『海の若人』の錦之助は、現代のジャニーズ系の元祖ではないかと見紛うほどのアイドル的な魅力を発揮している。商船学校生を演じた他の俳優と比べても、段違いの若さと溌剌さで、スターの輝きを放っていた。とても22歳には見えず、十代の美少年のあどけなさが残っているように感じる。また、話し方も動作も自然で、本人が心配していたような時代劇臭さはまったく窺えない。
美空ひばりは錦之助の相手役として申し分なかった。ひばりは歌だけでなく、演技も抜群にうまい。演技力に加え、アイドル性とスターの輝きを持った稀有な女優だと感じる。当時17歳とは思えないほど大人びていて、錦之助とは同学年のようだ。森永チョコレート・コンビとして宣伝に起用されるように、当時お揃いのカップルと言えた。
クレジットタイトルでは、中村錦之助と美空ひばりが二枚看板として並ぶが、ひばりの名前の横に特別出演と書いてある。ひばりが主演ではなく助演だったので、東映が気を遣ったのだろう。あるいはひばり側の要望だったのかもしれない。ひばりの映画には歌が付き物であるが、『海の若人』で、ひばりが歌を唄う場面は一回しかない。錦之助と二人で丘に登る時に、ハイキングの歌(題名は不詳)をさらっと唄う程度である。むしろ錦之助の方が主題歌を唄うので、歌手をも兼ねていた。
錦之助とひばりの二人の場面がやはりこの映画の見どころである。次に、錦之助と田代百合子の場面が面白く、そして、前回書いた錦之助と英百合子の場面が印象深い。
青春ドラマに恋愛は欠かせないが、三角関係をどう描くかが映画のポイントになる。『海の若人』は、男と女二人の三角関係で、錦之助とひばりの純愛関係に芸者役の田代百合子が邪魔に入るという格好である。
小道具として使われるのがパーカーの万年筆(当時のブランド物)で、これが誤解の原因になるのだが、この小道具の扱い方が面白いし、巧みであった。パーカーの万年筆で、ストーリーを転がしたのは舟橋和郎のシナリオ上の工夫である。ひばりが筆箱から兄のアメリカ土産だったパーカーを取り出して、帰っていく錦之助を追いかけ、プレゼントする場面から始まって、錦之助が田代百合子の部屋でパーカーを落とし、これが反対派の不良学生の手に渡って、問題にされる。錦之助とひばりが楽しいハイキングへ行ったあと、帰りのバスに田代百合子が乗り込んできて、錦之助に親しく話しかけ、「万年筆、お布団の中にあったのよ」と言う。ここで、ひばりがなんと錦之助に蹴りを入れるのだが、ひばりは錦之助に失望し、絶交を言い渡す。それからいろいろあって、疑惑が晴れ、最後は遠洋航海に出る錦之助の胸ポケットにパーカーが戻って、見送りに来たひばりに、錦之助がパーカーを見せながら、お守りがわりにして君のことは忘れないよ(言葉にはしない)といった態度を示し、ハッピー・エンド。
田代百合子は、芸者役なのでずっと着物で通したが、色っぽさがないので、錦之助を誘惑する役としては今ひとつだった。喜多川千鶴あたりならぴったりだったという気もする。
錦之助が重そうな田代をおぶって、夜の街路を歩いていくところから芸者屋での会話の場面、錦之助が二階からの梯子段から落っこちて(錦之助がこういうズッコケ芝居をするのは珍しい)、あわてて芸者屋から帰っていくまでのシークエンスが微笑ましく面白い。錦之助が玄関のたたきで田代をおろすと、足をくじいた田代が嘘っぽく「あっ、痛い」と言い、二階までかついでくれとせがむ。仕方なく、錦之助が背中を出し、ぶっきら棒に「どうぞ」と言うが、そのひと言が錦之助の地が出た普通のしゃべり方なのでおかしい。二階にあがると、布団が敷いてある。これが意味深で、やたら田代が錦之助を引きとめようとするのが誘惑のサインらしく、錦之助もドキマギし、この場面を見ている観客にもハラハラさせようという意図なのだが、全然そういう感じには描かれていない。シナリオも演出も、いやらしさを避けて、さらっと流していた。少年少女向けに作ったので仕方がなかったのだろうが、食い足りない気がしないでもない。
錦之助がパーカーの万年筆を探しに再び田代の芸者屋を訪ねるシーンで、帰り際、錦之助がまたあわてて玄関のたたきでズッコケるところがあるが、これは、ギャグは手を変えて二度使うと、あとの方の笑いが増すという鉄則に従ったものだ。錦之助はまたズッコケ芝居をやらされたわけだ。
『海の若人』には、面白いセリフや楽屋落ちもちりばめられていた。
錦之助が食いしん坊だということから、天丼、蒲焼、おいなりさんという名前を出して、食べ物を想像させたところはユーモラスだった。
いかがわしい成金のようなワルの役は星十郎だったが、役名が田岡というのには驚く。ひばりの後援者だった山口組の田岡組長を暗示したものなのか、あるいは偶然の一致なのか。
ラストの船の中で、商船学校生の福島正剛が盲腸になって苦しむが、これは実際盲腸になった錦之助に当てつけたものである。
ひばりの兄の結婚披露宴に、錦之助とひばりが出席して、仲良く並んで会話を交わす場面があるが、ここも二人の将来を示唆しているようで面白い。
錦之助が芸者遊びをして、ひばりがやきもきし、寂しがるという映画の内容は、現実に近いことだったと思うし、この映画の二人の様子は妙にリアルだった。
『海の若人』は、今見ると興味深く、映画自体もなかなか良く出来ていたと感じる。22歳の錦之助の素顔が見られる点でも貴重だ。シナリオも練れているし、監督の瑞穂春海も松竹のベテランらしく、手馴れた演出で、水準以上の青春ドラマに仕上げている。この善光寺のお坊さん監督は、足フェチらしく、ひばりの太い足首をアップで二度も写している。まあ、これはどうでもいい。港や海でのロケ撮影も生かされ、編集も、短期間で切羽詰って行なったとは思えないほど手際よくまとまっている。錦之助とひばりのシーンのカットつなぎも、省略法で小気味よい。特撮も当時としては頑張っていたと思う。
どうしてこの映画がヒットしなかったのか不思議なのだが、錦之助ファンとひばりファンの両方に受けなかったというのが最大の原因だったと言われている。どちらのファンもティーンエイジャーが圧倒的に多かったが、『海の若人』は、まず、チャンバラ好きの少年ファンが見る映画ではなかったのだろう。男の子は颯爽としたチャンバラスターの錦之助が見たかったにちがいない。少女ファンは、憧れの錦ちゃんがひばりと仲良く共演するのを望んでいなかった。ファンの心理は複雑なのだ。ひばりと錦之助が接近すればするほど、反感が増したようだ。ひばりのファンも同様で、とくに女性ファンはひばりにレズビアン的な愛情を注いでいたと思うのだが、嫉妬に駆られて、錦之助との相思相愛ぶりを見たがらなかった。ファンの嗅覚は鋭く、ひばりと錦之助がプライベートでも親しくしているのを察知し、これみよがしに映画でも共演するのを毛嫌いしたのだろう。
錦之助は後年、こう語っている。
――これは評判が良くなかった。私は現代ものに出ることになんの違和感もなかったのですが、ファンの方が抵抗を感じたようです。
「面白くない」「時代劇の方がずっといい」という投書が、ずいぶんありました。現代劇というより、ひばりさんとの共演が気に入らない人がいたようなのです。
ひばりさんのファン、私を応援してくださる人、それぞれイメージを描いていましたから、反感を買ったのですね。「ラブシーンは、目をつぶって見なかった」という投書があったくらいですから。(「わが人生悔いなくおごりなく」)
映画を見ると分かるが、錦之助とひばりのラブシーンなどまったくない。それらしきものと言えば、二人でピクニックへ行き、丘の上でお弁当を食べるところである。
思うに、錦之助ファンもひばりファンも女性たちは興味津々の気持ちで、この映画を見たはずだ。むしろ、二人のファンではない一般観客に敬遠され、受けなかったのだろう。
結局、錦之助は、『海の若人』の失敗で、現代劇にはずっと出ることがなく、時代劇に専念することになった。東映時代、錦之助が現代人として洋服で登場するのは、『森の石松鬼より恐い』と『武士道残酷物語』の最初と最後の場面だけで、この2本も作品的には時代劇である。また、東映東京撮影所での錦之助の映画出演もこの1本に終わっている。東映東京は現代劇の若手人気スター不在のまま、ずっと映画を製作し続けていく。日活現代劇に石原裕次郎が登場し、デビューするのは、昭和31年5月公開の『太陽の季節』だったが、裕次郎ブームが沸き立つように起こるのはその一年後である。
美空ひばりとの関係も以後、表沙汰にせず、潜行する形をとったようだ。その間、ひばりと錦之助の双方の関係者が二人の将来を憂慮し、二人の間に距離を置かせ、仲を引き裂くように仕向けていったのだと思う。ひばりは17歳、錦之助は22歳で、あまりにも若すぎたし、人気絶頂のトップスター同士の交際は、歌謡界・映画界にとってマイナス面が大きすぎたからだ。錦之助とひばりの共演作は、『おしどり駕篭』(昭和33年1月公開)まで2年8ヶ月あまりない。(終わり)
美空ひばりは錦之助の相手役として申し分なかった。ひばりは歌だけでなく、演技も抜群にうまい。演技力に加え、アイドル性とスターの輝きを持った稀有な女優だと感じる。当時17歳とは思えないほど大人びていて、錦之助とは同学年のようだ。森永チョコレート・コンビとして宣伝に起用されるように、当時お揃いのカップルと言えた。
クレジットタイトルでは、中村錦之助と美空ひばりが二枚看板として並ぶが、ひばりの名前の横に特別出演と書いてある。ひばりが主演ではなく助演だったので、東映が気を遣ったのだろう。あるいはひばり側の要望だったのかもしれない。ひばりの映画には歌が付き物であるが、『海の若人』で、ひばりが歌を唄う場面は一回しかない。錦之助と二人で丘に登る時に、ハイキングの歌(題名は不詳)をさらっと唄う程度である。むしろ錦之助の方が主題歌を唄うので、歌手をも兼ねていた。
錦之助とひばりの二人の場面がやはりこの映画の見どころである。次に、錦之助と田代百合子の場面が面白く、そして、前回書いた錦之助と英百合子の場面が印象深い。
青春ドラマに恋愛は欠かせないが、三角関係をどう描くかが映画のポイントになる。『海の若人』は、男と女二人の三角関係で、錦之助とひばりの純愛関係に芸者役の田代百合子が邪魔に入るという格好である。
小道具として使われるのがパーカーの万年筆(当時のブランド物)で、これが誤解の原因になるのだが、この小道具の扱い方が面白いし、巧みであった。パーカーの万年筆で、ストーリーを転がしたのは舟橋和郎のシナリオ上の工夫である。ひばりが筆箱から兄のアメリカ土産だったパーカーを取り出して、帰っていく錦之助を追いかけ、プレゼントする場面から始まって、錦之助が田代百合子の部屋でパーカーを落とし、これが反対派の不良学生の手に渡って、問題にされる。錦之助とひばりが楽しいハイキングへ行ったあと、帰りのバスに田代百合子が乗り込んできて、錦之助に親しく話しかけ、「万年筆、お布団の中にあったのよ」と言う。ここで、ひばりがなんと錦之助に蹴りを入れるのだが、ひばりは錦之助に失望し、絶交を言い渡す。それからいろいろあって、疑惑が晴れ、最後は遠洋航海に出る錦之助の胸ポケットにパーカーが戻って、見送りに来たひばりに、錦之助がパーカーを見せながら、お守りがわりにして君のことは忘れないよ(言葉にはしない)といった態度を示し、ハッピー・エンド。
田代百合子は、芸者役なのでずっと着物で通したが、色っぽさがないので、錦之助を誘惑する役としては今ひとつだった。喜多川千鶴あたりならぴったりだったという気もする。
錦之助が重そうな田代をおぶって、夜の街路を歩いていくところから芸者屋での会話の場面、錦之助が二階からの梯子段から落っこちて(錦之助がこういうズッコケ芝居をするのは珍しい)、あわてて芸者屋から帰っていくまでのシークエンスが微笑ましく面白い。錦之助が玄関のたたきで田代をおろすと、足をくじいた田代が嘘っぽく「あっ、痛い」と言い、二階までかついでくれとせがむ。仕方なく、錦之助が背中を出し、ぶっきら棒に「どうぞ」と言うが、そのひと言が錦之助の地が出た普通のしゃべり方なのでおかしい。二階にあがると、布団が敷いてある。これが意味深で、やたら田代が錦之助を引きとめようとするのが誘惑のサインらしく、錦之助もドキマギし、この場面を見ている観客にもハラハラさせようという意図なのだが、全然そういう感じには描かれていない。シナリオも演出も、いやらしさを避けて、さらっと流していた。少年少女向けに作ったので仕方がなかったのだろうが、食い足りない気がしないでもない。
錦之助がパーカーの万年筆を探しに再び田代の芸者屋を訪ねるシーンで、帰り際、錦之助がまたあわてて玄関のたたきでズッコケるところがあるが、これは、ギャグは手を変えて二度使うと、あとの方の笑いが増すという鉄則に従ったものだ。錦之助はまたズッコケ芝居をやらされたわけだ。
『海の若人』には、面白いセリフや楽屋落ちもちりばめられていた。
錦之助が食いしん坊だということから、天丼、蒲焼、おいなりさんという名前を出して、食べ物を想像させたところはユーモラスだった。
いかがわしい成金のようなワルの役は星十郎だったが、役名が田岡というのには驚く。ひばりの後援者だった山口組の田岡組長を暗示したものなのか、あるいは偶然の一致なのか。
ラストの船の中で、商船学校生の福島正剛が盲腸になって苦しむが、これは実際盲腸になった錦之助に当てつけたものである。
ひばりの兄の結婚披露宴に、錦之助とひばりが出席して、仲良く並んで会話を交わす場面があるが、ここも二人の将来を示唆しているようで面白い。
錦之助が芸者遊びをして、ひばりがやきもきし、寂しがるという映画の内容は、現実に近いことだったと思うし、この映画の二人の様子は妙にリアルだった。
『海の若人』は、今見ると興味深く、映画自体もなかなか良く出来ていたと感じる。22歳の錦之助の素顔が見られる点でも貴重だ。シナリオも練れているし、監督の瑞穂春海も松竹のベテランらしく、手馴れた演出で、水準以上の青春ドラマに仕上げている。この善光寺のお坊さん監督は、足フェチらしく、ひばりの太い足首をアップで二度も写している。まあ、これはどうでもいい。港や海でのロケ撮影も生かされ、編集も、短期間で切羽詰って行なったとは思えないほど手際よくまとまっている。錦之助とひばりのシーンのカットつなぎも、省略法で小気味よい。特撮も当時としては頑張っていたと思う。
どうしてこの映画がヒットしなかったのか不思議なのだが、錦之助ファンとひばりファンの両方に受けなかったというのが最大の原因だったと言われている。どちらのファンもティーンエイジャーが圧倒的に多かったが、『海の若人』は、まず、チャンバラ好きの少年ファンが見る映画ではなかったのだろう。男の子は颯爽としたチャンバラスターの錦之助が見たかったにちがいない。少女ファンは、憧れの錦ちゃんがひばりと仲良く共演するのを望んでいなかった。ファンの心理は複雑なのだ。ひばりと錦之助が接近すればするほど、反感が増したようだ。ひばりのファンも同様で、とくに女性ファンはひばりにレズビアン的な愛情を注いでいたと思うのだが、嫉妬に駆られて、錦之助との相思相愛ぶりを見たがらなかった。ファンの嗅覚は鋭く、ひばりと錦之助がプライベートでも親しくしているのを察知し、これみよがしに映画でも共演するのを毛嫌いしたのだろう。
錦之助は後年、こう語っている。
――これは評判が良くなかった。私は現代ものに出ることになんの違和感もなかったのですが、ファンの方が抵抗を感じたようです。
「面白くない」「時代劇の方がずっといい」という投書が、ずいぶんありました。現代劇というより、ひばりさんとの共演が気に入らない人がいたようなのです。
ひばりさんのファン、私を応援してくださる人、それぞれイメージを描いていましたから、反感を買ったのですね。「ラブシーンは、目をつぶって見なかった」という投書があったくらいですから。(「わが人生悔いなくおごりなく」)
映画を見ると分かるが、錦之助とひばりのラブシーンなどまったくない。それらしきものと言えば、二人でピクニックへ行き、丘の上でお弁当を食べるところである。
思うに、錦之助ファンもひばりファンも女性たちは興味津々の気持ちで、この映画を見たはずだ。むしろ、二人のファンではない一般観客に敬遠され、受けなかったのだろう。
結局、錦之助は、『海の若人』の失敗で、現代劇にはずっと出ることがなく、時代劇に専念することになった。東映時代、錦之助が現代人として洋服で登場するのは、『森の石松鬼より恐い』と『武士道残酷物語』の最初と最後の場面だけで、この2本も作品的には時代劇である。また、東映東京撮影所での錦之助の映画出演もこの1本に終わっている。東映東京は現代劇の若手人気スター不在のまま、ずっと映画を製作し続けていく。日活現代劇に石原裕次郎が登場し、デビューするのは、昭和31年5月公開の『太陽の季節』だったが、裕次郎ブームが沸き立つように起こるのはその一年後である。
美空ひばりとの関係も以後、表沙汰にせず、潜行する形をとったようだ。その間、ひばりと錦之助の双方の関係者が二人の将来を憂慮し、二人の間に距離を置かせ、仲を引き裂くように仕向けていったのだと思う。ひばりは17歳、錦之助は22歳で、あまりにも若すぎたし、人気絶頂のトップスター同士の交際は、歌謡界・映画界にとってマイナス面が大きすぎたからだ。錦之助とひばりの共演作は、『おしどり駕篭』(昭和33年1月公開)まで2年8ヶ月あまりない。(終わり)