錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

「錦之助映画祭りイン京都」当日(4月11日)その7

2009-05-10 17:17:08 | 錦之助映画祭り
 舞台の脇のスタンド・マイクで、まず私が客さんにご挨拶とお礼をして、中島監督を紹介する。お客さんには今日の聞き手が中島監督であることを知らせていなかったので、ちょっとしたどよめきが起こる。舞台の中央で中島監督のご挨拶が済み、いよいよ有馬さんを紹介する。舞台袖から有馬さんが颯爽と登場。盛大な拍手だ。後ろのほうにちょっと空席が目立つが、客席中央から前のほうまではほぼ満員。300名ほど入っている。



 舞台中央のテーブルには、白いクロスがかけられ、白と赤のバラを生けた花瓶が置いてある。有馬さんがお辞儀をした後、中島監督がイスをすすめられ、お二人でトークショーが始まる。

 有馬さんの思い出話は30分ほど続いた。前もって中島監督には錦之助さんとのなれそめから有馬さんにインタビューしてほしいとお願いしてあったが、その通りに進む。雑誌「近代映画」の対談で初めて錦ちゃんに出会った時のこと。錦之助ってどんな人なのか知らなかったので、対談の前に、彼の主演映画を観に行って、それが『一心太助』だった。その時、明るくて、なんて素晴らしい俳優なんだと感心した話。(実は、これは有馬さんの思い違いで、対談前に観た映画は『獅子丸一平』だった。でも有馬さん、今でも『一心太助』の錦ちゃんがものすごく好きらしい。)対談のあった日、有馬さんが錦ちゃんを田園調布の自宅へ招いてご馳走したのは有名な話だが、この話も披露。対談は仕事だから誰とでも行うが、女優が、初対面の対談相手、それも男優を自宅に誘うのは異例である。よほど二人が意気投合したからにちがいない。これは私の推量。
『浪花の恋の物語』がクランクインして、二週間後(一週間後だったか)に錦ちゃんからプロポーズされ、ご家族にも紹介されたとのこと。この話も有名。二年前の東京映画祭でのトークショーでも有馬さんは同じことを語っていた。その時は、あたしが錦ちゃんのことを好きだともなんとも言わないのに、まるで許嫁みたいにされちゃったとおっしゃっていたが、これは有馬さん独特のポーズで、有馬さんだって錦ちゃんに熱を上げていたことは明らか。ただし、そのころ、有馬さんの側にプラーベートで複雑な事情があったことも確かで、その辺のところは有馬さんの自伝「バラと痛恨の日々」に書いてある。
 この日の有馬さんは、ご自分でこの本の紹介までなさる。ちょうどその時、一番前に座っていたお客さんが単行本の「バラと痛恨の日々」を持って来ていて、舞台の前にこの本を差し出す。こういう時は私の出番で、あわてて舞台へ行き、本を受け取ってみなさんにお見せする。単行本は多分絶版なので、「今、この本は文庫本になっていて、中公文庫に入っています」と声を出す。



 トークの途中でもう一つハプニングが。客席の右側に座っていたお客さんから「花で有馬さんのお顔がよく見えないよ!」とクレームがつく。すぐに私が飛び出して行って、花瓶をテーブルの前の床に置きなおす。

 有馬さんのお話で大変印象的だったことを挙げておこう。
「結婚していたころは、夫婦二人っきりで食事をすることなんか、めったになかったわね!」
 これは、いつも家に錦ちゃんの仲間が来ていて、酒の肴や料理を作ることに一生懸命だったから。
「あたしが別れたのは、決して錦之助さんが嫌いになったからではなく、歌舞伎界のしきたりに耐えられなくなったからなのね」
 有馬さんは、錦之助さんが好きだったのに、仕方なく離婚なさったような意味のことを力説していた。
「子連れ狼のあの役は暗くて、あたし、嫌いだった。明るい錦ちゃんがなんでああいう役をやるのか分からなかったわね」
 ということは、有馬さん、離婚なさってからも錦之助さん主演のテレビはご覧になっていた様子。
 
 最後に、錦之助さんが亡くなった時のことに話が及ぶ。
 ちょうどその時、有馬さんは脚を痛め、手術をされたばかりだった。が、入院していた病院が、斎場の芝・増上寺の近くにあったので、なんとかお通夜だけは行こうと思い、急きょ歩行訓練を積んで出向いたという。
 NHKの大河ドラマ『花の乱』を観て、錦之助さんの重厚な演技に感動し、今後の活躍を期待していただけに、ほんとうに残念でならなかったとおっしゃっていた。
 
 中島監督は、ほとんど有馬さんの聞き手役に終始していたが、監督のお話で面白かったのは、松方弘樹主演の『真田幸村の謀略』に錦兄イが特別出演してくれた時の話。この映画で、錦之助さんは徳川家康に扮するのだが、いわゆる「狸オヤジ」の家康といった悪役で、実は私個人としてはこの映画も錦ちゃんの役も気に入っていない。が、中島監督にそんなことは言えないし、今まで監督との間でこの映画を話題にしたことはなかった。それはともかく、ラストシーンで、真田幸村が家康の首をはねる場面があり、錦之助さんが中島監督にこう尋ねたそうだ。
「オレの首、はねるっていうが、下にごろっと落ちるのか?」
 錦兄イがなんだか寂しそうな顔つきをしているので、中島監督が一計を案じた。はねられた家康の首を威勢良くびゅーっと空高く打ち上がるようにしたのだという。錦之助さんはこのアイデアが気に入り、えらくご満悦だったそうな。(つづく)



「錦之助映画祭りイン京都」当日(4月11日)その6

2009-05-10 13:55:04 | 錦之助映画祭り
 有馬さんと入り口で挨拶を済ませ、展示したポスターなどをご覧に入れてから、関係者控え室へご案内する。有馬さんはこの4月3日で喜寿(77歳)になられたのに、まったくおばあさんといった雰囲気はない。一つには、今も第一線で女優さんを続けていらっしゃるからにちがいない。それと、この年代の女性にしては背が高く(160センチほど)、ふくよかだからだろう。
 今日の有馬さんは、ちょっとエスニックなレンガ色のドレスに目も鮮やかなオレンジ色の上着をまとっている。フランス人のおしゃれなお年寄りといった感じで、年をとると逆に派手な色合いの服を着るという考え方を有馬さんもお持ちなのかもしれない。それとも、トークショーのためにとくに引き立つ衣裳を着ていらしたのか、普段着の有馬さんを見たことがない私にはよく分からないが、きっと派手好みなのだと思う。いかにも「大輪の花」有馬稲子といった印象である。
 有馬さんにお目にかかりじかにお話しするのは今日が始めてだったが、やはりズバズバとものを言うタイプの方だった。遠慮なくはっきり自分の思っていることを言ってくださる方は私も好きだし、かえって気を回さないで済む。
 控え室で有馬さんにトークショーの段取りを簡単に説明する。有馬さん、ソファにどっしり座って、ふん、ふんと頷いて聞いていらっしゃる。貫禄十分で、有馬さんがなんだか女帝のように見えてくる。これからの謁見を前に、介添え役の私が式次第の説明をしているような気分になってくる。付き人の方もほとんど無言でかしこまっている。
 トークの後、ロビーでファンとの交流を兼ね記念本にサインをお願いできるかどうかを尋ねる。
「でも、錦ちゃんの本にあたしがサインするのも変だわね」
「みなさん、きっと喜ばれると思うので、どうかお願いします」
「じゃ、いいけど、混乱しないようにうまくさばいてよ」
 そう言われて、内心、不安になる。お客さんがずらっと並んだら、さばききれるだろうか?まあ、新文芸坐の時もゲストの方が100人以上のお客さんにサインしたので大丈夫だろう。一人20秒くらいだから、40分くらいですむはずだ。現在お客さんは250人以上いるが、記念本を買ってサインを求める方は半数くらいだろう。
「あまり多ければ、適当なところで切り上げますから、よろしくお願いします。それと、ファンが写真を撮ってもかまわないでしょうか?」
「いいわよ」
「ありがとうございます!」
 で、有馬さん、最後にぐさっと一言。
「あなたって、よくしゃべるし、いろいろ要求が多いわね!」
 お化粧直しをなさってから『浪花の恋の物語』をちょっとご覧になりたいとおっしゃるので、私は控え室を出て、付き人さんの方に関係者用に取って置いた桟敷席の場所をお教えする。

 受付に戻りしばらくすると、中島監督が戻っていらっしゃる。そろそろ『浪花の恋の物語』も終わりそうになって、今度は中島監督といっしょに控え室に行き、有馬さんに中島監督が挨拶されてから10分ほど歓談。お二人が会うのは久しぶりらしいが、懐かしそうに昔話をしている。私は口をはさまずそばで聞いていただけだが、有馬さんは錦ちゃんまたは錦之助さんと呼び、中島監督は錦兄イと呼ぶ。中島監督にとって有馬さんは姐さんのような存在だったようだ。
 錦之助さんと有馬さんが結婚されて夫婦であったころに中島監督はお二人と親しくなさっていたとのこと。これは監督のお話だが、助監督時代、最初は有馬さんのほうと親しくなり、有馬さんから錦之助さんと付き合うように指示されたのだという。当時錦之助さんは撮影所のスタッフの方とばかり飲んでいて、大学出のインテリの飲み仲間がいなかった。そこでインテリ好きな有馬さんがお気に入りの中島さんを錦之助さんの話し相手に選んだそうな。中島さんは東大文学部卒で、大学時代から演劇青年であった。その後錦之助さんと何度も飲んで話しているうちに、錦兄イの人柄に惚れ込み、錦兄イを慕うようになったのだという。
 錦之助出演作品で中島さんが助監督に付いた映画は、『親鸞』『続親鸞』『ちいさこべ』『武士道残酷物語』『関の彌太ッぺ』などである。中島さんの監督作品で錦之助出演作は『真田幸村の謀略』1本だが、『赤穂城断絶』では深作欣二監督に頼まれ、B班の監督をやったそうだ。錦之助さんの出演しない場面の多くは中島監督が撮ったようで、以前監督は私にこんなことをおっしゃっていた。
「錦兄イから、オレの出るところも撮ってくれよと言われて、困っちゃったんだよ」錦之助さんが深作監督とソリが合わなかったのは有名な話だ。
 有馬さんと中島監督の会話が一段落して、有馬さんがふーっと一言。
「でも錦ちゃん、なんであんな病気になっちゃったんだろ?」
「やっぱりお金で苦労したからでしょうな」と中島監督。
 会話がとぎれた合間に私が口をはさむ。近代映画の『浪花の恋の物語』特集号の対談で、錦ちゃんがネコちゃんのことを「女中」と呼び、ネコちゃんは錦ちゃんを「ジイヤ」と呼んでいるのだが、その真偽を確かめようと思ったのだ。が、私の質問は言下に否定された。
「そんなことなかったわよ!女中なんて呼ぶわけ、ないわよ」
 なんてことを訊くんだという顔つきで有馬さんが私をにらむ。恐い。
 雑誌の対談記事というのは、ご当人が実際に話していないことも多く、面白おかしく書いてあるので、「女中」「ジイヤ」の呼び名はでっち上げかもしれない。あるいは、有馬さんがもうお忘れになったのかも……。どうでもいいか。
 そうこうするうちに、トークショーの時間が来る。祇園会館のスタッフに案内され、舞台裏に向かう。(つづく)



「錦之助映画祭りイン京都」への道のり(その4)

2009-05-05 10:18:49 | 錦之助映画祭り
 3月の新文芸坐での錦之助映画祭りは、錦之助ファンの会と新文芸坐との共催だったから、上映会の収支一切、新文芸坐に任せれば良かった。しかし、赤字が出ては、次の錦之助祭りが出来なくなるので、できるだけたくさんお客さんが入るように私も尽力した。
 一方、祇園会館は貸し館制で、主催はあくまでも錦之助映画ファンの会なので、話が違う。どういうことかというと、祇園会館は、施設全部を賃貸して、主催団体に運営の一切を任せるという方式なのだ。賃貸料は1日35万円(税抜き)で、これには祇園会館のスタッフの労賃も含まれている。モギリのおばちゃん(祇園会館は若い女性)、売店の売り子、映写技師も祇園会館のスタッフでまかなってくれるわけだ。
 東映からフィルムを借りるのも返却するのも祇園会館が代行してくれるが、フィルム・レンタル料はファンの会が出す。今回の上映作品は、3本ともニュープリントなので割高の料金になり、1本10万円で計30万円、消費税が1万5千円で、締めて31万5千円である。
 要するに、祇園会館を一日借りて映画を3本上映すると、その費用が約68万かかるわけだ。その上に、トークショーのマイク賃貸料、有馬さんへのお礼、宣伝用チラシの制作費が必要になる。前売チケットをぴあで売ると、手数料とチケットのプリント代がかかり、その他、宅急便の送料や郵送費で、総額90万円ほどになる。

 さて、それに対し収益は、入場料と記念本の利益だけである。
 入場料に関しては、値段を決める前に、関係者の何人かに相談した。祇園会館は、普段映画は二本立てで、一般1600円、大学生・高校生1300円、中学生・小学生・シニア1000円という料金制をとっている。入れ替えはない。京都映画祭は、一律1000円、前売り券800円で、こちらも入れ替えはない。一日3本映画を観て、途中でゲストのトークを聞いても、1000円だから格安である。と言っても、京都映画祭は、公的な援助もあるし、スポンサーも付いているので、あまり参考にはならない。山田支配人によると、京都ではシニア料金は、1000円が相場なのだという。錦之助映画祭りの場合、お客さんのほとんどは年配の方だろうから、シニア料金をいくらにするかで、全体の収益が決まる。それと、当初は入れ替えも考えていたのだが、祇園会館でこれをやるのは無理だという結論に達した。100名くらいのお客さんならできるだろうが、200名を超えた場合混乱して、収拾がつかなくなるというわけだ。そこで、入れ替えなしとして、料金を設定することに。収支のバランスを計るなら、シニア2000円が妥当なところであろうが、山田支配人も中島監督もそれでは高すぎるとの意見。ファンの会のみんなは、2000円でも構わないとの意見だったが、一般のお客さんのことも考慮して中間を取り、シニア1500円に決定。錦之助映画のニュープリント3本に、有馬稲子さんのトークショー付き。リーズナブルな料金である。シニア料金が決まれば、あとは簡単。一般1800円、学生(中学生以上)1500円、前売りも1500円とする。小学生以下は無料。子供をただにするというのは、教育的配慮の上で、『曽我兄弟』と『独眼竜政宗』は、歴史の勉強にもなるし、子供(孫)にこういう映画を見せたいと思う親心を汲んでのことだ。
 これで収支の概算をしてみると、入場料を平均1600円と見積もって、300人で48万円。満員の500人で80万円。記念本が100冊売れたとして、1冊の利益が400円だから(定価1000円の直売なので利益率が良い。書店で売ると定価の67パーセントが卸値なので、1冊70円の利益しか上がらない)、記念本の利益が4万円。ということは、500人入って満員でも6万円の赤字、300人なら38万円の赤字になるという計算なのだ。これでも錦ちゃん祭りを京都で催そうという心意気をご理解いただきたい。別に上映会をやって儲けようという気はさらさらなく、少しくらいの赤字で済めば大成功、大赤字を出しても錦ちゃんファンが喜んでくだされば結構、錦ちゃんファンを少しでも増やせれば大いに意義あり、という気持ちである。祇園会館のオープニングでお客さんを集め、それが次の京都シネマにつながって、お客さんが流れていけば、それで良い。
 「ファンの会」の人たちにはできる限り当日観客として来ていただくよう働きかけ、ニュープリント制作で大口の寄付金をいただいた方々にだけ、資金的な協力をあおいだ。祇園会館での上映会は、満員にしても赤字が出ること必至なので、その埋め合わせは寄付金の一部を遣わせてもらうよう承諾を取り付けた。これでいよいよ、祇園会館での錦ちゃん祭りへ向け、態勢が整った。(ひとまず終わり)



「錦之助映画祭りイン京都」当日(4月11日)その5

2009-05-02 15:42:13 | 錦之助映画祭り
 立命館大学の学生さんがあと3人、助っ人に来る。女子一人(この子も可愛い)と男子二人。男子の一人は頭を金髪に染めている。ナウい(死語か?)おにいちゃんだ。可愛い女の子が二人いれば間に合うのに、ボーイフレンドか何か知らないが、男子二人、きっと女の子の尻を追っかけて付いて来たのだろう。でも、話してみると、この男子学生、二人とも素直でいいヤツである。二人には、サイン会で使う机とイスの運搬とお客さんの交通整理を頼む。女子には売り子を頼む。先生の神谷さんは用事があって、帰る。また、パーティの時に戻って来るとのこと。円尾さんには、有馬さんのサイン会の準備万端をお願いする。彼はこういうことには慣れていて、非常に手際良く仕切ってくれるので、新文芸坐の時から任せている。

 午後1時半ごろ中島貞夫監督が登場。禿げかかった頭、日焼けしたお顔に黒メガネ。どう見ても、国籍不明。東南アジア系のマフィアの親分のように思えてならない。
「今朝、オランダから新大阪空港に着いたんですか!大変だったですね」
「それがさ、荷物がどこかへ行っちゃって。参ったよ」
「大事なもの、入っていたんですか?」
「映画の資料とか、あってな。飛行機が変ったんで、荷物、向こうへまた戻ってしまったらしいんだよ」
 中島監督、どうも、ついてない。届かない荷物を探して、空港をうろうろしていたらしく、一睡もしていないそうな。
「目が腫れちゃって、それでメガネ、かけてるんだよ」
 これじゃ、マフィアの親分、情けない。
 中島監督と関係者控え室で少しだけ話をして、ロビー近くの喫煙所へ。あいにく、控え室は禁煙なのだ。
「オレが来るときは、タバコ吸ってもいいって言うんだけど…」
「でも、あとで有馬さんがいらっしゃるので、臭いが残っているとまずいでしょ」「そりゃ、そうだな」
 監督も私もタバコを吸う。監督はセブンスター、私はハイライト。
 喫煙所での会話。
「客、入ってるのか?」
「300人くらいですかね」
「そりゃ、良かった。新聞に出たのか?」
「はい、読売新聞と京都新聞が記事にしてくれました。でも、その割には満員にならなかったのが、残念で…」
「京都は、こんなもんだよ。で、悪いけど、有馬さんのトークが終わったら、オレ、パーティに出ないで帰るけど、いいか?」
「ええ、どうぞ、ぐっすり寝てください」
 
 『独眼竜政宗』が終わりそうなので、中島監督とロビーへ。美術監督の井川徳道さんがいらしたので挨拶する。
 そこへ、雪代敬子さんがいらっしゃる。雪代さんとは、『一心錦之助』の原稿を依頼してから、急に親しくなり、電話で何時間も話しているが、お会いするのは今度が二度目。昨年1月の初対面の時は、ちょっとしかお話しなかったので、私の顔はよく覚えていないとおっしゃっていた。雪代さんからお土産をいただく。(大阪の名店のおつまみと洒落たネクタイだった。)
 休み時間になり、ロビーは観客でごったがえす。雪代さんとあまり話す暇もなく、とりあえず桟敷の関係者席へご案内する。雪代さんは『浪花の恋の物語』で有馬さんの同僚の遊女の役をなさっているが、有馬さんとは対照的にあっけらかんとした明るい遊女で、これが大変良い。あまり覚えていらっしゃらないとのことだが、じっくりご覧になっていただきたいと思う。
 東映の厩舎の世話係で、馬上の錦之助のスタントマンをやっていた高岡正昭さんに挨拶。高岡さんは、ご自分が可愛がっていた馬がたくさん登場する映画が二本(『曽我兄弟』と『独眼竜政宗』)も観られて、なおかつ、『独眼竜政宗』では若旦那(錦之助さんのこと)の替わりに馬に乗っているご自分の姿が観られて、大変喜んでいらした。
 三味線の源流・一中節の家元である都一中さんが見える。一中さんは、一ヶ月ほど前にメールで問い合わせをいただき、祇園会館での錦ちゃん祭りのご案内をした。実は、日本の伝統音楽に無知な私は、都一中さんのお名前も知らず、メールをいただいた時に、どこかの中学校の方かと思ったのだから、失礼きわまりない。一中節という流派も知らず、あとで調べて、大恥をかいた次第。一中さんは、最近テレビのBSで観た『浪花の恋の物語』で、映画の終わりの方に、一中節の三味線が使われているので、驚いたとのこと。ぜひ、スクリーンでこの映画を再見したいとおっしゃって、わざわざ観にいらしたのだ。一中さんともあまりお話できず、残念だった。

 『浪花の恋の物語』が始まる。中島監督は、千葉から来た巨体の杉山さんと近くの喫茶店へ。4月18日に読売ランド前の映画館(グリソム・ギャング)で中島監督の『日本暗殺秘録』の上映会があり、監督をトークゲストにお招きするというので、その打ち合わせとのこと。

 2時10分ごろ、有馬稲子さんがいらっしゃる。付き人さんと知人の方とご一緒に、である。祇園会館一階のガラス扉を開けて、有馬さんが堂々と入っていらっしゃるのを二階のロビーからお見かけし、私は飛ぶように階下まで降りていく。(つづく)



「錦之助映画祭りイン京都」当日(4月11日)その4

2009-05-02 13:00:33 | 錦之助映画祭り
 スタンダードサイズの『曽我兄弟 富士の夜襲』の映写状態がどういう感じなのか、それだけは確かめておきたいと思い、ホールの扉を入ってすぐのところで立ち見をする。ちょうど、錦ちゃんの箱王が、母親(花柳小菊)と兄の十郎(東千代之介)が話している部屋の外で、中に入るのをぐっとこらえている場面をやっている。祇園会館は、舞台があってその向こうにスクリーンがあるため、スクリーンまでの距離感を覚える。また、ホールが広くて、天井が高いのは良いのだが、上映中も天井のスモールランプが点灯されているので、ホール内がやや明るくなっている。これは、途中から入場するお客さんを配慮してのことらしいが、その分、画面が鮮明に見えないきらいがある。スタンダード版の古い映画を上映するにはあまり向いていないかもしれない。
 錦・千代、花柳小菊の、母子三人の名場面と、錦ちゃんの実父三世時蔵と花柳小菊の名場面を観て、ホールから出る。ファンの会の八隅さんが買ってきた赤と白のバラを花瓶にさして受付に置く。自動販売機でアイスクリームを買って食べる。今日の京都は天気が良くぽかぽかと暖かい。桜の花はあちこちでまだ散らずに残っているので、花見日和である。
 『曽我兄弟』が終る30分前ころから、お客さんが次々とやって来る。ファンの会のHさん(埼玉在住)とMさん(長野在住)が見えたので、遠くから到着したばかりで悪いとは思ったが、近くの文房具屋で買い物を頼む。有馬さんのサイン会の時に整理券が必要になるかもしれないと思い、番号を書く紙を買って来てほしいとお使いに出したのだ。私は持ち場を離れらないのでやむを得ない。
 錦ちゃん祭りはやっぱり高齢のお客さんたちが多い。平均年齢は65歳を越えているにちがいない。「枯木も山のにぎわい」なんて言ったら失礼であろうが、内心そんなことを思ってお客さんをさばいていると……、なんと私の前に、白百合のように若くて美しい女性が現れたのでびっくり!一瞬、現役の女優さんなのではないかと思う。
「Fさんですか?」
「はい、そうです。」
 私の名前を指名してくるとは、この美人、一体誰なんだろう?

「神谷先生からお手伝いするようにと言われて来ました。」
 あっそうかとすぐに合点が行く。実は、京都シネマの館主の神谷さんに、今日の上映会の助っ人を二人ほど頼んでおいたのだが、さっき神谷さんが「お手伝いする大学生が後から来きます」と言っていたその大学生がこの美人さんだったのだ。神谷さんは立命館大学で講師もやっていて、自分の学生さんに声をかけてくれたらしい。早速、ミス・立命館大学の学生さんに、本の売り方を教え、手伝ってもらう。映画が終わり、ロビーにお客さんがどっと出て来る。

 次の『独眼竜政宗』が始まるまでに休憩時間が20分ほどある。円尾さんから、塚本隆治さんを紹介される。錦之助の初期の白黒映画、『あばれ纏千両肌』『源義経』『晴姿一番纏』『悲恋おかる勘平』の美術を手がけたデザイナーで、カラー映画では『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』『丹下左膳 飛燕居合い斬り』の美術を担当している。塚本さんは大正生まれでもう85歳なのにお元気で、いかにもお人柄の良さそうな好々爺である。現在は、悠々自適に油絵をかいていらっしゃるとの話。「一心錦之助」に追想文を寄稿していただいたので、お礼を言う。
 映画の美術監督は、後でお目にかかかった桂長四郎さんにしても、井川徳道さんにしても、京都の職人気質というのだろうか、腰が低くて、全然偉ぶらない。桂さんは、錦之助映画では『親鸞』『ちいさこべ』『反逆児』などの大作のほかに、『浅間の暴れん坊』『弥太郎笠』『関の弥太ッペ』など股旅物の名作も担当した美術監督であるが、謙虚で円満な人格者としか言いようがない。私は、井川さんといちばん親しくさせていただいているが、井川さんもあれだけの業績を上げた美術監督なのに、当たりが柔らかで、飄々としたお人柄である。
 『独眼竜政宗』が始まり、しばらくロビーの受付にいて、ちょっとだけ中に入って映画を観る。『独眼竜政宗』は、ニュープリントなのにどうも色調が暗いのが気になる。新文芸坐でも同じように感じた。ネガが褪色していたとしか思えない。(つづく)