錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~転機(その1)

2012-11-04 16:00:09 | 【錦之助伝】~若手歌舞伎役者時代
 昭和28年春、錦之助の長兄種太郎と次兄梅枝に襲名の話が持ち上がった。
 種太郎は27歳、梅枝は25歳になっていた。二人とも初舞台から16年も経っている。父の時蔵もそろそろ播磨屋ゆかりの名跡を襲名させたいと思い始めていた。後援者たちの勧めもあって、時蔵もその気になった。そこで、吉右衛門に相談したところ、吉右衛門も賛成だった。当時歌舞伎界のトップにあった吉右衛門が賛成すれば、まわりの役者たちに異存はなく、また松竹の大谷社長以下の幹部たちも支援した。
 種太郎は立役であった。身体がやや不自由で健康にも不安があったが、歌舞伎への情熱は人一倍強く、非常に芸熱心であった。古典歌舞伎を研究する意欲にも燃えていた。
 梅枝は、以前は淡白な面もあったが、この三、四年の成長は著しく、吉右衛門劇団でも若女形として重要な位置を占めるようになっていた。
 当時播磨屋では、歌六歌昇もしほの名前が空いていた。吉右衛門は、すでに娘婿幸四郎の次男萬之助を養子にしてあり、自分が一代で築いた吉右衛門という名は、いずれ萬之助に継がせるつもりであった。歌六は播磨屋の祖とも言える名跡であり、将来誰かに継がせるにして、種太郎には歌昇を襲名させようということに決まった。
 また、その頃、中村雀右衛門の名跡が空いていて、その前名の芝雀(しばじゃく)も継ぐ者がなかった。屋号は播磨屋ではなく、京屋であった。三代目雀右衛門は上方歌舞伎の名女形だったが、昭和2年に52歳で亡くなっていた。長男の中村景章は、四代目雀右衛門を継ぐ候補であったが、戦争に従軍中病死してしまった。雀右衛門の未亡人は、息子の親友で戦争から復員し、女形として再出発した大谷広太郎に雀右衛門を継がせようとした。が、広太郎は昭和18年に死んだ父友右衛門(巡業先の鳥取で大地震に遭い死去)の名跡を昭和23年に継いだ。七代目大谷友右衛門である。そして昭和25年、アルバイトのつもりで出演した『佐々木小次郎』が大ヒットして映画界に入ってしまうのは、前に書いた通りである。また、友右衛門は、映画デビューする前に七代目幸四郎の娘と結婚している。海老蔵、八代目幸四郎、松緑の義弟になったわけだ。
 友右衛門が歌舞伎界に復帰するのは昭和30年である。そして、その後のことも書いてしまえば、梅枝改め六代目芝雀が、父時蔵の死後、昭和35年四代目時蔵を襲名すると、また雀右衛門候補がいなくなってしまった。そこで、昭和39年9月、友右衛門がついに雀右衛門未亡人の長年の希望をかなえ、四代目雀右衛門を襲名することになった。その時、友右衛門の名は、長男に継がせ、次男に芝雀を継がせた。これが今の八代目友右衛門(昭和24年生まれ)と七代目芝雀(昭和30年生まれ)である。ここでやっと京屋が復興したのだった。
 
 戻って、梅枝がどういう経緯で、雀右衛門の前名である芝雀を襲名することになったのか、その詳しい事情は今のところ分からない。が、雀右衛門夫人が望んだことは間違いあるまい。女形のホープ梅枝にまず芝雀を継がせ、いずれ雀右衛門を襲名させて、屋号の京屋を復興させたいと思ったにちがいない。播磨屋の祖中村歌六は上方歌舞伎の三代目歌右衛門の弟子であり、初代雀右衛門は四代目歌右衛門の弟子であり、どちらも上方の歌右衛門系列である。が、梅枝が播磨屋を離れて、京屋に移るというのは、たとえ雀右衛門の名跡が大きな魅力であったにせよ、大きな決断であったと思う。

 錦之助はまだ若く、時蔵の三男ということもあって、播磨屋の他の名前の襲名は見送られた。継ぐとすれば、叔父勘三郎の前名もしほであったが、話題に上った可能性もあるかと思うが、錦之助が断ったのかもしれない。あるいは、もしほは、順番から言って長兄種太郎が継ぎ、錦之助は歌昇を継ぐという案があったかもしれない。いずれにせよ、種太郎、梅枝、錦之助という三兄弟が揃って襲名披露するといった晴れ舞台は実現しなかった。

 種太郎改め二代目中村歌昇、梅枝改め六代目中村芝雀の襲名披露が4月の歌舞伎座で行われることに決まると、時蔵一家も忙しくなった。歌舞伎の襲名披露というのは大変な祝い事で、関係者への挨拶回りから案内状の送付、記念品の制作など、盛大な結婚式以上に準備が必要で、費用もかかることである。
 とくに時蔵夫人のひなは、あちこち廻ったり、いろいろな手配をして、大変だったことだろう。が、時蔵一家が急に生き生きとして明るくなったことも確かだった。
 兄弟思いの錦之助である。兄二人の襲名を心から喜んだにちがいない。自分のことはさておき、種太郎が歌昇を、梅枝が芝雀を襲名すれば、今よりもっと良い役がもらえて、活躍のチャンスも増えるだろう。錦之助は兄二人の明るい将来を期待し、それが早く現実化することを願った。



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