錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

「錦之助映画祭り2010」の企画推進中

2010-09-23 08:59:48 | 錦之助映画祭り
 連休明けの火曜日に、錦之助映画ファンの会の会員と関係者に、T・ジョイ京都のリーフレット(数部ずつ)と案内状をメール便で送った。全部で105通。これで一仕事終えた。
 それと、今週はあちこちへ連絡して、いろいろな打ち合わせをしている。
「吐夢・月形の回顧上映会」に関しては、京都文化博物館、京都映画祭事務局、祇園会館、京都シネマ、岐阜羽島市映画資料館、神戸映画資料館、ジュンク堂書店京都店などに電話してリーフレットを配布してもらうよう依頼。
 11月の「錦之助映画祭り」に関しても、新文芸坐と連絡をとりながら、東映営業部に上映フィルムのブッキング(予約)をしたり、お願いしようと思うトークゲストの方々に電話を入れている。
 今のところ、トークゲストを快諾してくださった方は、
二代目中村錦之助さん、稲野實さん(『瞼の母』の美術担当、『浅間の暴れん坊』の美術助手)、松風はる美さん(元・松風利栄子、『殿さま弥次喜多・怪談道中』『浅間の暴れん坊』ほかに出演)、高岡正昭さん(錦之助の乗馬シーンのスタントマン、中村プロの社員)、月丘千秋さん(『花吹雪御存じ七人男』『おしどり駕篭』ほかに出演)、星美智子さん(『勢ぞろい喧嘩若衆』『青雲の鬼』ほかで共演)。

 「錦之助映画祭り2010」の上映予定作品は以下の通りほぼ確定した。目下ゲストのご都合に合わせ、上映日を調整している。
 まず、錦之助映画ファンの会の寄付金で制作するニュープリントが2本。
『殿さま弥次喜多・怪談道中』(1958年 沢島忠監督)
『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』(1959年 松田定次監督)

 昨年の3月と11月の錦之助映画祭りで上映しなかった作品。
『瞼の母』(1962年 加藤泰監督)
『関の彌太ッペ』(1963年 山下耕作監督)
『遊侠一匹 沓掛時次郎』(1966年 加藤泰監督)
『反逆児』(1961年 伊藤大輔監督)
『徳川家康』(1965年 伊藤大輔監督)
『殿さま弥次喜多』(1960年 沢島忠監督)
『股旅三人やくざ』(1965年 沢島忠監督)
『江戸っ子繁昌記』(1961年 マキノ雅弘監督)
『血斗水滸伝 怒涛の対決』(1959年 佐々木康監督)
上記作品に加え、以下2本は現存する16ミリフィルムの上映を、著作権所有者の「ひばりプロ」に交渉中。
『ひよどり草紙』(1954年 内出好吉監督)
『花吹雪御存じ七人男』(1954年 斉藤寅次郎監督)

 昨年3月に上映した作品で興行成績も良く、またリクエストの多い作品。
『弥太郎笠』(1960年 マキノ雅弘監督)
『浅間の暴れん坊』(958年 河野寿一監督)
『独眼竜政宗』(1959年 河野寿一監督)
『清水港の名物男 遠州森の石松』(1958年 マキノ雅弘監督)
『若き日の次郎長 東海の顔役』1960年 マキノ雅弘監督)
『暴れん坊兄弟』(1960年 沢島忠監督)
『隠密七生記』(1958年 松田定次監督)
『おしどり駕篭』(1957年 マキノ雅弘監督)

 ただし、上映作品には多少の異動があるかもしれない。


T・ジョイ京都に結集せよ!

2010-09-19 16:04:42 | 錦之助ファン、雑記
 T・ジョイ京都で催される東映時代劇傑作選(その一)「内田吐夢、月形龍之介没後40年回顧」のリーフレット(チラシ)が先日刷り上って、飯田橋の私の仕事場に3000部届いた。新文芸坐では300部ほど配ったが、錦之助映画ファンの会の皆さんへは連休明けにメール便で郵送する予定。関係者を含めると100名以上送ることになるので、茶封筒に宛名シールを貼って、中身を入れて糊付けする作業に3時間ほどかかる。これは私一人の手作業であるが、音楽を聴きながらのんびりやることにしている。手伝ってくれると親切に言ってくれる会員の人もいるが、こういう仕事は一人の方が気が楽だし、夜中とか好きな時間にやりたいと思っている。
 T・ジョイの東京本社へはすでに15000部、印刷所の方から納品してあるので、T・ジョイ京都ほか各所で配布が始まっていると思う。京都太秦村や梅田ブルグでも配布しているはず。
 T・ジョイ京都のホームページには、もう予告記事が載っているし、トップページの右側にある「時代劇傑作選」の画像(吐夢と月形の写真)をクリックすれば、リーフレットの中身がすべて見られるようになっている。

http://t-joy.net/site/kyoto/index.html
 
 前売回数券は昨日からティケットぴあで発売になっているので、ぜひ購入いただきたい。3回券は2800円、5回券は4000円。5回券を買えば、1本800円で映画が観られるのでかなりお得だと思う。錦之助出演作を9本上映するので、全部観ようと思っている方は、5回券を2枚買うとよい。前売回数券は、複数の人が共同で使ってもかまわない。
 関西在住の錦ちゃんファン、東映時代劇ファンは、今回のT・ジョイ京都での催し、ぜひ足繁く通ってほしいと思う。これを成功させないと、次につながらないからである。
 今回、あえて東映時代劇傑作選(その一)と銘打ったのは、これからもここを本拠地にして時代劇特集を行っていきたいからである。来年は、「錦之助映画祭り」もここでやりたいという心積もりがあって、私もがんばっているので、ご理解、ご支援願いたい。
 錦ちゃん以外にも東映のスターだった片岡千恵蔵、市川右太衛門、大友柳太朗、東千代之介、大川橋蔵、美空ひばりなどの特集も、支援してくれるファンの強い要望があれば、私は企画推進に一役買うつもりでいる。橋蔵ファンが、錦之助ファンをうらやましがっているという話を伝え聞いたが、誰かファンの総力を結集して、企画を立てて実行する気概のある人が現れれば、私は喜んで協力するつもりでいる。千代之介ファンの人たちとは、私も仲良くしているので、彼らの意向はできるだけ汲むようにしている。
 先日、新文芸坐での丘さとみさんのトークショーで、明らかに橋蔵ファンであると思われる女性の方が質問していたが、円尾さんから励まされなくても、がんばってもらいたいと思う。
 監督特集もT・ジョイ京都で行いたいと思っている。内田吐夢だけでなく、東映時代劇には巨匠・名匠が揃っているからだ。松田定次、佐々木康、伊藤大輔、マキノ雅弘、田坂具隆、河野寿一、沢島忠などなど。
 錦之助映画ファンの会の寄付金でニュープリントを制作しても、上映機会が東京の新文芸坐だけではもったいないと私は思っている。将来、全国の大都市のあちこちで上映してもらえれば、ニュープリントの作り甲斐もあるというものだ。
 なしにろ、関西では、時代劇に限らず、古い邦画を上映する映画館が非常に少ない。名画座があちこちにある東京とは、雲泥の差である。
 定期的に上映会を行っているのは、京都文化博物館と大阪のシネ・ヌーヴォとトビタ東映くらいなもので、東京の映画館や映像ホールと比べて、スクリーン、音響、座席などの上映環境の点では不満を感じないわけにはいかない。
 昨年T・ジョイ系のシネコンでは、「東映時代劇まつり」という特集を組んで、数ヶ月巡回興行を行ったが、平日の午前中のみの上映では、単に空いているホールの穴埋めに過ぎず、お客さんの入りも平均10名程度だったと聞いている。ひどいときは5名も入っていなかったそうで、せっかく東映時代劇の名作を上映しても、これでは情けないと思っていた。フィルムの空回しをやってもらっては、困るのだ。あの時のチラシも内容が空疎で、まったくやる気を感じなかった。私は、東映本社の著作権課のチーフにちゃんとチェックすうるよう、文句を付けたほどだった。昨年の「東映時代劇まつり」は明らかに失敗だったと思う。

 今回のT・ジョイ京都では、月形家がお金を出して作ったニュープリント2本を4回ずつ上映する。『水戸黄門』と『天下の御意見番』である。昨年錦之助映画ファンの会が作ったニュープリントは1本、『一心太助・男の中の男一匹』である。
 昨年の京都での「錦之助映画祭り」は、祇園会館を借り切って1日、京都シネマで1週間催したが、京都という土地柄は興行には向いていないと言われるように、集客には大変苦労した。どちらも興行的に赤字を出してしまった。一回だけの失敗で引き下がったのでは、男がすたる!もう一度挑戦してやろう、とその時、私は心に誓った。それでまた、めげずにやることにしたのだ。昨年の京都での「錦之助映画祭り」のリベンジ、将来の京都での「錦之助映画祭り」の前哨戦のつもりである。

 今回の「吐夢・月形回顧上映」は、当初京都シネマを予定していたのだが、東映関西支社の営業部の方から、今年6月にオープンした東映系のシネコン、T・ジョイ京都で行うことも考慮に入れてくれないかという要望があった。京都シネマの支配人の神谷雅子さんに相談すると、もしT・ジョイがその気なら、東映作品をたくさん上映する以上、あちらを優先してもかまわないということだったので、番組編成をしている東京のT・ジョイ本社に企画を提出した。すると早速、ぜひうちでやらしてほしいとの申し出を受けた。担当者がわざわざ飯田橋の私の仕事場を訪ねに来て、プログラムの作成、トーク・ゲストの交渉、リーフレットの制作はすべて私に任せるので、お願いしたいとのことだった。その後、三度ほど打ち合わせをして、今回実現の運びになった次第である。

 まだ、始まってもいないのに、お客さんの入りを計算するのは気が早いと思うが、一応、集客最低目標は、延べ1000人である。前売5回券と3回券がそれぞれ100枚さばければ、これで800人。フリーのお客さんが延べ200人来れば、これで最低目標に達するが、この数字は、あくまでも赤字を出さずトントンの線。1200人なら成功、1800人なら大成功という具合である。8月の新文芸坐の「内田吐夢回顧上映」ではトータル3400人で、かなりの成功であったが、京都はその5分の一程度かもしれないという悪い予測も頭をよぎる。
 もう一度言う。錦ちゃんファンの皆さん、私のこの記事を読んだ東映時代劇ファンの皆さんは、ぜひご協力してほしい。錦之助映画ファンの会の会員および関係者100名が5回券を各自1枚買ってくだされば、これで500人になる。関西在住の方は2枚買ってほしい。これから、錦之助映画をT・ジョイ京都の最新式の大スクリーンで上映し続けるためにも、11月16日からは万難を排し、京都に結集していただきたい。


月形龍之介・哲之介回顧上映会終幕

2010-09-19 06:13:27 | 錦之助ファン、雑記
 新文芸坐の「月形龍之介・哲之介回顧上映会」が終った。ずいぶんたくさんのお客さんが観に来たと思う。私は、なか日一日だけ休み、あと6日間通った。

 15日(水)は、朝、星美智子さんと用賀の駅で待ち合わせ、いっしょに新文芸坐へ行った。電車の中では、しゃべりっぱなし。星さんは、女優の月丘千秋さんと三條美紀さんと今でも仲良しで、三人で時々会っているそうだ。月丘さんも三條さんも映画で錦ちゃんと共演していると私が言うと、機会があったらトークゲストに招いたらどうかという話になる。星さんが連絡してくださるとのこと。月丘さんは、『花吹雪御存じ七人男』では絵師(香川良介)の娘役、『おしどり駕篭』ではお姫様(桜町弘子)の腰元役をやっている。三條さんは、『羅生門の妖鬼』で錦ちゃんの母親役をやっていたが、この映画は残念ながら上映用プリントがない。
 他にも哲学者の梅原猛氏が新聞に書いた随想のこと、満映の甘粕正彦理事長の秘書をしていた伊藤さんという女性のことなどを話す。
 半蔵門線から渋谷駅で山手線に乗り換え、池袋駅東口で降りて、星さんに新文芸坐までの道順をお教えする。パルコ、ビックカメラ、富士そばが道しるべ。
「今度は一人で来られるから、もうあなたに迷惑はかけないわよ」と星さん。私が迎えに来たことをずっと気にしている。星さんは、江戸っ子のべらんめえ芸者がおばあさんになったような人で、ざっくばらんで、気風がいい。強がりなところがあり、人の世話になるのが好きでない。
 新文芸坐の館内は満員。錦ちゃんファンの顔見知りも10人以上来ている。今日は『宮本武蔵・般若坂の決斗』と『大菩薩峠・完結篇』の二本立て。
 『大菩薩峠・完結篇』を観る。私の隣りの席で星さんは、体を前に乗り出し、真剣にご覧になっていた。観終わって、星さん、大感動したご様子で、しばし興奮さめやらず。
「あたし、こんなにイイ役やってたなんて思わなかったわ!」
「千代ちゃんの駒井能登守の前での、星さんの、はにかんだ演技がとっても良かったですね。それと最初の踊りも良かった。水色の着物も綺麗でしたね」と私。
「あたし、良かったわね。第二部より演技、上手になってるじゃない。びっくりしちゃった!ホントに今日観に来て良かったわ」
 ご自分の出演した映画を観て、こんなに感動して、正直に感想を言う女優さんも珍しい。
 トークゲストの尾形伸之介さんに挨拶をしに、星さんと4階の新文芸坐オフィスへ行く。
「あらっ!ブンちゃん、ひさしぶり!」と言って、星さんが尾形さんに抱きつく。「ブンちゃん」とは、尾形伸之介さんが本名・中野文男(ふみお)を使っていた頃からの愛称。尾形さんも東映では古いが、星さんはもっとずっと古く、尾形さんから見れば大先輩で、当時はそばにも寄れない大女優。『大菩薩峠』の主な出演者で今でも生きているのは、星さん、尾形さん、丘さとみさん、それと郁太郎役の植木義晴さんくらいであろう。
 尾形さんのトークは、相変わらずテンションが高い。お客さんの多い新文芸坐で話すと、とくに熱が入る。撮影所に入って間もなく、月形龍之介先生の前へ行き、土下座して弟子入りをお願いしたが、断られた話などいろいろ。月形龍之介の殺陣を、木刀で実演。お客さんからの質問に答えたあと、星さんが飛び入りで舞台に上る。お客さんはびっくりしたことだろう。挨拶も抜きで、型破りで面白いことを言うものだから、会場にどっと笑いが起る。
 トークのあと、星さん、円尾さん、高橋かおるさん、中田雅喜さん(大の月形ファンで、集大成本「月形龍之介」の編者の一人)、錦ちゃんファン数名で「椿屋珈琲店」へ行き、歓談。星さんに、錦ちゃん、ひばりちゃん、橋蔵さんなどの話をお伺いする。星さんに椿屋名物ビーフカレーセットをご馳走する。おいしい、おいしいと言って、残さず全部食べてしまった。星さんを池袋駅東口の改札口まで送っていき、新文芸坐へ戻る。
 『宮本武蔵・般若坂の決斗』を観終わった尾形さん、門田敦子さん(月形哲之介夫人)を誘い、円尾さん、劉文兵さん(中国人の映画研究家)、錦ちゃんファン数名と近くの寿司屋へ行き、小宴会。2時間ほど歓談。途中で、門田雅成さん(月形哲之介の長男)が合流。



 16日。『十三人の刺客』を観て、東千恵子さん(月形龍之介の付き人)のトークを聴く。東さんのトークは、とても面白かった。聞き手の円尾さんが口を挟む間もなく、独演会に近かった。月形の付き人でありながら、実は、大の錦ちゃんファンだったので、撮影所で仲良くしていた頃の錦ちゃんの話も盛り沢山。会場に錦之助映画ファンの会員がいなかったのは残念至極。この日、錦之助映画がなかったとはいえ、こういう時にも錦ちゃんファンなら来てほしい。集大成本「月形龍之介」に東さんのインタビューが掲載されているので、ご一読を!彼女がいかに錦ちゃんファンであったかはこれを読めば分かるはず。今回のトークでは、本の中で話していなかった錦ちゃんネタも披露。大変興味深かった。
 東さんは、埼玉県の川口市にお住まいで、昨年の錦ちゃん祭りで寄付金をいただいたりした関係で、私は文通だけはしていたが、お会いするのは今度が初めて。門田さん親子が泊まっている近くのホテルのロビーに集り、しばらく歓談。東さんは、美人の娘さんとお孫さんの女の子といっしょに池袋へいらしたのだが、東さんは門田親子と昔話に花を咲かせていた。私は、美人の娘さん(私と一回り違う辰年)といろいろな話をする。彼女はしばらく女優の三田佳子さんの付き人をしていたそうで、結婚して付き人を辞めたのだが、最近ご主人を亡くして後家さんになってしまった。東さんもご主人が亡くなっているので、三世代の女系家族で暮らしているとのこと。11月の錦ちゃん祭りにはぜひまた来てくださいとお誘いしておいた。皆さんと記念写真を撮り、再会を約束して、お別れする。

 17日。今日が最終日。ニュープリントの『水戸黄門』を観て、門田雅成さんのトークを聴く。『水戸黄門』(昭和32年のオールスター映画)は綺麗に仕上がっていたので、満足。この作品は娯楽映画の傑作で、数ある黄門映画の中でも私が一番好きな作品である。月形の黄門が素晴らしい。宇之吉というスリ役の錦ちゃんが若くて、ピチピチしていて、愛嬌たっぷりで、輝いている。千原しのぶさんもすらっとして、全盛期の最も美しい頃の千原さんである。長谷川裕見子さんは、あまりイイ役ではなく、大友柳太朗の許婚役。千原さんも裕見子さんもこの一年の間にあの世へ行ってしまったことを思うと、寂しくなる。
 門田雅成さんのトークを聴くのは、8月30日の京都撮影所に続いて、今度が二度目。今日はトークショーのビデオ撮影を私がしなければならない。初日からずっと撮影してくれていた宮坂健二さん(元東映のキャメラマン)が仕事で来られないので、私が代わりに担当することになっていた。前日ビデオキャメラの使い方を宮坂さんから教わったが、自信がない。ちょうど友達の湯澤さん(助監督)が姿を現したので、彼に頼んで撮ってもらうことにした。これで一安心。門田さんは自分で無口と言っているが、無口というより朴訥に近い。話し方に温厚な人柄が表れ、好感の持てる人物である。祖父・月形龍之介、父・哲之介の話をしたあと、最後に、ギター片手に歌を披露。ゴスペルの名曲「アメイジング・グレイス」を英語で熱唱した。
 彼は昭和25年生まれで、今年還暦。私より二歳年上だが、ほぼ同世代。もうすぐ仕事を辞めて、バンドを結成し、音楽活動を開始するのだという。学生のころ、エレキバンドを作っていたので、その再開である。京都といえば、沢田研二のタイガースや、フォーク・クルセダーズの出身地。雅成さんは、アマチュア時代の彼らをよく知っているそうだ。沢田研二は同じ中学の上級生だったという。
 雅成さんのトーク終了後、敦子さんのお礼の言葉があり、一週間の上映会は盛況のうちに幕を閉じた。



錦之助映画祭り2010

2010-09-15 01:03:58 | 錦之助ファン、雑記
 現在、池袋の新文芸坐で「月形龍之介没後40年、月形哲之介没後1年上映会」をやっているので、初日から3日間通った。今日(4日目)は、仕事が忙しく疲れも出たので、行かなかった。
 初日はトークショーに沢島忠監督、2日目は丘さとみさん、3日目は高岡正昭さんがいらしたので、裏方として少しだけお手伝いした。この上映会は円尾さんが仕切っているので、私はただ、彼の気の付かないところをフォローするだけ。トークゲストを出迎え、出番まで話相手をしたり、関係者席を確保したり……、その程度である。気はつかうが、自分が上映会をする時に比べれば、ずっと楽だ。

 初日に、新文芸坐のチーフの矢田さんと、11月に行う「錦之助映画祭り」の打ち合わせをする。期間は、11月16日(火)から11月26日(金)までの11日間。当初は一週間の予定だったが、矢田さんの要望で、4日増やすことになった。これは、錦ちゃんファンも異存はないはず。ただ、長丁場になるので、毎日通うのが大変ではあるが……。
 上映作品は、21本になると思う。ニュープリントを作る『忠臣蔵』だけは、3時間を越えるので1本立て。その上映日以外は、すべて2本立てになる。
 「錦之助映画祭り2010」は、昨年のフィナーレ以来、一年ぶりになる。時の経つのは早いものだ。
 上映作品やお招きするゲストについては前々から考えている案があるので、次回ここに書きたいと思う。しばらくお待ちを!
 明日(もう今日だ)は、星美智子さんが新文芸坐へ『大菩薩峠・完結篇』を観にいらっしゃるので、朝、用賀の駅までお迎えに行くことになっている。星さんは、もう80歳を越えていて、腰がお悪いのに、一人で池袋まで来るとおっしゃって、なかなか譲らなかった。そこを、私が説得して、お迎えに行くことしたのだった。


 

近況報告(つづき)

2010-09-15 00:52:43 | 錦之助ファン、雑記
 最終列車に乗り遅れたおかげで、もう一日京都で過ごし、関係者と連絡を取って会見することができた。
 午前中は中島貞夫監督のお宅(御所近くの高級そうなマンションの最上階)へ伺って、10月のT・ジョイ京都での上映会の打ち合わせと今後の企画に関しての相談をした。朝の8時に電話を入れ、30分後にお宅へ行き、2時間以上リビングルームのソファに居座って、いろいろなことを話した。朝の憩いのひと時を襲い、長居して私がベラベラ喋るのを、温厚な中島監督は我慢して聞いてくださった。
 11時過ぎ、マルハン本社を訪ねる。鴨川のほとり、出町柳にある4階建ての瀟洒なビルだった。マルハンは、京都府峰山町が第一号店で、現在日本最大のパチンコ屋チェーンをもつ大会社で、池袋の新文芸坐の親会社でもある。「吐夢回顧上映会」の初日に、吐夢監督とはご縁の深い韓昌祐(ハンチャンウ)会長にトークショーに参加していただいたので、そのお礼もあり、また、京都での上映会のチラシをお渡ししてご協力をお願いするためだった。あいにく会長にはお会いできなかったが、秘書の前田さんに会って、よろしくと言づてしておいた。記念本「内田吐夢の全貌」も会長あてに贈呈した。これで良い。前田秘書の話ではマルハン本社には社員が30名ほどしかいないそうだが、韓会長が映画を観に行くよう、社員に勧めてくだされば、何人かはT・ジョイに来てくれるだろう。できれば、会長自身が観に来てくださるのが一番良いなあ、と期待する。会長とこれまでお話しした時の感触からすると、その可能性もあると思う。
 昼すぎ、今出川の交差点にあるマクドナルドから、高岡さんに電話。昨日、高岡さんの手荷物を預かり、それを私のバッグに入れたまま、返すのを忘れてしまったのだ。幸い、高岡さんの家がそこから近かったので、自家用車で取り来てくださった。
 高岡さんの車で、京都新聞社へ行く。残念ながら、文化部記者の芦田さんは外出していて、会えなかった。京都文化博物館まで送ってもらい、高岡さんと東京での再会を約束し、別れる。
 京都文博の映像室長の森脇さんと面会し、1時間以上いろいろなことを話す。京都文博が協賛企画として吐夢・月形の映画を上映してくれればイベントの繋がりができ、T・ジョイと京都文博の両方に宣伝になるだろう。(結局、9月30日から、3週間にわたり吐夢特集を組んでくれることになった。月形の代表作は文博所蔵フィルムが少なく、見合わせることに。)
 夕方、知人のKさん(詩人・中原中也の愛好者)と彼女の友達といっしょに夕食。昨年、京都シネマでの上映会の時いつも食事をしていたCocon烏丸1階のビストロで食べる。
 8時半に京都駅へ向かう。最終列車の乗り遅れないよう、余裕を持って。
 12時過ぎに帰宅。
 大阪、京都での実に充実した3日間だった。