ところで、当時の千代之介と錦之助の二人について、錦之助の暁星時代の同窓生四人の座談会では一人がこんなことを話している。前にも引用した「平凡スタアグラフ」から。
「学芸会で千代之介さんが芝居を書いてやったね。サルカニ合戦を歌舞伎化してやろうということになって、顔をつくる人がいないので錦ちゃんに頼んでさ、東千代之介作、中村錦之助指導というのをやったね。受けたね。これが。(笑)」
二人で新作の歌舞伎芝居を企画してやったというのだ。もちろん、東千代之介という芸名はまだないので、本名の若和田孝之作ということだろうが、中村錦之助の方は四歳の時からこの芸名を使っていたし、学内でもその名は知られていたので、芸名を使ったかもしれない。それにしても、二人のノリノリ振りが目に浮ぶようだ。
昭和二十年七月、軍事教練だけでなく学芸会でも生徒指導していた千代之介にとうとう召集令状が来る。今度は本当の壮行会をやることになったのだ。千代之介は、生徒の前でこんな演説したという。別れを惜しむ錦之助も目に涙を浮べて聴いていた。
「俺が、こうやって喋っている間にも先輩たちは爆弾を抱き、銃を執って護国の鬼と化している。俺は君たちが後に続くを信じて……」
胸が詰まって言葉にならなかった。
千代之介は甲府で入隊すると、間もなく千葉へ回され、竹槍などを作っていたという。戦線に送られることはなかった。
補助憲兵の頃(昭和20年9月) 前列左端が千代之介
昭和二十年七月二十六日、ポツダム宣言発表。連合国は日本に無条件降伏を要求。八月六日、広島市へ原子爆弾投下。八月八日、ソ連が日ソ中立条約を破棄、日本に宣戦布告。八月九日ソ連軍が満州へ侵攻。米軍が長崎市へ原子爆弾投下。八月十四日、天皇が御前会議でポツダム宣言受諾の意思を表明。連合国側に通知。大本営が攻勢作戦の停止を発令。八月十五日 玉音放送。終戦。
錦之助もラジオで玉音放送を聞いた。中学一年、十三歳の時だった。
――終戦の日が来ました。父も母も、広く世間一般の大人たちも子供たちまでもが、天皇陛下のお声を聞いて泣いたといい、そういわれてきてもいます。しかし僕はさっぱり泣けませんでした。泣けるどころか、何の事やら判りませんでした。年が若かったために、国家がどうこうしたのなど、ぴんとこなかったのです。
錦之助にとって何にも増して嬉しかったことは、池の平に疎開していた母ひなや姉妹や弟の賀津雄が引き揚げてきて再びもとの大家族に戻ったことだった。誰欠けることなく、家族全員が無事息災で団欒の楽しさを取り戻したことだった。錦之助は、みんなと騒ぎ、はしゃぎまわった。ふと見ると、笑っている父時蔵の目にも母ひなの目にも、涙が光っていた。
「学芸会で千代之介さんが芝居を書いてやったね。サルカニ合戦を歌舞伎化してやろうということになって、顔をつくる人がいないので錦ちゃんに頼んでさ、東千代之介作、中村錦之助指導というのをやったね。受けたね。これが。(笑)」
二人で新作の歌舞伎芝居を企画してやったというのだ。もちろん、東千代之介という芸名はまだないので、本名の若和田孝之作ということだろうが、中村錦之助の方は四歳の時からこの芸名を使っていたし、学内でもその名は知られていたので、芸名を使ったかもしれない。それにしても、二人のノリノリ振りが目に浮ぶようだ。
昭和二十年七月、軍事教練だけでなく学芸会でも生徒指導していた千代之介にとうとう召集令状が来る。今度は本当の壮行会をやることになったのだ。千代之介は、生徒の前でこんな演説したという。別れを惜しむ錦之助も目に涙を浮べて聴いていた。
「俺が、こうやって喋っている間にも先輩たちは爆弾を抱き、銃を執って護国の鬼と化している。俺は君たちが後に続くを信じて……」
胸が詰まって言葉にならなかった。
千代之介は甲府で入隊すると、間もなく千葉へ回され、竹槍などを作っていたという。戦線に送られることはなかった。
補助憲兵の頃(昭和20年9月) 前列左端が千代之介
昭和二十年七月二十六日、ポツダム宣言発表。連合国は日本に無条件降伏を要求。八月六日、広島市へ原子爆弾投下。八月八日、ソ連が日ソ中立条約を破棄、日本に宣戦布告。八月九日ソ連軍が満州へ侵攻。米軍が長崎市へ原子爆弾投下。八月十四日、天皇が御前会議でポツダム宣言受諾の意思を表明。連合国側に通知。大本営が攻勢作戦の停止を発令。八月十五日 玉音放送。終戦。
錦之助もラジオで玉音放送を聞いた。中学一年、十三歳の時だった。
――終戦の日が来ました。父も母も、広く世間一般の大人たちも子供たちまでもが、天皇陛下のお声を聞いて泣いたといい、そういわれてきてもいます。しかし僕はさっぱり泣けませんでした。泣けるどころか、何の事やら判りませんでした。年が若かったために、国家がどうこうしたのなど、ぴんとこなかったのです。
錦之助にとって何にも増して嬉しかったことは、池の平に疎開していた母ひなや姉妹や弟の賀津雄が引き揚げてきて再びもとの大家族に戻ったことだった。誰欠けることなく、家族全員が無事息災で団欒の楽しさを取り戻したことだった。錦之助は、みんなと騒ぎ、はしゃぎまわった。ふと見ると、笑っている父時蔵の目にも母ひなの目にも、涙が光っていた。