錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『錦之助の美剣士』

2007-08-06 00:00:02 | 美剣士・侍
 錦之助は、数多くの浪人剣士、剣客を演じている。宮本武蔵はその代表的な役の一つである。時代劇ファンで、錦之助の武蔵を知らない人は恐らくいないだろう。萬屋錦之介に改名してからは、テレビの『子連れ狼』の拝一刀が代表的な役だと言えるだろう。「シトシトピッチャン」の主題歌とともに、錦之介の子連れ狼は国民的な人気を博した。

 とはいえ、人によって、またその人の年齢や世代、性別によって、頭に浮かぶ錦之助の剣士像はいろいろ違うかと思う。熱心な錦ちゃんファン、とくに女性ファンに錦之助が演じた剣士役で大好きな主人公は誰かと尋ねたとしたら、次の三役は絶対に候補に上るだろう。源氏九郎、眉殿喬之介、御堂主馬之介である。系統はちょっと違うが、それに、早水東吾、あるいは宇津木兵馬を加える人もいるだろう。錦之助が演じた、いわゆる「美剣士」のヒーローたちである。宮本武蔵は、青年剣士であっても、美剣士とは言えまい。錦之助の武蔵は、もちろんカッコいいが、白皙の剣士とは程遠い。やや、むさいところもある。髪の毛はぼうぼうで、無精ひげをはやしている時の武蔵は、女性にもてる感じもしない。『子連れ狼』の拝一刀は、すでにトウの立った中年である。剣の腕はものすごいが、陰惨な刺客である。女性が一目見てうっとりとするような剣士ではない。

 錦之助といえば、どうしても、若くて颯爽とした美剣士のイメージがオールドファンの間ではぬぐいがたい。デビュー作『ひよどり草紙』の筧耀之助と『笛吹童子』の菊丸(彼は剣士ではない)は別として、錦之助の初期の映画では、次の三役が代表的なものであろう。犬飼現八(『里見八犬伝』)、那智の小四郎(『紅孔雀』)、獅子丸一平である。どれも錦之助の人気を爆発的なものにした当たり役である。これらの役は、青年剣士というより、むしろ少年剣士に近く、剣の腕も未熟でそれほど強そうには見えなかった。また、映画の内容は貴種流離譚で、冒険あり恋愛ありの伝奇ロマンだったが、幼稚な部分も多く、どちらかと言えば十代の青少年少女向きの娯楽時代劇だった。
 こうした美剣士の主人公役を、錦之助はデビューから二、三年の間は頻繁に演じていたが、年とともに、ういういしい美少年が水もしたたる美青年に成長し、同時に剣の腕もめきめき上がっていった。その過渡期に当たったのは、昭和31、32年だろう。錦之助は、一方で、獅子丸一平、五郎(『七つの誓い』)、次郎丸(『ゆうれい船』)といった、とろけるような美少年を演じながら、また一方で、中山安兵衛(『青年安兵衛・紅だすき素浪人』)、早水東吾(『青雲の鬼』)、源氏九郎(『源氏九郎颯爽記・濡れ髪二刀流』)、宇津木兵馬(『大菩薩峠』)といった青年剣士を演じた。昭和31年の『曽我兄弟・富士の夜襲』は、私にとって思い出深くまた大好きな作品だが、錦之助の美少年(元服前の箱王)と凛々しい美青年剣士(曽我五郎)の両方が観られる貴重な映画だった。
 昭和33年は、観客動員数がピークに達した映画界の全盛期であり、また錦之助がスターとして最も輝き、人気も日本の全男優中トップを極めた年であるが、この時錦之助が演じた美剣士は、まるで絵から抜け出たような、観ていて惚れ惚れするような青年剣士である。剣さばきも磨きがかかり、冴え渡っている。『源氏九郎颯爽記・白狐二刀流』(昭和33年3月封切)の源氏九郎と、もう一役、『剣は知っていた・紅顔無双流』(同年9月封切)の眉殿喬之介である。どちらも、錦之助しか演じられないたぐいまれな美剣士だった。甘美で優雅、親しみやすい高貴さを備え、抑制された情熱と暖かい人間味がにじみ出ている。孤高ではあるが、決してニヒルではない。しかも剣術は神業の域に達している。そんな美剣士は、この頃の錦之助以外誰も演じることができなかったと思う。翌年、『美男城』(昭和34年2月封切)で錦之助が演じた御堂主馬之介は、悲しげで苦渋の表情が加わるが、この役も素晴らしかったと思う。
 しかし、その後3年間、錦之助は美剣士を演じなかった。錦之助の年齢も二十代の終わりを迎えた頃、すなわち昭和37年、『源氏九郎颯爽記』第三部「秘剣揚羽の蝶」が伊藤大輔監督によって製作される。そして、これを最後にそれまで錦之助が数十度も演じ続けた美剣士は二度と登場することがなかった。



『御用金』

2006-10-12 02:38:22 | 美剣士・侍

 実を言うと、私は『御用金』(昭和44年)をずっと見逃してきた。なぜ封切りで観なかったのか、その理由はもう覚えていない。錦之助の映画はこの頃ちゃんと観ていたのに、『御用金』だけは観なかった。ともかく、この映画、ずっとビデオ化されていなかった。今でも日本国内ではビデオにもDVDにもなっていない。それが、三ヶ月ほど前、オークションで『御用金』のアメリカ版DVDが出品されているのを見つけて驚いた。そして、早速購入した。
 だが、入手してすぐ観ようしても、観られない。馬鹿なことに私は、日本とアメリカではDVDのシステムが違うことを知らなかったのだ。それにしても、アメリカ版のDVDが日本製のプレーヤーでは観られないというのはなんとも不便な話である。しかし、最近、その観方を人から教わり、パソコンに特別なソフトを入れて、ようやく観ることができた。観る前に私はちょっとドキドキした。もしかしてコトバが全部吹き替えで、英語だったらどうしようか?錦之助が英語を喋るかもしれない。それも面白いなーとちょっと期待したのだが、幸いと言おうか、あいにくと言おうか、英語の字幕スーパー入りだった。
 このアメリカ版DVDについて少し触れておこう。『御用金』(タイトルも“Goyokin”)は、“Tokyo Shock”(東京ショック)というシリーズの1本で、時代劇ではほかにテレビの『仕掛人藤枝梅安』(渡辺謙主演)と『座頭市』(勝新太郎主演)が発売されている。いかにもアメリカ人が好みそうな娯楽時代劇を選んだと思う。
 
 さて、『御用金』だが、私は結構面白く観た。二時間以上の長い映画だったが、最後まで飽きずに観ることができた。いかにも五社英雄らしい映画だなと思った。この映画、言ってみれば、ホラー映画とマカロニ・ウエスタンとブルース・リーのドラゴン物を混ぜくって娯楽時代劇に仕立てたような作品だった。しかし、決して安っぽい作りではなかった。壮大なスケールで、これでもかとばかりに見せ場を盛り込み、大向こうを唸らせようとした大作だった。この映画は本邦初のパナビジョンでもあり、またフジテレビと東京映画の共同製作であった。製作費もずいぶんかけたのではないかと思う。
 主演は仲代達矢で、相手役が丹波哲郎、それに浅丘ルリ子と司葉子が共演していた。錦之助はと言えば、特別出演といった感じだった。が、聞くところによると、この役はもともと三船敏郎がやることになっていた。しかし、三船が途中降板したため、錦之助が急遽代役を演じることになった。そこで、錦之助が日程を調整し、出演したという経緯があったらしい。だから、錦之助の出番が少なくなったのも当然だったのだろう。
 あらすじはこうだ。越前(福井県)鯖井藩の重臣・帯刀(たてわき)(丹波哲郎)が、財政困窮のため、佐渡から運んでくる御用金(金の延べ棒)を積んだ船を沈没させ、その御用金を奪い取るという計画を遂行する。その時御用金を船から引き揚げる手助けをした小さな村の漁民たちを皆殺しにしてしまう。藩の主謀者たちはこれを「神隠し」にあったと見せかける。この策謀に参加した藩士・孫兵衛(仲代達矢)は帯刀の残酷なやり方に反感を持ち、脱藩して浪人になる。孫兵衛(仲代)は帯刀(丹波)の親友でもあり、彼の妹(司葉子)を妻にしていたが、離縁してしまう。孫兵衛は江戸で鯖井藩が差し向けた刺客に会い、帯刀がまた、「神隠し」の手を使って、御用金を奪い取ろうとする策謀を知る。そして、今度こそこれを阻止するために、藩に戻ろうと決意する。途中で皆殺しになった漁村出身の女(浅丘ルリ子)や左門という謎の浪人(錦之助)に出会い、彼らの協力も得て、孫兵衛は帯刀が送った刺客たちと闘う。左門という浪人は、藩の策謀を探ろうとする公儀の隠密だった。
 ストーリーはやや複雑だったが、こういう娯楽時代劇はストーリーについて深く考えない方が良いかもしれない。叩けばボロが出て来ると思う。実際ストーリーの運び方や登場人物の行動については首をかしげたくなる点も多かった。
 ところで、仲代達矢と錦之助の共演はこの映画が初めてだった。以後、『地獄変』『幕末』と火花を散らす共演が続くが、この映画は小手調べみたいなものだった。錦之助が仲代に花を持たせ、脇に回った感じを受けた。仲代がシリアスな演技で通したのに対し、錦之助はひょうきんでとぼけた味を出していた。

 『御用金』は、今観ても物凄い迫力を感じる。映像も美しく、切れ味鋭いカットのつなぎも見事だった。これは、何よりもセットでの撮影を少なくしたのが良かったのだと思う。雪の多い冬の荒涼とした海辺をロケ地(下北半島だったとのこと)に選び、そこで映画の大部分を撮影したことが、画面を素晴らしいものにしていた。自然の厳しさと風雪にさらされ、必死で映画を作っているスタッフや俳優の熱気みたいなものが画面から伝わってきた。多分こんな娯楽時代劇はもう二度と作れないのではないかと思う。多額の制作費をかけて、これほど見世物的な娯楽時代劇を製作しようとする意欲的なプロデューサーも監督も、また時代劇をやれるホンモノの俳優も、いなってなってしまったからだ。

 最後にこの映画の見どころをいくつか挙げておく。居合い抜きの凄さや殺陣のすさまじさは映画を観て楽しんでもらいたい。そのほかの場面で私がいいなと感じたところを書いておく。
 一、浅丘ルリ子のあでやかさ。初めは漁村に帰ってくる娘姿で登場するが、途中から鉄火肌の女賭博師に変身する。全編モノトーンに近い画面の中で、彩りのある彼女の姿が引き立っていた。
 二、ファーストシーンに登場する無気味なカラスとその群れ。
 三、仲代達矢が、寒さで刀が握れないほどかじかんだ手を妻の懐で暖めるところ。司葉子が仲代の両手を自分の胸の中に入れさせ、暖めさせるのだが、これがこの映画で唯一のエロティックな場面だった。
 四、これはラストシーンだが、仲代と丹波の雪の中での決闘。最後、二人が抱きつくように雪の中に倒れ、丹波の体から真っ赤な血が流れ出すところ。ここはいかにも五社英雄がイメージし、描きたかった映像のように思った。


『待ち伏せ』

2006-10-02 16:58:30 | 美剣士・侍

 『待ち伏せ』(昭和45年)は、一応最後まで投げずに観られる娯楽時代劇だったが、二度、三度と繰り返し観たいと思うほど出来の良い映画ではなかった。いろいろな点で不満が残る映画だったと言える。それは、キャスティングの点にもあったし、映画の内容の点にもあった。

 まず、内容について言えば、洋画ではしばしば用いられるグランド・ホテル形式(特定の場所に登場人物たちが集まってドラマを展開し、その人間模様を描く映画の表現形式)を時代劇に取り入れようとしたアイディアそのものは良かったと思う。この映画は時代劇だから、もちろん設定した場所はホテルではなく、峠の茶屋だった。また、そこでどんな事件が起こるか分からないまま、話を進めて行ったことも観客にサスペンスを感じさせ、面白味があった。だから、前半までは飽きずに観ていられたのであろう。
 が、途中からストーリーの運び方にこじつけの多さを感じるようになり、ドラマが展開しないこともあって、もどかしさを覚えた。と同時に、この映画はダメだなと思った。後半は支離滅裂になりそうなストーリーをようやくまとめた印象を受け、映画の狙いも分からずじまい、ラストシーンの派手な殺陣で誤魔化されてしまった。アイディアは不発、人間模様が十分描けていない未完成な脚本のまま映画を作ってしまったとしか私には思えなかった。

 あらすじはこうだ。どこかの大藩の黒幕が腕の立つ浪人(三船敏郎)を金で雇う。浪人は、重大な事件が起こる場所へ行き、指示があるまで待機するよう命ぜられる。この浪人は、途中で、亭主に虐待されていた女(浅丘ルリ子)を救い出し、この女を連れて峠の茶屋にやって来る。ここは、爺さん(有島一郎)と孫娘の二人がやっているさびれた茶屋なのだが、浪人と女のほかに、何人か人物が現れる。旅鴉のやくざ(石原裕次郎)、むさくるしい風采の医者(勝新太郎)、そして、傷を負った奉行所の役人(中村錦之助)と捕らえた盗人がなだれ込んで、ストーリーが展開していく。
 前半は、登場人物の性格描写があったり、浪人と女、旅鴉と茶屋の娘の間に恋心の芽生えがあったりして、結構面白いのだが、祭りの太鼓を練習している若者達がどっと茶屋に詰め掛けるあたりから、訳が分からなくなった。後半で、盗人を奪い返そうと、悪党の一味が茶屋を占拠し、医者(勝新)がその首領だったことが判明、浪人の三船もこちらに加担して、話が変な方向に進んでしまう。御用金を運んで来る行列をここで襲撃するという目的が明らかになるや、裏切ったり裏切られたりで斬殺場面が増えていき、もう私は話について行けなくなってしまった。登場人物のドラマなどどこかへ吹っ飛んでしまい、まるで茶番劇みたいになったと思った。
 
 この映画は、ある意味で、「昔の名前で出ています」といった元映画スターの競演(単に共演でも良い)だけが見どころの映画でもあった。三船敏郎、石原裕次郎、勝新太郎、中村錦之助、そして浅丘ルリ子の五人が一堂に会して、丁々発止わたり合う時代劇であると言えば、それだけで凄いと思う映画ファンもいたかもしれない。しかし、戦後映画の全盛期、五社協定の厳しかった昭和30年代なら夢のような競演だったとしても、大手映画会社が凋落し、スターも輝きを失いつつあった当時 (1970年)を振り返えれば、五大スターの出演作と言ってもそれほど驚くべきことではなかった気がする。映画スターが専属会社を次々に辞め、いわゆるスター・プロを設立して、看板スター同士が助け合い精神を発揮していたのもこの頃である。観客は、すでにこうしたスターの競演にも慣れっこになっていたと思う。そして、スターばかり揃えて独立プロが製作したこの種の大作映画も、宣伝ばかり大袈裟で、実際映画館に足を運んで観てみると、映画自体の内容の空疎さにうんざりしていたことも事実である。昔の東映オールスター映画の方がずっと面白かったのだ。
 この映画、正直言って、三船敏郎だけをそのままにして、あとの配役はイメージに合いそうな俳優なら誰でも良かったような気がする。勝新太郎と浅丘ルリ子はこの役のままでも良いと思うが、旅人やくざがまったく似合わない石原裕次郎はご愛嬌で出演したに過ぎず、他の俳優が演じてもちっとも構わなかった。貧乏くじを引いて一番ひどかったのは錦之助である。錦之助が、なぜこんな詰まらない役をやらなければならないかと、強い疑問を抱いたファンも多かったにちがいない。私もその一人で、錦之助の演じたドモリの役人は、脇役みたいなもので、こんな役を演じなければならなかった錦之助に憐れすら感じるほどだった。錦之助が三船プロ製作の映画に出演した三本(ほかに『風林火山』と『新選組』がある)の中では、これは最悪の役柄だったと思う。

 『待ち伏せ』は、三船プロ製作、東宝配給の映画で、監督は稲垣浩だった。『風林火山』の大ヒットにあやかって、もう一度、稲垣浩を担ぎ出したまでは良かったが、それほどヒットせずに終わったのも、映画の出来ばえからして当然だったと思う。この映画が、稲垣浩の遺作になってしまったのは残念である。脚本は稲垣浩、小国英雄、高岩肇、宮川一郎の四人による共同執筆だったが、船頭多くして船山に登るとも言える作品になっていたと思う。



『真田風雲録』

2006-04-29 04:53:37 | 美剣士・侍

 加藤泰(1916~1985)が亡くなって早20年余りになるが、今また彼の映画を再認識しようというムードが盛り上がっているようだ。つい最近、東映ビデオから「DVDボックス加藤泰篇」(全5作品)が発売された。そして、「渋谷シネマヴェーラ」という映画館(今年1月渋谷に開館したばかりの邦画中心の名画座)では、「激情とロマン 加藤泰映画華」というキャッチ・フレーズで、約三週間にわたり彼の監督作品を計15本上映するのだという。その中に錦之助主演の映画が3本含まれていることを知って、急に私は嬉しくなり、早速そのうちの1本『真田風雲録』を観てきた。(他の2本は『遊侠一匹 沓掛時次郎』と『瞼の母』で、両方とも私はビデオでは何度も観ている作品だが、映画館で上映するとなれば、また渋谷へ行かなければなるまい。)
 『真田風雲録』(1963年)を観るのは実は今度が三度目で、昔、封切りのとき映画館で観て、そのずっと後(十数年前)またビデオで観たことがあった。が、二度とも私の感想はまあまあだった。今度はどう感じるだろうと思い、映画館で観ると違うかもしれないと内心楽しみにして見に行ったのである。これが三度目の正直なのだが、前よりもずっと面白く感じた。また、映像的な観点で新しい発見がたくさんあった。この映画に慣れたのであろうか、それとも見方を変えたせいなのか、今ならこの異色作を客観的に評価したり批判したりすることができるような気もしている。

 この映画を初めて観た時には期待はずれで非常にガッカリした覚えがある。小学校五年か六年の頃だから、単に錦之助が主演だということと、タイトルに惹かれて見に行ったのだと思う。当時は、映画というのは監督の名前で観るのではなく、まず主演者が一番、次にタイトルや宣伝文句が面白そうだと感じたら、見に行っていたわけで、『真田風雲録』の監督が加藤泰で、原作と脚本が福田善之であることすら知らなかった。なぜ、ガッカリしたかと言えば、真田十勇士が登場するにもかかわらず、手に汗握る攻防や思いもかけない策謀のある娯楽時代劇とはまったく違っていたからだ。多分少年の夢を託した十勇士のイメージを壊されたような気持ちがしたのだろう。それに、猿飛佐助に扮した錦之助もなんだかいつもと違っていて、ぱっとしない印象を受けた。現代風のへんちくりんな衣装で(茶色の丸首シャツに黒いチョッキ、首には赤いスカーフを巻き、細い黒ズボンに短靴を履いていた!)、しかも忍術ではなく超能力を使うのだから、佐助ファンも錦之助ファンも納得がいかなかったのは当然だったと思う。
 二度目に観たときもほぼ同じ感じがしたのだが、今回もう一度観て、初めて好ましからぬ第一印象を拭うことができた。変な期待をしないで観たのが良かったのかもしれない。つまるところ、この作品は真田十勇士を格好良く描きたかったわけではなく、十勇士はただ、挫折した青春群像を描くための「だしに使った」に過ぎなかった。そう考えてみると、違和感を覚えた登場人物たちの振舞いや言葉も面白おかしく感じられるようになったから不思議である。

 『真田風雲録』は、福田善之の戯曲で、大阪冬の陣・夏の陣で豊臣家に味方した真田十勇士の闘いを1960年の安保反対闘争になぞらえて戯画的に描いた作品だった。私は彼の戯曲を読んだこともなければ、当時大ヒットしたと言われる舞台(俳優座の公演で、重鎮千田是也が演出したそうだ)も見たことがない。だから、演劇に関してではなく、あくまでも映画の感想を述べるに過ぎないことをお断りしておく。
 ところで、60年安保闘争をなぞらえたと言っても、この映画には、政治色が希薄で、左翼的な思想性もなければ、挫折に対する自己批判のようなものも込められていなかった。ただ自分を生かし、自分のために闘って、格好良く死にたい、そんな共通意識で真田幸村の下に集まった真田党が、負け戦とは知りながらも自らの意志で戦い、味方に裏切られても挫けず、最後は格好悪く散っていく。映画『真田風雲録』は、こうしたストーリーをからっと明るくコメディ風に描いていた。戦乱時代劇の装いを借りた現代劇みたいなもので、セリフも現代的、衣装も佐助に限らず人物によっては現代風であった。アピールする思想が希薄だという点では、毒にも薬にもならない映画だったが、逆に枠にとらわれないハチャメチャさが、奔放なアイデアを生み、映像的な実験を試みる自由をもたらしたとも言える。たとえば、猿飛佐助は、赤ん坊の頃、隕石の放射能にあたり、超能力を持つに至ったのだが、この超能力の発揮の仕方が面白かった。佐助の目が青くなってその視線を投げると、不思議なことが起こるのだ。ミッキー・カーチスの爪弾くギターにその青い視線があたると、その音楽に超能力が伝わり、敵の侍たちがリズムに合わせ踊り出し、そのまま水の中へ進んでみんな溺れ死んでしまう場面など、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまった。「ハーメルンの笛吹き男」から借りたアイデアなのだろう。ほかにもミュージカル風で、面白い場面があった。大阪城に立てこもった若者たちが男女入り乱れ、ポピュラーなダンス音楽に合わせて踊り狂っている。そこへ、淀君率いる合唱隊が現れ、健全な音楽とはこういうものだと言って、みんなに聴かせるところも笑ってしまった。歌声喫茶の諷刺なのだ。
 映像的な試みとしては、加藤泰独特のカメラ・ワークもふんだんに見られた。ロー・アングル、クローズ・アップ、フレーム内での焦点の前後移動など。ロング・ショットでは、瓦屋根の上で、猿飛佐助と服部半蔵(原田甲子郎)が戦うシーンが圧巻だった。このシーンの錦之助はカッコ良かった。また、スチール写真の挿入、ストップ・モーションも多く使っていた。特に、真田幸村(千秋実)がずっこけた瞬間、死んだ敵の槍に突き刺さって格好悪く死ぬ場面や、大野修理(佐藤慶)が炎上する大阪城の部屋で焼け死ぬ寸前、熱くて飛び上がる場面でのストップ・モーションは効果的だった。また、コマ落とし(ジェリー藤尾が隊列を交通整理するシーンがおかしかった)もあり、セリフの字幕を入れるところもあって、サイレント映画の手法も取り入れていた。
 この映画は、加藤泰のフィルモグラフィーの中でもひと際異色な作品だが、あの不器用なほど生真面目な監督が、柄にもなく、よくもまあこんなものを作ったなーという感じなのだ。良く言えば、自由奔放、映像でしか表現できない実験精神あふれる映画、悪く言えば、行き当たりばったりの思いつきで悪ふざけしているような映画だった。だから、非常に面白いと感じた場面もたくさんあったし、観ている方が白けてしまい苦笑いをするほかない場面もたくさんあった。
 出演者に関しては、主役の錦之助はシリアスな演技で、相手役の渡辺美佐子(お霧といい、霧隠才蔵が女で、佐助の恋人役なのだ!)もそうだったが、この二人がちょっと映画の中では浮いているような印象を受けた。ほかの十勇士(ジェリー藤尾、常田富士男、米倉斉加年など)が漫画的で深みがなく、軽い役だったから余計目立ったのかもしれない。それと、これはミーハー的な見どころだが、錦之助と渡辺美佐子のキス・シーンがあった。しかも二人の唇が接するところをクローズ・アップで撮っているのには驚いた。目立った出演者としては、本間千代子(懐かしいな!)の千姫が愛嬌満点、花柳小菊の淀君がとぼけていてユニークだった。

*『真田風雲録』の映画化は東映のプロデューサーが企画し、初めは沢島忠が監督する予定だったそうだ。それがどういうわけか流れて、加藤泰のところに話が回ってきた。加藤泰は、その前に劇場公演を見て面白く思っていたので、喜んで引き受けたという。(『世界の映画作家14 加藤泰&山田洋次』(キネマ旬報社刊)所収のインタヴュー「加藤泰・自伝と自作を語る」より)





『ゆうれい船』

2006-04-18 00:12:14 | 美剣士・侍

 前にも書いたが、私は物心つくかつかない頃からずっと東映の映画ばかり観ていた。が、いつ何を観たのかがもうはっきり分からなくなっている。先日『笛吹童子』の第一部だけを半世紀ぶりに見直してみたのだが、幾つかのシーンで「ここ、憶えている。あっ、ここも見たことがある」と感じ、不思議な気持ちになった。『笛吹童子』第一部は昭和29年4月公開、私は二歳になったばかりで、封切りのとき観たのではないことだけは確かである。リバイバル上映をどこかで観たにちがいない。情けない話だが、幼ないのころ観た東映の映画はそんな感じの映画ばかりである。
 
 『ゆうれい船』(昭和32年)も昔観た覚えがあった。が、錦之助が犬を連れていたことと、船に乗って海に出ることだけが、記憶の網に引っかかっている程度だった。ビデオを観る前に、子供だましの安っぽい冒険映画ならイヤだなと思っていた。前篇と後篇があって全部で3時間近くになる。前篇がつまらなければ、途中でやめようと思っていた。ただ、原作が大佛次郎、監督が娯楽映画の巨匠松田定次なので、ちょっとは期待していたが…。ところが、見始めて10分もしないうちに面白くなり、寝転んで眺めているどころではなくなった。起き上がり、画面の前に座って私はこの映画を見続けた。前篇を見終わると、すぐに後篇のカセットを入れた。そして3時間一気に観てしまった。

 『ゆうれい船』は、少年の夢と冒険心を十二分に満たしてくれる楽しい映画だった。何を隠そう、初老の私がこの映画を観て「少年」の気持ちに帰ることができたのだから、嬉しかった。もちろん、純粋な「少年」ではないので、ハラハラ・ドキドキ、手に汗握って見たわけではないが、それに近いものがあった。当時封切りでこの映画を観た少年たちの感動は推して知るべし、だと思った。『ゆうれい船』は、昭和32年9月公開作品だが、総天然色でしかもシネマスコープである。シネスコが初登場するのは同じ昭和32年の初めだから(松田定次監督、大友柳太朗主演の『鳳城の花嫁』がその記念碑的映画)、シネスコがまだ珍しい頃のことである。この映画にリアル・タイムで接した人たちはその迫力に圧倒されたにちがいない。とくに『ゆうれい船』後篇は、海でのロケ・シーンも多く、東映が製作費を相当つぎ込んで作った映画でもあった。
 主人公は、次郎丸という剣士まがいの美少年である。剣士まがいと言うのも、実は次郎丸は船乗りの息子だからで、武士になりたくて京都にやって来たのだった。白い着物にモンペのような朱色の袴、刀を一本差して登場、これが錦之助である。次郎丸は一匹の白い犬を連れている。中型の紀州犬(?)で、名前はシロ。この犬がなかなか良い。時代は、戦国乱世の初期。松永弾正が権勢をふるい、京都は荒れている。主家を滅ぼされた残党が跋扈し、貧民は暴動を起こしている。京都に出て、次郎丸は、悪人・善人、さまざまな人たちに出会い、いろいろな体験をする。


 『ゆうれい船』前篇は、世間知らずの次郎丸が京都で雪姫をめぐる争いに巻き込まれ、善悪の分別に目覚めていくストーリーである。次郎丸は15歳という設定で、錦之助は実際の年齢(25歳)よりずっと若い役をやっている。『笛吹童子』の菊丸、『紅孔雀』の小四郎といったキャラクターの踏襲である。私は錦之助の少年美剣士役を今ではあまり買っていない。個性のない操り人形のようで、頼りなさを感じるからである。ただし、この映画の錦之助は、ちょっと違っていた。成長の跡が明らかに見られ、主人公次郎丸を意識的に演技していた。そこに好感を持った。この映画には当時新人の桜町弘子が女中役で出演していたが、この娘を救う次郎丸の錦之助の演技がなかなか良かった。美しい雪姫が長谷川裕見子、次郎丸の面倒を見る武将の左馬之助が大友柳太朗だった。大友柳太朗は、大根役者と呼ばれることが多いが、そんなことはない。東映のスターの中ではむしろ芸達者な方で、私の好きな男優の一人である。ほかに、いつもは悪役ばかりの三島雅夫が百姓くずれの善良な浮浪児役(若作りだった)、山形勲も味方の武士役で(後篇では悪い海賊)、これにはいささか面食らった。

 さて、後篇は、船に乗って海に出る話だ。次郎丸は武士になることを諦め、父の後を継いで立派な船乗りになろうと決心している。そして、沈没したとばかり思っていた父の船を海で目撃したことから話が展開していく。この「ゆうれい船」を追いかけるうちに、海賊が現れたり、雪姫がさらわれたり、奇想天外な冒険ストーリーが始まる。琉球の離れ小島で、竜宮城のような平和のユートピアが現れたのには驚いた。そこに遭難して死んだはずの父(大河内伝次郎)が生きていたのだ。この島の王様が仙人みたいな老人(薄田研二)で、海賊がこの島にもぐり込んだあたりからは、予想もつかない展開になる。いったいこの話の結末がどこにたどり着くのか、私はむしろ作品自体の方が心配になり、ハラハラしてしまった。が、さすが、娯楽大作のプロ、松田定次が監督した映画である。最後は、このユートピアの王様が海賊もろとも島を爆破し、次郎丸は父に再会して、めでたし、めでたし。父を連れ、仲間や島民とともに島を脱出し、ゆうれい船に乗って海へ出て行く。海のどこかに平和の国を再建する新たな島を求めて……。