『宮本武蔵』第二部「般若坂の決斗」では、武蔵が宝蔵院の道場で槍使いの阿厳(あごん)と試合をするシーンと、般若坂ですさまじい決闘を繰り広げるラストシーンが、まさに息を呑む見せ場であることは言うまでもない。順序は逆になるが、まず第二部の副題にもなっている「般若坂の決斗」シーンから語ってみたい。
奈良の般若野で、待ち伏せしていた牢人どもを(吉川英治は、「浪人」ではなく「牢人」という字を遣う)武蔵が次々に斬り倒していく場面は、第四部の「一乗寺の決斗」と甲乙つけがたいほど凄絶で、迫力満点だった。いや、瞬間的な迫力から言えば、「般若坂の決斗」の方が優っているかもしれない。なにしろ錦之助の武蔵の殺陣が素晴らしい。この時武蔵はまだ二刀流ではなく(二刀流開眼していなかった)、大刀一本で複数の敵に斬りかかっていく。敵は、武蔵を恨み、仕返しをしようとする不良牢人たちである。みな大して強い相手ではないが、束になっているので、あなどれない。武蔵が手ごわい敵だと思っていた宝蔵院の坊主たちは槍を持ってただ見守っていたにすぎないのだが、武蔵が戦わなければならない牢人は何人居たであろうか。二十数人は居たと思う。この多勢の敵に武蔵は一人で立ち向かっていく。
武蔵の戦い方は実戦的である。複数の敵にいっぺんに斬りかかられてはやられてしまうから、逆に敵の一人一人を目標にこちらから襲いかかるわけだ。これは「一乗寺の決斗」で武蔵が吉岡一門七十三人を相手にする時も同じだった。一人を斬り倒すと、すぐに違う相手に斬りかかる。武蔵は一箇所に留まっていない。走り回って、敵をまるで蹴散らすかのように、敵の陣を分断し、常に一対一の戦いを仕掛けていく。武蔵は息を止めて、まず九人をまとめて斬り倒す。なんと九人である!その後、いったん敵から遠ざかり、丘の高い所に上がって気息を整える。(この時の錦之助の武蔵が、鳥肌が立つほどカッコ良い!)そして、また次の相手に挑みかかる。四人斬って、また息を整え、二人斬る。決闘が始まってこの間約二分、全部で十五人斬ったことになる。
この一連のシーンは、観ているこちらも息が止まる。武蔵の息継ぎに合わせてこちらも息を吸っている。般若坂の決斗の場面は、時代劇映画の立ち回りシーンの白眉だと思う。内田吐夢の演出はもちろん、カメラワークもカット割りも見事、錦之助の殺陣も見事だった。殺陣師は足立伶二郎だが、非常にリアルな立ち回りになっていた。注目すべきことは、従来のチャンバラとは違い、一人一人の殺し方が実に丁寧なのだ。いや、丁寧と言っては語弊がある。太刀さばきが理にかなっていて無駄がないと言った方が良い。今までのチャンバラでは、斬られ役がいかにも斬られるために主役にかかってくる感じで、主役はただそれを刀で斬った風に見せかけていた。チャンバラは一種の舞踊みたいなものなので、主役の立ち回りが格好良ければ良いわけで、あとは斬られ役が大袈裟に斬られる動作をして、うまく殺されたように演技してくれる。内田吐夢は、舞踊のようなチャンバラ、うそ臭い殺陣は好まなかった。錦之助も若い頃から立ち回りには研究を続け、一作ごとに進歩を見せていたが、錦之助の研ぎ澄まされた殺陣が最高の到達点に達した作品は、『宮本武蔵』第二部だったのではないかと思う。
般若坂の決斗シーンは、一対多数の立ち回りであったが、宝蔵院での阿厳との試合は、一対一の闘いだった。これほど武蔵の強さを見せつけた場面もなかったと思う。こんなことを書いてはどうかとも思うが、吉岡清十郎や伝七郎や佐々木小次郎との闘いよりも、武蔵の強さが際立って見えたのは、この阿厳との試合だったと私は思っている。阿厳を演じたのは山本麟一であるが、これがまた強そうで、凄い相手だったから余計にそう感じたにちがいない。聞くところによると、山本麟一は槍の使い手であるこの役を演じるにあたり、半年も槍の稽古に励んでからこの映画に臨んだのだという。闘志満々ではないか!
武蔵と試合をする前に阿厳は長い棒を振り回し、道場の羽目板を突き破るのだが、このデモンストレーションが非常に良かった。彼の顔つきだけでも異様でコワモテなのに、棒を振り回すその迫力は真に迫り、本当に強そうなのだ。実はその前に阿厳が一人の牢人と試合をする場面があり、一撃で打ち倒された相手が床で痙攣を起こし、のた打ち回って絶命している。この牢人が死ぬ場面(俳優の名前は知らないが、名演だった!)を内田吐夢はじっくり撮って、さらに坊主たちにこの死体を引きずり出させて、床に落ちた血を拭き掃除までさせる。こうした懲り様は、さすが吐夢である。
そうしたマニヤックな前置きがあって、武蔵は阿厳といよいよ試合に臨むのだ。さあ、始まるかという時に、道場の窓から、月形龍之介の日観が声をかける。「バカ!阿厳の大たわけ。相手は羽目板とは違うぞ。試合はあさってにしておけ!」このあたりの間も入れ方も心憎い。相撲の仕切り直しみたいではないか。逆上する阿厳。落ち着き払った武蔵。勝負は一瞬に決する。阿厳が棒を振り上げようとした瞬間、武蔵の木剣が襲いかかる。突くような一撃である。目にも留まらぬ速さとはこのことであろう。(私はDVDで何度もこの瞬間を観察しているのだが、阿厳の上半身のどこに木剣の一撃が加えられたのかが分からない。)阿厳は3メートルほど後ろに飛んで、コマのようにくるくる回りぶっ倒れる。「即死」だった。(これは試合の後、茶室で月形龍之介の日観が武蔵に語った報告である。)(つづく)
奈良の般若野で、待ち伏せしていた牢人どもを(吉川英治は、「浪人」ではなく「牢人」という字を遣う)武蔵が次々に斬り倒していく場面は、第四部の「一乗寺の決斗」と甲乙つけがたいほど凄絶で、迫力満点だった。いや、瞬間的な迫力から言えば、「般若坂の決斗」の方が優っているかもしれない。なにしろ錦之助の武蔵の殺陣が素晴らしい。この時武蔵はまだ二刀流ではなく(二刀流開眼していなかった)、大刀一本で複数の敵に斬りかかっていく。敵は、武蔵を恨み、仕返しをしようとする不良牢人たちである。みな大して強い相手ではないが、束になっているので、あなどれない。武蔵が手ごわい敵だと思っていた宝蔵院の坊主たちは槍を持ってただ見守っていたにすぎないのだが、武蔵が戦わなければならない牢人は何人居たであろうか。二十数人は居たと思う。この多勢の敵に武蔵は一人で立ち向かっていく。
武蔵の戦い方は実戦的である。複数の敵にいっぺんに斬りかかられてはやられてしまうから、逆に敵の一人一人を目標にこちらから襲いかかるわけだ。これは「一乗寺の決斗」で武蔵が吉岡一門七十三人を相手にする時も同じだった。一人を斬り倒すと、すぐに違う相手に斬りかかる。武蔵は一箇所に留まっていない。走り回って、敵をまるで蹴散らすかのように、敵の陣を分断し、常に一対一の戦いを仕掛けていく。武蔵は息を止めて、まず九人をまとめて斬り倒す。なんと九人である!その後、いったん敵から遠ざかり、丘の高い所に上がって気息を整える。(この時の錦之助の武蔵が、鳥肌が立つほどカッコ良い!)そして、また次の相手に挑みかかる。四人斬って、また息を整え、二人斬る。決闘が始まってこの間約二分、全部で十五人斬ったことになる。
この一連のシーンは、観ているこちらも息が止まる。武蔵の息継ぎに合わせてこちらも息を吸っている。般若坂の決斗の場面は、時代劇映画の立ち回りシーンの白眉だと思う。内田吐夢の演出はもちろん、カメラワークもカット割りも見事、錦之助の殺陣も見事だった。殺陣師は足立伶二郎だが、非常にリアルな立ち回りになっていた。注目すべきことは、従来のチャンバラとは違い、一人一人の殺し方が実に丁寧なのだ。いや、丁寧と言っては語弊がある。太刀さばきが理にかなっていて無駄がないと言った方が良い。今までのチャンバラでは、斬られ役がいかにも斬られるために主役にかかってくる感じで、主役はただそれを刀で斬った風に見せかけていた。チャンバラは一種の舞踊みたいなものなので、主役の立ち回りが格好良ければ良いわけで、あとは斬られ役が大袈裟に斬られる動作をして、うまく殺されたように演技してくれる。内田吐夢は、舞踊のようなチャンバラ、うそ臭い殺陣は好まなかった。錦之助も若い頃から立ち回りには研究を続け、一作ごとに進歩を見せていたが、錦之助の研ぎ澄まされた殺陣が最高の到達点に達した作品は、『宮本武蔵』第二部だったのではないかと思う。
般若坂の決斗シーンは、一対多数の立ち回りであったが、宝蔵院での阿厳との試合は、一対一の闘いだった。これほど武蔵の強さを見せつけた場面もなかったと思う。こんなことを書いてはどうかとも思うが、吉岡清十郎や伝七郎や佐々木小次郎との闘いよりも、武蔵の強さが際立って見えたのは、この阿厳との試合だったと私は思っている。阿厳を演じたのは山本麟一であるが、これがまた強そうで、凄い相手だったから余計にそう感じたにちがいない。聞くところによると、山本麟一は槍の使い手であるこの役を演じるにあたり、半年も槍の稽古に励んでからこの映画に臨んだのだという。闘志満々ではないか!
武蔵と試合をする前に阿厳は長い棒を振り回し、道場の羽目板を突き破るのだが、このデモンストレーションが非常に良かった。彼の顔つきだけでも異様でコワモテなのに、棒を振り回すその迫力は真に迫り、本当に強そうなのだ。実はその前に阿厳が一人の牢人と試合をする場面があり、一撃で打ち倒された相手が床で痙攣を起こし、のた打ち回って絶命している。この牢人が死ぬ場面(俳優の名前は知らないが、名演だった!)を内田吐夢はじっくり撮って、さらに坊主たちにこの死体を引きずり出させて、床に落ちた血を拭き掃除までさせる。こうした懲り様は、さすが吐夢である。
そうしたマニヤックな前置きがあって、武蔵は阿厳といよいよ試合に臨むのだ。さあ、始まるかという時に、道場の窓から、月形龍之介の日観が声をかける。「バカ!阿厳の大たわけ。相手は羽目板とは違うぞ。試合はあさってにしておけ!」このあたりの間も入れ方も心憎い。相撲の仕切り直しみたいではないか。逆上する阿厳。落ち着き払った武蔵。勝負は一瞬に決する。阿厳が棒を振り上げようとした瞬間、武蔵の木剣が襲いかかる。突くような一撃である。目にも留まらぬ速さとはこのことであろう。(私はDVDで何度もこの瞬間を観察しているのだが、阿厳の上半身のどこに木剣の一撃が加えられたのかが分からない。)阿厳は3メートルほど後ろに飛んで、コマのようにくるくる回りぶっ倒れる。「即死」だった。(これは試合の後、茶室で月形龍之介の日観が武蔵に語った報告である。)(つづく)