錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

京都シネマ日誌~その12(6月12日)

2009-06-20 12:07:26 | 錦之助映画祭り
 いよいよ最終日。泣いても笑っても今日一日で終わりだ。
 朝6時半に起床。書き溜めておいた日誌をパソコンで打ってブログに上げる。京都シネマでの出来事は、夜ホテルに帰ると毎日雑記帳にメモしているのだが、文章にすると結構時間がかかる。主催者兼レポーターを一週間やってきたが、自分なりにまあまあよく頑張ったと思う。
 9時半、京都シネマへ。ロビーでいろいろな方に会う。錦ちゃんファン会の人たち、hanaさん、月形哲之介夫人、今日のゲストの高岡正昭さんほか、顔見知りの方々に挨拶。高岡さんは、3日間も京都シネマに通って、映画を観ていただいている。京都での錦ちゃん祭りの開催を心底喜んで、全面的に協力をなさってくれた。今日は知人の方が数人応援に駆けつけてくれるようだ。月形家のみなさんも祇園会館の時以来ずっと協力していただいている。有難いかぎりだ。
 10時、『浅間の暴れん坊』の上映が始まる。中ほどの列の端に座って鑑賞する。
 この映画の錦之助は何度観てもカッコいい。40名ほどの入り。
 11時半。映画が終わってロビーに出ると、京都シネマのチーフの横地さんに声をかけられる。中島貞夫監督が見えて、館主の神谷さんと上のオフィスでお話しているので、ぜひごいっしょにどうぞと言われる。中島監督は神谷さんのことをずっと前からよく知っていて、錦之助映画祭りを京都で催すにあたり京都シネマを私に勧めてくださったのも監督だった。この間の火曜日に監督がゲストに来られた時は、ちょうど神谷さんが大学の授業で同席できなかった。それで今日は最終日ということもあり、中島監督が気を遣ってわざわざもう一度訪ねに来てくださったわけだ。
横地さんに案内されて、6階(5階だったか?)のオフィスへ案内される。
 京都シネマは、如月社(きさらぎしゃ)という株式会社が経営していて、神谷さんはこの会社を5年前に設立したという。彼女の経歴と如月社設立の経緯については、以下の記事をお読みいただきたい。

http://www.onozomi.com/kaiwa/cinema1.html

 神谷さんは如月社の社長(代表取締役)で、京都シネマの一切の責任を負っているわけだが、6階のオフィスというのは如月社の社長室のようなものか。中へ入ると、二人がけの椅子に中島監督がどっかと座っていて、一人がけの椅子に座っている神谷さんから、その隣りの椅子を勧められる。今日は最終日なので、中島監督と神谷さんと私の3人で反省会と今後のことを相談しようというのだろう。
 中島監督が、
「京都で興行をやるのはやっぱり難しいんだよなー」と実感を込めておっしゃる。
「京都は時代劇の土壌が涸れているんじゃないですか?」と私。
「土壌を耕していないことは確かです」と神谷さん。
「それに時代劇ファンのための情報網もないから、ちょっとした宣伝だけでは見逃されてしまうのかも…。チラシももっと効果的にまけば良かったですね。もっと私自身があちこちに働きかければ良かったと思っています」と私が言うと、神谷さんがすまなさそうにうつむく。

 40分くらい話したであろうか。なんだかほとんど私が話していたような気がする。こういう時、感じたことをズバズバ言うのが私の性分で、中島監督も神谷さんも多分辟易したのではなかろうか。関西の映画館事情のこと、一部の映画評論家のことについて、ここでは書けない批判的なこともかなり言わせてもらったと思う。
 神谷さんは単なる映画の興行者だけではなく、映画の上映を文化事業の一つと考えて、邦画洋画を問わずマイナーな自主映画や埋もれかかった問題作なども取り上げて上映活動をしてきた人である。が、どちらかと言えば、コンテンポラリーな映画にずっと関心を抱いてきたので、古い日本映画の名作を上映したことなどほとんどなかったようだ。溝口健二の『滝の白糸』を以前上映したことがあるとは言っていたが、まさか自分の映画館で「錦之助映画祭り」と称して昭和30年代の東映時代劇を上映するとは考えてもみなかったと思う。
「今回の上映会では勉強になることが多かったですね。またやらせていただきますので、よろしく」と神谷さん。神谷さんは、今回の映画祭りでは『殿さま弥次喜多』を観て、びっくりしたと言う。「こんなに面白いとは思わなかった!」と。
 京都シネマでは、これからも時代劇の名作特集を定期的に催して、過去の映画の素晴らしさを伝承していきたいとのこと。中島監督も私も大いに賛同。協力を惜しまないことを約束する。この試み、具体的には来年からになりそうだ。3月10日(錦之助さんの命日)前後の一週間、また錦之助映画特集をお願いしておく。まだずっと先のことで、どういう形になるか分からないが、神谷さん、ちゃんと手帳にメモしていた。次回の上映会が実現できるとしたら、ぜったい大入り満員なるよう、私も頑張ろうと心に誓う。(つづく)



京都シネマ日誌~その11(6月11日)

2009-06-14 23:35:08 | 錦之助映画祭り
 桂さんは今回のゲストの中ではいちばん年上で、お生まれは1925年(大正14年)。84歳である。
 トークでは、私の質問の一つ一つに誠実にお答えになる。
 生家は黒染めの染め物業で、戦前の十代のころに映画に魅せられたこと、飛行機の操縦をされていたこと、京都絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学)へ行ったこと、戦後間もなく稲垣浩監督の口利きで初めは大映に入る予定だったこと。が、結局、昭和22年に設立された映画会社の東横(東映の前身)に入り、東横の第一回作品、稲垣監督の『こころ月の如く』で美術助手をされることに。井上金太郎監督の『弥次喜多猫化け道中』(昭和24年)で美術デザイナーとして一本立ちなさったという。
 なかなか錦之助映画の話にまで進まない。私が口を挟んで、
「東映に錦之助さんが入るまでにまだまだ長い間がありますが、桂さんが錦之助さんの映画の美術を最初に担当なさったのは松田定次監督の『八百屋お七・ふり袖月夜』で、それから…」と説明を加える。
 前半に時間をとってしまったため、錦之助映画に関してはタイトルと監督を挙げ簡単にコメントをいただく程度になってしまった。それでも『ちいさこべ』の焼け跡のセットについては、詳しくお聞きすることができた。このセットは東映撮影所ではなく宝プロの敷地を借りて、焼いた木材をトラックで運び、焼け跡のオープンセットを作ったそうだ。
「どこか火事のあったところからも焼け木を持ってきたんですかね?」と私。
「それもあったと思いますよ」と桂さん。
「あの木、黒く塗ったのもあるのでは?」
「いや、全部焼いた木を使っています」と断言する桂さん。
 2時にトークが終わり、ロビーでサイン会。
 桂さんは、みなさんが持ち寄った「一心錦之助」や色紙に、筆ペンで丁寧にサインをなさっている。あるファンが、むくげの花を描いてくださいと所望。むくげの花は『関の弥太ッペ』の重要なモチーフである。桂さんがきちんと描いてくださるので、ファンも大感激。


<桂さんのサイン会>


<色紙にむくげの花を描く桂さん>

 ファンの会の童狸さんは、桂さんの美術学校のずっと下の後輩なので、桂さんといろいろ話をしていた。
 サイン会が終わり、桂さんもやっと解放され、安心なさった様子。
 いつものように一階のカフェへ行き、一時間ほど歓談。桂さんの奥様もごいっしょ。桂さんは、ランチのお肉をおいしそうに食べていた。
 午後5時半、今日は早めに京都シネマを去る。コンビニで買い物してホテルへ。
 午後11時に就寝。



京都シネマ日誌~その10(6月11日)

2009-06-14 15:58:04 | 錦之助映画祭り
 5時半起床。年を取ったせいか、二度寝ができない。朝一度目を覚ましてトイレに行ったりするともう眠れなくなる。映画祭りは毎日進行していくので、ブログの記事が追いつかなくなってきた。早起きは三文の得。たまった分を書いておこう。
 7時半ごろ階下で朝食。9階の部屋へ戻って記事を書き続ける。
 11時半ごろ京都シネマへ。一回目の『弥太郎笠』が終わる。扉が開いてお客さんたくさん出て来る。40名ほど居たので、ほっとする。今日のゲストの桂長四郎さん、円尾さんもホール内から姿を現す。
 『弥太郎笠』の美術担当は桂さんで、ビデオでは何度か見ているとおっしゃっていたが、スクリーンでご覧になるのは封切り以来なのであろう。桂さんは非常に真面目な方で、今回上映されたご自分の作品は『浅間の暴れん坊』『ちいさこべ』を加え3本ともきちんとご覧になっている。今日のトークために、映画をご自分の目で確かめ準備をなさっているのだ。ご自宅は京都シネマのすぐ近くにあるとおっしゃっていたが、三日間もいらしてくださった。頭の下がる思いである。
 桂さんがトークの打ち合わせをなさりたいとおっしゃるので、ロビーで30分ほどお話しする。桂さんは前もってトークの原稿を書いて来ている。桂さんの真面目さに驚く。聞き手の私のためにコピーを一部くださって、
「こんなこと話そうかと思うのですけど、ちょっと目を通してくれはりますか」
 見るとレポート用紙3枚に横書きでびっしり文章が書いてある。錦之助主演作で美術担当した監督たちのこと、それらの映画のセットで苦労した思い出などが主な内容である。マキノ雅弘、田坂具隆、伊藤大輔、加藤泰、山下耕作……東映京都の代表的な監督の名作に桂さんは関わっているので、それぞれの作品に触れようとすると収拾がつかなくなってしまう。トークの時間は30分に過ぎない。
「桂さん、トークはなかなか筋書き通りには行かないと思うので、私に任せてください。私が質問しますので、それに適当に答えてくだされば大丈夫ですよ。原稿の内容は一応頭に入れておきますから…」
「そうですか。じゃ頼みますわ」
 隣りで聞いていた円尾さんが、「桂さん、聞かれたことに気軽に答えればいいんですよ」と、緊張気味の桂さんをリラックスさせる。
 桂さん、カバンからA4の茶封筒を取り出し、「これを先日いらしたファンの方たちに差し上げてほしいのですが…」
 10年ほど前の京都新聞の特集記事が2種類あって、それぞれコピーが5部ずつ入っている。一つは、「銀幕の旅」というシリーズで『反逆児』を取り上げた記事、もう一つは映画美術家・桂長四郎さんのインタビュー記事である。これはあとでゆっくり読むことに。
 12時半ごろ、桂さんの奥様がお見えになる。ご主人の応援にいらしたようだ。奥様はご本人ほどトークのことを心配なさっていない様子。70歳半ばくらいのしっかりした京都人である。
 1時半よりトーク開始。まず私が挨拶して桂さんを紹介したのだが、今日はどうも私自身の調子が悪く、言葉がなめらかに出てこない。朝早く起きすぎて、いろいろなことをやったので、頭の中が混乱しているようだ。
 桂さんは、初めからストールに腰掛け、私が紹介したあと、マイク片手に訥々と話し始める。(つづく)



京都シネマ日誌~その9(6月10日)

2009-06-13 09:18:44 | 錦之助映画祭り
 昨日で7作品を全部上映し終わった。今日からは『ちいさこべ』以外の6作品を一日2本ずつ再上映する。あと三日。さすがに私も疲労がたまってくる。今朝はホテルでゆっくり休んで、10時半ごろ京都シネマへ向かう。ホテルの朝食時間は過ぎてしまったので、1階のいつものカフェで朝食をとる。キッシュとコーヒー。ウェイトレスに「今日は早いですね。お一人ですか」と聞かれる。
 今『隠密七生記』をやっているが、お客さんの入りが心配。11時半ごろに終わるので、3階に上がる。40名ほどの入りだったようだ。本当はもっと多いことが望ましいが、ほっとする。実はもっと少ないのではないかと心配していた。昨夜はゲストの円山榮子さんに電話して、もしかすると30名くらいのお客さんしか入らないかもしれないけど、そうだったらごめんなさいと前もって謝っておいた。円山さんはとても優しいかたで、お客さんが少なくても気にしませんとおっしゃってくださる。が、主催者としてはどうしても数が気になる。とくに女優さんがゲストの時は大変気をつかう。円山さんは現在若柳流の日舞の師範であるが、関係者の方の何人かにも映画祭りのチラシを配ったとおっしゃっている。四条近くのコンビニにもチラシを貼ってもらったそうだ。
 12時少し前に、円山さんが妹さんと一緒にロビーにお見えになる。淡い桜色の和服を召している。
 ちょうど『怪談千鳥ヶ渕』が始まったばかりなので、ご覧になりませんかと尋ねる。ぜひ見せてとおっしゃるので、円山さんと妹さんといっしょにホールに入る。後ろの方の席が空いていたので、お二人を案内。私は、その一列前の端っこで観る。この映画はカラーだがスタンダードサイズなので、画面がとても小さく感じる。京都シネマのスクリーンは、シネマスコープなら何度か観ているうちにちょうど良い大きさに思えてきたが、スタンダードだとやはり小さすぎる。『怪談千鳥ヶ渕』を観るのは二度目。ストーリーの展開も良く、登場人物の心理もうまく描けた佳作である。
 午後1時ごろ、映画が終わり、円山さんと妹さんといっしょにホールを出る。ロビーはかなり多くのお客さんでにぎわっている。ほっとする。
 円山さんの日舞のお師匠さんの奥様とお連れの方がお見えになっていたので、紹介していただく。名刺がないので、『ダジャ単』のリーフレットをお渡しする。奥様といってもたぶん40歳くらいのお若い方で、『ダジャ単』に関心を持たれた様子。受験生のお子さんがいらっしゃるそうなので、本の宣伝をしておく。本屋さんで買いますとのこと。ご主人の四世家元・若柳寿延さんも、もう少ししたら見えるそうだ。
 円山さんは、ロビーでファンの人たちにつかまっている。写真撮影にも気軽に応じている。


<円山榮子さんサイン会。ファンが持ち寄った資料を見て喜ぶ円山さん>

 そろそろ1時半になるので、円山さんを誘ってホールに入る。聞き手は私だが、打ち合わせなし。円山さんとは電話で何度も話しているので、大丈夫。
トークは、大変なごやかに進行。円山さんは、話すのが苦手と言いながらも、率直にいろいろなエピソードを披露する。円山さんは『笛吹童子』『紅孔雀』を観て映画に憧れ、東映京都に入って女優さんになったほどの方であり、当然錦之助ファンでもある。が、錦之助さんとは直接一度もお話をしたことがなかったそうだ。ある日撮影が終わり円山さんがバス停でバスを待っていると錦之助さんの車がそばに停まって、お付きの人から降りてきて車に同乗するよう勧められたのだが、遠慮して断ってしまったという。それを円山さんは今でも後悔なさっていて、「その時乗っていたら、私の人生も変わっていたかも…」とおっしゃって、お客さんの笑いをとる。3月の錦之助映画祭りの時、京都で「一心錦之助」を読みながら成功を祈っていると、錦之助さんが円山さんの夢に現れ、そこで初めて会話を交わしたとのこと。「錦之助さん、手招きしながら階段を昇っていらっしゃって、私も付いて行ったのですが、途中で階段がなくなって…」とか。円山さんのトークは30分ほど。その間イスに座らずマイク片手にずっと立ちっぱなしで続けられた。私はときどき合いの手を入れるだけ。円山さんのお師匠さんの若柳寿延さんが会場に座っていらしたので、ご紹介する。最後に、11月の東京での錦之助映画祭りでは、円山さんが出演している『ゆうれい船』をニュープリントにして上映するので、ぜひ東京へゲストにお越しいただきたいとお誘いすると、「喜んでまいります」とおっしゃってくださる。今日は、円山さんの出演作を上映したわけではないのに、円山さんにわざわざ来ていただいき、感謝の言葉を述べる。今日のトークに見えたお客さんは50名ほど。まずまずの入りで良かった。
 トークが終わり、サイン会も盛況。
 円山さんと妹さんを誘い、一階のカフェでファン数人と1時間半ほど歓談。


<カフェで円山さんと>

 お二人をお見送りした後は、いつものごとし。
 今日は、下関から錦ちゃんファンの会の永竿さん夫妻、高知から映画愛好家の岡本さんほかが参加してくださり、中盤になってまた盛り上がりを見せ始めた感じ。7時にホテルに帰り、早めに寝る。


京都シネマ日誌~その8(6月9日)

2009-06-12 01:08:38 | 錦之助映画祭り
 9時40分、京都シネマへ。
 10時少し前、中島貞夫監督が見える。『ちいさこべ』を観にいらしたという。開始までちょっと間があるので、中島監督と二人で一階の玄関前までタバコをすいにいく。お客さんの入りなどについて簡単に報告する。
「それはいかんなー」
「でも、これで止めたら男がすたると思うので、また京都でやりますよ」
「そうだな。がんばれや」
「映画館任せにしないで、祇園会館の時みたいにあちこちに働きかけてお願いしないとダメですね」
「京都シネマの会員は、ちょっと映画の好みが違うかもしれんな」
 中島監督に励まされ、ともかくあと4日がんばろうと思う。
 10時5分、3階に戻り、ホールに入る。
 10時10分、『ちいさこべ』が始まる。この映画をスクリーンでじっくり観るのは3年ぶりだ。観ていてぐいぐい引き込まれていく。誠実一路、実に丁寧な描写を重ねていく田坂ワールド。途中でたびたび目頭が熱くなる。
 11時50分、第一部が終了。10分ほど休憩。
 12時より第二部開始。観終わって、何とも言えない充足感を覚える。
 第一回目の上映の観客は40名ほどだったか。昨日に比べれば増えているが…。
 ロビーで、中島監督から佐藤雅夫さんを紹介される。東映の企画係からプロデューサーをやって、現在は京都映画祭の事務局長をなさっているという。名刺をいただいたが、私はあいにく自分の名刺を忘れてきたので、私が自主出版した『ダジャ単』のリーフレットを差し上げる。
 1時20分ごろ、ホール脇の小部屋(楽屋とまではいかない)で中島監督と少しだけトークの打ち合わせをする。
 1時半、トーク開始。最初に私が挨拶。京都での錦之助映画祭りのことでは昨年の夏から中島監督には大変お世話になってきたことを話してから、中島監督を紹介する。大きな拍手。お客さんは50名ほど。
 さすがに中島監督はトーク慣れしているので、私はただ、話の切れ目に次の話をしやすいように水を向けるだけ。田坂監督と錦之助さんとのエピソード、田坂監督と助監督時代の中島さんとの師弟関係のこと、そして錦之助さんと中島さんとの交流など、たっぷり30分間話していただく。中島監督のトークはテープに録音させていただいたので、機会を見て公表したいと思う。たとえば、記念本「一心錦之助」の第二集でとか…。第二集は作れるかどうかまだ分からないが、京都シネマの錦ちゃん祭りが終わって落ち着いてから、考えたいと思っている。
 2時5分、トーク終了。5分ほど休憩。また中島監督と私とで一階の玄関前へ行き、タバコを一服。さきほど紹介された佐藤さんも加わる。佐藤さんはタバコをすわないので、中島監督の付き添いのような感じ。3人でしばらく雑談。
 2時10分、サイン会のため3階のロビーへ。中島監督は京都では有名なので、少し列ができる。女優さんにはかなわないが、なかなかの人気。トークの最後に、中島監督の本の「遊撃の美学」を受付けで販売していることを宣伝しておいたら、3人の方が買って、その本にサインを求めてくれる。でも、実はこの3人、みんな私の知り合いの錦ちゃんファンだった。錦尊さん、倭錦さん、それと錦ちゃんファンの会ではいちばん若い女性の童狸さん。童狸さんは美術の先生で、錦ちゃんに関する研究心も旺盛。私が期待をかけている錦ちゃんファンの一人である。今日から連日、彼女が参加してくれるのは心強い。


<中島監督のサイン会>

 サイン会が終わり、例のごとくゲストを一階のカフェへお誘いする。
「カントク、カフェで、コーヒー飲んで一服しましょうよ」と私。
 中島監督は原稿書きがあるとおっしゃっていたが、30分くらいならと言って付き合ってくださる。
 6人で中島監督を囲み、談笑。それでも、質問したり、勝手にベラベラしゃべるのは、もっぱら円尾さんと私。中島監督も話好きなので、この3人で盛り上がる。ほかに錦尊さん、倭錦さん、湯澤さん、それと高橋さんという東京から来た若い男性の映画ファンと彼の友達の大阪の男性がいたが(彼は5月に中島監督の『日本暗殺秘録』を読売ランドの近くで上映して、監督をトークにお招きした時、聞き手を務めたそう)、みんなあまり会話に加われず。ごめんなさい。
 最初は30分くらいといっていたのが、延々話して、結局2時間以上、中島監督を付き合わせてしまった。連日このカフェ(オーバカナルというフランス風のカフェで居心地がいい)で、私と円尾さんほか数人が集まり、しゃべりまくっている。ウェーターもウェートレスもたぶん飽きれていると思う。しかし、われわれのグループは毎日総額1万円以上はこのカフェにお金を払っているので、店員はみんな親切に応対してくれる。


<カフェで中島監督を囲み>

 中島監督が帰ったあとも、二回目の『ちいさこべ』を観終わった錦ちゃんファンをまじえ、さらに2時間ほど居続けて、話したと思う。気がつくと8時近くになっていた。
 9時、一人で冷やし中華を食べ、コンビニでタバコと缶コーヒーを買い、ホテルへ帰る。