錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~反逆と挫折(その3)

2012-11-02 15:19:59 | 【錦之助伝】~若手歌舞伎役者時代
 明くる昭和28年、1月に三越劇場で久々に若手歌舞伎が催された。以前の青年歌舞伎を「若手歌舞伎勉強会」と改称し再スタートしようという企画であった。
 錦之助が三越青年歌舞伎で「鏡山」のお初を演じ、好評を博したのは、3年前の昭和25年12月のことだった。その後、三越劇場での歌舞伎興行は打ち切られ、若手が主体となって歌舞伎を演じる場所は消えてしまった。昭和27年から歌舞伎座で毎月一日だけ、日曜の朝に「子供かぶき教室」が催されるようになったが、これでは不十分だった。
 梨苑会公演は若手が歌舞伎をやる場を作ろうという試みであり、突破口であった。それは、歌舞伎界の旧態依然とした慣習に反旗を翻すものであり、それだけに歌舞伎界上層部からの反発も大きかったと思う。それに、若手役者だけの自主公演は予想以上に大変なことだった。各人が本興行での出演を減らした上に、会場の手配、公演の宣伝、切符の販売、それに舞台の準備など、出し物の稽古に加え、すべて自分たちでやらなければならない。小劇場での新劇とは比べものにならないほど、歌舞伎公演は資金も労力も必要だった。これに参加した役者は、多分給金を減らされた上に、松竹の上層部から睨まれ、それとなく脅されたことだろう。梨苑会の自主公演は一回だけで終ってしまったのではなかろうか。
 又五郎が座談会で掲げた目標は、歌舞伎のルネッサンスを目指し、年二回の定期公演を行うというものであったが、又五郎が代弁した青年たちの夢と理想は、現実の壁に当って、脆くも崩れ去った。彼らは、因襲的な歌舞伎界の現実の前に、打ちのめされ、挫折した。
 こんなことを言っては錦之助に悪いかと思うが、吉右衛門劇団の若者たちが草野球チームを作って、グラウンドを借り、野球の試合をするのとは、わけが違っていたのだった。

 三越劇場の若手歌舞伎は、劇場側の企画主催であった。1月7日から22日までの2週間、昼の部だけの興行で、出し物は三演目(中日から一演目追加)。主演者は、有望な若手役者たちが吉右衛門劇団、菊五郎劇団、猿之助劇団から選ばれた。彼らにとっては願ってもないことであり、錦之助もずっと待ち望んでいた公演であった。
 が、あいにくこの公演は、歌舞伎座での吉右衛門劇団の正月興行(2日~29日)とかち合っていた。プロ野球で言えば、一軍は歌舞伎座、二軍は三越劇場といった感じで、その差は歴然としていた。陽の当るのは一軍の試合で、二軍の方は日陰の練習試合である。一軍にベンチ入りして主力選手を応援するか、それとも二軍で自分が主力になって試合に出るか。それを、選択しなければならなかった。これは若手にとって苦しい選択だった。だが、錦之助は後者を選んだ。
 思うに、三越劇場の客の入りは非常に少なかったにちがいない。歌舞伎座では正月興行、新橋演舞場では菊五郎劇団の初春歌舞伎が同時に打たれ、その間に挟まってしまったからだ。結局、この公演は興行的に失敗だった。そして、三越劇場の歌舞伎公演自体、これでまた打ち切られてしまった。企画担当者が責任をとらされ、辞任したのだと思う。「歌舞伎公演データベース」によると、三越劇場の歌舞伎公演が再開されるのは、なんとその12年後、昭和40年7月になってからである。

 以下に昭和28年1月、三越劇場での若手歌舞伎の演目と主な配役を書いておく。錦之助は四演目のすべてに出演している。( )内はその役名である。
 錦之助は歌舞伎座での正月興行に夜の部の最後「紅葉狩」だけに出演しているが、それも記しておく。
 錦之助は三越劇場で四役(12日までは三役)終えると毎日夕方、日本橋の三越から木挽町の歌舞伎座へ回っていた。梅枝と慶三も同じで、三越劇場で昼の部に二役、歌舞伎座に回り夜の部に二役やっている。種太郎は変則的な掛け持ちで、出演の仕方がよく分からない。菊五郎劇団の橋蔵と尾上菊蔵は、新橋演舞場、三越劇場、夜の部にまた新橋と往復したようだ。梨苑会の指導者格の又五郎は、歌舞伎座出演だけだった。岩井半四郎は、正月からは歌舞伎を休んで、時代劇映画に出演した。新東宝の『名月赤城山』と、続いて松竹の『疾風からす隊』である。
 また、錦之助本の巻末リストによると、歌舞伎座での昼の部一番目の演目に錦之助が出演したことになっているが、データベースには錦之助の名前はない。三越劇場の公演が始まる前に出演した可能性は考えられるが、掛け持ちは無理だったと思う。(一応、演目と役名は付記しておく。)

 1月 三越劇場 若手歌舞伎勉強会
 しらぬい物語 (青柳春之助) 河竹黙阿弥作
 慶三(冬次郎・乳母秋篠)、梅枝(夏之丞)、片岡大輔(刑部)、坂東光伸(犬千代:7~10日・小文治:14~22日)、種太郎(犬千代:1~15日)、尾上菊蔵(小文治:7~13日・犬千代: 16~22日)、市川九蔵(豊後守)、ほかに市川莚若、助高屋小伝次、尾上多賀蔵、澤村源五郎
 お園六三春建前 (芸者小つな)
 橋蔵(大工六三郎)、松蔦(芸者おその)、慶三(大工与吉)、九蔵(多三郎)、小伝次(徳右衛門実は蝮の金太)、坂東薪蔵(俳諧師秀楽実は毛虫の長次)、ほかに尾上新七、尾上菊十郎、市川照蔵、坂東羽三郎、澤村藤橘
 春姿昔偲絵 (鳥の海弥三郎) 渥美清太郎作
 梅枝(烏帽子売彦六実は将軍維茂)、種太郎(郡内兵衛)、市川女之助(局信夫)、澤村藤橘(腰元陸奥)、歌五郎・種五郎・時十郎(奴)
 教草吉原雀 (女鳥売)
 *これは、光伸(男鳥売)と錦之助(女烏売)の舞踊で、大喜利として13日より追加上演された。

 1月 歌舞伎座 正月興行 吉右衛門一座、猿之助一座に、時蔵が加入。
 紅葉狩 (従者左源太) 夜の部四番
 勘三郎(更科姫)、幸四郎(平維茂)、勘弥(山神)、慶三(右源太)、団之助・源之助(局)、梅枝・歌女三郎・藤橘・源五郎・おの江ほか(侍女)
 恋女房染分手綱 通称「重の井子別れ」(侍女) 昼の部一番
 時蔵(乳人重の井)、団蔵(弥三左衛門)、高助・種太郎(近習)、秀調(局若菜)、しほみ・万之丞・時之丞ほか(腰元)
 *錦之助はこの演目には出演していないと思われる。(つづく)





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