錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『仇討』

2006-09-27 13:28:46 | 武士道残酷物語・仇討

 今井正監督の『仇討』(昭和39年)は、作品的には『武士道残酷物語』より優れていたと私は思っている。どちらも暗い映画で、観終わって、何とも言えない殺伐とした気分を味わうが、作品の完成度は『仇討』の方が高かったと思う。
 まず、『仇討』は、ストーリーが奇抜だった。同じ藩の武士同士の些細ないさかいから、私闘、決闘、そして一族郎党だけでなく藩全体を巻き込んだ仇討へと状況が深刻化していく。池に投げた小さな石のような小事が、波紋を広げ、取り返しのつかない大事になる。意外性のある話で、観ているうちに私はぐいぐいと引き込まれてしまった。そして、絶えず緊張感を覚えながら観ることができた。
 この映画は、橋本忍のオリジナル脚本であるが、さすがに戦後のシナリオライターの第一人者だけあって構成がしっかりしていると思った。『切腹』(昭和37年公開、橋本忍脚本、小林正樹監督)も奇抜な話で素晴らしかったが、『仇討』も甲乙つけがたい出来映えだったと思う。60年代に続々と制作された残酷時代劇や集団時代劇の中では、『切腹』と『仇討』と『十三人の刺客』(昭和38年公開、工藤栄一監督)が三大傑作ではなかろうか。
 『仇討』の前年に製作された同じく今井正監督・錦之助主演の『武士道残酷物語』は一種のオムニバス映画だったので、比較するのはやや無理な点があるが、第五話、第六話など無理矢理繋げた感もあって、破綻のある構成になっていた。『仇討』は、場面場面が緊密に繋がっていて、最後のクライマックスへ至るまでの展開も見事だった。登場人物たちの配置も良かった。錦之助の演じた主人公江崎新八をめぐる周りの人物たちの態度や言動も巧みに描かれていたと思う。共演者では、新八の兄を演じた田村高廣が特に良かった。ベテラン俳優では、寺の住職役の進藤英太郎、藩の目付け役の三島雅夫、新八の許婚の父親役の信欣三が目立っていた。
 黛敏郎の音楽も独特で、効果を上げていた。撮影は中尾駿一郎、今井正の映画にはなくてはならない名カメラマンだった。
 
 主役の錦之助について語ろう。演技の点で言えば、『武士道残酷物語』の方が役柄も多く獅子奮迅の大熱演だったと思うが、『仇討』の江崎新八もすごい役柄だった。人一人殺してからの、その異様な風貌と、狂気を帯びた目つきは恐いほどだった。これが錦之助なのかと目を疑いたくなった。寺に預けられ、おどおどして異常な精神状態になっている時の新八を演じた錦之助は、表情も動作も、これまで誰も見たことのない錦之助だったと思う。
 新八は、死を覚悟することによって心の平安を見出す。自ら仇敵となって相手に討たれる決心をし、城下に戻ることになった前夜のシーンは、嵐の前の静けさのようだった。ここだけは、錦之助がいつもの見慣れた人間らしい表情に戻っていた。無精髭を剃り、さっぱりした顔で庭に置いた大樽の湯船に漬かり、寺の小僧相手に「武者追い唄」を歌うシーンは、ペーソス(悲哀)の漂う唯一の場面だったが、特に印象的で感銘を受けた。静寂の中で河鹿(かじか)の鳴く声が聞こえる。それが一層、生きることの切なさと孤独感を深めていた。
 そのあと、この映画は一転して壮絶なクライマックスへと向かっていく。ここからまた錦之助はすっかり人が変わってしまうのだが…、見るに忍びないと感じた人も多かったことだろう。実家に帰ってからの新八は落ち着いた表情だったが、仇討の場所へ赴き、それが見世物になっていることを知ってからは、憤りをぐっと抑えた我慢の表情に変わる。見物人の群衆から石を投げられた時の悔しい表情は何とも言えなかった。そして、その憤りはラストシーンで爆発する。裏切られたと分かってからの新八の形相は目に焼きつく。「助太刀無用!」と大声で叫び、新八が刃引きをした刀で五人の討手たちに必死で立ち向かう場面は、言語を絶するすさまじさだった。
 『仇討』で、錦之助は従来のイメージをすべてかなぐり捨てた。その過激な役者ぶりは、東映時代劇の映画スターとしての自爆行為に等しかったと言えるだろう。
 
 この映画は「時代劇」ではあるが、『武士道残酷物語』同様、「反時代劇」であり、「時代劇否定」だった。というのも、「仇討」という行為は、従来の時代劇が美化し、好んで描いてきたことであったからだ。「忠臣蔵」「中山安兵衛」「荒木又右衛門」「曽我兄弟」は言うまでもなく、仇討を話の中心に据えた幾多の時代劇は、仇敵を斬り殺すことを正当化し、仇討場面をクライマックスとして、恨みを晴らすその痛快さを売り物にしてきた。「仇討物」は、時代劇を好む観客にとってカタルシス(精神浄化作用)の役割を果たしてきたとも言える。(これは、東映時代劇衰退後の任侠やくざ映画にも受継がれて行ったと思う。)
 もちろん、「仇討」の虚しさや愚かさを描いた時代劇映画はこれまでに何作もあったが(マキノ雅弘監督の『仇討崇禅寺馬場』はその代表作であろう)、橋本忍脚本・今井正監督のこの『仇討』ほど仇討の醜悪さを嫌というほど暴いて見せた作品はなかったのではあるまいか。藩公認のもと、民衆の面前で見世物的に仇討を行わせるその経緯の馬鹿馬鹿しさ、仇討を行わざるを得ない当事者たちの悲憤、関係者たちの詰まらぬ意地や愚劣さなど、これらを主人公江崎新八の内面的な葛藤に反映させながら描き切った作品が、まさに『仇討』だった。
 この映画の評価は、大きく分かれるだろう。この作品には、娯楽性もない。ユーモアもない。カタルシスもない。なぜ、こんな映画を作ったのだろうといった批判も多いだろう。しかし、この映画を好む好まないは別として、また時代劇であるかどうかもおくとして、『仇討』は、人を死に至らしめる人間社会の恐ろしさを描いた傑作だったことは間違いない。



『武士道残酷物語』

2006-09-27 00:19:37 | 武士道残酷物語・仇討

 見るも無残で、錦之助ファンが思わず目を覆いたくなる映画と言えば、今井正監督の『武士道残酷物語』(昭和38年)と『仇討』(昭和39年)であろう。先日私は池袋の新文芸座で、『武士道残酷物語』を観て来た。この映画、ビデオでは何度も観ているが、映画館の大きなスクリーンで観ると、やはり迫力が違う。そのすさまじさに圧倒されてしまった。
 もちろん、私はヤワな錦之助ファンではない。錦之助ファンならこういう映画もじっくり観て評価しなければならないと思っているファンの一人である。粋でカッコ良い錦之助も素晴らしいが、演技の鬼と化したすさまじい錦之助にも私は大きな魅力を感じている。だから、この映画を観ても、目を覆うことなく、むしろ目を見張って観たわけであるが、七役を演じ分けた錦之助の並々ならぬ気迫と執念にはいつも感嘆してしまう。ここまでやるのか!と内心思いながら、スゴイ役者、スゴイ映画俳優だ!と痛感しないわけにはいかない。
 『武士道残酷物語』を観ると、錦之助の「闘う姿」に感動する。「闘う姿」というのは、映画の中で立ち回りをして敵と戦うというのではない。実はこの映画に、立ち回りや斬り合いは出て来ない。私が言いたいのは、この「反時代劇」とも言える作品を通じて、錦之助は、自分と闘い、監督の今井正と闘い、また、並み居る出演者たちと闘っているように思えたことである。『武士道残酷物語』ほど、錦之助が闘志を燃やした映画はなかったのではあるまいか。
 今井正は妥協しない監督で有名だった。演技が気に入らないと何度でもテストを繰り返す。それは、有馬稲子が『夜の鼓』(昭和33年)の撮影で、「待って!」と言うだけのカットを500回近くもやらされ、自殺したくなったと語っているほどである。錦之助が奥方の有馬から、その話を聞いていないわけはない。有馬稲子は、死にたくなるほど今井正のしごきにあったにもかかわらず、今度は錦之助と一緒に『武士道残酷物語』に出演するのだから、彼女の役者魂も見上げたものだ。有馬稲子は今井正の映画が好きなのだろう。錦之助を誘って、この映画に出演させたのではないかと思われるフシもある。
 それはともかく、『スクリーンのある人生・今井正全仕事』(編集:映画の本工房ありす)のために錦之助が書いた序文「役者道残酷物語」によると、クランク・インする前に錦之助は10キロも減量したそうだ。タイトルマッチ前のボクサーのような状態だったという。空腹で台本も頭に入らなかったらしい。また、今井正の平然とした態度に、内心「この野郎!」と思ったとも正直に語っている。
 この映画は共演者が芸達者ばかりで見ごたえがあった。オムニバス映画なので、話ごとに共演者が変わっていくのだが、錦之助だけが出ずっぱりで、次々と相手役と火花を散らす演技の闘いを続けていく。
 第三話「飯倉久太郎の章」で男色の殿様を演じた森雅之が何と言っても絶品だった。また、見捨てられた愛妾役の岸田今日子が気味悪いほど良かった。この二人の間に、若衆役の錦之助が入って、引くに引けぬ三角関係を繰り広げるのだから、観ている私は何度固唾を飲んだか分からない。挙句の果ては、錦之助の一物が斬られてしまい、しかも岸田今日子をお下がりの嫁にあてがわれるというのだから、衝撃的な話だった。
 第四話「飯倉修蔵の章」は、この映画のメインで最も残酷なストーリーだと思うが、配役の上でも錦之助(修蔵)の奥方を演じた有馬稲子が控え目だったが実に憐れで、稲子ファンの私は胸が締め付けられる思いだった。殿様役の江原真二郎の凶暴さと狂った表情も強烈な印象を残した。
 最初と最後に現代の話があるのだが、今回観ていて、最後の「飯倉進の章」もなかなか良く出来ているなと感じた。進が勤める建設会社の部長に扮した西村晃が相変わらずの好演で、恋人役の三田佳子も熱演していた。現代劇の錦之助も新鮮で良かった。錦之助は普通の洋服姿で出演していたが、先祖たちとのギャップがこの優柔不断なサラリーマン青年像をかえって際立たせていたように感じた。
 自殺未遂した三田佳子のベッドの脇で、錦之助が「二人だけで結婚しよう」ときっぱり言うラストシーンは、この映画の唯一の救いだった。しかし、この取って付けたような終わり方を観て、はたして、映画全体のテーマからして、これで良かったのだろうかという疑問も残った。
 
 『武士道残酷物語』は、主君に対し忠誠を尽くし、自らの家の永続を願うがために、個人を犠牲にするという武士道の愚劣さを、嫌というほどわれわれの前に突き付けた作品であった。この映画は一貫してこのテーマを追求し、筋立てを変えながら武家社会の不条理というものを執拗に描いていたが、しかしなぜ、ここまで、封建道徳に縛られた先祖たちの生き様を冷徹に描かなければならなかったのか。今井正は、戦争責任の問題を個人の内部の問題として捉え直そうと試みて、この映画を製作したと述懐しているが、この意図はどうも理解できない。主君をお国に置き換えてみたとして、お国の暴虐がどんなにひどいものであれ、臣民は、あくまでもそれに耐え忍び、いざとなれば命をも犠牲にしなければならない。それがどれほど理不尽に思えても、滅私奉公を逃れる道が他にないとするならば、自らの宿命に対し、やり場のない憤りを抱くだけである。『武士道残酷物語』は、過去の日本人の封建的な生き方を弾劾しながら、同時にその血を引く戦後の日本人も体質的に変わっていないのではないかという問題提起をした。が、この映画の限界は、そこにとどまって、現代の日本人に向かって自己変革への意志も希望も示唆できなかったことにあったと思う。


『武士道残酷物語』

2006-03-19 01:19:53 | 武士道残酷物語・仇討


 『武士道残酷物語』(昭和38年)は、今井正監督の問題作であり、錦之助のまさに鬼気迫る演技が見られるすさまじい映画であった。原作は南条範夫の「被虐の系譜」で、脚本は鈴木尚之と依田義賢。共演者は、男優陣が東野栄治郎、森雅之、木村功、加藤嘉、西村晃、女優陣が岸田今日子、有馬稲子、渡辺美佐子、丘さとみ、三田佳子といった錚々たる面々。
 とはいえ、いったいこの作品をどう評価したら良いのか、私は悩まざるをえない。好きかと尋ねられれば、私はあまり好きな映画ではないと答えるだろう。それが正直な気持ちだ。錦之助のからっとした明るさや、うっとりと見とれてしまう甘美な魅力を愛するファンにとってみれば、こうした映画に失望を感じるのは当然かもしれない。ここには錦之助が世話物を演じた時の心に滲みるような人情味もなければ、戦国武将を演じた時の剛毅さもなければ、殿様を演じた時の気品に満ちた寛大さもない。ただただ暗く、忍の一字を守り、主君に仕える下級武士や青年の絶望的な生き方が描き出されていく。

 「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは「葉隠」の言葉であるが、この映画は武士道精神の理不尽さと自己犠牲の愚かさを嫌というほど暴いている。今井正にかかれば、封建道徳は人間を縛る忌まわしい悪弊であり、それが時代を経て連綿と続き、近代から現代に至るまで日本人の生き方に染み付いていることになる。そのあたりの解釈には強引さを感じなくもないが、この作品は、言ってみれば武士道精神を称美する時代劇全般に投げつけた強烈な問題提起なのかもしれない。その意味では、時代劇を逆手に取った反時代劇映画でもあったと言えよう。

 『武士道残酷物語』で登場する錦之助は輝けるスター時代の彼ではない。まったく別人の錦之助である。では、これが錦之助の失敗作かと言えば、断じてそんなことはない。この映画はオムニバス形式で現代から過去に遡って七つの話が描かれるが、主役はすべて錦之助で、一人七役である。これはみな、この頃の脂の乗り切った錦之助でなければ、演じることのできない役ばかりだったと思う。三船敏郎は論外だとして、市川雷蔵でも到底できないし、仲代達矢ですら、これほど幅の広い役柄を完璧にこなすことは不可能だったに違いない。気の弱い若衆から腹の据わった古武士まで演じられるのは錦之助以外には考えられない。この映画で、錦之助は自らの役者魂を衆目の前にまざまざと見せつけた。そして、東映時代劇が衰退期を迎えた昭和30年代終わりに、錦之助は演技に開眼し、すでに自らの進むべき道を固めていたのだった。だから、この作品で錦之助がブルーリボンの主演男優賞をもらったのも当然の成り行きだった。また、ベルリン映画祭ではグランプリを受賞したが、それも確かにうなづける。

 この映画の見どころを挙げておこう。第一に、錦之助がなんと現代劇に登場する。これが珍しくまず目を引く。鬘もかぶらず、時代劇のメイクアップもしない素のままの錦之助が出てくるのだ。婚約までかわした恋人(三田佳子)に自殺未遂をされ、病院に駆けつけるところから話は始まるが、煮え切らない会社勤めの青年飯倉進を錦之助はそつなくこなしている。そこから、家に残されていた先祖達が綴った日誌を手がかりに、戦国期から江戸時代の封建社会に生きていた彼らの忌まわしい来歴が次々と明かされていく。
 そのなかでひときわ凄絶な挿話は、江戸時代天明期の第四話で、平穏無事に暮らしていた飯倉一家が政略と主君(江原慎二郎)の気まぐれでズタズタにされる話である。一家の主人飯倉修蔵が錦之助で、主君の思し召しもめでたい剣の達人だった。それが突然悲運のどん底に落ちていく。
 まず許婚までいる娘さとが他藩の殿様に人身御供にされる。次には美しい妻まき(有馬稲子)が主君の目に留まり、無理矢理寝所に呼ばれ、辱めを受ける前に意を決し自害する。それを諫言した錦之助は閉門処分を受ける。さらには送り返されてきた娘と許婚の門弟の一馬(山本圭)が家にいるところを見張り番に見つかり、捕縛される。そしてこの話の最後は目を覆うほど残酷で、そのすさまじさのあまり、有名になった場面である。閉門中の錦之助がある日城内の庭に連れ出され、目隠しをしたまま剣の技を披露し二人の罪人の首をはねるように主君に命ぜられるのだが、斬リ捨てた二人がなんと娘さとと許婚の一馬だったのである。目隠しを取ってから錦之助はそれを知るのだが、ここはまさに言語を絶するシーンで、主君の前で憤死する錦之助の形相の物凄さ(冒頭の写真)。それがしばらく目に焼きついて離れないほどだった。