錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~『唄しぐれ おしどり若衆』(その3)

2013-01-25 19:25:24 | 【錦之助伝】~『笛吹童子』前後
 龍之丞という役は剣の使い手だった。錦之助は脚本を読んで、チャンバラシーンがたくさんあることを知り、喜んだ。『笛吹童子』の菊丸は、侍を辞めたため、笛を吹いたり、面を彫ったりしているだけで、刀を持っていない。立ち回りは、ラストにほんのわずかにある程度である。錦之助は『ひよどり草紙』と『花吹雪御存じ七人男』で立ち回りをやったが、殺陣師(たてし)がその場で振り付け、それをすぐに覚えて行なわなければならないことに戸惑った。前もって教えてもらえば、練習してもっとうまくできるのにと感じた。映画の立ち回りは、型にはまった歌舞伎のそれとは違って、迫力と凄味が欠かせない。しかも素早く動いて、次々に相手を斬り倒していかなければならない。錦之助は運動神経には自信があった。が、前二作の自分の立ち回りは、腰高で刀を手で振り回しているところばかりが目立ち、迫力も凄味もなく不満だった。錦之助は今度こそは、と思った。

『唄しぐれ おしどり若衆』の撮影は、太秦の東映京都撮影所ではなく、京都映画の下加茂撮影所を借りて行なわれた。東映の4つしかないステージが、松田組の千恵蔵主演作『悪魔来りて笛を吹く』と萩原組の『笛吹童子』の撮影で埋まっていたからだ。下加茂撮影所は錦之助が映画デビューして2本撮った馴染みの深いスタジオだった。美空ひばりと大友柳太朗はあとから加わることになっていた。そこで錦之助の登場シーンから撮ることになった。
 錦之助は脚本をじっくり読んで、龍之丞という役柄をイメージした。彼は能楽師から剣士になった異色の人物である。変幻自在で、女の扮装もすれば、粋な着流し姿で吉原の茶屋にも出入りする。最後は御前で能楽を舞い、兄の仇討を遂げる。三上於菟吉の原作だけあって、「雪之丞変化」に通じるところがある。そこで錦之助は、セリフ回しをいっそのこと歌舞伎調にしてみたらどうかと考えた。セリフは何度か練習して、全部覚えてしまった。現場でセリフが変わらなければいいが、と錦之助は思った。映画の撮影では当日セリフが急に変わることがあり、錦之助はそれが苦手だった。覚えてきたセリフが頭から抜けずに、混乱してしまうのだ。
 撮影初日になった。吉原の茶屋で、看板娘のお澪が龍之丞のいる座敷に助けを求めて飛び込んでくる場面である。
「女相手の狼藉とは、悪旗本め、許せませぬ」
 錦之助は歌舞伎調でセリフを言った。
「ダミ、ダミ、つがうよ。もっとスゼンに!」と、監督の佐々木康の叱声が飛んだ。

 
 佐々木康

 錦之助は自分の演技プランを監督からいっぺんに否定されてしまった。歌舞伎調とは違い、もっと自然にやらないとダメだということだ。それで、監督の指示通り、普通の話し言葉のようにもう一度セリフを言った。
「ヨス。そんでエー」
 佐々木監督は人の良さそうな笑いを浮かべて言った。噂には聞いていたが、監督の東北弁の訛りはかなりひどいなと錦之助は思った。が、錦之助は監督の言っていることがはっきり解った。監督の東北弁に親しみを感じさえした。佐々木康の言葉は、かえって関西人の方が分かりにくかった。東映京都のスタッフは関西人が多く、ズーさんの言うことが意味不明でまごつくことが多かった。東京人は東北弁には慣れている。錦之助が俳優たちの間で佐々木監督の通訳を務めるようになるのは後年のことである。
 佐々木康は早撮りで有名だったが、演出は丁寧で柔軟だった。臨機応変なところもあった。

 最初の立ち回りは、花嫁に化けた龍之丞が振袖姿でやるものだった。これには錦之助も苦労した。刀を振り回すと振袖が腕にからんで、思うようにいかなかった。振袖を脱ぎ捨てたあとは、大暴れすることができた。錦之助は迫力ある立ち回りを撮ってもらおうと思い、遠慮せずに何度もテストをしてもらった。スピードがあって、流れるように相手をバッタバッタと斬り倒す立ち回りが錦之助の目指すところだった。が、この頃の錦之助は、機敏さと若さゆえの体力に任せ、がむしゃらに動き回って刀を振り回したので、斬られ役も大変だった。錦之助は、思いきり相手の足を払ったり、腕を叩きつけたり、肩を切りつけたりして、手加減を知らなかった。
 東映の殺陣師は足立伶二郎だった。そして、斬られ役たちは、東映剣会(つるぎかい)の面々だった。この映画以降ずっと、足立は、錦之助に殺陣をつけ、剣会の面々は数え切れないほど錦之助に斬られ続けた。もちろん、錦之助だけでなく東映のチャンバラスターはみな、彼らに支えられていたのだった。


 足立伶二郎

 錦之助はこの最初の立ち回りで、斬られ役に怪我をさせてしまった。藤川弘という役者で、立ち回りのカラミとしてはベテランだった。もちろん、替身(かえみ、カシの木で作った刀身に銀紙を貼ったもの)を使っての立ち回りだったが、錦之助は刀の先で彼の左手を突き刺してしまったのだ。血が噴き出してきた。錦之助は真っ青になった。彼は「大丈夫です」と言いながら手を押さえていたが、血は止まらなかった。錦之助はどうして良いか分からず、心配でそれ以上立ち回りができなくなった。それで休憩となった。
 この時のショックはなかなか消えなかった。そして、立ち回りが恐くなり、どうしても加減して刀の先が伸びなくなった。足立伶二郎がそんな錦之助を見て言葉をかけた。
「みんな覚悟してやってるんやから、そんなに気に病まんでもええよ」
 それでも錦之助は藤川に会うたびごとにあやまって、怪我の様子を尋ねた。
「錦之助さん、そんなにあやまらんでいいですよ。仕事なんだから。怪我を恐がってたら、立ち回りなんかやってられませんよ」
「だけど、ぼくのせいで……」
「いやあ、あの迫力、すごかったじゃないですか。これからも頑張ってくださいよ」
 錦之助は逆に慰められ、立ち回りがもっとうまくなるように努力しようと決心した。その後、立ち回りの撮影が終ると、錦之助は斬り倒した相手の一人一人に頭を下げて、「ありがとう」と礼を言った。



『唄しぐれ おしどり若衆』(解説)

2013-01-25 02:22:15 | おしどり若衆・いろは若衆・ふり袖月夜

 錦之助の前髪若衆・指方龍之丞

<ストーリー>
 桜降りしく春の江戸。横暴目にあまる旗本・加賀爪甚内(山茶花究)とその一党丹心組は、吉原仲之町の引手茶屋「花佐」に乗り込み、甚内が勝手に嫁と決めた看板娘のお澪(みよ)(長谷川菊子)を無理やり連れて去ろうとしていた。難を逃れ奥座敷へ逃げ込むお澪。
 そこには若衆姿の客(錦之助)がいた。


 錦之助とお澪の長谷川菊子
 龍之丞「女相手の狼藉はなりませぬ」

 しばらくすると花嫁姿のお澪が大人しく出て来て、丹心組はお澪を連れて屋敷へ立ち戻った。
 すると、花嫁姿のお澪は、実は先刻の若衆ではないか。彼は今八百八町に名も高い八ッ幡若衆と名乗る美剣士。相手の額に血の八文字を描くという不思議な剣の使い手で、元観世流能楽師春之丞(星十郎)の弟、実の名を指方龍之丞(さしかたたつのじょう)といった。
 襲いかかる丹心組をあっという間に蹴散らす龍之丞。


(花嫁衣裳をまとっていた錦之助がそれをひらりと脱ぎ捨て、ここで悪旗本たちとの立ち回り)

 その正体に気づいて逃げまどう者の一人に山田主税(加賀邦男)という旗本がいた。
(ここから回想シーン)
 三年前のことである。龍之丞の兄春之丞はお銀(朝雲照代)という女と将来の契りを結んでいたが、お銀の兄柳沢主水守(もんどのかみ)(原健策)は将軍の愛妾に妹を差し出すため、配下の山田主税と謀って、邪魔になった春之丞を殺してしまった。
 龍之丞が京で兼房流龍想剣の極意をおさめき、江戸に上ってきたのも兄の仇を討たんがためだった。
 龍之丞の出現を知った柳沢主水守は仇と目されている山田を幽閉した。
 山田には雪路(美空ひばり)と言う可愛い妹がいた。怯える兄に話を聞くと、龍之丞という剣士に狙われているのだという。雪路は、兄の代わりに龍之丞を討たんと、剣客藤沢青鬼(大友柳太朗)の道場で修業に励み、小姓姿に身を変えて江戸を捜し歩くようになる。
 
 雪路は、ようやく龍之丞に出会い、果し合いを挑むが、龍之丞にはどうしても勝てなかった。


(ひばりと錦之助の対決シーン)

 龍之丞の居所を突き止め、討とうとしても、龍之丞に組み伏せられてしまう。



 龍之丞は丹心組にも幾度となく襲われるが、常に鋭い剣によって難を免れていた。



 ある日、丹心組の加賀爪らがお澪に乱暴を働こうとしたが、茶屋の女将(西条鮎子)と懇意の藤沢青鬼(大友柳太朗)が現れてこれを防いだ。お澪は龍之丞に対しいつしか恋心を抱くようになっていた。その時そこに現れた龍之丞に対し、藤沢は彼の剣に興味を覚え試合を申し出るが、勝負は互角で決着は付かなかった。


(茶屋の女将西条鮎子、立っているのは大友)

 雪路の兄山田主税は改心し罪を償おうとするが、悪事の露見を恐れた柳沢主水守は山田を暗殺しようとした。駆け付けた雪路は、瀕死の兄の口から初めて真相を聞き、真の仇こそ柳沢であることを知るのだった。


(雪路の兄山田主税が今わの際に真相を打ち明ける)

 やがて、雪路は龍之丞を恋い慕い彼に力を添えるようになる。
 龍之丞が柳沢主水守の差し向けた旗本達に不意を襲われた時、龍之丞の窮地を救ったのは雪路であった。



 かくて、将軍御覧の能の会の日、龍之丞と雪路は能役者に扮して舞台に立つ。



 能を舞った後、面をとるや、御前で仇討を願い出る二人。藤沢青鬼にも助けられ、ついに柳沢と悪旗本の一味を滅ぼすのだった。


「龍之丞殿、雪路殿、藤沢青鬼ご助勢申す」(このあと、錦之助、ひばり、大友の大立ち回り。錦之助とひばりは能装束のままで剣を振るう)

 無事に仇討ちを済ませた龍之丞と雪路は二人揃って江戸を発っていく。(ハッピーエンド)


 
 晴れた品川沖を出航する百石船の中から、龍之丞の温かい胸に抱かれた雪路の明るい唄声が青空に漂っていた。(ここでひばりが「花のオランダ船」を歌う)
(エンドマーク)



中村錦之助伝~『唄しぐれ おしどり若衆』(その2)

2013-01-25 02:04:58 | 【錦之助伝】~『笛吹童子』前後
 佐々木康は、愛称ズーさんという。秋田県出身で、ズーズー弁をしゃべるので、そう呼ばれていた。明治41年(1908年)生まれなので、この頃40代半ばだった。マキノ光雄に誘われて東映へ移り、主に時代劇中心に現代劇のメガフォンも取っていた。松竹大船時代に万城目正とコンビを組んで歌謡映画を数々手がけたヒットメーカーであり、松竹現代劇のメロドラマも得意の監督だったが、時代劇は東映に来て初めて撮った。佐々木康は少年の頃は大のチャンバラファンで、とくに阪妻ファンだったので、チャンバラ時代劇は好きだった。が、もともと松竹キネマ育ちなので、東映京都で彼が撮った作品は独特な時代劇になった。歌あり、レビューまがいの舞踊あり、メロドラマもあって、しかもチャンバラもふんだんに取り入れた娯楽時代劇であった。
 彼は、松竹時代、美空ひばりの出演映画をすでに撮っていた。『踊る龍宮城』(昭和24年)と『陽気な渡り鳥』(昭和27年)である。東映に来て、『唄しぐれ おしどり若衆』で、ひばりと錦之助の共演作を撮ることになったが、佐々木康はこの二人のどちらからも好かれる監督になった。とくにひばりの出演する東映作品はこのあと十数本撮っている。錦之助の出演作はオールスター映画を含め、9本ある。
『唄しぐれ おしどり若衆』の音楽担当は、やはり万城目正だった。美空ひばりの初期のヒット曲「悲しき口笛」「東京キッド」「越後獅子の唄」「あの丘越えて」などの作曲も手がけ、『ひよどり草紙』の主題歌も彼の作曲だった。
 ひばりの映画といえば、歌が付きものである。『唄しぐれ おしどり若衆』でも、「母恋い扇」と「花のオランダ船」の2曲をひばりが歌う。どちらも作詞は石本美由起、作曲は万城目正だった。
 さて、映画の内容であるが、私はこの映画を見ていない。見たことのあるという錦之助ファンに話を聞いても、今はほとんど何も覚えていない。58年前に見た映画を覚えていないのは当然である。覚えているのは見たという事実と、錦之助の前髪若衆姿が美しかったということだけ。しかも、この映画は錦之助の出演作の中で現在見ることができない幻の一本でもある。
 仕方がない。データをもとに、どんな映画だったか書いておくことにしよう。

『唄しぐれ おしどり若衆』 
昭和29年5月3日封切 白黒スタンダード 94分
監督:佐々木康
原作:三上於菟吉「落花剣光録」(昭和4年)
脚本:西條照太郎、加藤泰
撮影:吉田貞次
美術:鈴木孝俊
音楽:万城目正
主題歌:「母恋い扇」 / 歌い出し「母の形見の帯しめて 踊る舞台に散る桜……」
挿入歌:「花のオランダ船」 / 歌詞一番「花の港の日暮れにともる オランダ船の吊りランプ 風に洩れくるカピタン唄は アムステルダム偲ばせる ああ偲ばせる」

配役:美空ひばり(山田雪路)、中村錦之助(指方龍之丞)、大友柳太朗(藤沢青鬼)、長谷川菊子(お澪)、西条鮎子(引手茶屋の女将お遊女)、星十郎(指方春之丞)、加賀邦男(山田主税)、原健策(柳沢主水守)、朝雲照代(お銀)、山茶花究(加賀爪甚内)、澤村國太郎(水野越前守)、堺駿二(源六)、六条奈美子(お澪の母)、高松錦之助(風笙斎)、鈴木弘子(娘あやめ)、浅野光男(将軍家慶)、香川良介(玄蔵坊)、団徳麿(藤井三助)、飯田覚三(木村喜八郎)、遠山恭二(青木平馬)


ポスター
コピー「唄と剣と人情 絢爛たる花のような魅力顔合せ」
出演者並び順 美空ひばり 中村錦之助 / 西条鮎子 長谷川菊子 朝雲照代 / 堺駿二 加賀邦男 山茶花究 原健策 沢村国太郎 / 大友柳太朗


中村錦之助伝~『唄しぐれ おしどり若衆』(その1)

2013-01-24 23:15:02 | 【錦之助伝】~『笛吹童子』前後
『笛吹童子』の第一部と第二部の出演シーンを撮り上げると、錦之助は、今度は『唄しぐれ おしどり若衆』の撮影に入った。『笛吹童子』の第三部完結篇の錦之助のシーンは、4月下旬にその合間を縫ってまたを撮影することになっている。錦之助は急に忙しくなった。4月はほぼ毎日、撮影が続きそうだ。これでやっと映画の世界にどっぷりと漬かって充実した仕事ができる。そう思うと、錦之助は嬉しくなって、よしやってやろうと意欲が湧いた。
『唄しぐれ おしどり若衆』は、美空ひばりと錦之助の共演第二作である。三上於菟吉の「落花剣光録」(昭和4年)が原作の仇討物だった。脚本は、同じ三上原作の東映作品『雪之丞変化』と同じくベテランの西條照太郎が、加藤泰と共同執筆した。企画は新芸術プロの福島通人と旗一兵で、『ひよどり草紙』と同じだったが、製作費は東映が持ち、配給も東映だった。5月のゴールデンウィークの本篇として娯楽版『笛吹童子』第二部と併映する予定になっていた。
 この映画は、美空ひばりの東映出演第一作でもあった。マキノ光雄が福島通人と会談して、新芸術プロから錦之助を借り受けると同時に、美空ひばりの東映出演の確約を取ったのだった。
 当時ひばりの他社出演料は映画1本につき250万円という高額だった。錦之助は恐らく50万円だったので、その5倍である。千代之介は月給(10万円)を別にして1本5万円だったので、ひばりはその50倍だった。この年(昭和29年)、美空ひばりは東映と年間3本の本数契約を結んだが、総額1千万円だったと言われている。マキノ光雄が「よっしゃ」と言って請合ったのだが、この金額を聞いて大川博社長は目玉をひんむいて驚いたという。そこをマキノがうまくまるめこんで、契約を取り交わしたのだが、結果的には次の年も含めて、錦之助、千代之介、橋蔵を売り出す上では、ひばりの貢献度は高く、十分採算が取れたと言えるだろう。新芸術プロにとっても専属の堺駿二、星十郎、山茶花究、そして昭和30年には大川橋蔵を東映に送り込むことができたのは大きかった。
 いちばんの誤算は錦之助だけだった。これは、『笛吹童子』と『おしどり若衆』が公開され、錦之助が一躍人気スターになった直後のことで、錦之助は新芸術プロと東映の両者から専属になってくれと話を持ちかけられ、綱引きされるように引っ張られたのである。錦之助を専属にしないで個人預かりにしていた福島通人はしまったと思ったが、後の祭りだった。結局、錦之助は絶好の条件で東映と専属契約を結んだ。錦之助自身も後年、新芸術プロが専属にしてくれなかったことが幸いしたと語っている。割を食ったのは、千代之介だった。彼は初めから東映と専属契約を結んだため、翌年になって出演料が1本10万円の倍額になったが、それでも安かった。千代之介は、ずっと東映に安い給料で酷使された。
『唄しぐれ おしどり若衆』の監督は、昭和27年夏に松竹大船から東映に移籍した佐々木康だった。



中村錦之助伝~『笛吹童子』(パート2)(その4)

2013-01-24 18:48:33 | 【錦之助伝】~『笛吹童子』前後
『笛吹童子』の撮影開始は、4月に入ってすぐのことだった。初日の朝、錦之助は頭を作り、メーキャップを済ませ、衣裳を着て、ステージに入った。『笛吹童子』第一部、錦之助の菊丸が中国人の劉先生の家の庭で、横笛を吹くシーン、笛吹童子の菊丸が初登場する重要な場面である。
 錦之助は、元気な声で「みなさん、おはようございます」と言うと、颯爽とセットの前に立った。ライティング、録音マイク、小道具の準備でちょっとざわついていた室内が一瞬静まり返った。スタッフは一斉に手を休めて、錦之助の方へ視線を向けた。声にならないどよめきが起こった。
 絵から抜け出てきたかのような白皙の美少年がそこに立っているではないか。簡素な中華服を着て、髪は後ろで巻き上げ紐で留めている。薄く紅をさした口元に微笑を浮かべ、涼やかな瞳がキラキラ輝いていた。
「錦之助さん、こっちや」という太い声がした。キャメラの前にいる監督の萩原遼だった。そばの椅子には三木滋人が腕組みをして気難しそうな顔で腰掛けている。
 錦之助は萩原監督と簡単な打ち合わせを終えると、セットの庭の中へ入った。中国人の劉先生役の水野浩とその娘で菊丸の恋人役の美山黎子が錦之助のそばへ来て、「よろしくお願いします」と挨拶した。
「あっ、こちらこそ」と錦之助は言った。
 しばらくすると「準備、オーケー? じゃあ、テストいってみよう」と萩原が指示を出した。
 錦之助は心を澄まし、遠くを見つめて笛を吹いた。


錦之助と美山黎子(彼女は錦之助の三番目の恋人役だったが、明国に置いてきたまま菊丸が迎えに行くシーンは完結篇にもなかった)

 午前中の予定のカットを撮り終えると、キャメラマンの三木滋人がセットから出て来て、感心したような口ぶりでスタッフにこう言った。
「わしも長年キャメラを覗いているけど、久しぶりに絵になる役者を撮ったよ。あいつはきっと大スターになるぞ。笑った時の眼がいいし、怒った時の眼もいい。どっちの眼もいいヤツはなかなかいないよ
 これまで数々の新人スターを撮ってきた51歳のベテラン三木滋人が錦之助を手放しで褒め、スターになることを断言したのである。三木のこの言葉は東映のスタッフ中に広まって、錦之助は噂の主人公になった。
 三木滋人はよほど錦之助が気に入ったのだろう。その後、錦之助が出演する映画でキャメラを担当すると、錦之助に少しでも早く映画の撮影に慣れさせようといろいろ指導した。俳優はもちろん、監督にさえめったに覗かせないキャメラも錦之助には覗かせた。
「錦ちゃん、ちょっと見てごらん」
「いいんですか」と言うと、錦之助はミッチェルのファインダーに右目をあてた。
「いいか。役者はキャメラのフレームの中にきちんと入らなきゃダメだよ。動いたあとでも、この中心にピタッと止まって演じるんだ。そうでないとライティングがはずれるし、顔の向きも決まらない。いい役者は5センチと違わないんだけど、何年やってもうまくないヤツがいるんだ。錦ちゃんはちゃんとキャメラを覚えなきゃいけないよ」
 錦之助がキャメラの前での演技のコツをいち早く身につけたのは、三木のお蔭だった。

『笛吹童子』で兄の萩丸役の東千代之介といっしょに撮影することになったのは、クランクインして数日後のことだった。お互いに気心が知れているので、言いたいことも言え、錦之助も千代之介も仕事が楽しくなった。



 千代之介のデビュー作『雪之丞変化』は第一部が3月31日から4月第一週に公開され、なかなかの評判をとっていた。錦之助もこの映画は京都で観て、千代之介に二役とも大胆にやっていて良かったという感想を伝えた。3月24日からの前週には錦之助が女形になって藤娘を踊る『花吹雪御存じ七人男』が新東宝系で公開されていたので、錦・千代が週替りで、スクリーンに女形で登場したわけである。それが、今度は『笛吹童子』で二人が十数歳の兄弟役を演じることになるのだから不思議なめぐり合わせだった。
 千代之介は一ヶ月にわたる『雪之丞変化』三部作の撮影で、全精力をつぎ込み、7キロ半ほど痩せた。その疲れがやっと癒えて、『笛吹童子』の撮影に加わったのだった。第一部の萩丸役の千代之介の頬がこけているのはそのせいである。しかし、錦之助と共演できるということは何よりも心強かった。