龍之丞という役は剣の使い手だった。錦之助は脚本を読んで、チャンバラシーンがたくさんあることを知り、喜んだ。『笛吹童子』の菊丸は、侍を辞めたため、笛を吹いたり、面を彫ったりしているだけで、刀を持っていない。立ち回りは、ラストにほんのわずかにある程度である。錦之助は『ひよどり草紙』と『花吹雪御存じ七人男』で立ち回りをやったが、殺陣師(たてし)がその場で振り付け、それをすぐに覚えて行なわなければならないことに戸惑った。前もって教えてもらえば、練習してもっとうまくできるのにと感じた。映画の立ち回りは、型にはまった歌舞伎のそれとは違って、迫力と凄味が欠かせない。しかも素早く動いて、次々に相手を斬り倒していかなければならない。錦之助は運動神経には自信があった。が、前二作の自分の立ち回りは、腰高で刀を手で振り回しているところばかりが目立ち、迫力も凄味もなく不満だった。錦之助は今度こそは、と思った。
『唄しぐれ おしどり若衆』の撮影は、太秦の東映京都撮影所ではなく、京都映画の下加茂撮影所を借りて行なわれた。東映の4つしかないステージが、松田組の千恵蔵主演作『悪魔来りて笛を吹く』と萩原組の『笛吹童子』の撮影で埋まっていたからだ。下加茂撮影所は錦之助が映画デビューして2本撮った馴染みの深いスタジオだった。美空ひばりと大友柳太朗はあとから加わることになっていた。そこで錦之助の登場シーンから撮ることになった。
錦之助は脚本をじっくり読んで、龍之丞という役柄をイメージした。彼は能楽師から剣士になった異色の人物である。変幻自在で、女の扮装もすれば、粋な着流し姿で吉原の茶屋にも出入りする。最後は御前で能楽を舞い、兄の仇討を遂げる。三上於菟吉の原作だけあって、「雪之丞変化」に通じるところがある。そこで錦之助は、セリフ回しをいっそのこと歌舞伎調にしてみたらどうかと考えた。セリフは何度か練習して、全部覚えてしまった。現場でセリフが変わらなければいいが、と錦之助は思った。映画の撮影では当日セリフが急に変わることがあり、錦之助はそれが苦手だった。覚えてきたセリフが頭から抜けずに、混乱してしまうのだ。
撮影初日になった。吉原の茶屋で、看板娘のお澪が龍之丞のいる座敷に助けを求めて飛び込んでくる場面である。
「女相手の狼藉とは、悪旗本め、許せませぬ」
錦之助は歌舞伎調でセリフを言った。
「ダミ、ダミ、つがうよ。もっとスゼンに!」と、監督の佐々木康の叱声が飛んだ。
佐々木康
錦之助は自分の演技プランを監督からいっぺんに否定されてしまった。歌舞伎調とは違い、もっと自然にやらないとダメだということだ。それで、監督の指示通り、普通の話し言葉のようにもう一度セリフを言った。
「ヨス。そんでエー」
佐々木監督は人の良さそうな笑いを浮かべて言った。噂には聞いていたが、監督の東北弁の訛りはかなりひどいなと錦之助は思った。が、錦之助は監督の言っていることがはっきり解った。監督の東北弁に親しみを感じさえした。佐々木康の言葉は、かえって関西人の方が分かりにくかった。東映京都のスタッフは関西人が多く、ズーさんの言うことが意味不明でまごつくことが多かった。東京人は東北弁には慣れている。錦之助が俳優たちの間で佐々木監督の通訳を務めるようになるのは後年のことである。
佐々木康は早撮りで有名だったが、演出は丁寧で柔軟だった。臨機応変なところもあった。
最初の立ち回りは、花嫁に化けた龍之丞が振袖姿でやるものだった。これには錦之助も苦労した。刀を振り回すと振袖が腕にからんで、思うようにいかなかった。振袖を脱ぎ捨てたあとは、大暴れすることができた。錦之助は迫力ある立ち回りを撮ってもらおうと思い、遠慮せずに何度もテストをしてもらった。スピードがあって、流れるように相手をバッタバッタと斬り倒す立ち回りが錦之助の目指すところだった。が、この頃の錦之助は、機敏さと若さゆえの体力に任せ、がむしゃらに動き回って刀を振り回したので、斬られ役も大変だった。錦之助は、思いきり相手の足を払ったり、腕を叩きつけたり、肩を切りつけたりして、手加減を知らなかった。
東映の殺陣師は足立伶二郎だった。そして、斬られ役たちは、東映剣会(つるぎかい)の面々だった。この映画以降ずっと、足立は、錦之助に殺陣をつけ、剣会の面々は数え切れないほど錦之助に斬られ続けた。もちろん、錦之助だけでなく東映のチャンバラスターはみな、彼らに支えられていたのだった。
足立伶二郎
錦之助はこの最初の立ち回りで、斬られ役に怪我をさせてしまった。藤川弘という役者で、立ち回りのカラミとしてはベテランだった。もちろん、替身(かえみ、カシの木で作った刀身に銀紙を貼ったもの)を使っての立ち回りだったが、錦之助は刀の先で彼の左手を突き刺してしまったのだ。血が噴き出してきた。錦之助は真っ青になった。彼は「大丈夫です」と言いながら手を押さえていたが、血は止まらなかった。錦之助はどうして良いか分からず、心配でそれ以上立ち回りができなくなった。それで休憩となった。
この時のショックはなかなか消えなかった。そして、立ち回りが恐くなり、どうしても加減して刀の先が伸びなくなった。足立伶二郎がそんな錦之助を見て言葉をかけた。
「みんな覚悟してやってるんやから、そんなに気に病まんでもええよ」
それでも錦之助は藤川に会うたびごとにあやまって、怪我の様子を尋ねた。
「錦之助さん、そんなにあやまらんでいいですよ。仕事なんだから。怪我を恐がってたら、立ち回りなんかやってられませんよ」
「だけど、ぼくのせいで……」
「いやあ、あの迫力、すごかったじゃないですか。これからも頑張ってくださいよ」
錦之助は逆に慰められ、立ち回りがもっとうまくなるように努力しようと決心した。その後、立ち回りの撮影が終ると、錦之助は斬り倒した相手の一人一人に頭を下げて、「ありがとう」と礼を言った。
『唄しぐれ おしどり若衆』の撮影は、太秦の東映京都撮影所ではなく、京都映画の下加茂撮影所を借りて行なわれた。東映の4つしかないステージが、松田組の千恵蔵主演作『悪魔来りて笛を吹く』と萩原組の『笛吹童子』の撮影で埋まっていたからだ。下加茂撮影所は錦之助が映画デビューして2本撮った馴染みの深いスタジオだった。美空ひばりと大友柳太朗はあとから加わることになっていた。そこで錦之助の登場シーンから撮ることになった。
錦之助は脚本をじっくり読んで、龍之丞という役柄をイメージした。彼は能楽師から剣士になった異色の人物である。変幻自在で、女の扮装もすれば、粋な着流し姿で吉原の茶屋にも出入りする。最後は御前で能楽を舞い、兄の仇討を遂げる。三上於菟吉の原作だけあって、「雪之丞変化」に通じるところがある。そこで錦之助は、セリフ回しをいっそのこと歌舞伎調にしてみたらどうかと考えた。セリフは何度か練習して、全部覚えてしまった。現場でセリフが変わらなければいいが、と錦之助は思った。映画の撮影では当日セリフが急に変わることがあり、錦之助はそれが苦手だった。覚えてきたセリフが頭から抜けずに、混乱してしまうのだ。
撮影初日になった。吉原の茶屋で、看板娘のお澪が龍之丞のいる座敷に助けを求めて飛び込んでくる場面である。
「女相手の狼藉とは、悪旗本め、許せませぬ」
錦之助は歌舞伎調でセリフを言った。
「ダミ、ダミ、つがうよ。もっとスゼンに!」と、監督の佐々木康の叱声が飛んだ。
佐々木康
錦之助は自分の演技プランを監督からいっぺんに否定されてしまった。歌舞伎調とは違い、もっと自然にやらないとダメだということだ。それで、監督の指示通り、普通の話し言葉のようにもう一度セリフを言った。
「ヨス。そんでエー」
佐々木監督は人の良さそうな笑いを浮かべて言った。噂には聞いていたが、監督の東北弁の訛りはかなりひどいなと錦之助は思った。が、錦之助は監督の言っていることがはっきり解った。監督の東北弁に親しみを感じさえした。佐々木康の言葉は、かえって関西人の方が分かりにくかった。東映京都のスタッフは関西人が多く、ズーさんの言うことが意味不明でまごつくことが多かった。東京人は東北弁には慣れている。錦之助が俳優たちの間で佐々木監督の通訳を務めるようになるのは後年のことである。
佐々木康は早撮りで有名だったが、演出は丁寧で柔軟だった。臨機応変なところもあった。
最初の立ち回りは、花嫁に化けた龍之丞が振袖姿でやるものだった。これには錦之助も苦労した。刀を振り回すと振袖が腕にからんで、思うようにいかなかった。振袖を脱ぎ捨てたあとは、大暴れすることができた。錦之助は迫力ある立ち回りを撮ってもらおうと思い、遠慮せずに何度もテストをしてもらった。スピードがあって、流れるように相手をバッタバッタと斬り倒す立ち回りが錦之助の目指すところだった。が、この頃の錦之助は、機敏さと若さゆえの体力に任せ、がむしゃらに動き回って刀を振り回したので、斬られ役も大変だった。錦之助は、思いきり相手の足を払ったり、腕を叩きつけたり、肩を切りつけたりして、手加減を知らなかった。
東映の殺陣師は足立伶二郎だった。そして、斬られ役たちは、東映剣会(つるぎかい)の面々だった。この映画以降ずっと、足立は、錦之助に殺陣をつけ、剣会の面々は数え切れないほど錦之助に斬られ続けた。もちろん、錦之助だけでなく東映のチャンバラスターはみな、彼らに支えられていたのだった。
足立伶二郎
錦之助はこの最初の立ち回りで、斬られ役に怪我をさせてしまった。藤川弘という役者で、立ち回りのカラミとしてはベテランだった。もちろん、替身(かえみ、カシの木で作った刀身に銀紙を貼ったもの)を使っての立ち回りだったが、錦之助は刀の先で彼の左手を突き刺してしまったのだ。血が噴き出してきた。錦之助は真っ青になった。彼は「大丈夫です」と言いながら手を押さえていたが、血は止まらなかった。錦之助はどうして良いか分からず、心配でそれ以上立ち回りができなくなった。それで休憩となった。
この時のショックはなかなか消えなかった。そして、立ち回りが恐くなり、どうしても加減して刀の先が伸びなくなった。足立伶二郎がそんな錦之助を見て言葉をかけた。
「みんな覚悟してやってるんやから、そんなに気に病まんでもええよ」
それでも錦之助は藤川に会うたびごとにあやまって、怪我の様子を尋ねた。
「錦之助さん、そんなにあやまらんでいいですよ。仕事なんだから。怪我を恐がってたら、立ち回りなんかやってられませんよ」
「だけど、ぼくのせいで……」
「いやあ、あの迫力、すごかったじゃないですか。これからも頑張ってくださいよ」
錦之助は逆に慰められ、立ち回りがもっとうまくなるように努力しようと決心した。その後、立ち回りの撮影が終ると、錦之助は斬り倒した相手の一人一人に頭を下げて、「ありがとう」と礼を言った。