錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~『笛吹童子』(その4)

2012-12-31 23:19:43 | 【錦之助伝】~『笛吹童子』前後
 錦之助はすぐに、『笛吹童子』第一部「どくろの旗」の台本のページをめくった。
 企画:マキノ光雄、宮城文夫 原作:北村寿夫 脚本:小川正
監督:萩原遼 撮影:三木滋人 音楽:福田蘭童 美術:鈴木孝俊

 配役を見た。
 すぐに自分の名前が目に飛び込んできた。
 菊丸:中村錦之助
 錦之助は菊の花が大好きだった。歌舞伎座の最後の舞台も「菊畑」の牛若丸だったし、映画界入りを決めた時もどこかの庭で見た大輪の菊の花が目に焼き付いている。おれはよほど菊と縁があるんだなと錦之助は思った。
 気になるのは共演者である。「兄の萩丸は誰がやるんだろう」

 萩丸:東千代之介
東千代之介? 聞いたことのない名前だなと錦之助は首をかしげた。

 霧の小次郎:大友柳太朗、赤柿玄蕃:月形龍之介
 この二人は、さすがに錦之助も知っている俳優だった。

 台本の書き出しはナレーションから始まっていた。
――今を去ること約五百年の昔、応仁の大乱のあと、花の都は焼け野と化し、天下は麻のごとく乱れ、野盗は横行し、人は家を失い、飢えに苦しみ、不安におののいていた。ここ丹波の国、満月城は、野武士の首領赤柿玄蕃に攻め寄せられて……
 ナレーションにかぶって、城下での戦闘シーン。城主は討ち死にし、城は赤柿一派に略奪される。そのあと、家老上月右門の妻と娘の隠れ家のくだりがあって、場面は中国の明の国へ飛ぶ。そこでまたナレーション。
――赤柿玄番に滅ぼされた満月城の城主丹羽修理亮の二人の子供は、明の国に渡って、兄の萩丸は武芸を、弟の菊丸は面作りを学んでいた。
 場所は、面作りの名人劉風来の家の庭。月夜の晩に、沁みとおるような笛の音。笛を吹いているのは笛吹童子と呼ばれる菊丸である。師匠の劉風来と彼の美しい娘が菊丸のそばに佇んで笛の音に耳を傾けている。

 錦之助は台本を熟読した。
 菊丸は、平和主義者だった。戦乱の世に自ら侍をやめて、笛を唯一の友として平和を祈願しながら面作りに励もうと決心する。されこうべの面に打ち勝つ白鳥の面を完成することが自分に課せられた仕事である。そのため、父の仇を討とうと満月城に向かう兄の萩丸とは袂を分かち、荒廃した京の都に残るのだった。菊丸は邪心のない純真無垢な少年であった。
 立ち回りはないが、錦之助は菊丸の役が気に入った。映画を見てくれる子供たちの手本になるような役づくりを心がけようと思った。

 錦之助が太秦にある東映京都撮影所を訪れたのは三月半ばだった。
 撮影所長の山崎真一郎企画担当の宮城文夫が出迎えた。
「お待ちしてました。よく来てくれましたなあ!」
 山崎は、所長というより、土建屋のおじさんといった風体である。四十を越えたばかりだが、頭髪は後退し、テカテカと光った額に汗をにじませている。浅黒い顔に笑いを浮べ、大きな眼を輝かせて、錦之助を歓迎した。
「中村錦之助です。よろしくお願いします」と、錦之助は深々と頭を下げた。
「いやあ、わかってます。早くうちのスターになってください、頼みますよ」
 早速二人は、錦之助を連れて撮影所を案内した。錦之助は映画を二本撮った下加茂撮影所ではすでに顔なじみも多く、スタッフも気心が知れるようになっていたが、東映の京都撮影所は初めてで多少不安だった。が、山崎所長の飾り気のない人柄に接し、すっかり安心してしまった。
 温厚そうな宮城も錦之助に声を掛け、
「マキノ本部長も期待してますよ。今度の映画は、ぜったい当るでえ、って」
「すいぶん見込まれちゃったな」と錦之助は頭を掻いた。
「うちの息子たちも映画、楽しみにしてましてね。なにしろラジオにへばりついて聞いてたほどのファンでしたから」と宮城は付け加えた。
 撮影所内は、錦之助が思った以上に前近代的だった。木造のバラックのようなステージが四棟。俳優の控え室も安下宿のようだった。噂には聞いていたが、東映はまだまだ貧乏会社のようだった。しかし、すれ違う人たちがみんな元気良く挨拶しながら、忙しそうに通り過ぎていく姿を見て、錦之助は下加茂撮影所よりずっと活気があるなあと感じた。
「今、何を撮影しているんですか」と錦之助は山崎所長に尋ねた。
「河野組で『雪之丞変化』撮ってるんですけど、主演は東千代之介、うちのスター候補ですわ」
「あっ、『笛吹童子』でぼくの兄貴の役をやる人ですね」
「近いうちに紹介します。まだ若いんだけど、踊りのお師匠さんですよ」
 錦之助は、この時、東千代之介がまさか暁星中学時代の教練の教官若和田孝之先生とは思ってもみなかった。




中村錦之助伝~『笛吹童子』(その3)

2012-12-03 21:38:04 | 【錦之助伝】~『笛吹童子』前後
 早速、マキノ光雄は新芸プロの社長福島通人と連絡を取った。
 マキノと福島は、ひばりのデビュー作『のど自慢狂時代』(昭和24年3月公開)で知り合って以来の仲だった。この作品は東横映画製作、大映配給だったが、プロデューサーはマキノ光雄(当時は牧野満男)であった。が、美空ひばりが人気スターの道を驀進していくのに対し、東横映画そして合併後の東映は赤字ばかりが累積してずっと火の車だった。美空ひばりを出演させて映画を作る余裕もなかった。それが、昨年正月、『ひめゆりの塔』を大ヒットさせてから、東映にも運が向いて、映画会社として軌道に乗ってきた。マキノ光雄の苦労がやっと報いられ、プロデューサーとしての名声も昔のように上がってきたのだった。「時代劇は東映」といったキャッチフレーズも今では実質が伴っている。
「いいですよ。お貸ししても」と福島は即答した。
 福島にとって錦之助はちょっとお荷物であった。錦之助を東映の時代劇に出演させたいというマキノの申し出は、渡りに船だった。
 別の日に福島通人はマキノ光雄と会談し、話を詰めた。そして、新芸プロと東映が提携する契約を結んだ。これで新芸プロの企画製作による映画が東映でも配給されるという道が開けたのである。つまり、美空ひばりの映画が東映系の映画館でも上映されるということになった。
 マキノは、早速福島に美空ひばりの東映映画出演を頼み、承諾を得た。
 錦之助を借りるという話が進展して、思わぬほど大きな成果を上げた。マキノも福島も満足の行く合意であった。

 錦之助の知らないところで、錦之助の映画出演第三作以降の話がこのように進んでいたわけである。
 それからすぐ、錦之助は、福島通人に呼ばれた。
 福島は今度新芸プロが東映と契約したと前置きして、こう切り出した。
東映から『笛吹童子』に出てほしいという依頼があったんだけど、是非出てみないか
 錦之助は『笛吹童子』と言われても何も知らなかった。聞けばNHKの子供向きラジオ番組で、大変な人気があったという。
「萩丸と菊丸の役があるんだけど、萩丸は兄で剣の達人、弟の菊丸は平和主義者で笛の名人、どっちがいい? 菊丸の方が錦ちゃんに向いてると思うけど」
 錦之助は『笛吹童子』というタイトルから笛の名人の菊丸の方が主役だと思った。
「いいです。菊丸をやらせてください」と錦之助は答えた。
「もう一本、ひばりちゃんとの共演作の企画があるんだけど、これにも出てくれないか」と福島は尋ねた。
「ええ、喜んで」
 錦之助はひばりとまた共演できると思うと嬉しかった。
 こうして、錦之助の『笛吹童子』三部作と、ひばりとの共演作の映画出演は決まった。
 昭和29年3月半ば、『笛吹童子』第一部「どくろの旗」の台本が錦之助の手許に届いた。


中村錦之助伝~『笛吹童子』(その2)

2012-12-03 19:26:07 | 【錦之助伝】~『笛吹童子』前後

マキノ光雄

 マキノ光雄は精力的に動き出した。
 まず、『笛吹童子』の資料を取り寄せ、目を通した。そしてすぐに、「面白い、これはいける」とほくそえんだ。「ヒャラーリヒャラリコ」」という福田蘭童のテーマ曲もいい。
 『笛吹童子』のキャスティングにマキノはある程度の腹積りはあった。が、主役となる萩丸と菊丸の兄弟はだれにしようかと思案した。霧の小次郎は大友で決まり。悪役の赤柿玄蕃は、月形のオッサンに頼もう。斑鳩隼人は若手の楠本健二あたりにやらせよう。桔梗と胡蝶尼は、高千穂ひづる、田代百合子、千原しのぶ、そして女房の姪の星美智子あたりから選べばよい。堤婆は、新劇から個性派女優を呼ぼう。問題は萩丸と菊丸だ。子供たちに好かれ、東映娯楽版の人気スターになれるようなフレッシュな若手がいいのだが……。
「そや、東映に入れたばかりの東千代之介を使ってみるか」とマキノは思った。
 千代之介は、東映中部支社長の竹本元信の推薦で、昨年の暮マキノが、京都撮影所長の山崎真一郎といっしょに会って入社を決めた男である。娯楽版の第三弾『雪之丞変化』三部作で主役に抜擢し、今懸命になって撮影に取り掛かっている。監督の河野寿一は「箸にも棒にもかかりませんよ」と悪口を言っているが、だれだって最初はそうだ。おれの目に狂いはない。我慢強く使って、観客になじませれば、あれほどの美男子だ、スターになれる可能性は十分ある。四月公開の『雪之丞変化』三部作のあと、ぶっ続けで『笛吹童子』三部作にも出そう。
 そうと決まると、あとは弟の菊丸だけだった。こっちは、千代之介よりずっと若くて、あいつとは違った雰囲気の美少年がいい。だれかいないか。
 ふとマキノ光雄は「またヤーさんのとこへでも相談に行こっか」と思った。
 「ヤーさん」とってもやくざではない。マキノ光雄が、新作の企画や出演者の決定で迷った時に、頼りにしている京都の坊さんであった。本名は名古恵信、真言密教の僧侶で本誓願寺通堀川下ルの寓居に住んでいた。霊感があって京都の芸能人の間では名高い坊さんだった、占いをする時、「ヤーッ!」と大声で気合いをかけるので、この仇名が付いたのだという。
「だれか若くてスターになれそうな役者、おまへんやろか?」とマキノは名古に尋ねた。
「占ってみまっか」と言うと名古は大きなギョロ目を閉じると、呪文のような言葉を唱え、渾身の力をたくわえ、「ヤーッ!」と声を上げた。そしておもむろに目を開けて、
丑寅(うしとら)の方角におるでっしゃろ
 丑と寅との中間の方角、つまり北東にその当人がおわしますというのだ。
 京都のここから見て北東の方角と言えば、下賀茂神社のある糺(ただす)の森あたりだ。マキノは膝を叩いた。
そや、下加茂撮影所や!」
 マキノがヤーさんに占ってもらったのは三月初めのことだった。その時、下加茂撮影所で撮っている映画は、新芸プロの『花吹雪御存じ七人男』であった。マキノは思い当たった。
なんや、錦之助か!」
 マキノ光雄は以前、錦之助と会ったことがあった。もう一年近く前のことだった。その時は兄の芝雀を映画出演させよう思って交渉したのだが、母親といっしょにその場に付いてきたのが錦之助だった。マキノは芝雀が目当てで、錦之助のことは大して考えていなかった。そして芝雀に断られたことで、交渉は終っていた。錦之助には大泉撮影所でキャメラテストだけ受けさせたが、スタッフの評判はかんばしくなく、その報告だけ聞いて、そのままにしてしまった。
 その錦之助が美空ひばりの相手役に抜擢され、『ひよどり草紙』でデビューした。なかなかの評判である。マキノは灯台下暗しとはよく言ったものだと思った。
 錦之助で行こう、とマキノは決めた。


中村錦之助伝~『笛吹童子』(その1)

2012-12-03 05:22:56 | 【錦之助伝】~『笛吹童子』前後
 昭和29年の2月半ば過ぎのことであった。
 東映本社の社長室から製作本部長のマキノ光雄があわただしく飛び出して来て、廊下で脚本家の小川正とばったり出会った。小川は顔が広く映画界ではフィクサー的な存在でも知られていた。東映社長の大川博の信任も篤い男だった。
 マキノは小川に良い所で会ったとばかりに、
「なにかええ企画ないやろか、五月の連休用の娯楽版なんやけど」と尋ねた。
「ないこともないけど、あれ、原作の方どうなってるんかなあ……」
 マキノは小川のもったいぶった言い方に苛立って、
「なんや、それ? はよう言えよ」とせっついた。
NHKのラジオで去年、夕方にずっとやってた子供番組なんだけど、『笛吹童子』って知ってるか?」
 マキノはラジオなど聞く暇もなく、知らなかった。
 小川は、『笛吹童子』の人気が子供たちにすごかったことや登場人物とあらすじを簡単に話した。



 マキノは目を輝かせて、
「ええやないか、冒険活劇で。子供の日にぴったりや。その『笛吹童子』に決まった。今すぐ原作の方、調べてもらえへんか」
 小川はマキノの気の早さにあきれかえったが、マキノとの長年の付き合いもあって、原作の映画化権がどうなっているかを調べる羽目になってしまった。
 小川はすぐその足で日比谷のNHKへ行った。ラジオ課長に話を聞くと、原作者の北村寿夫(ひさお)はすでに映画化を新東宝に任せてしまったとのことであった。
 そこで今度は新東宝へ行って旧知の竹井諒所長に会うと、もうあれは松竹に譲ってしまったという。
 事情はこうだった。ラジオドラマの『笛吹童子』は「新諸国物語」というシリーズの第二話で、第一話の『白鳥の騎士』は一昨年ずっと放送していた。その時、新東宝が原作者の北村寿夫に交渉して、「新諸国物語」シリーズの映画化権を買った。そして、第一話『白鳥の騎士』は映画化され、去年の七月に封切ったのだが、まったく当たらなかった。キャスティングが悪かったこともあるが、子供が喜びそうな映画になっていなかったらしい。そこで、また北村寿夫の了解を得て、「新諸国物語」はすべて松竹に売ってしまったのだという。
 小川はもうダメだと思った。そこでまた東映本社へ行って、マキノ光雄に会った。
 マキノは楽観的だった。
「松竹にかて、ろくな役者、おまへんわな。高村に頼んでみい、くれるかもしれへん」
 小川はそんなマキノに、
「東映には萩丸と菊丸をやる若い役者がいるんか?」と訊いた。
「これから探すんや。まかしとけ!」
 相変わらず自信満々のマキノ光雄であった。
 小川は築地の松竹の製作本部へ車を飛ばした。本部長の高村潔に会うと、映画化権をもらうにはもらったが、まだいつ作るか決まっていないという。小川は高村とも親しかった。小川は高村に頼み込んだ。乗りかかった船でもう後には引けなくなっていた。同席していた松竹の野口鶴男も勧めてくれた。
 マキノ光雄が根っからの活動屋なら、高村潔はインテリで俊敏なプロデューサーだった。
「一つ敵に塩を送るか」と高村は言い、話がまとまった。映画化権は新東宝から買ったのと同額の五十万円でいいということだった。
 小川はまた車に乗って東映に引き返しマキノに報告した。マキノは喜んだ。
「ほな三部作で行こっか。脚本は頼むわ。はよう仕上げてくれや」
 マキノ光雄は社長の大川博に掛け合って、映画化権と脚本料、それに謝礼を含め、なんと三百五十万円を出させた。松竹に五十万円、脚本料は一本五十万で三部作で百五十万、それに企画料として五十万を上乗せして小川には計二百万円、原作者の北村寿夫と高村潔にそれぞれ二十万の謝礼、新東宝の竹井所長と松竹の野口鶴男に各十万、そしてマキノが四十万を懐に入れたという。

 小川正著「シネマの裏窓 ある活動屋の思い出ばなし」(1986年発行 恒文社)を私なりに要約、脚色すると、『笛吹童子』の製作に関する裏話は以上のようである。
 小川正(小川記正)は、戦前は新興キネマの脚本を、戦後はプロデューサーも兼ね、東映全盛期には『笛吹童子』『紅孔雀』をはじめ数多くのプログラムピクチャーの脚本を書いた脚本家である。前掲書の記述で、彼はマキノ光雄に『笛吹童子』の話を持ちかけた時、すでに東千代之介と中村錦之助を念頭に置いて、マキノにこの二人を推薦したと書いているが、これは信用できない。昭和29年2月半ばの時点で、東千代之介はすでに東映に入っていたが、デビュー作『雪之丞変化』の撮影中であり、錦之助は『ひよどり草紙』が封切られたばかりであった。したがって、小川正が映画化権を取る頃に千代之介と錦之助を萩丸と菊丸の候補に上げたことはあり得ないと思う。
 『笛吹童子』のキャスティングについては、3月半ばにはほぼ確定していたと思うが、その時、すでに脚本を書いていた小川正が千代之介と錦之助を推薦したことは大いにあり得る話である。


中村錦之助伝~『花吹雪御存じ七人男』(その2)

2012-12-02 16:54:21 | 【錦之助伝】~『笛吹童子』前後
 錦之助の与三郎は武家の出で造船奉行の息子なのだが、底意のある継母とうまく行かず、妹を残して家出して、逃げ回っている。そこを小猿七之助に助けられ、貧乏長屋の住人が集る居酒屋にやって来る。居酒屋には看板娘のお富(嵯峨美智子)が働いていて、与三郎はすぐにお富と相思相愛になってしまう。



 嵯峨美智子(のちに瑳峨三智子と改名)は当時十八歳、デビューして一年余りで、まだういういしい小顔美人である。ここで早速、二人のラブシーンがある。深夜の居酒屋の薄暗がりの場面だが、何のことはない。錦之助は、しだれかかる嵯峨美智子の肩を黙って抱きかかえているだけである。その様子をみんなが酔って寝たふりをして薄目を開け、やきもきしながら窺っているところが面白いのだが、ここは斎藤寅次郎の即興的演出であろう。錦之助は川田晴久や堺駿二たちに「テレないで、しっかり抱いて!」とからかわれたにちがいない。錦之助は後年、自伝「あげ羽の蝶」の中で、映画初のラブシーン(『ひよどり草紙』にはひばりとのラブシーンらしきものはなかった)について、こんなことを語っている。

――自分としては決してテレてなんかいないのに、人はみな「いやにテレてる」といいます。何故だろう?といろいろ考えてみますと、テレてのことではなく、実は動きがギコチないので、そう見えるんだとわかりました。相手をガッチリと抱くという時、僕はまず相手役の女優さんの衣装の着付をこわしてはいけないと考えていました。

 とんだ言い訳である。照れ性の錦之助がぎこちなくなるのは当たり前だった。
 この映画で錦之助は終始ごく生真面目に演じているが、ゲイバーの醜いオカマと見まがう益田喜頓の女形役者とのからみの場面が傑作である。喜頓が錦之助に惚れて言い寄ってきたり、芝居小屋の楽屋で喜頓の伸びた鼻毛を錦之助が刀を抜いて切るところなどは特におかしい。



 が、何と言ってもこの映画の見どころは、舞台に上がって錦之助が女形になり、藤娘を踊るところであろう。可憐で、妖精のようでもあり、さすが歌舞伎で修業を積んできたプロの踊りであった。与三郎という人物の設定と話の脈絡からすれば、なぜここで与三郎が急に女形になって藤娘を踊るのかまったく訳が分からないのだが、そんな理屈はどうでもよく、要するに企画者の旗一兵も監督の斉藤寅次郎も錦之助の女形を見せたかったのだ。錦之助は、映画界に入ってまでも、嫌いな女形にされて踊らされるとは思ってもみなかったと語っているが、映画の演技はまだアマチュア、踊りはプロで、映画で錦之助の踊る藤娘を見た観客は目を見張ったにちがいない。
 ところで、映画の続きだが、お富にも強欲な継母がいて、借金のカタにお富はやくざのボス兵蔵の酌婦に売られてしまう。そのあと、邪魔な与三郎を葬ろうと、与三郎はやくざたちに襲われ、ここでチャンバラ。錦之助の見せ場であるが、まだまだ刀の使い方はお世辞にもうまいとは言えない。そこで与三郎はお富を救おうと、やくざの家へ乗り込んでいく。一方、兵蔵の子分たちにさんざんひどい目にあわされ、我慢していた面々も、鋳かけ松を殺され、ついに堪忍袋の緒が切れて、兵蔵の家へ殴りこみ、やくざたちと大立ち回りになる。ラストで、また錦之助は刀を振るうが、まだ不慣れだった。ほかの連中は刀ではなく、いろいろな方法でやくざと戦うのだが、こちらの戦法の方がコミカルで楽しい。

 『花吹雪御存じ七人男』は、昭和29年3月24日に新東宝系映画館で封切られた。出演者のクレジットタイトルで中村錦之助の名前は、最後に一枚看板で特別出演と付記されて出る。歌舞伎界からやって来た若き貴公子の錦之助が、地上の俗界に星の王子様のように舞い降りて、居酒屋の看板娘と恋をしたり、芝居小屋で女形に扮し藤娘を踊ったり、チャンバラをやったり、大活躍した。
 が、この映画での錦之助の役どころは、福島通人と旗一兵の苦肉の策であった。錦之助を歌舞伎の女形として映画で紹介しようというのは、本当は奥の手で、また切り札でもあった。それを二作目で安易にも使ってしまったところに、錦之助を映画俳優として売り出そうとする新芸プロの限界もあった。
 錦之助はこの映画の撮影が終って、福島通人に新芸プロの専属にしてくれるのかどうかと尋ねた。福島は首をかしげて、当分自分の個人預かりということにしましょうと答えた。錦之助は、この先映画俳優として続けていけるのかどうか不安になった。
 『ひよどり草紙』にも『花吹雪御存じ七人男』にも錦之助には歌舞伎時代からの守役中村時十郎(のちの時之介)が付き人のように付いて世話をしていた。彼を錦之助に付けたのは、父時蔵の親心であった。時十郎は、『花吹雪御存じ七人男』で悪役として出演までしてくれた。その時十郎も二作目を終え、歌舞伎の舞台に帰ることになり、東京へ発っていった。錦之助は時十郎を駅まで見送りに行き、彼の乗った列車が小さくなって見えなくなった時、急に心細さを感じないわけにはいかなかった。