錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~『新選組鬼隊長』

2013-06-08 22:53:47 | お坊主天狗・新選組鬼隊長
 『新選組鬼隊長』のデータは以下の通りである。
 東映京都撮影所 白黒スタンダード 115分 昭和29年11月22日公開
 製作:大川博 企画:マキノ光雄、山崎真一郎、玉木潤一郎
 監督:河野寿一 原作:子母澤寛 脚本:高岩肇、結束信二 
 撮影:三木滋人 美術:鈴木孝俊 音楽:深井史郎
 (配役は省略する)

 子母澤寛の「新選組始末記」(昭和3年)は、小説ではなく、新選組に関わる人々や隊士と血縁のある人々にからの聞書をもとに資料を整理した一種のルポルタージュである。新選組の「選」の字は、「撰」も使うが、子母澤によると、当時の文書では両用していたので、どちらも正しいそうだ。また、近藤勇は、「いさむ」ではなく「いさみ」と読むべきだという。
 新選組がブームになったのは、昭和40年代で、現在でも新選組マニアが多いが、私はそれほど詳しくない。新選組にあまり興味もない。司馬遼太郎の「新選組血風録」「燃えよ剣」(ともに昭和39年刊)はずっと以前に読んだことがあるが、内容はほとんど忘れてしまった。栗塚旭が土方歳三をやったテレビドラマも時々見ていた程度である。当時は気づかなかったが、テレビドラマの「新選組血風録」と「燃えよ剣」は脚本結束信二、演出河野寿一であるから、二人が新選組物でコンビを組むのは、この『新選組鬼隊長』が原点になっていたわけである。
 映画では、ほかに加藤泰監督の『幕末残酷物語』と沢島忠監督の『新撰組』を私は近年見直したが、草刈正雄が沖田総司をやった映画は昔、封切りで観たきりである。

 さて、映画『新選組鬼隊長』は、原作が小説ではないため、脚色の段階でかなりフィクションを加えている。女性の登場人物はみな架空である。新選組を離脱して療養中であった沖田総司は、実際には近藤勇が死んですぐあとに亡くなるのだが、映画では近藤が二度目に沖田を見舞いに行くと病死していたことにしている。これはちょっと問題がある改ざんだと思う。それと、そもそも近藤勇は三十代、沖田は近藤より十歳年下の二十代初めであるから、錦之助は良いにしても、千恵蔵はこの頃五十一歳で近藤を演じるには老けすぎである。千恵蔵の近藤勇はこれが初めてで、その後また二度、近藤勇を演じるが、オジン臭くて、私はどうしてもいいとは思えない。また、沖田総司は実は美青年でもなかったという話で、小説や映画やテレビドラマでは沖田総司が薄幸の美青年になっているが、これもフィクションである。
 原作の「新選組始末記」は新選組の前身の浪士組の徴集から書き始め、清河八郎、芹沢鴨といった結成当初の中心人物にも触れているが、映画はこうした前半部を省き、池田屋襲撃から戊辰戦争を経て、武州流山における新選組の壊滅と近藤勇の投降と死までを描いたものである。つまり、新選組の衰亡のほうに力点を置いた。
 映画の題名にもある通り、主役は近藤勇である。したがって、千恵蔵の登場するシーンばかりが目立つ。クレジットタイトルでは、千恵蔵がトップに一人で出たあとに、錦之助、月形、千代之介が三人並んで出る。月形は伊東甲子太郎(かしたろう)の役で、途中で登場してすぐに殺されてしまう。千代之介は『雪之丞変化』でデビューしてからなんと24本も娯楽版中篇に出演していたが、これが初めての本編出演だった。徳川慶喜の役であるが、出番は2シーンしかなく、坐ったまま話して終わりだった。沖田総司の錦之助は、千恵蔵につぐ役であった。それと重要なのはやはり土方歳三の原健策で、あと目立つ役としては、新選組隊士では永倉新八の島田照夫、藤堂平助の堀雄二、山南敬助の加賀邦男、山崎丞の清川荘司、原田左之助の永井智雄である。

 後援会誌「錦」第6号(昭和29年12月発行)の巻頭言で、錦之助は『新選組鬼隊長』で演じた沖田総司について、
沖田総司の役で肺病におかされた感じを出す為随分苦労した積りでしたが、さて試写をみてガッカリ! 余り感心しませんでした。口の悪い茂兄さんなど『ぜんそくかと思った』にはギャフンでした
 文中の茂兄さんとは、次兄の茂雄(中村芝雀)のことだ。錦之助がこれを書いたのは11月20日ごろかと思われる。
 沖田総司の肺病というのは、江戸時代には労咳と呼ばれた死病で、近代医学では結核と名づけられ、治療法が発達して現代ではほぼなくなった病気である。労咳を病んだ人物で、悲劇のヒーローとして時代劇に登場するのは、平手造酒(みき)と沖田総司であろうが、映画で沖田総司を演じることなった錦之助は、労咳患者の咳の仕方や血の吐き方を真面目に研究した。映画を観る人は、労咳患者の咳の仕方など誰も知らなかったにちがいない。だから、何もそれほどリアルに演じることもなかったのだが、いい加減にやるということがこの頃の錦之助にはできなかった。錦之助は、労咳の感じをリアルに出そうと懸命になった。その頃上映されていた松竹映画『忠臣蔵』で毛利小平太に扮した鶴田浩二の咳の仕方が参考になると人から聞いて、三回も映画館へ通って勉強したほどだった。また、以前、沖田総司の役を演じたことのある原健策からも教わったという。
 「血が出る時はキャンキャンというほど高い調子で、ヘドを吐くように、ふだんのセキは軽くといったコツで演じました」(「あげ羽の蝶」)と、錦之助は苦心談を語っているが、結果的にはうまく行かなかった。今『新選組鬼隊長』を見ると、錦之助の沖田総司は咳き込んだり、血を吐いたりする場面が多すぎるような気がしないでもない。それだけ錦之助の沖田が登場する場面が多いので、仕方がないとも言える。沖田総司はこの頃の錦之助には適役だったとはいえ、映画を観ると決して上々の出来ばえとは思えない。近藤勇を先生と慕いながら、恋人にも誠意を尽くすといった一本気で単純すぎる人物像なのである。また、斬り合いの途中で、血を吐くので、殺陣(たて)のほうが中途半端になり、天才剣士と言われる沖田総司の剣の凄さが発揮されないまま終ってしまった。
 そして、錦之助の立ち回りは、この頃はまだ上手とは感じられない。良くないと思う点がいくつかある。まず、刀を持った時の構えが決まっていない。刀を振るスピードが速すぎるので、刀の重みが伝わらない。体勢を低くした時に腰が引ける。一番良くないのは、人を斬るたびに口を開けて、「エイッ」というような声を発することである。この癖が直るのは、ずいぶんあとになってからのような気がするが、今度確かめたいと思っている。
 立ち回りの時に、錦之助は千恵蔵から注意を受けた。それは、沖田は剣が好きな男なんだから、自分で斬り込んでいく気迫がこもらなければいけない、ということであった。
 錦之助の相手役は田代百合子だった。あぐりという名の娘である。これは架空の人物で、京都の医者の娘という設定になっていた。田代が恋人役になるのは、『お坊主天狗』に続いて二度目であるが、決死の覚悟で旅立つ錦之助を強引に引き留めるという田代の役どころは『お坊主天狗』と同じである。『新選組鬼隊長』では床に就いた錦之助を看病するが、のちにオールスター映画『赤穂浪士』で田代が錦之助の小山田庄左衛門の恋人役を演じた時も、似たような役どころだった。怪我をした小山田を看病するのは良いが、討ち入りへ行く小山田を必死で引き留めて、男子の本懐を遂げさせない。おとなしそうで恥じらいのある娘なのだが、一途に思う気持ちから最後は頑として意志を貫くので、男にとっては振り切るのに苦労する女である。



中村錦之助伝~『青年』

2013-06-06 18:33:42 | 成吉思汗・青年
 昭和29年の秋、東映は芸術祭参加作品として林房雄原作の「青年」の映画化を予定していた。
 「青年」(昭和9年 中央公論社)は、幕末に長州藩の青年たちが世界に目を向け、尊王攘夷派から開国論者に転じて国政改革のために活躍する長編小説である。主役は若き日の伊藤俊輔(にちの博文)と井上聞多(馨)で、この二人を錦之助と千代之介が演じることになっていた。東映京都と東映東京の若手俳優たちが総出演する作品で、企画はマキノ光雄(ほかに大森康正と田口直也)、脚本は八木保太郎、監督は松田定次であった。共演は、波島進、船山汎(ひろし)、石井一雄、田代百合子、高千穂ひづる、千原しのぶ、星美智子ほか。
 しかし、この映画は公式に製作発表をして間もなく、お流れになった。理由は不明である。マキノ光雄と八木保太郎は戦前の日活多摩川時代の同僚で、戦後もいっしょに仕事を続けていた。東横映画では『きけ、わだつみの声』『レ・ミゼラブル』、東映になってからは『人生劇場』『悲劇の将軍 山下奉文』などの大作のプロデューサーと脚本家の関係である。『青年』も大作になることは間違いなかったが、なかなか監督が決まらなかったようだ。伊藤大輔、ないしは、中国からすでに帰還した内田吐夢が撮れば良い映画になっていたに違いない。最終的には松田定次が撮ることになったようだが、松田の体調不良で中止になったのではなかろうか。
 錦之助は、若き日の伊藤博文を演じるという話を聞いて、期待する半面、不安になった。忙しい合間を縫って、原作も読み始めたのだが、読みながら、幕末の動乱期に生きた青年たちの憂国の念と志の高さに感動したものの、伊藤博文という実在した歴史上の偉人をはたして自分が本当に演じることができるのだろうかと感じた。錦之助は、俳優としての自分に非常に空疎なものを感じた。その頃自分と同年齢だった伊藤博文に比べ、自分の人間的な小ささに思いが及んで、憂鬱になったのである。

私はもし『青年』の映画脚本を渡された場合、その学徒伊藤博文のセリフをそら暗じて、それらしく演じたでありましょう。演技とはそれだけでよいものか、今の私には疑問なのです。勿論、学徒伊藤博文程度にまで勉強してから演技しなければ本当の演技でないなどと極論を吐くわけではないのですが。それともあくまでも、手、足、眼などの肉体を駆使することによって、即ち演技と云う技術の鍛錬だけで求める人間像を描きだしたらよろしいのでしょうか。それはどちらも必要なことに違いないと思います。それではその調和点をどこに求めればよいのか、今の私には判らないことの連続です」(錦之助著「ただひとすじに」)

 錦之助は、演じる人物の人格と演じる自分の人格とのギャップを痛感して、悩んだ。フィクション上の人物ならば、原作や脚本を熟読し、その人物を納得がいくまで理解して演技プランを練ればそれほど悩むことはなかった。が、実在した人物、それも偉大な人物になると、錦之助は技術的な演技を越えて、その人物に成りきってさらに思想的人格的な深みまで表現しようとすると自分の未熟さを感じずにはいられなかった。後年、錦之助は親鸞を演じる時、この悩みに突き当たって、親鸞に関する書物を読みあさってノイローゼ寸前になった。そして、監督の田坂具隆に、一ヶ月やそこらの勉強で偉い坊さんになれはずもないから、吉川英治の「親鸞」だけをよく読んで演じるようにと言われ、急に目の前が開け、すっきりした気持ちになったと述懐している。
 結局、『青年』の映画化は中止になり、錦之助は若き日の伊藤博文を演じることはなかった。その代わり、東映の芸術祭参加作品は、子母澤寛の「新選組始末記」を原作とした『新選組鬼隊長』となり、錦之助は悲運の隊士沖田総司を演じることになったのだった。



『満月狸ばやし』(その2)

2013-06-06 14:01:40 | 満月狸ばやし
 『満月狸ばやし』で錦之助は初めて一人二役を演じた。狸の豆太郎と人間の紘之介という役であった。豆太郎は野狸王国の王子、紘之介はお家騒動の渦中にある若葉城の若殿である。


狸の豆太郎(チョンマゲはない。宝塚の男装スターのよう)

 ストーリーをかいつまんで言うと――
 狸の豆太郎が人間界へ化け方修業の旅に出て、人間に捕まって危うい目にあう。そこを、ちょうど諸国漫遊の旅にあった紘之介に救われる。ある時、豆太郎は、若葉城にお家騒動が起っていることを知り、紘之介に恩返しをしようする。そして、城に忍び込み紘之介に化けて活躍し、最後は城に帰って来た紘之介と狸一族の助勢によって悪家老一味を退治する。

 錦之助の相手役の高千穂ひづるも、狸と人間の二役であった。豆太郎の恋人お夢と、紘之介の恋人白妙姫である。ラストでは二組のカップルがめでたく結ばれる。
 主な配役は、豆太郎の子分と紘之介の従者の二役に堺駿二、豆太郎の父親の王様に川田晴久、母親に清川虹子、紘之介の父君で城主に中村時十郎、悪家老に加賀邦男、その家来に山茶花究。ほかに、大狸に岸井明、子狸に植木千恵、悪家老の馬鹿息子に大泉滉、これにコロンビアの流行歌手が加わって、歌を披露した。コロンビア・ローズ、久保幸江、赤坂小梅、鶴田六郎、池真理子らである。高千穂ひづるも「恋の風車」という挿入歌を唄う。

 錦之助は、のちにこの映画の仕事は実に楽しいものだったと語っているが、二役をやるのに工夫をこらした。セリフを言う時のエロキューションを変えたのである。狸の豆太郎は、以前そうであった高い声でセリフを言うことにした。これは、八百屋お七 ふり袖月夜』の時に松田定次監督にキンキンと金属音のように響くと注意された声で、錦之助は発声練習をして声を低めにしてエロキューションを改良したのだが、紘之介のほうは、その改良した声でセリフを言うことにした。
 衣裳やカツラも、それぞれ何通りかあつらえ、大変な懲り方をした。狸の豆太郎のほうは、狸王国にいる時は南蛮風の洋装の王子姿に近いもの、旅に出てからは町人姿。一方、紘之介のほうは、若殿姿、鉢巻きをした美剣士であった。そして、豆太郎が紘之介に化けた時は、右の口元にホクロを付けることにした。


堺駿二と錦之助(豆太郎)


美剣士の紘之介(髪を真ん中で分けて、両サイドの前髪をさりげなく垂らしている。これがのちの錦之助カットと呼ばれるトレードマークとなる)

 さて、豆太郎と紘之介の別々のシーンを撮影している時は良かったが、城のシーンでは両方が出たり入ったりのめまぐるしさだった。紘之介のほうの演技を撮り終わるとライティングもそのままにして、大急ぎで狸のメーキャップと衣裳に取り替えて、また撮影という有様だった。正味五分という早変わりのために、狸が化けた紘之介にホクロを付けるのを忘れてしまい、わずかなカットだったので、そのまま撮影を済ませてしまった。ところが、この映画が公開されると、注意深いファンから狸の若殿様でホクロを付けずに撮影したカットを見破られ、あそこは変だというファンレターが押し寄せたという。
 錦之助が高千穂と本格的に共演するのはこの映画が初めてだった。『笛吹童子』ではいっしょに出るシーンはわずかで、高千穂の胡蝶尼は大友柳太朗の霧の小次郎の相手役だった。『笛吹童子』で高千穂が登場するのは第二部からだが、錦之助と同じ場面に出るのは完結篇のラスト近くで、霧の小次郎が死ぬシーンと、ラストシーンだけだった。錦之助と高千穂のセリフをやりとりはほとんどなかったと記憶する。
 昭和29年から31年まで、東映の三人娘と呼ばれる女優は千原しのぶ、高千穂ひづる、田代百合子であるが、美空ひばりを別にすると、錦之助の相手役はこの三人が次々に交替で相手役を務めることになる。若年層対象の東映時代劇ではラブシーンと言っても、男が女の肩を抱きかかえる程度だが、『満月狸ばやし』では高千穂と錦之助のキスシーンもどきがあった。高千穂のほうから錦之助に唇を近づけるところで、錦之助が口元のホクロを指差して、「ここだよ」と言ったので、高千穂は笑ってしまい、何度もNGを出してなかなかうまくできなったそうだ。


高千穂(お夢)と錦之助(豆太郎)


中村錦之助伝~ひばりと雷蔵

2013-06-05 00:17:19 | 【錦之助伝】~スター誕生
 『満月狸ばやし』の撮影は、昭和29年10月上旬に行なわれた。ちょうどこの頃、美空ひばりは市川雷蔵との共演作『歌ごよみ お夏清十郎』(新芸プロ製作 新東宝配給)を京都下加茂撮影所で撮っていた。10月のある日、錦之助は自分の撮影がない日に、ひばりと雷蔵に会いに撮影所を訪問している。セットで二人と20分ほど話をして、その日は撮影が終ってからひばりの常宿で雷蔵たち何人かといっしょに夕食をとり、夜、みんなでどこへ遊びに行っている。(「錦」5号の日誌)
 『お夏清十郎』のひばりの相手役は初め中村扇雀だったが、雷蔵に代わったようだ。錦之助が雷蔵を推薦したのかもしれない。
 雷蔵はこの年(昭和29年)の夏に、大映から映画デビューしていた。『花の白虎隊』(8月25日公開 田坂勝彦監督)である。同じ作品で勝新太郎もデビューした。雷蔵も勝も白虎隊の青年で、雷蔵が主役だが、勝は脇役でも良い役だった。
 雷蔵の映画界入りについては、雷蔵の遺稿集「雷蔵、雷蔵を語る」に表面的なことは書いてあるが、詳しい裏の事情は分からない。ただ、雷蔵が錦之助に相談し、錦之助もいろいろ助言したことは確かだろう。雷蔵は、初めに大映から映画出演の誘いがあり、その後、二、三の映画会社から話があったが、最初の大映の映画に出ることに決めたと書いている。東映からの誘いもあったはずである。高千穂ひづるの話では、一度雷蔵が東映の京都撮影所を見学しに来たことがあり、雷蔵も東映に入るのかという噂も流れたとのことである。雷蔵は、錦之助だけでなく、北上弥太郎や扇雀や東千代之介とも仲が良かったので、彼らの意見も参考にして慎重に映画界入りを決めたものと思われる。大映とは、まず三本映画出演する契約をして、そのあと、新東宝配給の『お夏清十郎』に出て、それから大映と本契約を結んでいる。雷蔵の他社映画出演は『お夏清十郎』の一本だけである。
 ところで、雷蔵とひばりはどうも互いに気が合わなかったようである。雷蔵はひばり母娘についてこんなことを書いている。
「彼女は女王様だし、彼女のお母さんは、いうなれば皇后陛下的存在だったし、とにかくおふた方のお気に召さなかったのだと思う。考え方や性格の違いもあったろうし、彼女を“お嬢”とか、皇后陛下を“ママ”とか呼ぶ雰囲気が嫌いで、ぶっきら棒の私とは、どうやら前世からうまくいかない取り合わせだったようである」
 雷蔵がこう書いているということは、錦之助はひばりを“お嬢”と呼び、母の喜美枝を“ママ”と呼んでいたのだろう。雷蔵は、錦之助とひばりのそばに居て、二人のアツアツぶりをムスッとして眺めていたにちがいない。この頃、雷蔵は中村玉緒(当時は林玉緒)が好きで、玉緒は錦之助が好きで、錦之助はひばりが好きだった。そして、ひばりは、誰にも負けないほど錦之助が好きだだった。錦之助がスターになり、女性にもてるようになればなるほど、錦之助への恋が燃え上がっていったようだ。
 昭和29年の夏以降、すなわち『八百屋お七 ふり袖月夜』を撮り終わって以降のひばりと錦之助の関係は、きわめて親密だったように思われる。ひばりは、『満月狸ばやし』で錦之助とは共演できなかったが、この年の10月から三ヶ月間ずっと京都にいて、映画の仕事を続けている。『お夏清十郎』のあとが、松竹京都作品『七変化狸御殿』、次が東映京都作品『大江戸千両囃子』である。
 ひばりも錦之助もすさまじい忙しさであったが、ひばりにとって京都で仕事をしている限り、夜になれば錦之助に会えるわけである。錦之助がひばりに誘われ、ひばり母娘の京都の常宿に入り浸っていたのはこの頃ではないかと思う。錦之助はひばり母娘と夕食をともにし、酒を飲みながら談笑して、夜中に小田屋に帰るのが面倒になると、ひばりの常宿に泊まっていた。同じ部屋に三人で川の字になって寝ていたようだ。
 最近私は、『ひよどり草紙』の前後のひばりの映画をビデオで観て、ひばりの変わりぶりに驚いている。『山を守る兄弟』『お嬢さん社長』『びっくり五十三次』『七変化狸御殿』の4本に、もちろん『ひよどり草紙』もまた観た。その結果、『びっくり五十三次』(8月公開 野村芳太郎監督作品 共演:高田浩吉)で、ひばりがものすごく可愛くなり、しかも色っぽくなっているのに気がついた。ひばりは昭和12年5月29日生まれなので、これは萬17歳(数えで18歳)の時の映画である。このあと『八百屋お七 ふり袖月夜』を撮るのだが、娘十八、番茶もなんとかではないが、ひばりがまるで幸福そうな恋する乙女なのである。『七変化狸御殿』(昭和29年12月29日公開)は、『オズの魔法使い』のような映画だが、美空ひばりはジュディー・ガーランドより歌も踊りも美しさも勝っていると私は思ったほどだった。『七変化狸御殿』でひばりの相手役は、若殿に扮した宮城千賀子である。宮城千賀子は、戦時中『歌う狸御殿』で一世を風靡した狸物オペレッタの男役スターだったことは言うまでもない。その娘役スターが『お坊主天狗』で女歌舞伎の座長を演じた高山廣子である。




『満月狸ばやし』

2013-06-04 01:06:17 | 満月狸ばやし
 『満月狸ばやし』は、錦之助が「狸物」の喜劇オペレッタに出演した異色の映画だった。
 昭和29年11月8日に公開されるが、実を言うと、それほどヒットしなかったようである。併映作品は『龍虎八天狗 第二部』(東千代之介主演)と『あゝ洞爺丸』(洞爺丸の沈没を描いた東映東京作品)の中篇二本で、この週(11月8日~14日)に限り三本立てだった。
 「キネマ旬報」のデータによると、一週間の観客動員数は、新宿東映が11,840人(収容率63.5%)、浅草常盤座が13,520人(47.4%)で、錦之助の出演作では最低に近い。『満月狸ばやし』は、不発に近い作品で、のちの『海の若人』と同程度の客入りである。
 この頃(映画全盛期に近い)の観客数で言うと、新宿東映で15,000人、浅草常盤座で20,000人を超えればヒット作である。不発の作品になると、新宿東映で10,000人を切る。錦之助の初期の出演作はそのほとんどがヒット作なのだが、昭和29年~30年の大ヒット作は、『紅孔雀 第二篇』と『隼の魔王』(松田定次監督 千恵蔵の多羅尾伴内シリーズ)の二本立て(昭和30年1月3日から8日の6日間)で、新宿東映が24,453人、浅草常盤座が37,031人。そして、『赤穂浪士』と『晴姿一番纏』の二本立て(昭和30年1月15日~22日の8日間)は、新宿東映が39,638人、浅草常盤座が36,105人である。

 『満月狸ばやし』は、もはや観ることのできない映画で、正直言って私自身、観たことがないので、内容的なことは何とも言いようがない。スチール写真を見たり、あらすじを読んだり、錦之助の書いた文章を読んだり、出演者の高千穂ひづるさんから伺った話を参考にして、いろいろ想像をめぐらせているだけである。が、この作品はどうやら企画通りに行かなかった不本意な作品だったことは確かである。つまり、製作段階で大きなトラブルがあり、企画した新芸プロの福島通人と旗一兵にとっても満足のゆかない結果になってしまった。
 東映も、本腰を入れて製作に協力したとは思えない。製作も当初は新芸プロだったのが、最終的には東映製作ということになっている。つまり、製作費を東映が持ったわけである。が、大した製作費ではなく、二千万円かそこらだったのではあるまいか。この映画には、製作費を出す以外に、東映サイドのバックアップがほとんどなかったようである。俳優も東映専属では、高千穂ひづると加賀邦男くらいで、あとは子役の植木千恵と、錦之助の参謀役の中村時十郎である。
 その辺の裏の事情は、今ではもう分からない点も多いのだが、この映画は非常に不可解な作品である。
 まず、一番ひっかかることは、『満月狸ばやし』で錦之助の相手役が、なぜ美空ひばりではなかったか、いうことである。新芸プロの企画でミュージカルならば、当然美空ひばりが出演しなければ、おかしい。この映画がクランクインする前に、相手役がひばりから高千穂ひづるに変わったことは間違いないと思われる。
 実は、この映画の直後に、同じ新芸プロの企画で松竹が狸物のオペレッタ映画を美空ひばり主演で製作する。『七変化狸御殿』である。こちらは松竹が正月映画として本腰を入れて作った映画で、東映の『紅孔雀』と競うほどの大ヒットをする。なぜ、ひばりが東映の『満月狸ばやし』に出演せず、松竹の作品に出たのかが問題である。
 『満月狸ばやし』は、『八百八狸勢揃い』というタイトルで企画が進められ、9月に改題されたが、8月下旬ごろまでは、ひばりと錦之助が共演する第四作になるはずだった。それが、急にひばりの出演にクレームがついた。映画会社の松竹からだった。製作本部長の高村潔が釘を差したのだろう。
 高村潔は、戦前は歌舞伎座の支配人を務め、戦後は松竹大船撮影所長から製作本部長となって、昭和30年ごろまでの松竹映画の全盛期を築いたジェネラルプロデューサーである。高村は、ひばりの映画の製作にずっと関わってきた。錦之助のデビュー作『ひよどり草紙』も松竹配給であった。また『笛吹童子』の原作権を東映に譲ったのも松竹の高村の好意によるものだった。そこで、高村は、錦之助の人気をバックに躍進めざましい東映を牽制し、ひばりが東映の映画に出すぎることを阻止しようと考えたのだろう。新芸プロの企画に待ったをかけた。新芸プロとの間に交わした契約をたてに(ひばりの出演映画に関しては優先本数契約があったと思われる)、ひばりの東映映画出演はまかりならぬと福島通人に通告したにちがいない。
 新芸プロによる狸物オペレッタの企画製作は、もともと、ひばりと錦之助共演の東映配給作品の一本だった。クランクインは10月を予定していた。松竹からの横槍が入って、ひばりを東映に出すなということになったのは8月下旬だったと思われる。その時、松竹でも狸物オペレッタを作るからそれにひばりを出演させるようにという話も出たのだろう。新芸プロの福島通人ははそれを飲まざるを得なかった。ひばりはもちろん錦之助との共演を楽しみにしていたので、納得が行かなかった。ひばりがこれまで松竹映画に数多く出演したのは、松竹の専属だったからではなく、松竹と新芸プロとの間での契約に基づくものだった。ひばり自身はフリーだった。ひばりは松竹と対立した。が、泣く泣く錦之助との共演を諦め、松竹との優先本数契約を果した。そして、正月公開の『七変化狸御殿』に出演することになった。昭和30年に、ひばりは松竹作品にもう一本出演するが、それ以降、松竹のスクリーンに登場することは10年以上なかった。
 
 戻って、『満月狸ばやし』であるが、監督が萩原遼であることも納得がいかない。萩原遼は、こうしたミュージカル映画には不向きな監督であり、東映の監督としては佐々木康しかいないと思うのだが、なぜ佐々木康が監督しなかったのかという疑問も残る。佐々木康は、松竹から東映に移った監督だったので、マキノ光雄が松竹の高村潔を憚って、監督を代えたのかもしれない。佐々木康は、そのあとの正月作品『大江戸千両囃子』でメガフォンを取るが、この映画は、企画が福島通人、原作が旗一兵、脚本が中田龍雄で『満月狸ばやし』と同じスタッフであり、美空ひばりと東千代之介の初共演作であった。これは、どうも、『満月狸ばやし』で監督を代えたことに対する埋め合わせのような映画に思えてならない。

 『満月狸ばやし』と『七変化狸御殿』のデータを挙げておく。


『満月狸ばやし』
製作:東映京都 昭和29年11月8日公開 83分 白黒スタンダード
企画:福島通人 監督:萩原遼 原作:旗一兵 脚色:中田竜雄
撮影:吉田貞次 音楽:万城目正 美術:鈴木孝俊
配役:中村錦之助(豆太郎、絃之介) 高千穂ひづる(お夢、白妙姫) 川田晴久(黒兵衛) 清川虹子(おぽん) 植木千恵(おたぬ) 堺駿二(狸七、三左衛門) 岸井明(狸五郎) 加賀邦男(生駒刑部) 大泉滉(文之丞) 山茶花究(犬上典膳) 鮎川十糸子(お市の方) 中村時十郎(忠彬公) 船越かおる(お青) コロンビア・ローズ(お町) 久保幸江(春駒) 赤坂小梅(芸者) 鶴田六郎(唄う河童) 池真理子(金魚)


『七変化狸御殿』
製作:松竹京都 昭和29年12月29日公開 101分 白黒スタンダード
製作:市川哲夫 企画:福島通人 監督:大曽根辰夫 脚本:柳川真一、中田竜雄、森田龍男 
撮影:石本秀雄 音楽:万城目正 美術:川村芳久
配役:美空ひばり(お花) 宮城千賀子(鼓太郎) 淡路恵子(お誘) 高田浩吉(森の精) 堺駿二(ポン吉) 川田晴久(都鳥吉兵衛) 伴淳三郎(ロマノフ) 有島一郎(闇右衛門) 山路義人(太郎兵衛) 野沢英一(狸千代) 中村時十郎(土蜘蛛の精) 渡辺篤(傘造) 近衛十四郎(清水次郎長) 廣沢虎造(森の石松) フランキー堺(ジャズ狸) 奈良光枝(歌う狸) 大阪松竹歌劇団総出演