錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『風と女と旅鴉』

2006-04-21 06:35:49 | 風と女と旅鴉


 錦之助が演じた風間の銀次という悪ガキのようなやくざが私は大好きである。
 一匹狼だが、渡世の経験の浅いチンピラ。つっぱっていて、すぐひがんで、素直になれなくて、八つ当たりして、口汚く人を罵って…。銀次は、現代の街のあちこちにもいる、へそ曲がりな不良のようである。女を見るとすぐちょっかいを出すが、女の扱いには長けていない。幼稚で、場当たり的で、心の傷に触れられると怒りをあらわにし、お膳をひっくり返したりする。本当は人々の暖かいふところに入りたい、愛情に飢えた若いアンちゃんなのだ。
 よくもまあ、こんな役を飛ぶ鳥落とす時代劇スターの錦之助が演じたものだと、私は彼の役者根性に感心し、手放しで喜んでしまう。
 相棒のやくざ、三国連太郎の苅田の仙太郎も最高である。とぼけていて、ユーモラスで、人間味があって…、が、さすがに年の功、渡世の荒波に揉まれてきただけあって、分別もあり、人情の機微にも通じている。三国は表情も豊かで、セリフに置く間(ま)が絶妙で良い。この仙太郎が偶然知り合った銀次を息子同然に可愛がり、かばい、なんとか銀次を真人間にしてやろうと苦労するのである。
 初共演の錦之助と三国連太郎、この二人のなんとも言えない駆け引きが、見ていて楽しく、ほほえましく、そして心暖まる。
 この映画、何度観てもいい。錦之助と三国だけでなく、出演者のだれもが個性的で生き生きとしている。だからどの場面も観る者を引き付ける。長谷川裕見子の出戻り女が良く、丘さとみのおぼこ娘もいい。加藤嘉の爺さん、薄田研二の村の長(おさ)、殿山泰司の岡っ引き、進藤英太郎の悪親分…。

 錦之助がやくざ者を演じた映画には優れた作品が多く、甲乙つけがたい名作が揃っているが、なかでもこの『風と女と旅鴉』という映画は異色の名作だと思う。何が異色かと言えば、錦之助の演じた銀次というやくざが人々の爪はじき者だということである。もちろん、やくざなのだから人に嫌われるのは当たり前だが、映画で描かれるヒーローのやくざは、スマートで格好良いのが普通である。義理と人情に厚く、悪いやくざを懲らしめ、たたっ斬る。堅気の人々にも信用され、好かれるのが普通である。錦之助が演じるヒーローのやくざも、ほとんどがそうだ。しかし、この映画の銀次は、母の墓参に訪れた故郷の村の人々から、最後の最後まで、冷たい目でみられ、信頼も得られないまま去っていく。最後までいわば疎外者のままだった。銀次は根っからの悪いやくざではない。本当は心根のやさしい若者なのだが、極悪な人殺しをやった父親を持ったがゆえに、故郷の村人みんなから冷たくあしらわれ、ぐれて、やくざになってしまったのだ。やくざになったこうした来歴はよくある例だが、やくざとしてまだ未完成な若者を主人公に据え、その心の揺らぎを主題にしてストーリーを展開したことがこの映画のユニークなところだった。久しぶりに帰ってきた故郷にはやっぱり自分の居場所はない。そう痛感せざるをえない切なさ。好きになった女からも結局は愛想尽かしをされてしまう。この映画には甘ったるいセンチメンタリズムなどない。やくざ者はあくまでもやくざ者なのだ。銀次は疎外感を抱いたまま、また旅に出なくてはならない。

 『風と女と旅鴉』(昭和33年4月中旬公開)は、成澤昌茂のオリジナル脚本をもとに、加藤泰が監督した映画だった。
 成澤昌茂と言えば、溝口健二の愛弟子で、溝口の遺作『赤線地帯』も手掛けたシナリオライターである。その成澤が、東映の企画部から、錦之助の主演作でこれまでの娯楽作とは違う脚本を依頼され、アメリカの西部劇を翻案して書いたという。
 監督の加藤泰はこの頃東映では不遇だったが、この映画は彼にとって画期的な作品になった。彼はこの作品に、自分の映画に対する積年の思いや、手がけてみたいと思ってきた独自の手法を込めることができたからである。それは地に足の着いたリアリズムとでも言おうか。映画を絵空事や奇麗事で終わらせず、出来る限り虚構を廃して、生活者の視点で描くことであった。加藤泰の映画に顕著な特徴は、なまなましい生活臭であり、現実的な人間の素顔である。そのために加藤泰は映画作法の上でも徹底したリアリズムを貫いた。カメラを地面に据えて撮影するローアングルのカットは、小津安二郎の映画同様、独特である。そして、同時録音にこだわった。『風と女と旅鴉』は、ロケ撮影が多くを占める映画であったが、困難な同時録音を押し通したという。
 またこの映画では、錦之助はもちろん、俳優はみなスッピンだった。ほとんどの出演者は、かつらもかぶらず、自分の髪を結って出演したと言う。女優陣もそうだった。丘さとみも長谷川裕見子もスッピンである。初めは出演者がみな戸惑ったという話だが、慣れてくると不思議にも役に成りきって、地に近い演技が出来たと言う。
 ロー・アングル、同時録音、ノー・メイクの効果のほどは、この映画を観ると十二分に発揮されていると思う。それと、バックに流れる音楽が映像を引き立て、大変良かった。気持ちが弾むような明るいコミカルなメロディーである。音楽担当は、『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』など数々の松竹映画を手がけた木下忠司(木下恵介監督の弟)だったことも付け加えておこう。(2019年2月6日一部改稿)