「姓は源氏、名は九郎――おぼえておいてくれとはたのまぬ。」
真っ白けの姿で現れた錦ちゃんの源氏九郎、カッコ良かったなー。
「見っ、見たぞ!秘剣揚羽蝶!」
両腕を左右に水平に伸ばし、両手に持った大刀と小刀を垂直に立てる。
ガキの頃、昆虫採集に凝り、蝶々ばかり追いかけていた私は、この「揚羽蝶」という構えが気に入った。真っ白いアゲハチョウなんかいないから、あれは大きなモンシロチョウだと思った。でも、「秘剣紋白蝶」では弱そうだ。
源氏九郎という名前も、錦之助のあの白いイメージも、ガキの私(五歳だったようだ)の小さな頭にインプットされた。今思い出すと、あの頃、『源氏九郎颯爽記』の第一部「濡れ髪二刀流」を観たのか、第二部「白狐二刀流」を観たのか、それとも両方観たのか、まったく覚えていない。ただただ、錦ちゃんの源氏九郎は最高にカッコ良いし、いちばん強いと信じていた。
第三部「秘剣揚羽の蝶」は、予告編を観て、錦ちゃんがまた源氏九郎をやるというので、封切られると勇んで観に行ったことを憶えている。そして、目の玉が飛び出るほど驚いた。お姫様の大川恵子が真っ裸になったからだ。(あれが吹き替えだと分かったのは後年のことで、私はずっと大川恵子だと思っていた。お笑いください。)殿様の寝間に入っていく時である。後姿だけだが、立ったまま着物を脱いで、全裸になったあのシーンは、瞼に焼き付いた。映画で、女性のヌードを見たのはあれが初めてだったから、驚いたのも当たり前である。エロ映画(?)初体験だった。第三部は、調べてみると、昭和37年3月封切りということだから、私は小学3年生の終わりだったようだ。性に目覚め始めた頃なのだろうか。学校では女の子のスカートめくりばかりやって、担任の先生に何度か直訴されていた。その後、四十数年、このエロチックなシーンと錦之助のカッコいい剣さばきだけは鮮明に記憶していた。が、その他の内容はほとんど全部忘れてしまっていた。
『源氏九郎颯爽記』三部作をビデオですべて見直したのは、昨年の春からのことで、間をあけてそれぞれ三度ずつ観たのだが、どれもまあまあだなーと思っていた。第三部のあの全裸シーンも確認した。ほんの一瞬で、たいしたことなかった。思い出にしまっておけば良かったと後悔した。それに、錦之助は、美剣士よりもむしろ、やくざとか、太助のような江戸っ子とか、武将とか、殿様とかの方がいいなーと感じた。だから、このブログでも取り上げなかった。
それが、昨年の暮、渋谷の映画館で、第三部「秘剣揚羽の蝶」をスクリーンで観て、考え方が変わった。子供の頃観て感じたのと同じように、錦之助の源氏九郎の魅力に引き付けられたのだった。それで、別の日にもう一度観に行った。やはり、ビデオで観るのとスクリーンで観るのとは大違いで、陶酔感が違う!
今年の五月に京橋のフィルムセンターで、第一部「濡れ髪二刀流」を上映するというので、私はいそいそと観に行った。この映画にもしびれた。源氏九郎を満喫することができたのである。もう一回上映日があったので、その間に柴田錬三郎の原作を読んだ。これまた面白く、錦之助のイメージそのままだと思った。第一部「濡れ髪二刀流」は加藤泰監督の映画であるが、錦之助主演の彼の映画では、『風と女と旅鴉』『瞼の母』『沓掛時次郎』といった股旅物が断然好きで、どちらかと言うと、『源氏九郎颯爽記』二作は敬遠していた。それが、「濡れ髪二刀流」を二度スクリーンで観て、この映画も加藤泰らしさが所々に発揮されていて、面白い映画であると再認識した。第二部「白狐二刀流」だけは、まだスクリーンで観ていないのが残念である。仕方がないので、スクリーンで観たらどうかなと想像しながら、部屋を真っ暗にして今年に入って二度ビデオ鑑賞した。錦之助だけについて言うなら、第二部の源氏九郎がいちばん輝いている、と今私は思っている。
今回は前置きということにして、これから順番に『源氏九郎颯爽記』三部作について書いていこうと思う。(つづく)
真っ白けの姿で現れた錦ちゃんの源氏九郎、カッコ良かったなー。
「見っ、見たぞ!秘剣揚羽蝶!」
両腕を左右に水平に伸ばし、両手に持った大刀と小刀を垂直に立てる。
ガキの頃、昆虫採集に凝り、蝶々ばかり追いかけていた私は、この「揚羽蝶」という構えが気に入った。真っ白いアゲハチョウなんかいないから、あれは大きなモンシロチョウだと思った。でも、「秘剣紋白蝶」では弱そうだ。
源氏九郎という名前も、錦之助のあの白いイメージも、ガキの私(五歳だったようだ)の小さな頭にインプットされた。今思い出すと、あの頃、『源氏九郎颯爽記』の第一部「濡れ髪二刀流」を観たのか、第二部「白狐二刀流」を観たのか、それとも両方観たのか、まったく覚えていない。ただただ、錦ちゃんの源氏九郎は最高にカッコ良いし、いちばん強いと信じていた。
第三部「秘剣揚羽の蝶」は、予告編を観て、錦ちゃんがまた源氏九郎をやるというので、封切られると勇んで観に行ったことを憶えている。そして、目の玉が飛び出るほど驚いた。お姫様の大川恵子が真っ裸になったからだ。(あれが吹き替えだと分かったのは後年のことで、私はずっと大川恵子だと思っていた。お笑いください。)殿様の寝間に入っていく時である。後姿だけだが、立ったまま着物を脱いで、全裸になったあのシーンは、瞼に焼き付いた。映画で、女性のヌードを見たのはあれが初めてだったから、驚いたのも当たり前である。エロ映画(?)初体験だった。第三部は、調べてみると、昭和37年3月封切りということだから、私は小学3年生の終わりだったようだ。性に目覚め始めた頃なのだろうか。学校では女の子のスカートめくりばかりやって、担任の先生に何度か直訴されていた。その後、四十数年、このエロチックなシーンと錦之助のカッコいい剣さばきだけは鮮明に記憶していた。が、その他の内容はほとんど全部忘れてしまっていた。
『源氏九郎颯爽記』三部作をビデオですべて見直したのは、昨年の春からのことで、間をあけてそれぞれ三度ずつ観たのだが、どれもまあまあだなーと思っていた。第三部のあの全裸シーンも確認した。ほんの一瞬で、たいしたことなかった。思い出にしまっておけば良かったと後悔した。それに、錦之助は、美剣士よりもむしろ、やくざとか、太助のような江戸っ子とか、武将とか、殿様とかの方がいいなーと感じた。だから、このブログでも取り上げなかった。
それが、昨年の暮、渋谷の映画館で、第三部「秘剣揚羽の蝶」をスクリーンで観て、考え方が変わった。子供の頃観て感じたのと同じように、錦之助の源氏九郎の魅力に引き付けられたのだった。それで、別の日にもう一度観に行った。やはり、ビデオで観るのとスクリーンで観るのとは大違いで、陶酔感が違う!
今年の五月に京橋のフィルムセンターで、第一部「濡れ髪二刀流」を上映するというので、私はいそいそと観に行った。この映画にもしびれた。源氏九郎を満喫することができたのである。もう一回上映日があったので、その間に柴田錬三郎の原作を読んだ。これまた面白く、錦之助のイメージそのままだと思った。第一部「濡れ髪二刀流」は加藤泰監督の映画であるが、錦之助主演の彼の映画では、『風と女と旅鴉』『瞼の母』『沓掛時次郎』といった股旅物が断然好きで、どちらかと言うと、『源氏九郎颯爽記』二作は敬遠していた。それが、「濡れ髪二刀流」を二度スクリーンで観て、この映画も加藤泰らしさが所々に発揮されていて、面白い映画であると再認識した。第二部「白狐二刀流」だけは、まだスクリーンで観ていないのが残念である。仕方がないので、スクリーンで観たらどうかなと想像しながら、部屋を真っ暗にして今年に入って二度ビデオ鑑賞した。錦之助だけについて言うなら、第二部の源氏九郎がいちばん輝いている、と今私は思っている。
今回は前置きということにして、これから順番に『源氏九郎颯爽記』三部作について書いていこうと思う。(つづく)