錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『宮本武蔵』(その十七)

2007-05-27 03:59:33 | 宮本武蔵
 第四部では、武蔵が一乗寺下がり松へ向かう途中、ついにお通さんが武蔵と再会する場面も感動的で、私の好きな場面である。このシーンについては、思い出しただけでも私は胸が締めつけられる思いがするので、あまり多くを語れない。武蔵の気持ちではなく、どうしても私はお通さんの気持ちになってしまうのだ。
 お通さんが花田橋の上でやっと再会した武蔵に逃げられてから何年ぶりだったのだろうか。原作では二年ぶりになっている。映画でも、入江若葉が錦之助と同じ画面に納まるのは、第二部の花田橋の出会いの場面から計算すると、4時間ぶりだった。ずいぶん観客の気を持たせたものだ。
 武蔵が姫路から武者修行の旅に出たあと、お通さんも武蔵を捜し求めて旅に出るのだが、二人はずっと会えなかった。しかし実は、すれ違いが二度あった。
 一度目は、お通さんが柳生の庄に滞在している時である。お通さんは石舟斎の使者になり、手紙と芍薬の花を吉岡伝七郎の泊っている宿屋へ届けに行く。ちょうどその時、同じ宿に武蔵も泊っていて、帰り際、庭を通っていくお通さんが廊下にいた宿屋の女の子に声をかけ、芍薬の花を上げる。すぐそこの部屋には武蔵が居たのに、障子一枚隔てていたため、二人は顔を合わすことができなったのだ。武蔵にはお通さんの話し声が聞えたはずなのに、気づかないのもおかしいと思うのだが、そこは男女のすれ違いを描いた映画の面白さで、観客をやきもきさせる常套手段である。そのあと、武蔵は柳生の城内でお通さんの笛の音を聞き、翌朝、石舟斎の草庵の中にお通さんを見かける。お通さんへの恋慕の思いで武蔵の心は乱れる。しかし、会いたい気持ちをぐっと抑え、武蔵は修行中である自分の身を痛感し、逃げ出してしまう。
 二度目は、正月、京都の五条大橋の上だった。この時は、お通さんの方から武蔵に会いに行く。しかし、お通さんは、武蔵が朱美と仲睦まじく話しているのを見て、ショックを受け、近寄れないまま再会のチャンスを逸してしまう。
 そして、今度が三度目の正直である。
 一乗寺下がり松へ行く道の途中で、夜明け前だった。お通さんは道端に坐って、笛を吹きながら武蔵を待ち受けている。武蔵は、その笛の音を聞き、向こうにお通さんがいるのを見かけて、驚いて立ち止まる。ここからのシーンは、『宮本武蔵』五部作の中では、武蔵とお通の純愛物語のクライマックスとも言える名場面だった。
 武蔵の方へお通さんが、まるで蝶のように舞い飛んでいく。頭から被っていた薄絹の衣がひらひらと宙に舞う。感極まって、武蔵はお通を抱き締める。
 お通さんの体が熱いことに気がつき、武蔵は病気の体をいたわるようにと忠告する。このあたりのセリフのやり取りを聞いていると、お通さんの方から積極的に武蔵に求愛している。あなたが死んだらどうせ私も生きていない。だから、病気など気にかける必要がない。武蔵はそう言われて嬉しかったにちがいない。しかし、武蔵はこう言う。自分は剣の道を進んで死ぬのだから本望である。が、お通さんが自分と一緒に死ぬのは意味がない。犬死である。それに対し、お通さんはいじらしく反発する。女が好きな男のために死ぬのは意味のあることです、と。
 ところで、お通さんの病気だが、この時代の若い女性の病気と言えば、労咳(肺結核)なのだろう。が、原作ではお通さんの病気が何であるかは明らかにされていない。咳が出て、夕方になると熱が上がり、体が火照ると書いてあるにすぎない。佳人薄命と言うが、お通さんはそうでもなかった。一乗寺の決闘の時は武蔵が二十三歳の設定で、巌流島の決闘が二十九歳だから、お通さんは武蔵と再会したこの時から、六年あとも生きていたことになる。お通さんは武蔵より一つ年下だから、巌流島へ向かう武蔵を見送った時は二十八歳だった。労咳だったら、とっくに死んでいたかもしれない。
 話を戻そう。お通さんの熱烈な求愛に応え、武蔵もお通さんへの熱い思いを打ち明ける。
「わしはそなたが好きだ。一日でも思わぬ日のなかったほど好きだった。なにもかも捨ててともに暮らして終わりたいととれほど思い悩んだかもしれない。」
 お通さんは歓喜に身を震わせ、「でもあなたは、わたしのような者でも、心のうちだけでも、妻としてゆるしてくださいますでしょうね。」
 完全に女性からのプロポーズである。お通さんは武蔵よりずっと意志が強いし、なんとしっかりしていることか!
 再びお通さんを固く抱き締める武蔵。が、はっきりした返事もせず、ただ抱き締めることしかできない武蔵は、どう見ても優柔不断で、ダメな男のように私には思えてならなかった。
「武蔵の体は土になっても武蔵はきっと生きているから」と言い残し、武蔵は一人、死闘の場へと向かっていく。(つづく)



『宮本武蔵』(その十六)

2007-05-10 13:46:18 | 宮本武蔵
 第四部で私の好きなシーンの三番目は、吉野太夫と武蔵の対決シーンである。
 吉野太夫に扮した岩崎加根子が素晴らしく良かった。錦之助との共演は、『反逆児』『関の弥太ッペ』に続いて三作目であるが、三つともまったく違う役柄(『反逆児』では三郎信康の妻徳姫、『弥太ッぺ』ではうらぶれた女郎だった)にもかかわらず、さすが舞台で鍛えた大人の女優だけのことはある。彼女には、むんむんするような色気も、男をコロッとはさせるコケットリーも感じないが、内にこもった女の情念とでも言おうか、妖気みたいなものを感じる。顔つきは能面のようで無表情に近いが、面をはがすと化け物だった、なんてところがある。
 女性の本質を言い表すフレーズに、「外面菩薩に似て、内心夜叉の如し」というものがあり、「顔かたちは菩薩のようだが、心の中は鬼神のようだ」という意味だが、吉野太夫を演じた岩崎加根子にはそうした雰囲気を感じさせる何かがあったと思う。吉野太夫は、京都の遊郭で人気も地位もナンバーワン、諸芸にも通じ、品格もある。歌も歌えば、琵琶も弾く。だが、所詮男がもてあそぶ遊女である。いや、吉野太夫くらいになると、逆に男をもてあぞぶ遊女なのかもしれない。
 茶室で武蔵と二人きりになって、座ったまましばらく沈黙が続く。囲炉裏に薪をくべる吉野の後姿が映る。肩越しに武蔵の様子を窺っている。その時の吉野の横顔がなんとも妖しげだった。「むさしさま…」、と吉野が言葉を発した瞬間、私はぞっとした。あっ、武蔵が女に食べられてしまう!
 実際、ここから吉野は武蔵に襲いかかったと言っても良いだろう。肉体的に武蔵の童貞を奪おうとするのではない。言葉によって武蔵の精神的未熟さを指摘し、武蔵を犯すのである。
 吉野は武蔵に挑発的な言葉を次々に浴びせかける。「あなたはすぐに斬られてしまう」「なんというお気の毒な方」「死ぬ人のようだ」「死相が表れている」などなど。武蔵が絶えず張り詰め身構えていたことに対し、非難に満ちた、あからさまな感想を述べる。武蔵は気色ばむ。ここでもう武蔵は吉野に一本取られている。果し合いの時、まず言葉で相手を怒らせるという、いつも武蔵が使う手を吉野に逆用されてしまった感じだ。
 さらに、吉野は武蔵を完膚なきままに打ちのめす。なんと琵琶の前板をナタで叩き割り、楽器の内部を見せ、音色を司る横木の役割を説明し始める。人間を琵琶にたとえ、人間は心の「しまりとゆるみ」のどちらも大切である、張りしまっているだけでは割れて壊れてしまう、と。武蔵は身を乗り出して、ただ彼女の話にじっと聞き入っている。その表情には反省と悔悟の念が浮んでいる。話を聞き終わって頭をうなだれる武蔵。ここで画面は暗転する。下手な映画のベッドシーンなど及びもつかない、濃密で鮮やかな「逆レイプ」シーンだった。
 前に、武蔵は日観と石舟斎と吉野太夫の三人に負けたと書いたが、武蔵は相手から自分の未熟さを自覚させられた時に敗北感を味わう。武蔵にとって剣の道とは人間修養の道と同じものだから、相手の言葉によって自分の至らなさを痛感させられた時にも負けたと思うわけである。武蔵と吉野太夫との対決は、明らかに武蔵の完敗だった。(つづく)



『宮本武蔵』(その十五)

2007-05-09 13:43:01 | 宮本武蔵
 私の文章は、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、進んだり、戻ったり、どこに焦点を置いて書いているのか分かりにくいかもしれないが、お許し願いたい。なにしろ、『宮本武蔵』という難敵は、角度を変えて斬りかからないと、私のようなへっぴり腰の挑戦者には、太刀打ちできないからである。
 第四部で、私の好きなシーンは数多くあるが、あえて四つほどあげると次の箇所になる。(ただし、一乗寺下がり松のラスト・シーンは除く。)
 
 まず、武蔵が京都の本阿弥光悦(千田是也)の家に逗留中、一緒にこれから遊里へ行かないかと誘われ、戸惑う武蔵を光悦の老母(東山千栄子)がぜひ行ってらっしゃいと勧めるところ。このシーンが味わい深く、私は好きだ。遊びに行くことを承諾した武蔵が今度は、用意された着物を見て、「私には美服は似合いません。このままで」と遠慮する。それに対し、老母がまるで子供でも諭すように言う。
 「それではきらびやかな遊里(さと)の席に雑巾が置いてあるように見えるではないかのー。」(原作にもあるセリフだが、「雑巾」というのがほほえましい。)
 そして、質素だが洗い立ての木綿の着物一式を差し出し、「世話をやかせずに袖を通してみなされ。」この優しい言葉に素直に従う武蔵がまた良い。
 東山千栄子と錦之助の、これはたぶん最初で最後の共演だったと思う。玄関で草履の緒を整えて履きやすくしている老母の姿も印象的だった。また、遊里に着ていくにはやや地味とも言えるこの着物を身に纏って楚々として現れた錦之助がカッコ良く、いやもう渋いのだ!その後、老母が貸してくれたこの着物が重要なモチーフになったことも印象深い。果し合いに向かう前、武蔵が羽織を丁寧に畳んで茶屋に預けたり、袷(あわせ)の袂(たもと)に付いた血糊を吉野太夫が「緋牡丹のひとひら」と言って懐紙で拭ったり、また郭の女に洗ってもらった着物一式を武蔵が光悦の家へ届けさせたり、老母の暖かい心配りを武蔵がいかに大事に扱っているかをしっかり描いていたと思う。
 
 次は、三十三間堂での武蔵と吉岡伝七郎の果し合いのシーンである。『宮本武蔵』五部作の決闘シーンは、よくもまあ、手を変え品を変え、凝った演出をしたものだと感心してしまうのだが、三十三間堂のシーンも異常なほどの緊迫感がビンビン伝わってきた。雪が降っているところが、寒々として、また良かった。
 伝七郎を演じた平幹二朗がことのほか熱演していたのも注目すべきだろう。だいたい私は平幹二朗という俳優がさほど好きではないのだが、この伝七郎だけは高く買っている。傲慢で、自信過剰、短慮で、人の気持ちも分からない憎々しい吉岡の次男坊を彼は実にうまく演じていたと思う。
 伝七郎は酒ばかり飲んでいる。兄の清十郎が痛々しい姿で担ぎ込まれた時も清十郎の病床に就いて寝ている時も近くで酒をあおっていた。そして、三十三間堂の境内で、焚き火の周りに集まった吉岡一門の前でも酒を所望する。これから武蔵と闘う直前なのに、何たる不心得か!実は、伝七郎は豪胆ぶっているが、この時は体だけでなく心も凍えていたのかもしれない。叔父の源左衛門(山形勲)と吉岡の門弟が伝七郎だけを残して遠くへ引いたあと、武蔵が現れるのを今か今かと待っている時の伝七郎のおびえたような顔つきに、それが表れていた。顔面を引きつらせ、どこから武蔵が現れるのか分らず、不安の塊のようになっている。
 その時、武蔵が、あの長い三十三間堂の回廊の片隅にぬーっと現れる。伝七郎の立っている地面から一段高くなった廊下伝いを武蔵がこちらに近づいてくる。伝七郎は刀を抜いて、武蔵の方へ歩み寄っていく。交差して二人は対峙する。
 武蔵はお堂を背にした廊下の一段高い所に立つ。これは背後に敵を寄せ付けない防備である。伝七郎は境内の雪の中、足場も悪い地面に立っている。これでは、武蔵が有利で、闘う前に勝負はあったと言えよう。さらに舌戦でも武蔵は伝七郎を打ち負かす。縁の下に忍び込む門弟が二人。
 飛び上がった瞬間、武蔵はこの二人と伝七郎を一気に斬り倒す。刃を交わす暇も与えず、目にも留まらぬトリプルプレー(三重殺)だった。平幹二朗の死に方も壮絶なので、ぜひご覧あれ。(つづく)



『宮本武蔵』(その十四)

2007-05-08 17:40:19 | 宮本武蔵

 『宮本武蔵』五部作は、原作の章立てと比較してみると、原作の前半に片寄った構成になっている。私の読んでいる原作本は講談社版の吉川英治全集の中にある三冊本で、二段組で、三冊合計すると約1300ページ。御存知の通り、原作は武蔵の『五輪書』にならって、地、水、火、風、空の五巻を並べ、さらに二天の巻と円明の巻を加えている。
 吐夢の映画は多少のズレはあるが、第四部までは、原作の地の巻から風の巻の四巻に大体添っている。一乗寺下がり松の決闘の後、武蔵が比叡山にこもり観音像を彫る場面が、原作の風の巻のほぼ終わりである。私の持っている本のページ数から言うと、全1300ページのうち、780ページまであたる。したがって、映画は、原作の残り520ページを第五部「巌流島の決斗」にあてたわけで、第五部はまるでダイジェスト版のようになってしまったと言える。
 内田吐夢は、一年に一作、五ヵ年計画で『宮本武蔵』を製作するという意気込みで吉川「武蔵」を映画化したのだが、最後の第五部はかなり端折って作ったという印象はぬぐえない。第五部を見る限り、それなりに良くまとまっているので、原作を読まない限り、ストーリーの変更や登場人物たちの異動には大した違和感を覚えない。しかし、第五部が相当原作とは違ってしまったことは確かである。
 吐夢は、第四部の後半くらいから、原作から少しずつ離れ変更を加えて始めているのだが、主な変更点は、武蔵をめぐる主要な人物たちが登場する場面だった。沢庵和尚、お通、城太郎、又八、朱美、お杉ばあさん----彼らのストーリーにおける出し入れを省いてしまったわけである。
 まあ、ここで、省いた箇所を細かく取り上げて、ああだ、こうだと言っても全く意味のないことだと思うし、内田吐夢一流の手さばきでばっさり切ったことを良しとしておこう。映画も作品的に問題はないし、傑作であることに変わりはないと思うからだ。大事なのはむしろ、内田吐夢が新たに創作した部分や彼独特の解釈を加えた部分であろう。その点だけは、あえて指摘したいと思う。
 
 さて、第四部「一乗寺の決斗」である。第四部と言うと、ラストシーン、武蔵一人対吉岡一門総勢73人との、あの壮絶な死闘シーンをほめたたえる人が多い。もちろん、私もそうである。画面が急にモノクロになり、一乗寺下がり松あたりの静まり返った薄明の風景が映し出される。闘いの前触れからもうゾクゾクして、私も初めてこのシーンを観た時には、鳥肌が立った。「七十三対一」「殺さなければ殺される」「南無八幡!」と言って、裏山の蔭で情勢を眺めていた武蔵がいざ立ち上がった瞬間から、私の心臓がバクバク音を立て始め、それが最後まで止まらなかった。スクリーンで観てから、もう三十年以上も経つが、ぜひまた大スクリーンで観たいものである。(昨年、岐阜羽島の映画資料館で上映したらしいが、行けなかったことを後悔している。)
 
 一乗寺下がり松のシーンは、また今度述べるとして、前にも取り上げて書いた原作にはない登場人物、林(河原崎長一郎)についてもう少し付け加えておきたい。 彼は吉岡道場の門人で、武蔵と吉岡一門の争いを醒めた目で観ている第三者的人物である。内田吐夢の映画には、『大菩薩峠』三部作にしても『浪花の恋の物語』にしても、悲劇的なドラマの主人公たちとは一歩離れた所に立って、事の成り行きを冷静に眺めている人物が出て来る。『大菩薩峠』では与八(岸井明)がそうだったし、『浪花の恋』では近松門左衛門(片岡千恵蔵)がそうした役回りだった。『宮本武蔵』の第二部から登場する林という男も、彼らと似たような役割を果たしていたと思う。
 第四部で林は、吉岡清十郎の出奔を手助けし、伝七郎に敵の武蔵をもっと知るように建言して吉岡道場を破門されてしまう。一乗寺下がり松での決闘の前夜、林は木賃宿に再び武蔵を訪ね、武蔵が無益な人殺しを続けることに大きな疑問を投げかける。これは、痛烈な武蔵批判でもあった。自分の痛いところを突かれた武蔵は激怒して、「剣に聞け!」と言う。以上の場面は原作にはない。内田吐夢と鈴木尚之の創作である。
 武蔵は、自己矛盾を抱えたまま、吉岡一門と決闘するため一乗寺下がり松へと向かう。一方、林もそこへ向かい、吉岡一門の名目人である少年の源次郎が刺殺されたのを見るや、決闘に加わり、武蔵の前に立ちはだかる。「卑怯者!」と痛罵しながら、遁走する武蔵を最後まで追いかけていく。武蔵が林に対し、何度も「寄るな!寄るな!」と叫ぶシーンを吐夢があえて加えたのも、武蔵がいわば自己の良心の代弁者である林を斬りたくないという切羽詰った気持ちを表現したかったからだと思う。そして、林は武蔵に両目を斬られてしまう。
 第五部で林は盲目の出家者となって登場する。武蔵が伊織を連れて一乗寺下がり松を訪れる場面である。ここも原作にない。武蔵は、松の根元に石の親子地蔵を見て驚く。近くに藁の小屋があって、そこで地蔵菩薩の石像を彫っている林を見かけるのだ。武蔵にしてみれば、見てはならないものを見てしまったとでも言うべきか。(この場面は、大菩薩峠で菩薩像を彫っている与八の姿と酷似していたと思う。私は頭の中で、武蔵と机龍之助がオーバーラップしてしまった。この時、与八を見かけるのは、仇敵・机龍之助を追い回す宇津木兵馬で、この役が錦之助だったので、頭がこんがらがってしまう。)
 武蔵が観音像を彫るのと、林が地蔵菩薩を彫るのではまったく意味が違う。武蔵の行為は心の慰め、悪く言えば自己満足にすぎないが、林の行為は、本心から少年の菩提を弔う純粋な行為だった。だからこそ、武蔵は林の姿に胸をえぐられ、剣の道を突き進む自分の未熟さを心の底から思い知るのだった。武蔵は変わる!(つづく)



『宮本武蔵』(その十三)

2007-05-08 03:31:01 | 宮本武蔵
 武蔵が剣を交えずして負けた相手は、三人いる。タケゾウ時代の沢庵和尚は別として、一人目は日観、二人目が柳生石舟斎、三人目が吉野大夫であった。それぞれ、『宮本武蔵』五部作の第二部、第三部、第四部に一人ずつ登場するが、今回は日観と石舟斉について語りたい。
 
 まず、日観。彼は奈良の奥蔵院という寺の住職である。奥蔵院は、槍の道場のある宝蔵院に隣接した寺で、武蔵はこの寺の境内を通って宝蔵院の道場へ行く途中、裏庭の畑で一人の老僧を見かける。彼は鍬を持って畑を耕している。そばを通りかかろうとした武蔵は、老僧が寸分の隙も見せずに身構えていることに気づく。鍬の先からは殺気さえ漂っている。武蔵は思わず地を蹴って老僧の背後を飛び越して行く。これが日観との初対面だった。
 日観を演じたのは月形龍之介で、錦之助とは数々の素晴らしい共演を繰り広げてきたが、二人だけの名場面は、この『宮本武蔵』第二部が最後で、まさに有終の美を飾ったと言えるだろう。(その後、二人は『関の弥太ッペ』『花と龍』『続花と龍』でも共演するが、残念ながら月形の方に老いの衰えが見え、また二人だけの気迫に満ちたシーンもなかったと思う。)
 宝蔵院で阿厳を打ち倒した後、武蔵は日観に招かれ、茶室で湯漬けを馳走になり、対話が始まる。いや、一対一の対決が始まる。日観と武蔵の刀を使わない果し合いである。刀と刀は触れ合わないでも、火花がパチパチ飛び散っているように見える。月形龍之介の日観が語る言葉は、武蔵を諭すような慈愛がこもっているが、その含蓄のある言葉のはしばしにぐさっと刺す刃の鋭さがあった。吉川英治の原作に書いてあるセリフをこれほどまでに咀嚼し、訥々たるイントネーションで自然に語れる俳優は、月形龍之介をおいて他にあるまい。
 「おん身は強すぎる。それじゃによって、その強さをもすこしためぬといかんのう。もっと弱くならなきゃいかん…」日観は、初対面の時、なぜ畑であんな振舞いしたのかと武蔵に尋ねる。武蔵があなたの殺気を感じて飛び退いたと打ち明けると、「あべこべじゃよ」と日観は笑う。日観は、武蔵の方にこそ殺気が漂っていた、だから、身構えたのだと説明する。武蔵の表情に心の動揺が表れる。自分の未熟さを看破され、完全に負けたと感じる。
 「聞いているときの演技が出来なければ俳優ではない」とは内田吐夢の至言であるが、錦之助の武蔵を観ていると、吐夢の言葉の頭に「錦之助のように」というフレーズを私は付け加えたくなる。錦之助が相手のセリフを聞いている時の表情と姿勢は、俳優の手本となるほど見事である。だから、吐夢もそれを承知の上で、錦之助のアップに相手のセリフをかぶせるシーンを多用するのだ。日観との場面もそうだし、吉野太夫の場面もそうだった。

 二人目の柳生石舟斎は、武蔵が見(まみ)えることなく、闘うことを諦めてしまった相手だった。したがって、負けたというより、及びもつかない相手の高い境地に感服し、むしろ修行の目標に変わってしまった人物だったと言える。石舟斎の住む山荘の門に書いてある詩句を読んで、武蔵は石舟斎に闘いを挑もうとした自分の浅はかさを感じ、もっと修行を積もうと決心する。後に武蔵は、石舟斎のことを巨峰にたとえ、自分がいつか到達し克服しなければならない目標であると述懐する。
 薄田研二が演じた柳生石舟斎が非常に良かった。枯れていて、ユーモラスで、またヘビのような目つきに剣豪の凄みを利かせて、いかにも石舟斎にぴったりだった。薄田研二というベテラン俳優は、東映時代劇では陰険な悪家老や悪親分といった敵役のイメージが強いが、どっこい、飄々とした好々爺も、霞を食べているような仙人も、カクシャクたる古武士も、個性的でうまい。はまり役はなんと言っても赤穂浪士の堀部弥兵衛(安兵衛の義父)だろうが、片岡千恵蔵の『宮本武蔵』シリーズでは、柳生但馬守も柳生石舟斎も演じていたとのことである。(私は彼が石舟斎を演じた戦前の映画は観ていない。その頃薄田研二は高山徳右衛門という本名で通していた。)
 話を戻そう。第二部では、芍薬の枝の切り口をうんぬんする場面が見どころの一つであった。ここは原作でも有名な部分だが、刀で切った枝の切り口を観て、武蔵は尋常なものではないと感じる。あとでこれは石舟斎が切ったものだと分かる次第なのだが…。武蔵は自分でも試しに枝を切ってみるが、明らかに違う。この辺は、どうも眉唾もので、そんなことが分かるもんかと思わないでもないが、話そのものはよく出来ている。柳生の四高弟が枝の両端の切り口を見比べて、頭を抱えるところも面白い。石舟斎もすごいが、武蔵もすごい、と観る者は感心するわけである。(つづく)