『幕末』で錦之助の立ち回りは、寺田屋襲撃の場面一箇所しかないが、ここは迫力満点。右手に傷を負ってから、左手一本で行う刀さばきは、まるで丹下左膳のようだった。刀の重量感と斬殺のリアリティが伝わってくる。竜馬の護衛役の江原真二郎(槍を使う)も良い。二人で襲撃者たちに立ち向かい、狭い寺田屋の二階で斬り合うのだが、暗い部屋の壁や廊下の障子にスポットを当てたような照明を使ったのが効果的で、モノクロっぽい画面がかえって鮮やかだった。ここにはおりょうも居て、竜馬を手伝う。敵に裸を見せて、竜馬をかばう場面が有名である。三人はどうにか急場を逃れるのだが、この場面のシークエンスは、殺陣の切れ味もカット割りも素晴らしい。錦之助、江原、小百合の三者三様の動きも良いが、何と言っても伊藤大輔の演出の冴えが発揮されていて、感服した。
最後に、テレビドラマ『竜馬がゆく』について少しだけ触れておこう。伊藤大輔が亡くなったのは昭和56年(1981年)だが、彼の残した脚本を基にして、この年の終わりに12時間ドラマ『竜馬ゆく』が制作される。錦之助はすでに改名し萬屋錦之介になっていた。このドラマは翌年(1982年)1月2日にテレビ東京で放映された。振り返れば24年も前だが、私はこのドラマを全部観たことをはっきり覚えている。先日、購入したビデオ5巻を二日がかりで全部観た。さすがにテレビドラマだと間延びしていて冗長な印象を受けたが、映画『幕末』で描かれた場面はそのまま踏襲していたが、それ以外の所は原作を忠実に再現していた。テレビの方が司馬遼の『竜馬がゆく』のイメージに近いなと感じた。ただ、惜しむらくは、錦之助が49歳で年をとり過ぎていたことだった。それに貫禄があり過ぎて、映画以上に他の男優陣を圧倒しているのが気になった。テレビドラマでは、共演者の年齢差、芸歴の幅が大きすぎて、錦之助のスケールの大きさに付いていけない印象が抜けなかった。たとえば、竜馬より実際には6歳年上の俊英武市半平太が伊吹吾郎では明らかに不釣り合いだし、亀山社中の同僚たちも出演者のレベルがぐっと落ちていた。
テレビで錦之助に太刀打ちできる演技を見せたのは、岸田今日子の乙女(竜馬の姉)、淡島千景のお登勢(寺田屋の女将)と中村賀津雄の中岡慎太郎くらいだった。大谷直子のおりょうは熱演、あべ静江のお田鶴も奇麗で、若林豪の勝海舟と原田大二郎のまんじゅう屋長次郎も良かった。が、あとは見劣りする共演者が多かった。
それとこのドラマには錦之助の息子(実子ではない)の島英津夫が新宮馬之助という大事な役をやっていたが、溌剌としていてなかなかの熱演だった。島英津夫には、母親の淡路恵子の協力を得て錦之介の死後出版した『親父の涙 萬屋錦之介』という本がある。その中に書いてあったが、この頃彼は、中村プロのため、そして義父錦之介に憧れ、いい役者になろうと一生懸命働いていたと言う。結局、中村プロは、ドラマ『竜馬がゆく』の放映の翌月、すなわち昭和57年(1982年)2月、不渡り手形を出して、あっけなく倒産してしまう。負債総額12億7千万円、経理担当者の使い込みと資金運用の乱脈が原因だったと言う。島英津夫の出演料(給料)も払われないどころか、萬屋一家は大借金と信用の失墜という大変な苦難を背負うことになった。
思えば、映画『幕末』が中村プロの記念すべき映画第一作(中村プロは『祇園祭』の製作途中で設立されたので、錦之助自身は『祇園祭』が第一作だと言っている)、そしてドラマ『竜馬がゆく』は、突然の倒産によって、残念ながら中村プロの最後を飾る作品になってしまった。昭和57年は、錦之助にとって、まさに悲劇の幕開けだった。(完)