第四部では、武蔵が一乗寺下がり松へ向かう途中、ついにお通さんが武蔵と再会する場面も感動的で、私の好きな場面である。このシーンについては、思い出しただけでも私は胸が締めつけられる思いがするので、あまり多くを語れない。武蔵の気持ちではなく、どうしても私はお通さんの気持ちになってしまうのだ。
お通さんが花田橋の上でやっと再会した武蔵に逃げられてから何年ぶりだったのだろうか。原作では二年ぶりになっている。映画でも、入江若葉が錦之助と同じ画面に納まるのは、第二部の花田橋の出会いの場面から計算すると、4時間ぶりだった。ずいぶん観客の気を持たせたものだ。
武蔵が姫路から武者修行の旅に出たあと、お通さんも武蔵を捜し求めて旅に出るのだが、二人はずっと会えなかった。しかし実は、すれ違いが二度あった。
一度目は、お通さんが柳生の庄に滞在している時である。お通さんは石舟斎の使者になり、手紙と芍薬の花を吉岡伝七郎の泊っている宿屋へ届けに行く。ちょうどその時、同じ宿に武蔵も泊っていて、帰り際、庭を通っていくお通さんが廊下にいた宿屋の女の子に声をかけ、芍薬の花を上げる。すぐそこの部屋には武蔵が居たのに、障子一枚隔てていたため、二人は顔を合わすことができなったのだ。武蔵にはお通さんの話し声が聞えたはずなのに、気づかないのもおかしいと思うのだが、そこは男女のすれ違いを描いた映画の面白さで、観客をやきもきさせる常套手段である。そのあと、武蔵は柳生の城内でお通さんの笛の音を聞き、翌朝、石舟斎の草庵の中にお通さんを見かける。お通さんへの恋慕の思いで武蔵の心は乱れる。しかし、会いたい気持ちをぐっと抑え、武蔵は修行中である自分の身を痛感し、逃げ出してしまう。
二度目は、正月、京都の五条大橋の上だった。この時は、お通さんの方から武蔵に会いに行く。しかし、お通さんは、武蔵が朱美と仲睦まじく話しているのを見て、ショックを受け、近寄れないまま再会のチャンスを逸してしまう。
そして、今度が三度目の正直である。
一乗寺下がり松へ行く道の途中で、夜明け前だった。お通さんは道端に坐って、笛を吹きながら武蔵を待ち受けている。武蔵は、その笛の音を聞き、向こうにお通さんがいるのを見かけて、驚いて立ち止まる。ここからのシーンは、『宮本武蔵』五部作の中では、武蔵とお通の純愛物語のクライマックスとも言える名場面だった。
武蔵の方へお通さんが、まるで蝶のように舞い飛んでいく。頭から被っていた薄絹の衣がひらひらと宙に舞う。感極まって、武蔵はお通を抱き締める。
お通さんの体が熱いことに気がつき、武蔵は病気の体をいたわるようにと忠告する。このあたりのセリフのやり取りを聞いていると、お通さんの方から積極的に武蔵に求愛している。あなたが死んだらどうせ私も生きていない。だから、病気など気にかける必要がない。武蔵はそう言われて嬉しかったにちがいない。しかし、武蔵はこう言う。自分は剣の道を進んで死ぬのだから本望である。が、お通さんが自分と一緒に死ぬのは意味がない。犬死である。それに対し、お通さんはいじらしく反発する。女が好きな男のために死ぬのは意味のあることです、と。
ところで、お通さんの病気だが、この時代の若い女性の病気と言えば、労咳(肺結核)なのだろう。が、原作ではお通さんの病気が何であるかは明らかにされていない。咳が出て、夕方になると熱が上がり、体が火照ると書いてあるにすぎない。佳人薄命と言うが、お通さんはそうでもなかった。一乗寺の決闘の時は武蔵が二十三歳の設定で、巌流島の決闘が二十九歳だから、お通さんは武蔵と再会したこの時から、六年あとも生きていたことになる。お通さんは武蔵より一つ年下だから、巌流島へ向かう武蔵を見送った時は二十八歳だった。労咳だったら、とっくに死んでいたかもしれない。
話を戻そう。お通さんの熱烈な求愛に応え、武蔵もお通さんへの熱い思いを打ち明ける。
「わしはそなたが好きだ。一日でも思わぬ日のなかったほど好きだった。なにもかも捨ててともに暮らして終わりたいととれほど思い悩んだかもしれない。」
お通さんは歓喜に身を震わせ、「でもあなたは、わたしのような者でも、心のうちだけでも、妻としてゆるしてくださいますでしょうね。」
完全に女性からのプロポーズである。お通さんは武蔵よりずっと意志が強いし、なんとしっかりしていることか!
再びお通さんを固く抱き締める武蔵。が、はっきりした返事もせず、ただ抱き締めることしかできない武蔵は、どう見ても優柔不断で、ダメな男のように私には思えてならなかった。
「武蔵の体は土になっても武蔵はきっと生きているから」と言い残し、武蔵は一人、死闘の場へと向かっていく。(つづく)
お通さんが花田橋の上でやっと再会した武蔵に逃げられてから何年ぶりだったのだろうか。原作では二年ぶりになっている。映画でも、入江若葉が錦之助と同じ画面に納まるのは、第二部の花田橋の出会いの場面から計算すると、4時間ぶりだった。ずいぶん観客の気を持たせたものだ。
武蔵が姫路から武者修行の旅に出たあと、お通さんも武蔵を捜し求めて旅に出るのだが、二人はずっと会えなかった。しかし実は、すれ違いが二度あった。
一度目は、お通さんが柳生の庄に滞在している時である。お通さんは石舟斎の使者になり、手紙と芍薬の花を吉岡伝七郎の泊っている宿屋へ届けに行く。ちょうどその時、同じ宿に武蔵も泊っていて、帰り際、庭を通っていくお通さんが廊下にいた宿屋の女の子に声をかけ、芍薬の花を上げる。すぐそこの部屋には武蔵が居たのに、障子一枚隔てていたため、二人は顔を合わすことができなったのだ。武蔵にはお通さんの話し声が聞えたはずなのに、気づかないのもおかしいと思うのだが、そこは男女のすれ違いを描いた映画の面白さで、観客をやきもきさせる常套手段である。そのあと、武蔵は柳生の城内でお通さんの笛の音を聞き、翌朝、石舟斎の草庵の中にお通さんを見かける。お通さんへの恋慕の思いで武蔵の心は乱れる。しかし、会いたい気持ちをぐっと抑え、武蔵は修行中である自分の身を痛感し、逃げ出してしまう。
二度目は、正月、京都の五条大橋の上だった。この時は、お通さんの方から武蔵に会いに行く。しかし、お通さんは、武蔵が朱美と仲睦まじく話しているのを見て、ショックを受け、近寄れないまま再会のチャンスを逸してしまう。
そして、今度が三度目の正直である。
一乗寺下がり松へ行く道の途中で、夜明け前だった。お通さんは道端に坐って、笛を吹きながら武蔵を待ち受けている。武蔵は、その笛の音を聞き、向こうにお通さんがいるのを見かけて、驚いて立ち止まる。ここからのシーンは、『宮本武蔵』五部作の中では、武蔵とお通の純愛物語のクライマックスとも言える名場面だった。
武蔵の方へお通さんが、まるで蝶のように舞い飛んでいく。頭から被っていた薄絹の衣がひらひらと宙に舞う。感極まって、武蔵はお通を抱き締める。
お通さんの体が熱いことに気がつき、武蔵は病気の体をいたわるようにと忠告する。このあたりのセリフのやり取りを聞いていると、お通さんの方から積極的に武蔵に求愛している。あなたが死んだらどうせ私も生きていない。だから、病気など気にかける必要がない。武蔵はそう言われて嬉しかったにちがいない。しかし、武蔵はこう言う。自分は剣の道を進んで死ぬのだから本望である。が、お通さんが自分と一緒に死ぬのは意味がない。犬死である。それに対し、お通さんはいじらしく反発する。女が好きな男のために死ぬのは意味のあることです、と。
ところで、お通さんの病気だが、この時代の若い女性の病気と言えば、労咳(肺結核)なのだろう。が、原作ではお通さんの病気が何であるかは明らかにされていない。咳が出て、夕方になると熱が上がり、体が火照ると書いてあるにすぎない。佳人薄命と言うが、お通さんはそうでもなかった。一乗寺の決闘の時は武蔵が二十三歳の設定で、巌流島の決闘が二十九歳だから、お通さんは武蔵と再会したこの時から、六年あとも生きていたことになる。お通さんは武蔵より一つ年下だから、巌流島へ向かう武蔵を見送った時は二十八歳だった。労咳だったら、とっくに死んでいたかもしれない。
話を戻そう。お通さんの熱烈な求愛に応え、武蔵もお通さんへの熱い思いを打ち明ける。
「わしはそなたが好きだ。一日でも思わぬ日のなかったほど好きだった。なにもかも捨ててともに暮らして終わりたいととれほど思い悩んだかもしれない。」
お通さんは歓喜に身を震わせ、「でもあなたは、わたしのような者でも、心のうちだけでも、妻としてゆるしてくださいますでしょうね。」
完全に女性からのプロポーズである。お通さんは武蔵よりずっと意志が強いし、なんとしっかりしていることか!
再びお通さんを固く抱き締める武蔵。が、はっきりした返事もせず、ただ抱き締めることしかできない武蔵は、どう見ても優柔不断で、ダメな男のように私には思えてならなかった。
「武蔵の体は土になっても武蔵はきっと生きているから」と言い残し、武蔵は一人、死闘の場へと向かっていく。(つづく)