもところどころ切れている。こりゃー、ニュープリントにしないとダメだなあと思いながら観る。この映画、東映ではなく、大映作品である。で、現在は角川映画がフィルムを持っている。角川映画は、「雷蔵祭」(「大雷蔵祭」と「大」の字を付けるのはやめてもらいたい!)で雷蔵主演作のニュープリントをたくさん作ったが、錦ちゃんのこの映画がニュープリントになるのはいつのことやら?可能性がないような気もする。
 さて、『尻啖え孫市』の感想。前半は面白いが、後半は腰砕けで、山場がないままに終わってしまう。前半は、錦ちゃんと賀津雄さんの掛け合いが楽しい。中村賀津雄の木下藤吉郎は、『風雲児織田信長』でも良かったが、この映画でも良い。それと、藤吉郎の妻ねねをやった梓英子が可愛い。彼女は前半にちょっと顔見世程度に出てくるが、これで終わりで、あとはまったく登場しないのが不満。勝新太郎の信長は、どうも品がない。あの不精ヒゲはやめてもらいたい。うすぎたなくて見ていられない。日焼けして脂ぎった顔も、信長らしくない。勝新は、柴田勝家か加藤清正あたりがいいところだろう。ところで、錦之助の孫市だが、どうしても違和感がぬぐえない。大映での映画製作に錦之助が不慣れだった点も大きいが、三隅研次監督も錦之助を生かしきれなかったようだ。この映画の孫市は、もともと市川雷蔵が演じるはずだったのだが、雷蔵が亡くなったので、錦之助が代演することになったと聞く。孫市という役柄を錦之助はずいぶん工夫して演じているが、どうも芝居っぽさが目立って、錦之助の素の良さが出ていない。喜劇的な面をもっと前面に出せば良いのにと思う。錦之助が吹っ切れていないから、観ていても東映時代の錦之助映画のようにスカッとしない。孫市の豪放磊落さは出ている。が、その変態ぶりの表し方が足りない。これは、錦之助の責任ではなく、演出の三隅研次の問題だったと思う。孫市が次々に女の着物の裾をめくって足を見るのは、「足フェチ」だからだ。清水寺の法会で、とある高貴な女性の足の美しさに一目惚れして、その女をずっと探し求めているほどの偏執狂である。「足の指の爪が桜色だった」というが、後半で登場するその女は栗原小巻で、彼女の足(小巻の足かどうかは不明)が映し出されるが、足の形も悪いし、ちっとも美しくない。指の爪も桜色ではない。この頃の栗原小巻は、全盛期だったと思うが、今観ると、こういうお姫様役はどうかと思う。錦ちゃんの相手役としても合わないと感じる。彼女は、流れ弾に当たって急に死んでしまうが、描き方が雑で、観ているほうはまったく感情移入できない。後半は、話があまりにも短兵急で、石上本願寺の信徒と信長との抗争も全然描けていないし、石山合戦のシーンもないまま、あれっと思ったら終わってしまった。本郷功次郎の坊主はどうなったのか、孫市の親父の志村喬はどうなったのか、訳も分からず、最後は、クレジットが出て、雑賀孫市は8年にわたり信長が死ぬまでその天下取りを阻止したという説明で一巻の終わり。これでは納得がいかない。
 蛇足かもしれないが、錦ちゃんはクレー射撃をやっていただけあって、鉄砲の構え方、狙い方がいい。後半、海辺で錦ちゃんが魚をさばいて刺身にする場面があり、これをロングショットの長回しで撮っていたが、真剣に魚をさばいている姿がほほえましかった。あと、槍を使っての錦ちゃんの立ち回りは珍しいが、これがカッコ良く、見事だった。


『徳川家康』(その3 有馬稲子と錦之助)

2006-09-03 08:34:11 | 戦国武将

 『徳川家康』のクレジット・タイトルを見ると、出演者では、中村錦之助の名前がまず最初に出る。次が、北大路欣也で、あとはずっと複数の名前が並んで、いちばん最後に一人有馬稲子の名前が出る。つまり、キャスティングから言うと、信長を演じた錦之助と家康の母・於大(おだい)を演じた有馬稲子が主演ということになる。
 が、もちろん、この映画は、そのタイトル通り、徳川家康が主人公である。正しくは、家康の幼少年期が話の中心なので、松平竹千代が主人公である。そこで、竹千代を演じる子役が三人登場するのだが、二番目と三番目の子役は演技が大変上手で、この二人が出る場面は彼らが主役と言っても良い。そして、竹千代が元服し、松平元信を名乗るようになって初めて北大路欣也が登場する。後半の後半からだ。 これは、前回も書いたことだが、『徳川家康』という映画は、出演者がみな熱演しているため、シーンごとに主役が替わっていくようにも見える。
 出演者のことを書き出したらキリがない。家康の父・松平広忠に扮した田村高廣、松平家の重臣の清水元、家来の後家で汚れ役を演じた桜町弘子、そして今川義元の西村晃と木下藤吉郎の山本圭などは、特に印象に残った。北大路欣也も凛々しい若武者ぶりで、若き日の徳川家康がこれほどカッコ良くていいのかと感じるほどだった。

 ここでは特に私の好きな有馬稲子と錦之助について書いてみたい。
 話は飛ぶが、有馬稲子と錦之助が共演した映画は、『徳川家康』を含め、三作ある。他の二作は、二人が初共演して婚約にまでいたった『浪花の恋の物語』(昭和34年)、七話あるオムニバスの第四話で有馬稲子が錦之助の妻を演じた『武士道残酷物語』(昭和38年)である。本当の意味で二人の共演作は『浪花の恋の物語』だけであろうが、『徳川家康』は二人が一緒に演じた場面こそ少ないが(確か2シーンだけ)、映画を観終わった時の印象では、有馬稲子も、錦之助に負けないほど引き立って見えた。まあ、こんなことは、映画とは関係ないが、『徳川家康』(昭和40年正月公開)で共演した後、1年も経たないうちに二人は離婚してしまう(昭和40年7月)。錦之助も有馬稲子も大好きだった私はそのニュースを聞いて少なからずショックを受けた。実を言うと、有馬稲子という女優ことを、錦之助と結婚してから私は知り、彼女の写真を雑誌で見ては、美しい女優だなーと思っていたが、映画で有馬稲子を観たのは『徳川家康』が初めてだった。そして、この映画を観て私はこの女優がすっかり気に入ってしまった。錦之助と離婚後、残念ながら有馬稲子はずっと映画に出演しなかったと思うが、吉田喜重監督の『告白的女優論』(昭和46年)で久しぶりに彼女を見た。が、その時は失望したのを覚えている。こんなはずはないと思い、それから何本か彼女の古い映画を観た。小津監督の『彼岸花』『東京暮色』、松本清張原作の『ゼロの焦点』『波の塔』、田坂具隆監督の『はだかっ子』、今井正監督の『夜の鼓』などである。どれも錦之助と結婚する前の作品で、映画女優として輝いていた頃の有馬稲子だった。



 話を『徳川家康』に戻そう。この映画で於大を演じた有馬稲子は何しろ美しい。悲しみを湛えた情感のある美しさとでも言おうか。崩れそうな気持ちを武将の娘の気丈さで支えている。そんな女の魅力である。小学六年の昔感じた気持ちは、五十歳を過ぎた今も変わらない。舟に乗って輿入れするファースト・シーンの回想場面で、嫁入り前の於大が登場する。病床の父親の前で嫁いで行く決意を述べる於大の有馬稲子はやや若作りだが、束髪に飾りを付け、朱色の着物をまとった姿があでやかで、目に焼きつく。労咳で血を吐く夫(田村高廣)の口に自らの口をつけ、血を吸い取る場面の有馬稲子の表情はなぜか悩殺的である。夫に離縁され、実家に戻れず、そのまま織田家に連れて行かれ、新しい夫をあてがわれた時の有馬稲子の涙ぐむ表情も良い。竹千代の無事を祈願するため熱田神宮に詣でた時、境内で吉法師(信長)に出会うのだが、錦之助と有馬稲子のこの場面はさすがに引き付けられる。吉法師に案内されて、於大が成長したわが子竹千代を庭先から覗き見る場面は感動的だった。この時、竹千代の作った金の折鶴を、吉法師から於大はもらうのだが、竹千代を殺さないと吉法師から約束された時の感謝と安堵の気持ちが混じった於大の表情も良かった。映画の後半で、この折鶴が母と子を結ぶ絆を象徴する重要なモチーフとなる。有馬稲子がこの金の折鶴を手にのせて、眺めるシーンも思い入れたっぷりで素晴らしかった。
 
 最後になってしまったが、この映画で錦之助が演じた信長の印象を述べておこう。貫禄があって、人を威圧するような雰囲気が漂う畏れ多い信長とでも言おうか。自信に満ち、もう天下を取ってしまったような信長だった。安土城の天守閣に立たせてもサマになる信長で、どうせならこのまま本能寺の変まで信長を演じきってほしかった、と思うのは私だけではあるまい。
 錦之助の目の演技がすごい。眼技(がんぎ)という言葉があるが、この映画の錦之助の目の演技はまさにそれである。らんらんとした眼光に、突き刺すような鋭さと未来を見据えたような輝きがある。敵を射止めんとする強い意志と生死を賭けて戦いに臨む決然たる覚悟がこもっている。桶狭間の戦いに出陣しようとする時の錦之助の信長の姿は、観ている者が息を飲むほどの迫力があった。それは若さの迫力ではない。壮年の充実した迫力である。この時錦之助はまだ32歳なのに。観ていると、40歳くらいの印象を覚える。
 出陣前に「敦盛」を舞う信長は、天下を取る風格が体全体に溢れていた。薄い黄色の着物に黒い袴をはき、天守閣から階段を降りて黒塗りの板の間で力強く「敦盛」を舞う錦之助には見惚れてしまう。
 この映画で、錦之助は何度も衣装を替える。桶狭間の戦いを前にした信長だけで四度も違う着物をまとって登場する。初めは、模様の入った銀ねずみ色の着物、次が紺色に近い青い着物、そして薄い黄色の着物で、最後の出陣の時には黒い着物だった。有馬稲子の衣替えも多く、二人の豪華絢爛な衣装比べも、この映画の見どころだった。



『徳川家康』(その1 私の中のこの一作)

2006-08-26 04:42:39 | 戦国武将

 『徳川家康』は、封切りの時映画館で観た。その時私は小学6年生だったが、ものすごい感動を受けた。それがなぜかは分からなかった。ただその感動の大きさに打ちのめされた。そして、この映画の何が12歳の私に感動を与えたのかについて考えもせずに、その後ずっと、邦画洋画を問わずに多くの映画を観続けてきた。今私はここで「錦之助ざんまい」というブログの記事を書いているが、錦之助の映画ばかりを観てきたのではない。幼少の頃はそうだったが、自我に目覚め始めた頃以来長い間、映画ファンだった。封切りの映画も古い映画も、観たいと思った映画は出来るだけ観てきたと思う。
 時代劇で言えば、もちろん黒澤明の大作も溝口健二の名作と呼ばれる映画も、全盛期の東映時代劇も大映時代劇も独立プロの時代劇も、70年代後半から製作が始まった新しいスペクタクル時代劇も、一応評判となった時代劇映画は、映画館で観たりビデオを借りたり買ったりして、観てきたつもりである。そのほとんどは戦後の映画で、戦前に作られた時代劇映画で観たものは数少ないことだけはお断りしておくが、40年前から10年ごとに新に観た映画も加えて、自分の中で時代劇映画ベスト作品を選ぶと、いつも『徳川家康』が第一位なのだった。たとえば、黒澤明の『七人の侍』や『用心棒』と比べてみても、『徳川家康』の方が私の中では上位に来る。溝口健二の『雨月物語』や『山椒大夫』と比べるのは無理かもしれないが、それでも『徳川家康』の方が私の中では評価が高い。

 『徳川家康』は、伊藤大輔監督入魂の力作だったと思う。この映画は昭和40年の正月に公開されたが、この頃すでに衰退していた東映時代劇にとっても、いわば落日の最後の輝きを放った大作だった。
 原作は、言うまでもなく山岡荘八の『徳川家康』である。著者が昭和25年に新聞紙上で連載を始めてから18年もかかって完成したこの大部の歴史小説(講談社版全14巻)は、「経営者のバイブル」とも言われ、昭和30年代の大ベストセラーだった。(私は若い頃読みかけたが途中で投げてしまった。)
 それに対し、映画『徳川家康』は原作の三分の一弱を描いたものに過ぎなかった。(続編を製作するつもりだったかもしれない。)映画は、家康の誕生から、幼少時の人質時代、駿府の今川家での少年時代と元服後の時代(家康の「忍従の時代」)、そして、桶狭間の戦いで信長が今川義元を滅ぼしてから、若き家康が今川方を離れ、岡崎城を取り戻すまでで終わっている。
 この映画は、例のごとく原作に忠実ではない伊藤大輔独特の脚本だったこともあって、公開された当時は、やや期待外れに感じた観客が多かったようである。信長を演じた錦之助の出番もそれほど多くなかった。(確かに、前半では信長がなかなか登場しないので、錦之助ファンは苛立ったことだろう。後半のラスト近く、桶狭間の戦いあたりで錦之助最高の信長が見られるが…。)そんなこともあってか、小説の愛読者や錦之助ファンには、この映画の評判はあまりかんばしくなかった。

 今『徳川家康』という映画を観ると、時代劇映画の起死回生にかけた伊藤監督のすさまじい気迫というものをひしひしと感じることができる。(『柳生一族の陰謀』など、その比ではない!)一つ一つの場面が張り詰めていて、濃密なのである。この映画は、内容構成が秀でている。中身の濃い場面と場面が緊密につながり合い、戦国乱世の緊迫した人間ドラマを展開していく。私はこの映画をビデオで観返すたびに感動を新たにしている。時代劇映画の醍醐味というものを十二分に味わえるのだ。
 俳優一人一人の演技からも過剰なまでの意気込みが伝わってくる。信長を演じた錦之助はもちろん、家康の母親役の有馬稲子も素晴らしい。父親役の田村高廣も、家康の三人の子役も北大路欣也も、家来の妻で後家役の桜町弘子も、今川義元の西村晃も、出演俳優全員が熱演している。この映画には様々な人物が次から次へと出てくる。主役が何人もいるような映画なのだが、うねるようなドラマの中で緊密に関係し合っているため、人物一人一人に真実味がこもり、彼らが生き生きと躍動している。だから、シーンごとにその人物が主役に見えるのだろう。これは、まさに俳優冥利に尽きる映画だったとも言えよう。(つづく)



『千姫と秀頼』

2006-05-02 10:40:23 | 戦国武将

 美空ひばりのお姫様役というのは、どうもいただけない。柄に合わない感じがする。ひばりは、時代劇なら、がらっぱちの町人娘とか、きかなん気な武家娘の方が格段に優る。この映画でひばりが演じた千姫のようなヒロインは、正直言って、似合わないなと思った。
 錦之助の豊臣秀頼役は、凛々しくて良かった。この頃の錦之助にしてみれば、ちょっと力を出せば、この程度は当たり前といった演技である。ただ、秀頼の登場するのは、この映画の最初の20分、大阪城落城のシーンだけで、すぐに死んでしまい、がっかりした。錦之助は、ひばりの映画に友情出演しただけだったのだろう。回想シーンでもいいから、後半のところどころで錦之助の秀頼が出てきてほしかった。幽霊にしてでもいいから、出せよ!と思った。これじゃ、『千姫と秀頼』というタイトルに偽りあり、ではないか!ひばりと錦之助が共演することを楽しみして映画を観たファンはきっと怒ったにちがいない。錦之助ファンなら、「金返せ」と叫んだことだろう。
 映画の出来が素晴らしければ、それでも納得したかもしれない。が、この映画、とても褒められた作品ではない。脚本も不出来だった。監督はマキノ雅弘だが、なんだかひばり親娘に振り回されて作ったような感じで、とんだやっつけ仕事、とても名作と呼べるレベルではなかった。映画スターが自己主張しすぎると、こうした失敗作が生まれるのであろう。

 『千姫と秀頼』(1962年)を観ていて、描き方がまずいなと感じたところがいくつもある。たとえば、落城寸前の大阪城で、とわの別れを惜しんでいる秀頼と千姫の間に、急に気がふれたような淀君(沢村貞子)が現れ、嫁いびりをする場面があったが、まるで取って付けたようで、わざとらしかった。豊臣家滅亡の間際になって、こんなことがあるはずがない。千姫が「自分は最後まで秀頼の妻、豊臣家の女です」みたいな言葉を言って、感極まったかと思えば、突然場面が転じ、坂崎出羽守(平幹二朗)が城になだれ込む。その時、千姫は気絶したのか、倒れていて、城の中でまだ自害もしていない秀頼が敵将坂崎に対面し、千姫を救うように頼む。ここもおかしいなと思った。原作は知らないが、作り話にしても、あまりに不自然である。千姫は幼少の頃人質として秀頼に嫁いだ家康の孫娘だが、千姫を救えと叫ぶ家康(東野栄治郎)と救った後の家康の、その態度や気持ちが不可解だった。徳川家に戻されてからの千姫を中心としたストーリーは、支離滅裂に近く、何を描きたいのか、まるでつかめなかった。美空ひばりは、精一杯美しく撮ってもらっていたが、悲劇の美しいヒロインとは程遠く、うまく見せようとする衒いばかりが目に付いた。千姫の心の葛藤も、狂気も、復讐心も、まったく表現できず、形だけの演技で終わっているのだ。この映画、ともかくお薦めできない。最後の方で、突然高倉健(片桐隼人とかいう役)が出てくるが、この頃の健さんは暗中模索、スターの片鱗すらも感じられなかった。


『本覚坊遺文 千利休』

2006-04-19 05:42:12 | 戦国武将

 『本覚坊遺文 千利休』(1989年)は、錦之助が出演した最後の映画だった。いや、錦之助ではなく、萬屋錦之介の最後の映画だったと言うべきだろう。このとき、錦之介56歳、亡くなる8年前であった。主役の本覚坊(利休の弟子)は奥田瑛二、千利休が三船敏郎で、錦之介は織田有楽斎(織田信長の弟)を演じていた。原作井上靖、脚本依田義賢、監督熊井啓である。依田義賢と言えば巨匠溝口健二の数々の名作のシナリオライターである。熊井啓は、私の好きな監督の一人で、『忍ぶ川』『海と毒薬』『サンダカン八番娼館 望郷』などの傑作を残している。撮影栃沢正夫、美術木村威夫、音楽松村禎三も名スタッフである。
 それで、この映画、どうだったかと言うと、正直言って、何を訴えようとしているのか分からないというのが私の感想だった。この作品は娯楽映画ではない。明らかに芸術映画を目指して作った作品である。画面も美しい。音楽も素晴らしい。奥田瑛二もさりげないが最高の演技をしている。錦之介も巧みで癖はあるが見事な演技である。三船も武士のような利休だが、威厳があって良い。その他、俳優陣(男優ばかりだった)は、上条恒彦も加藤剛も芦田伸介も内藤武敏も皆良かった。それで、映画を観て感動したかというと、ノーと首を振らざるをえないのである。映画の中に引き込まれないまま、見終わってしまったのだ。傍観者のように客観的に画面を眺め、美しい映像だなーと感心し、俳優のセリフを聴き、演技を眺めて、うまいなーと感服し、回想シーンが錯綜するストーリーにもしっかり付いて行き、途中で長い映画だなーと思い、それでも我慢して見続けていたら、終わってしまった。

 翌日、この映画をまた観た。テーマは何か、この映画で脚本家と監督は何を伝えようとしているのかをもう一度確かめようと思ったからだ。まず、この映画は、推理小説の謎解きのようなストーリーである。なぜ千利休は死ななければならなかったのか、なぜ秀吉が利休に死を命じたのか、利休はどういう心境で死に赴いたのか。利休の死後27年経ってから、利休の共鳴者織田有楽斎が利休の弟子の本覚坊にこの疑問を投げかけ、二人でその答えを探り出そうとする。そして、本覚坊の回想を手がかりにして、この疑問が解明されていく。それは、戦国乱世における茶の湯の本質に根ざしていた。茶の湯というのは、武将の死への餞(はなむけ)であり、死地へ赴く武将が自らの死に対峙するのと同様に、茶の湯の道に赴く茶人も死に対峙している。利休は自らそのことを実践し、秀吉に茶人の心構えを示したのだ。二人の間にこういった結論が導き出される。有楽斎は、自決もできず茶の湯の精神をまっとうできなかった自分に対し忸怩たる思いを抱くが、ついに病に倒れる。そして、死の床で、切腹を演じ、幻の刀で本当に切腹した気になって息絶えるのだ。それを看取る本覚坊。利休や、利休の高弟たちは自決して死んだ。そして有楽斎もまがりなりにも自決の道を選んで死んだ。だが、自分はどうすればよいか。死んだ利休の幻影を追いかけていき、ここで映画は終わる。
 テーマはどうやら掴める。が、この映画によって何を訴えようとしているかが、まだ私には分からない。死に対峙する心構えを忘れた現代人に警鐘を鳴らそうとでもいうのか。戦国乱世、創生期の茶の湯の精神に帰れとでも言いたいのか。なにも映画は人に感動を与えなくともよい。しかし、観る者になにかを痛感させるインパクトがなければならない。でなければ、映画は、表現者の独白になってしまうし、何も伝わらずに終わってしまう。この映画からは、表現者が訴えかけようとする何かが(思想であれ感情であれ)、どうしても私には伝わって来なかった。

 その後私は、この映画に関する評論家の批評を探してみた。双葉十三郎の評価は四つ星(ダンゼン優秀)で最高点。(文春新書『日本映画 ぼくの300本』)しかし、コメントには何が良かったのかについて漠然としたことしか書いていない。「暗いムードの場面を基盤に重々しく古風な格調を盛ることに成功した演出も賞賛に値する。」これでは、無内容な言葉の羅列だ(耄碌じいさん!)。淀川長治も大絶賛しているわりには、下らないことしか書いていない。(河出書房新社『究極の日本映画 ベスト66』)「清水で洗うその大根の白さが目にしみる」とか、「男の花道のせい揃いの感じである」とか、「武士を知り日本を知りサムライを知らせるこの映画に私はハラキリの日本を見、事実この映画、三態の切腹をも覗かせた」なんてもう支離滅裂な文章である。こんな感じで、熱にでも浮かされた調子で、5ページにわたって長々と書いているが、淀川さんも晩年は節操がなく、外国で賞なんかもらうと(『本覚坊遺文 千利休』はベネチア映画祭で銀獅子賞を受賞したそうだ)、途端に意見を変えるから信用がならないと思った。