錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『任俠清水港』(その7)

2016-04-26 18:32:46 | 森の石松・若き日の次郎長

オープンセットで千恵蔵をおんぶする錦之助

 この日の撮影が終わると早速、錦之助は千恵蔵の家を訪ねた。撮影を見ていた千恵蔵の感想が聞きたかったからだ。千恵蔵は「山の御大」と呼ばれるように、京都市太秦垂箕山町(たるみやまちょう)の高台に住んでいた。
「江戸っ子だね、錦ちゃんの石松は」と千恵蔵は言った。
「そうですか。地を出すとああなっちゃって」
「あの感じでいいと思うけど、ただ……」
「……?」
「片目らしさが出てないよ。まだ両目の演技をやっていると思ったなァ」
 千恵蔵にそう言われて、錦之助はハッとした。メークで左目をつぶしているが、隙間から見えるので、どうしても両目の演技になっていたのだ。さすがに御大は大事なところまでよく見ている。セリフにばかり気をとられて、石松が片目だということについての配慮が足りなかった。身振りも顔の表情も研究不足だったと錦之助は反省した。
 錦之助がちょっと気落ちしているのを見て、千恵蔵は付け加えて言った。
「両目が見えない盲人の演技はわりあい楽なんだけど、片目っていうのは難しいよ。丹下左膳も片目だが、石松は性格がまったく違うだろう。石松はおっちょこちょいで愛嬌者だよな。その点も考えて、顔の片側だけでもっと表情を出すように工夫してみたらどうかなァ」

 錦之助はこれまで千恵蔵と膝を交えてじっくりと演技の話をしたことがなかった。『お坊主天狗』と『新選組鬼隊長』で共演した時は、錦之助がデビューした年であり、大先輩の千恵蔵は恐れ多くて近寄りがたい存在だった。撮影所での挨拶は欠かさなかったが、現場では監督をはさんで、千恵蔵とセリフのやり取りをするだけで、精一杯だった。
 それが、今年の夏の終わり、『曽我兄弟 富士の夜襲』で錦之助は久しぶりに千恵蔵と共演した。いわゆる「敷皮問答」と言われるラストの見せ場で、捕縛された曽我五郎が源頼朝の前に引き立てられ、苦節十八年の非条理を咎め、訴える場面であった。錦之助はこの時、頼朝役の千恵蔵の演技に圧倒された。押さえた演技でぐいぐい威圧してくる千恵蔵の迫力を肌身で感じ、凄いと思った。錦之助はそれをはね返そうと懸命になって演じたのだった。撮影が終わって、あとでラッシュを見た時、映写室にいた千恵蔵のそばへ行って、錦之助は正直にそのことを打ち明けた。一方、千恵蔵も錦之助の演技の成長ぶりに目を見張った。口跡も良くなったし、共演してみて感心したのは、錦之助が線の太い演技をすることができるようになったことであった。千恵蔵は錦之助を褒めた。そして、これを機に、錦之助は心の底から千恵蔵に敬服し、千恵蔵は自分の後継者として錦之助の今後に大きな期待を抱くようになった。二人の親近感が急速に増したのである。
 錦之助が千恵蔵の家を訪ねた日、二人は夜遅くまで語り合った。錦之助が常日頃思っていることを率直に話すと、千恵蔵は適切な忠告をして、錦之助を励ました。それだけでなく、千恵蔵は演技について自分が心がけていることをいろいろ教えてくれた。
 なかでも錦之助にとって大変参考になったのは、石松のような役は「腹をほうり出したような芝居」をすると良いということであった。腹のうちをぐっと押さえた演技とは反対に、明快であけっぴろげな演技のことである。錦之助は、よし、やってみるぞという気になった。



『任俠清水港』(その6)

2016-04-20 17:35:32 | 森の石松・若き日の次郎長


 松田監督のオーケーが出て、テストは芝居の後半に移った。三五郎が「あのー、石さん、そのおしののことですが……」と言ってからのやり取りである。
石松「えっ、そのおしののことで何だい?」
三五郎「どうか祝ってやっておくんなさい。あっしとおしのは夫婦(めおと)約束をいたしました」
石松「えっ、なんだって!」
三五郎「石さんに相談してからと思ったんですがね、おしのがせつくもんですから」
 石松、三五郎ににじり寄って、
石松「するとなにかい、おめえ達ァ前々から出来ていたのか」
三五郎「ちがいますよ。おしのが心中を打明けたのは、石さんが甲州へ出かけた後なんで」

 このあとの石松の演技が難しく、見せどころでもあった。三五郎からおしの伝言を聞いて一人悦に入っていた石松が、急転直下、三五郎の告白で失恋の底に突き落とされる。観客は、石松がどういう反応をするか、関心を持って見守るところだ。
 三五郎の台詞のあとの脚本は、ただこう書いてあるだけだった。
 石松はだしぬけに明るく、
「ハハハハハ」
 三五郎、びっくりしたように見る。
 石松はその肩をポンとたたいて、
「俺ァお人よし……おめえは果報者だぜ」

 失恋したことに気づいた石松は、三五郎に出し抜かれた悔しさも、二人の仲を知らなかった自分の馬鹿さ加減も笑い飛ばし、三五郎を祝福するわけである。
「笑い出す前に石松が気持ちをぐーっと堪えるとこやけど、この間(ま)をどうするかが問題やな」
と、松田監督が錦之助に水を向けた。
「そうですね。まず、女と三五郎が仲よくしている姿が頭に浮かびますよね。で、失恋したことに気づいて、悲しくなるんだけど……、でも石松っていうのは惚れっぽくて振られなれてると思うんですよ。女の相手が親友で男前の三五郎じゃ、仕方がねえやって気になって。ああ、また振られちゃった、おれって馬鹿だなあって気持ちで、ここは晴れやかに笑いましょう」
 錦之助が前もって考えてきた演技プランに松田監督もさすがだと感心した。
「じゃあ錦ちゃん、そこんとこ、長回しのアップで撮るから、ええようにやってや」
 そばで聞きながら橋蔵は、思っていることを率直に言って監督に信用されている錦之助を羨望の目で見ていた。



『任俠清水港』(その5)

2016-04-19 12:32:20 | 森の石松・若き日の次郎長
 監督の松田定次が錦之助と橋蔵の二人に芝居の段取りを説明し、テストが行われた。

 階下から石松が三五郎の手を引きながら駆け上がって来て、
石松「おい、追分宿に変わったこたァなかったかい?」
三五郎「ええ、別に」
石松「そうかい、で、あの女どうしてる?」
三五郎「あの女と言いますと?」
石松「じれってえなあ、ソレ、おめえと一緒によく飲みに行った青木屋の」
三五郎「ああ、おしのですね」
 (ヤキモキして尋ねる石松と、とぼけた素振りで答える三五郎とのやり取りである)
石松「そうだい、そのおしのだが……どうしてる?」
三五郎「元気で毎日つとめていますよ。石さんにくれぐれもよろしくってことでした」
石松「そうかい、おしのがこの俺に、くれぐれもよろしくと言ってくれたかい」
 石松、顔を輝かせて喜ぶ。

 ここまでは、問題なく進んだが、そのあとがうまく行かなかった。
 脚本では、三五郎が「そこで石さん、ことのついでにお耳に達しますが……」となっていたが、この台詞を言うきっかけがつかめない。台詞も不自然で、あまり良くない。
 ここは、石松ののぼせようを見て、隠しごとをしているのが気まずくなった三五郎が女と夫婦約束したことを打ち明けようとする重要なところだ。言い出すまで間(ま)が必要だった。
 そこで、松田監督の指示で、三五郎の台詞は「あのー、石さん、そのおしののことですが……」と変えることになり、石松が喜ぶところに何かワンクッション入れようということになった。
 すると、ちょっと考えていた錦之助が「じゃあ、こんなんでどうかなあ」と言って、アドリブで演じた一人芝居がケッサクだった。
「そうかい、おしのがこの俺に、くれぐれもよろしくと言ってくれたかい」と顔を輝かせて喜ぶと、錦之助は、開いている右目もつぶり、女の姿を思い浮かべながら、
「そうかい、そうかい、あー、可愛いヤツだなー」と言って、身体を振るわせ、両手で抱きしめるようにしたのである。
 セット中に、笑いの渦が巻き起こった。じっと見ていた千恵蔵も笑っていた。橋蔵も吹き出して、次の台詞が言えなかった。


『任俠清水港』(その4)

2016-04-18 21:50:12 | 森の石松・若き日の次郎長
 石松の役作りについて適切なアドバイスをしてくれたのは片岡千恵蔵であった。
「錦ちゃんの演技は理詰めで、そこがまたいいところなんだけど、石松はおっちょこちょいで馬鹿正直だろう。利口に見えてしまってはいかんのだよ。伸び伸びやって、錦ちゃんの地を出した方がいいよ」
 千恵蔵は、錦之助を石松役に推薦したこともあって、錦之助からの相談に親身になって答えた。これまで錦之助とは四度共演したが、人気に溺れず、研究熱心で演技の成長も著しい錦之助に対し、千恵蔵は自分の後継者として大きな期待をかけていた。
 錦之助が『任侠清水港』の撮影入りした時、千恵蔵は、自分の出番もないのに、わざわざセットに顔を出したほどだった。千恵蔵が撮影の様子を覗きに来るのは珍しく、錦之助も驚き、また嬉しくも感じた。
「あっ、先生、おはようございます」
 と錦之助が挨拶すると、千恵蔵は石松に扮した錦之助をちらっと見て、言った、
「おう、おはよう。きょうは見学させてもらうよ」

 その日の撮影は、シーンナンバー27。映画の開始から10分くらいの部分で、石松が久しぶりに会った親友の追分の三五郎と巾下の長兵衛の家の二階で話をする場面である。
 比佐芳武の脚本は、オールスター映画でもあり、シーン数が非常に多く、190もあった。概して東映の時代劇はテンポが速く、一場面で芝居の長い、いわゆるダレ場を嫌ったので、シーン数が多かったが、『任侠清水港』の190シーンというのは異例であった。これを約100分の映画に仕上げるのだから、監督、キャメラマンは、職人的な手腕を発揮しなければならない。その点、東映の首席監督である松田定次は、演出が丁寧できめ細かいうえに、パズルを組み合わせたようなカット割りで撮っていくことに熟達した監督だった。キャメラマンの川崎新太郎も、松田とは長年のコンビで、良くその女房役を務めてきた。「東映調」と呼ばれる独特な娯楽活劇を作り出したのは、プロデューサーのマキノ光雄の貢献度が高いが、実際に映画を作り、それをヒットさせて「東映調」を確立したのは、脚本比佐芳武、監督松田定次、撮影川崎新太郎のいわゆるダイヤモンド・トリオである。『任侠清水港』はその代表作の一本であった。

 話を撮影現場に戻そう。
 比佐の脚本では、石松にはぞっこん惚れた女がいるという設定で、次郎長一家と旅に出た石松はなかなか清水へ帰れず、女に会いたくてウズウズしている。そんな時、逗留先の長兵衛の家へ清水から追分の三五郎がやって来たので、石松は待っていましたとばかり、三五郎に女の様子を尋ねる。追分の三五郎は純然たる二枚目役で、大川橋蔵である。
 橋蔵はすでにセットへ入っていて、錦之助を見ると、にっこり笑って会釈し、
「先輩、きょうはお手柔らかにお願いします」と声を掛けてきた。
「先輩はよしてくれよ。なんだか他人行儀でイヤだよ」
 錦之助は橋蔵とは歌舞伎の子役時代からの友達で、三越劇場の若手歌舞伎では互いに競い合った仲であった。年齢は橋蔵の方が3歳年上だった。橋蔵が東映に入ったのは昨年(昭和30年)10月で、美空ひばりの相手役を務めた『笛吹若武者』がデビュー作であるが、この一年間にめきめき人気が上昇し、錦之助につぐスターにのし上がっていた。「若さま侍」は橋蔵の当たり役となり、シリーズ化されるほどであった。
 錦之助が橋蔵と実際に映画で共演するのは、この時が初めてであった。『曽我兄弟 富士の夜襲』には橋蔵も出演したが、錦之助との共演場面はない。

 錦之助と橋蔵が二人だけで芝居をする場面の撮影ということで、取材陣も多く、セット内は熱気を帯びた。それに千恵蔵が椅子に座って見守っているので、緊張した空気も漂っている。


『任俠清水港』(その3)

2016-04-16 16:56:32 | 森の石松・若き日の次郎長
 錦之助はすでに45本の映画に出演していたが、これまでに演じた役のほとんどは、侍、武将、火消し、やくざのどれにせよ、凛々しくて勇ましい美青年(ないしは美少年)であった。女に恋慕われる美男タイプを二枚目と呼ぶならば、錦之助はデビュー以来ずっと二枚目路線を歩んできた。一時は長谷川一夫(デビューから約10年間は林長二郎)の再来とまで言われたほどであった。
 若い女性ファンはスクリーンで美しい錦之助を眺めてはうっとりとしていた。錦之助が演じた唯一の汚れ役は『紅顔の若武者 織田信長』の若き日の信長であろうが、この粗暴な荒くれ者の役も、後半では見違えるような美しい武将に変身するため、女性ファンも満足した。決して錦之助のイメージを覆すものではなかった。

『任侠清水港』の森の石松は、錦之助が今までにやったことのない二枚目半ないし三枚目の役であった。次郎長一家の中でも一番のあわて者で喧嘩っぱやく、馬鹿正直なお人よし。これが愛すべき石松のキャラクターであるが、こうしたコミカルな道化役は錦之助にとって初めてだった。しかも片目で、最後は無残にも殺されてしまう。片目も殺されるのも、もちろん初めてだった。これまでに死ぬ役はあった。『新選組鬼隊長』の沖田総司は労咳で、『曽我兄弟』の五郎は刑場に引き立てられて、死んだ。ただし、どちらも死ぬ場面はない。

 石松の役が決まって、錦之助は講談本の「清水次郎長」を読んだり、広沢虎造の浪曲のレコードを聴いたりして、石松のイメージを膨らませていた。義経や信長もやりたくてたまらないと思った役であったが、石松はそれ以上だった。
 待ち望んだ脚本の決定稿を手渡されたのは、クランクインのわずか三日前であった。さすがにヒットメーカーの比佐芳武が書いただけのことはあって、見どころ満載の大変面白い脚本だった。登場人物たちがみな個性的で躍動していた。錦之助は東山の自宅の部屋にこもって、最初から最後まで二度熟読し、さらに石松の登場する場面だけを読んだ。石松の気持ちになりながら声を出して台詞を読んでみて、錦之助は気づいた。石松は自分の分身のようではないか。せっかちで短気なところ、情にもろく友達思いなところ、すぐに人を信用してしまうところなど、自分にそっくりではないか。
 石松は錦之助の地に近い役であった。俳優というのは、役柄のイメージを優先し、自分の地を隠したり消したりしてもその役に成りきろうとする。錦之助がこれまで演じてきた二枚目役は、与えられた役に最大限近づけようとした錦之助の努力の賜物であった。錦之助自身は自分が美男子だとは思っていなかった。自分の素顔で自信のある部分はないと言っていたほどである。時代劇ではメークアップや鬘や衣裳で平凡な俳優でも二枚目に変身できるが、錦之助の顔立ちが美形タイプで魅力的であったことも確かだった。が、二枚目役というのは性格的には類型的で、バリエーションも少なく、面白味がないと言うこともできる。その点、三枚目に近い石松はやり甲斐のある役である。しかし、自分の地をそのままストレートに出していいものかどうか、錦之助にも戸惑いがあった。