錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『宮本武蔵』(その二)

2007-03-24 21:30:02 | 宮本武蔵
 今回『宮本武蔵』五部作のDVDを二周り観てから、さらに第一部を二度観て、今私はこの記事を書こうとしている。つまり、3月に入ってから、第一部を合計四度観たことになってしまった。映画を観るとどうしても吉川英治の原作がまた読みたくなるものだ。そこで、書庫の奥にしまっておいた三巻本のこの原作を引っ張り出し、三十数年ぶりで読み始め、四分の一ほど読んだ。吉川英治の『宮本武蔵』を読むのは今度が三度目であるが、面白くてぐいぐい読んでしまう。今のところ、武蔵が柳生の里を訪れる所まで読んだわけで、映画で言うと、第三部の「二刀流開眼」の途中までに当たる。
 ついでにと言ってはなんだが、三船敏郎主演、稲垣浩監督の映画『宮本武蔵』三部作(昭和29、30、31年)もまた観たくなって、先日ビデオで久しぶりに再見した。さらに、片岡千恵蔵の戦前の『宮本武蔵』(昭和15年、同じく稲垣浩監督作品)もビデオを購入し、参考までに観てみた。その間、司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』と津本陽の『宮本武蔵』や雑誌の「宮本武蔵特集」も読んでいるので、今もう頭の中は宮本武蔵だらけになっている。ブログの記事もずいぶん間が空いてしまったが、これだけ「武蔵漬け」になっていると、頭が混乱し何を書けばよいのか途方に暮れてしまうが、やはり語りたいと思うのは、内田吐夢監督、錦之助主演の『宮本武蔵』五部作のことである。まず、最近四度も観た第一部から書きたいと思う。
 ご存知のように、『宮本武蔵』第一部は、武蔵がまだ「タケゾウ」と名乗っていた頃の話で、剣の道を志し人間修養に励む武蔵の剣客時代の姿を描いたものではない。いわば、「その前の武蔵」を描いたプロローグである。が、私はタケゾウ時代の武蔵と彼を取り巻く人間模様に人一倍の興味を覚える。吉川英治の原作も、内田吐夢の映画も、作品的な素晴らしさの原点はここにあると思っている。武蔵が単に剣豪のヒーローとして、前に立ち現れる強敵を次々と斬り倒していくだけでも確かに痛快至極であるにはちがいない。が、それだけでは人間的なドラマも生まれなかっただろうし、文学的な感動も映画的な感動も味わえなかったと思う。吉川英治の『宮本武蔵』は、剣豪小説というより、青春ロマンであり、人間形成をテーマにした教養小説の傑作である。そう思って私は原作を愛読している。そして、内田吐夢が映画化した『宮本武蔵』五部作も、チャンバラ娯楽時代劇というより、人生の矛盾に立ち向かう青年の苦悩を描いた人間ドラマの大作として私は鑑賞している。だから、小説を読んでもこの映画を観ても、武蔵の生き方に、時には共鳴し、時には疑問を持ち、憧れを抱くと同時に、問題提起を与えられる。主人公の武蔵とともに、若き心躍らせ、そして悩むわけである。
 映画『宮本武蔵』第一部のファースト・シーンは、長回しのワンカットで、特に印象的である。夜の関が原の戦場をカメラがなめるように移動する。タケゾウは、戦友の又八の名を呼びながら、死屍累々のぬかるみの中を血と泥水にまみれたワニのように、這っていく。タケゾウは又八を見つけ、共に生きていることを確認し合う。二人とも体も心もずたずたに傷ついている。だが、生き延びていくために力を寄せ合って立ち上がる。ここがタケゾウと又八にとって「ゼロからの出発」である。タケゾウと、同じ村の幼友達の又八は、関が原の合戦に雑兵として加わったのだが、豊臣方に付いたため、敗残兵となって夢破れ、将来の望みを失ってしまう。若者らしい功名心を打ち砕かれ、挫折を味わい、先がまったく見えない境遇に陥る。この出発点からタケゾウと又八の人生はまったく異なった方向に進んでいく。二人とも村では、郷士の息子であり、跡継ぎだったが、関が原での敗戦を境に、人との奇縁、宿縁に結ばれそれぞれ違った人生を歩み出す。
 タケゾウと又八のコントラストを私はいつも興味深く観ている。錦之助のタケゾウと木村功の又八の取り合わせが最高に良いのだ。(この二人のコンビは『関の弥太ッペ』の弥太ッぺと箱田の森介も最高である。)正直言って、私は原作より映画の方が二人の違いが際立って秀逸だと思っている。この傷ついた二人が、野武士の後家のお甲(木暮実千代)と養女の朱美(丘さとみ)が住む家に匿われたことが、ドラマの始まりである。そして、その後の二人をめぐる男女入り乱れた人間模様が『宮本武蔵』という壮大なドラマの核になる。(つづく)




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