舞台の脇のスタンド・マイクで、まず私が客さんにご挨拶とお礼をして、中島監督を紹介する。お客さんには今日の聞き手が中島監督であることを知らせていなかったので、ちょっとしたどよめきが起こる。舞台の中央で中島監督のご挨拶が済み、いよいよ有馬さんを紹介する。舞台袖から有馬さんが颯爽と登場。盛大な拍手だ。後ろのほうにちょっと空席が目立つが、客席中央から前のほうまではほぼ満員。300名ほど入っている。
舞台中央のテーブルには、白いクロスがかけられ、白と赤のバラを生けた花瓶が置いてある。有馬さんがお辞儀をした後、中島監督がイスをすすめられ、お二人でトークショーが始まる。
有馬さんの思い出話は30分ほど続いた。前もって中島監督には錦之助さんとのなれそめから有馬さんにインタビューしてほしいとお願いしてあったが、その通りに進む。雑誌「近代映画」の対談で初めて錦ちゃんに出会った時のこと。錦之助ってどんな人なのか知らなかったので、対談の前に、彼の主演映画を観に行って、それが『一心太助』だった。その時、明るくて、なんて素晴らしい俳優なんだと感心した話。(実は、これは有馬さんの思い違いで、対談前に観た映画は『獅子丸一平』だった。でも有馬さん、今でも『一心太助』の錦ちゃんがものすごく好きらしい。)対談のあった日、有馬さんが錦ちゃんを田園調布の自宅へ招いてご馳走したのは有名な話だが、この話も披露。対談は仕事だから誰とでも行うが、女優が、初対面の対談相手、それも男優を自宅に誘うのは異例である。よほど二人が意気投合したからにちがいない。これは私の推量。
『浪花の恋の物語』がクランクインして、二週間後(一週間後だったか)に錦ちゃんからプロポーズされ、ご家族にも紹介されたとのこと。この話も有名。二年前の東京映画祭でのトークショーでも有馬さんは同じことを語っていた。その時は、あたしが錦ちゃんのことを好きだともなんとも言わないのに、まるで許嫁みたいにされちゃったとおっしゃっていたが、これは有馬さん独特のポーズで、有馬さんだって錦ちゃんに熱を上げていたことは明らか。ただし、そのころ、有馬さんの側にプラーベートで複雑な事情があったことも確かで、その辺のところは有馬さんの自伝「バラと痛恨の日々」に書いてある。
この日の有馬さんは、ご自分でこの本の紹介までなさる。ちょうどその時、一番前に座っていたお客さんが単行本の「バラと痛恨の日々」を持って来ていて、舞台の前にこの本を差し出す。こういう時は私の出番で、あわてて舞台へ行き、本を受け取ってみなさんにお見せする。単行本は多分絶版なので、「今、この本は文庫本になっていて、中公文庫に入っています」と声を出す。
トークの途中でもう一つハプニングが。客席の右側に座っていたお客さんから「花で有馬さんのお顔がよく見えないよ!」とクレームがつく。すぐに私が飛び出して行って、花瓶をテーブルの前の床に置きなおす。
有馬さんのお話で大変印象的だったことを挙げておこう。
「結婚していたころは、夫婦二人っきりで食事をすることなんか、めったになかったわね!」
これは、いつも家に錦ちゃんの仲間が来ていて、酒の肴や料理を作ることに一生懸命だったから。
「あたしが別れたのは、決して錦之助さんが嫌いになったからではなく、歌舞伎界のしきたりに耐えられなくなったからなのね」
有馬さんは、錦之助さんが好きだったのに、仕方なく離婚なさったような意味のことを力説していた。
「子連れ狼のあの役は暗くて、あたし、嫌いだった。明るい錦ちゃんがなんでああいう役をやるのか分からなかったわね」
ということは、有馬さん、離婚なさってからも錦之助さん主演のテレビはご覧になっていた様子。
最後に、錦之助さんが亡くなった時のことに話が及ぶ。
ちょうどその時、有馬さんは脚を痛め、手術をされたばかりだった。が、入院していた病院が、斎場の芝・増上寺の近くにあったので、なんとかお通夜だけは行こうと思い、急きょ歩行訓練を積んで出向いたという。
NHKの大河ドラマ『花の乱』を観て、錦之助さんの重厚な演技に感動し、今後の活躍を期待していただけに、ほんとうに残念でならなかったとおっしゃっていた。
中島監督は、ほとんど有馬さんの聞き手役に終始していたが、監督のお話で面白かったのは、松方弘樹主演の『真田幸村の謀略』に錦兄イが特別出演してくれた時の話。この映画で、錦之助さんは徳川家康に扮するのだが、いわゆる「狸オヤジ」の家康といった悪役で、実は私個人としてはこの映画も錦ちゃんの役も気に入っていない。が、中島監督にそんなことは言えないし、今まで監督との間でこの映画を話題にしたことはなかった。それはともかく、ラストシーンで、真田幸村が家康の首をはねる場面があり、錦之助さんが中島監督にこう尋ねたそうだ。
「オレの首、はねるっていうが、下にごろっと落ちるのか?」
錦兄イがなんだか寂しそうな顔つきをしているので、中島監督が一計を案じた。はねられた家康の首を威勢良くびゅーっと空高く打ち上がるようにしたのだという。錦之助さんはこのアイデアが気に入り、えらくご満悦だったそうな。(つづく)
舞台中央のテーブルには、白いクロスがかけられ、白と赤のバラを生けた花瓶が置いてある。有馬さんがお辞儀をした後、中島監督がイスをすすめられ、お二人でトークショーが始まる。
有馬さんの思い出話は30分ほど続いた。前もって中島監督には錦之助さんとのなれそめから有馬さんにインタビューしてほしいとお願いしてあったが、その通りに進む。雑誌「近代映画」の対談で初めて錦ちゃんに出会った時のこと。錦之助ってどんな人なのか知らなかったので、対談の前に、彼の主演映画を観に行って、それが『一心太助』だった。その時、明るくて、なんて素晴らしい俳優なんだと感心した話。(実は、これは有馬さんの思い違いで、対談前に観た映画は『獅子丸一平』だった。でも有馬さん、今でも『一心太助』の錦ちゃんがものすごく好きらしい。)対談のあった日、有馬さんが錦ちゃんを田園調布の自宅へ招いてご馳走したのは有名な話だが、この話も披露。対談は仕事だから誰とでも行うが、女優が、初対面の対談相手、それも男優を自宅に誘うのは異例である。よほど二人が意気投合したからにちがいない。これは私の推量。
『浪花の恋の物語』がクランクインして、二週間後(一週間後だったか)に錦ちゃんからプロポーズされ、ご家族にも紹介されたとのこと。この話も有名。二年前の東京映画祭でのトークショーでも有馬さんは同じことを語っていた。その時は、あたしが錦ちゃんのことを好きだともなんとも言わないのに、まるで許嫁みたいにされちゃったとおっしゃっていたが、これは有馬さん独特のポーズで、有馬さんだって錦ちゃんに熱を上げていたことは明らか。ただし、そのころ、有馬さんの側にプラーベートで複雑な事情があったことも確かで、その辺のところは有馬さんの自伝「バラと痛恨の日々」に書いてある。
この日の有馬さんは、ご自分でこの本の紹介までなさる。ちょうどその時、一番前に座っていたお客さんが単行本の「バラと痛恨の日々」を持って来ていて、舞台の前にこの本を差し出す。こういう時は私の出番で、あわてて舞台へ行き、本を受け取ってみなさんにお見せする。単行本は多分絶版なので、「今、この本は文庫本になっていて、中公文庫に入っています」と声を出す。
トークの途中でもう一つハプニングが。客席の右側に座っていたお客さんから「花で有馬さんのお顔がよく見えないよ!」とクレームがつく。すぐに私が飛び出して行って、花瓶をテーブルの前の床に置きなおす。
有馬さんのお話で大変印象的だったことを挙げておこう。
「結婚していたころは、夫婦二人っきりで食事をすることなんか、めったになかったわね!」
これは、いつも家に錦ちゃんの仲間が来ていて、酒の肴や料理を作ることに一生懸命だったから。
「あたしが別れたのは、決して錦之助さんが嫌いになったからではなく、歌舞伎界のしきたりに耐えられなくなったからなのね」
有馬さんは、錦之助さんが好きだったのに、仕方なく離婚なさったような意味のことを力説していた。
「子連れ狼のあの役は暗くて、あたし、嫌いだった。明るい錦ちゃんがなんでああいう役をやるのか分からなかったわね」
ということは、有馬さん、離婚なさってからも錦之助さん主演のテレビはご覧になっていた様子。
最後に、錦之助さんが亡くなった時のことに話が及ぶ。
ちょうどその時、有馬さんは脚を痛め、手術をされたばかりだった。が、入院していた病院が、斎場の芝・増上寺の近くにあったので、なんとかお通夜だけは行こうと思い、急きょ歩行訓練を積んで出向いたという。
NHKの大河ドラマ『花の乱』を観て、錦之助さんの重厚な演技に感動し、今後の活躍を期待していただけに、ほんとうに残念でならなかったとおっしゃっていた。
中島監督は、ほとんど有馬さんの聞き手役に終始していたが、監督のお話で面白かったのは、松方弘樹主演の『真田幸村の謀略』に錦兄イが特別出演してくれた時の話。この映画で、錦之助さんは徳川家康に扮するのだが、いわゆる「狸オヤジ」の家康といった悪役で、実は私個人としてはこの映画も錦ちゃんの役も気に入っていない。が、中島監督にそんなことは言えないし、今まで監督との間でこの映画を話題にしたことはなかった。それはともかく、ラストシーンで、真田幸村が家康の首をはねる場面があり、錦之助さんが中島監督にこう尋ねたそうだ。
「オレの首、はねるっていうが、下にごろっと落ちるのか?」
錦兄イがなんだか寂しそうな顔つきをしているので、中島監督が一計を案じた。はねられた家康の首を威勢良くびゅーっと空高く打ち上がるようにしたのだという。錦之助さんはこのアイデアが気に入り、えらくご満悦だったそうな。(つづく)