昨日は、女優の風見章子さんと内田吐夢監督のお墓参りに行ってきた。
先週風見さんと電話でお話した時(これが風見さんとお話する初めての時で、お目にかかったこともなかった)、風見さんが、
「内田先生のお墓へもずいぶん長い間行っていませんので、ちょうどお参りに行こうと思っていたところなんですよ」
「そうですか。ぼくも行こうと思ってました。良かったらごいっしょにどうですか」
じゃあ、そうしましょうということで、すぐに話が決まった。
吐夢監督のお墓は、明大前の築地本願寺和田堀廟所にある。甲州街道に面していて、明大和泉校舎の隣り。私の家の近くである。ここには、有名人の墓がたくさんあるが、中に入るのは今度が初めて。吐夢監督のお墓参りももちろん初めてだ。
風見さんは、川崎の柿生に住んでいらっしゃるのだが、足を悪くしていると聞いていたので、私の自家用車でお迎えにあがることにした。
11時半に風見さんの住んでいるマンションに着いて、それからまた明大前に引き返す。
風見さんは、後部座席にすわり(助手席はお好きでないらしい)、いろいろなことをお話になる。昨年風見さんが出した本のこと、はがき絵のこと、吐夢監督のこと、映画『土』のこと、もちろん私の質問に答えて、錦之助さんのことも。
「錦ちゃんは、すばらしい役者さんでしたね。役に入り込んでしまうのね、私、そこにいるのが錦之助さんなのか武蔵なのか判らなくなるほどでした。それにとても純なところがあって、私が何かのことでお褒めしたら、耳たぶが真っ赤になったの……」
風見さんは現在88歳で、7月23日には89歳になられるのだが、10歳以上は若く見える。頭もはっきりしていて、とても私の母親(現在90歳で存命だが、ボケてしまった)と同年齢とは思えない。ゆっくりとした話し方だが、ユーモアを交え、次から次へと途切れることなく話題を変えていく。私は、前方不注意にならぬよう、風見さんの楽しい話に耳を傾け、相槌を打ったり、質問をはさんだりしていた。
さて、一時間ちょっとで、和田堀廟所に到着。入り口の花屋さんで、お花とお線香を買い、事務所で吐夢監督のお墓の場所を尋ねる。内田有作さんからもだいたいの場所は聞いていたのだが、なかなかお墓が見つからない。風見さんは何年か前にいらしたそうだが、廟所の建物も墓地の様子もずいぶん変わってしまったそうだ。
20分くらい探しただろうか。やっと見つかったので、ほっとする。
風見さんと私で黙祷。
泉下の吐夢さんに、私の自己紹介、上映会のことなど報告して、よろしくお願いしますと手を合せる。墓碑の廻りをちょっと掃除して、風見さんの持参した缶ビールを墓碑にかけ、お花とお線香を置く。風見さんはすっきりした表情で、ニコニコしている。
墓碑は、碧川家・内田家の連記になっている。これは吐夢さんが妻の芳子さん(キャメラマンの碧川道夫氏の妹)のご両親(碧川企救男・かた夫妻)を実の父母のように慕っていて、自分が亡くなったら碧川家の墓に入れてくれと希望していたので、それを実現したのだそうだ。この墓碑の横に、長細い碑が立っていて、そこに吐夢の言葉、「命一コマ 吐夢」が刻んである。そのまた横に、四角い碑があって、「赤とんぼの母 此処にねむる 露風」とある。これは唱歌「赤とんぼ」の作詞で有名な詩人三木露風の言葉で、露風は、碧川道夫・内田芳子兄妹の異父兄にあたる。母親のかたは、婦人運動家で、幼い露風を残して三木家を離縁された後、新聞記者の碧川企救男と再婚した。「赤とんぼ」は、露風が、去って行った母親を慕って作った詩である。
お墓参りを終え、車で和田堀廟所を出た時には、すでに午後3時になっていた。
お腹が空いたので、井の頭通りにあるレストラン(神戸屋)へ寄って、遅い昼食をとる。風見さんはパッフェと紅茶。私はカレーライスとコーヒーをご馳走になる。
また、車で柿生まで風見さんをお送りする。帰り道もずっと歓談。
別れ際に風見さんが、
「きょうは内田先生のお墓参りも出来たし、ほんとに良い一日でした。ドライブもとても楽しかったわ、ありがとう」
風見さんから署名入りのご本をいただいた。タイトルは「風見章子の思い出を、あげて、もらって」(平成21年8月1日発行、栄光出版社刊)。
中を見ると、風見さん直筆のはがき絵(虎の墨絵)がはさんであり、筆で私の名前も書いてある。風見さんは、前もって用意しておいてくださったのだ。感謝感激。
仕事場に帰って、早速拝読。芸能界入りの経緯やいろいろな人たちとの楽しい思い出が語られている(でも、内容の四分の一くらいは車の中でお聞きしたことだった……)。風見さんのはがき絵も数多く掲載され、とても良い本である。
<追記> 風見章子さんは、8月4日、新文芸坐の吐夢特集で『土』を上映する時にトーク・ゲストとしていらっしゃる。聞き手は、内田有作さん。吐夢特集のために、風見さんには、あらかじめ吐夢監督の似顔絵(色紙サイズ)を描いていただき、会場に展示することになった。はがき絵も吐夢監督にちなんだものを三種類描いていただき、私が印刷してお客さんに配布しようと思っている。風見さんのこの本も会場で販売予定。
先週風見さんと電話でお話した時(これが風見さんとお話する初めての時で、お目にかかったこともなかった)、風見さんが、
「内田先生のお墓へもずいぶん長い間行っていませんので、ちょうどお参りに行こうと思っていたところなんですよ」
「そうですか。ぼくも行こうと思ってました。良かったらごいっしょにどうですか」
じゃあ、そうしましょうということで、すぐに話が決まった。
吐夢監督のお墓は、明大前の築地本願寺和田堀廟所にある。甲州街道に面していて、明大和泉校舎の隣り。私の家の近くである。ここには、有名人の墓がたくさんあるが、中に入るのは今度が初めて。吐夢監督のお墓参りももちろん初めてだ。
風見さんは、川崎の柿生に住んでいらっしゃるのだが、足を悪くしていると聞いていたので、私の自家用車でお迎えにあがることにした。
11時半に風見さんの住んでいるマンションに着いて、それからまた明大前に引き返す。
風見さんは、後部座席にすわり(助手席はお好きでないらしい)、いろいろなことをお話になる。昨年風見さんが出した本のこと、はがき絵のこと、吐夢監督のこと、映画『土』のこと、もちろん私の質問に答えて、錦之助さんのことも。
「錦ちゃんは、すばらしい役者さんでしたね。役に入り込んでしまうのね、私、そこにいるのが錦之助さんなのか武蔵なのか判らなくなるほどでした。それにとても純なところがあって、私が何かのことでお褒めしたら、耳たぶが真っ赤になったの……」
風見さんは現在88歳で、7月23日には89歳になられるのだが、10歳以上は若く見える。頭もはっきりしていて、とても私の母親(現在90歳で存命だが、ボケてしまった)と同年齢とは思えない。ゆっくりとした話し方だが、ユーモアを交え、次から次へと途切れることなく話題を変えていく。私は、前方不注意にならぬよう、風見さんの楽しい話に耳を傾け、相槌を打ったり、質問をはさんだりしていた。
さて、一時間ちょっとで、和田堀廟所に到着。入り口の花屋さんで、お花とお線香を買い、事務所で吐夢監督のお墓の場所を尋ねる。内田有作さんからもだいたいの場所は聞いていたのだが、なかなかお墓が見つからない。風見さんは何年か前にいらしたそうだが、廟所の建物も墓地の様子もずいぶん変わってしまったそうだ。
20分くらい探しただろうか。やっと見つかったので、ほっとする。
風見さんと私で黙祷。
泉下の吐夢さんに、私の自己紹介、上映会のことなど報告して、よろしくお願いしますと手を合せる。墓碑の廻りをちょっと掃除して、風見さんの持参した缶ビールを墓碑にかけ、お花とお線香を置く。風見さんはすっきりした表情で、ニコニコしている。
墓碑は、碧川家・内田家の連記になっている。これは吐夢さんが妻の芳子さん(キャメラマンの碧川道夫氏の妹)のご両親(碧川企救男・かた夫妻)を実の父母のように慕っていて、自分が亡くなったら碧川家の墓に入れてくれと希望していたので、それを実現したのだそうだ。この墓碑の横に、長細い碑が立っていて、そこに吐夢の言葉、「命一コマ 吐夢」が刻んである。そのまた横に、四角い碑があって、「赤とんぼの母 此処にねむる 露風」とある。これは唱歌「赤とんぼ」の作詞で有名な詩人三木露風の言葉で、露風は、碧川道夫・内田芳子兄妹の異父兄にあたる。母親のかたは、婦人運動家で、幼い露風を残して三木家を離縁された後、新聞記者の碧川企救男と再婚した。「赤とんぼ」は、露風が、去って行った母親を慕って作った詩である。
お墓参りを終え、車で和田堀廟所を出た時には、すでに午後3時になっていた。
お腹が空いたので、井の頭通りにあるレストラン(神戸屋)へ寄って、遅い昼食をとる。風見さんはパッフェと紅茶。私はカレーライスとコーヒーをご馳走になる。
また、車で柿生まで風見さんをお送りする。帰り道もずっと歓談。
別れ際に風見さんが、
「きょうは内田先生のお墓参りも出来たし、ほんとに良い一日でした。ドライブもとても楽しかったわ、ありがとう」
風見さんから署名入りのご本をいただいた。タイトルは「風見章子の思い出を、あげて、もらって」(平成21年8月1日発行、栄光出版社刊)。
中を見ると、風見さん直筆のはがき絵(虎の墨絵)がはさんであり、筆で私の名前も書いてある。風見さんは、前もって用意しておいてくださったのだ。感謝感激。
仕事場に帰って、早速拝読。芸能界入りの経緯やいろいろな人たちとの楽しい思い出が語られている(でも、内容の四分の一くらいは車の中でお聞きしたことだった……)。風見さんのはがき絵も数多く掲載され、とても良い本である。
<追記> 風見章子さんは、8月4日、新文芸坐の吐夢特集で『土』を上映する時にトーク・ゲストとしていらっしゃる。聞き手は、内田有作さん。吐夢特集のために、風見さんには、あらかじめ吐夢監督の似顔絵(色紙サイズ)を描いていただき、会場に展示することになった。はがき絵も吐夢監督にちなんだものを三種類描いていただき、私が印刷してお客さんに配布しようと思っている。風見さんのこの本も会場で販売予定。