オープンセットで千恵蔵をおんぶする錦之助
この日の撮影が終わると早速、錦之助は千恵蔵の家を訪ねた。撮影を見ていた千恵蔵の感想が聞きたかったからだ。千恵蔵は「山の御大」と呼ばれるように、京都市太秦垂箕山町(たるみやまちょう)の高台に住んでいた。
「江戸っ子だね、錦ちゃんの石松は」と千恵蔵は言った。
「そうですか。地を出すとああなっちゃって」
「あの感じでいいと思うけど、ただ……」
「……?」
「片目らしさが出てないよ。まだ両目の演技をやっていると思ったなァ」
千恵蔵にそう言われて、錦之助はハッとした。メークで左目をつぶしているが、隙間から見えるので、どうしても両目の演技になっていたのだ。さすがに御大は大事なところまでよく見ている。セリフにばかり気をとられて、石松が片目だということについての配慮が足りなかった。身振りも顔の表情も研究不足だったと錦之助は反省した。
錦之助がちょっと気落ちしているのを見て、千恵蔵は付け加えて言った。
「両目が見えない盲人の演技はわりあい楽なんだけど、片目っていうのは難しいよ。丹下左膳も片目だが、石松は性格がまったく違うだろう。石松はおっちょこちょいで愛嬌者だよな。その点も考えて、顔の片側だけでもっと表情を出すように工夫してみたらどうかなァ」
錦之助はこれまで千恵蔵と膝を交えてじっくりと演技の話をしたことがなかった。『お坊主天狗』と『新選組鬼隊長』で共演した時は、錦之助がデビューした年であり、大先輩の千恵蔵は恐れ多くて近寄りがたい存在だった。撮影所での挨拶は欠かさなかったが、現場では監督をはさんで、千恵蔵とセリフのやり取りをするだけで、精一杯だった。
それが、今年の夏の終わり、『曽我兄弟 富士の夜襲』で錦之助は久しぶりに千恵蔵と共演した。いわゆる「敷皮問答」と言われるラストの見せ場で、捕縛された曽我五郎が源頼朝の前に引き立てられ、苦節十八年の非条理を咎め、訴える場面であった。錦之助はこの時、頼朝役の千恵蔵の演技に圧倒された。押さえた演技でぐいぐい威圧してくる千恵蔵の迫力を肌身で感じ、凄いと思った。錦之助はそれをはね返そうと懸命になって演じたのだった。撮影が終わって、あとでラッシュを見た時、映写室にいた千恵蔵のそばへ行って、錦之助は正直にそのことを打ち明けた。一方、千恵蔵も錦之助の演技の成長ぶりに目を見張った。口跡も良くなったし、共演してみて感心したのは、錦之助が線の太い演技をすることができるようになったことであった。千恵蔵は錦之助を褒めた。そして、これを機に、錦之助は心の底から千恵蔵に敬服し、千恵蔵は自分の後継者として錦之助の今後に大きな期待を抱くようになった。二人の親近感が急速に増したのである。
錦之助が千恵蔵の家を訪ねた日、二人は夜遅くまで語り合った。錦之助が常日頃思っていることを率直に話すと、千恵蔵は適切な忠告をして、錦之助を励ました。それだけでなく、千恵蔵は演技について自分が心がけていることをいろいろ教えてくれた。
なかでも錦之助にとって大変参考になったのは、石松のような役は「腹をほうり出したような芝居」をすると良いということであった。腹のうちをぐっと押さえた演技とは反対に、明快であけっぴろげな演技のことである。錦之助は、よし、やってみるぞという気になった。