15日(日)のテレビ番組「笑点」で林家木久扇(きくおう)さんが錦之助映画祭りの宣伝をしてくださったことを書き忘れていた。あいにくこの日、私はテレビを見ることができなかったが、見た人の話によると、真打昇進披露の口上のときに木久扇さんがおっしゃったらしい。3月にも木久扇さんは同じ「笑点」で錦之助映画祭りの宣伝をしてくださった。今度も、である。木久扇さんはもちろん、放送してくれた「笑点」のスタッフの皆さんには、本当に心から感謝している。なんと言っても全国放送のテレビで、宣伝してもらえたのは大きい。それも人気番組の「笑点」で、宣伝料を一銭も払わず、木久扇さんの好意によって、放送してもらえたのだ。実際、「笑点」を見て、錦之助映画祭りのことを知り、新文芸坐へいらした方も多かったようだ。これは、新文芸坐のスタッフから聞いた話である。
では、どうして木久扇さんが(木久蔵さんと言った方がどうもしっくりするが…)、錦之助映画祭りを応援してくださったのかと言うと、これには錦之助映画ファンの会の副代表の高橋かおるさんが一役買っている。木久扇さんが大の時代劇映画ファンであることは有名で(ラーメンだけではありません!)、「チャンバラ大全」(ワイズ出版刊)なる名著(珍書?)や「チャンバラスターうんちく塾」(小池書院刊)なるガイドブックも出版している。また、いろいろなチャンバラ愛好会にも入っていらして、そこでずいぶん前に高橋さんが木久扇さんと親しくなったらしい。
<「チャンバラ大全」には木久扇さんのカット入り(桶屋の鬼吉)で「追憶の萬屋錦之介」という文章があります。>
錦之助映画祭りが開催される2月に高橋さんがチラシと招待状をお宅へお送りすると、お返事にハガキが届いて、今度「笑点」で宣伝します!とのことだった。3月には、木久扇さん、新文芸坐へ二度ほどいらして映画をご覧になったそうだ。私はそのとき居合わせなくて、残念ながらご挨拶ができなかった。実は、私はというと木久扇さんには一度もお会いしたことがない。今度、どこかの寄席の楽屋に伺い、お礼を言おうと思っている。で、今回の錦之助映画祭りでも高橋さんが木久扇さんのお宅へチラシと招待状を送ったところ、また「笑点」で宣伝してくださったわけなのだ。
今回の錦之助映画祭りの宣伝に関しては、いろいろな人たちのお力添えがあった。落語家では、ほかに三遊亭鳳楽さん(故・円楽さんの一番弟子で、次代三遊亭円生を継ぐと目されている方)が独演会のパンフに錦之助映画祭りのチラシ(200枚)をはさんで配布してくださり、講談師では宝井琴調さんが国立演芸場の講談の会でチラシ(200枚)を配布してくださった。西東京シネマ倶楽部の飯島一次さん(時代小説も書いている方)、とよはしまちなかスロータウン映画祭の佐々木順一郎さん、横浜黄金町の名画座ジャック&ベティの支配人・梶原俊幸さんにもチラシをたくさん配布していただいた。トークゲストの皆さんもチラシをお知り合いの方々に送ってくださったそうである。
新聞社では、東京新聞、朝日新聞、読売新聞が錦之助映画祭りのことを報道してくれた。今回は、NHKのテレビ・ラジオでの報道はなかったが、3月の報道で、錦之助映画祭りの評判が広まったことも確かだった。NHKのニュースを見て初めて新文芸坐にいらしたお客さんが、11月にもたくさんいらしてくれたように思う。
では、どうして木久扇さんが(木久蔵さんと言った方がどうもしっくりするが…)、錦之助映画祭りを応援してくださったのかと言うと、これには錦之助映画ファンの会の副代表の高橋かおるさんが一役買っている。木久扇さんが大の時代劇映画ファンであることは有名で(ラーメンだけではありません!)、「チャンバラ大全」(ワイズ出版刊)なる名著(珍書?)や「チャンバラスターうんちく塾」(小池書院刊)なるガイドブックも出版している。また、いろいろなチャンバラ愛好会にも入っていらして、そこでずいぶん前に高橋さんが木久扇さんと親しくなったらしい。
<「チャンバラ大全」には木久扇さんのカット入り(桶屋の鬼吉)で「追憶の萬屋錦之介」という文章があります。>
錦之助映画祭りが開催される2月に高橋さんがチラシと招待状をお宅へお送りすると、お返事にハガキが届いて、今度「笑点」で宣伝します!とのことだった。3月には、木久扇さん、新文芸坐へ二度ほどいらして映画をご覧になったそうだ。私はそのとき居合わせなくて、残念ながらご挨拶ができなかった。実は、私はというと木久扇さんには一度もお会いしたことがない。今度、どこかの寄席の楽屋に伺い、お礼を言おうと思っている。で、今回の錦之助映画祭りでも高橋さんが木久扇さんのお宅へチラシと招待状を送ったところ、また「笑点」で宣伝してくださったわけなのだ。
今回の錦之助映画祭りの宣伝に関しては、いろいろな人たちのお力添えがあった。落語家では、ほかに三遊亭鳳楽さん(故・円楽さんの一番弟子で、次代三遊亭円生を継ぐと目されている方)が独演会のパンフに錦之助映画祭りのチラシ(200枚)をはさんで配布してくださり、講談師では宝井琴調さんが国立演芸場の講談の会でチラシ(200枚)を配布してくださった。西東京シネマ倶楽部の飯島一次さん(時代小説も書いている方)、とよはしまちなかスロータウン映画祭の佐々木順一郎さん、横浜黄金町の名画座ジャック&ベティの支配人・梶原俊幸さんにもチラシをたくさん配布していただいた。トークゲストの皆さんもチラシをお知り合いの方々に送ってくださったそうである。
新聞社では、東京新聞、朝日新聞、読売新聞が錦之助映画祭りのことを報道してくれた。今回は、NHKのテレビ・ラジオでの報道はなかったが、3月の報道で、錦之助映画祭りの評判が広まったことも確かだった。NHKのニュースを見て初めて新文芸坐にいらしたお客さんが、11月にもたくさんいらしてくれたように思う。